2015.06.19up / 2025.06.23update
田中家系図 Back
田中克己詩作日記「夜光雲」 1929-1939
「夜光雲」第一巻
昭 和4年2月11日 〜 昭和4年12月31日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(65p/@ノート)
夜光雲
くれはてし空の
一角あかあかと
夜光雲ゆき
讃仰す吾は
田中克己
序文
青春は過ぎ行きながら夛くの人達に
饒舌と憂鬱の相反した二傾向を与へる
饒舌の中に私は夛くの物を知つてゆき
憂鬱に囲まれて私は考へて来た
私の血の中のこの二要素が去り来る度に
私の青春が燃焼してゆくのを明[あきらか]に知りながらも
それは如何ともしがたい勢力(ちから)である
此の力に抑されて私は歌ひ考ふ
歌ふ所は私の眼にうつヽた 否 私の心をさわがした物の
すべてヾあり 思ふ所は 私の心に觸れた物である
饒舌を代表するものが必ずしも歌でなく
憂鬱を代表するものが必ずしも思考でない 私はたヾ
声の出るときにはその声のあらん限り歌ひ
然らざる時は深い思考の淵に沈む
此の二つは私にとつてあらゆる楽[し]みの凡てヾあり
此の二つに影響せざる所の物は私にとつて何物でもない
命なりけりと歌つた昔の詩人よ
私も歌はして貰はう 考へさしてもらはう
命のはてを!! また命のはじめを!! 四.八.一九
友ニ
僕ノ遺産ハコレヨリ外ニナイダラウ。
嶺丘耿太郎。
奈良行 (十四首ノ中)
生駒山吾が越え行けば水車をやみひまなく峡にめぐれる
春浅み梅まだ咲かず山寺はひよどり鳴けど静かなるかも
鳥居の上に石をのせれば幸ありと男三人(×)競ひ投ぐるも
(×)丸大人[うし]、本宮朝臣(あそん)ト僕
[丸三郎、本宮(中野)清見。共に「R火 かぎろひ」同人。]
これやこの春日の野辺に春浅の風に吹かれてつみし竹柏[なぎ]の芽
山焼を見むとつどへる人あまたそが中にして尿(いばり)する人
四.二.一一
百舌鳥耳原(二十四首ノ中)
踏みつけしすヾめのえんどう青くしてほのにその香は匂ひたるかも
百舌鳥耳原南の陵に程近く榊の花は咲きてありけり
野茨のたわヽの枝に唐鶸[とうまる]は鳴きてとべども青芽ついばまず
なにがしの命[みこと]のみ墓のぼり立てば榊の花は盛なりけり
みさヽぎに咲ける椿はめぐらせる堀辺に赤くこぼれてゐるも
同行丸大人 四.三.二七
生駒行
水車小屋のぞけば人の気配なし水車は臼の藥搗きをり
水車小屋筧の水のこぼれどにうばゆりの葉はむらがりゆるヽ
四.四.二一
颱風來
颱[かぜ]吹きてポプラの若芽片なびきしつヽさやげるあはれとは見つ
四.四.二一
奉迎天皇行幸作歌(十一首ノ中)
ツネニ ミシ アベノノ ハラモ オホギミノ イデマシドコロト キケバカシコキ
常尓見四阿倍野之原毛大君乃行幸處戸聞者畏古幾
オホギミノ ミココロヒロミ ロツピヤクノ ナカノ ヒトリト ワガサチナカユ
大王之御心廣見六百乃中乃一人戸吾幸泣可由
オホギミノ イデマシアレバ ウツシミノ イノチシマシハ ココロニカケム
大王乃行幸有禮波現身乃命暫者心尓可計武
オホギミハ カミニシ マセバ ウツセミノ マナコツブレテ ミカホ ミガテム
大王者神尓四座世波空蝉乃眼津分禮天龍顔見難天武
ツガノキノ イヤツギツギニ ツタヘテム アベノノハラハ イデマシドコロ
樛乃木乃弥継二尓傳天武阿倍野乃原者行幸處
四.四.二一
野茨の花(十首ノ中)
木屑浮き水草生ひし古池におほひかぶさり野茨の咲く
野茨の花枝よしなし古池に浮萍[うきくさ]生ひて影もうつらず
野いばらの花枝たわみて古池におほひかぶさり水に漬かむとす
四.五.一六
あかしあの花(六首ノ中)
川の辺のアカシア並木眞白に房の花咲き朝風わたる
朝風にアカシアの花ゆらぎつヽ水かれがれの川にうつれる
今朝の雨にアカシアの花ぬれくだち[傾ち]その花あまた泥川に流る
四.五.一七
生駒行(三首ノ中)
伊賀伊勢につヾく山脉上高く晝の月あり悲しき色に
烏、烏、二三十羽の一群がまひるの月に円を描いてとべり
四.五.一九
播磨野(八首ノ中)
はりまぬをはるばる来ればはりまなだ海のそぎへ[遠方]に白き雲立つ
ともしびの明石の大門のさヾれ波、波のあなたに淡路島見ゆ
曇り空低く垂れたりはりま灘 海のあなたの島山見えず
球場のまはりの家の瓦屋根つゆばれの陽にまぶしく光る
かすかに木々を吹く風プラタンの葉裏の白が目に痛く見ゆ
はりまぬにうれ麥刈ると乙女らの野のをちこちにむれたるが見ゆ
たそがれのはりま大野に煙立つはりま少女が麥焼(た)くらしき
四.六.一三
木蓮花
よべ[昨晩]白と見し木蓮華此の朝は末赤ばみてまさに散らむとす
つゆぐもり枝の高處[たかど]の木蓮花空に大きうさゆらいでをり
梅雨のあめすでにすぎたれ川の辺の木蓮の花未だ咲きつぐ
木蓮の花の咲きつぎ永くして今年の梅雨もすでにすぎたり
百日紅(三首ノ中)
朝の間の斜日に照る百日紅虻しべに来て花粉をちらす
トマト
祖父(おほちち)にトマト貰つて帰る道茂る木の葉に照る赤トマト
京都行(三十二首ノ中)
篁の間の坂道白シヤツの男自轉車押してのぼれる
篁に白シヤツはすでに隠れたれ竹のそよげばチラチラ見ゆる
なだらかの青き傾斜に赤牛が尻尾振りつヽ草食める見ゆ
篁を電車はすでにすぎたれど竹のそよぎの尚も聞ゆる
はろばろし丹波境の緑嶺の彼方の空に雲の峰立つ
雨あとの竹の林に立つもやの中を細々道のかよへる (以上 新京阪電車中)
雨上り木々の枝葉ゆしたたれる滴の下にゆるヽ貸ボート
小倉山峯の間より立つ霧の動き迅しも今し山はなる[離る]
夕霧の動きを迅み小倉山峯のことごとあらはれにけり (以上 嵐山)
瓦屋根にま日照あつき此のひるを何れの木にか蝉鳴きやまず
雷の音の止める間にして蝉一つ前の林に鳴きうつる見ゆ
雷の音の高き晝過黄糸瓜の葉は強き陽に萎れてゐるも
雷の音の止める間にして街道を自動車喇叭ならしてゆけり
夕立の雨降り出でぬ風強み小鳥彼方此方[おちこち]とび迷ふ見ゆ
雨止みてしばしの後の強[こわ]陽照り向つ尾の上[むかつおのえ]に光るトタン屋根
雷の音は未だ止まざり階下でする落雷話友と聞きをり
のいばらの垂枝[たるえ]あやなし黄濁りの水に押されて猶もはねかへる (以上西垣宅)
四.七.二七.及 二八
高石濱(一九首ノ中)
夕暮の黝波の山わが前の山の向ふに人泳ぎをり
ボート漕ぎ沖に来にけりはるかなる磯辺の茶屋に旗ひるがへる
うねり波いく重の彼方磯つ辺に茶店の赤き旗ひるがへる
うねり波こぐ手止むれば舟のせて磯に走れどなほ遠き磯
沖にして山の彼方に白雲の起るわびしと漕ぐ手とヾめつ
白雲の起るわびしとわが友と声をそろへて歌ふ俗謡
こヽにしてわびしきものか水くらげこみどりなみに身をひそめ居り
雲たえてしばらく浜に眞日の照り沖にボートのかヾやくが見ゆ
雲迅し ま日のかげりの沖辺より磯に進みて黒波来る
わが足をやく一丁の焼砂のこヽにかしこに浜ごうの咲く
四.八.五.及 六
落陽[いりひ](八首ノ中)
此の夕沈まむとする陽を見たり今か沈むと待てる焦[こが]しさ
赤々と沈まむとする陽は我の眼をその晝の如[ごと]痛めざりけり
道傍に親子五人が小手かざし落陽を眺むそをもわ[我]は見つ
此の夕明日も昇らむ此の日子とあれ[我]の思ひて見るならなくに
西山に陽は沈みけれためをきし息はと吐きて復[また]西を見ず
四.八.九
Z伯號來(九首ノ中) [※ドイツ飛行船 ツェッペリン号]
Z(ツエ)伯号来る喜び独乙人等歌ふ國歌の強きひヾきは
歌声の強きひヾきに愛國の情(こころ)こもると吾がきヽてをり
夕闇の着陸場に独乙人おどり叫びてよろこべる見ゆ
男やも雄々し健しと海山の二千里越えて駆けり来しはや
独乙人らわが海相の長々し歓迎の辞に足ずりしてけむ (ラヂオを聞きて)
四.八.一九
大和行(同行保田与重郎君)
足痛のわれに何ぞも幾曲り道にしらじら埃なびかふ (大野−榛原)
向[むか]つ山の茂みに赤き花海州常(くさぎ)山花の中より雀飛び来る (保田ノ家)
崖の上の白さるすべり曇り空に枝の高處の花のけざやかさ ( 〃 )
朝日さす丘辺の道に蜻蛉どもあまたむれとび翅かヾやけり
蜻蛉どもむれとぶ坂を一匹の荷馬下り来てあきつ飛び散る (初瀬−榛原)
くらはしの山の頂もやかヽりそのもやの上に朝日子照らふ ( 〃 )
今すぎし小き登りが村境[さかい]家毎の標札のぞきて知りし ( 〃 )
おきつも[沖津藻]の名張の山はわが通ふ道のきはみか雲立ちのぼる (大野−榛原)
木標(たてふだ)にそれと眺むる赤人の墓のあたりに白雲なびく (〃 )
川の上にかたむき咲ける花くさぎ咲きの盛としづもりかへる (以下室生道)
やうやくに咲き揃はんとする崖下の花虎杖[はないたどり]に時雨しぶき来
山角をまはりしわれに山の雨しぶきかヽりて眼鏡曇らす
幾重山縫ひ込[ママ]しわれぞ今こヽに室生大寺あらはれわたる
杉むらの葉もれうす陽は竹煮草の大き葉の上に照りかげりせり
室生山繁木が下の橡の木の稚木[わかぎ]愛しも陽光ともしみ
たまきはる命かなしと室生山繁木が下の七葉(とち)稚木見つ
向ふ岸にまだ咲き残る花ねむの色いちじるし後の杉に
いくまがり道を亘りて今こヽにわが見る塔のあやのしづもり
ちはやぶる神の藝術(たくみ)か向つ山峯とそら立つ石の柱は
向つ峯(を)をなせる巖は神業か石の柱とひヾわれゐるも
山峽は往来ともしか[ゆきき乏しか]来る途中すてし葡萄のなほもおちゐる
材木岩並み立つ川の辺の道をはるばる来たれ尚たてる岩
下草の羊歯のぬれ葉のもつ光此の杉山にみちそよぐ見ゆ
白日(まひる)風芦むらわたり芦の葉の葉毎に反射(かへ)す光の痛さ
對岸の大き石佛足痛の豆をさすりて友と見てをり (以下大野寺石佛)
河幅のやヽ広ければ石佛の尊き相[すがた]もわれ知りがてし
絵葉書に今見るみ顔石佛は尊き相におはしましけり
今更に尊む心對岸はなほ広ければみ顔見難[みが]てぬ
並み立たすみ佛の前に佛相を具せざるわれの嘆いてをヽり (以下於帝室博物館)
並み立たすみ佛の数夛けれどそよろ動かぬ数のさびしさ
蔦青き築地の中の葉櫻の幹に鳴きしく蝉がゐる見ゆ (以下新薬師寺)
新薬師寺の門外蔦青き築地の間に道曲る見ゆ
四.八.一五
追加
わが友と甜瓜[まくわ]剥きゐる前の道自動車埃立ててすぎけり (大野−榛原)
自動車の埃おほふと剥きかけのまくわにのせし指の黒さは
桑畑に雀とび来て二羽雀とまらんとして枝をゆるがす
枝のゆれやヽ大きければ雀どもおのれおどろきてまたもとび去る
302陽あたりの乏しき道に幽かなる光と見えし煎秋蘿(せんのう)の花
御佛はうごきたまはずうつそみの我の吐息はしるけきものか
み佛はあまたおはせど此の室[むろ]に生命生けるは友と吾のみ
向つ山峰[を]の上に白き雲わたると見れば峽に時雨降り来る
杉の木の繁葉をとほす陽の光われが眼(まなこ)に冴みてさびしも
塔(あらヽぎ)の九輪の空を白雲は迅く動きて杉に隠れぬ
國境(はて)はすでに近しもおきつもの名張の山に雲なびく見ゆ
國境の山脈の上雲なびきわが行く道はきはまらむとす
310杉山をさやがしとほる俄か風九輪の鈴のゆらげるが見ゆ
N君
[※西垣?]、歌論を書くと云つたけれど修養をつまぬ僕にろくなものがかけるはずはない。 手をつけやうとする度に己が不用意を知る。
幾度かのためらひの後にやうやくこんなものをかいて見ようかと思つた。
書いてある事は現在の僕の考へてゐる未だ幼稚なことであり、
愚かなドグマもさぞ夛いだらう。どうか文章の終に必ず「・・・と思ふねん」といふ言葉がついてゐるつもりでよんでくれたまへ。
一、與謝野晶子の歌を評す
改造文庫は僕等貧書生にとつていいことをしてくれた。いつもならば普通の本よりもぜいたくで高い歌集を、沢山自分のもの
とすることが出来る。
この文庫によつて新に得た與謝野晶子の歌に對する僕の感は、或は晶子が好きな君によいかもしれぬ。
晶子は云ふ迄もなく明星派の女王であり、寛以上にその歌風を代表するものと見られる。明星派の歌風は赤彦に云はせると「官能的」なさうである
が、 僕はこれに「象徴的」の言葉をつけて官象派と目することにする。赤彦の云へる官能的とは(初から見てゆけば)
何となく君にまたるヽ心地して出でにし花野の夕月夜かな
恋はるとやすまじきものヽ物戀に乱れはてヽし髪にやはあらぬ
相人よ愛慾せちに面やせて美しき子によきことを云へ
等いくらも出て来ます。これらの歌は感傷的な女学生向の官能をそそる言葉をつらねたもので、一讀の際はともかく、いつま
でも人を惹きつけては行きません。
誰しもが一度はとほるセンチメンタリズムの世界に於てのみ通用する歌ではないだらうか。まつすぐに云へとならば永久的生命を具せざることばの遊戯だ。
うたは心に感じたことをうたふものではなく、心の奥底にある事を歌ふものです。心の奥底にあ
るものとは、かつては五感によつて心に侵入したものヽ中、いつまでも外に出てゆかず心そのものと化したものヽ事です。
雲の美しさを見て感じた人の心に、その雲の美しさがとけこんだ時、歌がうまれるのです。この眞情のあらはれを私は不幸にしてそれらの歌に見る
ことが出来ません。
君、冗談云ふな、こんなに情熱のこもつた歌はないぜとおつしやるならば、そんなら晶子さんに情熱があつたかどうか証明出来ますかと尋ねましや
う。
平安朝時代の歌人の中にはこんな歌が沢山あるのを知つてゐる僕は、たとへこれが晶子さんの情から出たものと云ふことを承認しても、それは歌であるといふこ
との承認だけで、 よい歌であるといふことにはなりません。
次に象徴的(或はこれは僕丈かもしれぬが)と云ふ所以は、叙景または抒情の際に、
の如き・の如く・に等しく・のここちして・と見し・のさまに・と思ふ・に似たる・よりも
等の象徴的助詞が五首に一つは必ず出てくるのです。
象徴はこれ丈ではありませぬ。赤城山を上野の野にそびえる肩と見たてたり、或は河の水を天竺の流沙にゆくやと疑つたり、こんな例は数ふるに限
ありません。
これで見ると晶子の歌の殆どが、その象徴的の言ばの中に含まれるのです。 そこで象徴的短歌の可否ですが、感情を表す場合に象徴するは、その象徴の否なる
場合は勿論よい場合も強さをうすめるものです。
これが度を過ぎるときは「何だ、学問を見せつけにして」となります。晶子の如きは明かにこの弊に陷つてゐます。私達はもつと物をすなほに見た
いのです。
空の色を瑠璃にたとへなくとも「青い空」丈で少くとも空の美しさを知る人には心持がピタリと来ます。「百丈の下」といはなくても、もつといヽことばがある
でせう。 やたらに漢文的の言ばをまぜるほどいやなことはありませんから。
晶子のもう一つの欠点は小主観句の多いことです。客観の歌に對し、主観の歌があることは不思議はありませんが、小主観におちゐり易いのが困り
ます。
これが主観歌のむつかしいわけです。徒にかなしいとかうれしい、こヽちよい、いやだなどヽいふ言葉を使ふ時にはその歌は独りよがりになります。
秋の風が吹いてかなしいといふ歌があつたとすれば、人は先づ月並と見ます。こういへばおれは自分のために歌を作るのだと云はれるかもしれませ
んが、人に見せられないものがどうしてうたでせうか。
大体、主観的官能的形容詞は並大抵で使ふものではありません。これは万葉集などを見てもわかります。もうこらへきれないときに出すことばなのです。
この時に出来た歌が主観歌のいヽものなのです。
あまり晶子の悪口云ひすぎたやうな気がしますが、これは要するに明星派の遊戯的(己の感情をも弄ぶ)の歌に對する考へ方を排したのです。今い
つたきらひのない晶子の歌を挙げてみませう。
かはせみや前の流のつぶら石つぶつぶかわき冬の日の来ぬ
象を降り駱駝をくだり母とよびその一人だに走りこよかし
うら悲し北の信濃の高原の明星の湯にわがあることも
海鳴るやホテルの庭の芝草のつくる所はきりぎしにして
これらの歌のもつ高いしらべはさすがにと思はせます。二、三番目の歌の主観句は、こらへきれなくなつた悲鳴と思ひます。 その他の客観歌はよむ人にさびしといはずしてさびしさを感ぜしめ、或は・・・或は・・・とよむ人の心のままに思はしめます。これが客観歌の使 命なのです。
二、小主観歌
前の晶子の事で小主観といひました。これを説明します。島木赤彦の言葉をかりますと
「うれしい」、「かなしい」、「なつかしい」などいふ種類の詞は個々感情の実際活動 から抽象された概念である。
それを感情の直接表現と思ふのはまちがつてゐる。感情とは心が事と物とに對して活動する一種の状態である。
心と事物との互に交渉する状態をそのままに現すのが感情の直接表現である。(中略)[※しかし]かヽる種類の詞は心の活動の様々の場 合を著し得べき普汎[普遍]的な詞であるだけ感情活動に對し表現の直接性を失ふ傾がある。
先ず大体これでつきるだらうと思ひます。これを実例によつて見るとよくわかります。
人々と霧をへだてヽ立つこともさびしき山の夕まぐれかな 晶子
罌粟畑の向ふに湖[うみ]の光りたる信濃の國に目覚めたるかも 茂吉
晶子のこの歌は、恐らく彼女の歌の中でも傑作の中に入るべきものと思ひます。如何にもさびしい情景でせう。しかしこちら
の感情のあらはれをまたないで、
向ふからさびしいと云つてこられた時、私達はさやうですかと云つて引下がるより仕方がありません。茂吉の歌の中にも茂吉のゐることがわかる主観句がありま
す。
しかしここではよむ私達は皆茂吉になつて了ひます。そして信濃高原にめざめた人間として、悲傷的人間はかなしさを、楽天家はすがすがしさとかいろいろ感じ
るでせう。 それは別に茂吉の思つたのと変つてゐても一向差支へない。茂吉自身ですらその時の感を忘れて了つた時には、
この歌によつて或はちがつた考へ方をするかもしれぬのですから──要するに、私達は後の歌によつて深さを知ります。これは換言すれば心の中枢にぴつたり来
るといふことになります。
またこんな歌があります。
星のゐる夜空の下にあかあかとははそばの母はもえてゆきけり
此の歌の境地を考へれば、茂吉はきつと泣いてゐたにちがひありません──悲しさに。けれどもここにはかなしいといふこと ばがありません。 でも「こいつは母が死んだのに悲しくないのか」と思ふ人はまあないでせう。私はこんな歌に、及びこんな歌を作る人に頭を下げずにはゐられません。
哀れなる蚊帳つり草よ幼児[おさなご]の手にも二つに引裂かるかな
寛の歌です。こんな些細なことでも哀れといふ彼の見識をうたがふより先に、私達はこれのもう一寸した言ばの遊戯にすぎな
いことを見破ります。
寛氏はもし自分の最愛の妻晶子が死んだらどんな歌をつくるだらうかと思はされます。
赤彦は子供の死んだときには一年半もその挽歌をつくることが出来ませんでした。やヽもすれば小感傷に陷らうとしたから です。子供が死んで悲しい、 これでは歌になりません。却て面白くもなります。しかしアラヽギやその他、昔からの大歌人たちは小主観のかなしいなんて詞を使はなかつたかと云へばそれ は、
ここにして心いたいたしまながひに迫れる山に雪積もる見ゆ 茂吉
ふるさとの春の夕のなぎさ道牛ゐて牛のにほひ愛(かな)しも 千樫
などの歌もある。要は詞の心の中枢に浸み入る力をもたす丈の実力がなければだめであるといふのです。
大体、うれしい、かなしいといふ詞は子供や婦女の詞であつて、それもふだんにつかふ詞です。悲しさやうれしさの極には声が出ないのが普通でせ
う。
歌だつてそのとほりです。
三、含蓄の事
先刻も一寸書いたが、歌には深さがなければ駄目です。
霧の夜のあはれなりける月に似て青くくもれるいたどりの花
また晶子を槍玉にあげましたが有名だしわかり易いですから。
この歌は虎杖を知らぬ人にはともかく知つてゐる人間には、フンあの虎杖のことをうまく形容したな位ですんで了ふ歌です。こんな歌を形而下の歌
といひます。 もうこれ以上に何の包含するところもないからです。
養魚池の梅雨深みかもしつとりと岸の無花果葉をひたしたり 憲吉
これは一寸見るとそれ丈の歌です。しかし無花果を知つてゐる人々にとつて、いつか見たことのある人々にとつて、殊にこの
境地にひとしいものを見た人々にとつて、
その時の感境を再び呼びおこすに違ない。前の歌では晶子さんが何から何までいつてくれてるのです。いやおれは月に似てると思はぬといへば了ひだし、
あはれなりける霧の夜の月を見たことのない人々にも味ふことは不可能となります。プロバビリテイ[妥当性]が少くなるのです。あの歌をよい歌
と思ふ人にとつては大分沢山の條件がゐるのです。
後のほうは自分の見たままをよむでゐます。さあどうぞ味つてくれろと投げ出してゐるのです。そして自分も何度も何度もかみしめてゐる歌です。
これを含蓄ある歌といひます。
この頃気のついたことですが、俳句にはほとんどあはれ、なんて言葉は使ひません。形が短いからよけいな詞の余地がなくなつたからでせう。それ
で大抵の人は俳句の方をむつかしがるやうです。
判じ物のやうだなどヽいふ人がよくあります。歌は夛少形が長いだけいらぬ詞も入れてブツコハシにすることが夛いやうです。ここらは少し考へねばならぬと思
ひます。
含蓄ある歌の例を少しあげて見ましやう。
夕渚もの云はぬ牛つかれ来てもはら頸をあらはれにけり(茂吉)
おのづからうらがるヽ野に鳥おちて啼かざりしかも入日赤きに
かヾやける一すぢのみちはるけくてかうかうと風吹きてゆきけり
まんまんと重くくもれる夕べの川にぶく時なくわがまへにうごく(利玄)
船着場とかヽりし船とま日のもとにあひかヽはれりこのかヽはりを
こんな歌がいはゆる象徴歌であらう。
茂吉は云つてゐる。冩生の極致が象徴であると。
実際、只物事をうつしたに過ぎないものでも(前の五首なんかもさうだらう)
その中にこもる作者の生命のうごきが何となく看取されるやうに思はれる──これが象徴歌なのであらうと思ふ。しかし一図に象徴の名をかぶせるのは何かと思
はれる。 よく見ればよい歌のどれもがそれにあたらぬのはないのだから。
四、自分の好悪する歌
今迄書いて来てつくづく自分の頭の空虚なのに愛想をつかした。
筋のはつきりせぬ理屈を云つてゐては自分のためにもなりませんから、これから具体的に少し諸名家の歌の批評をしてみます。
偶然あけた頁から五首位づつやることにします。
A、古泉千樫氏(改造文庫、川のほとり六二頁)
○ ひえびえとさ霧しみふる停車場にわが降り立ちぬ暁は遠かり
実相直入の境地に近いものと思ひます。
○ ともしびを消してあゆめば明[あけ]近く白く大きく霧動く見ゆ
前の歌と同じく実相に直入してゐる。大きなものヽまへにひれ伏す作者の敬虔な心が見える。
△ 霧晴るる木立の上にうす藍の富士は大きく夜は明けにけり
今迄云つて来たイデオロギーの方面には矛盾しないけれど、調の方が少しゴツゴツしてゐるやうだ。
△ 山頂にたなびく雲の一片は垂氷の如くかヽりてあるかも
垂氷の如くと云つただけでひどく感興がうすめられる。割合に新しさのない歌である。
△ 富士のねをはなりしさ霧片よりに大戸をなしてそば立てりけり
前に同じ。
B、斎藤茂吉氏(改造文庫、朝の螢七六頁)
△ 日の光班[はだら]にもりてうら悲し山蠶[やまこ]は未だ小さかりけり
茂吉の歌には時々こんなのがある。悪い一面だと思ふ。このうら悲しは母の死にあひてのそれだけれども、蠶の事を必然性な さげに云ひだしたため、それと知るには非常に手数がかかる。
○ 葬り道すかんぽの葉ほヽけつヽ葬り道べにちりにけらずや
絶唱。哀しみのきはみの歌である。
○ おきな草口あかく咲く野の道に光り流れてわれら行きつも
前の歌と同じ境地を同じ感じで唱つてゐる。共に賛辞を惜まぬ。首うなだれた作者の姿そのままの歌である。
△ わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
前二首に比すれば劣る。余裕を見せてゐるからだらう。
○ 星のゐる夜空の下に赤々とははそばの母は燃えゆきにけり
一讀、心を打つ歌である。恐らく永久に残る歌であらう。客観の中にひそまる主観の強さを見よ。
C、木下利玄氏(改造文庫、立春三四頁)
○ 木の花の散るに梢を見上げたりその花の香かすかにするも
よい歌だと思ひます。よい歌にはアラヽギだの心の花だの派の区別なしに感心さヽれます。
○ 向ふ山の大きな斜面かしこには百合咲いてをりはるかなるかも
利玄は詞の使ひ方が自由なのが特徴です。「大きな」などは口語でせう。そしてちつともチグハグにならぬのを感心します。 この歌もいヽ歌だけれど、 五句が切つてつけたやうな気がしないこともないのが疵です。
○ 山の下湖のすぐそばに灯をとぼしこの村の家はよりそへるかも
これも利玄の特徴をよく表した歌です。第五句の適当さにおどろかされます。
○ 夕川のたぎちの寒さ磐床に息をひそめてわれ立ちにけり
こんな歌アラヽギと一寸も相違がないものでせう。要は皆同じものです。いい歌だと思ひます。只一寸感じが(換言すれば迫 り方が)にぶいやうにも思ふ。
△ 生一本に夜を日につぎて山河のたぎちのとよみとヾまらぬかも
これは利玄の弱点を表してます。彼の長所である詞の自由さがまた短所ともなつてゐるのです。二句以下の荘長(重)さに対 し 口語、併[しか]も半濁音と促音とを有してゐるものを持つて来たのはたしかに失敗です。
D、與謝野晶子氏(改造文庫、人間往来一○五頁)
○ 溪川は雨ににごらずくれ竹の青き色すれ百尺の下
晶子にめずらしい、いヽ客観歌なのですがやはりその特徴の象徴趣味を出してゐます。「百尺の下」がそれです。切角実景を まざまざと画き出してをきながら、 なぜわざわざ百尺の下なんてそぐはない句をもつて来たのでせうか。病こうこうに入るとでも云ひませうか。
○ 日の暮の明星嶽の山風に少し萎れし恋心かな
相かはらずその弱点を表してゐるけれども、まづいヽ歌の中でせうね。しかしこんな歌は今のプロ短歌などからは一番睨まれ るものだし、少し萎れしこひ心とは遊戯的だぞと僕でも云ひたくなります。
△ 涙をばうけんと思ふさましたりいとあさましや水晶の盆
一寸もわからぬ歌です。三句の主語が盆か、主人公か、晶子なるが故にわからなくなります。あさましやも厭です。擬人なん て法はもう過ぎていヽはずです。
△ 紫苑咲くわが心より上りたる煙の如きうす色をして
此んなのをある人達は佛蘭西象徴詩のおもかげがあるとか、塁を摩すとか云つてよろこびの涙を眺す[催す?]のでせうが、 大体象徴(晶子らのですよ)てものを感情の正しい表現と見てゐない私にとつては嬉しいものではない。但し象徴詩にも色々あつて前にあげた茂吉 らのや
枯枝に烏のとまりけり秋の暮 芭蕉
庭前に白く咲きたる椿かな 鬼貫
などは、冩生の極致、詩の極致でほんたうのいい歌や詩、句は皆この域に入つて了ふのだからそれは別です。
又、佛蘭西象徴詩としてのマラルメやヱ゛ルフアーレンの鷺の歌等も厭ではない。しかしそれは詩であるからゆるさるべき冗 長をも見逃したので、短い三十一字の中に、 前に云つた「如く」「に似て」etcを使つてやつて来られるとかなはないのです。やはり象徴詩としては日本の俳句や歌にあらはれた客観の中にあらはす法が よいものだと思ひます。
E、窪田空穂氏(改造文庫、槻の木七○頁)
△ 過ぎにしは殆忘れて生くる身に忘勿草の花咲きにけり
わすれな草の紫にかへり見る人ならばよし、忘勿草の名にならば晶子の流で好きにはなれません。
△ 忘れしを今はうれしとすならねど忘れずあらば生くべしや身は
くどくど云つてゐるのが厭。それに強い感情を云つてゐて軽薄に聞こえるのなど駄目。
○ 岡の上の並木の椿春風に暗き光となりてみだるヽ
四句が少しいやだけれど、わりにスツキリした歌。「春風」は「吹く風」と改めた方がいヽと思ひます。
△ 春の風吹きや過ぎゆく麥畑青き光のこヽには落つる
場景を想出さしめるには一寸ヒマがかヽる。やヽこしい歌ひ方である。
○ 人いれぬ廃園の奥に春の草青く繁りて皆花もてり
実相直入に近し。或ひは作者は象徴歌として作つたのかもしれない。
F、土岐善麿氏(改造文庫、空を仰ぐ八三頁)
○ 暁の光しらめる蚊帳の中息絶えぬるはわれの父なる
いい歌だけれど少し余裕の見えるのは。
○ なきがらを莚の上に長々とうつし一時に涙あふれき
同前
△ 蚊帳ぬちにひくき机を入れさせて病む母が焚く香のさびしさ
わかりにくい歌です。
△ 英語をおそはりにもいつか来ずなりし甥が彫りたる猿田彦の面
これは説明です。こんなのを詞書にするといヽのに。殊に次の歌の。
△ なまけものとたヾ一概に責めたりし甥が彫りたる面のたくみさ
終のたくみさでこれもお話になつて了つた。何とか云ひやうがあらうに。
G、中村憲吉氏(改造文庫、松の芽一一四頁)
○ おほヽしく曇りて暑し眼の前の大き向日葵花はゆすれず
実相観入の歌。暑さそのものを表してゐますね。
△ 曇り影すでに深かけば日まはりの大輪の花は傾きにけり
前の歌にくらべると劣る。迫る力がない。
○ あからびく大日まはりの下に立ち息づきあます深きくもりを
○ くもりたる四辺をきけばひまはりの花芯にうなる山蜂のおと
どちらもいい歌である。曇り日の圧力をそのまヽにもつて讀者にせまつて来る。
△ ちまたより埃匂ひて流れたり曇りの深き此の庭ぬちに
此の歌も寫生であるから幾分かは心を惹かれるが、調べが少し低いのか、も一つ迫る力がない。次の頁の二首も実にいヽ歌で す。
秋來(十三首ノ中)
散髪の後に頭を洗ふ水沁みて冷たし秋に入れるなり
國境(くにはて)の青峯の上にゐる雲の白さ眼に沁む秋に入れるなり
雑草(くさ)少し生ひしグランド一杯の秋陽の下にわが友らをり
久々に手に取る球の重さ輕み投ぐれば漂ふ秋陽光(あきび]の中を
唐黍の赤毛垂れ出づひそやかにその毛動かす風光もち
吾友の打ちし眞球は大空の光の中に消えにけるかも
遠方を電車の通ふ音きこえやヽに弱れど中々消えぬ
コーナーを曲りし友の白シヤツの光閃きわれに近づく
里芋の大き葉の上の葉脈の作れる陰影(かげ)は遠いちじろし
四、九、三
光の中にゐるもの(四、九、五)
◇赤い星
船に乗つてゐるのです
夜、泣き出しさうな空です
そして──
その空のどつかに雲の穴があつて
そこから星が──赤い、まつかな───
覗いてゐるのです
波に光が映つてゐるのです
そしたら皆さんはどうしますか
君自身はだつて? それがわからないからきいてゐるのですよ
◇栗の花
坂道を登る時
道傍の栗の花を
杖でなぐつたら匂つた
坂道を歸る時
栗の花は夕暮のしめつぽい空気に
ひとりで匂つてた
◇道
星のきれいな晩でした
櫟林を通つてゐたのでした、僕は
櫟の葉の間からチカチカ星が光つてました
長い長い櫟林です。道です
だからお星様の聲が聞えたのです
「今晩は」「あヽ今晩は」
此の挨拶がいつまでもつヾくのです
僕は退屈して思はずあくびをしました──何と失礼な
禮儀深いお星様達は挨拶を止めて怒つた様な光を送つて来ました
「十万もゐるんだからね」と云つてる聲もしました
僕は自棄(やけ)になつて
「それに道も長いからね」と云つてやりました
◇でヾむし
のいばらのやぶに でヾむしゐき
のいばらのはの あをきひかりに
でヾむしの觸角は青かりき
でヾむしは うたひゐき
──あはれ そは 何のうたぞも
問はで止みにき
◇月の夜風
月のよる
ぷらたぬすの蔭に
女の子が泣いてゐたよ
青い光が
葉のまを漏れて
女の子の項(うなじ)が
白かつたよ
風が吹いて通つたよ
ぷらたぬすの葉を
さらさら鳴らして──
女の子は おや
ゐなかつたよ
◇夜霧
白々と夜の霧流れ 川の辺の柳病葉(わくらは) ひそやかに散れり
霧中(ぬち)に人聲きこゆ 聲高に何をか語る 漸々(やヽやヽ)に遠し
物音は止みぬ 夜霧は消えぬ 見よ 柳の下に乞食(かたゐ)をり寝(いね)て
◇窓辺にて (四、九、七)
窓から眺めると
遠い山があるのです
山の上には眞白な雲が
いつもなびいてゐるのです
人間の生命といふものがしみじみと考へられるのです
窓から覗くと
夜空に星が見えるのです
星の群集した銀河(あまのがは)は
南天に直角に落ちてゐます
宇宙を支配する巨きなものを感じるのです
窓辺に坐つてると
向ふの道を赤い日傘が通ります
並木の間を見えかくれするのです
傘の持主の美しさはわからないけれど
自分の心の動きを感知するのです
◇蜩 (四、九、八)
かなし、かなし、かなし
長き夏の日を
なきつヾけしひぐらしのこゑは早や去りぬ
まどの外を黍の葉ゆるヽに
青空を小鳥わたるに
こヽろ心は
ひぐらしを去りし
はた──
◇かすかなるもの (四、九、九)
曠野を歩みぬ
幽かなる生命ゐて
息のかぎり歌ふ
われ近づけば
歌は止みぬ
な怪しみそ
われも亦
幽かなる生命の現はれなれば
◇同じく
夕暮の野の上 白々と煙立ち
風吹くに横になびかふ
煙の中に 童子等(わらはべら)ゐて 蜻蛉(あきつ)追ふ
知らじやな 汝(なれ)がさだめを
◇短唱
一、
こころしづむよあきののは
すヽきほにでて日に光る
二、
ふかい空いの
様が眼かや [ママ]
三、
晴れた山には程遠し
せめて堤の むれすすき
銀の穂先の 空の色
秋草 (四、九、九)
はつはつに山茶花つぼみつけいでぬ此の朝々の手足の寒さ
はつはつにあらはれそめし山茶花の堅き蕾に露おける見ゆ
萩のうれ花咲き出でぬ此の頃の朝の寒さを思(も)ひてわが見つ
かもめ (四、九、一○)
夕暮のしヾまの中をつばくらめ池面をわたり南(みんなみ)に去る
しろじろとつばさ見せつヽかもめどりこの池の面をとびふるまへり
ゆふぐれの池面をとびしかもめどり夜となれヽば一匹もゐず
かもめどりいづくゆくらむ一時の後の池面に一匹もゐず
与謝寅[蕪村]が画きし屏風を置ける部屋にわれら野球を語りてゐたり
122屏風ぬちの俳仙の顔の尊さに見の呆(ほヽ)けつヽなほも見てゐる (伊藤氏宅にて)
鳶 (四、九、一一)
男らがボールひたすら投ぐる時ひがしの空にくもわきゐたり
おほ空を舞へる鳶(とんび)はみはヾたきはヾたきてのちまたせざりけり
羽(はね)うらの白きとんびは大空をはねうごかさず舞ひゐたりけり
八重雲のおのおのの持つ色彩(どり)の田川にうつりゆらぎゐる見ゆ
(四帝大戦の日) (甲子園及其附近、伊藤、村山、小林、丸、門野、山田の諸氏と共にあり)
127ほのぼのと野のをちこちにけむり立ち武庫の山脉やヽ暮れむとす (四、九、一二)
校庭 (四、九、一二)
人のゐぬテニスコートにかげおとしテニスネツトは張られたりけり
ヒマラヤ杉のこまかくゆれる影の下 水道の水たえずこぼれをり
木の蔭の水道端に痰壺のいくつも並び水たヽへゐる [※後日保田與重郎より難ぜられし歌]
たえずおつる水道のしづく痰壺にたヽへし水の面ゆるがす
132ことごとく莢実(さや)となれりし合歓の木の木ぬれに一つ花残りをり
二重虹 (四、九、一二)
二重虹立ちゐたりけりその下に白壁の家照りゐたりけり
二重虹空にある時夾竹桃梢に花が咲き残りゐたり
大空の曇りに立てる二重虹はじまるところ壁照れりけり
眞球 (四、九、一五)
外野囲むポプラの秀末[ほずえ]風わたり光みだれてそよぎゐる見ゆ
山の際(は)の空の青さに白たまの眞球かけりてたふとかりけり (於寳塚球場)
迫る力 (四、九、一七)
窓から見ると南のはてに
天の河が美しい瀧となつて流れ落ちてゐる
(あヽ今夜もポプラがそよいでるよ)
天の河を形成(づく)る幾億の発行体は
気ぜはしく、切なく息づき息づきしてゐる
(あ、星が飛んだ)
天の河の所々には眞黒な裂罅(われめ)があつて
無気味な静けさを湛へてる
(水夫達は石炭袋と呼ぶさうな)
何といふ存在だらう
遠くから迫る力をもつてゐる此の密集は
(あヽ僕は小ぽけな人間だ)
ポプラがゆれる、ゆれる
銀河(あまのがは)はいつまでも気ぜはしく息づいてゐる
(恐らく永久に、さうだ 永久に)
息苦しくなつて来た、窓を閉めよう
此の圧力に耐へることは不可能だ
(硝子戸越しに──やはり光つてるよ、息づいてるよ)
巷 (四、九、一二)
十八だつた私は無鉄砲にも養父(おやぢ)と一寸した口論の末、汽車賃にやうやくの金を持つて家をとび出して大阪へ来ました。
勿論行先の目当なんかないのですが、 何となく大阪といふ所に心を惹かれたのでした。
大阪に着いた私は(否、もう汽車が箱根をすぎる頃からなのでしたが)今更に自分の無分別に気がついて後悔しました。
今見る大阪の街は、心の中に画いて来たものとは違つて黒い汚いみじめな街でした。
しかしそれだと云つてあの冷酷な父の許へ帰るのも少し厭でした。 (またその帰りの汽車賃さへないのです)
私は私の只一人の大阪にゐる知人の住居をうろうろと探しました。 それはある停車場近くの裏街にありました。
うす汚れた格子のついた半ば潰れたやうな家でした。「ごめんなさい」と案内を乞ふてあける戸はガタガタとひどい音を立てました。
薄暗い土間に入ると汚い子供が三四人一度に飛出してきました。
そして口々に「お客さん」と呼び立てるのでした。おかみさんが出て来ました。随分困つてゐると見えて殆どボロのやうな着物を着てゐました。
おかみさんは併し丁寧に来意を聞いたのち、
「宅(うち)は晩方帰つて来ますさかい」と云つてくれました。私は又明るい外の通に出、日暮までの数時間を見知らぬ人ばかりが沢山うろうろしてゐる心斎橋
すぢを散歩しました。 すべてが泣きたいやうな心地でした。殊にあの健次さんの家のことが。
併し夕方になつて通[とおり]に電燈がつき出しはじめると、何とも云へぬ寂しさにおそはれて私はあのみじめな家へと足を向けました。
再び訪れたその家には、もう主人の健次さんが帰つてゐて、小さいながらも牛鍋を用意してくれてありました。私はやかましい子供等と一しよにそ
れを囲んで、 久し振に昔にかはらぬ健次さんの声を聞きました。しかしその顔のかはつたことは──爺むさく、貧乏くさく──。
健次さんは私の話を要所要所でうなづきながらきいてくれました。
そして貴方(あんた)のつらいことはようわかつてゐるけれども、世の中はさうしたものだ、どこへ行つても同じものだ、も一度辛抱して家へ帰り
なさいと懇々と云つてくれました。 私はその誠意のあふれた言葉に何の理屈もいへなくなつて了ひました。
帰りの汽車賃のない事を話すと、健次さんは実は私も今職を失つて困つてゐる、
もう貯へた金も無くなつたので毎日職を探して歩いてるのさ、と云つて少しくらい顔をしましたが、翌朝晩く眼を覚ました私の枕許にはお金が置いてあつて、
健次さんはもう就職口を探しに出て行つてました。
おかみさんにお礼を述べ、健次さんには何れ帰つたら何とか御挨拶申上げますと傳言して貰ふことにして、私は梅田行の電車にのりました。
切符を買はうとすると財布がない、あのお金を入れた財布が。私は此の瞬間、大地がめり込むやうな気がしました。
車掌に色々わけを話して下してもらひ、もしやと健次さんの家へひつ返しました。 しかしやはり確に私が持つて出たのでした。
ふらふらと外へ出た私は郵便局へゆきました。何をしに?
家へ電報を打たうと思つたのです。そして頼信紙を貰つたとき、
その電報を打つ金もないのにきがつきました。もう健次さんにも厄介をかけたくない。又お金を借りて電報を打つたところで、あの冷酷な養父が果たして一文の
金を送つてくれるかも疑問でした。
私は頼信紙を握りしめたまヽさまよひ出ました。いくら歩いたか知りませんが、向ふから亡くなつた親友のNに似た学生の来るのに出会ひました。
何故だか知らぬが話して見たらどうにかなるやうな気がして、私は「君、君」と呼び掛けて、何度も何度も吃りながら実情を打明けました。激しい
恥かしさと屈辱が心にわいて来たのですが、 口はそれにかまはずどんどんしやべつてゆきました。
長く熱心に私はしやべつたのでした。そしてその答は「意気地のない男だね」の一言でした。彼は後も振向かないで去りました。
私はカツとするとすぐ後を追ひました。彼はそれも知らないやうに両側に倉庫のある通に曲つてゆきました。
私は彼に追付いても一度頼みましたがやはり返されるものは傲慢な言葉でした。
私は思はず拳を振上げました。彼は「ドロボー」とどなりながらバタバタ逃げ出しました。私はもう夢中になつて、彼におひすがり引ずり倒しまし
た。彼のポケットから財布がはみ出してゐました。 私はそれに目がとまると半ばむ中で拾ひ一散に逃げてしまひました。
私がこんな人間になつたのはこの時からです。で、今もこの人間に対し深い深い憎悪を抱いてゐます。或は得手勝手かもしれませんが。
道 (四、九、一九)
澄み徹つた空がきはまつて
それよりも更に濃い山脉(やまなみ)につヾくところまで
此の道はつヾゐてゐるのだ
秋陽に照らされてまつ白な道だ
この道に沿つて流れる川の
堤のところどころには薄がしげり
その白い穂を颯爽となびかしてゐる
ここに私は秋の風脚の白さを感ずる
道の片側には廃庭があり
ところどころの萩の叢は
もう紅い蕾をつけてゐる
飛石の上に
背の青紫に光る蜥蜴が
長々と陽を浴びてゐる
白い柵にからむ蔦の葉が
美しい寄木細工となつてゐる
私は此の庭をも見すてヽ
進まなければならぬ
前方の青い青い空を
山脉まで此の道がつヾいてゐるからだ
道がだんだん低くなつて
河の面に近くなつた
岸の花蓼[たで]にとまつてゐた
むぎがらとんぼが
すいと飛びはなれた
花蓼の穂がいつまでも
ゆらゆらゆれてゐる
その根本の水に
やごがゐて
まもなく出る世の中の
どんなだかを夢みてる
(夢を見るにはあまりにも醜い姿だけれども)
白々と陽光(ひかり)に充ちた此の道の眞中に
堆く馬糞がこぼれてゐる
その大膽さに驚きながら
避けてとほるときその中に
こがねむしの羽音をきいた
ああ、何にも、どこにも
生命と陽光のあふれた此の道を
いつまで、どこまで私は歩まねばならぬのだらう
己の生命のはかなさとあじきなさを知る私には
あまりにも耐へがたい此の道だのに
此の陽光と生命にみちた道だのに
大阪風物詩
一、
まひる日の光の中に
泥にごりの水 ゆたにたゆたひ
カフェエの電燈も
白日の陽に見れば儚[はかなげ]な
濁り水を通ふ快速艇の
立てた波は
貸ボートの船腹を
ひたひたと打つて
一町向ふに消えたその艇(ふね)の
とんとんと鼓動する
エンヂンの音がいつまでも絶えぬ。
河岸(かし)をめぐつて
並び立つ料理屋の三階には
ものうげの三味の音(ね)が
いつまでも、いつまでも──
もの皆の饐(す)えたるところ
もの皆の頽れしところ
廃頽の堀を充すは
泥濁り水
かにかくに悲しきものは
白日光(まひるび)の道噸堀よ (四、九、一九)
飛行機 (四、九、二二)
飛行機のプロペラの音たえたりとわが見上ぐるに宙返へりゐる
139秋空はすみとほりたり飛行機のとべる高さを低しと思(も)ひぬ
大阪風物詩 (HYSK君[※ 不詳]に呈す)
二、
聳えたつ五重の塔の
秀末(ほずゑ)の空は青々と晴れたるに
何すればあまたの人
此の舗道(いしみち)をむれ歩める
道傍に並(な)み坐(ゐ)たる
經木書師(きやうぎかき)の列は
白癩(びやくらい)の乞食(かたゐ]に似て
わが夫(つま)の、わが愛し子の
戒名書かす男(をとこ)女の
眼に涙なき
又、數多の小店ありて
果物、剃刀、箸、玩具
菓子、及びありとある
安値(やすね)のもの並べたる
御堂には誦經(ずきょう)の音充ち
有難き伽羅沈香[からじんこう]の香は
堂外(どうのと)の人群に及べれど
本尊の御眼に貪婪の相ある
はた人泥雜(ごみ)に
迷子ありの札立ちて
小さき童の頬黒くなるまで
泣けど、いなけど
いつまでも答ゆる人なく
白髪の老嫗(おうな)哀れと呟くなる
日毎には豆食ひ飽かず
人の手に飛び来たる鳩の群れ
白々と堂の屋根に糞しゐる
また更に怪しきは
占師(うらなひ)の貧しき姿
人毎の宿世説く書賣ると
声挙げて説けるを
その息の仄(ほの)酒の香にも
眞実(まこと)かと老幼の耳かたむけたる
かしこには怪しげの布張りし中
宿縁めきたる化相(けさう)の
蠢くと口赤き婦女(をみな)の
黄色き声して説ける
はた支那人の手品使
鼻口より蛇(くちなは)の頭尾[かしらを]出し
二裂(ふたまた)の舌赤々と
流れたるうたて[※おびただしい]涎は
長々とつヾきたる
又、不可思議の萬華鏡(ひやくめがね)
視界一面(まのあたり)に化(あや)しき姿(夷[ゑびす]三郎の面に玩具の馬にのりたり)
まひる日の中におどりおどる
仮面(めん)の中(ぬち)の顔のよし泣かむとも
表面(うはつら)のおもしろさに人々笑ふ
あヽかくも空の青きが下
安髪油(あぶら)と体の臭
ひたぶるに充ちたるところ、こヽ
人皆は老ひ[ママ]たるか幼(いと)けなきか
壮者(わかもの)のあらぬところ、こヽ
(たまたまに艶(あで)めきたる女の来るは
盲(めしひ)にてしが母に手を牽かれたり)
眞実に下界(したつよ)の心地こそすれ
淫婪と貪慾と嘘言(まがごと)と
おほよその罪にみちたれば
かヽる時塔(あららぎ)の九輪の光
おどろなる白衣のものたちて
まがつみのことば叫ぶと見えて
はた消えたる
さてはまた一群の大邪鬼(まがつみ)地の上をゆきかふ
──即 熊鷹眼(め) 掏摸(ちぼ [※スリ])
人の身なすかまいたち
人ごみを足疾(ど)手早に
ぬひ走る
(あやしさにみちたるところ
あやしさにみちたる日 彼岸会の天王寺)
(四、九、二四)
葛城行 (四、九、二三)
疲れ来て見る眼に青き松虫草こヽの日向に咲き乱れたり
赤々と曼珠沙華咲く田川べをいつまでつヾくわれらの道か
夕蔭の蜜柑畑に実(な)る蜜柑まだ青くして葉とまぎれたり
夕畑にたわヽになれる青蜜柑こき表皮(うはかは)に光り含(ふヽ)みつ
山かげの細渓川の岸おほひ胡蝶花(しやが)の厚葉はむらがれるかも
向つ尾の斜面をおほふ檜(ひ)の若木茂み深みて青波をなす
稚檜[わかひのき]しげりしげれる林中 道のくらさに水流れたり
ここにして眼下に低きかむなびのうねび松山田中に立てり
草山をなせる頂はろばろし雲洩れ陽照りいよヽはるかなる
近つべの黒山の彼方山頂の草山に照る雲もれ陽かも
田の中を今来し道の白々とますぐに走りとほくつヾく見ゆ
楠の茂りも深き神の杜(もり)われらのみけり神の美し水
かむなびのかみのみもりの楠の葉蔭にのみしうまし水かも
はろばろと谷をへだてヽわが見やる金剛山を雲おほひたり
この道は今は高みに至るらし谷川の音いやとほざかる
萩の花尾花むれたつ高原の秋のこヽろに泣かまくしをり
下界(した)おほふうすもやの中長々と光かすかに石川流る
眞暗き檜林を歩むとき人殺さむとひそかに思へり
青栗のいが夛き道わが友のざうりの足を危ぶみにけり
栗の樹のことごと毬となれる枝に一房残る栗の白花
山頂の草原の中 細々と人通ひ来ぬ道のつヾけり
蛇(くちなは)は友の杖先尾振りつヽやヽに滑りて穴にかくれたり
つかれ来て山のふもとにかへり見るかづらき山は夕霧らひせり
169高原の秋の風情(こヽろ)に浸る時 松虫草に虻ゐたりけり
同行に村山高氏、丸三郎大人、本宮清見大人、小林正蔵君、豊田久男君、増田正元サン。
曼珠沙華 (四、九、二六)
一
さてもまつかな花の色
眞実毒をこめたれば
さてもあやしき花の色
轢死女の傷の色
二
赤々と彼岸花の咲く野道を
眩暈を感じてあるいたよ、僕は
いつか誰かヾ死んだ時、枕許に
咲いてゐた花だつたことを意識して
眼をつぶつて歩いたけれど
眼の裏(うち)までその赤さが沁みこむんだつたよ
三
子供は死人花(しびとばな)と呼ぶ
そしてその花の莖で
首飾を作る
ダーリヤ (四、九、二六)
天竺牡丹(ダーリヤ)と呟いて
さて眺めると
ゆらゆらとゆれてゐた花だつたよ
コスモスの垣 (四、九、二八)
コスモスの花垣の中に
僕がゐて
垣の外を通つたのは
きれいな女の子だつた
女の子の頬には
コスモスの色が映つてゐた
(夛分僕にも)そして
二人は恋をしなかつたのです
攀葛城山而作歌四首並短歌 (四、九、二九)
空晴の、秋の一日を、吾友と、集ひい群れて、弥高(いやたか)の、葛木山に、攀らむと、河内の國の、野の道を、はるばる来れば、路の辺に、曼
珠沙華咲き、垣内に、柿は実れり、美しと、思ひて歩めば、足引の、山路に入りぬ、溪川の、流を渡り、奥深き、林を過ぎて、久方の、天の久米
橋、登り立ち、遠見放(さ)くれば、近つ辺の、黒山の彼方、頂の、草原に照る、雲洩陽、見の尊くて、涙流れき
反歌
葛木の、山を高みか、萱原を、なせる頂、片日でりせり
金色の、大日の光、頂の、草原にます、仰ぎ見放けし
久米橋を、後にのこして、我等行く、道は高みに、登りゆき、清谷川の、水の音も、聞えずなりぬ、道の辺の、草原の上は、
はぎが花、尾花のぢぎく、咲きみだれ、空の光に、耿々と、い照り輝き、吹き渡る、風の穂先に、さうさうと、響き靡かひ、秋の気の、満ちに満ち
たれ、青空の、高きを仰ぎ、白雲の、白きに嘆き、種々(くさぐさ)の、花の姿を、目も離(か)れず、眺めてゆけば、心たぬしも
反歌
高原に、あきの風吹き、薄穂の、白きなびかし、流れゆく見ゆ
長々し、道を亘れば、頂も、間近になりぬ、疲れたる、足をふるひて、岩がねの、こヾしき道を、踏み平し、峻(さか)しき
なぞへ、うちのぼり、葛木山の、頂に、着きてし見れば、あなあはれ、大和大野は、久方の、天の霧立ち、畝火山、かすかに見えど、三諸[みも
ろ]つく、三輪の神山、巻向[まきむく]の、檜原も見えず、河内野は、もや立ちこめて、茅渟[ちぬ]の海、漁り小舟の、かすかにも、
見むすべもなく、將た谷の、彼方の神山、金剛も、雲立ち渡る、あやなしの雲
反歌
千早振る、神の怒か、こヽにして、國見をすれば、雲立ち隠す
あぢさゐの、さゐさゐ沈み、山峽[やまかい]の、道を下りて、夕暮の、大和の國に、降り立ちて、振り仰け見れば、葛木
の、山の頂、はろばろと、夕霧ひせり、草枕、旅の情は、身に沁みて、金木犀の、花の香に、思ひぞ偲ぶ、その故郷を
反歌
こヽにして、心がなしも、夕かげに、金木犀の、かほりみちたり
曼珠沙華 (四、一○、三)
昔の花のまんじゆさげ
今年も赤く咲きたりと
わが幼友つげて来よ
曼珠沙華折りその色に
幼きこひを思ふ日の
心いたしと告げて来よ
【抹消】
こすもすの花 (四、一○、三)
こすもすよ、こすもすよ
わたしの古いこひ心が
おまへの中にのこつてゐて
わたしのむねをしめつけるのだ
おもへば純な子供だったよ、私は
あの花垣のかたはらを
とほりすぎたあの子の顔を
一目で見てとつてしまつたのだつたよ
それだけだつた それだけだつた
木犀の香 (四、一○、一五)
もくせいの香(かほり)うするとわが見るに本の黒土に花ちりしけり
もくせいの香うすれぬこのよひの月の光はすみきはまらず
信太山ニ秋季演習 (四、一○、一二、一三)
なみすヽき穂に出でにける高原の果の山脈雲なびく見ゆ
高原の果の山辺になびく雲うすじろくして山襞(ひだ)すきて見ゆ
芒穂の稚穂の上に風わたりなびく穂先に紅を含(ふふ)めり
唐辛の細葉がくれに赤き實はみのりたれ花いまだもさける
熟れうれし黄金稲田の畦畑に里芋の葉のゆれのしるしも
〇ひむがしの村の家々白々と壁光る見えわれら倦みたり
松林の朝のしめりのすがしもよ木の下笹に茸ひそみつヽ
〇ゆふあかりのこり長しも薄根(すすきね)にのこる雨水白々と見ゆ
夕明り未だも白し谷間(あひ)の池の面のほの明く見ゆ
菊賣 (四、一○、一八)
手の尖端(さき)につめたさ感じ歩きゐて菊賣る人に会ひにけるかも
籠に入れし菊の花株濃緑の葉の上にしるき朝の露かも
月影 (四、一○、一八)
月かげの映り冷しポプラの木枝動かさずしずまりゐるも
露じめり冷き瓦屋根に立ち望遠鏡に月を見てをり
月ぬちの兎の姿くろぐろと望遠鏡(めがね)にうつり更けぬ此夜は
向ひ家の屋根の露霜さはならし[※ちがいない]この月かげにぬれぬれて見ゆ
満月の空に照れヽば生駒山やまの輪郭(かぎり)の明らかに見ゆ
満月の光くまなしはろばろとみなみの山の夜ながら見ゆる
満月の光寒しと見ゐる時屍を焼く臭ひ通ひ來ぬ
村端(むらはて)の死人焼場(しびとやきば)に立つ煙此の月空に流れてゐけむ(煙立ち此の月空に登りてあらむ)
月光の明るき今宵ものかげにいとヾの虫の鳴きひそみゐる
191明星(あかぼし)の光痛しとこれの戸をとざしてわれは寢ねにけるかも
星空 (四、一○、二三)
銀(しろがね)のたまのみすまる昴(すばる)ぼし東の空にこよひのぼれり
すばる星六つ連[こぞ]りてこの秋の澄めるみ空にのぼりけるかも
人のこのわれの東をみけるときすばるのほしは昇りたりけり
生駒ねの北の傾斜(なぞへ)にかたわれの月は眞赤くかヽりけるかも
邪事(まがごと)のまへのしらせと紅き月山のなぞへにゐたりけるかも
高空にあんどろめだの光ありあめの夜霧にいきづき深し
人間の測りの果ての遠さより来れるものぞこれの光は
あかしあかし東の空に照る星の光の色に情 熱(ほとほ)る
東の空に昇る昴、アルデバラン、はてはあんどろめだの星雲を見むと、望遠鏡(めがね)をもちてひたすらにながむれば、
昴なす六連星はしろがねの連珠の如く、あんどろめだの星雲はあやしき人魂の色に似たり。
さてあるでばらんのあかきいろに、こヽろいきどほろしとまでながむるときとなり、ちかくのひといへのへ[家の上]にひと立つとさわぐめる。
をかしともをかし。あやしともあやし。さてもかヽるおもむきひとたびにして、たちまちはなれたるぞこヽろう[憂]き。
星見ると屋根の頂わが立てばおぞ隣人怪しみにけり
星空の空の光にわがすがたさやかに見えし人さわぐなり
丈夫[ますらお]のわれの背高し屋根の上に怪相立てりと人おどろける
人々のこヽろ騒がせますらをのわれは見呆うけつこの星空を
雲の動き (四、一○、二六)
209鬱々(おほおほ)に垂れたる空よソリダゴ[アキノキリンソウ]の花のゆらぎはしばしもやまず
敵のせるトライ[TRY]口惜しと目をそらしわが見る空に雲行き早し(対商大戦)
魚座(ピスセス)の賦(うた) (四、一○、二四)
冷々と秋の気が人の身に迫り
白楊(ぽぷら)の木が葉を落しそめるころ
空の南にかヽるのは
北の魚星座である
光の薄いこの星の集りは
水の美しい池の底
落葉の散りたまつた中を
背の色もうすく、ひるがへり
閃めく小さい魚を思はしめる
その池は山の奥にあつて
平常は人の来ない寂しい池だ
けれど、見ろ、東の空を
血の様に眞紅い月が登らうとしてゐるだらう
彼こそは只一人の此の池の訪問者
でも悲しいことには
人に慣れないこの魚達は
彼が近くへ来たときには
底の落葉の堆積の中へと
一匹づヽ姿を隠して了ふのだ
月は青い顔をして
池を廻り
好意を裏切られたものヽ寂しさに
顔を引歪めてゐる
さうして彼が足音を消したとき
又もや魚達は
ぽつりぽつりと姿を顕はすのだ
可哀想な魚達
そしてそれにもまして可哀想な月
月こそは永久に孤独であり
魚こそは永久に愚かである
焚火 (四、一○、三一)
湿り深き此の夕暮を赤々と焚火もやして人ゐたりけり
仄ぐらき空に羽虫の飛交へる此の夕暮に火はもえゐたり
208焚火燃(も)す人ことごとく背きゐてたき火は独りもえゐたりけり
長塚節の「土」を讀みて感あり作る (四、一一、二)
母(かあ)さん 母さん
畑の隅 青い陶器の壺の中
母さん 母さん
畑の隅 苗代胡頽子(なはしろぐみ)の木の根もと
母さん 母さん
壷の中 ぐみの細根が垂下る
母さん 母さん
私の 白い帷子朽ちました
母さん 母さん
ぐみの花 青く咲いたを御存じか
「末句の二句はうまいね」Y[※ 保田與重郎の書き込み]
こすもす (四、一一、四)
こすもすの花の盛はすぎにけり 花の小さきを従妹は挿(かざ)す
おそ秋の空の冷さこすもすの花は小さくなりにけるかも
記念祭の人出を夛みほこり立つ校庭に咲けりあきにれのはな (商大記念祭一一、三)
川霧 (四、一一、八)
川霧はたかくのぼらず地にはひて赤きともしのゆれて行くなり
きり這へるこの浅宵を人行かずともしび一つ遠くある見ゆ
街中(ぬち)をきり低くはひ丈小(ち)さき嫗(おうな)が二人もだし歩けり
おうな二人ともしびさげて我がまへをさらばひゆくに心いきどほる
わがまへをあるく嫗をぬかんとしさげたるともしにてらされにけり
嫗二人後となりけり何ごとかきりにかくれてもの云ひにけり
こヽろ怖ぢ足をはやめて歩き去りかへりみすればともしゆれゐる
老嫗らの歩みあやぶし提灯のひかりのゆれはつゆさだまらず
幽庭 (四、一一、八)
南天木(なんてん)のくきにつきたるしろだにのかずおびたヾしなにかおそるヽ
なんてんにつける白蝨(だに)とらずして日をへにしかばそが子を産めり
やむなくて殺す親だにをよび[指]もてはぢけばつちにおちて音せず
土におちてまた動かざりしろだにの生命かなしみ取ることを止めつ
白だにの卵かへりて生[あ]れ出づる子だにの数はいかにせむとぞ
◇
わが庭のしぶかきの樹に実れる果の赤きをめでヽこの日ごろ經ぬ
渋柿としれヽどあかしかきの実の色にくはむときによぢのぼる
枝先になれる柿のみとらむとししばしためらふなんのこヽろぞも
木の下にしぶかきをくひそのしぶに口ゆがめたれつひにくひつくす
口中のかきの渋みははなはだし柿のおちばに唾きしばしばす
◇
こぬかあめとなりの煙低くはひ棕櫚の半ばにはひまつはれり
231あさじめり煙昇らず隣家の乾魚やく香はこヽまで來る
厦門[あもい]の港 (四、一一、一五)
南蛮広記を讀みてわが心は神父ども來りし南をおもふ
ろーまんていつくな夢の詩をおもふのである
われは懐ふ、南(みんなみ)の厦門の港
眞夏日の光溢れたるところ
白き家々並びたち
石壁に緑波ひたひた迫る
あヽ 厦門
ひかりの港
南の港
港端れの磯辺には
世にもあえかなる紅き花 白き花
彩々(とりどり)咲き乱れ珍らしき
伽留羅の鳥歌ひとぶ
あヽ 厦門
南の港
ひかりのみなと
さてまた夜の空には
黒々と寄来る大濤の丘
かすかにも夜光(やから)の虫のひかりにまぎれて
南十字(さざんくるす)の星照らすなり
此の時なれや
鐘樓の上
黒衣の神父(ぱーてる) 熱き情に
あな尊と、わが主ぜすす[イエス]のきみのみしるしと禮拝す
あヽ 厦門
かみのみなと
みなみのみなと
あかねさす晝となれれば
海に向へる窓ことごとく開き
窓ごとに乙女ゐてものぬひつヽ
うたふ唱 えぞしらぬ
窓辺なる籠の中
羽美しきおうむ鳥語り
色の海風さやさやと吹き入るなり
あヽ 厦門
こひのみなと
南のみなと
われは又想ふ かの街の
家の壁毎に這ふ
縷紅草の紅き花の
かなしさを
かくして あヽわが夢は
よごとよごとにかよふなり
ああ あもい
かなしきみなと
わがあこがれぞ
ぱらいぞう[※パラダイス]
曲馬團(さーかす)の歌 (四、一一、一六)
(道化うたふなり)
松竹座にヂヤーネツト・ゲーナーの「くりすちな」[※Janet Gaynor Christina]を見る。
さーかすの場あり。まづそこで作つたといふもの。
これなるは こすもす曲馬團
宇宙の果から はてまでも
旅して歩く曲馬團
至る所でもてはやされる
さあさ お入り みて おかへり
さても一座の花形は
銀鞍白馬の王子様
すべての女子にちやほやされる
「眞理」のわかもの 永久(とは)なる若さ
さあさ お入り ほれこみなされ
さてまた一座の女王様(くいーん)は
眞赤な帽子に緑の上衣
うす紅しよーる(ショール)のはでやかさにも
一脉たヽへたしとやかさ
常(とこ)しへをとめ、詩(ぽえーとり)
さあさ お入り みとれておかへり
「眞理」の王子の手下となつて
曲乗 曲藝 いろさまざまの
技(たくみ)を見せるはそれそこに
ずらりと並んだ若者達よ
哲学(ふいろそふい) 科学(しあんす) 二組になり
さあさ いろいろ はじまりはじまり
さあさ踊れや おどり子達よ
青い上衣にうす紅つけて
靴音かろく りずむのだんす
おどれ おどれや 踊子達よ
青い上衣にちかちかするは
浮気男子の熱情(なさけ)の先よ
何をくよくよ 踊子達よ
かあい男とわかれを惜みや
山の烏が啼くさうな
おどれ おどれよ 踊子達よ
「光」のおどりこ 「音」のおどりこ
「色」のおどりこ 「香」のそれも
「語(ことば)」のしらべに 調子あはせて
靴音かろく おどれやおどれ
さてさて一座の御見物衆
下手な踊にお飽きがござりや
おのりなされや 廻轉木馬
まはりまはつておめヽがまへば
お降りなされよ そりやそこが
お前様らの 運命(さだめ)のありか
のらしやれ のらしやれ 廻轉木馬
運命(さだめ)の木馬 神妙不思議の
さても今夜の入りの無さ
運命(さだめ)のあらはし怖いとか
眞理のあらはれいやとてか
詩(ぽえーとり)も気に召さぬ
やれやれ不入りの曲馬團
入りがなければ女も酒も
縁切 すつちよん やんれやれ
まづまづ休まう くたびれた
晩秋の四辺 (四、一一、一五)
霜降りて寒くしなれり庭隅の楓もみぢぬわが知らぬ間に
朝々を寒しと思ひてわがをれば庭すみのかへで紅葉(もみぢ)てゐたり
にはすみにかへでもみぢて居たりけり秋深しとぞおどろきぬ我
柊の白き花々霧に匂ひ今年の秋もまたゆかむとす
ひヽらぎの上枝実となりしづえには白き花咲きまさに散らむとす
町を這ふきりは昇りてあまづたふ太陽の面ながれゐるなり
天傳ふ朝日の光うするヽに見れば流らふ空の高霧
あかしあの並木色づきはらはらとひそかに鳴りて葉を落すなり
260あかしあの落葉しき降るその中を自轉車のりて人来たりけり
噫 森博元君 (四、一一、一八)
森博元君。京都の人。野球部員にして左翼を守り、対抗試合に安打二本を放ち勝因を作りたり。君は資性淳朴、純情の人にし
て、後輩を懐ふこと篤く、君が勧誘により入部せし余の如きも、
常に君の理解と同情に慰められて委員[※マネージャー]の職に居るを得たり。對校試合数週間前、胸部に疼痛を感じ、一時帰宅して加療し、稍康きを得たるも
のの如く對校試合には平日の如く元気に活躍したり。
夏休初に当り再び症を発したるものヽ如く、又全快の後、二学期始と共に再発し、遂に悲報の原因となりたるは吾等の等しく傷む所、心に忍びざる所なり。
君の性、沈思、粗放なる部の空気に全くは一致し得ざるものありしが如く、尚或る精神的煩悶あり。常に意を一に野球にのみ注ぐを得ざるを己に苦
しみ、人に謝しゐたりき。
今にして思ふ。君が遊撃又は外野を守備し失(ミス)をせる際の、我等の言の不孝なりしを。是亦君をして病の餌となす一原因たらざりしか。併れども君は怒ら
ず、悲しまず、
常に愉快に気持よく我等を導きたり。部員にして、一人の君が罵言を知れるものなく、一人の叱責を受けしものなし。我等はその春風の如き人格に甘えし所無き
やを省みて、 深く憾むるものなり。
ああ森君。我等の兄に対する態度には幾他の許すべからざる点がありしにも拘らず、莞爾として受けて呉れた兄。ほんとうの親しみを以て語る事の
出来た兄。文筆を以て敬はれた兄。 兄の幾夛の思出は、永久に我等の胸中に生きるであらう。
冥せよ、悟せよ。併れども我等、かの元気なりし兄の死したりてふ言を、誠に信ずべくして信じ得ざるを悲しむ。
嗚呼、森君、森君。出来得べくんば今一度生き還つて呉れ給へ。君は死ぬには余りに惜しい美しき心の持ち主なりし。森君、君はほんたうに死んだ
のではないのではないか。
僕丈が夢、恐ろしい悪夢を見てゐるのではなからうか。森君、森君。君の面影は余りにもはつきりしすぎてゐる。森君、森君。あヽ気が狂ひさうだ。乱文も乱筆
も心のまヽを表すことは出来ぬ。
悼 森博元君 (四、一一、一七、一八、一九)
丹波(たには)やまとほつらなりてうらがなし森博元は今はあらずけり (於新京阪電車 一七)
何しかもはるばる来けむ京の街夜霧をりゐて君在まさぬに (京の街)
ちヽのみの嚴父(ちち)の御顔にありし日の君がおもかげかよへるものを (棺前に)
(君(み)が)棺(ひつぎ)の前にぬかづきまなにみつるなみだこらへておとさヾらむとす
両親(かぞいろ)の悲嘆(なげき)おもほえわが涙かくさむとすれ隠さふべしや
君がみ名かはりたれかもまなに満つる涙にわれはさだにみがてき
何しかもわれは来にけむみ柩にのれる学帽たえてながめえむ
ある時はわが手に觸れし学帽ぞ柩の上にまさにおかれたり
学帽の徽章の光まなかひに涙あふれて見ゆといはなくに
森博元今はあらずの嘘言(たはごと)をまさに此の目でみるがかなしさ
君がからだひつぎの中に入りたれ死して入れるとわがもはなくに
いとし子を失ひたまひし慈母(はは)のなげき人の子われやいかでみすごさむ
銀閣への道の暗さよしみじみとひとのいのちをこほしみにけり (國行氏を訪ねて)
比叡の山につらなりのぼるともしびのひかりかなしとふたヽびはみず
暁の巷は寒し君が棺柩車にうつり今いでむとす (霊柩を見送る 一八)
うつそみの君がからだは此の行にふたヽびみざらむたへがてぬかも
すこやかにありし君なれやこのちさき柩の中にいまはおさまりつ
いつしかに忘れてもへやおそあきの京の街ゆく靈柩自動車(くるま)のひヾき
おもおもと空は低しもこぬかあめ君が車にふりにけらずや
君がむくろ燃すとふところ鳥辺山けふよりのちはみ[見]のたへめやも
今日よりはなどみすごさむ大路行く君が車に似たる靈柩車(くるま)を
こさめ降る京のちまたを行きしかばあはれましろに山茶花ちれり (川勝氏を訪ねて)
つちの上にましろにちれり山茶花はかなしきはなとみてすぎにけり
雲のゆき南に疾し幻にきみがすがたのみえにけらずや (洛西にて)
かくのみにありけるものを友もわれも命のはてはかたらざりしか
すヽきほはほヽけにけりなひとみなのわびしむふゆはいまかきむかふ
芒ほにあたる日ざしをつめたしとまなことぢたり光の中に
白き日に眼とづれば君が影かたちとヽのはずあらはれきたる
午すぎて時雨やみたりわが友のむくろは遂にもえはてにけむ
さよどこにこらへかねたり君がおもわものいはずしてありありと見ゆ (夜床に入りて 一八)
何しかもこヽろたへむやありしひの君がおもかげさながらに見ゆ
現(うつつ)にはふたヽびあはじあはじとぞまさに思へば身もふるふがに
273面影ときみはなりけりしかなればそのおもかげになみだながるる (追想一九)
弔 森博元兄 (四、一一、二○)
野球部の弔文、小竹迚[とて]も作れないといふので丸と僕と二人各々作つたが、丸が讀む事になつたので、書いたもの が讀むのがよいことになつた。僕は此の弔文を、 それで葬式の日に胸の中で誦してゐた。
森博元兄
「あなたが死んだ」といふ言葉を私達は未だに信じられない。 丈夫な体をユニフオームにつヽんでグランドを走り、又安打をかつとばしたあな
た、一緒に愉快に語り合つたあなた、
それは皆ほんとうの現実の事ではなかつたか。あの目、あの口、僕等が現に見たそれの持主ではなかつたか。僕等はどうしても此の世界をはなれたあなたを考へ
ることは出来ない。 でもあなたは死んだのださうな、あヽ。
思へば短いあなたのいのちとそして僕等との交りだつた。短い生命の間にもあなたはあなたの天分で出来るだけ美(い)い事をなし、
思ふ存分味はれたかもしれない。しかし僕等との交り、野球部の集りではどれだけあなたは悩んだことだらう。
僕等は謝する。すまなかつた、森君。あなたはずゐ分苦しんでくれたね。グランドでの肉体的につらい練習、これはあなたの死因となつた。それか
ら苦しさをこらへてがんばつたこと。
これもあなたの死因でなくて何であらう。その中でもあなたは笑つてゐてくれた。つらいことがあつてもその為、僕等に怒らなかつた。かういふあなたのつらさ
を知りながらも、
僕等は何らあなたのためになすところがなかつた。それもあなたのいのちの長くながくつヾくであらうことを十分に信じてゐたからではあつた。
かうまで短い命であつたとならば、 あなたのためにも、御両親のためにも、あヽ、もう云つても何にもならない。
併しあなたの死は僕等に何といふ敬虔さを与へることだらう。
この敬虔さはいつまでもいつまでも大高野球部と共につたはつて行つて、その中にあなたは生きてゆくであらう。森君、あなたの生命は永久である。
しかしあヽ、あなたはもう僕等の追憶の中でしか生きられぬ人となつたのだ。あの対校試合にヒツト二本をとばした人、酒を自慢にした人、心のき
れいだつた人、すなほだつた人、
怒りをみせたことのなかつた人、ボールの速さをほこつた人、それらが皆、此の世界の中に起こつたことであつたのに。僕等はやはりあなたの死を信じ得ない。
僕等はいつまでもいつまでもあなたのかへつて来る日を待ちながら、その日まであなたをおもひおもかげにしのんでゆくのだ。でも、何といふさび
しいことだらう。
寒いさびしい冬が来るといふのに、あヽ森君、御両親のなげき、洋々たる前途、そして僕等のかなしみ、さうしたものがもし霊にわかるとならば、
もう一度かへつて来てくれたまへ。男らしくない愚痴なのぞみではあるけれど。
伏して顔前に彷彿する君がおもかげにお願ひする。
たまゆらをわがまなかひに入り来り直に去れどしるきおもかげ (グランドにて)
この土にまた立たざらむ君ゆえに心かなしみこの土をながむ
325まぼろしに君がおもかげこの土にボール投ぐ見ゆさながらに見ゆ
330君が魂あり通ひつヽ此の地に今日も遊ばむ吾には見えなくに
わがまへに並びゐませるみはらから[親類]ことごとく泣けばわれも泣きたり (葬の日に)
332君が友のかぎりつどひて泣きしとき堂の外には小雨降りたり
冬来 (四、一一、二七)
一
友よ手を握りあつて眠らう
せめて残つたわれわれまでもが離れ去らないやうに
君は手を握ることによつて死をさけうると思ふのか
此の世はもつと頼りないものだよ
友よそこまで云はないでくれたまへ そしてともかく
手を握りあつて眠らうではないか (森の死後、部員の人に寄す)
二
冬は野に来て
菊の花弁を凋ました
女は襟巻をまいて
首のあざをかくす
僕は黄色い顔をして
極光(オーロラ)の夢を見る
三
憂鬱耐へ難くして
戸外(そと)を歩めば
収穫(とりいれ)の時季(とき)なり
人々悉く稲を扱ふ
他人の働けるを見ては
わが腐りたる胃の腑
疼き始むるなり
ああ懶惰の血は
わが体内に遍し
東山 (四、一一、二一)
ひとひとりはふりてのちのあとつかれ電車に乗りて東山に到る
知恩院の大き甍よわが眼の下にあれどもいよヽ巨きくし見ゆ
清水の裏杉山の蔭斜面羊歯の瑞葉はおほひ茂れり
裏山のなぞへ一帯を羊歯の大葉おほひ下りて道に迫れり
夛羅の木は白くなれりけり杉山も霜洩るらむと道を登るも
眼下の谷を埋むるもみぢばの下びの道を人行くおとす (清水)
やヽにして人は見えたりもみぢ葉の下照る道にふさはしからぬ
清水の音羽の瀧の名はよけれかけひを傳ひおつる細水
282紅葉(もみぢば)の下の流にうすき濃きもみぢしづみて流[ながれ]動かず
291雨霧はこの杉山の杉幹にしづくとなりて光ながるヽ
冬來 (四、一一、二八)
夕暮の小庭に立ちて梧桐の枯はをもやし心しづまる
蒼桐のかれ葉柄はもゆる時音をたつなりかすけきものか
あをぎりの枯葉の焚火けむり立ち白さヾんくわの枝にまつはる
山茶花は夕の闇にさだかなり風おちたれやさゆらぎもせず
山茶花の白花のもつ明るさは此の夕庭に君臨しゐる
初冬の空のなごみのさ中より鳥一つ出で視野を横ぎれり
陽の光あまねきみちの白ひかりくもの糸ひとつ見えて消えたり
299夕空はなごみにけりな棕櫚の木の葉がひに見ゆる星影のさえ
憤怒 (四、一二、七)
本宮清見君を理事にしやうと推したが、宣傳の下手と文二甲の不熱心の為に一二○対七○で大敗した。懦子[※小心者]俣野を理事としたのは学
校側にも悲しむべきだけれど、仕方がない。皆が本宮を知らないのがわるいのだ。
朝庭のひひらぎ苗に見入りゐてこの静けさに死なむとぞ思ふ
都會(まち)の囂音(おと)田舎の家の庭にゐて何かおさるヽ心にきヽし
まちのおと大き壓力(ちから)と迫り來ぬ此のあさ庭にひそまりゐれば
都會のおとつばらにきけば往きかよふ電車の笛の音もまじれり
都會の音の持てる力は二百万の人間の呼吸のもてる力か
まちのおとたえずひヾきてつきざりと八角金盤(やつで)の花を見つめてゐるも
まちの音耳にきヽゐて目に見ゆる柊苗をゆらぐとぞ思ふ
大いなる心の怒耐へ難く活山茶花の香(かほり)を嗅ぐも
花絶えて入りしことなきはなづヽ[花筒]に花を活くるも怒の仕業
友よ 悲しむな
象牙の塔を出たのは
他人のためにとではないか
散文的な人間でない己達だ
再びあの塔へ帰らうよ
塔は月の光にぬれてゐる
安息がそこに待つてゐる
己達はそこで
又、生命と詩を語らうではないか
301塀外(へいのと)の樹の赤き果(み)は近づけば蔓すがれたる烏瓜の實
懐疑 (四、十二、十四)
此の樫の大木の根元に
子供の幾年を過して
私は夛くの旅人を見た
その中で最も忘れ難いのは
破れ馬車を馳けらして
光明の市 ―と彼は云ふ― へ
去つて行つた彼
私は子供心にも
もしや彼の破れ馬車が
光明への障碍となりはしまいかと
疑つたのだつた
童心を失つた此頃の私には
彼の破れ馬車が
市へ行き着いたかどうかまでも
疑はしくなつて来てゐる
併し市までの荒野を
車をのりすてて歩く彼
或は心屈して途にうづくまる彼を思ふは耐へ難いことではある
小春の暖さ (四、一二、一九)
五十年に一度といふ今年の小春の暖さだつた。その長さもずゐぶんつヾいて十一月の終から十二月の半過まであつた。
十二月の初といふに此のぬくさたんぽぽの花を道にみつけたり (帝塚山)
きまぐれのぬくさにのびし豆の芽はつヾきて来る霜に枯れるとか
313方々に櫻咲くとふあたヽかさおそれ心にありがたがるも
山茶花 (四、一二、二三)
さヾんくわの植込中のくろ土はおち花びらにいよヽ黒しも
山茶花のはやく落ちたる花片はやヽくたされて黄に染りゐる
山茶花は盛過ぎしかつちのへに落てる花片かさなり満てり
317山茶花のおちはなびらにみちてれるこヽの細路来む人もかも
童子と野火 (四、一二、二四)
夕ぐれの枯野の上に赤々と野火をもやして童(こ)等ゐたりけり
赤々と野火のほのほの靡く後童子等叫びしたがへる見ゆ
あかあかと野火は盛りになれりけりほのほの中に童子等はゐる
童子等は危ぶみ心つきにけむ上衣をぬいで炎(ほ)を叩きゐる
322野火消えぬ焚火のすすを童子等は叩(はた)きおとして上衣着てゐる
除夜 (四、一二、三一)
ゆふあかり冬木の梢にしろじろと雲かヽりゐて動かざる見ゆ
ほのぼのと心うれひて大年の夜空ながめてゐたりけるかも
おほどしの夜を深みて一つ星雲のきれまに照れる寂しさ
魍魎(すだま)など荒ぶる夜てふおほどしの夜空曇りて重たきものか
(第1巻終り)
「夜光雲」第二巻
昭和5年1月1日 〜 昭和5年6月12日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(103p/@ノート)
昭和五年 夜光雲 巻二
新春吟行 (五、一、一)
父と共に南和の九帝陵に至る。天気晴朗、暖かにして新年にふさはしき日なりけり
神武天皇畝傍山東北陵
神武の帝のみさヽぎ木を繁み百千鳥どもこもらひ鳴けり
何の鳥かこもらひなけり畏みに畏こみまつり吾は禮拝す
綏靖天皇桃花鳥田岡上陵
桑畑の傍への道をゆきしかば雀おどろきとび立ちにけり
雀どもおどろき立てど桑の枝を移(ゆつ)れるのみに畑は離れず
畝傍山山を低みて頂に社立てるが明らかに見ゆ
安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵
ほこすぎの立ちは静けし道の辺の安寧陵をおろがみまつる
懿徳天皇畝傍山南繊沙溪上陵
橿原神宮
身狭桃花鳥上陵宣化天皇
みさヽぎにまうでし帰るさ藪中に尿(しと)せむとすればやぶ柑子の實
めん竹の秀先のゆれのかそけきみち荷物を負ひて乙女来るも
高木なす淡紅(とき)山茶花は屋根の上にその淡紅花を落してゐるも
淡紅色の山茶花屋根におちたまり屋根の傾斜を滑らずにゐる
淡紅色の山茶花美[い]しと見呆(ほ)るればその下つべに南天の朱実(あけみ)
南天の朱実さはさは塀の外(と)に垂れ出で道にかぶさりゐるも
葛木の深(ふか)山襞に炭焼の煙うもりてのぼらざる見ゆ
裸木となれる櫟(くぬぎ)の林ごし天の香久山見えわたりけり
久方の天の香久山落葉せる林の彼方に見えて低しも
孝元天皇剱池島上陵
陵の繁樹の隙ゆ堀の水かぐろに光り波立てる見ゆ
剱のみ池の水にかいつぶり一つゐると見れば又一つ見ゆ
かいつぶり池に浮きゐて水潜り遊べるなれどその場動かぬ
日は今しかげりとなりぬ岨道をさむざむしとぞ思ひ初めけり
やヽやヽに雲は過ぎたれ遠方[おちかた]の家の白壁光り出でぬる
みはかせの剱の池の水へだて光れる生駒さむしとぞ思ふ
さみしらと云はヾ過ぐべし白々と倉梯山に雪つもる見ゆ
雪おける山の空には元日の日子あたヽかく照りゐたりけり
天武、持統天皇檜隈大内陵
ひようひようと凧(たこ)のあがれる空の色和みきはまりたふときものか
ひようひようと凧は揚がれり大空の澄みのとほりにその色しるし
細き路まがりくねりて檜隈[ひのくま]の大内陵に登り至れり
日かげりて風出で来るさうさうと陵樹とよみて烏とぶなり
陵の枯高松に烏ゐて一度飛立ちまた止まりけり
陵にのぼる坂道のぼりゐて烏飛べるを同じ高さに見き
此處の野は雲の蔭なれ遠山の葛木山は襞々光る
文武天皇桧前安古岡陵
みかんなれる丘を越ゆれば文武陵繁木はろばろ見えそめにけり
我が行手さへぎる山の南の南淵山は二上をなす
野の道を来りて長し遠方に日の丸揚げし村の見ゆるも
48消防の出初なりけり学校の庭に白々水噴き騰(あが)る(高々水噴騰るなり)
欽明天皇檜隈坂合陵
越の岡眞弓の丘び我がゆけばうねび青山見えがくれすも
岡宮天皇の陵にまゐらず
舎人等が泣(なみだ)なきつヽ作りけむ皇子のみ墓にまゐらず帰る
35南の佐太の丘辺の陵を心こほしく思ひつヽ帰る
41楢の木は葉枯れつくせど木を離(か)れず梢さやさや音立つるなり
斑雪(はだらゆき) (五、一、三 於花園運動場)
きその夜降りにけらしも生駒山なぞへはだらに雪降れる見ゆ
大空と地を劃(かぎ)れる雪の線一筋にしてしみじみ白し
斑雪未だも消えず山の尾根につもり日を経て根雪となるか
雪雲は低く下りて生駒山尾根すれずれに南に走る
40雲の動き眼に見えて疾し末端は今南に山を離るヽ
その日 その日
小夜更けて尿に起き出で冬の木の梢に高く星光る見つ (一月五日、保田来る)
小夜更けて庭木の梢吹き通る嵐に衝(あた)り吼(たけ)るを聞けり
夜更けて歸り道べに風寒ししみじみ思ふ命なりけり (一月五日、始業)
しみじみと命かなしみよるふかくかぜさむきみちたどるなりけり
雪明りあかかりければ夕畑の畝のつらなり果(はて)までさだか (一月十一日雪降る)
雪つもりうれしかればか男の児暮れし道べに雪釣りゐるも
溶雪の水気(みづけ)昇りて此の宵の月は朧に曇りたりけり (一月十三日)
49畑葱の秀立ち鋭(と)けれやしろがねの雪の大野に青條(すぢ)をなす (一月十五日)
冬日かげ (五、一、二二)
鷄のこゑのかそけき朝にして白水仙花開きたりけり
吾弟(わおと)らと焚火もしつヽ水仙の一つ花咲ける寒しと見たり
朝日子のなヽめに射(さ)せる水仙の一つ花の色はさむざむしもよ
野の上をつぐみむれとびわたるとき高圧線をよぎりたりける
高圧線の電柱のつらなりはるけくて野のはたてにも絶えずありけり
55冬野には藁鳰[わらにお]ありて夛ければ遠くのものはかげりにありけり
友眞のL.L.[LOST LOVE]をかなしむ (五、一、二二)
友よ、野の高みに行きて角笛(くだ)を吹くべし
併らば群れ咲ける野いばらは
處女子のほヽゑみを汝に送らむ
子どもらよ、晝顔咲きぬ、瓜むかん──ばせを [芭蕉]
青葱 (五、一、一五)
大雪が降つて野も道も一面に眞白だ
下駄の歯に挾まる雪に苦しみながら
僕は道を來る そしてドキツとして立止る
一面の白さの中に これはまた何といふ
生々とした青さだらう 葱畑だ
僕はその青さに生命とその燃焼する熱を感じ
わけもなく嬉しくて立つてゐたのである。
雪明り (五、一、一三)
雪の積もつた夜遅く僕は家への道を辿る
その道の明るさよ 雪明り。
こんなに遅く遠くの村──それは僕の村──が
はつきりと見え
それから長い長い畑の畝が
その終りまで見えるのだ
青い焔 (五、一、一六)
南の空にはオリオン星座が來てゐる
參星の連りは東西の方向を示し
屋根の棟と平行である
(そんなことはどうでもいヽ)
見ろ オリオンの星雲を
青く青く燃え上りもえあがるそれの焔を
焔の色は冷たい青だけれども
石炭ガスの完全燃焼状態も青い焔だつたね
僕は彼に天上の不平者を想ひ
星占に依つて兵革を知つた古の支那人の心を
如実に感ずるのである
カノープス (五、一、一六)
南の 地平線下の見えない星
南極老人星カノープス。
僕の心を惹きつけることこれに若くはない
何故(バルーム[Warum])? 見えないからだ
同じ理由で僕は毎夜棕櫚樹下に
未だ見ぬ麗人の貌を想ひ画くのである。
寂 (五、二、二)
寂しさや南天の實は虫つかず
さびしさや丹波山残す雲の色
さびしさや北山時雨庭に満てり (西垣君をおもひて)
白々と道が光れば飛ぶすずめ
青木の實今日は根本に三つ落ち (庭にゐて)
うれしけれ雲がとぶとき地にもかげ
くらやみに流は見えね水の音 (五、二、八)
またもまた死なむ心につかれける
夢の白椿 (五、二、八)
一日、夢に御母を見る。別れ奉りてより十幾年。面影ははろかにとほくいにけり。
夢さめてのちあまりの悲しさに作れる歌 五首。
一、かあさんと呼べど
返らず
後影霧にかくれて
行きたまふなり
二、御母の影を
求めてゆきしみちに
白く咲けるは
何の花ぞも
三、道の隈に
花咲けりしが
かなしけば
60 頭うなだれさだかには見ず
四、しろつばき
葉隠りにして
咲きたるは
はヽのみおもに似たりとぞ思ふ
五、御母の御声
聞かざる幾年ぞ
庭に咲けるは
白玉椿
野火のあとの灰の下には (二、四)
青草の
早萌え出でて青かりにけり
早春の下萌草は
枯草に 野火盛るとき
62な燃えそと思ふ
百舌鳥を病床に聞く (一、二五)
いたづきの床にいねたるわが耳にもずはきこゆれ姿見えずかも
百舌鳥のこゑ高くなりぬるわが庭の椋の木末に今か来ぬらむ
65やヽにして飛び去りにけむもずのこゑはろかにきこえやがてやみつも
百舌鳥聲到床中
其姿不見高或低
高而懷停於庭樹
低者悲去我近辺
[百舌鳥の聲、床中に到る
其の姿見えず、高く或は低し
高ければ庭樹に停るを懷ひ
低きは我が近辺より去るを悲しむ]
新谷君を訪ねて不在なりしかば待てるとき (五、二、一二)
久しぶりに歌をかたらむ久しぶりに御画ながめむとわれはきたらし
もみぢばのすぎしかたらむときたれども君遊行してかへりまさぬに
待つことしばしになりぬまたの日に心のこして今はまからむ
君の室に永島君の遺影を見る
むかしむかし君とかたりしことの葉はすべて忘れぬ君は忘れず
70人間の心かなしく信濃の山の
雪に入り 命たえけむ涙ながるも
そののち新谷君かへり来り歓談す
月夜の酔漢(よひどれ) (小林正三に)
二、一○夜、北村にて野球部送別会をなす
月はてるてる。街の上 青い光の石だヽみ
をどろ踊ろと出て来たが 足はもつれるからだはほてる
月は三角 街は坂 青い大気の海の中
泳ぐわたしにつきあたる 女(ひと)のまなざし眞珠の光
雪と山と (五、二、一一)
今津の英雄叔父を訪ぬ。盲膓炎なり。
青ぞらに頂の雪かヾよへば西方浄土尊しと思ふ
はろばろと山のいたヾき遠くして雪は光れり日は雲を洩り
いりつ日は山にかくれて山の襞くろき中より煙たちのぼる
ゆふさりの山襞くろし頂につもれる雪はまだくれざるに
75みちのゆくてにたヾにむかへる武庫山ゆ風は来りぬ此の夕ぐれを
91病める叔父を助けて風呂に入れしことち[血]のしたしさをいたく感ぜしむ
増田正元 (五、二、一七)
菊池君にきく。彼は去る寮の送別会で泣き一座を感動せしめたと。(菊池は僕に似てるといふ。)
増田君。
君は知つてゐるだらう。
純情は年と共に去りゆき、Egoの波は年毎に人に食ひ入ると人の云ふのを。
今僕はこの定理の験証者[ママ]として再びこの語を君に思起さしめる。
誠に君の有する純情は美しく愛すべく、
例へば 樹の根に咲く水仙の花の如しである。
けれども僕はこの純情の花が水仙の花の如く、
時至れば凋むであらうことを期するを欲せない。
故に僕は断然君に告げる。
君の純情をして永久のものたらしめよ。
君が周囲の雜草にふるヽなかれ。
雜草を刈る役は僕が引き受けよう。(否、誰か適任者はゐないか?)
菊池眞一君に別を告ぐ (五、二、一七)
もろもろのこと嘆きつヽ冬の夜にのみしコヽアの香は高かりき
君とともにコヽアのみつヽかたりけるまどゐのよるは幾夜なりけむ
陽光さす道に立つ我(あ)をとりたりし君の寫眞は顯像(あら)はれざりき
君とともに歩みし道にコスモスの花咲けりしを未だ忘れず
君といふ友もてることなまけものヽ吾のなまけを少し輕からしむ
寛(おほ)らかにわれがたわけをゆるしける人の一人に別れむとする
心斎橋筋を歩きて (五、二、一九) 小林、豊田と。
自己嫌悪はげしき時にまちあるきわが身しばしばふりかへり見つ
あかあかと陽の沈むときわれがみを心ふかくもいとひたりけり (大丸にて)
ゆふさりのけむりおほへる街のをち陽はしづまむと下るなりけり (同)
映画(シネマ)の恋も羨(とも)しくなれりかくばかりわれが心は人をこふるか (明治屋)
しみじみとおのれをにくみあるくときさびしきところ心斎橋筋は
山にゆきて感ずるさびしさをゆふぐれの人のぞめきの中にゐてする
かき舟ゆけむりは出でてほのじろく川面になびき夜(よる)とならんとす (戒橋)
此のとほりゆきかよひつヽ年をへてサラリーマンとわれはなるらしき
90かくのみにかなしかりしかゆふぐれを街にゆきかふ電車のふえは
SLOGAN OF FEMINISM
FEMINIST96ハBUS又ハ電車ニ於テ女性ニ席ヲユヅルベシ。
(FEMINISTノ顔面筋ハ絶エザル緊張ニ硬直シテヰル)
FEMINISTハ女ノ顔又ハ体又ハ四肢ヲ見ルベカラズ。
(FEMINIST曰ク、「何ダツテ世ノ中ハコンナニ女ガ夛イノダラウ?」)
陽炎(一)
しみじみと春らしくなつた。方々で梅が咲いたといふ。反対にスキーの話をするものもある。
でも野原の土筆、蕗の薹、やはり僕の一番好きな早春の気候になつたのだ。もうすぐ試験がすめば生駒山か六甲へでもゆかう。
(五、二、二三)
かぎろひの野中にいねてのヽ果ゆ飛行機くるを見まもつてゐる (一九)
飛行機はわがまつかうをよこぎりてつばさ閃めかすその瞬間を
あたヽかき光よろこびのに出でてかれふ[枯れ生]のなかにつくし見出でつ (二三)
このぬくさかりそめのものと思ひしが土筆を見れば春去りにけり
96方々に梅はさきけむとほくもりあたヽかき野に出でて思へる
99はこべらは花をたもちぬいづくにかひばりひそみてなく日となりぬ
庭石の苔とは赤しおちつばき
うつぶせに椿の花はおちにけり
WEISSE HOELLE[※白い地獄:邦題「死の銀嶺」] (五、二、二一)
弁天座デ此ノ映画ヲ見タ。從来ノ山獄映画ノ中デ一番好イモノダサウデアル。
成程雪崩、峯ト雪、雲、夜ノ月、学生ガ雪崩ニ埋メラレル所、博士ノ死ンデヰル所ナドズヰ分ヨイ。ソノ割ニSTORYハハツキリセヌト思ツ
タ。
ソレデ歌モソノ方面ノハ出来ナイ。出来テモワルイ。
南風みねにきたれば峰の雪ゆるび[緩び]くづれて雪崩となるも
ゆきなだれとヾろとなりてピツ、パリの斜面を下り人を殺すも
pitz・palü の峯に照る月おしかくし雲は流れぬ峯はくもるも
たまきはる若き命のたへがたく来りし子等は雪崩に死にき
ゆきなだれ迫るを仰ぐたまゆらはいのちしみじみかなしみにけむ
救助隊のかざす炬火(かがり)のもゆる炎(ほ)をふもとの里に人々ながむ
104峯の火はつらなりうごきはろばろし昨日も今日も人は帰らず
しろがねのつらヽよそへる雪の洞に人はねむれり洞一ぱいの聖光(ひかり)
106雪ぬちにとはにねむりてかへらざるひとのむくろはとめずともよし
EIN HIMMELISCHES DRAMA[※天の話](五、三、三)
此頃の星空を眺めると、ほんとうに心を動かされて痛いやうな気がする。
天界一の明星、天狼、參星、それに西空には昴が。そこでこんなひまな想を練つてみた。
「この詩はうまいです(F)」[※湯原冬美(保田與重郎)による書き込み]
將軍參は刃を女の胸に擬[あ ママ]てた。
彼の眼は赤く 刃は蒼い焔を発する利刃である。
俺はお前を殺すとその眼は語る。
女は苦しく身を顫はせ、
やがて滂沱たる涙が頬を打つた。
夫よ。私を殺しなさるとか。
えヽ。死にませう。けれど・・・・。
女は夫の背後に二児を認めたのだ。
忽ち女の心に母がよみがへる。それを通じての生への欣求。
女は激しく体(み)をゆすり、否と答へた。
二児(ふたり)がこちらへかけて來る。女は手をのべた。
でも夫は無情である。否、忠義のためにである。
刃は迫る。女は逃げた。涙の眼と蒼白な顔は、
母と妻の葛藤を語る。
さうして二人の後からは泣きながらいたいけな子供が追掛ける。
こけつまろびつ。
──かうして皆、舞台を去った。── 朦月夜となりにけるだ。
參 ORION座
女昴 SUBARU(PLEJADEN)
双児 GEMINI座
陽炎(二) (五、三、七)
到るところ椿の枝に一杯に花咲く春となりにけるかも
わが方にむかひてさけるべにつばきしべの黄色はあざやけきかも
べに椿一番はじめ咲きたるは早やおちにけり青苔の上に
べにつばき苔のつきたる庭石におちてしみじみ赤かりにけり
寒き間たまご生まざりしめんどりらまた生み出しぬ春となれヽば
蕗の薹も雜草の芽も出に(もえに)けり土をながめて一時をくらす
臘梅は散りにけりとふ迎春(わう)梅[黄梅オウバイ]は今をさかりと咲きにたらずや
南天の実は黒ずみぬ樫の木も葉落としそめぬみ冬はつきて
115わが庭の朱実つけたる木の名前しらざるまヽに實は落ちそめぬ
閑日庭を掃く (五、三、一二)
庭の樹のこずゑをわたるかぜのおとたえてはきこゆ唱をおもふも
木斛とかしのおちばをはきあつむ常磐木なれば葉のいろぞ濃き
煙突の掃除をせむと屋根にのぼりいらかの彼方にいこま山見つ
かそかにいのち生けらむ倉屋根の棟につくなる青苔のごと
枝さきの夏みかんの實屋根にゐてわれはもぐなりやねよりは下
此のむらはにれの高木の夛くある今日をはじめて屋根にのぼれり
122下よりはやはらかに見ゆるかや屋根もかやの莖なれば足を傷けつ
落ちる將星(二幕二場) (五、三、一二)[※この一行のみ]
The Time of Love of Love (5、3、18)
Otome-ra no yasashiki Kotoba horishitsutsu
Kyohmo chimata ni ide-ni-keru-kamo!
Tawaketaru Uta o tsukuru mo Otomego no
Kokoro horisuru Aware to omoe!
Akarabiku Otome ohkedo yase-otoko
Ware ni koisuru Hito wa ara-zu-mo!
Naniwa otome Kazu wa Iku-tari,Hitori dani
Ware wo omou ga naki-zo sabishiki!
Machi o yuki,Yama-kawa wo nagame
Sora wo miru-toki
Koishiki monoka Otome-go hitori!
Hana o miru mo Otome o omoi,Uta o kikumo
Otome o omou Tawake-o ware wa!
Yohyakuni Koi-uta tsukuru Yase-otoko
Mukashi no Ware wa warai-tari-shika!
[ 恋を恋する時
乙女等の優しき言葉欲りしつつ今日もちまたに出でにけるかも
たわけたる歌を作るも乙女子の心欲りする哀れと思へ
赤ら引く乙女多けど痩せ男われに恋するひとはあらずも
浪華乙女 数は幾人ひとりだにわれを思ふが無きぞ寂しき
街を行き山川を眺め空を見るとき恋するものか乙女子ひとり
花を見るも乙女を思ひ歌を聴くも乙女を思ふたわけ男われは
やうやくに恋歌つくる痩せ男むかしのわれは嗤ひたりしか]
春 (五、三、二二)
春の風だよ、みなみ風
どこかでなにかヾ匂つてる
あヽ沈丁だ、沈丁花(げ)
春の月だよ、おぼろ月
どこかで何かヾ鳴つてゐる
あヽ波の音、春の海
春の空だよ、うすぐもり
どこかでなにかヾうたつてる
あヽひばりだよ、畑の空
春の山だよ、みどりやま
どこかで何かヾもえてゐる
あヽ山焼だ、 冬草だ
友Tに (五、参、二十二)
此の年月を夢みて來た
たつた一つの望である
一杯(ひとつき)のコヽアのかくばかり
苦かつたことが今私を悲しませてゐる
夢とあこがれのそれは
甘いほのかな匂(かほ)りのあるのみもの
そしてその気(アトモスフエア)の中では
私はいつまでも不快を感じなかつた
今私の胸を充すは
ひたすらな後悔である
私は遠き昔、バベルの塔を築かんとした人々
又すべてを黄金となさんとの夢を
実行にうつしたマイダス王を
限りなく卑しめる
私達人間が自分の悪を
他(ひと)の中に見出すときに常になす如く。
× ×
あヽ私は又更に夢を探さなければならない――
大洋星(オセアニア[※冥王星])発見さる (五、三、一六)
即その頌歌
庭松の細葉のはがひ一つ星
鋭(と)く光れるは空清みかも
春を歩く (五、三、二五)
妹の卒業式の日、心屈して長瀬川を遡る。
あまぎらふ光あふれて春ばたにあねもねのはなさきにけるかも
小川のむかうの畑のあねもねはあざやけきかも歩みをとヾめみつめたりけり
しねらりあ[シネラリア]のくれなゐのはなのもつ光ひかりつよければたえがたしと思ふ
中学の古き建物の中庭にこぶしは咲きぬ花は白きかも
【抹消】今を盛りのこぶしの花は白き鳥のとまれるに似たりと思ひて眺む【抹消】
はるあさみ葉いまだ出でざるこぶしの木裸の枝に花みちさけり
川ばたのたんぽヽの花凝視(みつめ)ゐる人をしみじみながめて行けり
枳殻[からたち]の垣根のよこをとほるとき萌えなむとするその芽を見たり
春鳥のこゑをこほしみ川ぞひを二時(ふたとき)きたれなほも行かむとす
橋の上よ流れを見るも水をきよみ底砂も見ゆ魚はゐざりけり
橋の上よ流をみつむるわれのうしろ自轉車の人とまる気配すも
流れのうはびの波にさす陽光(ひかり)川底にうつり常にうごきゐる
葛木も二上山もかすみたれ川はながれて西にゆくなり
川上の二上山をかなしと思ふわが足もとを川は流るヽも
× ×
墓垣の茱萸の木の実は熟れたれど人とらずして地におつらめか
45墓垣のぐみの朱実を手にとりしが食ひはえ食はず他人(ひとも)さなりけむ
落ちる將星(二幕二場)
人物
汪林塘 將軍 四十四、五才
李行七 部下の兵 二十七、八才
その妻 二十才
幕僚一、二、三
兵卒一、二、三 其他大勢
時
支那近古乱世
處
中部支那、平野中の陣営
第一幕
秋、陣営の外で李とその妻とが坐して話してゐる。敵営のR火がほのかに見える。
妻「そんないろいろの眼にあつてきましたの。でも今かうしてあなたとお話してゐると皆(みんな)とほい昔のことの様に思はれますわ。けれどや
はり思出すとつらかつたことですのね。もう私には二度とそんなめにはあふ元気がありませんわ。ねえ、いつまでもかうして、あなたのおそばにゐ
られる工夫はないでせうか。」
李「わたしもお前とは別れたくない。殊に今の話の様に苦しいめをしてきたとあつてはよけい帰されない。併し私は一兵卒だ。將軍でさへ女を召し
つれてゐられないのだから。お前と一しよにゐることは、徒に物笑と同僚の反感の種となるばかりだ。困つたなあ。」
妻「將軍様にお願ひしたら何うでせうか。大変お情深い方ださうですのね。実は私、先刻お目にかヽりましたの。いろいろ私の事を副官の方にお
きヽなさつてた様子ですわ。」
李「うむ。」(考へこむ)
兵一、二、三出で来る。
兵一「李君、將軍の急なお呼びだ。」
李「何、將軍が。(妻の方へうなづいて)お前のことかもしれないなあ。」 [※この文章ここで終り。]
歸郷 (五、四、七)
増田と松竹座で見るUFA映画[※ドイツ、ウーファ社]
流土風吹來蕭々
寢虜屋聞朋虜歌
聲如哭愀々迫耳
將泣聲不発 涙雖溢不流
郷遥妻子影將薄
情愈厚豈可耐乎
[土を流す風吹き來り蕭々たり
虜屋に寢て聞く、朋虜の歌
聲、哭す如く愀々として耳に迫る
將に泣んするも聲を発せず、涙溢ると雖も流さず
郷、遥かにして妻子の影、將に薄らがんとす・薄[せま]らんとす
情は愈よ厚し、豈に耐ふるべけんや]
ふるさとはこひしきところ はしけやし妻子(めこ)のゐるところ
よひよひの夢にみえきて豈たへめやも
ともどちのうたはかなしも なつかしのふるさとさりていく年經ぬる
故郷はかへらざらめやも しらくものたなびけるかたはるかなれども
× × ×
我家はなにとなけれどうつしみの心しづまりい[居]の安きところ
久々にかへれる家のわが室にかはづを聞くも春闌[た]けなむか
仲春 (五、四、八)
合宿で球を追つてゐるまにいつしか春は盛となり、梅も桃も散り、桜の季節になつた。木の芽が立つ。菜の花が咲く。なにかしらないが淡い愁
が心にひそんではなれない。
木の芽の匂ひ風にまじりて來るよるは虎杖(いたどり)もてる人と乗りあはす (電車中所見)
つヽじさへ咲きにけらしな乗合の人のみやげのかざしに見るも
水ぬるむ小田に集り鳴く蛙 畔(くろ)にはよらず声はとほしも
田のまん中につどひてなけるかはづ子ら姿は見えね水ゆらぐところ
ほのぼのとうれひわくときかはづ子のすだく声さへかなしと思ふ
かはづ子らおのが妻よび鳴くこゑもさびしとおもふ心悒鬱(いぶ)せみ
青春のうれひはこれか春の空何か流るを仰いで止まず
西風(にし)ふけば臭ひはげしき溝川の岸のきんぽうげ花繁(し)みもてり
諸木ども芽をふきたればわが庭はくらくさびしくなりにけるかも
蛙らが冬眠ゆさめてぬけ出でし穴夛き野によめなつむ人
わかき日もつひにはすぎむ櫻咲くみちをあるけばその匂ひすも
162幼なごひ思ひもいづるそらまめの花はさかりとなりにけらずや (Fさんに)
緑の風景(DIE GRUENE LANDSCHAFT)一九三○、四、一四
古庭の隅々まで草木が芽をふき
庭はくらい幽かな光のすみかとなつた
私の持つ純水(ライネバッセル[Reine Wasser])の杯も
何時の間にか濃い緑色に変つて了つた
それはその上にかぐはしい匂をたてる
僕はそれを飲んだのだつた
苦い味だつた
その液体が胃を通り膓を通つて行く進行状態がはつきりわかつた
膓を通るには随分長くかヽつたが
その苦みは少しも吸収せられなかつたらしい
何故かなら僕を構成する有機体は
その液体の排泄と共に
また元のだらけたものに止つてゐることがわかつたから
それにしても此の緑の風景は秋までつヾくんだつたなあ
花々に奉る頌歌 (一九三○、四、一四)
花を愛すること、れみ、どう、ぐうるもん[Remy de Gourmont 仏詩人]と何れぞや。
詩は・・・・それそれ勿言、勿言[言うなかれ]。
「此もおもしろい (F)」[※湯原冬美(保田與重郎)による書き込み]
矢車草は英吉利の娘さん。つんとすましてスカートに風があたるぢやござんせんか。
山吹の花は黄泉の國の王女。くらい顔をしてお父さん[※大國主神]の邪慳が気に掛かる。
はこべ。 小(ち)つちやな娘さん。お米を買ひにまゐります。アラア、困つた、銀貨(おかね)をおとした。泣いてる、泣いてる。
たんぽヽ。私のことぢやないでせう。私は金貨。
萱(すげ)。俗なことは云はない、奥山の仙人だ。
辛夷。 白靴を木の枝に引つかけた。女学校の生徒さんが体操の時間に。
菜の花。 田舎育ちだけれど情の厚いことでは負けないよ。
椿。 お嬢さん、ホーゼ[Hose パンツ]がおちました。
青木。 べらんめえ、そんなお嬢さんがあるもんか。大方女工かなんぞだらう。
紫雲英[げんげ]。あらまあひどい、口の悪い職工奴。
菫。 お嬢さんて私のことよ。摘草してるのだもの。
つヽじ。 あヽ、よつたよつた。(まあ毛むくじやらな足だこと!!)
何いつてやがんでい。先祖代々だ。
チユーリツプ。又乱暴な人が来たわ。あつちへ逃げませう。
ヒヤシンス。面白いわ。見てませうよ。
木通[あけび]。眠くなつたらこのとほり。
しやが。 まあ、往來中でねて。
櫻草。 私らあんな恥しいこと出來ませんわ。
月夜と兵隊 (四、一○)
おぼろ月夜 もだし歩める一隊の兵に出会ひぬ 地の蔭を見るも
UNTI MILITARISMは遂に我全身を包む。
仲春行道 (四、一三)
石切下車。右せんか左せんか迷ふことしばし。菜の花と冷血なる高い岩の自烈馬[ジレンマ]。
高處(ど)より瞰下す大野、遠方の菜の花畑に日はかげりたり
はろばろと遠[とお]菜の花に日はとヾく光こひしみ野を行かむとす
何となく人を容れざるいつ[厳]くしさ山にはありと山に行かずも
東高野街道
北風はまともに來り日は雲に入る道ばたのゆうかりの木の肌の冷さ
野崎村慈眼寺
花つヽじ蕾ふくらむ石段のかたへの芝に虻うなる音
観世音菩薩は厨子にかくれますそのかみ[昔]人に会ふよしもがな
傳ニ曰ク 江口君ハ中興祖ト
又、聞くならく野崎のてらはその昔し
江口の君と名のみ残れり(御詠歌)
童心はすでに吾(あ)を去りおびんずるのはげ朱の色をかなしと思ふ
[※びんずる:患部をなでて御利益ある僧侶像。]
お染久松の墓あり。つまらない。但し眺望絶佳。
[※「お染風邪」を防ぐため「久松御免」と杓子に書いて奉納。]
うら山は人かよひこず(ごゑとほく)日だまりの若草の上を黄蝶とびかふ
樓門の外は崖なり。河内野の大観、言語に絶す。
鬱金櫻蒼く咲きたり若き日のうれひ心に見の安からむや
秦始皇五世の孫弓月王の子孫
(秦川勝の子孫秦氏、西島氏と改む。蓋し西土を意味せんか)
遠つ祖たちのゐませしところ豊野村秦に到る。此の辺り会ふ所の老幼悉く顔美し。
故郷は茂みの隙に家々の白壁光りしづけきところ
ふるさとは西に池あり東の丘のだんだんに家立つところ
ふるさとは木々のあひまを道かよひ子供ら木かげにものいふところ
ふるさとは北に丘絶え寢屋川の水やせ河原すみれ咲くところ
ふるさとは桑の木畑に女の子ゐたる見えたれものいはぬところ
78ふるさとは村のまん中に寺ありて屋根の傾斜に苔生ふところ
寢屋川球場に野球を見る。
高津の伎藝天女 (四、一二)
南無伎藝天三味の手上げさせたまへとか藝妓(こ)の奉(あ)げし提燈のある
わが歌も巧くしてもらふため拝みたけれど妓藝天女に顔負けしたり
181献燈に藝子の名見ゆるお社の庭の桜は今かちりつヽ
仲春吹笛 (四、一八)
日をひもすがら 片岡に一人すわりて笛を吹く
笛の音は野こえ谷こえ里にいたれどこたふる人もなし
さびしさに丘を下れば夕月出でぬ
その夜ひそかに窓を開(あ)け かの岡を眺むれば
國境の高峯につヾく若草の斜面を
わが笛の音のかよひ行く見ゆ
行きゆきていづちにとまるらむ、そは
あはれ、そは日をへてまたもわが胸にかへらむものか。
自嘲 (五、四、二三)
おほろかに春陽さすとも蕗の葉の下びはこべにそヽぐともへや
青葉青葉それにさす陽はかなしかも 夏近づけば反射強からむ
何ごとも云はんとしてやおのが身をかへりみるくせつきにけるかも
愚は酔生夢死 生きて誰か損益せん
死すとも愛惜するものなし
春日我をいつくしむとも 徒に春の逝くを嘆き悲み
嶺丘緑まじはるとも 命の終らむ日を思ひて不楽[たのしから]ず
185われとわがおろかをおもひ春草になげきしひとをいつかわすれむ (細川宗平に)
人生悲無知己 [人生、知己なきを悲む] (五、四、二四)
おくさんの指環に目をつけてゐたとて
僕の盗心を誰が知らうよ
お嬢さんのひとみをぬすみヽたとて
僕のこひ心を誰が知らうぞ
橋のてすりにもたれてゐたとて
僕が死なうとしてゐるなんて誰も考へはしまい
× ×
【抹消】お父さん
あなたが死ねといつたつて
僕は決して死にません
お父さん
ぼくが死ぬといつたら
いくら止めたつて駄目なのですよ【抹消】
× ×
三階の教室の窓縁にすわつて
体を半分外に出してゐると
もう一尺体をすべらしたら死ねるのだなと思つた
生と死とは只此の一尺だけなのだ
何かの機会に何うかした心の動きで
僕は死ねるのだと思ふといよいよ寂しい
人間の命なんて安つぽいものだなと思ふ
× ×
あはれこよひ
しとしと しとしとと
雨降るとも
窓に倚りて嘆くもの
われのほかにあらめや、われのほかに・・・・
× ×
死なむとして今更に何をか恐れ
何をか気遣ふ
こよひ雨降りて衣をぬらすとも
明日も着るべきものならむや
──はた、こヽにものかくことも──
杜鵑(さつきの)花の咲く頃のこと (五、四、二七)
こころふかく死なむと思ひ夏山のさつきの花になみだながすも
われとわをころすすべよりたやすきはなしとしりぬれ死にあへぬかも
死なむすべ夛くあることを知りたればいよヽさびしくなりにけるかも
銀閣寺に詣づ
棕櫚の木の間を鳥とびかふさつきこば[五月来ば]花も咲かなむ蕾なついばみ (蕪村の襖)
ほのぐらき御厨子のおくど木像の眼光れりするどきろかも (義政木像)
こぬか雨池にふりそヽぎ中島のさつきの花はぬれひかるかも
銀閣のはしごのうらの狛犬に心よせけむ人をかなしむ
青苔の匂ひかなしきこの庭のどうだんの花ちりそめにけり
満天星[どうだん]の花はこぼれて木の下の土につもれどいまだ白しも
羊歯の葉のゆらげるなべにほそ瀧を木の葉ながれておちにけるかも
とほつ人心こめたるこの林泉(しま)はみれどあ[飽]かなくまたも来て見む
青葉の山よ風はきたりてあめしぶくとほ杉の秀はうすれたりけり
夕さればころころ蛙ひそみゐてなきやまぬところ君があたりは (國行兄に謝す)
199泉林の玉藻のかげにゐる鯉のうろこの光り藻にはかくれず
六甲山 ─ 摩耶山 (五、五、四)
口語歌試作
一、体の調子(コンデイシヨン)今日はわるし
山道の曲り角毎に
木苺の花 (六甲口より登る)
二、山吹の花
日向の斜面に一杯だ
遠くから見ても山吹の花
三、煙草を吸へば
舌がひりつく
ぐみの実の赤くうれたのを口に入れてみる
四、蚋がゐて
僕につきまとつてはなれない
掌で叩きつぶせばもう血を吸つてた
五、あまつさへ人のこひしき山にして
話し相手なし
花を虐[しいた]ぐ
六、苔りんだう、萱原に咲いてる
空色に
いよいよ人をこひしくおもふ
七、不良外人が
日本の娘と話してる
やはり外人はシヤンだなと思ふ
八、あはて者の日本(にっぽん)人は
山道で支那人バクチに
引つかヽつてる (摩耶山道)
九、支那人に金をとられて
山道を下りて行つた奴の
青い顔の色
十、金のことでは
日本人だつてやはり汚い
まるで相好が変はつて了ふ
十一、この道の曲り角まで
ぼく一人、こらへきれないで
ひとりごとを云ふ
十二、山、山、山
重なりあつて限りがない
もやの奥辺(へん)は丹波の國だな
十三、山に来てしみじみ人間が
こひしいと思ふ
向ふの山に人のゐるこゑ
十四、向ふの山の頂に気がひかれる
誰かゐて こちらに向いて
呼ぶ様にも思ふ
十五、山波の遠くのものほど
うすく見える
子供の頃の思ひ出の様に
十六、どんよりと曇つた空には
動くものなし
しみみに重き大気の圧力
十七、混血児(あいのこ)がキヤツチボールしてる
生垣の中の
うすぐらい敷石の上で (神戸上野辺)
十八、あいのこの日本語(ことば)は
正しいのだけれど──
やはりぼくにはハローといつてほしいな
此の頃の心荒びぞはげしかり教官にさへ禮(いや)はかはさず
棕櫚の花咲く此の頃を雨夛み盛すぎたり実とならざらむ
やうやくに強き陽ざしよ芍薬の蕾に蟻はむれてゐにける
芍薬の蕾につどふ蟻のむれ莖の本べを登れるもある
日並[かかな]べて芍薬の花も開きたり蟻の一群はゐずなりにけり
青あらし吹きつのる午後あかしあの匂流れて教室に入る
草いきれ高き晝なり野に出でて中空の月をまろびつヽ見る
飛球(フライ)とらむと見上ぐるたまゆら澄み切れる空に晝の月ゆらぐを見たり
うつしみのあきらめ心つきたればかなしき人とわかれたりけり
をとめ子を一目みしまヽこひするはますらをのこのわざにあらざるか
はかなきこひとわれをわらひそひとよ[一夜]さはこヽろいぶせくなげきあかしき
229獸の臭どこからか來てむし暑きこの晝は教室に蛙をきけり
和高商と試合。九対二で敗る (五、五、一一)
青空の下に憂鬱を抱けば過ぎた日のあらゆるいやな思出がねぐらへ帰る鳥の如く胸に帰つて來る。そのはヾたきに耐へ難く胸が痛む。
おもおもと曇る沖よりくる波の千重しくしくにこひしきわぎみ[吾君]
五月の山は若葉陽にうれあつくるし下木つヽじは紅きにすぎたり
飛べよ烏、からす田にゐてものを食むたれしうなじはさびしかりけり
×
玉葱畑の畦道のすかんぽの花盛りなり南蛮更紗にさも似たりける
234玉葱の葱坊主さへ出でにけり車窓の外の葱畑の青
×
THOMAS MANNのTONIO KLEGEL[トニオ クレーゲル]とはわがことにはあらずや
(増田正元及其他の人に)
二つの魂 相あはむとしてつひにはたさず自らなる性質(きだて)の差ゆえ
(病めりける内田英成に五、一○)
青葉夛き庭に向へる部屋に寝し君は口数少なかりけり
枇杷の実の未だ青きをわは見たり床にいねたる君も見なくに
×
君が中にわれを生かさむと欲すれどしかならむとき君をいとはむ (再び増田君に)
×
五月野に麥は熟れむか野を遠く伏虎城の樹々見えにけるかも
はるばると他(よそ)の地に來り友どちとあひ入れぬ心をわれは抱けり
どこにゐてもしかたなきものよ球場に我(エゴ)を見出して嘆きかなしむ
×
城山の樟[くす]の大樹の下道を友と歩めり樟の匂ひす (佐々木三九一氏)
243此の友の心さへわれをはなるかにこころおちつかずひたにもだまもる[ママ]
×
TONIO KLEGELよ
君を想へば
我が胸は波暗きバルト海の潮騒に共鳴し
君と君が友の間のみぞをしみじみかなしいと思ふ。
それは本質的な深い深い裂罅であり その上に
橋を架けるはあきらめの一途しかない。
友に夛くを期待することは失望の基である。
何となればそれは一つの人間としての友の心の動きを無視する故に。
我々の期待は常に自分の向つてゐる方向にのみある故に。
とにかくTONIO KLEGELよ 君を想へば
我胸にはバルト海の浪うつ音と白い飛沫のとぶのが感じられる。
いつも。 (五、五、一四)
信太山へ演習 (五、五、一六)
まひる中竹の林にちるおちばひそやかにして地にふるるおと
篁[たかむら]にさせるひかりははだらなり竹の葉ちるも光りひらめき
あまつ日は地にふりそそぎわれら疲る赤松の樹下に蝉のなくこゑ
演習も終りてわれらかへる道蜜柑の花の匂ひ来れる
248小虫ども夛く吸ひたればいしもちさう白花開けり食虫葉(は)には未だ虫を保(も)つ
ゆうぐれ (五、五、二○)
ゆうぐれの理髪床(かみゆひどこ)の鏡の中に通り魔のごと人すぎゆけり
250うなだれて鏡の中をゆきし人今は青靄にかくれはてたり
手足の爪を剪りつヽたのしくなれり
爪きるべき指の今少し夛からむことを希ひけるはおろかなるわざかも。
昭和五年五月廿四日
頌へられてあれ。この日、
天に栄光あり。地上には惠あり。
坂井正夫君
明治四十四年四月一日誕生
昭和五年五月二十三日午前五時三十七分永眠
二度と見られまいと思つた君の顔を、
見せて貰つた。これほど有難いことはなかつた。
君は花に包まれて静かに眠つてゐた。
ほんの眠りにすぎない様な静かな安らかな顔をして。
秀でた眉は昔のまヽ、閉ぢた眼も寮で同じ室で寢てゐた時のそれ、
そんなに静かに──。
君はお母さん寢ると云つて眼を閉ぢられたさうだつたな。
深い信仰が君をして安らかに寢しめたと語つた人もある。
それを思ひ君の顔を見た瞬間、
別離の悲しみと信をもたぬ異端の寂しさが僕を襲つた。
顔をおほひ声を耐えようとしたが鳴咽は止めかねた。
教会の門を出るともう一度、ほんとにもう一度君を見たくて耐らなくなつた。
静かに栄光に包まれた君、天國へ登つた君を。
お父さんをはじめ皆信じてゐられるのに しかも尚すヽり泣きが
堂に充ちてゐたね。白いスヰートピー、カラー、薔薇、フランス菊
聖花に包まれた君の霊柩は車に移つた。
昔、香が強くて頭が痛くなるからいやだと云つた。
花達に包まれても君はもう苦痛を訴へはしない。
君は生前より一層敬虔に一層寛大になつたのだ。
墓地で埋葬の時には僕は君の柩の上に、
白いスヰートピーを投げた。砂をふりかけるのはよした。
花は萎れてゐたけれど、正しく君の柩の上に留つた。
お母さんに挨拶された時、君の墓の上には、
隣の墓のと同じ樹 ──シーダーの類だ── を、
植ゑ[ママ]て欲しいと云はうと思つたが止した。
神經質な君には一層重い圧迫感をもたらすだらうから。
君は云つた
「我は誇らん、只十字架を」と。誇るものなき異端の徒は
さういふ友を持つてゐたことを或時には誇らして貰はう。
さよなら。静かに、おやすみ。【抹消】坂井君、同室の友
僕の苦のあやまちを凡てゆるしてくれたまへ、神の子坂井君【抹消】
寮ではいつも僕の方が先にねたが── 【抹消】さよなら【抹消】
× × ×
坂井君の死に依つて、僕の生活にも何等かの革命が来ようとしてゐることを感じてゐる時、丸から、部にも大革命があつたと聞いた。
僕一人その感激のシーンから外れたことはさびしくて仕様がないが、うれしいことではある。併しやはりさびしい。愛と平和とが永久に彼等の上に
あらんことを! 坂井君の「Peace be into you!」
平安、尓[なんじ]にあれ を思出した。僕も祈らう。苦しいにつけ、嬉しいにつけ。
さびしさは皆(みんな)の人の泣けるときわがみひとりの泣きえざること
さびしさはわがおもふだけ友だちのわれのことをば気にとめぬこと
神の子にはうれひもねたみもなきものを
253さびしさはおのが正しさを説けるときふとかへりみてしからざるとき
(これやこの昨日のさびしさ、今日よりはすヽまむ)
大阪城懐古 (五、五、二九)
日の光かがやく午後に巨城(おおしろ)の石壁の蔦は萎れんとする
石垣のスロープはしみじみ美しもよ石間に黄色なまんねんぐさの群落
石垣の傾斜ゆるまり濠となるところ石にとりつき亀ゐたりけり
秀頼公の最期(いまわ)ちかづきぬこの城は石壁固くのがる途なし
おのが身を守るとりでは今にして逃げみちふさぐすべとなりける
お天守の焼くるほのほに逃げまどふ女の群も少くなりき
お天守の窓よほのほの見ゆるとき秀頼母子は生害します
青濠に浮ぶかいつぶりつれ鳴けり濠ふかければこゑのはるけさ
鳰鳥[におどり]は玉藻をかづき[潜き]しましのち水面にうかびこゑ鳴きいづる
なヽめ陽のすみ櫓(やぐら)に赤くさせるころお城の門を兵ら出で来る
何でもなきこと (五、五、二七)
あさぐもり雨降(あも)らんとするけはひあり黒衣聖女(しょうにょ)にあひ奉る (プールの聖女)
遊行すと黒衣聖女ら打ちつどひいでたつ朝の空はくもれり
×
いつしかに矢車草の花咲きぬあらまし[荒まし]心おちつかなむか
268六月にならんとしたり野の果の埴生丘陵に麥は実れり
公園にゆふべ来ればすヾかけの青き葉かげの実はみえずなる
初夏の風景 (五、六、八)
その一
眞晝、ひそやかに、空の雲、
南に、流れれば、風、死す。
日の、光は、しみじみと、暑く、
あかしあの木の、葉は萎れる。
誰か、遠く、ハアモニカを、吹いてる。
その二
魚は、腹を、見せて、池に、浮き上り、
石油の、臭は、風に、乗つて来る。
遠くの、路を、行く、洋傘は、
くるくると、廻つて、麥畑に、入る。
あヽ、この時、音もなく、雲は、
山の、嶺から、立ち昇る。
その三
木蓮の、梢に、花が、咲くころは、
蛇は、日毎に、皮を、脱ぐ。
まもなく、それは、木蓮の、木に、
登つて、行くであらう。
その四
梅雨前の、山脈の、緑は、妙に、
圧力を、僕に、加える。そこから、
百合の花が、毎日、街に、運ばれる。
その五
眞昼、草原に、寢て、
胸を、抑へれば、心臓の、動悸は、
遠くの、見えない、海の、潮音に、一致する。
その六
柿の花が、柿の木の、下に、散つてゐた。
見上げた、梢には、緑より、外の、何もない。
柿の花は、人に、知られずに、咲いてゐたのだ。
その七
実に、ならずに、落ちる、柘榴の、花の、
かなしさは、誰が知る。紅玉の、実は、
まもなく、人から、愛せられやう、が。
その八
毎夜、夢の、中で、蝉の、声を、聞く。
あヽ、夏だな、と、思へば、蝉は、飛んで了ふ。
昔、ポプラの、幹で、鳴いて、ゐた、蝉。
その九 蛍火 (五、六、九)
蛍火の息づき見ればいきのみのいのちもてるをさぶしとおもふ
270草の葉のかげに息づくほたる火のほのこひ心かくしはたさぬ
蛍火には平安朝時代の趣味がある。蛍兵部卿宮といふ人を懐かしくおもふ。
その十 (五、六、一二)
流星雨の、ふるといふ、此の頃の、
夜空は、いつも、曇つてたが、
今晩は、久し振りに、晴れて、流星を、一つ見た。
何だか、ホツとした気がする。
その十一
ものかげに青く光るは蛍の火蛇(くちなは)の火は赤かりといふ(思ひ出)
わが友の永山修は蛍火と蛇の目玉に手をさへしとふ
273このごろはくちなはも火をともさざらむわが友もわも二十歳とはなれる
その十二
眞直な、海の、涯の、水平線を、
白帆が、むれて、ギザギザにしてる。(四階眺望)五、六、一二
×××EPILOG×××
僕の夜光雲第二巻にも余白がなくなつた。第三巻にうつらうと思ふ。
現実逃避の藝術はと近頃人から云々されることが夛い。
一番近い現実とは自分を凝視することかと思つてゐた僕の考へに撞着するこの考へ、どちらが正しいかぼくは知らない。
とにかくしかし、これまでの夜光雲はとても人間社会等の大きな目標へデジケートされたものではない。それは僕自身を知つてくれる、或は知つてくれることが
出来ようところの人への贈物にすぎない。 今後の夜光雲も夛分それにすぎないことヽ思ふ。
これがむいみであるとならばそれでもいヽ。永久的生命のあるなし、又、藝術であるか否かも問題でない。ぼくとしては心のすさびであり、同時にもつとまじめ
なことなのである。
嶺丘耿太郎
贈るべき人
親類・大江、田中、田辺、鴫野、羽衣、今津、金田、森本清、肥下、
小学先生・西角、片山、
友達・阿部成男、村田幸三郎 、船富光、三露久一郎 、
中学先生・佐藤、隅田、森中、三宮、
友達・坂井、西原、殿井、生島、倭、西川、竹島、西垣、新谷、森本、蒔田、安川、
高等学校学友・本位田、丸、本宮、友眞、増田、能勢、渡辺、細川、保田、杉浦、
文三乙全部、臼井三郎 、豊田、
菊池、佐々木三九一、益子輝夫、國行、清徳
、村山、門野、川勝、小竹、金崎、吉延、天野、前田福太郎、馬場有村、江口三五、内田、三浦、三島、
歌学一般
〇紀貫之
1.本義――やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉ともなりにける
2.人心本来ノ性質ニ基ク――世の中にある人事わざしげきものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるな り。・・・生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける。
3.功能――力をも入れずして天地をうごかし
4.起源――天地の始りたる時より
5.分類――そへ歌かぞへ歌なずらへ歌たとへ歌ただこと歌
(第2巻終り)
旧制大阪高等学校
「夜光雲」第三巻
昭和5年6月22日 〜 昭和5年8月8日
21cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(42ページ)
僕はこれをこの後僕の友となるべき人に捧げや[ママ]う
序詞(プロローグ)
混沌(かおす)から飛出した一の塊、それが地球の生みの親、太陽と偶然になつたと考へるのは神への冒涜だ。
君はとにかくプロレタリアフオルマリズム[教条的マルクス主義]に立つといふ。
そんならぼくも態度を明かにせねばなるまい。
ぼくは僕自身を心の底までプチブルだと思つてる。モナド[単子]から成立つてるのだから仕方がない。
でと、お気の毒だが、
今年の夏は米國にでも行つて金髪のお嬢さんと遊んでこよう。
よせ、それは感情の浪費だ。言葉の浪費もつヽしめ。
さて、マルシヨン[すすめ]!! 同胞よ。僕は足を怪我した四頭馬車の馬だ。すまないが他の三人で車をひいていつてくれたまへ。
すぐに帰つて來るだらうな。ここで待つてるよ。
君がかへらないと云つたつて僕は待つてる。まぐさもここにあるのだぜ。
混沌からはいつになつたら光がさすことだらう。裏の納屋の鶏はいつまでたつても金の卵を生みやしない。
しかし向ひの娘さんはだんだんお姫様のやうに上品になる。よせ、どこまでしみ行つた[ママ]子供の玩具。
さて一九三○年の半ばはすぎた。まだ君はこの年を誇るのか。
(主に湯原冬美[保田與重郎]に) 一九三○、六、二三 夜
──みねおか こうたらう──
梅雨晴 (五、六、二二)
梅雨晴のひるの大地にさす光あまりに強し夏は來むかふ
大地一面から水気はのぼり大空の高どにこもりてむしあつきかも
おほ空は青く晴れたれど水蒸気 高空にして流るヽが見ゆ
つゆの雨止みたるひるは紫陽花もすでにうつれりと眺めて通る
家を出て急に身にさす陽のあつさどこかの家に乳児(ちご)啼きやまず
× (五、六、二○)
かへりみちの乗合自動車(バス)の窓より見る空に雲ひろがりて夕べは来る
つゆの時今ぞ来むかふ合歓の木のこずゑうす紅くけさ咲きにけり
8ゆふぐれを学校の歸りおそくなれり道辺のねむはすでにねむれる
螢 (五、六、二四)
PSYCHE(ぷしけえ[魂])よ、ぷしけえ、ゆふぐれ、ふらふらと、
鉄橋の下をうろついてさ、
お前の昔の持主は誰なのだい。
あの酔拂つて轢かれた爺さんだらうか。
それとも下の水に落ちて溺れ死んだ友達だらうか。
ふわり ふわりと燃え上る お前は或時には生の意義を、
失つた老人のものとも見えるし、
また廻り來る未来をひめて青白い情熱を頬に、
漲らしてゐた若人のとも思はれる。
水面近くまで下るかと見れば、
鉄橋の上まで飛び上がつて来る。
僕は何か、草をでも持つてればよかつた。
おまへをそれにとまらして明滅する光に、
おまへの素姓を讀まうものを。
雨の夜、増田正元に (五、六、二六)
屍をふみこえ、ふみこえ、ぼくらは進むのだ。
──それは誰のこと? あヽ、この雨の夜に。
今日も紫陽花の花は萎れを増す。
あすはもう散つて了ふかもしれない。
眞青な花の中から
君の眼が僕を凝視(みつ)める──
あヽ、生命の躍るとき夏が來るのだよ。
大空の下、はちきれさうな体を見よ── そして、
君は静かに床にゐねばならないのだね。
でもやはり空を見る。
僕に耐へよといふのか この苛責を。
おヽ、ゴツデム[神よ]。僕はあじさゐの花になりたい。
ともかく君の体にはよくない陰雨が、
しとしとと大地にふりそヽいでる。とても明日の日の青空は、望めやしない。嗚呼。
病気になつた増田のことを考へれば、胸がキユーツと痛む。とてもひどい責任感だ。しほしほと神戸へ帰つた後姿を可愛 想に思つた。かれの純情の日も遂にすぎるのかと思つた。神戸の港。船。摩耶山。そして彼を深く深く愛してゐたことを思つた。
Yuugure 27th june 1930
Yuugure Kaiwo-sei(☆) Umi yori haiagari
Toukuno Shima ni Tori wataru
Koibito no Me Yuuyake-zora ni kagayaku to omoe
Sate Akaki sono Kuchi wa
Nishiyama ni iru Hi ka
Oh pottsurito Hi ga tsuita
Yoshi naki Omoi wa, Negura e kaeru Tori no gotoku,Sareyo!
shimijimi to raihai seyo
Kemuri tatsu Atari ni Tera no Kane Kieuseru!
──K,Mineoka──
[ 夕暮れ 1930年6月27日
夕暮れ、海王星(☆) 海より這ひ上がり、
遠くの島に鳥わたる。
恋人の目、夕焼け空に輝くと思へ。
さて紅きその口は
西山に入る陽か
おお、ぽっつりと灯が点いた
よしなき思ひはねぐらへ帰る鳥のごとく去れよ!
しみじみと礼拝せよ。
煙たつあたりに寺の鐘消え失せる!]
青き夕暮 (五、六、二九)
夕さりはグラヂオラス畑に光りをり青きが中の花のさみしさ
女学校のポプラの茂りいや深みゆふべ雀ら鳴きこもるなり
いり日赤くうつる早稲田(わさだ)に蛙なきしみみに鳴けば友のこひしも
さみしらに夕日雲の端(は)にせまるなり刻々にせまるその雲の端に
13海州常(くさぎ)山の花既に散りたりふるさとの子らのよろこぶ青実結ばな
選手制度の少年らしい感激に浸り耽り得る、不幸かつ幸福なる人間はぼくでしまひになるだらう。反省のないものと思はれることのいやさと、
どういふものかをはつきりしつてゐるうれしさが。増田正元よ。物事を考へる勿れ。(小林正三の言ばをおもひ)
驟雨と街 (五、六、二八)
腐れ饐えた街に眞黒な雲がおそひかヽり
次の瞬間にはポツリポツリと大粒の雨がやつて来た
人々の足は早まり店頭の品物は取り片付けら[れ]た
それから次に本物がやつて来た
舗道に叩きつける瀧のやうな水の落下
白いしぶきが道から立上つて
風にあふられてなびく
混乱の刻はもうすぎてゐた。人家の軒下に避難した人達は
つぶやきさへなくそれを眺めてゐる
まこと街は一度人間の手から離れたのだ
街にはゆきかふ人もなく── あヽ、この瞬間道を歩ける人は
英雄だ── おそらく
ひつそりしたさびしさ、さういふものを久し振りに
ぼくは街で見付け出した
楽天地の螺旋閣に電燈がついて
のぼつてゐる人が一人もないのをふとかなしくおもつた
何處かで人が殺されてゐるといふやうな気がした
紫陽花 (五、六、三○)
一日の学(まなび)の業に身は疲れ帰り來る道のあぢさゐの花
親しき友の体の破壊(こはれ)しみじみときづかひゐるも萎れあぢさゐ
ヂキタリス咲き上り上りいやはての花とはなりぬ梅雨すぎむとす
ヂキタリス=狐の手袋(フォックスグラブ)、 サイラス・マーナー[Silas Marner:ジョージエリオットの小説]に出る。
須磨浦療病院 (五、七、四) ──増田正元に
ひそやかに病院の坂のぼりゐる身に異状なきが気の毒のごと。
日ざかりの坂の暑さよ病室に患者達(ら)ひるをこもりたらむか。
じりじりと花園に焼きつける陽の光患者らひるをシーツほすなり。
思ひしより元気なるこそうれしけれ仰向けにねたる顔の小ささ。
患者等は時間を限り飯を食ひ人と話し散歩するとふ。
日の照る時を動くことさへかなはぬ人らの幾百が集まつてる所だここは。
自らを生存競争の敗者とは誰も思はぬ、思へば癒るはずがない。
海岸へ泳ぎに出掛けた患者らが帰つて来た、僕よりもいヽからだ。
看護婦のとつて来てくれたといふ花瓶の花を見ながら早くなほりたまへ。
何よりも悲観的でないことが一番嬉しい。君の全快はそこに約束されてる。
沈黙安静の時間をぼくが来たヽめにきみはおしやべりしてしまつた。退屈なのだ。
後に何か残らねばよいと思ひ乍ら話し込んだぼくも余程不注意だつた。
又血啖がでたと話した顔に恨みがないゆえわびの言葉もぼくは知らない。
×君に話さうと思つた鉢伏山の景色
敦盛そばやで買つたパンを弁当代わりに食べてゐるその金の出所は誰もしるまい。
もう決して本なんか賣るまい、と日本橋の古本屋のおやぢの顔を思ひ出してる。
敦盛の塚の大[き]さ、御曹子なれば敗けて死んでも結構なことだ。
めつきりと体弱れりと思ひたりもう下山(おり)ようと考へては又のぼる。
あの頂までのぼらねばすまない心がある。頂の向ふの空が見たいのだ。
一人山にのぼる心細さ下山ようと考へ乍らのぼる。止まぬ気ゆえに。
きみのゐる病室の窓が見えてゐる。帽子はふるまい。とても見えぬだらうから。
山裾を汽車つらなりてすぎゆけり窓より我を見出る人あらめや。
山の中腹を鳶まふなりなヽめになれば陽光をうけて金色のつばさ。
とんび、とんびもう一羽松の間からまひ上る。口笛の様にかすかななきごゑ。
これできみと永のわかれになるやうにおもはれて山にのぼるのがさみしかつた。
ひとのゐぬ山の頂さびしけば きみをおもひて帽ふりにけり
鉢伏の山の頂よ君のゐる窓に向ひて帽ふりにけり
やまもヽの林にもれる陽の光。零(こぼ)れやまもヽひろふなりけり
暑き日に眩暈感じてこの路のまひる一人をさびしとおもふ。
鳶のまふ空とほけれどひいひよろとなくこゑかすかにきこゆるさみしさ。
港から汽船が一隻出てきた。他の船は静かに浮いてゐる。
山下を通ふ汽船の立つけむりながながつらなり海の面にきゆる。
瀬戸をへだてヽ淡路島見ゆ母の國淡路島見ゆ。船通ひゆけ。
とほ空は重くくもりて内海の島戸(ど)かすかに見ゆるともなき淡さ。
鉢伏の山の頂の楊梅(やまもも)の実のなるときにわれは來りし。
生れてから二度めにくふこれの実はまこと食ひえむか。ともかくも喫(く)ふも
草原をとかげあはてヽさけかくる 日ざかりあつししみじみとあつし。
青き丘つらなり長く眼下に低し傾斜ゆるきは(この山下は)播磨國原。
心におもひ登りきたりし北國の丹波茂木にかくれて見えず。
ここからも見える病室かの室に幸ひあれと海に見入るも。
高處ゆは見ゆる水脈海をゆくかの船等には知られざるらむ。
海の果に汽船も通へ心ふかき悔いの心はやるすべもなし。
×君にはぼくの母のことも話してみたい
おんははは天にわたらふ日の如くたふときものを。あたたかきものを。
むかしとほくはヽの呼吸したまひし淡路島まなかひに見ればいのちかなしも。
しみじみといのちかなしもおんははにわれがせたけを見せまつらむを。
ほそぼそといのちいけるを眺めませ。淡路島山光ゆらぐかも。
小く白く汽船通ふもあはぢしまへ。一人の友は病みこやり[臥]たり。
いつかまたおもひいでなむわれひとり。あつき日ここにものおもひたりと。
おんはははいまは世になし。うつそみのきみのいのちよ。しぬることなかれ。きゆることなかれ。
×それからぼくは神戸へ帰つて阪急に乗つた
心と身のつかれ一時に出で来り自棄生命をおもふなりけり。
生命も死ね。かヽる小き。卑しきもののいのち生けるを恥かしとおもへ。
神戸の市(まち)は山々近くせまりゐてゆふぐれがたはひとを恐れしむ。
子捕者(ことり)歩け。夕くれがたは山のかげ街にみちたれば子供居ざらむ。
×阪急梅田から中の島へ行つた
英人の子供の発音を美しとおもひてゐたり。西宮北口で別る。
この上にいまだ疲れを身に得たく西日の街をさまよふわれは。
帽子脱いでかつぱ頭を他人に見せて歩いた。きみよ笑ふなかれ。目的の対象。
ゆふぐれは公園で下手な野球見せ乍らこれらの人は老い行くらむか。
ゆふぐれはユニフオームものものしく公園に来りこれらの人は考ふることなきか。
いま更にインテリのかなしさは浮浪人に銭与ふるを恥かしみけり。
浮浪者が目をつぶつて歩いてゐたゆえに遂に銭は与へえざりけり。
76ゆふぐれを川岸に犬あそばす看護婦のつぶらひとみは今にきえなむ。
これらのデタラメ或はセンチメンタルな作品を湯原冬美のまへにぼくは恥じる。しかし──
「冬美曰く、めつそうに、けつしてそんなに思ひません。
残念なことは あなた(みねおか)の好きな増田君を知りません」
[※保田與重郎書き込み]
──試験勉強その他になやまされた頭の産物──
ゆふぐれはやもり硝子を這ひのぼりかはゆきかもよ腹動かしゐる
78硝子戸にぴつたりとみをつけてゐるやもりの吸着肢をかわゆしとおもふ (五、七、五)
鉢伏山 (五、七、六作)
まひる、山道をのぼつてゆけば
何がなしにさびしいのよ
道の果は山の頂
茂つた木がさやさやとゆれるのよ
頂の向ふの北空は青々とすみとほり
遠いあこがれの世界を思はすのよ
ぼく、何してものぼらずにはすまなくて
ひとり寂しみながら山道をのぼつてゐつたよ
×
遠く山裾にひろがつた病院
白い建物は南に向ひ
前には花の一杯咲いた庭がある
窓が一つあつてカーテンが上つてる
呼んで見たとてきこえぬものゆえ
ぼく、帽子を脱いで振つたよ
これも誰か見てくれようぞと思ひ乍らも
×
淡路島と紀州の出鼻との間は
ずゐ分離れてゐるのだな
そのまん中に島が二つ。
内海から大洋への潮流には
ずゐ分な邪魔だらうから
年々にこれらの島は
飲まれて行くことだらう
あの島の間を汽船が通つてるだらうか
×
眞晝の寂しさは
人のゐぬ楊梅[やまもも]林
地に落ちた實を拾ひ
栗鼡のごと食はうとも
落葉わけ訪ひ来る人あらうか
先刻から食べ過ぎた
楊梅の実に、ぼく
腹を毀して痛み叫ぶとも
誰も聞きつけまい
しかれば、ぼく楊梅の枝を折り
人のゐるところへの
土産にしやうと思つたのだ。
×
眼を開いて逝[な]き人を思へば
大空に、はつきりとおもかげ────
眼をとぢれば痛いのだよ
強(きつ)すぎる陽がまぶたに────
ぼく、せん方なくて
日に背いて笹原を
ざわざわと分けて行つたよ
×
あヽ誰が感傷を持つまいぞ
此の山の尾は隣の山につヾき
はるばると一連の大山脈。
人間の工(たくみ)、白き家山裾に這ふが
中腹にさへ及ばない。
何と怒鳴らうともぼくの声は
笹原にしみこみ、松林に吸はれ
下界には及ぶまい。
その故にぼく、もう下山(おり)ないで
ぼくの声を尋ねようかとも思つた。
×
あヽ少年の感傷を笑ふ人は
少年時代を持たなかつた人だ
中年にして感傷をもつは
あまりも可哀さうな嘲笑の的
ぼく、ひそかに、将来の
感傷清算の日をおそる。
中之島公園 (五、七、七)
植込に夾竹桃の花咲きさかり浮浪人等は体だるがれる
飯を食はぬ眼には眩[まばゆ]き夾竹桃の紅の花に夏日させれば
大川の水は濁れり午過ぎの空のくもりに汗ひた流る
噴水も水ふきあげざるひのひるま心たのしまずみ[身]はひた疲れ
巡航艇すぎゆきしあと岸壁に浪うちよせて音立つるなり
ひたひたと岸を洗へる水の音なごりさびしも艇(ふね)ははろかなる
夾竹桃の蔭にひるねせる人のむれ麥稈帽を欲しとおもへり
川田順の歌と吉江孤雁(喬松)の文とで懐かしい木の夾竹桃。大阪の地方色を最もよく表してゐるものであらう。
生活難の老人が先日身投げせしお濠の端(はた)の夾竹桃の花
86南より陽移れば來たる夏の日に夾竹桃は花開くなり
×
敗残の人の群には
遠くより流れ來た此の花が
一番相応はしいかも知れぬ
しかしその花の紅の色は
数日来の空腹の身には
焦だたしさの種となる
あふりかの花よ、わが單衣の
汚れを凝視めるがいい
控訴院の塔 (五、七、八)
控訴院の赤煉瓦の塔に雨そそぎ鐘鳴らずして黄昏れにけり
川向ふの古い赤煉瓦の控訴院の窓のいくつかに灯(あかり)つきたり
雨そそぐ大川の面に芥流れいたくわびしき夕べとなりぬ
夕されば烏ねるとふ法院の塔のむかふの雨空のくらさ
91しとしとと大川の上に降る雨にゆふべわびしく水堰(ダム)の灯つくも
ぼく、でぃれつたんと(湯原冬美の史学研究会檄にこたへて五、七、八)
幾百の白い手が廻轉する車にしかれて
流れた血が空中に大きくイルミネーシヨンとなる
血みどろな斗争、新しい白い手入用と
ぼく、少なからず心を惹かれるが
ふらふらとぼくの手を差し上げやうとて
ぼく、でぃれつたんと、何の血が出ようものか
されば日毎日毎、掌の運命線を眺めて
ぼく、ひそかに胸に食ひ下がる虫をおもふ
ある花園を (五、七、一○)
夏はそれ自身の中に後に来る秋を蔵してゐる
向日葵の花の精力的な輝きには
秋の要素(エレメント)がふんだんにこもつてるとおもふ
雨の来る空に高いぽぷらの木のゆれるのは
それをゆする力のしみじみとした深さを感ぜしめる
日々(にちにち)草、金蓮花と、何と昔臭い花ばかりだらう
はるかな幼年の思ひ出が耐らなく胸を抑へる
ぼく、無花果の木蔭に花園を眺めてるのである
俳句一首 (五、七、一一)
夏山や蛇を恐れし紺脚絆
仲哀天皇惠我長野西陵及河内國野中寺 (五、七、一一)
ほり
大御濠(ほり)しづもり深けれやひつじ草しみみに生ひて花保ちゐる
朝涼のみささぎの木にしんしんと蝉鳴きしきり雨げはひ[気配]すも
おのが身を不可斐なしとぞ思ひゐる、道べ明るきあざみの花に
こ雨ふる朝を田に出て草すける人の業(なりはひ)をかそか[幽か]とおもふ
葛木に朝ゐる雲の空おほひ雨(あ)も降らんときに家に帰らな
みさヽぎの濠のしづけさやこぬか雨かヽる小舟に菱採れる人
×辛國神社(藤井寺村岡ニアリ)
朝空のくもり暑くるしき道べより足ふみ入れしもりのみ社[やしろ]
×
曇り空のみんなみに立つ白雲を暑しとおもふ道の向ふところ
葡萄山の葡萄葉の動きそよろなし害虫(むし)葉をくへるおとのきこゆる
葡萄葉に硫酸銅の結晶あり、むしあつきひると歩みかねたり
こもり堂ひつそりとして戸をとざす、み寺さびしも中庭の苔
頭ばかり大きな弥勒菩薩像めんどうくさく拝観したり
夏草のしげく生ひたれば蚋夛きお染久松の墓所訪ふ
弥勒菩薩座(ゐま)すみ堂のかび臭さ出世(すいせ)したまふ時遠からし
×
106緑松一群立つは藤井寺、この埃道そこに通へる
嗚呼 竹増俊明君 (五、七、一二)
図らざりきかく急に君の悼文をかヽんとは。
昭和五年七月十一日午後四時四十分、深江沖にて心臓麻痺のため永眠。
なかなかに信ずる心出でてこずおとついはきみとかたりしものを
ときどきはつと気づいて愕然とする、生きてゐた君がもうゐないのだ。
何といふ遠さだつたらう
一昨日、否、昨日までの
君と死のへだたりは
柔和(やさ)しい、勉強もよくすれば
遊びもするいヽ友達だつた。
一度きりし髪やヽのびてゐたりけりそを思ふときいきどほろしも
笑ふこと夛かりしきみなりければ
かヽるかなしみもてわれらをおそはんとは
誰か知れりきや
青海に陽の燦々とふるひるをきみのいのちを死なしめしはたれ
青海に心うばはれてふたヽびはかへりこずちふ[という]きみを見む日もが
ふたたびはいまは会ひ得じあまりにも早きわかれをいたまむやいたまむや
休みのためわれらはわかれき、ふたヽびとあひ見むためにわれら別れたりき
何すればかねておもはむおとついの無意のわかれの永久にならむとは
今よりは海龍王にわれ恨を抱かんかな
泣けよ泣け、ま夏の海に入りしまヽかへらぬころのおもかげにだに
みづあみすと海に入りしまヽきみがたま、ついにかへらずむなしきむくろ、なんにせむとや。
×
111君にさヽぐるかなしみの詩もつい[終]の日はわれのはふり[葬]の詩とならむとや
見不可見 [見るも見るべからず](五、七、一三)
竹増君よわが最後の罪を許したまへ
はかなしともはかなしや
きみがみたまとはにきよかれ
きみがむくろちにくつる[朽ちる]も
みたまそらにのぼりきよくありませ
復活(よみがへり)の日まで、その日まで
森博元君の墓に訪(もう)づ(翠蓮社泰譽上人務学博元和尚)
みんなこぞつて泣いた日が近づくみ墓べの槙の木さへも茂りたるかも
み墓辺にしきみをさヽげ水を手向けわれに出来るはこれのみと思へり
きみがみを犠牲にまでしてをきながらわれらの得もの少きを恥ず
すぐるもの日々にうとしとふかなしさは忘られざれどおもかげのうすさ
×悼 竹増君
み葬(はふ)りの日さへかの海きらきらとかヾよひゐたりつれなきものか
おん母の嘆きの叫びいつの日かわれら忘れむ、
死なざらむゆめ、たらちねの親に先立ち
松田一郎君、橋本益太郎君逝去すと
つぎつぎに人の死するを聞くときし、かぼそきものか世に生けらくは
つぎつぎに知る人たちは死に行くを、いまさらにいきのいのちをたふとくはおもへ
120増田正元よ、ゆめ死ぬ勿れ若くして逝きてわれらを嘆かしむなかれ
[
對校試合松江紀行
一、車中 (五、七、一四)
九十九の隧道に弱つた。
ひる畑にきりぎりす鳴くあつくるしさ
汽車すぎゆけるたまゆらを聞く(藍本)
線路行手に大きくカーブして
赤いシグナル旅心おこる(三田[さんだ])
小石夛き河原に群咲く月見草
晝近くして赤くしぼみたり(三田)
河原の芝につながれほしいまヽに尾ふり
草食む馬のかはゆさ(下夜久野[しもやくの])
田んぼの畦にあざみ花夛し
遠方の山脉の上に雲のぼるとき(夏雲立てり)(広野)
丹波の篠山あたり小盆地
まはりの山に雲立ちのぼる(めぐる山なべて白雲おこす)(篠山)
何もなき円き草山ひのまひる
もだのぼりゆく我をゆめみる(上夜久野)
何もなき円き草山(草山の線)かぎる空の
青きが中を雲動きゆく
何もなき円き草山(円草山も)のぼる人
やはりあらむか蹊(みち)つける見ゆ(なり)
トンネルを出づれば青き波の色まなこにしみてこころさびしも
汽車とまらぬ小駅の村の花畑カンナ大きく咲けるを見たり (古市)
山間の小村にすぎる小学校(の学校の運動場)赤帽かぶり児童行進すも(赤帽の児ら整列してる) (古市)
震災の名残は見えて城崎の街の屋並は皆新しき (城崎)
両(もろ)岸に芦群生へる円山川、玄武洞近く皆窓を見る(海近ければ流のゆるさ) (玄武洞)
日本海の青潮にさす陽の光、車中こぞりて歓声おこす(波は光りてよせ来るかも) (鎧)
磯の辺のいくり藻[アカモク]生へるあたりすら青潮めぐるをかなしとおもふ
海と隧道、たがひちがひに現れて忙しきかもよろひ[鎧]のあたり
日本海のうしほよせくるこの港、あか瓦の家かたまりゐるも
この湾の防波堤なす岬角裸岩根に浪砕けちる(たり)
風あれや鈍く光りて波がしら沖の島根によせいたる観(磯の小島にきては砕くる)
古しへの語かなしき湖山池、めぐれる山に雲かヽるなり (湖山)
砂丘にまばらに生へる姫小松、旅心すでに定まり本をよむなり
はヽきね[伯耆嶺]はあらはれそめし山肌にくもはかヽらずあらはなるかも (鳥取をすぎたあたり)
【抹消】砂丘をいたくこのめる西條八十ま夏晴れたる空の下にもか
一昨年雲にかくれて見えざりし大山見ゆも雲一片だになく
あんまりにあらはなりければうれしけれど何かものたらぬとひが思ひせし
(われの山好きの心を知れる人あれや)
こヽらから見ればあんまりいヽ山でもなし幻滅感を抱かぬこともなし
雲いくら早く[ママ]走らうとも音立てず汽車の車音に大分よわつた【抹消】
伯耆嶺のつらなり長く空かぎる此の一連[つら]の聖座たふとし
伯耆ねのそがひの空や山陽道何があらむや雲立ちのぼる
白い雲日に光りつヽ、まひ上る山のそがひにこころかよふも
大山の裾野の連りなだらかに低まるはては海に流れ入る(赤碕)
(大山の裾野の原は低まりてきはまるはては海に入るかも)
大山の裾野桑畑、草を刈る乙女の家は遠からしとおもふ
大山の麓からつヾく赤松林じんじんと重き蝉のなき声
日本海はとほくくもりて何もなし隠岐の島深ししばらくで止めき
おきの島しばしもとむれど日本海くもはろばろと何も見えざり
大山の北の斜面の岩崩(くえ)の眼に迫りて(あらはにて)いくときばかり
【抹消】大山の西の斜面の急傾斜、急は急なれど抛物線に【抹消】
大山のひける斜面の美しさ、めかれずゐるも裾のめぐる汽車に
大山の岩崩のあたり一片(ひら)の小[ちさ]き雲かかる米子に近づきし
安来すぎてこの汽車旅も終るともふ、棚の荷物をおろしそめたり
【抹消】闘志といふか、排他心ならむか、とにかくに松江高校の人をながむる
159OやNとぶらつきしまち、そのまちのかはらぬごとく、われもまだ子供(恥カシガレリ)【抹消】
その二、松江の宿
互に相容れぬ心あり、今更にわがひがみ心をいとふ。
城山にて
古典的(クラシカル)な観念清算の希望ありその不可能を感じゐる古城で
×松高で練習
練習中、後の山で鳴くせみのこゑきこゆるはうれしきかもよ (高校)
何事もうるさしとおもふむしあつくシヤツ一杯に汗づくなれば
×夜、散歩
とほく来て夜の散歩さへおちつかず田舎の街とおとしめゐるも
【抹消】美人なき地松江すき心さへなくありてつまらぬ通り散歩するなり【抹消】
しろ堀のはすやヽにして咲きぬべしとほくわれらの来りつる時季(とき)に
八雲たついづもの國はまな下にみれどみあかぬ山川のいろ
大鳶は老松の秀ゆとび立ちてわが眼の高さにまひ来るかも
湖の面をすべる帆船ありへだてとほければうごきのろしも
旅館の窓先にゆるヽめん竹の秀先うるさしと心いらだつ
きりぎりす鳴くこゑしげきこの晝を球追ふ友とはなれたく思ふ(於松高)
蓋し現実逃避を責めらるヽ原因か
きりぎりす叢中に鳴くこゑをしげしともへば裏山の蝉のこゑもまじれる
【抹消】かりそめの愛の言さへうれしみとはづかしきかほ見せにけるかも
168顔美くもなき女何なれば愛しかる、かりそめの言はうれしと思へど【抹消】
×
おれの神経の先で蝉がジンジン鳴いてる (七、一七)
おれの目の中で竹やぶがゆれる
おれは血管の中に緑の血をかよはす
それでも俺は人並のことをせにやならぬか。
×
何故おれはお前達といがみあはねばならぬか
なぜおれはお前達を嘲笑せねばならぬか
又なぜおれはお前達を愛しようと力まねばならぬか。
バカヤラウ!!
×
ナイーヴといふことはがさつで利己的なことだ
デリケートとは小心で利己的なことだ
それ丈のちがひぢやないか
いやだなあ。
三、対校試合 [※新聞切貼あり]
俺達は宿から
球場へのバスの中で
出陣の歌と部歌を歌つた。
何だか金属性の声が出た。
歌をうたつてると泣けて仕方がない。
横を見ると友眞も
丸も ──長いまつ毛だと思つた──
俺は俺達の感傷を
恥しがつたが或は之が
ほんとかもしれんとも思つた。
只何故泣かねばならぬかは
何うしてもわからなかつた。
×
試合が始まつた。
俺はバツト拾ひの役だ。
一心になつてピンチ毎に
胸が痛くなつた
後の山で鳴いてゐた蝉の声を
いつも後には思出すだらう。
とにかくシーソーゲームで
何度も心配さヽれた後に勝つた。
十三対十一。
選手達や先輩は躍つてる
俺も飛出してゆきたかつたが
止めた。しかしそれにも劣らず
嬉しかつた。拍手してやつた。
歌をうたつた。涙が出た。
これですんだと思つた。
予期してゐた寂しさは感じなかつた。
俺は此の野球部に更に
新しい意義を見付け得たから。
×
祝勝会だ。
皆子供の様に喜んでる。
北村を一番嬉しいと思つた。
此の気に捲込まれぬ俣野理事を
不幸に思つた。
俺達の感想に次いで
新しいメンバーが
頼もしい抱負を聞かしてくれた。
先輩らしい、いヽ気になつた。
かにかくにたける心は抑へがたし この心はもよしとゆるしゐる
自らは戰ひ得ざる体(み)の弱さ かくて若き日すぎゆかむかも
友だちの喜びおどるをながめゐる おなじ心のわれならなくに
喜びの表現はそこに求(と)めずとも うれしさはすでにとヾめかねつる
みな人のよ[酔]へるおもヽち見てあれば よへるまねさへしたくなるなり
友どちのよひのたはぶれおぞ[愚]なれと さかしらをしてさびしがるなきみ
[※Erinnerung[思い出]と書かれた紙に]
眼[まなこ]瞑れば どうどうに
心に浮ぶ 友の顔
菅田が丘に かちどきの
歌うたひしは まざまざと
われらいつとて 忘れむや
卿(きみ)が情けに 一年の
苦しみを耐へ 過しきて
ここに勝利の 喜びの
涙流して 躍るなり
われらいつとて 忘れむや
帰り来れば はろばろと
戰の日ぞ 思ひ出(づ)る
遠く松江の 湖の
ほとりにわれら 戰ひき
われらいつとて わすれむや
五、思ひ出の人々よ
P 内田英成 C 能勢正元 1B 丸三郎、北村春雄 2B 高田一 3B 渡辺忠 SS 小林正三 LF 友眞久衛 CF 豊田久男 RF
三島中
Mng[マネージャー]田中克己
部長 脇坂教授
コーチャー 伊藤建次郎 ベンチコーチャー 門野正雄
先輩 國行義道 清徳保男 金崎忠彦 吉延陽治 増田正元 中島駒次郎 村山高 川勝常次郎 小竹稔 吉岡弥之助
[※試合のレコードあり]
四、伯備線途中
暴風雨(あらし)来るけはひしるしも線路(みち)ばたの唐きびの秀はゆれてやまずも
はやち風稲田わたればなびき伏すいな葉の波のやはらかさはも
向つ丘(おか)の木の葉さわぎてうらがへる葉うらの白さをしるしともへり
あらし来る前の湖のくもり色や重くひかりて波よせくるも(たてる見ゆ)
湖(うみ)ばたの松の木の葉のにぶ光りあらし来らむ空のくろさよ
古しへの民族穴居の穴夛きこの丘の辺のあぢさゐの花
太古(おほむかし)のこと思はされてゐる頭にあぢさゐの花はしるく光りたり
草山のなぞへ長々とつらなりて高しとおもふ草ばかりの山
はらはらと車窓にあたる大粒の雨山陽道に汽車ひたむかふ
(ぽつぽつと雨ふりゐて車窓(まど)をうつ山陽道に汽車ひたむかふ)
大山の西のふもとをぬひめぐる汽車にゐるなり大き山なるかな
たまたまの丘のきれめに見ゆる山雲かヽる山をそれとおもへり
南瓜畑に黄色く咲けりあらし前の空のくもりにいちじるき光り
南瓜畑に黄色く咲けり(あたりの空気おもくるしければ)いちじるき光り
日野川の水上のぼるこの汽車は(汽車にゐて)むかしのかたりおもほゆるがに(かな)
上石見すぐればすでに山陽道心あらたまる 雨は止まざり
高梁川[たかはしがわ]にしたがひて下る川のふちところどころに青くよどめる
百合の花畑のくまに咲きたれば山の畑のなつかしさはも(その山畑のなつかしきかな)
雨しぶく山の林になくせみの一匹なれやなきつぎはあらず
雨中になくせみのこゑすみとほり心かたむけきいてゐるなり
川のわだ鮎つるらしも人一人立ちはゐるなりわびしともはずや
×倉敷近くまで眠る
187眼ざむれば頭おもたきひるねあと高梁川も太くなりたる
やがてわかれる友をさぶしと思ひゐるこの山國の駅のきり雨
山峽の小村の家の花畑に西洋花咲くをさびしとおもふ
のうぜんかづら花茂みもちて山畑の畔[くろ]の潅木にまつはれる見ゆ
×岡山で山陽線にのりかへ (七、一八)
山間に珍しきかも三石の盆地は夛し工場の煙突
夕ぐれはいそべによせる波の色のにごりさびしく旅もお[ママ]はらな
あはぢしまいはや[岩屋]燈台の灯は孤(ひと)つわれらはやがてわかれなむかも
丘の下松の木の間に墓石にいまはしきことまた思ふなり
印南野[いなみの]の丘べの墓地の夕ぐれに心おそれきと人にかたるな
夕ぐれの黒波よする音さびし友と語りてさびしがるかも
海水浴場に人一人ゐず電燈のみあかあかとともる(ともしてり[照り]ゐる)さびしさをしれや
しばしでわかれねばならぬ旅のおはりみんな冗談をいひかはすなり
六、帰着 (七、一九) 帰来故園皆依舊。
桔梗つぼみふヽみて色に出づ旅のことどもおもひゐるかも
かへりきてひとりはさびしきわがやかも友のかほかたちうかべたのしむ
さびしさのひしひしくひ入るむねのあたり庭木の幹に蝉鳴きさかる
何もかも手にはつかずも旅づかれしるしとおもふ体のだるさ
目的をしとげた後の味気なさ、なすべきことをみつけねばならず
生き甲斐のあり得た精進の日を思ひかへしてるあヽなにをなすべきか
204山川の流のたぎち高きとき川辺百合花ゆれのしるしも
松江の思ひ出 (五、七、二一)
概念的抽象的な詩の一連を私は幾日かつヾけて書くことであらう。
その一
遠くのとほくの松江まで出かけて行つて
ぼくのもてあそんだ玩具の
白ペンキの匂が鼻にしみついてとれない
その感触が手にこびりついてゐる
ぼくははろばろと偲んでは
湖のきりの様にしめつぽいそれらの
思ひ出のなつかしさに泣けて来るのである
その二
イデオロギー
ぎごちない異國風なひヾきよりも
私にはあの茫としたとりとめのない
東洋的感触の詩がこひしい
あヽ何と遠いしかもなつかしいそれであらう
その三
古城の 甍 陽に 照りかへり
老松の 枝に 葉がくれて
鳥 巣をつくる 時ありて 中空を
舞ふものあり あヽ その しみじみとした 光りよ
その四
夜深く ぼくら 湖上に 舟を 漕いだ
櫂の 音の たよりなさ
行手を いづことか あヽ 嫁が島の
灯も 消えるではないか
櫂に まつはる 藻は 執念の
魔女の 腕[かいな]か ああ われら
若き 生命の かなしさを
深く 思つたではないか
松江大橋 流れよと まヽよ
和田見通ひは 船でする
その五
水郷の哀しさよ
センチメンタリズムは街一杯にみちて
しかも誰一人
安来節をきかしてはくれなかつた
その六 (五、七、二二)
あの湖のほとりで
女達は無智のままに亡んで行く
おれ達も苦しみもがきながら
いづれ亡びなければなるまい
なまじつかなアンテリジヤンスが
おれ達の苦しみの基だ ──セイチヤン、綾チヤンなる女達に──
その七
薄暗い座敷で
飲むお茶の緑のいろ
庭のあぢさゐに降る雨は──
その花の色もしつとりと落着いて
あヽ沈々と夜は更ける そこの
茗荷の花に螢が居るではないか
──Ideelle[空想の] Matsue──
その八
二つの叫びがある
トシアキサン、トシアキサーン
負けるものか、負けるものか
耳朶を打つ叫び
永久に忘れられない叫び
その九
まひる キラキラと 氷のかたまりが
集まり 旋回(まは)つて 昇つて 行つた
きれいな 雲だなと 俺達 見てゐた
その十
【抹消】赤い瓦の 漁師村
文化村にも 似てるとさ
プチブル根性の 友達が
すました顔で 云ひました【抹消】
疲れた人を (七、二三)
夜遅くバスに乗つた
ぢいさん(いやな奴だ)が
女車掌に話かけてる
ふん八時間(労働時間か)えらいやろな
女車掌は泣いてると思つた
お互にもつと強くならうと思つた
須磨海水浴場で (七、二三)
日本人といふ民族は
朗らかさのない民族だ
もつともおれの腹工合の故(せゐ)かもしれぬ
その十一
稲田を、暴風雨(あらし)の、前駆が、渡る
さらさらと、靡く、稲の、葉裏の
光沢は、絹糸の、やはらかさ
あヽ 、向ふの、丘に、五加(うこぎ)の、花が、ゆれてる(五、七、二四)
その十二
いであの世界があの青空より近いものとは
何うしても思はれない
それかあらぬか プラトニズムの使徒達は
深い懐疑の淵に陥るか
想ひ出の世界──いであの世界──へと
自らその生を短くしたではないか
雨空から閃く微光(ジンメル)の如く
想起の微光(エリンネルンク)は来るとも [※erinnerung]
俺の乏しい感受性を如何せんだ (五、七、二四)
その十三
俺のポマードは鈴蘭の匂がする (五、七、二四)
増田正元を訪ふ (七、二三)
林の木蔭の空気青ければきみをもわをも体(み)を愛(かな)しがれり
林の中の寝台のきみと話すことなくなりし時谷間のとんび
206【抹消】歌を作らうかとも思ふとのきみの言【抹消】
虹 (七、二五)
夕ぐれの東の空のうすぐろさよく見つむれば虹のこりゐる
やヽにしてうすらあかり東の空にいたる西空の雲うすれたるらし
夕焼の赤き光は小田の水にほのぼのうつり蛙鳴くなり
210夕やけて蝉もなきごゑやめんとす大空の虹うすらみにけり
線路工夫 (七、二五)
汽関車は貨物列車を牽き来り工作場に入れば止まり笛鳴らす
貨車の連りことごとく赤土(つち)をつむ、二十数台の均整の美しさ
汽車とまれば一台に工夫一人づヽ乗りて赤土の山おしくづす
赤土の山おしくづす工夫らのふりあぐるシヤベルの一斉の(揃ふた)光
工夫らは声を出さず一斉に土くづす音の集りは高し
ざくざくとしばし音あり人声なし貨車の赤土は次第になくなる
自分の車の土おろしきつたものは隣の車にうつり又もシヤベルふり上げる
皆土をおろしきつたれば列車から飛下り汽笛鳴らして汽車うごき出す
これで仕事がすんだと東の空の虹見てる手拭で顔ふいてるもある
220線路工夫は大方鮮人の工夫なり東の空の虹見てるなり
四高対横工戰後 (七、二七)
同感出来るとしばしばうなづいてをり戰後の四高生の南下軍の歌
コーチヤーの大学生が皆に挨拶してる何かせずにはゐられないのだ
お前も一緒にと寫眞をとる場にさそはれていやだといふのか首ふつてるコーチヤー
何だか云はれて冗談に撲つてる子供みたいになつてる大学生のコーチヤー
此の人を以て國行、清徳、門野、村山を表す。
南下軍の歌の繰返し既に四回なり僕らそろそろ帰らうとする
勝つてうれし涙を流してる人々はこれから後になにをするであらうか
Was wollen Sie tun? [何が彼女をそうさせたか]
Das gleichen furchten Wir! [我々はその類のことを心配する]
und jetzt noch wandere ich murmelnd[そして私は今もつぶやきながら、さまよう]
“Was mu ich tun [“私は何をしなければならぬか と]
221わかきいのちたへがたくしてこのここになみだながしたるひとをなわすれそ
わかきひの純情の感激よ、まことこの正体の何にてもあれ
はかなかりしかな、はなやかなりしかなと
涙もて ふりかへりみむ日あらめ 子ら。
槐[えんじゅ] (五、七、二八)
槐、花咲いて
思ひきり、幽か
大空の青にまぎれて──
槐、花咲かうとも
過ぎた昔が帰らうか
あはあはとした悔いのこころである
槐、青空の下
花をこぼす、そこはかとなき
小さな花の雨である
寧樂の都 (五、七、二九)
寧樂の都は青丹よし
伽藍の隙を乙女達が
裳を引いて遊びたはむれた時代(とき)
そして又 地方では
純朴な田舎乙女が地方官の
貴族の子息(むすこ)達に従順な
愛を捧げた時代
地方の青年達は
稟々しい軍服を喜んで 防人になつて行つた時代
かく思ふは現実主義者ではある (不然乎[しからずや]、湯原冬美)※
浪漫化(ろまんていーれん)の裳は霞の如く
この都を包み、貴族達の飾りとはなつたが
土民達には貴族との障壁でしかあり得ない
少数の浪漫貴人はこの壁を透して
賎しい者の生活を眺め
気まぐれな同情を送り、或は
詩歌の題材としてそれが彼等への
蔑視であることをも知らなかつた
同情は常により偉きもの、より幸(であると思はれる)な者より、
劣つた、不幸な人達へ流れる
併しともかく上下共に幸福の限りであつた時代
み民われの歌は彼等の本音である(不然乎、湯原冬美)※※
冬美の答へ
防人に立ちし朝けの金門出に手放れ惜しみ泣きし児らはも。
玉虫の厨子のまへで、一つの羽根をむしりとるため体を殺された虫どもに暗然と奈良文化の象徴を見たといつた人がありました。(奴隷と 農奴の搾取の上にたつた文化!)
けれども喜んで徴兵にとられているようです。やつぱり勇ましい祝福の短歌を人々は彼らに送ります。
名古屋市は九十万とかいくらかで、いとも盛大な人口百万突破の祝宴をやりました。之は記録にのつてゐると思ふ。無産党の反対は一蹴さ れました。九十何万の實数はあとでわかつたのですよ。※
今でもその時代が幸福だつたと思つてゐられますか? ※※
帝陵の歌 (五、七、三十)
一、あヽ われ生命若ければ ここ帝陵の若草に
純情(こころ)をせめて嘆くなり わが青春の跫音の
丘の彼方に消え行くを
二、丘にまろびて仰ぎ見る かの蒼穹の星辰や
銀河連り流るとも 不動の相(すがた)ここに見む
理想(のぞみ)の途やここに見む
三、橄欖[かんらん]茂り深くとも 熟睡[うまゐ]いつまでつヾくべき
同朋[とも]よ覚醒めよ卿[きみ]や看む 地平よとほくこの丘に
希望の光来れるを
四、眞理は遠く道長し 心鬱(むす)ぼれ夕暮は
丘の息吹に嘆くとも 朝の鐘の鳴る毎に
起ちて進まん新しく
夏の雨籠 (五、八、一)
227雨止みをまちて鳴き出る庭の蝉そこの木の葉はまだ滴するに
黒犬の散歩 (五、八、三)
日々の務として我が家の黒犬の鎖ひきて散歩せしむるなり。
神の使 降りたまふにやあらむ西空の雲のいろどりいはむかたなし
イスラエルにみ栄あれともろ人のさわぎしときに立ちし雲のいろ
眞球貝の持てる光沢(いろつや)にさも似たりパライゾ[天国]雲(うん)とぞいふにやあらむ
夕ぐれを大き黒犬ひき行かしむあな巨犬と人は云ふなる
ゆふぐれの古街道のみちのくま犬とわれとはおしだまりたつ
道の辺のぽぷらのしげみ雨空をそがひにしたれまつくろのいろ
向ふの変電所にともる電燈(ひ)の数は夛けどてらさるる人なしに
ゆふされば野も果てしなくひろがりぬとほ村の灯をもだみつめゐる
とほ村に人は焼かれて煙(けむ)となる寺の鐘鳴らむきこえ来ぬかも
ゆふさればいこまの山にともる灯は高みよりくるすヾしさもてり
黒犬にうすくら道をひかれ来て口笛吹けば誰か来るなり
メフィストフェレスわれにかあらむ村はずれ墓地にさみしく雨ふりいづる
墓地近く犬は大便すなりけり なは[縄]もち待ちてすべなしおもふ
犬に牽かれ田圃畦道走り来て 犬をかわゆしとおもふ心出づ
この犬は何の能なく弱き犬 見つめてあれば誰ぞこのこれは
すべなきはかはたれどきの黒犬の綱ひく力姿見えねば
ひたひたと草履音して田んぼ道 来る人のかほなかなか見えぬ
×
朝涼は大寺の堀に咲き満てる白蓮花の上に風渡るかな
お盆の日近くしなれば祖(おほ)母とみ寺に参り蓮葉もらひ来
蓮(はちす)ばのもてる寺臭さ帰るさの電車の中に感じゐたりき
248おほ寺のみほりの蓮(はちす)花はちす 逝きし人どもかへりこむかも
×
塚口克己君の百日祭 椎寺町鳳林寺であり。
三露久一郎君、阿部成男君、山田鷹夫君らが来てゐた。式後、阿部君の挨拶、主治医の病状報告、お父さんの話あり。(五、八、四)
思ふまヽに生けりしきみとふおもふまヽに生きても生けるよの中なりしか
おもふまヽ生きしきみゆえかたはらにゐてはあるとききみを悪[にく]みき
おほろかのかなしみとなおもひつぎつぎに 知れる人逝くはさびしさのきはみ
×高石へ海水浴にゆき村田幸君、浅井君、神志那君、船富アサ君等に会ふ。夕方浜寺の叔父の許へ遊びにゆく。浅井君のねえさんもう子供が二人
もある。浅井君の家族こそ最も■[幸?]なものであらう。
小さかりしわれを知る人のふるきこといひ出る口は老いにけるかも
×帰りに麦わら帽を買ふ
これをきてわが歩くとき(モーリス)シユバリエに似たりときみよおだてる勿れ
254かんかん帽はシユバリエ好みパリジエンの一人となるが如きここちす
火の見半鐘 (五、八、五) 今里火事
半鐘がきこゆるといふに話声にはか[遽か]にやみてみなきく[聴く]らしも
たちまちに邑[むら]はさはがしくなりにけり犬吠え出づも方々の家に
257妹らは火事時の用意話しゐる女(メ)の気弱をきヽながされず
死の南極、ボージエストを観る (五、八、七)
氷日に光つて何もない陸、空に雲昇る
何もない陸の果の海、生物ゐる 群れにむれて
夏には禾本[かほん]生ゆるところあり ここに鳥巣食ふ
氷少しとけてフイヨルドに捕鯨船游ぶ
澄む空に光る銀の峯、外に見る人なし
氷の上踏む靴音 夏である故郷を懐ふ
夜、南極十字星、風吼り[たけり]氷山の荒ぶ音
ペンギン群れてゐる眼下の砂原、話しかけようとて返事するものでなし
ペンギンも親あつて子を育てる ここは南の果 地の盡きるところ
海辺にねころぶ海象の子や まろまろと
ふかぶかとねむりふかき海象たち ハレムの主はいづこに
ここから故郷は見えぬ 海のはて雲が立つぞ白雲が
ゆふ方海荒れて来る 捕つた鯨の腹にあたる波
鯨の皮はいで忙し 脂肪の塊の白さ
鯨を追ふ船のエンヂン休まず 砲手舷(てすり)によつて煙草のむ
ゆふ方氷山行手にゐる くれのこる日のいろその頂に
[以上『死の南極 ロアロア:1929年
(独)』]
×
沙漠のまん中に塞[とりで]一つ これは又何といふむごさ
死骸ばかりの塞に陽がつれなや、沙漠の風、壁に
ここに死んだ人、幾人、腐れはてようとも人は来ず
沙漠を一人でとぼとぼゆく人の気の強さ
赤い夕日、あしたの来るまで夜の砂原を守るものなし
ぱつと火が立つたぞ、塞がもえるぞ勇士達の骸[むくろ]が
皆な死にはてた塞は大洋の幽霊船、いつまでも黙つて立つてる
砂の山のなみ涯なくはてなく、この旅のさびしさ、里のこひしさ
らくだ死んで横[よこたわ]る、大きな体のかげ土に黒く
らくだの骸 遠くからも見える、ふりかへりふりかへり
[以上『ボー・ジェスト:1927年
(米)』]
×
かやつり草ほのかに匂つて赤とんぼ飛んでくる (五、八、八)
夕ぐれ 声なき犬をつれてる寂しさ かやつり草を引抜く
蓮の白花は
とほくから見えて
夕ぐもだんだんに押しせまる
夕雲の端にまだのこる光
大空高きさむさを思ふ
×
刈られた楠の梢を見上げて
秋をおもつてる
村中にのうぜんかづら垂れる塀あつて
既に秋である
×
楠の小枝
伐りおとされて
楠の匂ひである
EPILOG
偶々買つて見た井泉水句集が、
韻律に対する最後のHINTとなつて眼を開けてくれた。
今までの三十一文字型内に於る苦しき努力も、考へて見れば将来ためにはむなしきものではなかつた。
これからは勇敢にフレツシユな歌を作つてゆけるであらう。
ここで僕の夜行雲第三巻を終るのがほんとうであるが、紙の都合上もう少し書きつヾけるかもしれない。
× × ×
[※以下6ページ分は第4巻冒頭に写されているので省略。]
(第3巻終り)
「夜光雲」第四巻
昭和5年8月8日 〜 昭和5年12月25日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き 表紙欠(100ページ)
密 奏 君 王 知 入 月 [君王に密奏して入月を知らしむ]
喚 人 相 伴 洗 裙 裾 [人を喚び相ひ伴ひて裙裾[じゅばん]を洗はしむ/ 王建・宮廷詩より]
湯原冬美之為尓[保田與重郎の為に] 嶺丘耿太郎 書
湯原にかいた歌
A 夕ぐれ (五、八、八)
一
夕ぐれ
声なき犬をつれてるさみしさ
かやつり草をひきぬく
二
草の匂ほのかにして
赤とんぼ
とんで来るのが わかる
三
遠くに見える 蓮の花よ
夕ぐれ雲
だんだんに押しせまる
四
夕雲のはしに
まだのこる光り
大空高き寒さを思ふ
五
刈られた楠の梢は秋である
見上げてる
六
村中(むらなか)にのうぜんかづら咲く塀あつて
既に秋である
七
刈りおとされた楠の小枝は
楠の匂、嗅いでる
B 南極を (五、八、七)
一
氷山游ぶさみしい海に
群れ群れて生物
ハレムを作る
二
夏には氷とけて
そこに禾本[かほん]生ひ 鳥巣食ふ磯
三
南極十字星
これは捕鯨船のエンヂン高きよるである
四
夕方
海
荒れてくる
捕つて来た鯨の腹にあたる波
C ある夜 (五、八、八)
一
月 梧桐にかかつて
西瓜喰つてるぼくは
いつかのよるをくりかへしてると思つた
二
槐[えんじゅ]ほろほろとちるよるは
屋根を歩く白猫の
跫音のさぶしよ
その日その日
A 夜店 (五、八、七)
一すみに赤い鳳仙花の夜店の植木屋
×
まはりどうろうまはつて夏休み半ばすぎたよる
×
つめ将棋は大人の童心
またもむざむざとつめ得ず
B 日曜 (五、八、九)
槐おほかた散つた空の
雲の高さだ、雷するは
×
遠雷ひびくひるは
庭の樹に蝉来る
×
日えう[曜]、父、弟たちをつれて山のぼり
雷の音する留守居
C 西川と夜麻雀をする (五、八、一○)
月夜のりやんりやんと鉦叩いて
お嫗(バア)らゐる家のぞいてとほる
×
月の暈(カサ)ある夜
電柱けぶる 原の向ふに
シグナル灯(ツ)いてる
×
ちりりちりりと月の虫
とほのいてゆくさびしさよ、みち
×
夜更けの電車、客少くて
透き見える、尾燈のこる
×
月に吼える犬がかなしも
家の中では目覚めてるかな
×
すんなりと伸びてる杉の梢に
月の暈かヽる、風なしとおもふ
×
女の子ばかりの店、店じまひの埃
土間のまつくわ[ママ]に掃いてゐる
×
鳴き出す一匹の犬につヾいて
だんだんと声の遠い犬べうべうと
×
帰れば虫わが庭にも
青蚊帳釣つてねるに
×
犬のゐる気配外にして
夜更けと月は昇るものか
D 本位田君と心ぶら[※心斎橋の散歩] (五、八、一二)
蠣船の女は船艙で化粧すませば
とんとんと梯子を昇ります
「もとの方がいいな(冬美)」
×
ネオンサインと金魚の鱗光
匂りのこない果物の飾窓に顔をおしつけ
×
おとがいのやせもさびしく
やがて、──ええい やがておれの青春も消えるのか
E 高石町 (八、一三)
僕らむかし描いた洋館を
今、小学生が寫生してる
×
寫生してる小学生のまはりに
子供あつまつてるひるすぎだ
×
洋館のペンキははげ 木も茂つた
あヽ ともだちと来た噴水もこはれたらうか
×
小学生でわかれた友の
はじめてきく大人のこゑ(阿部武雄君)
×
さるすべりの咲くころに
このふるさとを訪ねたことを喜んでる
×
幼年(キントハイト)埋(うも)れてる草原を
食つちまひたい
×
あヽこの並木路を
ぼくの幼年はかけまはり
して 幾度ころんだことか
×
家々の桔梗はしぼみ、これから秋が深くなるのです
ぼくの心もおちつけよ
F 海と墓と (八、一四)
花のない晝顔の道の果は海である
×
むかしの臭ひのする聖靈会(エ)
こよひ墓地に集る群のつヽましさ
×
はまごう咲いた砂山くずれて
胸に虚(うつ)ろがある
夕ぐれ(その二) (五、八、一六)
×
野の果のガスタンクけむつて
そのデツキにてるうすら光(ビ)よ
×
大鴉、飛び低く、田圃におりて
空車ひく馬のゆく夕ぐれ
×
送電柱の高さを見上げる
ぼくと犬
向ふで小便するおやぢがある
×
隠元[いんげん]畑まで来れば小便する親父
紫のはな
古川堤街道(八、一七)
寢屋川球場へ一高三高戰を見に行く
楡の木蔭ふかく
水淀むところ
子供ら泳いで 看(ミ)てる女の洋傘
×
土手のすヽきのきれめ毎に
子供らの水浴み場がある
×
夾竹桃の根本まで水が来て
紅い花のかげに百姓家
×
青田のつヾき遠からずして
森
みんな聚落(ムラ)である
×
木蔭を出れば又炎天のみち
とほく小く自轉車の子
×
ひるの市場の土間に西瓜ころがり
子供はあそび大人はひるねする
×
夕方青い河原に牛ゐて
山のかげいよいよ青し
×
丘のむかふの山脈は濃い青色になつて
太鼓のおとまだ胸になつてる
鳳仙花 (五、八、一五)
鳳仙花はぜる夕ぐれは
みつめると 太鼓のおとがする
宇陀野のすヽき (五、八、一八)
きみが時々ぼくにひらめかしてゐた細いするどいつめたさにも、君の心のなげきを見た──丸三郎のことば
大和のくに宇陀の大野に
冬来ればひろらの野面
そよぐはこれ芒(ススキ)の枯穗
冬日うすけれど霜をとかし
芒葉の光り何ぞ鋭き
旅人のまなこに冴むは遠山
──そはおきつもの 名張の山──の
雲のいろ またこのすヽきの光り
しみじみとさみしければ
夕ならずして旅宿り
西に入る日を眺むれば
思郷の心耐へがたしとふ
星座 (五、八、一九)
能勢と今津の海岸で西瓜を食ひながらのはなし
磯 南ニ向ツテ立テバ
銀ノ河(アマノガハ) 海ニ入ルトコロ曇ツテル
×
漁船ノ灯、沖ニ一ツアツテ
赤ク星ヨリモハカナシ
×
アレガ蝎座、威勢ヨク巻イタ尾ヲ見ロヨ
毒ノ針ハアノヘンダ
×
蝎ノ心臓ノアンタレス、眞紅ダラウ
恋ノ星ノ感ジガスルネ
×
海豚座、小ツチヤナ星座ダガ
死ンダ友ハヨブ[※ヨブ:聖書]ノ柩ダト愛シテヰタ
×
人魂ノイロノ淡イ星達
ムカシノ熱心ニオ前ラヲ愛シタ心ヲオモツテル
×
白鳥座ハ天ノ川ニカケタ橋ダ
今ニモ飛ビサウニモ見エルダロ
×
彦星(ヒコボシ)織女(オリヒメ)トミンナ昔ノ人達ダ
ソンナ時代ハモウ過ギタサウダガ
×
W字形ノカシオペイア、北極星ヲ中ニシテ
北斗七星ト天秤ニナツテルノダ
×
ネエ、ゴラン、アノ蛇遣ヒト蛇座ヲ
暑イ夏ノ夜ノ感ジソノママダロウ
×
射手(ケンタウラス)ノ弓ノ上ニガンバツテルノハ
木星ダラウカ、土星ダラウカ
×
射手ノ足ノアタリデ アマノ川ハ消エル
今夜ハ曇ツテ紀州ノ山モ見エナイ
×
アノ天ノ川ヲネ、望遠鏡デ見ルト
誰ダツテ ビツクリスルゼ、人間ヲ小ク思ヒダスヨ
×
アレガ皆星ナノダ、雲ノヤウニモ見エルガ
何ダカ宇宙ノ大[キ]サガボンヤリワカツテ来ル
×
摩耶ノケーブルノ灯 苦楽園ノ灯
アレラモ星座ダネ
×
雲ガウツスラ出テ来タ
神戸ノ港ニ明日ハ行カウ
×
僕ハ自分ノ感傷ガ天ニ上ツテ
星ニナルコトヲ望ンデル
×
増田正元 神戸ノ港 (五、八、二○)
ラヂオの野球放送聞いてる患者達
楠林の木蔭の青さに
×
日向にゐてきみを青いと思つた
鉢伏山の急斜の見える花園
×
僕たちの笑ひ声が患者らを焦たせないかしらん
×
君もトニオ・クレーゲルをよんだといふ
トニオをやはり自分と思つたヾらうか
×
夕方病院を出て自由な気持ちになる
坂をかけ出す
×
静かな海にクロールで入つてゆく
いつになつたらきみと遊べよう
×
何とはしらぬあこがれにこの波止場へきた
この外國船の名、タルマ、を忘れまいと思つてる
×
舷側から水が落ちてる
人のこゑが上でする、外國船
×
港をめぐる灯、沖の方には少い
灯をうごかしてランチ[はしけ]が来る
×
ランチの心音だんだん高く
この突堤に来て曲がる
×
黙つて魚を釣つてる人
暗い海は魚で一杯になつてる
×
(われとわがなるなみだにぬれて)
あヽわれいつの日か魚(いさな)となりて
蒼海の底 日の目なきところに
蒼白のかばねよこたへまし
わが情(こころ)とこしへにとどまりてあらむところと
×
きみを思へば洋(わだつみ)のも中に立てる
燈台のさみしきこころたへがたし
波よせ、鴎来るとも永久の契のかたきかな
明日は他(よそ)なる仇しごころ
されどそれさへなからむに何をいのちとながらへむ
×
月よの海には魚、波の上に漂(うか)び
吐息つきてこゑなき歌をうたふ
さればやみの夜は底に沈みて
昨夜(きそのよ)の歌のほころびつくらふかも
×
船動き出(いで)なば 鴎とび立ちて
テープは切れむ
まややまのケーブルののぼり下りも
やがては見えじ
白きビルデイングも小くなりて 神戸のみなと
今ははなれむ
そこおもへば旅ごころ おこりて止まず
旅立ちの日よ いつか来らむ
八月廿三日 夜、本位田君ト阪急ニ会ス。吉延君、蛇口君、谷村君ニ会フ。今津ニユク。
星座連頌(その一)旗魚座
忘却の海に夕ぐれ白き波頭立ち
海の魚一つ一つとび立ちて
南の旗魚(ドラコ)星座となる
【抹消】仄かな想ひ出の麗人のおもかげと
涙流す子に砕けて散るは
磯浪の間の夜光虫よ【抹消】
夜と共に磯波の間の
夜光虫数を増し
運命の星蝕まれて
行くはかなさや
今夜はふかく、磯に風おちて
三角帆の船、静かに港に入る
──人のゐぬ、灯(あかり)なき孤独の舟よ
ともづなはひとりでに下りて
椰子の根にからみつき
船虫船底より這ひ出る音のかそけさ
あヽ星穹も廻轉をゆるめよこの一時を
(23th August)
星座連頌(その二)射手座(サギタリウス)
はてしなき一すぢの道さびしくて行けば
いつかわれぴたごらす教團の一人となりて
天空の音楽を聴かんとのあこがれおこる
かヽるとき空の一すみに雲立ちて
たちまちにして空をおほふすさまじさ
胸も暗く道もくらし この並木路を
やヽにして雲晴れむとき 先づ目に入るは
光黄いろき土星やどれる射手座(サギタリウス)の
衆星の聖なる×いろ、凡人のあきらめに
恍惚と視覚を働かさしむ
(23th August)
星座連頌(その三)龍座(ドラゴン)
北山の松の木の間よ 雲は起りて
稲光り、雨はいまふり来る
おヽ 、龍星座、いづこにかあらめ
(23th August)
星座連頌(その四)銀河
秋立てばぽぷらの梢ゆれ しるく風わたり
天の川みんなみに流るるもさやけし
七夕の笹 巷に朽ちて古き人の恋
そぞろにかなしとおもふ
こよひ星のいろ 殊に織女光を増し
牽牛 河を渡らむの望あり
かの項[うなじ]長き白鳥 翼光りて伸びたり
わが胸の中か 空か 長く鳴きて
飛びゆくものあり、銀河をおほふこと黒し
星座連頌(その五)蝎座
虔(つヽ)しみて南なるかの赤き星神に願ひ奉る
おんみがつヽましき子、かずならぬわたくしめ
このごろの空の美しさに かの好き心おこりてはなれまをさぬ
まことにおそれ夛きことながら わたくしめ
ひとりの乙女にこひこがれてござりまする
かのくろきひとみとしろきうなじは よごと よごとの
ゆめにかよひきて い[寝]もえさせまをさぬ
わたくしめ浜にいでまをしておんみに祈り申することすでに
いくにち、このこころひとひも離れ申さず、あまつさへ
まこと申すもおそれおほきことながら おんみが巻尾の
一列なるがごとき眞珠の頸かざりすら かの乙女のために
熱望いたす、よるはよる、ひるはまたわたる秋風に安き
こころもあり申さぬ、きぬずれのおとさやさやとしてにほひよきかみ
のひとくるかと思へば、はや 遠くの木にある風の奴めら
わたくしめが憎しみの的にてございまするせめてよなりともいねさし
めたまへ、忘れさせたまへ、まつた、たつてのことにはかの乙女わ
がものにせさせたまへとおろかもの、わたくしめ、いのちかけておろがみまつる (23th August)
雜 (五、八、二十四) 八月廿四日 無為
遠い磯の海水浴場に
波寄る見える午後
×
夕ぐれて船 港を出て行き
防波堤に砕ける浪のしぶき
×
無花果に日くれて
家蔭に女の行水ある
×
砂浜のかはらよもぎに
ばつた飛んで子供追はんとする
止(ト)める
×
病院の塔にあかりつき
じつと見つめて時の過ぎるのも
×
泥臭い洫[みぞ]川に硫酸積んだ
舟の底がつかへてる
(五、八、二十五)
電燈點(つ)くころ
白さるすべりの遠目
×
山の頂に雲おそひ来て
裾の苦楽園の灯二つ三つ
× ×
未練唱
浜も名残と来て見れば
磯にや人影ちらほらと
あの子のかげは見えもせで
沖の煙もさぶしやの
× × ×
× × ×
工場にモーターの廻轉の音
大煙突をめぐる鳶がゐる
×
建物と建物の作る陰影(カゲ)
職工ら見えぬ工場の運轉のおと
×
六甲山の峰々くつきりと
風を索(モト)めて物干台に登る
×
夕方煙を吐く煙突ある
工場のだんまり
× ×
此の砂浜に残るもの何もなくて
あヽ此の夏もゆくか
未練に泳ぐ人々の肌も吹くかや
秋の風は空の藍より来りて
さうさうと遠くの山脈に衝(アタ)りに
行つてしまふ (25th August)
星座連頌(その六)蛇遣座及蛇座
大いなる安牟羅[マンゴー]樹のもと
夜深きに焚火もやして
人集まる、と見れば央[なか]に蛇遣ひ
笛の音はひいやら、ひよろと
哀なる蛇ぞ 踊れる楽につれて
集れる群の中「怖(こわ)し」と叫ぶ童あり
蛇が眼は今そこに向へる
二叉の舌にうつれる焚火のいろ
しみじみと赤しと思ふに楽の音止みて
安牟羅果ほたりと蛇の上に落ちぬる
(27th August)
【抹消】 星座連頌(その七)かしおぺいあ座
かしおぺいあ姫の椅子こそ
珍しきものの様なれ
酒女賭博(ヴァインヴァイプ ヴェッテン[Wein weib wetten])の三つの悪業
浄き王女のみ椅子はえぞ相応はしからず
怒(ヴート[wut])、悲しみ(ヴェー[weh])、喜び(ヴォンネ[wonne])の感情の表はれは【抹消】
朝の月見草 (五、八、三○)
凋んだ月見草に朝雨の露ある浜へ行く道
×
曇り波の上を帆並べて来る
船の帆の濁りいろ
×
うねり波来る海に泳いで
沖のあらしを思ふ
×
顔を水につけて、うねりに
乗つて岸へ泳いで来る
×
溝へおちかけてるトラツクを
囲んで皆見てゐる
×
廃園のるこうさうの朱花(アカバナ)
蔓を引いて切つて来る
或る母と子と (五、九、一)
稼ぎに行く父より遅く起きることこのごろの母の責め言葉となれる
病み伏して神経の尖りいよヽ増せる母のことばは聞くに耐へえず
怠け者のわれのなまけをいふ母の言ににくしみこもれるとおもふ
愛情の何たるかを知らずひたすらに子どもを責むる母のつれなさ
怠け者のひたすらつとめなせること更に責められておこる反抗の心
階級暴露の歌はあれども愛情暴露の歌なきこといぶかしがるも
何もかも楽しくはあらず此のいく年母と子どものたヽかひなりしおもへば
事毎にひがむ母をば眞実の母にあらざる奴と子らもひがむ
朝に出て夕にかへる父上の事の様しらずたヾに子を責む
ある時は家をも出んと思ひしか今は只耐へてすぎむとぞ思ふ
妹の乙女らしからぬねじけ心つくづく見れば母をにくみぬ
われが身のねじけ心もかくしがたしあるはみをせめ或は母をせむ
母の叱責もだ[黙]たええずて妹の論(アゲツラ)ふこゑはわれを病ましむ99
松の葉 (五、九、二)
松の葉は松のにほひす かへではいかに。
おさなごのおさなごころや とまとの實。
いちじくの葉かげになりて 秋づきぬ。
せみ死にて 残暑のひかり さすところ。
きりぎりす おもふもあつし 夏の旅。
海のおと うみをはなれてきくこころ。
山すその 傾斜(なだれ)きはまり 波ぎさ[渚]なる。
頂は 朝をさむしと下山(くだ)るひと。
小流に 水涸れて魚ゐざりけり。
桑つみて秋蠶飼ふらし山ふもと。
桔梗の二番咲きなる秋の空。
夕鴉寺の松にゐて啼かずけり。
遠島へ汽船消え行き海のおと。
雷雲もいまは動かず 山のそら。
室生寺 湯原冬美
しやくなんに虻とんでくるひる下り
秋近き心ひかるる佛たち
水まして白魚うごけり山しみづ(仏隆寺)
×
おさげゆふかみのたばねになつかしみ
×
みじかよの泪、はなしのままにして
暑さ去らず
ゆふづヽ[夕星]をまろびつヽ見る暑さかな
消炭にのみの子とまるあつさかな
芭蕉雜爼[大高校友会誌所載]をかいて
短夜や笹の葉ききつ明かしけり
[小・わ]なん[ば・ぼ]とんぼとれヽばとつて見ろ
はげとうにあからとんぼはとまらんか
こほろぎ (五、九、三)
こほろぎこもつて鳴いてる落葉の堆(ヤマ)を焚火する
ある唱と和 (五、九、三)
唱 むさし野の宿の湯に入り貸し浴衣旅のうれしさ胸にこみあぐ
虫すだく庭のしげみのかなたより静かにもるヽ三味のうれしさ
とり島も唐津の海にゆめむすび吾を送りし舟もかへりぬ
和 三味の絲 いまきれむときいなびかり
借り衣の のりのにほひぞなつかしき
ゆふぐれは なみをこはがる旅ね哉
唱 島一つ又一つ出る瀬戸の海
櫻葉のはやいろづけり夏のくれ
初盆や 燈籠ながし夜の川
和 浪くれて陸(オカ)のきれめや星ひとつ
けいとうは虫にくはれて夏のくれ
燈籠の川の上なるひとひかり
秋の素描
斜陽 (五、九、五)
壁にさす光のかたむきに
虫が鳴いてる
×
隠元畑の下に芋の畝
風にゆれる芋の葉、青さ
日は傾いて──
東空に月、大きく、うすく
高架の汽罐車のけむり
× ×
山 (五、九、六)
山の襞のふかさいちじるしく
みどりに見えるではないか、とほくの山が
×
墓石夛く並ぶ墓地に
光を射し乍ら日は傾くも
×
裸の男、泳ぐが冷いと思はせる
秋の川、川上の山のいろ
×
遠くはなれた友もなつかしや
休暇あけの秋のここち
×
草ののびた休暇あけの日のグランド
三三伍伍の生徒のかたまり
×
夏のまの熱情はどこへ行つたか
ほそい風の脚がとほる街よ
×
夜、芝居小屋の旗、風にあふられて
空のくらさよ、星がある
×
人々は足を早めてあるくも
秋のかぜ、緑のネオンサインがある
×
早くもぼくは
柿の実る法隆寺への道を思はされた
中高安村服部川千塚 (五、九、七)
鷄頭と日々草の花畑
居らぬとんぼの飛ぶ様も見えて
×
片岡の塚平均(なら)されて蜜柑畑
青みかんみのり日あたりの──
×
塚の開口の前にゐて
四辺に人ゐぬをさびしがつた
×
墓穴の蓋(フタ)石の上に立てば
風通しよく煙草のけむりなびくよ
×
口を開いた塚これで五つである
奥にころがつてる小石をしみじみ見た
×
蜜柑のあひまに槙の木
實つて赤と紫、ポケツトにいくらもつめこむ童心
×
線路を造る工事大分すヽみ
とろつこを押す鮮人を叱つて人間来る
×
日かげの小きみちに
玉虫色の布織つてる田舎の女(ヒト)
×
蜜柑樹の傾斜にころがつてる大石は
廃れたものヽ匂ひがする
×
塚の上半だけ開拓(ひら)かれず
雜木茂つてるもある
×
塚どころへ行くみちの萩の
蕾固く虫が鳴いてる
×
誰かに言葉でもかけられやうなら
泣き出しさうな心地で石ころみちのぼつてる
×
水の匂するとおもふと
堤の上は池であつた
×
汚い池ぶちでものあらふ女(ヒト)
道をそこへ行くとき上つて来た
×
道は石ころみちで、石ころの
丸くなつた角が無情に光る
柏原附近石川河原(五、九、七)
葡萄畑の間のみちをゆくうちに
日はかたむいて了つた
×
葡萄園もゆうぐれて
人々は帰るらし
×
川上の二上山の山隈
静もりふかく夕方が来た
×
川波のはねかへす夕日のひかり
すべなくあかく川下に女がゐる
×
ここに情(こころ)いきどほろしく
石を投げては投げてゐる
×
川堤のポプラが赤く染まつたひととき
恋心かくし能はずなつた
×
金剛山、葛城山、また紀伊見峠と
──わたしは抑へきれない熱情(パトス)をもつ
×
広い河原をうねつて川の流れてゆくところ
堤に牛がゐる
×
川原の白い石にまぎれて
かはせみがゐる
×
川原のよもぎなつかしく
蔭にすわつて煙草をのんだ
×
鮎釣る人が私の坐つてる前で
一尾つり上げた
×
あヽ、あの紫色の鉱物には
誘惑の觸手がある
×
河上の流のひかり
かちわたる人のならんで みだす
×
千塚補遺
金色の花の畑 遠くかヾやいて
さびしいひとりの道である
×
夾竹桃咲く塀をぬけると
稲田広く、野を遥に水色の山
×
だんだん畑の畦高く
白い犬来て眺めてゐる
×
塚の奥室にこもる“気”をおもひ──
開口に生ひ下る葛の蔓のきみわるさ
残暑(五、九、十一)
秋づくと名のみの残暑に
鳴く虫のこゑ
×
埃肌にべとつく暑さの中を
バスにのつて帰つて来る
×
雲の名を覚えむ心起れり
夕づく日 えん側に暑く
畑の雲(五、九、十二)
秋づくや茄子すがれし畑の雲
秋立つといへども島の小さよ
負ふた子をおどして通る馬の側(ワキ)
Goethe Italienische Reise[ゲーテ イタリア紀行](その一)(五、九、十二)
秋立つや南に下る旅のきり
ふるさとに似たる河辺の街の鐘 (Rogensburg)
行先の空を眺めて旅やどり (München)
九月の朝(五、九、十二夜)
あヽ縷紅草の朱(アケ)の花に露染み
桔槹(ハネツルベ)の音きしるあしたは
口笛も輕く吹きなして川辺を行けば
学校へ行く楽しみ油然と胸にあるよ
女の児の水兵服もまつ白に
ふつさりとしたお下げの髪のやはらかさ──
子供の秘かな恋心せむすべ知らず
犬を苛(イジ)めんの心もちて校門をくぐる
高石小学校同窓生に贈る
伊太利亜紀行(その二、五、九、十三)
山人の祭りを着飾るあはれさよ(Brenner in Tirol) [チロルの峠]
國境峠(ザカヒ)となりて朝明くる
イタリアへ車入らむとす下りなる
石灰岩山姿けはしきはざまみち
月かげも洩れぬ木蔭や水車小屋(Von Brenner bis Trient) [ブレンネルからトリエントまで]
月けぶるよるの音なる水車かな
果実賣る婦(ヲンナ)来るあたり葡萄山
見かへればすぎし峽におこる雲
今私ははじめて伊太利語ばかりはなす御者を傭つた。宿屋の亭主も独乙語を話さない。だから私は話す術を弁へねばならぬ。これから愛する國
語が生きて使用語となることを私はどんなに喜んだことだらう。 (Roveredoにて)
橄欖[オリーブ]と無花果を見入る伊太利亜に(GARDA湖)
岩崩(なだれ)のぼりて見るや秋の湖(うみ)
湖岸に遠く町あり光る屋根
夕ぐれや街のぞめきに旅ごころ(VERONA)
アヴェマリアの鐘ならむとき時雨来る
葡萄潰す桶積む車急ぐみち(VICENZA)
朝露や葡萄畑の鋏のおと
南面(おもて)となりて葡萄のみのり深し
葡萄山つヾくあたりや馬車に眠る(PADUA)
果樹園の中に村あり寺の塔
見返へれば越え来し山や雪もよひ
ふるさとや雪に埋れむ山の彼方(をち)
行先に尖塔見え初めヴェニスなる(VENEDIGへ)
南に見えざりし山見え来たる
私のこれらの句はゲーテ自身の見聞では決して無い筈。
私のよみながし式の通讀は、決してそれのみでは句にも何にも変じはしない故に。ゲーテには叱られることヽ思ふが。
玉田先生(五、九、十六)に遇ふ
生徒われ 気の着かざりし先生にわが名を呼ばれおどろきにけり
小学校六年の頃に似もつかぬと思へるいまの顔見知りたまふ
先生の夏帽のよごれ目にしるく元気も衰へたまへると思ふ
先生に報ゐむ時はまだ遠し壮(わか)かりしひとも老けたまひけり
先生に学校を出でヽまだ会はぬ友を語るもさびしと思ひて
クラス中そろつて此の先生に叱られし日を思ひゐる壮かりし先生
先生のお嬢さんももはや女学校ならむ家を探しに來しとのたまふ
教室の窓から(五、九、十七)
三階の教室にゐて蟲を聽く下の野原に鳴き充てるらし
うつヽなく講義ききゐる味気なさきこえざりし虫聞こえくるかも
雨あとの山のはざまよ雲の片(キレ)ちぎれて空にのぼりやまずも
金剛よ和泉山脈におしうつる平たき雲は山を放(はな)れぬ
紀見峠の向ふの國の紀伊の國 雲ひそみゐて雨ふれるらし
とほつひと[遠つ人]おもひしことをはかなしと他國におこる雲を見てをり
二十の男にあればはかな恋こころひとつにおもひてもあらな
おもひでの夏の名残と夾竹桃ちまた巷にのこるさみしさ
いや日にけに朝のつゆけさまさるなり月草の花咲くころとなる
野球クラスマツチ第一回戦、理二乙に負ける 三A[アルファ]対二(九、十九)
秋空にヒツト飛ばさむとあらかじめ思ひゐたれど三振したり
まつすぐにのびてゆくあたり想ひゐて今三振をして帰り来る
はじめのカーヴ見のがし つり球振り 直球見のがして三振となる
×友眞 突き指
痛み疼く君が手支へゐたるとき郭公時計なりにけらずや
血に塗(あ)へし示指(ひとさしゆび)のさけ目より白き腱見ゆるを一目は見たり
秋の夜、晝、朝(五、九、二○)
垣内(かいと)には虫みち鳴きて夜ふかし楠のこずゑに星かヽりゐき
隣屋の障子明るく灯かげてり人眠るらし夜は更(くだ)ちつヽ
×
厨べのけむりこもらふ垣内の日ざし長しも朝涼にして
学校へ行かう子供の影長しのうぜんかつらに朝つゆはありて
×
つゆ草にいなごつるみてとびつかむ草むら中にかたまりあるも
大空を雲のかたまり流れゆき流れてのちは何もなかりける
×
街の灯は一直線につらなりて市電走るもここより見ゆれ
まつくろの屋根の囲まりつきるところ空に星ありまたヽかざるも
檻中の水鳥どもは眠りに入りベンチ空しく人ひとり座(ゐ)たり
かヽはりのわれにあらめや不景気のこの世なるカフエにジヤズの音さかる
いつの日か破壊(はえ)は来らむ下の市街(まち)のかふえのともしあかヽりにけり
かの子らのわれが他なる男らにとつがむときもわれは泣かざらむ
× × ×
嵐よ来れ
あヽ嵐来らむとき
われ巷に立ちて笛吹かむ
嵐の力かりて
破壊の術(わざ)行はむ
白堊の家もくだかむ
藝術の燈火も消さむ
黒き嵐のすぐる後
一握の残屑(せう)ものこさヾるべし
嵐すぎなば
清き虚しき野に起ちて
口笛吹かむ 新しきもの興れと
ひヾきに応じ そこより ここより
新しき生(いき)物 躍り来り
新しき材 集まり来り
盛り上り 組み合ひ
而して存在あり 即ち正義あり
ここにわれ 又何らかの不遜を怒る
破壊の嵐 起こさむ
破壊の嵐 来らしめむ
われこそは神長津彦
猛き神 いみじき神 男さびすと吼(たけ)る神
とことはに破壊を行ひ
とことはにもの築かしむ
跪けよ 礼拝せよ そこなるけだもの ちりあくたの子
(鬪争に日はくれ 鬪争に身は終るとも 誰か悔いむや)
九月二十一日
午後一時頃大軌堅下[かたしも]駅下車 歩いて立田道を越ゆ
埃みちわがゆきし時匂ふ花 外になければ葛とは知れり
堅上村青谷金山彦神社
溜池の水干上りし土の上に鷄あそべるが向岸に見ゆ
み社のかたへのみちやのぼりゆき葡萄つむ車下り来るかも
堅上村雁夛尾畑金山媛神社
万葉人かよひしみちの立田路 トマト作らむと誰か知れりし
山畑のだんだん畑の上と下 話すを聞けば人死にしこと
山峽の午(ひる)はたけたり死にし人の丈夫なりしこと語りゐるかも
奈良縣生駒郡三郷村立野官幣大社龍田神社
山みちのひとりさびしき曲り角 柿の實れるをぬすみくらひしか
山みちをのぼり下りてたむけ[峠]どこ 目に迫りくる大和國原
果樹畑のあひまのみちのまがりみち ひとひとり行きかへりこぬかも
三山はつばらに見えて低くかりけり吉野の山に雲はひそみゐる
立田山くだりて行けば牛の皮 家毎に乾す村に來りし
牛の皮剥がれ干されてなまなまし家中にして鼻緒となるも
法隆寺
おぼほしくくもれる空か班鳩[いかるが]の寺の広庭に鴉下り来る
あららぎ[塔]の九輪の空はくもりしづみいづこにひそみ啼ける虫かも
金堂の諸佛尊し
古代(いにしへ)の恋ひしきかもよこれのみ佛 おほろかにして怒りたまはず
薬師佛の小鼻ひらきしおん顔のおほどかにしていよよたふとし
釈迦佛の天蓋にゐます天人の笙[しょう]のひヾきは誰か聞きけむ
迦陵頻伽[かりょうびんが]来鳴かむときはいつのとき天人の笙もきこえこぬかも
びんづらに結ひし天人もおはしけりむかしの子供おもほゆるがに
これのみ堂にならびゐませるみ佛らもの云はさぬに涙ながれき
五重塔内の塑像を愛[いつく]しむ
涅槃(ニルワ゛ナ)につどひて泣きし阿羅漢の泣きゐる口は赤かりしかも
虫けものも来りて泣きし涅槃(ねはん)の場 像のなきがほなんとも云へず
釈尊の最後のみ教へ受くる人ともしき[羨しき]ろかもみ手にふれつヽ
いつしんに口を開きて泣くらかん、らかん様の口は忘られなくに
夢殿
法隆寺の勧学院の塀中の柿は未だしあまたみのりつヽ
ひとりをばわれもさぶしと思ひしか女学生徒の遠足の列
夢殿のお寺の庭の奥ふかくまんじゆさげ植えしおぞ人[馬鹿者]やたれ
夢殿の六角堂や何もなしまはりきはめてしか思ひけり
ことさらに歌人[うたびと]さびし門前の芝に坐(ゐ)しかば汽車におくれけり
法隆寺駅へ
堅下の山のくぼみに日はありて大和の稲田にいまだ光あり
ゆうづきてさむき身にしむ次に来む汽車つくまでにまだ半時もある
一汽車をおくれし故に法隆寺の鐘をきヽけりまけおしみにあらじか
飛鳥時代
金堂──薬師如来(銅)、釈迦三尊(銅)、四天王(木)、観音(木)、天人及鳳凰(中ノ間及西ノ間天蓋)(木)、観音(玉虫厨子)(銅)、日
光、月光(木)、観音、勢至(木)、
文珠普賢(木)、二臂如意輪像(銅)、誕生佛(銅)、四天王(木)、釈迦三尊(九昭侍欠)(銅)、小観音像数躯(銅)
夢殿──救世観音(木)
奈良時代 前期
金堂──橘夫人念持佛弥陀三尊(銅)
東院絵殿──夢違観音(銅)
奈良時代 本期
五重塔──塔内塑像(塑)
夢殿──行信僧都(乾漆)
食堂──日光、月光(塑)、四天王(塑)
東院傳法堂──薬師三尊(乾漆)
西円堂──薬師如来(乾漆)、九面観音(木)、薬師三尊(乾漆)、弥陀三尊(銅版押出)、薬師如来(銅)
九月二十四日
此の秋はじめてのいヽ天気。朝起きて吸ふた空気の美しさ。十一時頃家を出て保田君とこへ。
こ
のみちを泣きつヽわれの行きしことわが忘れなば誰か知るらむ [※
初出]
枕辺に柘榴をわりておいてある弟はいま床を出でたり
柘榴×ほじる指の白さよ歯の美(よ)さよ
秋篠寺
秋篠のお寺の門を入りたれば汗かわきしとわれは云ひたり
伎藝天たふとむ心おこりくる高處(ど)におはす首かしげたまひ
五大力明王といふ 忿怒相たけなはにして眼(まなこ)よりたり
あきしのヽお寺の秘佛われは見き くらきみ厨子にゐましけらずや
おん秘佛は忿怒のすがた ものぐらにひかるおん目をあふぎ見にけり
くちなはのまきつけるみ腕ほの見えたりくらからむとまた扉(と)をあけてくれたり
帝釈のおん唇(くち)あかくとほみかど南の島も思ほゆるかも
秘佛 大元帥明王
金堂 伎藝天、五大力明王、大日如来
秘佛堂 梵天、帝釈
功皇后陵より法華寺に
丘合のまがり道べをゆくころに日の沈みゆく山のはを見き
曼珠沙華ここにもあると柿畑の向ふにもあると云ひにけらずや
法華寺
金堂のくらきをのぞき何もなしときみがいひければわれはのぞかず
このみちや陵のまの曲がりみち葉みず花見ず赤かりにけり
海龍王寺
海龍王寺の築地のふるびにゐむかひて尿(しと)しにけるよひと来ぬなれば
海龍王の名をかなしみと来しみてらに何もなければひもじうなれり
不退寺
夕ぐれて稲葉の青さ身にぞ冴む不退寺の屋根は見えてゐるかも
不退寺の御堂修繕に庭せまく白萩咲くをかなしみにけり
平城宮址
奈良にて晩餐、公園を歩く。
九月二十六日、歌会アリ。友眞ニ酬[むく]ユ。
念々に女を念ひゐるなれば女のうたは作らざりけり
をとめ子の世にゐるゆえに山水を美(めぐ)したぬしと思ふにあらずや
九月二十七日、浪高とラグビー、五○−○、大勝。
西原直廉に会ふ
はなれゐてこひゐしともとあひあふは
かたりつヽおもにのぼりくるえみもせんなし
九月二十九日
── ゲーテを想ふ ──
伊太利亜への道は
暗く きりで しめつてゐた
闇の中に 葡萄がみのつてゐたが
とるべくもないものだつた
時々閃光を発して馬車が
すれちがつて行つたとき
道の両側の岩角が
奇怪な相貌を示した
私はとぼとぼ歩み乍ら
あこがれのヴエニス、ローマ、ミランの
崩壊を夢みてゐた
九月三十日 早朝火事あり。長瀬帝キネ撮影所なり。全焼。
星空を見れば午前の二時頃ならしほのほのヽぼるたかさを見たり
おりおんもしりうすも昇りゐたりけりけむりたなびく空の片すみ(かたへ)に
南に赤きほのほのなびく方へ暗き小路をひたかけにけり
前をゆくひとの走るに走りたりいきぐるしくなればその人も歩みぬ
赤き火の天に冲(のぼる)を見たるときわれが野性の血は湧きにけり
さわがしき村の一かたまりの黒屋根の向ふゆのぼる火に走りたり
なみださへわきにけるかも大空に赤き煙の立ちのぼる見れば
あなやと思ふに黒煙窓よ[り]吹き出しぬこの棟にも早や火は廻りしか
何もなきと思ふ棟さへ室内は赤きほのほのひたくるふ[狂う]とふ
破壊のひヾき来るをしかと感じ赤き炎を見てゐたりけり
大空に高き煙をうちめぐり鳩の番[つがい]はおどろきとべり
鳥じもの夜目や利[き]かむかこのほのほ そらに明るくはえて止まざれば
火の勢もやヽおちつきぬと思ふとき消火ホースの水はあがれり
もゆるもの何もなくなりて火はゆるみぬ泣きつヽ女優(をんな)帰りけるかも
半焼の棟におしかける水の音消し止めばとて何かあらぬに
増田正元其他(九、三○)
僕の利己主義はつひにきはまり、それより、何等利益の分配を受けざる人間をば本能的に友として嫌はしく思ふまでになつた。僕はこのこと
を此のガラスのやうに厚みのある秋の空の下に感じ何とも知れぬ涙をとヾめることが出来なかつた。そのうた。
一、病室
壁ニ這フ蔦ノ紅キヲ愛デヰツツソコハカトナキ時ヲ過シツ
散髪(カミヲキ)ルキミノ首筋ホソリシト退屈シツツ見テヰタリケリ
病人ノキミガ一心ニハナシカケルコトノツマラナサヲトモカクモコタヘキ
純情ト思ヒヰタリシワガ心今ハワカリキ何カ語ラム
玻璃窓ヲ開ケバ寒キ北ノ窓死ニシ森ヲバ思ヒ出シキ [※森博元]
玻璃窓ノ外ニ見エヰル秋ノ空ガラスノ如キニゴリモアレリ
海ヲバツク[BACK]ニ高等商船ガ見エル望遠鏡(メガネ)デハ塔ノ時計ノ針モ見エルトイフ
九月ノ終ノ海ニ小舟達ムレヰル見レバ生キハカナシモ
蔦ノ葉モ色ヅク壁ニ朝日サシ君ガネムリハサメントスルカ
死ニシ友ヲナツカシム心ハテシナシ生キヰル友トイサカフ[諍う]ワレハ
関心(カカハリ)ハココニアラザリヨシトイフ君ガ容態モ今ハ何ナル
カクノミニ冷ケテユキシワガ心ワレトカナシク涙出デ来ヌ
一人居ニナレシト君ガ云フコトヲソレモヨシトハワガキキニケリ
若妻ニ見舞ハレテヰルコノ患者性慾ノキザシ抑ヘガタカラン
菊ノ花、野菊ノ花、薄ノ花、虎杖ノ花
未ダ咲カヌ菊ノ花畑ウツムイテ菊ノ世話スル男ガアレリ
虎杖ノ咲ケル堤ニ向ヒヰテ小便(ウーリン)シケリ何カ悲シミ
薄穂ハ何ニユレテカサヤギヰヌ美(ヨ)キ少女(メトヘン)ヲワレハ隨(ツ)ケヰタリ
曲リノボル舗石道ノ段々ヲ下リテ来リシ紅ネクタイノ人
カヽルコト又瞬間(タマユラ)ノ享楽(タノシミ)ト知リハ知レドモヨカラザラメヤ
追ヒ越シテマタフリカヘルコトナカラムト思ヒシ少女ヲフリカヘリ見キ
花崗岩クダケテナリシ白砂ノ道ノヲミナハ美[ヨ]カラザラメヤ
Ich kann nicht mehr die ernste Dinge [私はもう真面目なことはできない]
校友ノ葬リニ至ル女学生ヰ群レテユクハカナシクモアルカ
一首、西川英夫ニオクル(十月三日)
木犀の匂へる夜やこれの世の幸ある人らこひかたるらし
眠れぬ夜(十月四日早暁)
眠らうとの努力空しく
くらがりにもがいて居れば
頭の大きな死びと来りて
床の傍に坐りわらふ
その口はひるまくつたいちじくだ
腐肉の臭を嗅ぐまいと
いつしんに息をつめてるしんどさ、こわさ
眠れぬままに今中博物学会誌に「ユーゼニツクス[※優性学]の問題」なる小論文を書く。
「きばなのばらもんじん」鎌田氏に提出。
× ×
私は冷酷な収吏(みつぎとり)である
私は私の感性から凡てをしぼりとる
私は惨虐なる殺人狂である
私は私の情緒を斬刑に處する
私はいつまで生存(ながらへ)ることか (一○、四夜)
西原直廉に(一○、四)
きみの住む町とおもひてもくせいのかをりの中をわれはゆきたり
もくせいの窓よりにほふ車にゐてこの國のきはまるところを見たり
みいりたる稲田の果の山のひだにひそまる雲もわれは見にけり
十月は木犀の花金に咲き海のあなたをなつかしむ月
十月のプールは寒くこれの友こころ一図に争ふを見き(対関大戦 63−51)
× (一○、五)
高き山せまれる街にちヽのみのVATER[父]とあらそふゆめをわが見き
ちヽのみのVATERと争ひせむすべなきその瞬間にSPLASHしたり
授業料滞納の通知(しらせ)家に来りわがみそかごと露はれにけり
いつか告げむと思ひゐたりしみそかごとあらはれたれば気は先づ晴れき
十月六日、放課後生徒大会アリ。思フ存分暴レタリ。
Dimbalist Vaiolin Consert at Asahi-Kaikan on 6th
Okt. [10月6日 朝日会館 Efrem Zimbalist ヴァイオリンコンサート]
松浦、森サンに代りてよむ二首 [※愛々傘の絵有り]
演奏会はてヽ出で来る町角に月あかあかとのぼりたりけり
ビルデイング街(まち)に灯消えて月高し都会(まち)の寂しさせまりくるかも
× ×
おの身の傾向を全体に推しすヽめむとこれの人達争ふなりけり
つくづくと考へて見れば阿呆らしからむしかおもひつヽさわぎたりけり
いざともよさかしらなせそ二十とせのをのこさびしてさかしらなせそ
記念祭の寄付金の夛少を争ふからんしが[おのれの]本性は現はれにけり
をぞびと[馬鹿者]よ、何か事あれば必ずに嘴を出さずして止まざるともがら
十月七日
十六夜の月は南中してゐたり生駒の峰に火星は居たり
たヽかひの星は東にのぼりゐたりまあかき星と見てゐたりけり
十六夜の月の光のうつりゐる蓮池の蓮はにほひするかも
東にほのめく火星を見てゐたるいつときの間のこころわびしさよ
× ×
ゆるやかに目に見えぬ程に傾ける河内大野の傾斜を見たり
みんなみの金剛のみね葛城山ひけるすそのはきはまりて見ゆ
とほきよのすめろぎのかみのみことごと おもひてあればなつかしき野ら
秋の日はすヽきにさして牛のゆくつヽみのみちは白かりにけり
埴生[はにう]野の高き台地にけむりたち日はくれむとす河内國原
×
よるふかく月の踏切こえむときまぼろしにして人屍[かばね]を見たり
十月八日
古事記を讀む(日本古代史新研究 太田亮著)
白兎ことばを知りてわにざめとあげつらひせし古しへ[いにしえ]こひしも
稚子神眠りゐませる葦船の潮のまにまに流れるところ(九日)
二つ神浮橋に立ち雲の間よ潮鳴りの音ききますところ
なぎなみの めぐりますみ柱の尖[ほ] 空にして雲走る見ゆ
× × ×
つゆじめり重きさ夜ふけ松原に癩病やみの女に会へり
曲馬團 (一○、一一、藤井寺 若林曲馬團)
まはり廻つて此の土地の
暗い淋しいまちはづれ
タンタンタララと太鼓を打つが
旗やのぼりを吹く風ばかりよ
私やみなし児ひろはれて
太鼓につれておどるのよ
ランランラララとおどりはすれど
目にはなみだがいつぱいあるのよ
少いお客もかへつたら
むしろのかげでねむるのよ
サンサンサララと夜風が吹けば
夢に太鼓がひヾいてくるのよ
秋季演習 (一○、一三、一四 於信太山)
ものかげに息をひそめて立てりしか敵陣深く斥候われは
やヽ一心にわれらひそまるかたはらに自轉車のひと立ちて見てゐたり
うみつかれたるにともはこひをばかたるなり かなしきこころなきにしもあらず
埴生野や台地となりて金剛の山のふもとの村も見えたり
柿もみぢいろづくころか鳰鳥[におどり]は峽の池にかづき[潜水]してゐたり
ものヽはなやうやく少しこのあした息白きわれを見出しにけり
あさのひのなヽめにさしてしヾまふかし演習やめて草に坐(ゐ)むとす
きりかよへるよぞらながめてゐしときはひとをもわをも許したりしか
ゆうぐれんとして峽田の畔(くろ)われらゆきふぢばかまのはな白しと見たり
青き星ながるを見たるたまゆらよ感傷心はわれにありけり
Deutschen Auslands Gastsfiele Darmstät Theater in asahikaikan um 7pm 16ten Okt [10月16日7:00pm 朝日会館 ダルムシュタット劇場コンサート]
思ひ出 “ALT HEIDELBERG”
川のきりほのかにあまし ほつたりと城山の灯はつきにけらずや
しろじろと月はたけたり馬車の音かーる[カール]はけふもよふてかへれる
ほろほろとびーるにがけれかのよるのけてい[ケティ]のばらにとげありしごと
ころも手にきりはおもたしものかげにけていのこひになくね[音]きこゆる
川のおとたかまりしときいとしとてかーるはわれによりにしものを
仲秋愁歩(五、一○、二二)
高井田−意岐部村御厨−新家−玉川村菱江−西之郷村中野−本庄−箕輪−東之郷村吉原−川田−加納−住道村−四條村深野南−中垣内−寺川−野崎
−辻−
四條−北條−甲可村川崎−中野−岡山−豊野村小路−寢屋川村堀溝−済堂−川北−住道村大箇−住道−灰塚−北江村鴻池−楠根村橋本−今津−稲田−高井田村
此行程約七里十町
「いまもこの種のうたに喜ぶ。ボクのあはれな本音だ(F)」
うれひつヽみちを来れば十月のもみづる山にちかづきにけり
常磐木にもみぢばしるき秋山にひかりかげりてさむくしなれり
みちなかに鴉下りゐてものは[食]めりちかづきゆけばとび立たなむか
遠方に畠打つひとを呼ぶをのこ[男子]いくたびもよびあきらめずけり
まなかひのおかののぼりにいへはあり百済[くだら]王家もたえにけるかも
かなしみはひとにつげむとならずまなふせてすヽきのみちをわれはゆきしか
けふのごと日のかげり夛きあるひとひ親子四人は山にあそびき
かなしみのすべてをおもひはてヽのちいとけなきひのたぬしびをもひき
はぜの樹のもみづる家やいくつならむうれひの去らむことはおもはず
土堤の上のすヽきのみちをゆくひとら肺病やみの女のはなし
たまきはるいのちもてあそぶこヽろまたおこる雲夛き日に野に出でて来し
はろばろと遠つ山脉はてしなし山かげにして山はありしか
遠つ連嶺(ね)につらなる空のすみ[澄み]のいろきはまりたればわれはなきたり
妹をおもひつヽ食むべんとうのかまぼこはまづくた[炊]かれたるかも
た
れをかも恨むにあらむこのみちをいつよりわれはなきそめてこし
家さかり[離り]友をはなれて堤べのつりがねさうを愛しみてゐたり
このくにのきはまるところあむの山[※不詳]白き建物見えにけるかも
れうれうとらつぱならして兵ゆけりらつぱかなしとしりそめにしか
笙鼓ならし祭のむれのゆきしあとひとりのわれはゆきにけるかも
山のいろうすさむくしてはてしなし役の小角[えんのおづぬ・役の行者]にあひたてまつる
菊の花さかりのころの枚方[ひらかた]に鉛の勲章買つてもらひし
さきはひのめぐしきとものともし[羨し]かもひとりなきつヽきたにみちをとる
おんははとともにあそびしこともありしこれははややはりこのよのことか
野の中を汽車はかなしくすぎゆけりいづこのまちによをはつ[果つ]らむか
うれひきて小学生の隊にあひせむすべもなくかなしみにけり
おごりゐしエゴも折れたり十月の山のもみぢのかなしきがため
野に出でて冬の気配を知りしかばエゴいとほしむこころおそれり
このうらみた[誰]がゆえならずいつしかにおのれかなしみゐたりけらずや
このみちやむかしみかりのかた[御狩の方]のみちこれたかのみこ[惟喬親王]もうらみたまひき
十月二十六日 海軍観艦式
雨空の雲低ければ軍艦の探照燈に照らされて見ゆ
軍艦の探照燈の光芒(ほのあかり)われにかヽはりなきを思ひぬ
十月二十九日 心ブラ、松ツンと
×水兵のゐる風景
ネオンサイン明るき街に水兵らい群れて行くはたのしくもあるか
水兵の眼立つて夛き夜なりけり交(かたみ)に敬礼しあふを見たり
× × ×
わが歌は終に利玄の観眼のするどさ
茂吉の現実的哀感調
赤彦の彫心鏤骨の歌に及ばずして終らむ
憲吉の重厚、千樫の光に対する敏感、
白秋の詩感もなし。歌を止めんか。
今迄の作品中、自ら好むものを挙げれば
はりまぬをはるばる来れば播磨灘海のそぎへに白き雲立つ(四、六[昭和4年6月])
向つ山の茂みに赤き花くさぎ花の中より雀とび来る (四、八)
下草の羊歯のぬれ葉のもつ光この杉山にみちそよぐ見ゆ (四、八)
飛行機のぷろぺらの音たえたりとわが見上るに宙返りゐる (四、九)
まつくらき檜林を歩むとき人殺さむとひそかに思へり (四、九)
手の尖端(さき)に冷さ感じ歩きゐて菊賣る人に会ひにけるかも(四、一○)
丹波山とほつならりてうら悲し森博元は今はあらずなり(四、十一)
ひるすぎて時雨止みたりわが友のむくろは遂にもえはてにけむ
夛羅の木は白くなれりけり杉山も霜洩るらむとみちを登るも
きまぐれのぬくさにのびし豆の芽はつヾきて来る霜にかれるとか(四、十二)
ゆふあかり冬木のうれに白々と雲かヽりゐてうごかざる見ゆ
ほのぼのと心うれひて大年のよ空ながめてゐたりけるかも
みはかせの剱の池の水へだて光れる生駒さむしとぞ思ふ (五、二)
自己嫌悪はげしきときにまちあるきわが身しばしばふりかへり見つ (五、二)
あまぎらふ光あふれて春畑にあねもねの花咲きにけるかも (五、三)
木の芽の匂ひ風にまじりて来る夜は虎杖もてる人とのりあはす (五、四)
北風はまともに来り日は雲に入るみちばたのゆうかりの木の肌の冷さ
こぬか雨池にふりそそぎ中島のさつきの花はぬれひかるかも
五月野に麥はうれむか野を遠く伏虎城の樹々見えにけるかも (五、五)
女学校のぽぷらの茂りいやふかみゆふべ雀ら鳴きこもるなり (五、六)
ひそやかに病院の坂のぼりゐる身に異状なきが気の毒のごと (五、七)
ゆうぐれはやもり硝子をはひ上りかはゆきかもよ腹うごかしゐる
霧社蕃 蜂起(五、一○、二九)[※台湾高砂族の抗日反乱]
朝のきりやうやく動くころとなり蕃人蜂起をききにけるかも
高山のはざまにこもり何すとか たけり出しけむ山のはざまに
山峽のきりはやぶれて蕃人のをらびこだますをちこち山に
小やか[ささやか]に山峽にひらく運動会 阿修羅場とならむと誰か知りけむ
君が代を教へてくれし先生ら 父がころすをまさめに見たり
山かひに朝はじまれば蕃屋にけむりのぼるか昨日の如く
蕃人の血にあ[塗]へし槍あかあかと山の夕日にてりにけるかも
夜の間をたき明かしたるかヾり處[ど]の土の黒さを人は見にけり
肥え太りし郡守も首を刎ねられし ここにころがるいのちのいくつ
蘭の花こずゑに咲きて散りゐたり いまはを人の息づきしかも
この藪とあのやぶに人死にたりとのち見むひとらいひ行くらむか
蕃人に討伐隊迫る (一○、三○)
討伐隊せまれるしらせ蕃童は酋領(かしら)のもとへもたらしにけり
あまかける飛行機にのり日本人草葺小屋を攻めに来るかも
この蕃社亡びる時の来しことをわが悲しむをかれらは知るか
山間の世界をせばみ蕃人ら もの知らずしてはふり[屠り]盡さる
蕃界の滅亡(ほろび)の時節(とき)はいまか来る蕃童らの頬はぬれにけるかも
ひるの日は山辺に高し見張のこし蕃人どもはひるねせりけり
山峽に栗を食みつヽ生きしひとら はふりつくされ栗は枯れむか
ものヽ花岸辺にゆれて水迅し土人のかばねながれ行きしか
銃(つヽ)のおとこの山峽にみちみちてあかヾね色の日は昇りしか
死にもの狂ひの土人のたまに討伐隊の兵は倒れきこの山かひに
十一月一日 於松竹座
わが心の歌(マコーマツク[John McCormack:テノール歌手])
松浦悦郎 に捧ぐ
十一月(しもつき)の夜が來ればちるおちばそのはかなさに人は逝きつも
うす青き夜の一間に臨終(いやはて)の文かく女はやせてゐるかも
連丘(なみおか)のはたての空に月落ちて沼地に鳥は鳴きつどひけり
あヽアイルランドよ
わかき日は専心(ひとつごころ)に恋ひぬべし時期(とき)すぎぬればあきらめむとも
二十とせのわかきこころにするわざかひと妻ゆえに断念(あきら)むるとふ
うつろなる眼をあげてそらながむれど少年の夢またやかへらむ
一列に並びてありし鉛の兵隊こわれつくしていく年を経し
あヽ幼き日なでかなしみし犬の玩具兵隊のおもちやはいづく行きけむ
涙あふれてきみとわれ肩くみあひて
少年のゆめ語るとも 歌ふとも
青空のけむりのごとくはろばろと
とほきかも はるけきかもや
× × ×
少年の日はすぎて なげくこと
わが頬の円みは去り
むさきひげ頬に生ひたり
もはや可愛からず
女のひとに可哀がられず
あヽ、して女をこふること──
× × ×
私が子供の時、
友があつた。銀の兵隊と小犬と。
小犬に私はいく度ほヽづりをしたことか。
そして又、鉛の兵隊はいく度分列し直したことか。
私は大将となつて物言はぬ兵隊達を指揮した。
すなほな者共だつた。でも好きなのときらひなのとあつた。
一番好きな兵隊の足が折れた時、私は泣いた。
それはいつでも小隊長をさせてあつたのだ。
小犬は可愛かつた。抑へると泣声が出るのだつた。
あヽその眼がとれて泣いたときからいく年になつたことか。
十一月三日 京都 西垣、森
笑ひゐるきみが姿[遺影]の何としたことぞわれらひたすらかなしみゐるに
世に在りし日のきみが笑へる像見れば君死にしこと信じ得んかも
×
町並のはづれに青き衣笠山京もはたてに近しとおもふ
比叡山のとがり峰は空に高くして葬式後のわれら見にけり
東山に月のぼるとき歌つくれとわれに言ひしは何の云ひぞも
他の街のにぎやかさの中歩みをり活動[映画]を見に入りたしと思ひき
東山の紅葉を見むとおもへるに友の急ぎに果たさヾりけり
十一月四日
世の不景気話したかへり銀行の取付さはぎに会ひにけるかも
十一月六日 夕方藤井寺に移る
暗きかげおほふと思ひし家の庭まこと今には別れかねつも
弟妹ら並びてわれを送りし様わが利己心を恥ぢしむるに足る
十一月七日 初めて藤井寺から通学
秋の田の穂の上にきらふ朝霞今まさめにしわれは見にけり
二上の山の半ばゆのぼる日の眩ゆき光二階より見つ
み陵の大き体積は夜の闇に定まり見えてわを怖れしむ
十一月八日 記念祭 夜、伊藤(兄)氏の宅にて牛鍋会。三浦治
記念祭の朝[あした]そぼふるぬか雨にはりぼての虎はぬれにけらしも
破壊(はえ)このまぬ心にかなし一年生 日のいく日を虎作りせし
記念祭の校庭につどふ少女らが丹頬(にほ)をかなしみわれはさぶしえ
十一月九日 又も雨。肥下の妹二人 [※初恋相手]
雨はしとしとと菩提樹の蔭に降つてゐた
葉にさらさらと鳴つてゐた
私は夢を想つてゐた。振向きもしないで旅人が
道を行つた。遠くで笛の音がした。
私の夢は──今語るを欲しない ともかく私は
LIEBEを (一一、一二)
川堤とほきところに立てる木をきみが村へのしるしときヽし
つゆじもは朝々にまし堤(どて)上のぽぷらの枯れむ時期は来りし
川の水光さむけく流れたり川のはたてに雪降るらむか
こころひとつにおさめかねつるわがおもひ空をながめてけふもくらせし
夏の如き乱雲立つ山辺空 こひ知る身には耐へがたきかも
いつの日かともに歩まむとにもかくも君が眼見ずてわれはさぶしも
雜木林いろづく見ゆる電車に居り きみがこころを知るすべをほ[欲]る
秋山のもみぢのいろのあきらけく きみを見む日をわれは知らなく
×
恋人の父に会はむとこころ決めし友の頬骨あらはれしと思ふ
辱かしめられなば蹶起(たてよ)とすヽめ居りなみださしぐみわれのこころから
×
きみの住むところとおもへば青山のさやけき國のいやかなしかも
國原の中つところとある村にきみがゐまさむことのかなしも
× (一一、一三)
ゆうばえの光うつせる池中にうごかぬ水あり何かさびしも
このくにヽ霜枯れの時来りけりわが歌想(ごころ)既に盡きたり
学校の下駄ばき足の冷さよ丸太の上の霜とける時刻(ころ)
山峽の京都の街は寒からし大学をきめねばならぬこころをもてり
夕づきて雜木林のもみぢのいろほのかに残りさむざむしもよ
雑木もみぢ赤き林は鳥もゐよ すすきの原に虫すだくごと
川のいろやヽにつめたみなげくことなにかあらうよおのれしらずも
この原の果(はたて)の山のうすさむいろ まだ見ぬとものこひしきかもよ
わがこひはいつか止まなむ朝じものさむきこのごろたえがたきかも
秋の田の刈り乾すなべに冬の来るおそれを感じこの日頃ゐる
はるかなる将来おもへばこの冬のたヾひとりなるさびしさをおもへ
おのがじしすヽまむみちのわかれどのつむじにたヽむ時はきむかふ
× 十一月十五日
高松に鴉こもりてなく晝は葡萄すがれし園を歩むも (教材園)
はぜもみぢしるしとおもひいてふもみぢ明かりしくになつかしみゐる
東[ひんがし]の野中村辺の陵に鳥は去(い)にたり日はかげりつヽ
くぬぎ林のかげをうつせる大池に午後(ひるすぎ)の雲過ぎにけるかも
まいるよりたのみをかくる藤井寺にお香の匂ひなつかしみけり
山腹の植木畑の山茶花に日かげぬくとし人こぬひるを
ほうと追へばつれて飛立つ水鳥の空に光りてさむざむしかも
稲を扱(こ)く時期(とき)を野に出で寂しかも学士になりて飯食へぬとふ
み陵の濠ばたの土堤のどんぐりを採り溜めにけり少年こひしも
どんぐりのみのるときくれば海べの弟の墓もこひしきろかも (追憶)
この墓地にわが家の墓のなきことをかなしみにつヽ友と遊びき
秋晴の墓地に友らと遊びゐき せんだんの実はみのりたりしか
せんだんに鳥きてとまる見上げつヽ空の青さをわれは見にしか
すヽき穂のすがれし墓地のうらどころ無縁佛の墓はありしか
海難に死にし人らの葬り所(ど)を忌みにけるかも布ちらばれる
葛木の山の肌[はだえ]もむらさきにふじゐでら村にゆふべ来にけり
花畑にユツカ花咲きさかりなりばらのすがれをわれは見にけり
冬まけて牡丹精力(ちから)を地に蔵む何ぞも芝の青々しかも
時ありて照らす秋陽のいやかなしきみが庭には稲乾すらむか
×
クラス会 会者 本位田、関口、丸、西川、山田、田村、松浦、田中、松田、友眞 (大小順)
酔ひ痴れて道徳律(ジッテンゲゼツ[Sittengesetz])のヽしれる友は法科に進まむとすも(DEN[本位田昇])
世の中の律(さだめ)かなしく思ふひと遠くやりぬる寂しさを語る
思ふひと遠く去る日の近づけば 白き奴隷をきみは買ひしか
一生不言とかたくちかひしひめごとを今ぞ語らむきみよりたまへ
ちヽのみのちヽはにくし はヽそばのはヽをあはれむ しかにはあらじか
失ひしこひを忘れむすべはなしまじめなことも今はなし得む
×
わが娘きみの卒業を待ちがたし 止めよとちヽはかたりしといふ (MATSU[松浦悦郎])
彼女とわれの結合をにくむ母のある かの母をわれはふかくうらまむ
われらふたりとよりそひしひと わすれずと語りしとももわすれ得むかも
×
阪急に来れといへば行きて見し女の顔は赤かりしかも(NISHIN[西川英夫])
何もかも忘れてのめと愚痴深し酔ふて忘れむ性ならなくに
×
北のかた能登にのこせしをみなこひ はたもあらぬか酔ひ泣けるとも (TOMO[友真久衛])
感傷(かなしみ)のあまくすつぱいたのしみに いまこのともは浸りゐるらし
ひた心もりて恋ひ得むわれならず すべての女いまはこひをり
北海の波のひヾきや浜松の さわぎみだれしわがこころかも
北空は遠く晴れたりシベリヤの 白き家々見えて来むかも
北空は低くくもりて北極星 しづもれるかたに汽船(ふね)は行きけり
ぼく
いやはてに鬱金櫻のかなしみの散りそめぬれば五月はきたる
南風 薔薇ゆすれり あるかなく 斑猫とびて死ぬる夕ぐれ
― 白秋 ―
×
顔美(よ)からぬ少女をこがれしかはあれど 顔美からめとなほも思ふとふ(GAN[丸 三郎])
三時前わかれしをみな思へかも のみゐる酒の身には染まざり
恋ごころ一年のものときみはいふ 交合せまりてはねられ[フラれ]しとふ
東にかへらむことのうれしかも 凡てとわかれかへらむことの
×
家も親類も破産せしとふしかあれど デイレツタンテイズムいかにかすべき (MATSUDAME[松田明])
のめど酔はぬことをあやまりしきみがあし 外に出づればもつともあやぶし
×
暁翆園[カフェの名]に照ちやんに会ひに行きたけれど金無かりければしぶしぶ帰りき(皆)
十一月十四日 浜口首相を東京駅頭に狙撃せしものあり
テロリストの悲しき宿命も思ひつヽ宰相の車に爆弾をうつ −湯原の歌−※
生眞面目一方の宰相を撃ちし青年の芝居気を思ひたのしむわれは
宰相をうつもよからむ不景気はとてもかくても去るものならねど
蒼白の宰相の顔新聞に大きく出でたり生命の瞬間(たまゆら)
宰相をうつてふことを浪漫化し友のうたふを見ればかなしも ※
何時の日かテロリストたらむと決心(さだ)めつつ彈丸打つすべも未だ習はぬかも
※ 湯原冬美の弁
私の歌はR火六号(?)九月以前のものです。浪漫化は止むを得ませんと認めます。嶺丘が「死の犠牲」かを読んだことを考へてもう一 度考へてください。濱口を撃つた奴は私は之をテロリストの範疇に入れぬこととしました。勝手に。
十八日 万葉地図其一かき了る[「R火」8号所載]
十一月十九日 小泉八雲全集を讀む
散歩 (北畠−長井−依羅−矢田−瓜破−三宅−松原)
新墾(にひはり)の道をゆきけり櫟原 切り通されし赤土のいろ
臨南寺の森の深みの幽けからむ 紅葉(もみぢば)まじる常磐木のいろ
行きゆきて獨[ひとり]も何故(など)か嘆かなむ きみをこふれば野に出でて来し
苗畠に鮮(あたら)しきかも花苗のみどりもえつヽ冬近きかも
再びは学校は息(サボ)らざらむ冬浅きここら畑に青葉抜かるる
浅香山浅き山の井見にゆかめど きみなきこころむなしからうよ
むかしの依羅[よさみ]の池の古堤にすヽきほヽける見つヽかなしも
住吉(すみのえ)に難波に行かむと奈良人のこころ急[せ]きけむ難波道やこれ
大依羅の神のみ杜[もり]に入るときむかしの人をこひにけるかも
北風はこれが堤にはげしけど對岸の木のゆれは見えざり
わがきみの瓜破[うりわり]村の道しるべぽぷら落葉は未だ盡きざる
万が一に君にあはむと来し村のむさくるしさをわれは見にけり
子供らしき心捨てかねつ北風のはげしき堤いく町を来し
埴丘の埴赤土をとり瓦焼き竃にやくを見ればかなしも
埴土を運ぶ車を牽く馬の苦しき恋をわれはするかも
×(二十三日)
わがきみに会はぬ半月それゆえにきみがひとみもほとと忘れき
二上の山の傾斜のかや原に霜置きけむかあらはに見ゆる
大伯[おじ]の姫王(ひめみこ)恋ひしうつせみの兄背(いろせ)をこひて山登(ゆか)します
山腹の葡萄畑の葉は落ちて日だまりの土に鳥遊ぶらむ
南の空ゆく雲の感觸のそのやはらかき妹を思はめや
散文的なその日その日
文科を選ばんか法科にゆかんか
強く生きよう、しかし──
×人形芝居 (文楽座、二十二日、忠臣蔵。肥下、保田、薄井、西原)
僕のひがみ心を許せ
弱いからよけい弱くなる
金が無いから浅間敷なる
泣かうとすれば笑へといふ
判官の切腹姿の凄じさ 人形と思はれず 屍の様は
起たなかつた話(高田一に話すつもりで)
耿太郎は事の始めの様子ははつきり知らぬ。何故なら彼はその発端となるべき思想善導の集会に出席してゐなかつたから。只その日の朝、文二甲
の小崎(この男が一番熱心だつた)が、 俣野理事と文三甲の間を往来してゐたことを知つてゐる。
初[はじめ]の二時間の授業がすむと、講堂で東大教授河合栄次郎の講演があることになつてゐた。
耿太郎は物我慢の出来ぬ男だから早速御免蒙つてM[※ 森
良雄]と二人、知人の家へ遊びに出かけ、午後の合同教練に間に合ふ様に帰つて来た。
所が未だ誰も講堂から出て来てゐない。ずゐ分永い講演だなと思つてゐる中、一時過ぎにMが事件を聞いて来た。
「昨日の午後五時限の終に、文三甲,室 、文二甲,上武 ,中道,壇辻
、理一丙,山田の五人が阿部野署に引張られた。これには学校と警察の連絡がある」といふのだ。
そこで彼等は(【抹消】僕達【抹消】)喜んで講堂の集会へ参加しに行つた。耿太郎はまた自分の物好寄[※ヤジウマ]の血がいたづらをしてゐ
るなと思つた。入つて行つて見ると、
策動してゐるものは文二甲の連中、及び文三乙、文三甲の一部(福田、藤田)であり、アヂつてゐるのは主として理二乙の不眞面目な輩で、
それらの説明によるととても出目金[※佐々木生徒課主事のあだ名]等がいけないのであるが、はつきりとは同感出来ない。
その中、出目、朝生の二人が冗々しく釈明をしたので耿太郎も疳が立つて来た。 それがすむと勿体らしく提議だ。文二甲一同よりとして、
「一、吾々は今回の生徒課の言辞及態度にあきたらず欺瞞せしものと認む。
一、吾々は生徒主事佐々木喜市、伊藤朝生の両氏の辞職を要求す。
一、学校側の陳謝を要求す。
一、警察に厳重なる抗議を申込むことを要求す。
一、今回の不当なる拘束に対し、警察の説明をなさしむることを要求す (保田の提案)。」
以上五ケ條の採決となつた。
耿太郎は保守党で、一ケ條の「欺瞞云々」に対し過度を感じ[欺瞞ではなく]過失と認めたが、採決の結果、非常に少数で葬られた。この採決に
於て、 後に反対したM、m、n、h[※本宮、丸、西川、本位田]等の悉くが反対表示をしなかつたことは覚えてゐて欲しい。
この採決の結果、生徒大会は生徒課の欺瞞を認めたこととなつた。 その上は以下の四ケ條の通過することは明らかである。これに加ふるに、
「吾々は此の要求が通るまでは授業を受けず」
との條項が加はつた。
耿太郎は此の大会で多くのものを見た。
例へば耿太郎の入る迄に或る人は、「先生、僕は授業が受けたいです」といつて泣いて生徒監に訴へ、「さうです、さうです」との賛成を得たとのことである。
耿太郎の目撃したところでは、
「先生に対してさういふ要求をするのは果して意義があるでせうか」といつた一年生があるし、授業は断じて休まぬと頑張つた文一甲の連中、
「俺達は勉強したい。世界中を改良する勉強をしたい。こんな小い事を止めて(そして――)授業を受けよう」と泣いた理科三年生もある。或は生徒課の説明
中、 前の人間に隠れて野次つた理二乙生もある。此の最後の人達は学校を休むことに大賛成で提案した人達である。
とにかくかヽる空気の中にあつて耿太郎等は退屈し乍ら冷静であり得た。
そして明朝、決議並に要求を校長に提出することになつて一先づ解散した。時に午後六時半であつた。この生徒大会をまじめにしなかつたことが、耿太郎等の後
に非難された理由である故、 よく覚えてゐなければならぬ。
翌二十六日の朝八時に教室に集まり、講堂に入ろうとしたが案の如く閉鎖されてあつた。
ゆえに予定の如く寮の食堂に集まり、ここで代表等の齎す学校の回答を待つた。此間、室、
上武、両君の演説あり、[拘束された]彼等の無嫌疑のため釈放されたこと、学校側のデマ等を聞き、耿太郎の心も暫次生徒課の欺瞞を認め漠然とした怒が湧い
て来た。
しかし此間、竹内好(文三甲)、
小崎、其他のアヂ演説があつたにも拘らず、また、生徒課のデマがバレたにも拘らず、M、m、h、n等の顔色は依然として冷く、
耿太郎のやヽもすればもえ上がらうとする熱は直に消されるのだつた。
その中に学校側の回答がきた。 (三日間の臨時休校が反省のためそれより先に発表されてゐた)。
「第一ケ條に於ては飽迄過失とし、(二)は生徒より要求すべきでない。(三)は朝生遺憾の意を表す。(四)抗議すべし。(五)に対しては“不
当なる の文字を除くべし」がそれであつた。
場内には一時沈黙があつた。それは相当永かつた。この明らかな拒絶の態度に対しても、生徒等は直ちには盟休[同盟休校]を叫ばなかつたので
ある。
然し暫時場内に咳が起り、やがて誰彼(それは常なるアヂテーターである)が起つて学校側の無理解を非難し出したが、盟休に入るとは云はなか
つた。併し第六條に依れば、
要求の貫徹でないから授業を受けるわけにはゆかぬ。これ丈はわかるべき筈であつたが、耿太郎も気がつかなかつた。
やがて校長の自決を迫るものが出、それは弥次的拍手に迎へられた。
かくして今夜は一晩寮に泊まることヽなり、十時から盟休の宣誓式があることヽなり、各学級は夫々別れて集團を保つことヽした。之が午後四時頃である。この
間、寮歌、 野球部歌の合唱があつたが意気甚だ沈滞してゐた。
[*
第六巻「一九三一年十月二十一日」記事に続く。]
[同盟休校]破れたり(十一、二十八)
肥下を訪ふ(布忍[ぬのせ]より)
刑務所のあたりに落ちし陽のいろのまあかきことを忘れずあらむ
夕ぐれ、もの音のせぬ刑務所の塀そばをゆきひとりゆきけり
大根の畑の道に日は落ちて菜つぱのいろの鮮(あたら)しさを見たり
拷問の楚(しもと)の音は聞えざらむ、刑務所の塀側をゆき遠くの號笛をきけり
子供のとき使つたクレヨンのいろ、そこここにあり初冬の田んぼ道は
大根は緑、はぜは赤、夕雲のいろ、池の水、子供の頃をかなしみてゆく
街道の古びた家に燈(あかり)つき夜は来らしもまだ歩かねばならず
× (一二、一)
空想の中で私は大鷲になつて
西亜細亜のシリアへと飛んでゆく。
そこの空へと来ると 下界は一面の
砂原で陽が焼けつく様にあつい。
遠くの遠くの空 ―夛分地中海だらう―
に眞白な雲が立つて静止してゐる。
この無雨の砂原の中に一の都市があつて
白い砂原に蔭を落としてゐる ──クツキリ
と。静かとか虚ろとかの象徴の如く。
私は暫くその市の上を飛ぶ。すると
私のかげもやはり砂の上に黒い線
となつて映るのだ。やがて私は囘教寺
院の尖塔の端にとまる。この時私の嘴は
陽に輝いて純金の避雷針とも見える
だらう。私はじつと止つてゐる。私は此の強
い光に耐えられなくなつたのだ。私が眼をつぶる
と日中の砂原を通つて市の門へと
やつて来た駱駝のいなヽきが聞こえ
る。私はそのまヽ眠つて了ふ。やがて激
しい温度の変化で眼をさました私は西の
涯に沈んでゆく陽を見る。囘教寺院の
鐘が足許から起こる。此時私は限りも
ない郷愁にはヾたきするのである。
ローレンス・チベツト[主演]、悪漢の唄 (一
二、三)
At Ohashiza[新世界の映画館大橋座] with Mr.Usui
高き雪かむれる山の峽、
こーかしあの國、ここに美(よ)き人すめり
即ち我が母と妹、
日に日に美しきれーす編めり
山賊雲雀[ひばり]われ、悪業の旅より帰れば
微笑迎へ 歓びの歌高きかな
我が妹、二十歳の若さにあれば
一日街に下りて踊る
美しき微笑(えみ)と輕き舞ぶり
こーかしあに比[たぐ]ひもあらじ
ここに一人の士官あり、高き位と
貴き身分もて辱しめぬ。
公の面にして、
あはれ、こーかしあの處女、
恥かしめられなば生きじ、妹
蒼白の面を俯せて家に帰れば
部落の女、悉く集ひて憤り悲しむ
高原に咲きし處女百合
一輪散りしゆふべ、我は帰りて
復仇の臍[ほぞ]を堅めぬ。
われは自由の子、山の子、山賊雲雀
伐たでは止まじ、天にかけり地にふすとも
あはれ、伐たでは止まじ
× ×
君よ、行かずや高加索[コーカシア]
雪頂ける山々に 朝日は
赤く輝きて谷間に煙のぼるなり
今諸々[もろもろ]の鳥啼きて、部落(むら)に
朝の業はあり。見よ乙女らが
汲みまがふ清き山水、底走る
石魚の光
君よ、行かずや高加索
高みの牧に駒嘶(な)きて
今、中空に日は高し。日蔭に
雪は残れども 日向の土の温(ぬく)とさに
淡雪草は咲きにけり。その美しさに
まがふべき乙女の子らの歌声は
峽にみてり
君よ、行かずや 高加索
谷間の部落に灯はつきて
暮れ方早き渓谷に 見上る
峰の夕明り 牧に駒呼ぶ角笛の
ひヾきはとほく、さんたまりあ、鐘の声する
夕ぐれを、いざ同輩(とも)、祈り
捧げん、高加索に幸あれと
× ×
落葉松の梢に鳥啼き
啼き止んでの後は山峽には静けさ。
神を恐れぬ山賊も谷間に
遠く山彦の音を怪しむ。
夜更けて焚火をかこむ精悍の面わ
峽に獸奔つて空の星しばしまたヽく。
永き夜を暴風(あらし)も来ぬか、今中夜
北の方 谷のさけ目に霧のさやぎ
川の音 高まり低まり幾度のヽち
夜明け── 落葉松の尖端から
息が白い、霜の痛さ。霧が移れば
遠嶺の頂に赤い陽が、
鳥、鳥、三羽立つて、又静か、
霜の上に獸の足跡、焚火跡の狼藉
あヽ又 移らぬ情(こころ)を尋ねて
幾里の旅を今日も又 山賊の胸
× × 湯原冬美に
阿羅世伊止宇 あらせいとう
南蛮寺に咲き出すと
南蛮船が参ります
阿羅世伊止宇 あらせいとう
紫いろに咲きますと
沖に白帆が浮かびます
あらせいとう あらせいとう
ながさき港のはとばから
けふも三隻発ちました
あらせいとう あらせいとう
じやがたら すまとら ぽるとがる
行けない國のなつかしや
増田正元 (一二、四)甲南病人ホームに能勢と見舞ふ
たまきはるいのちの終り近しとふ鼻高くなりし横顔を見たり
だだつぴろき病室の寢台(ベッド)寒しもよ窓より月光入るにあらずや
東に希望の星の輝けるこのごろの空を見ずかもあらむ
山茶花咲きつゆじも深きこのごろを細りし体耐ゆると思へや
やうやうに終に進むわが友のいまはを待ちてわれら耐へようか
病院を出て夕ぐれの道ゆくわれら丈夫なりし友を語りゐる
暗い道を歩き身にせまる死の蔭に慄ふ落葉した冬木
友ひとり死なむとするを待ちうけて けの永き日をいかで過さむ
全快の暁(とき)をかたれる友の顔に死相ふかければ涙湧きくる
別れを告げ握手して出でむときわれらよりも暖かかりし君が手はも
時走[しわす]の満月近しうす暗き病室にきみを残さねばならず
喉の痛みに食べられるもの数少し明治屋のゼリー語りけるかも
どうしても治らぬ君と残るわれらあきらめられるか
摩耶の山 天上寺にのぼるけーぶるの燈かなしみ神戸の街ゆく
まつくらきだらだら坂を下りゐつヽ港の汽船のあかり見にけり
× ×
神様があるなら癒してやつて下さい
彼はまだ何もしてゐません。
いヽことも悪いことも。彼はまだ子供だつたのです。
女のことを思ふかい と尋ねると いいやと
答へました。大学は農科へゆくと
云ひます。これが命の存續が問題である人の
関心なのです。
× ×
山茶花のかげに女の子が泣いてる
山茶花が咲けば霜が降る 目白が来る
山茶花の頃にきつと友を失ふ
山茶花 山茶花 何と寒い星空
× ×
児玉正治が発狂したさうである(一二、五)
むつヽりやの児玉正治は気がちがひ急にけらけら笑ひ出せしとふ
あるひは笑ひあるひは泣きつヽ小言云ふとふ正気失せたる児玉正治あはれ
寒きもの背筋を這ふ、この日われ友の物狂ひをきヽにけるかも
河内國原 (一二、八)
鳥散りて枯野に光る銃の音
冬川に煙草吸ひ捨て寒さ哉
午すぎの物のどよみのやヽしばししづまりあれや煙草くゆらす
物の音をちこちに起り傳ひくるこのひるの野にひとり坐れる
街道をどよめかしゆく乗合に處女(をとめ)ものれりぼろ[ボロ]のりあひに
冬畑の大根畑に日はおちて大根(だいこ)さむざむ引抜かるかも
大根の青葉の野良の地平線 道とほるらし車行く見ゆ
我 日々に紫水晶の山嶽を思ふ
六稜の山角 陽を受けて
紫摩黄金の光なす
保さん曰く、お前が死んだらすぐに歌なんか焼いて了ふ
僕── 相聞の歌 ははに見せぬ、死ぬまでは
毒瓦斯ホスゲンは山査子の匂がするとふ
山査子の盛ぬくとし首くヽり
首くヽり日向の枝をよけにけり
昨日読んだ本、芥川龍之介全集 五、六
保田のオリヂナリテイを疑ふ。「古き國原」の歌の如き一寸呆然とさされた。※
※「保田の弁明一つ
云ふ迄もなく「古き國原」はアララギのまね、勿論当時ボクはアララギに加わつてゐたからね。
芥川だつてうまいのは大てい茂吉や白秋のまねですよ。ボクが「川田順をかき換えてやれ」といつたのがわからんかなあ。コクトオがそん なことを云つたのだが。この頃の「うた」の二つ三つは自分のものの様な気がすんのだが(ノートの終りに少しかいたから見てくれ)」
及びバルザツク「知られざる傑作」其他五篇。
柘榴屋敷
ざくろうをつまだちてとる手の白さ
野中寺の鐘を聞く
くるりくるり日傘まはして菜の花の畑道ゆきしお染死にけり
心中のかのこの帯のなまめかしと隣人かへりて言ひにけるかも
野崎舟上陸(あがれ)ば高き菜の花の香りかなしみ處女[おとめ]手[た]折りき
久松の在所田舎び晝深く桃の花挿しわらべゆきけり
×(一二、一○)
大根干す松の枝に百舌鳥は来ぬ
廃園『R火』戯頌(一○)
夫[そ]れおもむろに観ずれば人おのおのに調あり
湯原の感傷、三崎の艶、猛吉の清楚、鋭二の敏、厚見の慷慨、北能の可憐、佐波の官能
いろとりどりに好ましく、例へば、廃れし長崎の、南蛮寺の園生なる、花の色香にさも似たり。
茉莉、石竹、百合、含羞草(みもざ)、紅天竺牡丹(ダリア)、怱忘草は云はずもあれ、
昔の花のあらせいとう あらせいとう
称へていへば限りなし。なほおのおのに欠点(おちめ)あり。例へば湯原が茉莉の花、ひるのさかりは凋み果て、たヾゆうかげに咲くものを。昔の
花のあらせいとう、今は聖教(をしへ)もともどもに、知るひともなきその匂ひ。
「ゆうぐれだね(冬美)」
[いずれも大高短歌同人誌「R火 かぎろひ」のペンネーム。
湯原冬美・・・・・・・・・・・・・・・(保田與重郎)
三崎皎(滉)・・・・・・・・・・・・・(杉浦正一郎)
大東猛吉・・・・・・・・・・・・・・・・(松下武雄)
鋭二(詠二、沖崎猷之介)・・・・・・・(中島栄次郎)
厚味荘吉・・・・・・・・・・・・・・・・(西川英夫)
北能梨人・・・・・・・・・・・・・・・・(友眞久衞)
佐波曼沙矢 ・・・・・・・・・・・・ (杉野裕次郎)
他に 津田清(服部正己)、山内しげる(中田英一)等が常連。]
盟休、犠牲者を出さぬ由、校長声明す(一二、一二)
寒々と山にむかへる大路ゆく朝、舗石のあひまに草は素枯れたりけり
めのまへの電線の空からまつすぐにおちる鳥あり枯草原に
午過ぎやひつそりと鶏(とり)しめられる
眼を病んでまひるまばゆき牡丹哉
氷とけて大根の葉流る小川かな
藤井寺界隈(一二、一二)
みさヽぎに近き淋しき小山かげ帰化外人は住みわたるなり
山かげに外人の家見に来れば牡丹の園にわらがこひせり
白鶏園に遊びて冬近き外人は國を懐ふにかあらむ
壷坂へとの道しるべあり雲深き山おくの寺思ほゆるかも
な泣きそときみはいへどもおほろかのかなしみにたへ涙あふるる
冬さりてたんぽヽ花咲く山原に小鳥下り立ち妻どふらしも
小鳥の秋
松にはつぐみ、群落(むら)には雀の群
壕には游ぐよ鴨が──
渡り鳥、渡り鳥、あヽあの田んぼ
山蔭の澤に細い一本足の鷺
冬は秋の次に、小鳥の来る頃から
始まります、もう始業の鐘です、
百舌鳥は食物の蛙が冬眠したらどうするのでせう?
雀はこぼれ籾のつきた後を?
小鳥、小鳥、────
鳶が今日もお寺の松にいヽこゑで
鳴いてます、空の晴れた日です、
枯れた柳にかはせみが来てます、
長い尾と可愛い声の
お葬式二つ(一二、一三)
塚本大六(大さん)八日 於廣島旅舎 チブス
婚約の二日前、 万喜子さん悲哭
かりそめの世の中かなしつまどひを前にひかへてきみ死にたまふ
象蛇の来哭(きな)かむことは求めざりをとめなげかふ凡人の死は
きみゐます國へおくれてわれもゆかめとをとめ泣きつヽいのりけるとふ
何すればわが兄(せ)死なせしと宿主を責めにけりとふをとめかなしも
城村眞助先生 十二日 於象天坂自宅 ・西原、金澤
口あらくわれが未来(さだめ)を予言せし師は逝きましぬわれが二十歳に
冬風のさむさを歎じひたすらに咳きしつヽ叱りたまひき
× ぼくの死 (十五日)
にれの木の高にれの木のむら木立 死にて坐ますは誰か佛かも
ゆうぎりのわだつみおそふころなれば 海去(ゆ)く兄(せ)をばとめむものかな
×
ヒーターの焼けて銅(はがね)の匂ひする朝の電車のうれしもよわれは
西川、京法[※京大法学部]に決意す(十四日)
さびしがり西川英夫が皆とはなれ京都にゆくとふさびしからうよ
苦痛月 Der Peinsmond(二十日)
憂愁を欲するものは此の門をくヾれ
恥辱と屈従を見むとするものは此の門をくヾれ
死に近き生を見るを欲するものは此の門をくヾれ
微笑もてくヾれ、泣きつヽ出で来るべし
この門の中に悪の華咲けり、偽善の花咲けり
饐えた喜びを欲するものはこの中に入るべし
罪を犯さんとする者入るべし、罪をあがなはんとするものも入れ
焦慮をもてるもの入るべし
この園中に悪の華咲けり、冷笑の華咲けり
悪罵を欲するものは来れ
哀悼の児は来れ、服喪の女は来れ
慷慨を好むものは来れ、欺瞞を喜ぶものは来れ
この亭中に悪の華咲けり、死腐爛花咲けり
──Yに──
時走月をはりに近くあはき愁しみ空静かなるこのひるにして
首青き鴨の羽色の夕光り光り消えつヽ眠りに入るか
鴨の羽の光澤(ひかり)かヾやき向岸遊べる様をたのしといはむ
ひるすぎの葛木山に迫る雲 地物(つちを)なびかし風過ぎにけり
小春日のぬくみ背中にあつまれり 少年の恋讀みにけるかも
薄生[すすきふ]のすヽきかこめる池中に まひるひそかに鳥来りけり
花皆のすがれかなしも園にひとつユツカ花咲き虻来る見れば
草原にまろべるわれにうるさしと小き羽虫をころしけるかも
暖き野をなつかしみ少女らが出で遊ぶ見ればわがこひ思ほゆ
こひ人にまたあはざらむ知らさヾらむ恋の果かたる書よみにけり
雲ひくヽ地を包めるまひるなりまゆみ実れりその赤き実を (植物園)
植物園のかきのどんぐりかなしかも埃まみれのどんぐりなるかも
赤々と猩々木の鉢植ゑの温室にある外より見つヽ
シクラメンの咲くころとなりうらがなし知り合ひの人誰か病みゐき
どんよりと空うごかざる街にゐてもの乞ひのこころわれは思へり
またたちかへる水無月のなげきを誰に語るべき
沙羅のみずえに花さけばかなしき人の目ぞ見ゆる
新浪漫派を樹立すべし
一度おれの憎んだ君が
今度は俺を憎む
ありさうな事だ
さうなければならぬことだ
時走の幻想(一二、二二及ビ二五)
PROLOG エルネスト シモン[船]ましろく消えし辺に(鯨汐ふく(雲わきのぼる))この洋は
× ×
モロツコに行きたきあまりアンリーは親の金盗りにげにけらずや
アンリーは船着場にてとらへらる 親不孝めと母泣きにけり
アンリーの家に帰りて五六日 心おちつかずものも食はずゐる
室にこもりアンリーのさま静すぐ[静かすぎる]母はぬすみ見 気は絶えにけり
もろつこの風吹く窓に向かひつつアンリーくびれいきはてヽゐる
アンリーの汚れし襟(からー)に食ひ入りし縄に南風(みなみ)は
ふれにけるかも
アンリーの死顔青し小庭なるアフリカの木は茂りたりけり
アンリーよ生きの中にこそモロツコの風香はしと云はましをわれは
アンリーは諾(うべ)なはざらむ 生きのまの快きこと即ちつねによしとて
アンリーの墓に咲く花まつ赤なるモロツコの花時じくの花
アンリーが死んでいく年ふらんすの少年の眼は今も南に
半人半馬(ケンタウルス)かたむくよふけアンリーの墓處に立てり友どちわれら
南の楽園(パラデイソ)にゆく時たちぬ君が墓辺に花もちかへらむ
× ×
EPILOG エルネスト シモンま白く南に消え果てむとき君は泣くらむ
偶想
時走の忙しい最中にもこんな閑なことを考へるから
お金を失くするのだよ
きみならで誰にか見せむわがこころの花
かりそめの他(あだ)つ女に手折られしこころう[憂]や
手折られて手折られてたヾに道辺にすてられにけり
× ×
僕は即興詩人になれる、と思ふ。
ツネヲ[肥下恒夫]曰く 困ったら命にかけて助けてやる。
× ×
ツネヲの為にバラーデンを訳すべい。
× ×
電気時計の針の動きの見ゆる如。月は落ちゆく時走の空に
マント吹く風の寒さよ冬風にネオンサインは青すぎないか
ネオンサインあまり冷しもゆる火はほのほをもちてまた消ゆるものを
あの月の眉持つをみなこひしたひ死なばよからむかなしけれども
雨後の林に生ふる茸のごと低き町並みにビルデングそびゆ
この窓から向ふの窓へ手帛ふり手帛ふりつヽあそびたいな
暗色の空をバツクにビルデング白きを見ればおの泣かれくる
歌人はなぜ悲しかなしと云ふならむ
(たのしたのしとまた云ふてるよ)
かなしさに凡そならぬよろこびこもる
× × ×
よるひるをたえまもなしにまはるともヴエンチレーターにみヽかたむけぬ
傷ついたろばは傷ついたうまに勝る
× × × ×
旗立てる門並さむし雪のこる葛木山に陽はうすづきぬ (大正天皇五年祭)
× × × ×
廃園のふきあげに水は出でざりけり おもかげびとの影うつしけり
(ヴエルレーヌをおもひて)
巴里市役所の戸籍係が大詩人のヴエルレーヌなりしかなしといはむ
職業をはなれしのちのヴエルレーヌいよヽかなしくなりにけるかも
普佛戰爭に鉄砲かつぎてヴエルレーヌその重たさに耐へざりしとふ
× × × ×
年暮れむ
雲ひとひらの
空のはて (夜光雲第四巻了に)
来年も花咲かさうぞ
れんげさう
れんげさう水にこぼれて咲けるかや
謹みてツネヲ・冬美に献ず
〈保田、田中と一緒に野中寺の弥勒菩薩を見た。〉肥下恒夫
お礼と云ひわけをかねて(湯原冬美)── 嶺丘にものをいふ
※(良心の問題になるからなあ)[※更に後から書足し。]
わたる日の光寂しもおしなべて紅葉衰ふ古國原(ふるくにはら)に(赤彦)
わたる日の影淡くしておとろへり牛列びゆく古き國原(生[小生]) 昭和四年九月
山のひざかげおほろかにきりふかしもみじおとろふ太古のよそひ(生) 昭和四年九月
前樓日登眺流歳暗蹉 坐厨准南守秋山紅樹多(韋蘚州[中唐詩人])
こんだけ並べるとわかるのだが、ボクはちやんと赤彦と芥川全集を並べて真似たので、これは意識的にしたわけである。
その頃ボクはアララギの会員であり七つ八つ歌を出して三つ位のせてもらつてゐたのである。
だからオリヂナリテーをいはれたら止むを得ない。
それから僕は芥川の真似はさかんにした。之は君にも西川[※ 西川英夫]にも何べんもいつた筈だ。
だが、 茂吉や白秋や勇なんか皆芥川によつて洗練されたとその頃思つたからだ。だから僕はどつかのノートへ芥川が彼のまねの対象をいちいち書いておいたのだが、そ れを今捜すとない。
芭蕉だつて芥川によつて大いに理解されたと思ふ、だから僕の芭蕉論[※ 論文「芭蕉雑爼」]だつて、僕らの立場から芭蕉の型を拡げ た位だつた。「衆道」にしても。 (たヾ芥川の知らないことを僕は一つだけ他の本から見つけたのだから、この篇は「雑爼」の中へ加えただけだが)、
佐々木喜市さん[※生徒課主事]が中田に「保田の校友會雜誌の論文や思想の論文は一つの見方だ、だが今ではあんな見方がゆるされて ないから、せぬ方がいい」といつたそうだが、 この論文とは芭蕉のことだらうかと考へてゐる。
君が夜光雲第三を終るときの気持ちをボクもR火の七号位からもつている(挽歌だけは別)。それでボクは校友会誌十一号[に]短歌を のせて、 R火十号に「短歌はどこへゆく?」といふエツセイを書いた。例の校友会誌にのせるといつた「広告」はやつぱりそこから出ている。これは原稿で見せる。 校友会の方は前川の模倣だといはれる奴が少しあるかもしれないが、それはボクがわざと考へてしたのだといつておく。(このことも「R 火」のエツセイにかいておいた。)
津田清はボクの「R火」九号の「怖ろしき理知」のことを少し云つてくれたのだが、それは友情からの割引がいふとして、その中の三四 には今でも愛情をもつてゐる。 感覚とか象徴とか、写生とか、歌謡とか、童心とか、そんなものをすべて否定しゆく気だ。
この考へに元気を与へてくれるのは肥下恒夫である。
それから校友会誌十一号がもし出たら僕の「詩」をよんでくれ。これも本当は詩の形をかりた芸術論なんだが──もうボクも人のまねを よそうと考へてゐる。
ところで僕の芸術論はまねがなくては新しい傑作が生れないのだ。この意味で僕はまねをする。このことをコクトオは「傑作への抗議」 といつた。 ヘエゲリアンやマルキストは「弁証法」といふだらう。
たとへば君の川田のまねだね。アララギのまねをした利玄だ。ボクのオリヂナリテイを本当に観[ママ]して、 こんなものをいふのだが、僕も皆が皆模倣ではないのだがなア。
しかしおかげで少し感動したし考へをまとめられた。勿論此は昨年の十月頃から丁度考へていたんだが。 ──こんなことを書いてもぼくをあはれがることはよしてくれ。これでいい。だがボクも芥川の他にそう種本をもつていないよ。 勿論之から古い「歌らしいもの」なぞを作る位堕落してはゆくまい。ボクは君の歌は尊敬している。
だからボクは君が東京へいつて詩歌をやることを極力進める。うそだと思ふなら肥下にでもきけ。肥下もきつと進めようと思ふ。
肥下がボクに小説を書けといふ様に、君にもきつといふにちがいないと思ふ。
これで少しホツトした。君がボクを淋しがらせまいとシて改めていふことは不要だ。ボクの芸術論では文学のグループではドヤシつける 方が好ましい礼儀だ。しかし、 赤彦のこれらの歌は代表作だから誰でも(特に君なぞ)知つていただらうと思つたのだがなあ。
だが赤彦のことだが、君ならこんなのをどう考へる(「高つき」の如きは自他共に許した代表作である)。
石走る垂水の上の早蕨のもえいづる春となりにけるかも(万葉集)
高つきの木づえにありて頬白のさえづる春となりにけるかも(赤彦)
八雲たつ出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(万葉集)
打日さす都少女の黒髪は隅田川べの上になづさふ(赤彦)
(附記)出雲は辰見利文のいふところによると、桜井から初雲へゆく途中にある(現存す)部落ならんと。(君の万葉地図のため に附記す)
だがもう僕の模倣時代は終つてゐる、と考へる。之から本當の「模倣」を初[ママ]める。おヽきに、ありがと。」
(第4巻終り)
「夜光雲」第五巻
昭和6年1月1日 〜 昭和6年7月31日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(113ページ)
夜光雲 巻五 昭和六年
またたちかへるみな月の
うれひを誰にかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば
こひしきひとの眼ぞ見ゆる
嶺丘耿太郎
夜光雲は巻三巻、巻四に於て明らかに日記の体をとり、従つて讀みにくいものすらあげてゐる。
これは堕落であるかもしれないが、だらだらと散文を書くのはつらいから仕方がない。
もしこれをいつか見るひとがあればそのつもりでよんでほしい。
昭和六年一月一日
元日やチヤリネの笛のふきもよひ
雪ふヾく社頭にあそぶ子狗かな
親るゐ
全田[まった]のきみ子叔母
きみは車にわ[我]はその膝に紀の川の橋をわたりてむかしゆきけり
高の山のぼりのぼりて石標の里程かぞへしむかしなつかし
たかのやまみつ秀の墓は縛られたりひとりでにひヾわれてくるとふ
諸侯(だいめう)の墓の大さを小僧語り子供のわれは聞きゐたりけり
たかの山おくふかくきて無明の井ひるも星うつすくらさを見きや
たかの山杉の林の中にして玉川の水乏しかりけり
たかの山に朝のつとめの鐘鳴ればお山はさびし僧集ひこもる
全田の敦子、全田のすみ子 曰く、モトチヤン*とセツチヤン
全田の元子*と節子
肥下恒夫
全田忠蔵
夜中過ぎてよひしれもどる叔父なればその云ふ事はきかずともよし
(右ツネヲ[肥下恒夫]曰く)
肥下でとまる
さむしらや野路はるかにひとゆきて小川をわたるいまかそやかに
あかあかと日の丸の旗てりゐたれ雪もよひくる元日の空
鉄橋に電車かヽればさむざむと青淵に雪ふりこめる見ゆ
一月二日
松浦悦郎君 西川英夫君 友眞久衞君 中橋吉長君
親るゐ 今井俊一
こころさへ弱りたまふにやあらむ年のほぎことばにかけていはむとおもふ
むかしからの口調でさとすおほちちのまなこのくぼみさらにしるしも
一月三日
親るゐ 上念政七 父と
いたづらにロシヤのわる口やめなされ いヽ(gute)年よりとわれはおもふに
西尾鈴木[西尾末廣・鈴木文治]は社会主義者ならず 民主々義者なり
上念省三郎 KO[慶応]二年政治科
上念さと
おほはヽの妹なればわかき日のおほはヽ思へてなつかし
平戸松三郎
ちヽよりは二つ年下で家あらず 貞二の父
岡島乙三郎 岡島みね [※ 親類系図の走り書あり。]
× ×
増田正元 十二月三十一日に洗礼を受けた由
まひる大洋(わだつみ)のも中から
聖霊が泡をなしてわき上り
そらの虚無にとけちつて了ふ
あとにはしばらく波がさはぐが
やがてもとの静けさ けれどあヽ
そらのいろをうつすではないか
わがとものいまはちかヽらむ天つ國 かど[門]ひらきたてむかひよそへよ
いにしへの勇士らがゆきし天國(ワ゛ルハラ)[Valhalla]かこどもの遊ぶさいの河原か
どんよりと曇れる沼にひる近く魚浮きくる水藻の上に
どんよりと眼にごりてゐたりけれ もはや見ざらむとかなしみわ[別]かる
のせ[能勢] 田中義郎 のせ孝
小泉しづ、とし
一月四日
短冊に小雪かいたるま かな
(右相聞の歌)
一月五日
上念省三郎さん 森本春一さん 熊田君 のせ君
徹夜して東あからむひもじさよ
埋み[うずみ]火も消えなむころのとりのこゑ
一月六日
森本清
おとうとよ いま赤い陽がのぼる
暁の楽を鳥が奏する
きみ 足どりもかろく林に入れば
露をふくむ花がむかへるだらう
おとうとよ いまきみのこころにも
朝日ののぼり つゆのこぼれるのを感ずるか
お正月はハロルドロイドかあい相に走り つきあたりころげまはるよ
ハロルドロイド摩天楼の窓にぶらさがり もがくのを見ておまへは笑つた
高らかに声あげてわらふおまへのかはいさ ロイドそれほどおもしろいかよ
南天に鳥きてとまるひそけさや
南天や赤らほ[頬]にほふ子のわかさ
× × ×
上念の省ちやんに
正月の水冷しやわたし待つ ひとのかざしの紅ばらの花
水匂ふ川口をゆきをみなとあひ 舟発(い)でたつをきみは見にける
石炭積み船は出てゆく向ふ岸のタンクにうするひるすぎのひかり
川口に汽笛こだまし船でてゆく水の匂ひとおとヽするかな
× × ×
きよしに
どんよりと海はにごりてゐたりけれ川口に水ひたうごきけり
おほらかにもやはひのぼる海面にいま船々は燈をともしけり
海よ きりはのぼりてまや山のけーぶるの灯よ うるみにけりな
なくなかれ ゆうぐれ来ると誰か死ぬ 誰か死ぬるに生れる子ある
日の丸の旗ひるがへれ海港をとよ[響]がして入る外國のふね
一月七日
一月八日 始業 三浦、のせ、伊藤さん
一月九日 松浦、中島、ドンバル [※ 喫茶店]
一月十日
雪原
悲しみの白い息吐きのはらゆく車の跡の氷をふみに
大原にふヾき止めば日光さす烏はしばらく土を探さう
悲しみを和げやうに街に出るに 白いカラーをさがさねばならず
あきらかにこの石像は歪みゐる 歪めるまヽにせむすべもなし
やもり[いもり]は腹赤けれど冷血動物なれば冬原にそのむくろさらさず
植物が青いからとて都会(まち)中に賣る人あるを君は知るかよ
この藪に赤い実つけた潅木がある わなかけにゆくたびに見てゐる
植物の常緑葉[ときわば]光るこのみちは 君と歩かう名をつけてゆかう
ふざけ好きの人間がゐてひとごみで 泣いて見せてるそれも見にゆけ
(ツネヲに)
かたわものヽたつた一本の足を轢き折つたれば電車はゆれず
夏くればとんぼ眼玉を光らさう いま碧い眼はみがかれてゐる
[前川]佐美雄ばり
悲しみを圧搾しようとする大空の重さを感じねころんでゐる
ヴエルレーヌ (六、一、一二)
素盞嗚[すさのお]の尊は
蓬々たる頭で
出雲の國を行かれました
その頃は大山が噴火してゐました
湖ばたに蒲が生えてゐました
×
奇稲田[くしなだ]姫は朝鮮服を着て
川ばたで泣いてをられました
百合の花が流れてゐました
×
野火が盛りです
大國主尊が野中に立つておいでヾす
兎や野鼠や あらゆる野獸が
まはりに集まつてゐます
×
はるけく はるけく 水平線から
陸がゆれ乍ら近づいてきます
海の波がだんだん荒くなつてきます
空は眞青な日和です
白い波頭 津野主尊の髪(かみのけ)
×
月は炎ともえ上る
沙漠に魚が跳ねまはる
椰子の梢に噴水(ふきあげ)が
あヽ大空のいなびかり
ぐろきしにあ[※花の名]の結晶水
× ×
大寺の甍に鳥とまり
ひるの暑さに気絶する
雲が走る空を もう見えない
防火線が破裂して
星のかけらが散つて来た
× ×
茉莉の花も咲きました
ひきがへる出るゆうぐれは
いろいろの匂が固まつてる
× ×
華やかに はなやかに
をんな泣くこゑ
シヤギリ[ひょうし木]の音ひとしきり
眼 目玉 ヨウ[※不詳]
大理石の柱
× ×
はろけきにをみな思へば
緞帳に白い月出る
孔雀の羽のきらきら光りよ
× ×
亡びる民族の只ひとりよ
煙管
× ×
むかしむかしのものがたりは
すとーぶのかげで話すことで
棚の石像が泣くとは
あるちゆーるらんぼおの死ぬまへ
× ×
ひそやかに
人々の逢ふよるは
地球の裏側の寒さ
山々が結晶する
× ×
静脈が破れて──
あヽ ころんびいぬ[コロンビーヌ]のすヽり泣き
籠で白孔雀のはヾたき
冷い音だね 琥珀の環は
× ×
あるときの
きまぐれゆえにひとをこひ──
こはれしひとはいかにすべきぞ
×
神經がいたむといへば
そらをゆく 雲の早さを測れ
×
むらさめよ
ヴエンチレーター ひるもよるも
やすまぬほどの根気ももてよ
×
云ふほどに思はぬをんなを
話すなかれ
こひ死ねといふ おれにはあらず
×
なぐれ なぐれ
わさびの匂ひしてゐるぞ
こころいらだつ まよなかすぎに
×
お酒のむ子供悲しと
いふおまへ
のまぬ子供はうれしいといふか
夢の戰爭 (一、一三)
一
兵等集りて日々に街を焼けりしが、炎の中より不死鳥生れるを知らざりき。
されば火は燃えつヾき遂にかの白亜の殿堂に及ぶ。
火を防ぐものあらざりき。火を恐るるものあらざりき。かしこここに一群、炎のいろの鮮けさを嘆じたりけりき。
二
混凝土[コンクリート]の林にながながとこだまする拳銃のひびき。
うつろなる館にひとり居れば胸にこたへてならぬなり。
ここにこもりて日(ケ)の幾日、さあれ糧は未だにあり、眠らむ。
眼覚めむ時は銃剱の光の下ならむとも。
あヽ、うつろなる拳銃のひびき。
一月一三日
「西部戰線異状なし」を観る
峽田は雪かもつもる鮮しき青菜の凋れけふも復(なほ)らず
流れゐるこの河すらも凍らなむ 愁とヾまるときのしるしに
まつ白な壁に頭をうちつけて もがかずに死ねばたのしいものか
たましひのあるなし語るよるなりけり くらきにおびゆそを信ぜねど
ひとびとの死にゆくときはまつ先に死んで見せるがいとよかるべし
×
十八の若さのゆえに拳銃をもちて巷にけふも出にける
いのちと死といまだ思はねどてのひらの銃の冷さにおのヽかれぬる
たまきはるいのち捨て出す義務(つとめ)なきを みなうらやむいのちおしければ
戰ひのらつぱは町になりひヾき 昨日も今日も兵発ちゆけり
若き兵らえまひつヽゆく様見れば 涙ながるるそのえまひゆえ
×
市街戰いまは終れよこれ以上いのちつひやすべき仕事にあらず
革命の兵士のひとりとわれなりて 後悔の涙いま流しをり
革命の成就する日は来るとも いのち死ぬべきわざ減らざらむ
いのちをし いのちをしけば街に出てピストル買ひぬ いのちなぐさ[慰]に
×
雲低く地におりくるひるすぎは それ彈丸[だま]に死ぬひと夛からむ
かいぜる[Keiser]の野心もいまは恨まない これほど惜しいいのち恨めば
一月十三日 午后三時四十五分 増田正元天國を信じて永眠す
一月十四日 神戸友愛教会にて午后四時半より葬儀
棺をかく[舁く※かつぐ]
西空にくもひろがるを見てゐつヽ きみの葬りを終へにけるかも
きみゆきしパラデイソ[天国]いづこさむぞらの雲のかなたに姿見ゆるも
うつしよのからだらんを[乱壊]に近づけば唇いろどりしひとはありける
そらのいろうすあをくしてきはみなし きみをはふらむ日なりけりけふ[今日]
かなしみとくい[悔い]つきるときまたなからむ ここよわかれてつひに会ひ得ず
みはふりの教会の窓のそとゆきし白猫のすがたわすれざらむよ
春日野の墓地にゆうかぜ吹きいたり きみとわかれるときいたりけり
天女らは散華[さんげ]をふらし聖楽(がく)おこる きよく生きたるおとうとのため
死にいたるまでかなしきことばもてよびかけず いまひそやかにくりかへすとも
おとうともなるべくなりし海港は よるの灯ともしひろがりてある
大いなる夜空よ星よその下に 海港さびしよ灯つらねもてど
海港をゆきしにほへるをとめ子の ひとりを思はず死にけむものを
どんぐりの生垣めぐる墓どころ 変化来らずきみきよければ
みひつぎの足の方かきし[舁きし]兄さんとわれそれゆえかろしと思はざりけり
むこ[武庫]山の遠ねのいろをかたりつヽ きみがはふりにいたりけるかも
みはふりをおへはてしかば巷にゆき そこになかむとせしともあはれ
くらがりに棺の白さぞ浮びける 歌をうたふはきみがためならず
一月十六日
コーラス聨盟第一回大会 於朝日会館
一月十七日
肥下と保田とこへ
大和に来て雪まだ凍[い]てる葛木の山のうら側をさみしみにけり
三輪山の尾の間の谷や樫の木のもとに据えたりこの石佛
石佛二尊いませばおのづから見比べてゐるかしこけれども(弥勒、地蔵)
裏山に柴かく女ありけれど人とほしとはおもひゐたりき
羊歯の葉の成熟(みの)れる見ればいまなむよ み冬はつきて春来るらし
さむざむととほねろ[遠嶺]光るひるごろを 溢れしといふ川わたるかも
堤の芝草の間ゆくときに泣きさうになるをこらへてゐたり
石佛の苔むす見ればはろばろと造りしむかし思はれるかな
いのちあるくも[蜘蛛]ゐていのちかくせるを三人よりて見出しにけり
おのが身の卑屈(あたじけなさ)はすでにかくれなし あはれまれつヽ生きのながさよ
ひとびとはしづまりたれば夜更けとおもふ 炬燵おきたる部屋のさむさも
遠方に尖(とん)がつた山がひとつある 何といふ山か行つて見てこよう
椿市[つばいち]は亡びにければ金屋[かなや]なる石佛は風にさらされたまふ
樫の木にもたらせたまふ佛達 涅槃おもへてたふときろかも
樫の木や風わたれども幹うごかず佛二体をよらしめにけり
夏みかんの光る木あれり往来に見て空の光るに見比べにけり
吉野山西行こもるかそけさを偲びつヽゐるものいはぬまは
※〈田中と一緒に桜井の保田の家へ行く。〉
海王星 (一、一七、二○)
── 空 ──
一 軽気球あがれる空のすみ[澄み]いろにもののかよひは眼に見えくるも
軽気球の繋索きれよ おくふかきそらのまん中にくひ入らむため
×
二 春空のあんどろめだの星こひし 魚族もねむるふゆ空のもと
太陽のてるうち側に星らきて こよひの雲にかくされにける
薔薇の花天より降りて来るなり ひろひにゆかうひとひろはねど
×
三 聖楽の空にきえはて夜いたりぬ 白猫走り眼にふれにけり
ふき上げはのぼりてそらにいたらむず いましよしよ[シヨシヨ]とやぶになびけど
×
四 ぼんやりとものおしうごくはる空は げんげの花を咲かしめにけり
── 海 ──
一 桟橋を船員こつちへ来るなり ぼくらは船の名を見にゆかう
ともだちが死んだればとて海港の埠頭に来り魚見にけり
桟ばしの海をおよげる魚らの斑(しま)は水面にいつぱいになる
×
二 どんよりと沖が曇つてゐるなれば露台の椅子に誰も来ないぞ
断岸のホテルの白さ曇り日の沖ゆく汽船は笛止まずならす
×
三 海ばたの癲狂院の桟橋に狂人船の着く時設けぬ
狂人らのこゑもきこゆ早くも紫いろの船は来りし
×
四 地図なれば太平洋は青かりけり赤き航路に目をおしあてぬ
×
五 港町の十字路(つむじ)はかなしひるすぎは波立てる海見えてくるかも
白波をふきあげる海へゆくみちにきつとひとゐるふしぎでならぬ
×
六 わが室は三方の壁に画をかけて海きく窓はあけておかうよ
にんげんら死にゆく時は時計塔に鴎つどひて啼かんとすらむ
── ふるさと ──
一 ふるさとに夏雨立てば松原に自分はくはぬきのこ[茸]とりけり
×
二 三大星しづしづのぼりわがともの別荘の杉にとどまりにけり
葬禮(さうれん)の山菓子もらうたこと恥ぢてざくろ咲く家にひる中かへらず
×
三 ゆうさればくちなしの花匂ひ咲くかはづのたぐひ青く光り出る
村中でも螢草生ふ庭なれば螢来る夜をわれは待ちけり
古井戸に鮒逃がしめてこころをし[惜し]のぞきにゆくがならひ[習慣]となれり
爬虫類の卵をかへすおそろしさ蛇(くちなは)ならばどうしようとぞ
神戸港 (一、二○)
増田正元追悼會、元町の鈴蘭燈よ
日のくれはなかなかこないぞあの塔の硝子の中に誰がうごいてる
方々の時計塔の文字がはつきりと見えなくなつてやつと海のくれ
巻雲のとびちる空のさむきくれ こだまながうて上海丸の出港(で)
川崎の煙突のむかうにおちるとき まつぷたつになりし赤き陽はも
ひそびそと船側をとほりぼくゆくに マストの上を鳶まつてゐる
山々の冷さが身にしみこんでフランスの旗おろすを見てる
海いつぱいに腹赤き船浮かびゐて煙吐く見ればたたかひ思ほゆ
きらきらと空広く光る十字架のとうとさゆえに涙ぐみしか
海波の暗さを見ればおそれにき さほどさびしくてわれはゐにけり
ふゆ海はうしほにほはずひた流るいろくず[魚]どももねむりふかけれ
魚等の冬眠のさま見にゆかん いのちのちからうすきこころに
ゆにおんじやつく ひるがへす商館(みせ)の碧眼の児 横笛吹けよ自轉車やめて
いつまでもこんくりいとの林あるに つれなくさむく陽はうごきけり
方々の時計塔だけ日がのこるそのたまゆらはかなしいものを
べうべうと日本の笛吹きならしゆかば笑はむ碧眼の子らかなし
すずらん燈あかるけれども他(よそ)のまちなればあつもり草を買はむと思ふ
おれの血に浪費癖あるあつもり草みんな買占める貪欲心ある
きれいな女(ひと)がつれ立つてあるくこの街で わがはづかしさは猩々木[※ポインセチア]となる
春の花
フリーヂヤーよ フリーヂヤー
飾窓の中に咲いてゐた
女の児が眺めて行つて了つた
匂ひもしないフリーヂヤーよ
もつとも寒い日だつたが ──
ひとはしらない
春の海のまん中に おまへが一杯咲く島のあることを
その近くをとほる凡ての船を
恍惚たらしめる 匂りの高い島のことを
おれは知つてゐる
それゆえ青い顔をして 飾窓の硝子に
顔をおしつける。(一、二六)
紫でふちとつたしねらりや[サイネリア]
びろうどの外套着たれいでい[Lady]に似て
頭痛のやうな恋心を感ぜしめる (同じく)
わがとものつねを[※肥下恒夫]すいすにゆくときは さくらさうさけそのあしあとに
岩角にかもしかとべばかなしかも ぷりむら[桜草]の花ちりにけるかも
あるぷすの高みに咲けるぷりむらは きりにぬれつヽ日をこひにけり
【抹消】きりはれを山の角笛吹きならし牧童のゆく牧に咲く花【抹消】
「最後の中隊」 JOE
MAY[監督]. KONRAD VEIDT[主演] (一、二九)
唖唖と啼く鴉に石を投げうてよ戰友(とも)の眼を啄(く)ひもちにけり。
死屍[しかばね]は日に日に腐れゆくらしも戰は[果]つる日はいつならむ。
沼深きこの國原に死にゆかば月の出毎にひと嘆かむを。
沼中にうつぶせに死にしひとゆえに 地(つち)のはたてにひと泣きにけり。
ふらんすの兵たいの彈丸[たま]ともを斃(たほ)す わがうつたまもひところせしや。
勇ましきわが隊兵はすべて死に果てたるのちに戰は止まむ。
わがこころ嘆かひやまずしかなれど 死なずば止まじ占星(ほし)に見えけり。
風車小止まずめぐるこの小屋は わが十三のおくつき[墓地]どころ。
女の児ひとりゐにけりそが瞳 われらとともに眠るものならず。
この小屋の持主たちは去りゆきぬ 沼地をめぐりもはやひとゐず。
よるふけてどよみ通るを感じゐる ねむれぬよるは早やも明けかし。
馬車のおと遠くに去るをききゐたり 大の男はなぜ泣かれぬか。
馬車の音最後にきこえ風来る 沼地に鳥はひとこゑ鳴きし。
死にてのち六馬(りくめ)の葬車なにせむに いのちのをはりいま頌(たた)へなむ。
曉(あけ)近く女(むすめ)かへりて来りけり ともに死なむとやがて云ひけり。
いのち惜しやがて去(い)なむと泣きしとも そがゆえかなしともに死にせば。
蓬々と枯木に風は吹き去[い]にぬ やがていのちの時来らむず。
もののおと風にこもりて曉(あけ)をくる 生命知りせば寢(い)ねずになりし。
紅きばらかざしにしたる處女子[おとめご]の 銃にたほれし兵ひとり。
いやはての彈丸うつ音のよはさかも 頭を越して遠くとびにき。
かなしきはひとに勝れりこのかなしき ひとびと死なすわがことのは[言葉]は。
援軍は遂に来らずわれら十三人 すべて死ねとよつひに死ねとよ。
激しかりいくさにのこりしわがいのち いまはのがれず愛(かな)しきろかも。
月いでぬよるのふかさよ地平(ちのはて)を ひそびそとゆくわれがいのちは。
わが國も亡びしといふしかすがに 涙見せざらむ國はわれなれば。
傷ける人馬つぎつぎ倒れゆく ぷろしあ[プロシア]の國いまは囘復(かへ)らず。
集まれのらつぱひヾけりいくたびか 十三人にいまはもう増(ふ)えず。
連丘のはたてのかぎり来れかし 死骸(しかばね)の魂かへり召集(あつ)まれ。
あヽわれら百二十人もて戰ひき いま十三人を数へおはりき。
鴉啼く十三啼きてなきやめぬ われらが棺はいづくにかある。
戰ひの後の大地に霧ふかし 死屍のまに呼吸あるわれは。
傳令は霧を衝きつヽ来りけり ここにと呼べど探しかねたり。
隊長の広きひたひに青筋のにじむをみれば命迫れり。
MAR NOSTRUM [我らが海](二、三)
銅色の半魚神(とりとん)の躰に藻はからみ 小魚その中にひそんでゐる
半魚神 岩にあがつて体を乾かす 海の雲うごかぬひるすぎ
海の匂この山中にする よと見れば峽湾に寄するは潮青けれ
半魚神 うごかずつヽきに来る 小魚のうす赤いくちばし
地中海に噴出する溶岩の尖端から今も烟ぞのぼれ
煙のぼる火山島に人ゐて耕すを努む あくまでも噴火来れど
橄欖[オリーブ]と棕櫚の西班牙[スペイン]王家の御成り海の離宮にいま
来れ来れ独立の謀(はかり)めぐらさん 今日は山にけむりのぼらず
かすてらの女王に恋すればや いまだに文来らず燈台にのぼる
古代の都市に女が来たれば白い柱こひしうて話しかける
蔓草まとふ垣のペンキに女達のほのわらひ海の見える高み
人間のいのち脅かす人間の群ひそかに迫つてくる黒い影わらつてる
珠玉まとふも女なればおれに依らうといふかなしいのぞみになげく
珠玉保ちたければ間諜[スパイ]ともなりしわれが言きヽしは何の故かしらん
つひにぼくも人魚の餌となりばらばらの肢体を沖の岩ほにさらす
性慾(せっくす)の姿態おぞましこのゆふべ暗室に膠[にかわ]流れてゐたり
三角帆はつた船ゆく海原にまつすぐに筋つけてゐるなり
サイン求められしままに [※寄せ書き]
保田與重郎(湯原冬美)
水にもぐつたおまへの
足のうらだけが見えるまつ白な
×
水族館のがらすの中をかなしいおまへの
足がひらめくを見てる
丸三郎
とほくのとほくの松江まで 行つてぼく達の弄んだおもちや[※娼妓]の感触が手にこびりついてる
その白いペンキの匂ひがいつまでもとれない
西川英夫
君のゆく西のみやこは川仄白く ひと暖かき詩のみやこ 女のみやこ
そこおきて見も知らぬ他國へわれはゆく 何故かとおもふ。
わするヽなかれ わすれじのちかひはかたく とけずとも のぞみはつ
ひにときがたし
長野敏一(高山茂)
丘の上の一本松にひるすぎは
白い鳩が一羽来て啼き出す
松下武雄(大東猛吉)
ひのくれはなかなか来ないぞ
あの塔のがらすの中に誰かうごいてる
鎌田正美
白雨未霽 [白雨いまだ晴れず]
松田明
晝顔は瓜や茄子の花鬘(かづら)
井上槮
漱石の猫に似たりや きみがまみ
善泳者善溺可懼水 [よく泳ぐものはよく溺れ水をおそるべし]
火日干や茶椀に蝿は溺れけり
東龍吉(俣野博夫)
やせ鴉啼けば誰かヾ死ぬるなり おれの屋根には昨日啼いたぞ
紀畑揚嵐(藤田久一)
天之蒼々夫正色邪(荘子逍遥遊) [天の蒼々なるはそれ正色か]
紅松一雄
玻璃の海に波立ち天使ら笛吹けよ
岩村一
花の咲く幽けき森に鳥遊ぶ しかあそばうよおれとおまへは
武蔵野のくぬぎ林の倒木に腰かけてきみの恋をきかうよ
風吹けば木末に【抹消】音はひヾくなり【抹消】さわぐよ音楽のいみじきことをおれはしらねど
君の肋骨はクスリの匂ひがする ツネヲ
おれの胃の腑は腐つた乾酪(けーぜ[チーズ])の臭がする
おれの歯齦[はぐき]は膿んで毎朝出血する
おれの鼻はぶくぶくで嗅覚を殆ど有しない
おれの直膓は破れてゐる
おれの鎖骨は下垂してゐる
おれの脛骨の曲がり工合を見ろよ
おれの顎は人一倍尖つてゐる
おれの歯は人間をかむに適してゐる
おれの体臭は友を却ける
かくておれは造物主へのたへまなき反抗と屈服に
うみ疲れて了つた。おれは今尚精神的には
彼といがみ合つてるが体力はもういふ事を利かない。そこで
しやうことなしに休戰の状態だ。むかうだつて全くは信
用はしまいがこつちが黙つてりや 何あに事を荒立てはしない
一九三一、二、七
奈破翁[ナポレオン]をよむ (其作之八、一九三一、二、八)
たのみにした将軍等も背き、巴里の市は降伏し、僅かの兵の半ばは[が]敵にかこまれて了つた時になつてはじめて、奈破翁は自分の星を導いた。
すヽりなきで一杯の軍隊に別れを告げるとき、彼はかういつた。名誉ある自分の戰史を書かうと。しかしエルバの島に来て海の白波を見たとき、幼
時の彼の望遠の心はまたも再現した。運命の星は又もや彼の上に君臨しはじめた。ナポレオンは栄々と島の建設事業につとめ、よるは地図を開いて
果てしない空想に耽り、彼のために死ぬ勇敢な軍隊を想ふ。この時彼が涙を流してゐたとなら僕はどんなに彼を愛慕したであらう。
×
落目の悲哀をナポレオンほど具体的に示してくれるものはない。もがけばもがくほどずんずん目に見えて落ちてゆく。果てしない古沼の底である。
昨日はヨーロツパの帝王、今日はフランス王、明日は流刑囚ボナパルト。しかも彼は泣かない。
×
ランヌ元帥を僕はナポレオンよりも愛する。勇敢さ等に於てはネーらに劣るかも知れぬが、自尊心の強いナポレオンの只一人の「お
まへ」といふ呼びかけ手であつたこと、童顔、没落の前に死んだらしいのが何よりもうれしい。ネー、ベルチエーのかあいさうなこと。
×
しかしベルチエーも好きだ。ベルリンでロシヤ兵の行進を見て発狂死したとは案外良心のある弱い男だ。
野球部送別会 (二、一○)
内田英成
おまへの性慾は魚である。
なまぐさい匂ひがするぞ いちじくをおしつぶせとは誰がいふたか
まつ蒼な性慾が流れて行つたならお前は少女をもう嫌ひ出す
三浦治
おまへの性慾は船である。
をんならが浴みにゆけば町中に犬がいつぴき急にやせ出す
推進機(スクリュー)のかきみだすうみは赤茶けてる禿山かこむおまへの海だ
能勢正元
おまへの性慾は猫である。
人形の足の白さを語るとも おまへ人形をもつてぬなれば
ポンポンとピアノふみならす白猫を叱れとおれがいつておいたぞ
丸三郎
おまへの性慾はこぶしの花である。
ふみにじれつぶしてしまへ凋れ花 しもやけの足がかゆくてゆかぬ
はらはらと気をもみながら子供見てる 電車線路に遊ぶ子供を(コイツハ下手ダナ、ワレナガラ)
小林正三
おまへの性慾は鼠である。
まよ中は明日まで来ない 油火のひかりさゆらぐむかしのをとこ
ふたヽびは見まいとおもふ女のかほ向ふから見にくればどうする
友眞久衞
おまへの性慾は茶である。
とんとんと太鼓ならしてゆけりしがなんでおまへにかヽはりあらう
まつ白なまつ白な猫を飼つてるとひそかによるは女に化ける
三島 中
おまへの性慾は竹である。
雪深きお山のおくのたけのこはめん竹なれば人に食はれず
どんよりと眼をすえて物云へばたましひの逃げるけはいしないか
× × ×
肥下恒夫の性慾は犬である。或は夜。(二、一四)
尾をふめば鳴けよ日ぐれの蒼い犬横町路地は暗いといへば
性慾の起り来る時尾を垂れてそれでおまへを雄といへるか
服部正己の性慾は鶏である
ひるすぎて庭の籾殻しめり含むこの山原にもの音はせず
泉水の鯉はねあがる物音におまへ鳴き出す透る声かな
潤々と氷雨ふりしく街ゆけば女犯欲してしばしも止まず
おとといの雪は氷雨にとけにけり愈々に止まぬ邪念を持たる
うどんそば運んでくれしお雪さへ男と寝るか氷雨降る夜を
細ければとからかひはねし白妙のお雪かなしや賣られにけらし
この頃はかなしむことも夛からむあの赤ら頬も今は褪せきや
世の中のわるければせんなしとあきらめ男抱いて寝るかおまへは
獸である男をにくみつねにをれよ頽れて了ふ体をもてば
×
きんきんと高嶺は雪に映(かヾよ)へり厭離穢土心もたぬにあらず
憧憬のこころとヾまりぬ 朝々をまなかひに見る大峯[ね]ろの凍(い)て
二上の焼け茅原に雪つみて昨日も今日も解けずば見ゆる
さくさくと雪積む中をゆきにけり おのれかなしむこころもきえて
× ×
×さいかちの実の鳴る冬空
−東京−
×坂の上から馬の下りてくる
−東京−
×宮城の濠に鴨死ぬ
−東京−
×近衞兵の赤ズボン
−東京−
×本郷の高台からは富士が見える
−東京−
×労働歌も聞こえよ、煙
−東京−
×丸ビルの燈、自動車来る
−東京−
×角帽巡査に尾行さる
−東京−
×女、投げキス、カジノフオーリー[浅草喜劇芝居]
−東京−
×不良少年、公爵令嬢
−東京−
×KO−BOY、文化学院、バカ !!
−東京−
×一高生靴をはく
−東京−
RennのKriegをよむ。2
月12日 於肥下。
同日支那料理食べる 全田。
× × × ×
増田正元を偲ぶ
あヽ帝陵のわかみどり野にはかぎろひうらうらや
雲雀も空にたはむれてわかくさは日にむれにけり
われらわかうど球うつわざにひるのひとひをくらしはて
夜となれヽばおぼろ月ほんのりてらすそのひかり
きみわかかりき あヽいへどせんなしいまはたヾ野にみちかほる
わかくさにきみをおもひてなげかんかむねせまりくるよひよひを
×
若草のむつとする匂の中で野球をした。
すヾめのえんどう、からすのえんどう、たんぽヽ、げんげ。
日は暖かに照つてゐた。お腹を空かせたね。
すいば、水芹、つばな、ぎしぎし。
よるは進軍の歌を歌つてサルタンへ行つた。
〽 日出づる國の丈夫が今 戰に出でてゆく。
春の踊のうたもきみはとうとうおぼえて了つた。
〽 さくら、さくら、花は西から東から。
久米皇子埴生山墓 (二、一五)
原は羊歯の茂りもあさくしてうごくものなきひろらのさむし
松原にみ子の御墓を訪[と]めくれば冬日をかくす雲動きけり
まんまんとにごりし水をたヽえたる山原の池に鴨はねむれり
埴生山ひるふかくしてひとかよはぬ道をゆきゆくわれと犬とは
群松の木末うごかぬしづけさやとほくのとよみいまはやみたり
蓬々と陵原に雲うごきとほ山の雪いまはひからず
かつらぎの潅木林に雪つみてどんより光るにひたむかひけり
哀歌 (二、二二)
まつ白な花に包まれねむりゐしひとのむくろはそらに求めむ
蒼々とひろがれるそら見つめてあり誰のまなこかかヾやきいづる
千年後きみが壙口[はかあな]くづれかし くちぬむくろにひとおどろかむ
青山のちらばひ立てる國原はわがかなしきがおくつきどころ
みじかきはわが世なりけりここのたび[九度]生れてまたも冥にいるべし
ゆうぐれは彼蒼[青空]仰げ北山の松の木ぬれに風しづまれば
飜々[はんはん]と幡[はた]ほこ立てヽ並みゆけばわれのはふり[葬り]もたのしとおもふ
をとめらはなみだをぬぐひ仕まつれ いま大君のはふりいでます
おほぞらのあんどろめだ座落ちも来ね きみのひとみをひらかせむため
梅咲く フリージヤ咲く プリムラマラコイデス咲く プリムラシネンシス咲く
清徳保男氏を訪ねる。不在 (二、二四)
きみプラトンにならうとき
ふかい青空とポプラの木。
ゆうかりは葉をおとさぬ。冬にも。
オスカア・ワイルドとなりて
恥廉の獄に沈むはよせ
夕日影 淡らうすらと。首たれて
われらは行かう
みちのくのいはがきぬまのかきつばた いはねばこそあれこひしきものを
(二、二七)
梅咲くや小家のひるに楽の音
恋は感情である。
道徳は感情である。
中之島公園で自轉車の丁稚につきあたり、バカといつて了ふ。
僕自身をえらく思ふ日は近頃決してない。時々かはいく思ふ。
西川の僕を思ふ程度に。なに芝居気の夛い阿呆さ。
うつうつとひるをねむれる小馬らのまぐさにはるのかげろふたてり
ひるのひのひかりあからみながながと首出してゐる馬もありけり
入学試験に落ちるなら。
かるもちんの味がにがいかためしたろ(それほど小心にもあらず)
関大で田舎つぺいをひやかすべい。人間をけいべつするくせまたおころう。
バイブルの雲 (抜粋、三、一)
我わが虹を雪の中に起さん、これ我と世との間の契約の徴(しるし)なるべし。即ち我雲を地の上に起す時、虹雲の中に現るべし。(創世 記 第九章 第十三,十四節)
視よ、彼は雪に乗りて来る衆(すべて)の目かれを見ん彼を刺したる者も亦これを見るべし。且、地の 諸族これが為に哀哭(なげか)ん。アメン。(約翰黙示録 第一章 第七節)
我また一人の強き天使の雲を衣て、天より降るを見たり。虹その首(かしら)にあり。其面は日の如くその足は火の柱の如し。(同、第十 章第一節)
我、天より大いなる声ありて此(ここ)に昇れと彼等に云ふを聞けり。彼等雲に乗りて天に昇れり。其敵之を見たり。(同、第十一章第十 二節)
われ観しに白き雲あり。其雲の上に人の子のごときもの首に金の冕(かんむり)を載き手に利鎌(ときかま)を持て坐せり。又、一人の天 使、殿(みや)より出で大いなる声にて雲の上に坐する者に曰けるは刈時すでに至れり。地の穀物刈り取られたり。(同、第十四章第十四 -十六節)
卫ホバ彼らの先に往きたまひ晝は雲の柱をもてかれらを導き、夜は火の柱をもて彼らを照らして晝夜往きすすめしめたまふ。民の前に晝の 雲の柱は除きたまばず、夜は火の柱とのそぎたまはず。(出埃及記 第十三章第二一,二二節)
ここにイスラエルの陣営の前に行ける神の使者(つかひ)移りてその後に行けり。即ち雲の柱その前面(まへ)をはなれて後に立ち。エヂ プト人の陣営とイスラエル人の陣営の間に至りけるが彼がためには雲となり暗となり是がためには夜を照せり。是をもて彼を是と夜の中に 相近づかざりき。(同、第十四章第十九、二十節)
暁に卫ホバ火と雲の柱の中よりエヂプト人の軍勢を望みエヂプト人の軍勢を悩まし(同、第二十四節)
アロン即ちイスラエルの子孫(ひとびと)の全会衆に語(つげ)しかば彼等曠野を望むに卫ホバの栄光(さかえ)雲の中に顕はる。(同、 第十六章第十節)
かくて三つの朝にいたりて雷と電(いなびかり)および密雲(あつきくも)山の上にあり。又喇叭の声ありて甚高かり。営にある民みな震 ふ。(同、第十九章第十六節)
是に於て民は遠くに立ちしがモーゼは神の在すところの濃雲(あつきくも)に進みいたる(同、第二十章第二十一節)
而してモーゼ山にのぼりしが雲山を蔽ひ居る。すなはち卫ホバの栄光シナイ山の上に駐まりて雲山を蔽ふこと六日なりしが七日に至りて卫 ホバ雲の中よりモーゼて呼びたまふ。卫ホバの栄光山の巓に燃ゆる火のごとくにイスラエルの子孫の目に見えたり。モーゼ雲の中に入り山 にのぼれり。モーゼ四十日四十夜山に居る。(同、第二十四章第十五-十八節)
モーゼ幕屋に入れば雲の柱くだりて幕屋の門口に立つ。而して卫ホバ、モーゼとものいひたまふ。民みな幕屋の門口に雲の柱の立つを見れ ば民みな起ちて各人(おのおの)その天幕の門口にて拝す。(同、第三十三章第九,十節)
卫ホバ、雲の中にありて降り、彼と共にそこに立ちて卫ホバの名を宣べたまふ。(同、第三十四章第三節)
かくて雲、集会の天幕を蔽ひて卫ホバの栄光幕屋に充ちたり。モーゼは集会の幕屋にいたることを得ざりき。是、雲その上に止り、且、卫 ホバの栄光幕屋に盈ちたればなり。雲、幕屋の上より昇る時にはイスラエルの子孫、途(みち)に進めり。その途々凡て然り。されど雲の 昇らざる時にはその昇る日まで第3Dまで途に進むことをせざりき。即て晝は幕屋の上に卫ホバの雲あり。夜はその中に火あり。イスラエ ルの家の者皆これを見る。その途々すべて然り。(同、第四十三章第三十四-三十八節)
三月三日、1.高等学校試驗終。
2.学校の晝餐。
3.ドンバル、千壽堂(松浦、本位田)
4.夜、鯖鮓、嘔吐。
4、 保田の云ひ方をかれば
魚族の皮膚の感触は青白く 彼ら
胃液中で産卵し始めたゆえ
各個体は忽ち生命の洪水に溢りあふれて
俺を悩ます 海の水はここまで差引して来た
俺は胃液中に手をつっこんで
又も生ぬるい感触に黄民族を厭ふ
かくておれの受胎は午後二時に終つたのである
3、 学校 終りを告げ
喫茶に味気なし
出目金[※佐々木生徒監]に憐れを感じ
女の児に笑はる
1、2、骼々[かくかく]と構成作用、濫生、擬受胎期
今、潮、山の力、
月、溺す
あはれさやあななす[パイナップル]を剥ぎ老ひにけり
もろもろの罪すぎさりて浴[ゆあ]みかな
三月五日
娼婦らの若きを見しが三月の嘆きなりとはひとに知らゆな
かくかくと水禽鳴きてききにけり風吹く昼はいまぞめぐれる
外國人のこころとなりてはるあはき巷をゆけば何ぞかなしも
ちんばの児まひるながらに道ゆけば日本の國も場末と思ふ
革命の時期とはなりてこのひるま ものにおびえて木の芽を嗅げる
日本の生[ママ]文明もかなしけれ壁はげにける映画のくには
横町の女笑ふを見たりしが そぼひげ生やすわがためならじ
マントを抑へ風にむかひてゆくときは 泪出るほど金の欲しけれ
×
保田がよめといふからに
桜草買ひてうれしもわざわざと空ふりあふぎ星をたづぬる
猫とらへをすかめすかを訊ねしも こはかりそめのことならず
をんなのゐぬ世界なければ女のまへで芝居うつともきみわらふまじ
× × ×
植物を愛して愛していまはもう風吹く街は歩けない
朱い実をつけた樹が青空に立てばこれは幻想でないかと疑ふぞ
こんな日に動物をいぢめやうと云ひ出してもそれは本気か自らも知らぬ
霧が地平になびいてほの白いおれはおまへ[※肥下恒夫]の妹[元子*]を貰はうとおもふ──
おれ以外のおれだつたら
中央公論、改造三月号、
静かなる羅列(横光利一)
ひそやかに葉緑素採る○○○○○[ママ]
玻璃玉に鳥しのびいる○○○○○[ママ]
三月六日 藤井寺村野中−應神天皇陵−仲姫皇后陵
あづさゆみ春は浅けど山原の梅咲くところにひばりをきけり
はこねうつぎいまだ芽ぶかぬこのひるのあたヽかければ春愁あるかな
方々に梅の花咲く日和
みさヽぎに群鳥どもは飛び集りよるひるなきてあかすものらし
みさヽぎの堤の苔の青いろの目にこころよう春空に立つ
おほ空に雲は流れてゐたりしが目の晶液のきずかと見たり
おほおほと水気のぼれる春空にきみがたましひけふは降り来ね
正元にも一度会へば何云はむ
ごぶさたや梅咲くひるの佛たち
三月七日
われもまた陰陽師となり壇築き 北斗の星の恵愛(めぐみ)こふべし
よひよひに白狐つかひてかの女(ひと)に文を参らすおもかげびとに
北斗星没落(しづ)めるのちは新しき南極星にむかひすはらむ
弓をもてわれを狙へるひとありてこよひも天にこちむける見ゆ
ゲーテのフアウスト、タツソー、ゲツツ、エグモント
(世界戯曲全集十一巻)
陪塚[ばいちょう]をまひるひそかに掘りてをり かつかつと鳴りて石人の剱
けだものヽ顔もてる石像あらはれぬむかしのひとのこころはいかに
タツソー
ゆうだちやたちまちくらき生姜の葉
わがこころいきどほりなくこころなく
ゲツツ
あまりに古きこの正直な男、仇敵にも愛され
チゴイネルの群れに飛び込んで忽ちここをも修羅の巷にしてしまふ
善意の塊、悪意の的
おもだかにひるすぎの小魚(ざこ)よりにけり
西風に花まひも来ね夕まぐれ
むらさめはこの杉かげを残しけり
桜草よし
藤井寺を去るに当りて (八日)
遠ね[嶺]ろにひるすぎて雪輝[かが]よへり遠くにゆくといまは出でなば
あたたかきはるのひかりに菩薩おはすみ寺の梅もさかりなるかな
春のおどり (一○)
歌姫とならばぷりまどんなとなるべし
長羽衣もて舞ふべし
てなあ[テナー]となりてうたうたふべし たからかに
ひとりうたふべし はるのうたうたふべし
東邦の閨房(はれむ)をおもへば
この乙女らの脚の太さよ
髪につけたしくらめんの匂ひが
舞ひにひろがらば
波斯[ペルシャ]の國、沙羅族の國、
大食[サラセン]の國では王様おひるね
東邦
東の方には棕櫚で葺いた家がある。
店舗では香油、砂金、水晶、生絹等の珍しいものを並べるさうな。
東の方では十字の星が見られるとさ。
異境徒達を照して──
東の方では物云ふ砂がある。歌うたふ芦がある。
驢馬には角があり、翼ある蛇がゐる。
東の方では幻影(いめーじ)の都市がある。
朝日に輝く尖塔を探ねて夕方まで迷ふとさ。
東の方の沙漠には古代の都市が眠つてる。
生き残つた人民はエヂプト語をはなし、みいらを作つてゐる。
いつかその人達が迷ひ出て来るさうだ。
淨い美しい姿をしてゐるんだとよ、お金なんか知らないのだと。
東の方はいま何が起つてゐるだらう。
あの雲の辺だね、眞珠色の夕雲だ。教主(かりふ)様がいま、
お晝寢から覚めて、椰子の林で晩餐さね。
ほら、あらびあ幻想曲、よせよ、あれはこちとらのことぢやないよ。
東京へ 十二日朝七時半 大阪発 さくら
十九日夕五時半 大阪着 つばめ
しらしらとよのあけるとき きみが見し浜名の湖をひるわたるかな
みづうみはあいいろのみづたたえたり比良やまの雪ぞここに白きは
ひたすらに心おちつかぬ旅をしぬ ここは豊橋外れ赤松の山原
北國へ向はむ汽車は笛鳴らし いま春の雪降り出でにけり
北國の木の本沢におおはヽと 共に下りたりと友は語りし
いぶき山さしも知らざりき白々と 雪つむ山の寒からむとは
旅心となりて見呆くるこの峡に むかしの人はいのち強せし
富士の山これは夢かとおどろけり 雲にまつはり暗空に立つ
するがの海によせて砕くる浪のいろの 青かりしかないまのこころにも
富士の峯の傾斜の尖り辿りつヽ やがてさびしとわれは云ひ出つ
むかしむかし海道下り斬られける ひとにも似たりわれがこころは
みちのくにわれは行かむよこの旅を 東京にしも終らむと思はず
果樹園に白々と咲く花ありて たそがれ近き陽となりにけり
夕近くなりぬといひて物音の 深くわき来る街に下り立つ
『春』プドフキン (一七)
ふるさとのタンポポの花をこひしみつヽ
さんらんとふりそそぐ映画の光に見いれば
となりにゐる保田もほつと息をしてゐた
おたまじやくしが生れていまだ声も出ぬに
おれとおまへは一ぱしな気で水に浮かんでるのだね
椿の咲く東京をおれはきのふいちんち歩きまはり
美しい東京コトバの子供を聞いた
こんなこころはいつまでもてるかしら
黄色いつばきのしべだよ 蜂も飛んででる
やがてマロニヱが大学に咲き出せば夏だ
憂うつな顔をして俺は荷造りをしよう
ろしあでは復活祭の鐘──
これはすたれた童心で東京でも神田のニコライ堂
おれは涙をいつぱいためて女の子の踊りまはるロシアの
体育祭を禮讃しよう
日本で誰が理科以外で植物の画をかいたか?
あヽ植物 赤い鳥 赤い雲 赤い魚 赤い犬
を誰も知るまいぞ。 [※以下3行ほど破いて破棄。]
富士
下宿の窓から見た不二は
煙草の煙よりは少し濃い
小日向台の向ふから覗いて──
あヽ退屈な。熱が余り高いので
崖の向ふの犬を呼んで見ると
それでも尾をふるから感心だ──
この景色は夜になると
不二がかくれてウルンダ灯が方々につき出す
女の眼だ。芽を吹かぬ木に星がかかり
西片町にはあの温和な博士が今夜も御勉強だ
となりでは又革命の話、あヽ諄々と
赤い陽がまはるまはる
不二が明日も見えるだらうか?
歪んだ車輪
東京を去るかなしみは落第を恐れるこころときみに語りき
DornierX=DO.X
不忍池の向ふ岸には
近代摩天楼が並び立ち
輕気球の游んでゐるのを見たとき
ハツトリよ あヽ 東京だね
とおれは叫んだよ
それは幻影の実体であるか?
あつたか?
かすみ立つ春の[野]に出でてわがをとめ むかしつくしをつみにけるかな
わがをとめあかきはをりをなつかしと めにたちにけるむかしいづこに
×
つヽゐづつ[※枕詞]をさなともだち学校を出づる日にあたり沈丁の咲く
このとしも沈丁咲くべくなりにけり をとめをおもふちまたのほこり
やまもとのはるのかすみのおほおほに われらのこひもすぎにけるかな
秀才の名まへも去りてことしここに われ老いむとすをとめらいかに
×
沈丁はね 東洋人の匂ひだよ
舞姫たちのコスチユーム
色はなやかさはないけれど
おれとおまへの初恋に
この花の香がしのびいり
いついつまでも忘れない
沈丁咲けば思ひ出す 頭が重くなるのだよ
沈丁 沈丁
むかしの花 むらさきいろのむ−か−しの花
×
こころぐく[ママ]沈丁匂ふ夕ぐれに
鳥啼かず木の枝かへる夕ぐれに
むかしのこひをかたりにき
×
けものめくわれらがこひは
Pelo Nostro Pulano Moreo Ostero Kosmiro Poccici
何人かの執念の凝り
断ち切らんとするに
あヽ又しても心のこり
ゆきつかへりつふるさとのさいかち坂の
うすらあかりに何ものかうごめくごとく
あヽ又しても心のこり
××
邪念の淵に沈みはてしわれ
きみを思はむことも恥(やさ)しや
ゆうぐれはしづかにはひより
なぐさめのこと云へどもそれさへに
吾が罪責むるものならずや
瑞香[沈丁花]の花の
きみがまみに似たれば
このはるのよひわれ死につべし
××
ふえふきて青いゆうぐれ
女の子、自轉車にのり黒い小悪魔
淫れ言(ざれごと)云へば、その子、うすら笑むと見た
自轉車は片輪、女の子の衣裳は
まつ黒になつて了つた
おれは嫉妬で身がもえて──
春雷やコーヒーの夢破りけり
春雷やはつかに麦の青しつゆ
春雷や不二を気づかふ出水川
あねもねの机上にあるや春の雷
むかしむかしの物語めき春雷鳴り
(二三)
まちかぬる女の便りか さにあらず
東京とそれを気にして春一日
東京に女もゐたり 花も咲いたり
からたちやめぶきあやふき蝶のえさ
それとても亡からむのちよ鴬茶
××
赤き魚 石間(いはま)に躍るに 目も眩(く)れて
再びを尋(と)めむとせしが はやあらず
石(いは)おこし泥をさぐりて求むれば
黒腹のぬるぬる魚の鯰ぞ睨む
赤き魚つひに発見(みい)でず 淵なさぬ
この浅沼のいづくにか かはかくれたる
幼き日の思ひ出にそことなくかよふいまのこひかな
×× 四月二日
美しき児を見たりければ
悲しうて──
若いと笑ふ人達のことも顧みず
後をつけたれば
蔦の芽も未だ出でざるフエンス床しき
館にぞ入りたまふる
四月のかなしみは さてピアノの
鍵となりて きんきんと鳴り出で
九官鳥を飛ばせたり
紫色の花咲きて春空に一抹の
煙のぼらす
これはむかしのことであるか?
××
やはらかきばらの芽ぶきのにのほヽ[丹の頬]の をとめのころにいまぞこひまさる
いこふとかい ちまたをゆけばをみなごの まなこもいよヽひかずなりぬる
こーひーの味なきことをいつよりか感じながらに飲みて来しかも
別れ近き巷を思へば洋装のうるとらもが(モダンガール)の眉びき思ほゆ
××
ツネヲに
あづさ弓、春早きとき、語れらし、野の花は、きみによりしか、
園の花は、きみかへりみず、白象の、感覚に似る、女買ひ、
よきまなび、われはなせりと、童貞(びるぜん)の、われにほこらふ
春日野の、花を見るべし、手折りつる、色香は、いまものこれり
や、春深き、園に入るべし、美しき、魂らが眉なす、花毎に、
虫ぞとびかふ、いまさらに、何ぞも手をば、さへむ[ママ]とせんや
反歌
春たけばいまも夢見る花の香の深き道ゆき疲れしこころ
心ふかく女犯をいとふわれなればまりあ坐像を買ひて来にけり
つねをつねを世のつねびとのなすことをせしかばいよヽきみを愛せむ
×××
むかし死を思つたころに一人憎んでゐた子があつた。その子はいま、地ふかくねむつてゐて、夢に訪れてくれる。涙をながし手をにぎれば、暖かい
手だ。だもんだからおれは彼の死んでるといふことを忘れて又、喧[いさ]かひをして了ふ。地をはねのけて出て来てくれてるのに。けれど土の臭
がするんだねえ。
三浦 治 (四、四)
海港の夕の星の明らかに われはこひむな赤らをとめを
人葬るゆうべもすでに女犯思ふ たはけしこころ君は知れりや
あめりかの水兵達の並びゆく埠頭場も今は見ることを得ず
黒々と銀河たちきる汽船の煙もなつかしき
千早ぶる神のみ代よりうつせみの をとこはあからびくをとめを恋し をとめごはをとこをしたひ つまどふものぞ いまだきかぬ をのこどち
こひしたふは なつかしきをさむ[ママ]なれども いかにかすべき いかにしうべきをとこなるわれは
衆道は元禄衆の姿かな。
南蛮へ行きたきころや棕櫚の花。
黒船もいまは入らぬ古港。
蘇鉄生ふ寺門くヾるや春の月。
ながさきにきみゐると便りつきにけり。
しらじらやよのあけるとき梅の花。
別れ路や定家葛のしどろかな。
むかし思ふ古寺の軒に燕かな。
春深く咲かぬ木もなき山路かな。
いつとてか君を忘れき旅寢永し。
僕はもう歌が作れない (六)
繁縷(はこべ)の茂りふかい
春もたけておたまじやくしの生れるころは
×
おたまじやくしの尾びれうすくて
すきとほる山の池間に弟と見つ
×
まつ白なこぶしの花のおとろへに
別れ (四、一○、九時三○分)
ツネヲにかく(前掲訂)
わかれ路は定家かづらのしどろかな
衆道は元禄衆の昔にて
君が行かば咲かぬ木もなき山路かな
夜明け (四、一一)
するが路の江尻の町の朝あけはつむじにひとのひとり立ちゐき
河原は海にそヽがむとしてひろがれり麥生[植]うるひとありにけるかも
梨の花方々に咲く湘南の濁れる海は見えてゐたりき
むしあつく車窓もあけむと思ふとき富士の頂吹雪せる見き
あかつきの海の渚におり立ちて船いださむとひとはとよみし
菜の花はこぼれて土に咲きにけり草木瓜[くさぼけ]もさくこの土黒し
せんせんと水は流れる山小川うばゆりむれて生ふがかなしさ
六月のうばゆりの花いまだ見ず青臭きかも芽出しその葉は
春浅き植物どもの咲く見れば泪出るほどわれはかなしき
吹雪せる不二の高嶺のさびしさを御殿場の杉 達観(みとり)けらしも
【L湯原冬美】[※不詳図象]
東京の印象 (四、一三) 西川に
木の花の夛い東都の首府は
ゆうぐれ方に喧燥をひと度しづめ
けうけうとやがて汽笛を鳴せば
いづこにか花ちらす風のある
× ×
杉の林に踏み入れば帝都とも覚えね
やがて黄雀の風にひとびとぞなくなる
× ×
金の冠はけふ拾ふべし
あした古典の輝きに 空は赤くたヾる[爛れる]べし
× ×
ここにまた泪おとすと友ぞ書き来る
むかしの夜は青魚の鱗光か
閃きて消ゆる 怨恨の結光か
そこ知らぬ春の夜空に彗星ぞとヾまれる
× ×
小刀をのみてさまよへば 他國の巷 ここに泪おとす
白堊の館のかげにやもりうごめき
何とも知れぬ畏れ やがて脇腹は眞赤に血ぬられる
× ×
廣重のお濠にボート漕ぐ女あり
土手のたんぽぽのほヽけちるひるに
いかにものうく電車のゆきかひゆきかふか
新宿松竹座 イワンモジユヒン・ベテイアーマン[出演] 白魔[1929映画タイトル]
十二日
室生犀星 鳥雀集 十三日
十四日
夕雲を省線電車に見たりければ
この二三日山を見ざりしことの永かりしと感ず
×アサクサ・カジノ・フオーリー
をんなの子こひしいとて巷をあるけば何と裸のこれは子供である
成熟しきらぬ女の子の手足は 好ましいと云へば冬美 泪するか
×
街頭に草花賣る子 草花を賣切る時はさびしからうよ
カフエエの灯も見たくなし 女の子欲しくなるとき眼の前にゐる
×
たんぽぽの堤の上にまろびゐて 羊になりしと ふと怪しみき
東京は輕気球浮く空夛し この感覚をわれは愛する
いつか夢に見た輕気球の銀色もいまはこのましい空に浮き出る
×
木の花のちりくる梢けふ見ねば 一日街にゐたとは知りき
木の花は暗に匂へりくらやみに水の流れる光と云ふか
×
【抹消】ぷらんたん、ふりゆうりんく、すぷりんぐ、はる、まい
さくら、さくら、さくら、さくら、さくら、さくら、さくら、【抹消】
大森 (十二日)
ひるまへの藝妓はかなしべんべんと ものうく三味をもてあそぶかな
大森の停車場の崖の木苺は いま咲きにけり旅なるわれは
お茶の水橋 (十五日)
まんまるく陽は沈むときニコライの尖塔の形式語りつヽゆく
誰人も感じることかニコライの辺の夕陽ものさびしけれ
女のぼり来るニコライ坂の曲がりかな 螺旋塔ゆく四月のうれひ
ゆうぐれのくらきちまたのところどころ 白堊の樓は蒼くそびゆる
むさしのヽ地平も見えず春もやの いまふかきときゆうひは下る
こころふかくなげけとならばゆうもやに ニコライの鐘鳴りも出づべし
たわやめを買ふすべかたるこの友に われは軽蔑されたくなし
十五日【L三浦治】
十六日【L西川英夫、能勢正元、湯原冬美】
始めて授業を受ける(十六日)西洋史概説(村川教授)
松浦悦郎に会つたかへり(一六日)
竹の花咲かぬか知らと星明き夜空眺めて篁[たかむら]道ゆく
われとわが跫音をきく野つ原に星座はぐいとずりおちにけり
まよ中の野原に向ひ尿をする けだものどもは吼え出でにけり
わが族はいまははるかにねむりゐる 安けき感じに星空をゆく
よもすがらわれが眼を刺激せし椿の花は戸外にむらがれり
よもすがら眼にいたさ感じをり 目覚むれば椿の紅く咲きたる
冬美を迎へるまでは(十七日) 午后四時四○分さくら
お茶の水 【L西川英夫、三島中】
聖堂に人ものぼらぬひるまへのうすにび空に鳥むらがれり
どんよりとお堀の水は匂ひけり夏来るときかなしくならむ
木の芽みなかすかににほふ東都の郊外をゆけばいやにかなしき
大学
お茶の水
たんぽぽは女高師外の堤にて いまだほほけぬ女(ひと)出で入らず
お堀端
まんまんと水をたヽえる策建てし むかしお江戸の城築(つ)きし人
柳芽ぶくお濠のはたの電車道クローデル去りていく年ならむ
東都の帝の城のお濠にはおたまじやくしも生れぬなるかも
白木屋(銀座)
三越(室町)
こまくさは介われ[双葉]なれば問はれしに 名を答へ得ずいまぞ答へ得
もろもろの山草採りて植えおきし ひとなつかしむ山なつかしむ
晩春のつヽじの花もかなしけれ 植物の族ここにつきにけり
勿忘草買ひおくらむ人あれな どの女学かにひとりはゐるらむ
晩春やわれもむかしは美少年(一茶に倣ひて 松浦に負ふ)
少年もこひしきころや百合の花
山草は巷に咲けば買はれけり
碧い瞳がかなしくならば龍膽[りんどう]花
保田来る 青海に盲亀漂ひ晝の月
十九日 菊池眞一君と荒川堤を散歩
瀧野川の汚き街を出外れて筑波の山を見出でけるかも
×
荒川堤
桜咲く荒川堤は汚けど
河原に草は咲かねども
ゆく春は荒川土手の花霞 かすみに青しつくばねのいろ
つくばねのおてもこのも[彼面此面]に桜咲き この春風に散りにけるかも
あづさゆみ春はゆくゆえさみしらに川下る船 目もて送れる
もの思はずひたに眺めば東京の郊外にあることすでにはかなし
これはさびしさであるか。いないな、さびしさではない。
さびしいことはない。いのちいきて何のさびしさか。
×
けれども草の花の咲き、木の芽ぶきのかすかな匂を立てるとき、
おまへはいつも暗い顔をする。それは淋しさであり、ゆううつではないか。
いないな、淋しさではない。ゆううつでもない。これはお芝居である。
お能と同じく舞台に上がれば僕は面をつける。
それがいけないのだよ。誰もがそのお芝居を見破つてくれはしない。
見破つてもらふ必要なんかありはしない。君はぼくがこの のーとにかくことも、ほんとだと思つてゐたのか。
こ春かなしや紙治に惚れて紙治かなしやこ春にほれて。[※紙屋治平 近松の心中天の網島]
何がかなしや相ぼれならば。やれ相ぼれなればかなしとよ。
二十日 Jous Mous PROMNÉ! [※つかれはてた!]
1、芝公園、増上寺
品川の海の見えくる築山は
西向地蔵坐ますところ
うつうつと春のゆくことかなしみに
うこんざくらを見にゆきにけり
品川のお台場見てる夕ぐれに
汽船の出てゆく あヽさびしいな
海彼岸のメリケン波止場まだ見ねば
品川台場に波よる夕べ
房州の津は見えずけり
うすらびく汽船(ふね)の煙か花咲く陸か
埃立つ芝公園はつまらねど、愁ひてゆきし君思ふかな
2、金地院
金地院に夕方となりて女の子縄飛びにつどふ、桜散るかな
3、オランダ公使館
オランダの旗を見るなら赤椿咲くこの庭にまたも来るべし
オランダの國旗は既に下ろしあり 花ちるくれのしづかなる館
4、JOAK [※東京放送局]
空中に電波ひろがるをたしかに見る ぼくは 近代電気学習ひしなれば
送電柱の高さに既に力を感ず これは近代的だ たしかに
[※破れあり。] 遊びであらう。
×
赤煉瓦の國に来て緑青の浮いたドームを見てると
ふしぎな圧迫を感ずる。
これはおれの父祖のおどろきの遺傳である。
×
王侯の子孫と机を並べて勉強
秦氏の子孫である俺に何の卑屈さがあらう。
あのビルデイングの朗らかなクリーム色に
王侯が何の関与、秦は封建制度を破壊した。
×
智利の國に来しと思ひき霞ケ関の七葉樹(とち)の並木は今ぞ芽ぶきぬ
6、桜田門
三月の上巳の節句 雪降らば又も直弼ここに殺されむ
雪の降る しんしんと降りこむ青濠に忠弥の石は今も沈める [※丸橋忠弥]
ゆく春はお濠の端の植物の花のほほけにひとぞなげかむ
濠向ふのお城の上に番兵は退屈しつヽわれを見てゐる
むらさきの夕焼け雲は陽を示し桜田門にわれはゐるなり
濠端の柳の芽ぶきやはらかし おほりに沿ひて電車曲がれる
埃立て自動車は既に去(い)ににけり 霞む柳の並木の長さ
まつ青な濠端の草に春たけて 戸閉(ざ)せる館お城にはある
新議會のドームの姿雄々しけれ 陽のくれ方に果なくかなし
7、参謀本部
江州彦根の城主井伊掃部頭のお邸は今も変らず戰を謀る。
山吹の咲く夕庭に物思ひ人な立ちそね泪おの湧かめ。
山吹の咲く木の(やぶ)蔭の庭たづみ 光りてゆくは春の小魚か。
山吹の咲くころとなりころころの蛙の小田もこほしきものを
山吹の花にかあらむ向岸の木のくれにしてしみじみ光るは。
一鳥無啼山更幽[一鳥の啼く無く山、更に幽なり]
木のくれはしじ[ママ]になりけり鳥啼かぬ み山は更にさびしくもあらむ
【抹消】木のくれの夕くれ方に飛びかへる木魂の群【抹消】
木魂飛ぶ深山の[ママ]
【L丸】
富士山の見える原つぱ (四、二二)
あはきうれひにこころつかれて富士見ゆるはらつぱをゆく雨あとの土
さつきさし[ママ]林の奥のわが宿はいつしかよしと思ひけるかな
杉の林の中にしてすみれの花も咲きにけり、くぬぎの花の咲くころは下草をなす杜鵑[ホトトギス]
花の、あはいさびしさ、おもふゆえ、今日も探(と)めきて、ね[根] こじたり。
生けおきし花瓶の水仙匂ひうせて今日山草を加へ入れたり
竹林の三日月 (四、二三)
丸三郎と会ふ 家に来る 話 話 新宿明菓
王摩詰[夕暮れ]琴彈く夜こそ竹林に細き月出で曉(アケ)に落ちけむ。
三日月の鋭き光西にあり黒き竹林に筍のびむよる。
丸三郎とひるま見たりし竹の子は三日月の夜にずんとのびけらし。
花火を上げようと子供らが云ふよるは
東京の空は深海のやうな深い色となつて
深大寺の佛様の御顔に反射すると云ふ
くぬぎの房のたれ下るこの頃のよるは
淡いよるの雲に東京の灯がうつヽて
深く深く息づけば
あヽ、あの木蔭に咲くは山吹の花、日本の
杜鵑の花も。
× ×
抒情詩を作らなかつた子供は僕一人
大人で抒情詩を作る人もある
植物の可愛さに三越に行つた子供は
果して女の子を愛しないであらうか
ソフキノの春[ソビエト映画]を見よ
× ×
あづさ弓春は早けど青壁に弥勒菩薩の像をかけてうれしき 清
うれしきは弥勒菩薩のおん眼 われが女犯を目守りたまへる
× ×
「死」 おまへはおれの手許でもおまへのいのちを誇るのか。
「生」 ええ、さうなのです。私はいのちを誇りながら今迄すごして来ました。だからそれを失つた今となつては、その輝かしい追憶に耽けること
が、許されると思ふのです。
「死」 おまへはおれの領土には輝[か]しいなんて言葉が通用しない、永遠の泥沼しかないことを忘れたのか。
「生」 ええ、それ故に地上にあつて、あれほど光り輝いた生命と云ふものが、よけいに尊いのです。それはあすこではいくらもころがつてゐるも
のです。だあれもそれの尊いつてことを知りません。私だけがそれを知り得たのでした。
「死」 おまへは忘却の河を渡らなかつたと見える。
「生」 忘却の河。いかにもそれは渡りました。でもそれを渡つたことをさへ覚えてゐる私がいのちのことを覚えてゐたつて何で不思議なことがあ
りませう。忘却の河で私は夛くの事を洗ひ流した様に思ひます。しかし或は何も減らしはしなかつたかも知れません。それほど私のいのちは尊いも
のでした。ありがたいものでした。いのちがあつたつてこと、これだけは忘却の河でも忘れさせはしないはずでせう。でなければ貴方のあるつてこ
と、あなたの畏るべきことそれ自身が意味をなさなくなるではありませんか。
「死」 おまへはおれを小賢くも見ぬいた。しかし何故おれは畏るべきなのだ。そのわけを云へ。
「生」 あなたは地上ではずゐ分恐れられてゐます。これは私のいふ畏れるとはちがつた意味なのです。地上の人はあなたの手下を幻想します。あ
なたの手を骸骨の手だと想像します。あなたは蝙蝠の翼をもつて、引潮時に家々を廻られるとしてゐます。
「死」 おれのことを何とおまへ達が想像しようとそれは勝手だ。しかしこれはたしかにおれの冒涜になりはしないかな。
「生」 いヽえ、さうはなりません。只彼等はさう想像することによつて自分の悪を一つ増す丈なのです。
「死」 何故さういふ言葉をお前は使ふのだ。その言葉は俺に不愉快を感じさせる。それはたしかに生命の範囲に入るものだ。
「生」 私はそれも知つてゐます。とにかく私は他の地上の人達の様にはあなたを想像しませんでした。私はあなたを知り得たのでした。たしか
に。生命を知ると同時に。私は貴方を地下の神とは信じませんでした。あなたはあの雲の上にいらつしやると思つてゐました。そしてそこで私は今
あなたにお会ひしてゐるのです。
「死」 さうだ。そしておまへは雲の上がおまへの想像してゐたやうな光り輝くところではなくてじめじめした泥沼だつたつてことを今初めて知つ
たのか。
「生」 ええ、あなたの推測は大体合つてゐます。しかし私はろまんていすととしていつも考へてをりました。あの光り輝く雲の上は或は最も光の
乏しいところではないかと。何故なら光を最も要しないところからは最も夛くの反射があるわけですから。
「死」 その光を反射と見破つたところはさすがだ。成程、ここにゐて不満足なことは、自分の光を持たないこと丈位のものだ。勿論おれには光は
いらない。おまへ達にだつて与へる必要はありはしない。でも見せかけ丈におはることは空虚なひびきとなつて、この穹隆にはねかへるからな。
「生」 ええ。 [※以下未完。]
よはね傳に海の魚もえす様[イエス様]のこころまかせとなりしと云へる。
おん君はわれを見捨てヽゆきまさむ空しく海に嘆き入るべし。
鴎とべとべ波立つ洋に
けふは海龍 空に至らむ
さヾえの殻もとけぬべし
冗談をまじめな話にまぜるのが僕のくせだと云つたひと感じた人は外にもある
小林正三、三浦治、久保健太郎、西川英夫、最後に柏井俊子嬢
こひしいは肥下の妹元子*なれ 三千世界をさがすとも
無間地獄に陥つるとも 契らでやまぬすきごごろ
(おい、冗談をほんまにするな。
今日は丸に大阪弁を使はしてうれしかつた)
夢 (二二−二四)
第一の夢
私は處女(をとめ)を抱き、霧の夜の木犀の花の様な
その唇に接吻した。處女は体を横向けて泣きに泣いた。
第二の夢
私は結婚式に列席せねばならない。私は花婿であるから。
小い私の花嫁は指輪のはめ方を私にきいてる。
私は私の第一哲学をしやべくつて、
次の間の小いベツドをぬすみ見る。
第三の夢
私は可愛い馬を持つてゐた。鬣[たてがみ]のいヽ、眼のやさしい馬で、
私が拍車をあてるとぐんぐん馳けだす。
馬にのるのはたやすいなと思つた。私はまだそのやさしい眼を
覚えてゐる。
第四の夢
私は小い棺を用意した。私の花嫁は死んだのだ。
棺に入れると隙間を花でつめた。それから川へ持つて行つて
小い舟にのせて流した。
青い葬旗と笛を吹く伶人の群がそれを追つて川岸を下つて行つた。
私は私の花嫁をも一度見られるかと家へ引返した。(二六日)
芦間をわけて私は笛を探した。
芦のざわめきは私の笛であつた。
蟹の這ふ泥の上には蟹の足跡があつた。
夕ぐれ方は潮が引いて泡立つ音がした。
芦は潮と潮のあひまに延びて行つた。(二十六日)
筍をぬすみに来るや月の夜
菫咲く竹のおちばはふかくして
山吹も深しと溪を遡る
階[きざはし]や落花ちりくる空にまで
あはれさはくぬぎの花の短くて
もみの木の芽立ちもあはし潮のいろ(一首、イタリア)
このゆうべせんだんの実をくひつくし小鳥は空に散りゆきにけり
ことりらのとびかふ空に陽のいろのひろがりつくし天雲となる
ちヽぶね[秩父嶺]をけふは見しかば見なれ来し山の姿をなつかしむかな
Lied des Harfenmädchens
Heute, nur heute,
bin ich so schön,
morgen, ach, morgen
muss alles vergeh'n!
Nur diese Stunde
Bist du noch mein;
Sterben, ach, sterben
Soll ich allein.
Th. Storm
並み伏せる青丘のあなた
角笛吹きて牧人ぞ住む
あヽ 希望抱きて牧人ぞ住む
陽の出づる朝となれば
小屋の外に紅き芥子咲き
夕べ羊を追ひて帰れば
十六夜 薔薇ぞほの白し
かくても尚 希望もちて
牧人は出で入る 誰ぞや訪めこな
麗人(あでしびと)
かくて年ぬ 牧人は額皺だみ
髮はた白し 年ごろの希望はいまし
朽ちぬるか 否 さにあらず
山深く訪めも来よかし あでしびと
über dem grünen Hügel,
Da lebt ein Schäfer,
der einen Wunsch hat!
Da blüht rote Blume,
Im Morgensonnenschein;
Nachts, lächelt weisse Rose,
Ausser der Hutte Tür.
Warum wunscht er noch anders?
Geht und kommt, irgendeinen wartend?
[ 緑の丘の上に、
羊飼いが住んでいる。
願い事がある!
赤い花が咲き、
朝の太陽の下で;
夜、白いバラは微笑む、
小屋のドアの外に、
なぜ彼はまだ何か違うものを望んでいるのか?
行ったり来たりして、誰かを待っているのか? ]
僕の冗談をほんとにする奴がある。
ここに書くことも正気でないことを知れよ。
晝の月盲亀浮木に会ひにけり
量を見ろよ。
二十七日
毎年杜鵑花[ホトトギス]の咲く頃にはゆううつになる。どの木も皆新芽を出して、それが精力的な気を吐きかけるのだ。おまけに下草のさつきの
花の紅さ。
昨年は僕はふかく死を思ふて京都の國行を尋ねた。銀閣の雨がよくて、死ぬのがいやになつた。
國行の慰めも力をつけてくれた。僕はこの時以来國行を忘れない。いつまでも忘れまい。
そして今年もさつきが咲く。前のくぬぎ林に房の花が咲く。陽の光が白い。
死んだ増田が羨しい。可哀さうな増田が羨しい。
生きてゐる甲斐がない。死ぬのは一層辛い。植物が憎いのだ。可愛いからよけい憎いのだ。省線から見る代々木の土堤のさつきの花、大学のさつき
の花、そして宿の前のさつきの花。
本位田よ、
冗談の好きな二人は別れてから
お互につまらない顔をしてゐる
俺達はかざることがなかつた
かくすこともなかつた
むやみとお前にくつヽいてゐたかつた
衆道はいやだけれど女犯もそれに劣らず厭である。
肉親はいとはしく醜さが目につく。他人は愛しても見むいてくれない。
ソクラテスの苦手は妻であつた。おれも夛分そんなことだらう。
美少年に生まれてゐたらもう少しおれは悟つてゐたらう。
体が強ければもつと押しが強くなつてたらう。
早く故郷を出ればよかつたのだ。いつのまにかおれは自分のことを告げるくせが付いた。
人の悪口を云ふには神經の柱が要る。おれはそれなしで敢て悪口を吐く。
おれを愛してくれる奴は軽蔑してやる。俺を憎む奴は殺してやる。
おれは王様に生れてくればよかつたに、どうしてもこれは間ちがつてる。
あヽピアノの鍵盤を叩きこはすまでにどれ丈の騒音があることか。
社会の新しさはその瞬間々々にある。革命は早く来るべきである。
近代弁証法は唯物論であるから、僕等ロマンテイストは時には困惑して見る。
波止場に舟の着く如く。
女は結婚を目指してゐる。
それを恐れて見るけれども、
他に救ひを持たないのが彼等だ。
しみじみと可愛さうだ。
おれはフラウを愛してやる。
巷に雨の降る如くわが心にも雨が降る(ジヤン モレアス)。
まことに雨は降る。キネマのフイルムに降る雨は光り注いで
瞬時も止まぬ。余計な知慧と必要な無智に囲まれた
おれの心には後悔の雨が小止みもない。つまらぬ歌も作りあまた
もう作れても月並みだ。小説を書くにも懸賞金が目に着いてならぬ。
あヽ雨だ。しみじみと雨。日照り雨。
二十八日(火)肥下に逢ふ。
僕は保田と肥下と服部とで銀座を歩いた。服部は親父から送つてもらつた五十円を持つて服を作りに行つた。五十円以下の服は無かつた。服部は六
十四円の服にした。
外に出ると僕は保田をつヽいてシヤボテンの花を見せてやつた。
保田はホンマカと云つておどろいた。肥下は珍シイなと云つて見に行つた。僕は保田にウタを作れと云つた。保田はオマヘコソと云やがつた。俺は
気に入つてカラカラ笑つてやつた。
XとYとZを足して2でわる。
これに意味があるか、けだものめ。
×
このごろは人が殺したくとならぬゆえ、
小刀等は家へおいて出。
×
世の中でいちばんえらい奴をころし、
おれはゆうゆうと首をかつきる。
×
ブルジヨアの世紀も遂に、
今日となり、哀れみじめな人間を廃す。
×
カオカオと鏡を見ては笑ひたり。
頬のほヽけは遂にかくせず。
武蔵野の杉の林に月出でヽ天心近しいまか仰がな
遠煙る武蔵の國の杉原に月かげさヽば何か生れ出る
精霊の活動の様想ひえがき楽しかりければひとに告げたり
わが頭の変調もすでにおのれ知る。人ゐるところがこわくてならねば
二十九日(水) 丸の家へ麻雀しに。
頬白はすでになきやみ夕せまり 縁にさむさは来りけるかな
頬白の高鳴く小田にゐ向ひてこ雨ふる縁にすでに時すごしつる
麥畑の向ふの小田にころろころろ蛙のこゑのしげきよひなり
細雨(こぬかあめ)武蔵の木々にしげくして若葉のかほり今日は至らず
三十日(木) 丸と散歩。
秩父嶺ははるかに見えて山襞に雪残れるも見ゆる日を遊ぶ
夛摩河の河原の石をひろひ上げ水に投げいれけふはすめりとす
すべろぎのふるきときより開き来し武蔵の國は未だ原なく
植物をいくたびもとり捨てにしがかなしむなりと友も思はず
革命の女闘士の入れりとふ狂病院にひるはこゑせず
看ご婦に女の狂者みちびかれ春ふかき園にいま歩み入る
狂者らが入りこもる杉の林中まひるはたけて鳥鳴き入れる
植物のおのおの咲ける林に入り幼年の性慾語り久しも
郷愁はいづくにかある西の方はるばる嶺は重なり見ゆに
丘の上の松のふもとに昇りけり風つよしといひ雲を見にける
あまづたふ日は雲を入り松風をふかしといひて丘を下るかな
血のいろより紅きつヽじの花藪はこの青空にいよヽ鮮[さや]けし
むさしなる大國魂のみ社の けやき並木は緑なす 光はだらにもれ来る 道の果てまでかよふ人なし
春ふかき雜木林の下草にゆるる光をこよなく愛す
植物の幽けき花の光りゐる林のためにこの國をはなれむらむ
メーデー
胸一杯に迫り来る
やせおとろへた老車掌はもはや労働歌も歌へない。
×
まつ青な女の群がゆく
そのかなしいメーデーの歌に泣いた、泣いた。
×
これがおれの詩望[ママ]する革命の原動力か
搾取しつくされた青い群。
×
あご紐をかけた黒い服を満載したトラツクに
あらゆる憎悪の光が投げかけられる。
×
アヂ利かず空しくおれの目の前で
二人の学生が捕へられる。
×
團結をと叫んだ瞬間
サツと逃げのいたこのルンペンの奴等。
×
かれの特兆のある顔は
口惜しさでゆがんでゐる これこそこの世紀だ。
×
春ふかき上野の山にはメーデーのぞめきの後にちる花もなし
メーデーの帰りにお山の石段を下りゆく群のつかれのしるさ
階級の戰ひをおもひふとさびし かの階級はいまひるねせむ
橡の芽のほころびそめし上野山 ふかきいかりに人集りつ
大空に近代気球けふも昇り メーデー見むとわれもゆきたり
メーデーを見むと集へる人々を 監視巡査の無精鬚もさびし
のどに布まきし巡査がゐたりしと友かたりしもさびしき五月
五月二日 上野博物館へ保田と
夏の光すでに来れり噴上げの向ふの路を女学生むれ来
噴上げは高くのぼらずさつき咲く芝生の子供エプロン白し
ゆりの木とわれが教へし樹の芽立ちやはらかにして水滴を落す
やうやくに空も澄み来てクローバの丘に画を描く人の出るひる
× × 肥下とFRAU
およめ迎へしツネヲつまらずなりにけり しばしばにして術(て)を使ふなり
ことさらにゐばつて見せるヒゲツネヲよめ迎へよとすヽめざらましを
ツネヲのFRAU普通の女でありしこと少し喜ぶだれの為にも
おれが恋してるとハツトリマサミ[服部正己]云ひけらしその子の顔を夜更けて見ぬ
× ×
武蔵野補遺
むさしのに小さな家を作り上げし丸の兄貴は負けず気なれば
むさし野の小さな家に住ひして己れ楽しむ凡人の一人
ころころの蛙のこゑも賞(め)でざらむ人裁くことを常とする人
かくて尚われらいよよ楽しまむ生きゆくことはつまらぬなれば
青葉せるけやき並木はやうやくつきて白きみちなり何かうれふる
× 井の頭
女の子からかひて見しがかへりてはさびしさをますことヽなりしか
井の頭をつまらぬと丸は云ひしかど杉の並木に女らゐしよ
五月三日 保田来ル。荻窪マデ散歩。[柏井]俊子嬢曰ク、圧迫感ヲ感ズル顔ト。 【L父ニ】
五月四日 西原、金澤ト 楽坂散歩。既ニ距離遠シ。【L西垣】
日本人デアル事ヲシミジミ感ズルノハ
電車ノ中デ女ノ児ヲ見ルトキデ、
珍シゲニ、色ンナ男ガ傍ヘ寄ルカラ、
勿論僕モ注目ノ眼ハ放タヌ。
僕ハ年中恋ヲシテ、年中失恋計リダ。
之デ得恋シタラソレコソ死ンデ了フ。
× ×
岡部テ奴ハイケ好カネエ。
六日 「不滅の放浪者」本郷座。 [船越]章さん来る。
七日 風邪。
【抹消】夕ぐれになり、深い谷間にも日が漸次かげってもはや山の【抹消】
七葉樹のことをマロニエと云ふ。
大学のマロニエ並木芽吹きそろひ青きが下をいつかも通る
佛蘭西にゆきたしと云ひし友達はマロニエの下 背広でゆけよ
まつ四角なビルデイングの角々が、
急に尖り、我々を押しつける。
これは圧迫だ。彈圧だ。
我々は胸を膨らせあらん限りの声をしぼる。すれば、
深い四角な谷間の方々に
窓を開けて我々を見る眼がある。
それは漸次増えるであらう。
× × ×
山に昇りたいとぼくは独り言。
杉の梢に雲がかヽつてゐる。
平地のここには暑い日ざし。
しかし明るさ、──それ丈。
あのきびしいカオスは見られない。
× × ×
かつて文化の栄えた地方は、
今は荒廃して、
裸の山背に陽がたまつてる。
今昇つて来た分水嶺の片側は、
紅葉で彩られてゐたに、
ここははかない墟ばかり。
鳶が舞つてゐる。
× × ×
山を行けばつきぬ野草の朱実かな
【抹消】蝉来るや百日紅の初芽かな。
一刷毛は空にはかれし雲の片
熱ありて石楠活けし室広し。
海原に今は魚も浮き上れ。
白浪や沖島低き南風。
南風に櫓を早めてよ洋広し。【抹消】
内海 珊といふ名は如何?
海は今日も陸に向つて咆吼し、膨れる。
微生物の作業はこの間に着々と進行し、
やがて深海は白浪を噴き上げる浅瀬となり、
淡紅、眞紅、紫、白、とりどりの海樹。
浪はざんざんと鳴るのだ、ここでは。
鴎の巣がやがて出来よう。(七日深更)
× ×
海はけふも荒れたり水膨れの死屍浮かせ覆船帰る
はろばろと沖の浅瀬よ立つ鳥は陸にはよらず日もくるるがに
沖つべの小島の磯に小き舟 波にゆられてけふもある見ゆ
沖の辺の小島は椿しヾに咲き 家一軒にもの乾せる見ゆ
青淵に魚族ひらめくこの海に人沈めるをたしかに信ず
海に水神住むと思ひしが海行かぬわが理由とせよ
青浪にけふも漂ふ海の藻の何處の岸に流れ果つらむ
× ×
マロニエの並木の道の舗石の光もいたし白雲高し
【抹消】夏の気は巷に充ちて海の辺の友の病も【抹消】
丘の上の時計台の向ふに雲立てばこの緑の丘いまは忘れじ
× ×
無為の日、四五日。今日は五月十三日。
駿河台下の深き谷間には、
深海魚にも似た黒い電車が通る。
その腹の中に呑吐される一人がおれだ。
その胃液におれは全く体を悪くして了つた。
銀杏の並木が日にまし暗い。
おれはひそかに人を恐れる様になつた。
× ×
深い深い緑の茂りとなつた。
植物の王国に僕はゐて、
一番高い梢に石を抛り上げる。
その木は手をも差伸べず、
そ知らぬ顔をしてゐる。
× ×
宝永山が失くなつたといふ噂が、
ほんとうであればと願つたのは、
ぼく一人ではない。
日本一の不二山に関してもさうだ。
まして古い形式美の朝廷なんか、
吹つとんぢやへ。
× ×
月給の話をするのはぼくぢやありません まりあ様
五月十四日 服部を呼んで来る。
大学、街に野球盛なり。
大学生の野球ほどつまらぬものなし保田の云ふとほり。
大学はルンペンに非んば左翼インテリである。
後者は前者の二十分の一位。嘆かはしい限りだ。
西寛、今日出獄、親父につれられて大阪へ帰る。
夜、見る桐の花、街燈の光に白し。
桐の花、夜も咲いて乏しい星。
青い青い森のしげみに光れよ鳥の羽。
いつかお伽噺の夜となつて夜鴬(ナハテイガル)。
こんぴらの宵宮はいつか知り、船のにほひ。
むかしの女の人来る路に木の葉は繁み。
お墓に参らう、苔が深いときに。
闘士、闘志。
このごろはいつも桐咲く梢を見る。
雲がかヽれば一層 鮮[あざやか]だ。
紫の花てものは余り他にあるまい。
京都の大学へ行つてたら。
きれいな 女の児に 逢ひたい。
學難成。
めぐりあひ、それも昔か、今は今、誰にか逢はむ。
黒いちゆりぱ、まろにえと、まかろに
五月十二日にヨセフ・フオン・スターンバークの「モロツコ」を見たこと忘れてた。
マルレネ・デイートリツヒ。ゲーリー・クーパー。
説明
塞外の地は沙漠にして蓬々と吹く風にかすかに生ふる植物あり。
牛馬の一群に鬣吹かるるあり。兵等喇叭吹きて行けば飛び散り逃げる。女等の啜泣き。
漢の圏外の地にも路はあり、
和闡珠[ほうたん]を出せば漢賈[かんか]通ふ。
初めて見る青海のいろ、雲の中の嶺。
沙漠の牛羊は人を恐れず、
横はつて幾日か知ら 遂に骸は道標となる。
蒲梢之馬歌 史記武帝伐大宛得千里馬名蒲梢作此歌
天馬徠兮従西極。經萬里兮帰有徳。承靈威兮降外國。渉流沙兮四夷服。
[ 蒲梢の馬の歌 『史記』[漢]武帝、大宛を伐ち千里の馬を得、蒲梢と名づけ此の歌を作る。
天馬徠たる西極よりす。萬里を経て有徳に帰す。霊威を承け外国を降し。流砂を渉り四夷服す。]
五月十七日 慶明帝立戰を観る。
かく深き谷間に軍のこゑひヾき
武士の矢音はしげし
白雲のいゆきかくろふ峯の間の
ま日のわたろひ いま午に近し
こころふかく倦みつかれ
木のかげにやすらへばとて
流れくる矢の雨は防ぐすべなし
友どちも傷き斃れ
わが馬も足折り伏しぬ
炎熱の谷間の沙に
けだものの肉(そじし)の腐(くだ)ち はうはうと
ひろがりゆけばいまは耐えず
死屍の谷はかくて生けるもの一人残さず
月讀の光の知ろす國とはなりぬ。
かはず鳴くむさしのくにのくぬぎ原にすヾらん咲かば
この國の毛ざはり剛き乙女子もわれになびかむ
かくなれば都の中の峽なす深き谷間を朝夕に
いゆきかよひて死骸(しかばね)のひからびはてし大学にまなびまなべど
なにかよからむ 詠遣 大東猛吉
反歌
銀杏(ぎんなん)の並木はあれどいつもいつも美しよしと賞むる人なし
みんなみの嶺丘耿は箱根山 いゆきこえゆき
宝永の山も消えざる富士の根を ながむる野良に
今は住み かなしきかなしみごと(愛事)もせざりしと 西の都を
怨み思ふに ほとほとヽ悔しさに身も消えぬべし 感傷心
も果てぬべし 今はたはれ歌(か)つくらざらまし
反歌 詠遣 中島詠二
たわけたる歌つくりつヽ頬ほそり わがこひのときすぎさりにけり
かくのみにきみが嘆かば東に わが来しことを悔(くや)しまむ
かくなるは宿世のさだめ いまさらに嘆くとてしも
西なる京の都は五月雨の 暗き光にとびかはす
つばさの群も森かげの幽けき花も細みちも
み寺も神の杜(もり)林 なべてよろしきももしきのふるき
こころのなかどころ きみがまなびによからむと思ふ
反歌 詠遣 西川英夫
かはず鳴く北白川の坂路を い泣きさちりて[泣き叫んで]昇る子見しや
大原や八瀬や鞍馬やさびしさはとてもかくてもつきぬふるさと
小雨降る五條のはしにゆき立ちてあめの晴れ間を眺むれば
都をめぐる山々はうすヾみいろかむらさきかそのいろのこと語りつげ来よ
反歌 詠遣 本位田昇
うつくしきみやこ乙女の一人二人われに残しな旅のなぐさに
江東はけふも雨降る 河ぎりの凝ごりてなれるか うらめしとなく人々の泪つもるか
反歌 詠遣 友眞久衞
いまさらにいんてりのぐちやめなされ ここは上野かメーデーの歌
五月十八日
深溪や毒だみの簇(ぞう)色濃(ご)とよ
見上ぐるや今日もかはらぬ桐の花
しんしんと植物の呼吸ふかくしてここの林に人疲れたる
も早時はまよ中なればひたひたと足音かよひ消えゆくが聞ゆ
むかし見し山花もいまは枯れつきしかの山原のきりはたしげし
エミイル・ヤニングス「嘆きの天使」ハインリツヒ・マン原作
たはれめに恋ふはすべなし── 雞の声
五月二十日 [船越]章ちやんら帰る。東洋史座談会、一円八十銭
1、くぬぎ ── 植物連頌の一
くぬぎの林には不思議がある。
小鳥が夛くかくれてゐる。
若葉は五月の蒼空に光を以て呼びかける。
短い花期にも拘らずもう殻斗実[かくとか]が用意されてる。
空をゆく毛糸のやうな雲からの光が答信する。
くぬぎ林の外でぼくは人生を半分まじめに考へる。
くぬぎ林にはきんらん[金蘭]が咲く。
ぼくの机の上にあるのがそれだ。
2、杉 ──
杉は昔の石炭紀の力でぼく達に迫る。
眞率な迫力、のび切つた把握力。
杉はまじめに思案し、やがてまじめに咆吼する。
月の夜はいよいよ黒くなる。
光は凡て吸ひ取つて反(は)ねかへさない。
杉は男である。田舎者である。
3、百合 ──
これはお俊ちやんの好きな花である。
こいつはばかにおすましで
おしやべりな女である。
女にとつてはすますこととしやべることヽは同じことだ。
静かな園に咲いてはまはりをかきみだし、
暗い林に咲いては自分のおしやべりで見つけ出される。
欺瞞の花で虚栄の実を結びやがて誘惑の根を太らす。
こいつは始終厄介者だ。
4、星のある夜に咲く花
おれがかう云ひ出すと
皆の花が乙にとりすまして
自分こそてな顔をする。
誰がそんな奴に目をつけるものか。
星のある夜に咲く花は
暗夜には咲かない利巧さをもち
晝には萎れるやさしさをももつ。
泣いた様な顔もするが笑ふ時には美しい。
(泣顔がきれいだと云ふ奴もあるが)
星を見つめては叩きおとさずにはすまぬ奴さ。
それと云ふのも星がだらしないからよ。
五月二十三日
5、グロキシニア ── 植物連頌の五
女王様、今日は霜月の十五日でござゐますげな。
成程、宮庭の花も盛りだわの。
一寸、王様、お気晴らしに出てごらん遊ばせ。
朕(まろ)は胸がわるくてならぬ、何れその花のかげんにてもあらう。
6、葱
パリー郊外の玉葱畑には
赤い革命旗がひるがへり、
ヴエルサイユ行きの内儀連が通る。
けふも王様は狩で留守だつてな。
葱坊主のあるこの頃は玉葱も不味い。
赤い旗の列、葬式のやうな歌の声。
うすよごれた女の群、
玉葱の花はけふも根莖をやせさせては咲いてゐた。
(中野重治がんばれ)
共産黨事件解禁は一昨日にてありし
遠く眺めると丘の上の都会は
雲の如くその尖塔をそびえさせ
けふも悲しげに笛を鳴らす。
夕暮の前に──。
夕陽はその丘の向ふに落ち
まつ黒に都会の外形を刻み出す。
その瞬間である。笛の鳴り出すのは。
夕暮の前の──。
僕等は麥畑に立ち
お互ひに恥かしがり、頭を垂れてゐた。
今日もあの笛は鳴り、しかも夜明はまだ遠い。
まだ遠い──。
やがて夕暗はしのび来り、僕らと都会との
間に厚い帷[とばり]を下ろす。
このくらやみに夛くのものがとけてゐる。
ひそかに流れよるものを感ず──。
ぼく達は腕を組んで歩く。
夜の鳥が脅かされたやうに鳴く。
牛乳の匂がする。枯草の匂がする。
夜明は遠い──。
今ぼく達の立つてゐるのはどこか知らん。
夜雲をてらす ほのかな光があり
惨々たる風が吹いてゐる。
夜は正に半かな──。
もう一度都会は汽笛を鳴らす。
悲しげに。また雄々しげに。
それを鳴らしてゐる人間をぼく達は感じる。
それは仲間だ──。
五月二十四日 丸と散歩
朴の樹の大葉をしるしと思ひしが けふ見上げしに蕾立ちゐつ
大学のマロニヱの花咲きたりと 友が云ひけば明日は去(い)て見な
幽けき林に咲けば白妙のふたりしづかの花も折らざり
雪頂く富士見ゆる西の空ありて武蔵の國は青葉そろひぬ
五月二十五日 服部とのみに
けふも不二山見ゆ
安田講堂の向ふに筑波山
時計塔あふぐひるすぎ空すみてこの巨さはかなはぬとおもふ。
さむざむと高空の風ふき来り晴れし時計塔の向ふにつくばね。
赤城山も見ゆるむさしのくにの晴れ 高く連る地平のはるけさ。
まなつの白雲たつを見てゐたり何も起らぬ帝都のひるすぎ。
五月二十六日
増田の兄さんから便り。増田はぼく達を怨んでゐなかつたさう。
【抹消】おとうとよ、きみがいのちはもはやせまる、友にたよりたまへとすすめし【抹消】
五月二十七日 菊池とこで麻雀
おぼろ月木魅めく夜のものの花
× ×
深夜 生物の如き
二眼車あり
追躡[ついじょう]し、肉迫し、
横より、まつかうより
あらゆる角度もて脅し、来り、去る。
まこと 止まるに音なく
光る路を辷[すべ]り来る。
この冷血なる機械を破壊すべし。
× ×
われは中年のおぞましき性慾に脅かされ
いま月に向ひて咆吼する野獸と化し
再び転じては沙上に匍匐する二足獸となる
月は哀傷の眼、却りて冷たく
沙は熱つぽく吾が腹を押しつけ押しつけ、ここに
永劫の烙印を印しづけぬ。
われは罪を負ひたれば、かのなざれ[ナザレ]の聖者の如く、
淨き血もて十字架の死もて之をあがなはんとせしに、
汚れしわが肉は、終に何人の収むるところとならむ。
十字架にわれを架する労を執らむ手いづくにかある。
われは咆吼す、われは哀傷し、沙上に反側し転々す。
われは醜し。われはおぞまし。われとわれにも。あヽ──
× ×
木の花の匂ひは何に似たるらむ
かの無花果は誰か収めし。
梅雨来むはいく日(か)の後か、あすならめ
はこねうつぎはちらずもあらむ。
枇杷の実のみのり約する五日雨
あぢさゐの花淡き日々(にちにち)。
はるけさやいらかのをちの夏の不二
美人涼みに川ばたに出る。
大江戸の名残ゆかしや 花火空
青銅の眉(まみ)、水晶の御瞳(おめ)。
雲立てよ、一すじあはき國のはて
青根の空に雪とけのぼり。
鬱々と森茂(し)みこめる白い花
だんだん畑の麥の穂、光。
五月二十八日 大森へ一寸
死ぬべきひと皆死にはてヽ夕食(げ)はむ
× ×
大空に昇りしまヽに帰り来ぬ
二つのむくろ 氷おほひぬ
高空の空気に死臭まざりたり
いまは星雲蒼々と照れ
× ×
木の葉天狗の鼻 赤しや青しや
大変 大変 流星お江戸の空か埼玉か
建国会撲殺運動
朴の花咲きあつくるしき夏雲、
七葉樹[とち]の葉は精虫の匂がする。
通信いまするか否か高きアンテナ、
崖ほりくづし人骨枯れつくしたるが二躰、
高樹、憂夛くけふ立昇るは埃吹き立つる風、
人々集りて南岳を望むに紫雲もなどか立たむ。
漫々は水の流、鴨游くはここ、
日月の光重なり幽けき月に心は移る。
亭々たる杉林、哀々たる蟋蟀[こおろぎ]、
月明るき夜、衣織るはこの乙女、嫁する時近からむ。
風吹くひる、馬車の去る方、搖るヽ樹あり、即ち道消ゆる。
古塚や麥高きこと三十尺。
深溪や玉埋れて水清し。
林草に伏し南をのぞむ、大火近づき草の秀に光る。
飢えて千里の路をゆかば、一鳥の啼くに耳かすことあらむや。
かなしみ一時に来る。とヾまれよ天なる雲、
かの寒石に鳥ゐること數刻、
百日紅き花ありしが今日凋み落つ。
犬吼える村に入るを得ず、泪流れて止まざるを如何せん。
河堤の白楊しげしもゆれやまず。川の流るるに何ぞ光夛き。
泉を掬み終つて摘む一莖の野草。
榛原や旅おはらな
飴牛の賣らるるくれや雨止みぬ。
白雨(ひるさめ)や、紅き花、黒き花、
ひぐらしの、夜一声鳴くに、馬車に目覚めてゐる
つたかづら紅き百門くヾりゐる嬬[つま]
海鴎なく夕やけ空は海の彼方に紅し、紅し。
石のたヽづまひ旧き園庭に鯉、未だゐたり。
堀に垂るる篁、船を操るは童ならまし。
伏して青空を見ると
琅玕[ろうかん]の玉を愛した支那人のことも思はれ
鳶の舞ふ関西も懐しい
右二十九日 午記す
五月三十日 文科会
おぼろ月 野茨白きこと千里
月の夜の杉の梢も高くして
五月三十一日 日えう[日曜] 慶帝早立戰。保田、服部来る。
煙れよ月。
六月四日 「復活」 ループ・ヴエレツ。ジヨン・ボールス。
憎ければ
紅い魚、百尺の下に泳げば人より巨なり。
螺旋階段を昇りて東京市を俯瞰す。
にくければ桑の葉ちぎり投げて見な。
紅い花、この野良に月出るは何時。
玻璃窓に鳥しのびよるけはひする。
口紅は小指につけてとかすもの。
古寺や階の間の小草かな。
古寺や燕とび出す軒垂れて。
棗[なつめ]の樹もてかへりしは千年前。
羅城くヾる燕より早き胡沙の風。
いたいたしく玉葱を剥ぐをとめ[乙女]はし[愛し]。
古里は裸の子らの泳ぐ水。
桑畑の傍に紅きはいよヽ紅き花。
春すぎたといつか云ふたか云はなんだか。
六月六日
ぐみの実を巷にうるが六月なり。
おさなごはさくらんぼうに歯を染めぬ。
ふるさとにいちじくの葉は茂らむよ。
きみが園に白杜若[しろかきつばた]百合の花。
故園の花みな月の日は光れ光れ。
招搖は星の名なりいづくに光(て)るやらん[※北斗中の一星]。
ひじりばしを嘆きつかれてゆく女(ひと)の
日傘の色はあせむとすらむ。
なつめの実、血のにじみたる指に喫(す)ふ。
甘棗有荊棘、甘瓜有蔕
[正しくは、甘瓜抱苦蒂、美棗生荊棘]
首赤き螢のころは白秋の思ひ出の中の断章が身につまされて恋をせぬこのわれさへもいつしんに嘆き吐息す。
きらきらの陽の強光、草の花、 螢の匂。
なまけ者がゐました。なまけて何もしないでお終ひに死にました。
墓には花が咲きました。木蔭のお墓ですから
毒だみの花だつたのです。これは僕の墓でせう。
毒だみの澤も過ぎれよほととぎす。
新茶喫す庵に近しほとヽぎす。
ふくろふは月にかくれて啼く夜かな。
水の音いでゆをこむる深夜を目覚む。
なでしこに虫もより来ぬ大磧(かはら)。
ほとヽぎす新茶より濃き声のいろ 才麿
a Miss Shun Kashiwai [柏井俊子へ]
a Miss Yuki Kashiwai [柏
井悠紀子*(後の夫人)へ]
【抹消】うなはらやたヽよふなみのものはなのにほふ【抹消】
わたのはらなみにたヽよふも[藻]のはなのかそけきにほひあせにけらしも
海浪凋藻華
ふるさとの河内の國にあらましかば [※泣菫「ああ大和にしあらましかば」のパロディー]
いまみな月、白妙の雲、めぐらせる山々に
たち、ひるすぎものうさに古寺の鐘ぞひヾかふ
果物(なりもの)はみのりうれつヽ、香ばしき風吹き来り
うまゐ(昼寝)時、ひそやかにきみがえまひは夢にこそ入れ。
ふるさとのうなゐ(お下げ)をとめにこひまさるこれのこころはかよひゆかまし
六月九日 「巴里の屋根の下」 ルネ・クレエル 西原全快。浅草大勝館
Sons les toits de Tokio [※東京の屋根の下]
くゆれよ煙草 ほそぼそと
あさくさのひるは夏なれば
舗道におちる陽の光
あまりこころが強すぎる
くゆれよ煙草 ゆうぐれの
あさくさの空見上げれば
しんに泪のおちるほど
日本の空 青かつた
あヽ さつきまで 不忍に
ぼーとを漕いだ子供らは
いまは大人に成り果てヽ
この舗道をねり歩く
日本人のぶかつこが
けふはかなしくあさくさの
ネオンラインを見てゐたら
海がここまで充ちて来た
波はパリーの空のいろ、夕くれ方の歌のいろ、のぼれよ煙草ほそぼそと たのしくたのしく空に入れ
六月十一日
〇柘榴やその花紅しこころ痛し
柘榴は自が茂みに映ゆるいろ
〇紫陽花に雨ふり夕となりにけり
あぢさゐや関越えゆけば湖見えて
〇毒だみを白しと夜の林かな
毒だみに梅雨晴れの陽はさヽずけり
梅雨時に咲く花々は一年中の他の季節の花にもまして
なつかしい呼び声を持つ。今日は不図ざくろの花の
朱の色にこころを奪はれた。明日は又何かの花が
どつかでつヽましやかに咲いてゐることであらう。
〇故園にも苺は植えん犬飼はん
竹の花咲くや明るきひるの空
〇地震(なゐ)ふりてあやめに小魚むれてゐし
地震ふるや地平に晴るヽ秩父嶺
〇金魚一匹死にて小縁に蝿来る
藻の花やひそかに保つ日の光
堀割に暑い日がさし 夾竹桃が咲き
家鴨が游び人々は船で往来するとは
獨り柳河丈ではない。
けふしみじみと盤[たらい]に乗つてゐたかの故郷の児等をおもへば
思ひ出の詩もかけぬのかと悲し
フエニミズムのスローガン
女は男より軟い感情を持つてゐる故大切にしてやらねばならぬ。
女は男より狭量である故注意して悪口等云つてやつてはならぬ。
女は男より物のうごき等を厭ふことが甚しいから徒に進歩的なものの云ひ方をしてはならぬ。
女は可愛さうにいろいろ心配する事が夛いからいたはり慰めてやらねばならぬ。
−アホラシ−
女は表面で物を判断する故何事もはつきり底まで見せてやらねば通じないことがある。
女は男より正直である故うれしがらせ等を云つてはならぬ。
女は男より厚顔しい故この点寛容してやらねばならぬ。
女はみすみす嘘とわかることでもくり返して云へば信じるから根気よくやらねばならぬ。
女は何しても英雄崇拝的である故少々お芝居臭いことでも眞面目ぶつてやつて見せなければならぬ。
女は男より理想的であるゆえその夢を破壊してやつてはならぬ。
中村憲吉 林泉集を買ふ(十三日)
早K戰第一回 二A−一 K勝
1.ひとりならぬ身をかなしみてあさあけの山より来る光に立てり
2.水ちかく夏姫百合の咲くなればこの林道に涙わしり(走り)ぬ
3.山かげにひとひとりゐて草を刈るその音にさへさびしきものを
4.いまふかくひとりなることなげくかな夕近くして若葉のひかり
5.潮みてる入江の川の芦の葉のゆらぎくろみてひとは帰りぬ
6.夕あかり海上(うみがみ)にあり對岸のともしはいくつにならむすらむ
7.うつうつとひるのくもりに心いたみ大向日葵[ひまわり]の花みつめをり
8.小夜ふかく路樹によりゐる人のある青靄ながれその葉さやぎぬ
9.よひよひにすみいろまさる夏空にすぢ引く星も人目をかれず
10.槻道に陽のとほりさしはだらなりとほくに馬のくろくゆく見ゆ
11.かたかごの花咲くみちを曲がりけりたちまち来る製茶の匂ひ
12.梅雨のあめひそやかにしてふり出でぬ青濠にかはずここら鳴き出(づ)る
13.春すぎて桐の花咲く村見ゆる小田いつぱいに蛙はなくも
14.夏ちかき港の道をゆきにけり海よりの風に路樹はなびきぬ
15.倉庫のおくのくらきにひとはまだゐたりばつたりと風おちにけるかも
16.みなづきの大き市街のいらかの上何かせんなきうれひはありし
17.山峽は青田にこもる村ありて黄南瓜の花屋根に咲かしつ
18.山ふかく來しとおもひしにたちまちに青田はありて水くむ車
19.港町の場末に開く夜店ゆき店つきぬれば潮風しるし
20.樹々はみな芽ぶきそろひし奈良の街大佛道に紅き傘ゆく
六月二十日 井の頭
梅雨ふかきくもりの池はかはほね[コウホネ]に
小魚のむれはあつまりにけり
藻をつつく魚のむれのおよぐおと池にみちたりひるの曇り沼(ぬ)
つゆふかき杉の林にわけ入りて土のしめりをしばしば愛す
鹿蹄草[いちやく]
訓導殉職表彰の碑は日本のジツテンゲゼツ[Sittengesetz:道徳律]をおれにおしつける
玉川上水の岸は虎杖の群
【抹消】久しぶりで■■さが永つヾきした【抹消】
野球をしてゐた井頭学園の男性
庭球をしてゐた女性
つゆ雲を時々いづる日の光りすヽきはすでに野に茂りたり
青空が見ゆるといふに林間にまばゆきまぶたをおしひろげつヽ
ひるすぎて高空にのぼる雲ありしがこれはまことに野に立つならし
ぜんぜんと音立てヽ流る上水に生植(セイチョク)の群はゆれ生ふるなり
湯原よ、知れるや生植なる語を
六月十九日 なりし
恒夫は下痢をしてゐた
フラウは蟻を憎んでゐた
おれは無為のにくさを話したが同感は得られなかつた
恒夫はドイツに行くのかなあ
服部は遂に来なかつた
ヤスダは留守だつた 小説が書きたい
「偸盗 [芥川龍之介]」を讀む(二十日)
あヽ 小説が書きたい。
書けさうだ。
ほんとうの生活をして見たい。
いや恐ろしい。
こはがつてゐる間は小説も書けないぞ。
あヽ 無為の一日一日。
二十一日
梅雨庭の小暗き土をおほひつヽ白木蓮の咲くを見たりぬ
枇杷むけばわれのを指[よび]も愛(は)しとおもふいとすなほにも剥けるにあらずや
偸盗を畏れしよひもみす[御簾]の間に月出るならば明けて寢ぬべかり
遠雷が鳴るならば
海に泡立つ白波の
巖に砕ける様も見む
砂原に咲くひる顔の
もの倦き様も見て來なむ
二十二日
雌犬は食慾をなくして了つた
毎夜月に咆える野獸になつた
毒だみの葉に熱い腹をこすりつけてると
或夜彼女は受胎を感じた
× × ×
健康な食欲と單純な無智と理性なき厚顔と
虚栄と淫欲と何か勝る
× ×
はかなきはみな月のものの木かげに金色のたわわにゆれし果
はかなきはみな月の宵はやも西のはたてに落ちゆく敗頽の月
あなうたて剃りあと青き男のほヽ
あなうたてうかれ女のあざみ笑ひ
稲妻やあざみのとげを照らしけり
巻雲にあらしの疾き様も見よ
人間が物を食ひ出した時ここに喜劇と悲劇が起つたと云ふ。
トーマス・マンの道化者、トリスタンをよむ。
二十五日 小竹来る。「モンブランの嵐」を見る。
二十七日 保田、薄井、服部、紅松を送る。
大森氏送別宴
われは見ぬ
大いなる眼(まなこ)のありて
涙流すを
われは見ぬ
大いなる虚(うつ)ろのありて
潮の充つるを
われは見ぬ
大いなる巷のありて
悪逆を盡すを
×× ××
われ聞きぬ
美(うるは)しききみがみこゑを
われ聞きぬ
なつかしききみがきぬずれ
われききぬ
すげなくもきみがこばむと
これよりわれは
耳痴[し]れぬ
×× ××
サンチマンを愛すれば
夜おしせまる白き額付も
がい[無理]にはおしのけざらまし
耳に常にある 逢ひも見もせぬ乙女のこゑも
しりぞけざらむ
サンチマンを愛すれば
かの空を行く雲も
むなしくは仰がざらまし
夜毎にかヾやく星の光も古き哲人の眼もて
はづかしめざらむ
×× ××
乙女を抱きいぬる夜は
印度更紗 瓜哇[ジャワ]更紗
赤と黒との二色が眼(まなこ)に耳にせまり來む
乙女をおもひいぬる夜は
キリコ硝子か陶器(すえもの)か
透きとほるほど身もやせて ほのほの中に生(あ)れ出でむ
二十八日 男の別れ [※シベリア鉄道の地図あり。]
男はいともつよきかな
がたりと汽車は動き出し
甥は頭を下げにけり
ひとりの叔父は帽とりて
高くさしあげさて見つむ
その口の許 めのあたり
男はいとも強きかな
男の別れの様を見よ
× ×
螢の首は赤ければ
草にひそみてゐるとても
しんじつ見のがす人はなし
螢は臭し 草かげに
螢のにほひこめてゐる
しんじつそれもかはいけれ
× ×
わかるヽや 雲も立て立て夏なれば
わかるヽや 一木にしぐる広野かな
わかるヽや 草百合めだつみちのくま
わかるヽや にはかにきづく風のあり
わかるヽや まなこにしむるきみがまみ
三十日
お茶の水で丸、小竹、本宮、松浦氏と会ふ
福永、谷村と遇ふ
血のつながりは
同型の我(エゴ)の戰ひを余儀なからしめる
しのぎをけづり火花をちらす肉親の争闘
兄の眼に燃える青い炎
弟の心中には兄殺しの火がもえさかつてゐる
× ×
お山びらきの翌々日 不二山の下を通つてわれは帰るなり
あはれ白銀のアルプスは見ずとも
孤峯不二をてらす白道光は
さびしさとおそれとを抱かしめん
阿倍川をわたり大井川を渡りわれは帰るなり
英雄に生れざれば 何の発明もなけれど
魚のこころになりて 青き流を横ぎるべし
せきれいのこころになりて 白き磧を横ぎるべし
あはれ浜名湖も渡るべし
遠き海の波頭も見るべし
光りてゆく白き帆も見るべし
伊吹山の雪は消え、米原に吹雪は来ねども
琵琶の湖は蒼々と岸辺の樹によるべし
はかなくさびしく一人の男かへるべし
つまらなく夕ぐれの駅に下り立つべし
× ×
あぢさゐや梅雨あけの雷鳴りにけり
だーりやの剪られてすがし露ながら
朝のまのたヽみに足のすずしさよ
地震ふるや呼吸かはらぬ瀕死びと
精々霊威使吾泣鳴叫喚
グラヂオラスの名を忘れけり
はるかに霞む赤松の原
赤土の野に風ふきしきり
獨活の芽立ちも折りつくされぬ
温泉宿に新しき欄
川ぎりのぼる竹の高さに
小石は流れ岩はとまりぬ
したヽる水に筧朽ちつヽ
鹿蹄(いちやく)草を薬師(くすし)見出でぬ
白鳩の跡とめくるや明神社
あかつき近く神意下りぬ
奥州路に馬賣りに出る
煙草の花はありやはたなし
ぎやまんの甕に水仙いけぬ
和蘭舟の難破傳へ来
七月二日 帰阪
てがみ
S嬢(マドモアゼル エス)よ
わたしはいまこの暗く汚い西の都に帰つて来たことを何れ丈後悔してゐることだらう。
東京にあつてわたしが煙草と話のあひまに夢みてゐた此の都は、まん中を横断して明るく流れる水の夛い川と、それに輝き分散する虹の様な陽の光
と、川岸をとりかこむ精霊にも似たまつ白な建物の群であつた。いま、こま鼠の様に賢こさうな顔をした人々の間に坐つてバスの窓から見る川は、
うす汚い水が暑くギラギラと光り、うす汚れた建物の影を反抗的に照りかへしてゐるので、わたしはむしやうにゆれるバスの中で何となく焦立たし
い泣きたいまでの気分になつてゐる。実のところわたしは十九年住んで来たこの街を、一寸はなれたばかりにもう早速バスにものりちがへる。おま
けに自分の夢乃至観念まで新しいものととりちがへねばならぬことになつたのだ。
S嬢(マドモアゼル エス)よ
わたしは汚い家屋の裏を通る暑くるしい郊外電車にのつて帰つて来た。家にはまつ黒な弟達、同じくとても日本人とは思へぬ黒い醜い妹、父母等が
暗い座敷に据居してゐる。これがわたしの一族である。切つても切れぬ眷族である。わたしは久濶の挨拶よりも先に、攻め寄せる蚊の群を防ぎ、暑
さを嘆じねばならなかつた。これはあなたの御忠言にもそむくがまことに止むを得なかつたのだ。まことにここの蚊群は人間を焦す奇妙な個性と個
数とを持つ。それは牡牛程の唸り声でわたしの蚊帳のまはりを示威しまはるのだ。おまけにその先鋒の数匹は蚊帳の中まで侵入して来た。この侵入
軍の個数は林の中の君の家よりも夛いのだよ。
S嬢(マドモアゼル エス)よ
七月五日 田辺。 船越 泊まる。 七月六日 学校。
七月八日 藤井寺。 九日夜、松浦氏。
七月十日 田辺。 十一日 田辺。 十二日 歓迎会。
十三日 対校試合。 十六−二、負。
P久保 C豊田 1B北村 2B各垣 3B天野 SS三浦 LF松本 CF三島 RF小林 SB田杉
十四日 伊藤氏。
十六−十九 小竹君。御坊行、丸と。
南紀の浜
わだなかの阿波の雲ゐに陽は落ちていまはさびしも紀の國の浜
油の如どんより光る海の瀬に船はかヽれり夕ならむとす
ゆふぐらく光る海面をひつそりと船むれすべる夕のさびしさ
ま夏日のねむは川辺にほの赤しせみ鳴くひるを汽車は急ぐも
わだの原極(ハタテ)の雲はとびちりてきはまらむとする赤き陽のいろ
くれゆけば峽はざまの家々のま白き壁は眼に迫り来
みんなみの紀伊の浜ゆき紅き花手折りつさても誰におくらむ
暑き日の道成寺訪ひをとめ思ふいのちをかけてこひせむをとめ
大寺の御前の堀のはすの花わがこひのごとうす紅うさく
をみな子の執念は凝り蛇となるわがなく泪いまだ足らぬとよ
いにしへの小竹の貌[かお]の裔[まご]の子になじみしこともなつかしきかな
咆けりたち白波よするわだつみの力を畏るねむられぬよは
泊り舟あかりをけしてゆられゐる川口におつる銀河のひかり
くれそめば沖の小島によする浪いよヽ高しも鴎の巣島
かつを[鰹]よる沖の小島の瀬をまはり船が一隻いそぎくる見ゆ
夏の歌
嵐あと木の葉の青のもまれたる匂ひかなしも空は晴れつヽ 千樫
谷底ゆ上ればひたに眼にせまる黒き山尾に沈む月かも 憲吉
くれぬれば芒の中に胡頽子(ぐみ)の葉のほのぼの白し星の明りに 赤彦
天の河棕櫚と棕櫚との間より幽かに白し闌(ふ)けにけらしも 白秋
横はる銀河の流れ夜はふけぬいざ寢む汝(なれ)の手の冷えしこと 薫園
塵の如初夏の雨かヽりたり麥生のなかの小き停車場 紫舟
きらきらと海は光りて磯の家松葉牡丹に晝の雨降る 信綱
青山の町蔭の田の水(み)さび田にしみじみとして雨ふりにけり 茂吉
萱草をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれてゆく兵隊が見ゆ [茂吉]
忘れてゐた
七月十日 大森氏を神戸港外に送る
出で立ちは摩利支天のお山も煙れ
ざんざんと降れよ泪雨、三菱のガントリクレーンの雨滴がわびしうて
メリケン波止場の傳馬船
帆をかづいてござれ 雨がいとはしければ
遠雷とヾろくひるを船出かな
七月二十二日 丸三郎を送る。 小竹、吉延、三島、豊田、久保 集め。
出で立ちや 雲をひそかに破る月 土産は土の鳩がよからめ
瑞山に 明星かヽるよあけ方 鳴くは何鳥 散るは木の花
高井田村、章君[船越章]の云ふ通り初めて歌を詠むつもりで
線香のにほひを辿りゆき見れば合む[ママ]さきかヽる村の小社
五日雨に白き花咲くやぶありて燈(ひ)もれる見れば家庭(いへには)ならし
紫蔵[※のうぜんかづら]咲く夏の家朝明けにはねつるべきしるが頻りなり
丸の言葉
いにはぬ[印旛沼]の朝明けの様見に来よと東男のこともよきかな
西男不可信
さびしさは棕櫚の花咲くにはに住みつヽ
朝々の星凋せゆくは見ざるなまけ男
緑の木群にかこまれて住む男が
街に出て電車にのると
これは又奇ッ怪な人種群
まひるなれど こはうておそろしうて
やがて眼を伏せ 眼を外(ソラ)せ 様々に苦心したれど
この黄色妖魔の群は増々顔を歪めて
何とも眼の片隅からじはじはと攻め来るので──
けふもまた死なでありしをかなしみぬかくてすぎゆく日は惜しからず
死なんとてこころつかれしあまりをば友に云ひしが呀かしまれぬ
即吟五首 金崎忠彦君に
ブハリンもプレハーノフもよまずけり末世に生きるルンペンのひとり
暑ければひるねをしたり雨降れば勝負事するルンペンのひとり
うつたうしき雨空の如き世の中の敗[やぶる]るべきは確(しか)と信ぜど
西角先生に
先生のゐます辺りの青田風 車窓を開けて蛙をきヽつ
先生の御声をきかぬ幾年をふりかへり見るにほとほとくやしき
帝塚山の辺りを散歩して坂井正夫を想ふ
夕雲は紅き光を放ちつヽ消えなむとする風情を示す
はろばろと先立ちしひとら思ひつヽこの夕ぐれの蒼さ耐ええず
みんなみの明き星をば語りしが地の上にありし星に似しきみ
もろびとを蔽はむことが坂井君の理想でありし
福澤ばりの議論は年にしてはませてゐたり
奥歯のぬけた顔はこけてゐたが
眼の光の強さ
たな雲のたな引く空を見やりつヽ未来かたりしひとはいづこに
腹巻をしよつちう外さずテニスもし英語の音讀に抑揚をつけしが
われの癇癪の種なりし
山のぼりは危険なる故せずと云ひし。火鉢は炭サンガスを出すゆえ入れぬと云ひし。ラムネをのんで即座に腹をこはせし
夏山や先発隊はかの岩に
丸 三郎
雨しぶく むこの山路の曲り角きみら二人の足跡のこれ
淋しさや山の曲りの羊歯のむれさやさやの音耳をはなれず
うつぎ咲くむこの山路のしぶき雨 乙女を愛(を)しとことに云ひ出つ
× ×
すヽきの秀はやも出でしとおどろけり夏の中なる秋のこころを
松原の王子の社[やしろ]楠を茂(じ)み蝉なくこゑもこもりて聞ゆ
× ×
山腹に群れ立ちし家の子等さびしと今し云はなば君うべなはむ
きの國の蜜柑の山のだんだんに生ひ立つ子ろをわれはこひむな
妣[はは]の國あはぢ島見ゆ阿波も見ゆこのゆふぐれはわれを死なしむ
× MEINE LIEBE
ゆめのひとあはきこひせしさびしさはいまたちかへるこのみのうれひ
ちまたゆきをとめをみれば胸いたむわが思ふきみの瞳(め)を見まく欲り
はかなきはひとのこひきく身となりてをのが身の恋ふりかへるとき
あが佛 弥陀菩薩も見そなはせ二十をすぎていまだ恋せず
寺々の男餓鬼の如くやせたれば恋ふる勿れとのたまふか佛
×
みちのくのまヽの入江に立つ秋の風来らなばこひやめむとよ
夏やせとこたへて後は泪なり
耿太郎やせにけらしもあてどなきこひをこひするこの年ごろに
あヽあ めっちぇん[Mädchen]が ほしい 友眞
Warum soll ich nicht benrafen?
Warum soll ich benrafen? [なぜ罰してはいけないのか?]
斎藤茂吉は
日本文学初まりての大文豪なりと云はヾ
諾なはむ人アララギの中にも夛くはあるまじ
されど彼がフテブテシサはまことに前古無比の壮観なり
彼の主観は日本文学中の最大にして最初のものたるべし
ブルジヨアの世紀もことに存在理由のありたることの証明を得む
茂吉の没落はブルジヨアジーの顛落を示す
日本ブルジヨアジーが茂吉の性慾と共に顛落したることはまことに笑ふべきかなしさなり
島木赤彦は天才なき能才なり 茂吉の天才ある能才に對比せらるる立場にあることは 彼が最大不幸たり 純にして鈍なる彼 の語感は現在のアララギの病弊の基をなせり 彼の主観は深み乏しく 彼の努力はそのまヽに汗を歌の額ににじましてゐるなり 彼は蒼古なれど寂 (サビ)をもたざるなり 左千夫の茶道にさへも至らぬなり
中村憲吉は両者の中間にありと云ふべし 彼は天才にもあらず能才にもあらず
諄々として法を説き規を画す 而も彼が人稟は表はれて静なる境地を拓く 彼の林泉(集にあらず)は雨と霧に蔽はれたる築山なり 茂吉の如き人
ある天地にはあらず 赤彦の如き神の作れる天地を説かず 人間の作りし前栽なり 薄、桔梗を栽えし藪叢の点々とある一ケの小庭なり
古泉千樫は憲吉に似て梢々茂吉に近し 彼の歌は彼の運命を予言す
彼は模範的歌人なり 茂吉の図太さ 憲吉の鈍感さを持たず 敏にして狭なる感覚の世界に安住し 命を削りつヽ歌ふなり 彼は刻々と迫る命を歌
ひしなり 沁み出でし命を吾々は見るなり
子規は歌人に非ず 彼の画が画に非りしと同じく 彼の歌も歌にならず
彼は如何にすれば歌へるかと云ふこと丈は知り乍ら遂に歌を作らざりしなり
彼の歌は恐らくは今二十年の壽を得ば 岡麓或は左千夫の寂となりて表はれしならむ 茂吉の脈々たる趣に至るには彼の教育が許さヾりしなるべし
この推測は啄木の場合には異なるなり
啄木は今三年にして子規に至り 更に五年にして与謝野晶子に至りたるべし このこと固く信じて疑はず 彼の稚拙は偶々素 材の独歩に蔽はれて見えざりしのみ 彼の詩感を疑ふこと切なり
左千夫は何年生きてもかのまヽならむ 彼はいよいよ骨董を集め 茶を飲むべし
禪を学んで安居すべし 遂に生観は出さぬなり 東洋趣味の本家となるべし 歌に於ては既にその域に入りたるなり
迢空と云ふ人 我は嫌ひなり その古言の選択の如何に語感に對し鈍感なるかを知るべし 或は不注意なるべし これは詩人としての致命的欠点なり 如何にかつがうとて到底許されぬことなり 素朴と粗雑とは混同すべからざることなり 彼は畢竟学 者なり 詩人に非ず この点子規に似たり
斎藤茂吉
雪の中に日の落つる見ゆほのぼのと懺悔の心かなしかれども
このゆふべ脳病院の二階より墓地見れば花も見えにけるかな
屋根にゐて微けき憂わきにけり目したの街のなりはひの見ゆ
うれひつつ去いにし子ゆゑに藤の花ゆる光りさへかなしきものを
戰ひは上海に起りゐたりけり鳳仙花紅くちりゐたりけり
憤ほろしき此の身もつひに黙しつヽ入日のなかに無花果をはむ
猫の舌のうすらに紅き手の触りのこのかなしさに目覚めけるかも
めん雞ら砂あびゐたれひつそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり
鳳仙花城あとに散り散りたまる夕かたまけて忍びあひたれ
さ夜ふかく母をはふりの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
山ふかき落葉の中に夕のみづ天より降りて光りゐりけり
島木赤彦
常磐木の林の中に家あらしある時は児の泣声きこゆ
青海のもなかにゐつヽ晝久し錦絵ならべ見居りけるかも
夕焼空こげきはまれる下にして凍らんとする湖の静けさ
草枯の國のくぼみにかたまれる沼のいくつに日あたりにけり
夕日の岩ま黒けれども薊の花咲く所には固まり咲くも
め手にたどん丸むる晝久しちりたまりけり鳳仙花の花
中村憲吉
二十五日 高田天神祭
二十八日 帰宅 小竹誉志夫氏
植物祭 [※自作]
透明なフランスの空にも咲きかけの夾竹桃の梢があるかしら
槐はえんじゅで人見知りする花 神戸へもうすぐ行ける
夕暮れの西空を劃る黒い丸山半陰に一つ白いは百合かゆれてゐる
夏の空には雲が夛いでクローバもしばらく花咲くことを休みます
あヽ深い夕ぐれの空鳥が中へ入ったまヽ帰らないこれはヂキタリスの幻想
グラヂオラスのこめる郷愁に少年のはかない不平はけしとんでまたも夕べとなる
朱色の何といふ花かしら眞秘密な童貞の花である
まことわれら遊び男どもは海原の如き山の草地に埋れ葬らるべきである
カンカンと出帆の銅像が鳴ればバタバタと梯を下りて扨て胸の白バラを投げるのである
ペルシア猫の眼は女人の因業深きそれにも似て今正午の時計音と共に卓の上の花瓶をにらみつけにらみつけ
夜の遠くの灯がおこすはるかなあこがれの正体を云へ友よ桔梗の花にもまして
かすかに咲けよ桐の花西國街道がこひしけれ
病院の広庭にはさまざまの花が咲けども血に似たダーリアより悲しい憎いものはござりませぬ
楊梅の実で死んだ栗鼠が三十三匹に上りますげな
オランダ製の切子硝子器にさても入れたりトマトオの紅い紅い滴る血潮を
平手造酒様かなしやな利根の川原の一輪撫子血に吐くいろとは見なんだか
(七月三十日)
老いた巫女──
しぼんだ黄色い顔、衰へた眼をすえて
赤い袴の官女風なのだが
太刀抜きもち
太鼓に合せ 舞台を動く
がくがくと首をうごかせ──
しかも眼は据え乍ら
太鼓は逃れた我々を尚も追かけ
どろどろと泣きさうな空にひヾいてゐる
星座祭 (七月三十一日)
みんなみの山脈におつる銀河(あまのがは)あなさびしさもきはまりにけり
みんなみの蝎(すこうぴおん)の毒針の天に輝き秋はきむかふ
毒もてる天蝎宮のまん中に赤き星ゐる夏に生れし
かさヽぎの渡せる橋も涼しけれ銀河にうすく雲出でヽ来し
うつくしき天琴座をば指さしつ寄らば乙女はなびくとすらむ
海原はふけしづまりて漁火の集る方に星は流れき
六甲の山の中腹の灯火(ともしび)を星になぞへむ佳き人のあたり
山峽に八月は来てさびしもよ夕べ青田に星空おちぬ
水木咲く八月の澤のほとヽぎす星座を指して語る夜更けに
はろばろし少年の日の感傷は南極星を求めて止まず
檳榔樹(びんろうじ)木の実をおとす南の海辺に出でヽ十字星見む
土人らの胡弓も今は止みにけり怪鳥叫び星明き下
黒々と熱帯林はふけしづもりしづしづと星座せり上り来る
月明き夕べぬか星消え果てヽわがこひの星のみぞ残れる
つれなきはきみがこころか星明き夏川の辺に誰と出でます
Ein armer Mann muss Lungern. [貧しい男はぶらぶらしなければならぬ。]
旅疲れしるしと思ふ
秋早き桔梗の花
の光も痛し
嶺丘耿太郎
(第5巻終り)
「夜光雲」第六巻
昭和5年8月15日 〜 昭和7年1月27日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き 表紙欠(92ページ)
夜光雲 巻六
嶺丘耿太郎日記
昭和六年八月十五日
故園にも
苺は植ゑん
犬買[ママ]はん
僕はもう歌が作れない ‼‼
紀州御坊行
淡紅く
眞夏の合歓[ねむ]の
咲く見れば
湍[たぎ]つ川瀬も見えにけるかも ・・・・・・ 一
白波は
鰹来る瀬に
寄りゐたり
小舟
その瀬を
廻りて去りぬ ・・・・・・ 二
紀の國の
古き御寺の
石階(きざはし)に
竹柏[なぎ]の茂木の
蔭落ちにけり ・・・・・・ 三
洋(わだ)中の
阿波の雲居に
日は落ちぬ
磯の岩秀[いわほ]は
光含みぬ ・・・・・・ 四
白雨(ひでりあめ)
浜の小家の
鉢植の浜木綿に降り
明るかりけり ・・・・・・ 五
大和國原
にはか雨
峽の町を過ぎにけり
いま鳥見[とみ]山に
なびくその雲 ・・・・・・ 一
古の蘇我の川原の
薄(すすき)原
合歓の淡(うす)花も
ひるは咲かしむ ・・・・・・ 二
海の風の吹くひとときは
一
あかねさす眞日に向かひて開きたる童女の陰[ほと]はいつくしきかも
二
あはれあはれひるの渚の砂の上に犬の交合はさらされにけり
三
むしあつき晝なりければまがなしきほとの機構も考へざりき
四
極楽瑠璃荘嚴の気は満ちて交合蜻蛉(つるみあきつ)は流れて行けり
悲しび
フランス語を覚えよう
日本語では
私は破産した!
×
日に日に描く
つまらなく描く
雲のある風景
魂のノスタルヂア‼ (八、一二)
×
青い空気の中に
里芋の葉がゆれるのを
じつと見つめてをられぬこころ
焦つてゐるなと我ながらあはれな──
×
きれいな奥さんは
人妻ゆえに
最も好ましい
奥さん お話しましよか?
×
朱雲(あかぐも)は山の背方(うしろ)ゆ立ち昇り 崩るヽまでを我を照らせり
人の子の死にたるのちも大空に 雲立つひるはあまた經(めぐ)らむ
私は海月[くらげ]の様な静かな生活を欲して
海の潮の苦さを好まない
これは悲劇の基である (八、一五)
×
かなしさや海の色を濃藍と申すなり
×××
冲とほく潮に浮きゐる小魚らの背すぢのいろは青くあたらし(八、一六)
×××
わがいのち短くあらむおぞましき死相は人に見せざらむゆめ
×××
銀漢(あまのがは)いたも[甚も]更けたりみんなみの海よりのぼるきりがくれつヽ
すヾむしのなくやちまたの夜更けなり空には銀河いと近うして
八、一 ── 六
八、一二 ── 一九 今津
海章
うねり波よせ来るひるは遠磯の白きしぶきを見つヽたのしむ
秋近しまことはれたる武庫山の麓の浜に波は寄せつつ
武庫山の草山なせる頂に三角点見ゆ気は澄みにけり
おのづからなじみしひとも来ずなりし浜にすヾ風立たむとすらむ
砂浜のかはらよもぎにかくれなくきりぎりすさへうつろふものか
残暑はいまだ強しも砂浜のきやむぷに晝は人ゐたたまれず
けふの海はくらげ夛しとふさらばさつき足にさはりしはくらげなりしよ
うねり波よせ来る浜に犬泳がしむ 疲るればわれに倚りてくるなり
海中にわれにより来る犬の眼の眞劔さにふと怖ろしくなり
腹赤き汽船は冲を行けりしがやがて轉囘(かへ)るはなにヽかあらむ
たとへば蓮華(れんぐえ)の弁(はなびら)の如くかさなれる山の相(すがた)たのしも
遠き磯に赤き旗ひるがへすは茶店なり松はうしろに連なり青し
うすくうすく軍艦が九隻ならびゐるまこと等しき間隔を保ち
軍艦は碇泊さへもかたくるし彼我の距離はかる兵ゐるならむ
武庫山の前山なせる赤はげ山かしこにはわれ行きしことあり
武庫山に秋は咲くなる植物の形はまさにわれは知るなり
波寄する川口の杭に立つ人は何釣るならむその光る魚
光る魚を釣り上げし人糸をたぐり寄するその間に魚は落ちけり
わだつみの潮はまことふしぎなれ水脈光る海に向かひて坐る
海原をかゆきかくゆき船びとはまことに家をこふるものらし
海原の潮の迅きひるひるは船の航行(ゆきき)を見つヽかなしも
冲遠く帆船の檣[マスト]立ち並べり蜃気楼見むとふと思ひけり
海原にしたしく泳ぎ帰り来ればいまだも鳴るかとほき海鳴り
この海をひごと行き交ふ汽船らは笛ならしあふこころもたぬらし
日の光あまねくあれば海に向かひ はあれむつくるここらの人は
わがはだにももろつこの風吹きにけりまことまくろくなり果てにけり
椰子の木を植うるカフエエあらば行きてすはらむかくてうたつくらむ
ゆふなぎさ波の唸(うな)りも深ければ率ゐる犬は海に向かひぬ
くれゆけばざんざんと鳴る波の音海風に交(まじ)りゆきつつあれば
海風はしきりに吹きて夜なりけりいそべにゐれば着物しめりつ
銀河はまことに海に落つるなり海面に近くうすくなれども
明しあかしわれらにむかひて光る星のことごとく明し海面は暗し
海原のよるしづまらばあまのがはさながら形うつすとするか
う゛えがもでねぶもまことは海に光おとし海中の魚に見らるるならむ
一八○度を見るとふ魚の眼なるゆえ星座運行はたしかめをらむ
うなばらの底ひにすだく赤眼魚 夜は光のかけら集めよ
三日月は地平に近く濁り赤しわが瞳(め)に似ると自らは知る
月も日も海に沈む地に住みゐたし地(つち)に沈むは何かはかなし
われはたヾ海面を這ひて余念なし海の族らに嘲(わら)はるならむ
あはれ眞劔に海面を行かねば死ぬるなり海月の群れて行き交ひにけり
海の族 相克の理を肯[うべな]ひたまひ感嘆したまひきありがたき祖父は
海月もしんけんなれば海の面を群れて行くなりわれは然らず
着物を脱いだまヽかへらぬ人間ひとりに浜は大騒ぎなり かへらざらむ 海は広し
あはれあはれ何なればたはむれに海に親しみ死ぬならむ人は
いたましきむくろに取りつきなげかひし人らのこゑはいまも忘れず
摩耶山天上寺 (八、一九)
細澤に水流るヽを見とむれば藪にかくれて白雞遊ぶ
海州常(くさぎ)山咲く澤は深しもこのあたり蝉啼くこゑのまことに暑し
青空は山の彼方に聳え立ち日は杉の秀にあまねく照らふ
摩耶やまの杉の秀立のまうへなる蒼澄空に陽はありにけり
一道の白毫光はあまねく静けき海を充ち照らしけり
幽けくも檜林の下草の花咲くみちの石段のぼる
おほぞらに凝るものもなし山草のあひだゆのぼる暑さはあれり
群松の嶺とだえして野となるは印南[いなみ]の國と教へられぬる
加古の島か家島かあらむとほがすむ磯の線外になほはろけきは
鳶啼きてしづかと思ふ遠島を浮べる海に見入りてあれば
秋のいろ眼にしみ入りぬなつかしき友とゆく道のみづひきの花
佛生[あ]れましヽマヤのお山に國見つつ天地所生を美しと思へり
山邃(ふか)く泉はありて落葉つみ朽ちたるまヽに動かざりけり
夏山もいまは終りか黒土の崖に咲き出るはほとヽぎす(花の名)のみ
腹赤き船浮かしめしひるすぎの波なき海はにびいろに見ゆ
山下に下り来れば谷深くみあみ[水浴]する童等のこゑのみきこゆ
じんじんと蝉鳴く谷のひるさがり裸童子の体(み)は光り見ゆ
くさぎ咲く澤々の水集まりて童子の丈を泳がせにけり
山路の角を曲れば日向なり砂のくづれは眼にしみにけり
この一日強き光に歩み来ぬゆふがたはマヤの灯を仰ぎけり
× 増田 忠 氏
わが友は兄と友とにある日の夕 自(し)が墓のこと語らるヽかな
墓を建てねばと云ひて語を切りたまひぬ われはそのまへに泪ぐみゐる
折々はわが心安さふりかへり 死にし子どもにすまずと思ふ
ゆうされば海風窓に吹き入りぬ さみしといひていふことはなし
街の灯はくだりて海に達(とヾ)まりぬ 高みの家の窓より見れば
友ら寄りひとをさびしと云ひしあと巷に出るもかなしまるかな
【抹消】われらみな死に果つるのちのさびしさはわがむねのうへにいらだヽしさ【抹消】
きみを知るひとらすべての亡きのちをおもへばわれはいらだヽしもよ
とことはのいのちときしは誰にかならむ わを知る人もいつかは盡きむ
やうやくにこころおちつきぬと思ひゐしが この海風にまたも思ひ出(づ)
祖父重態 囘復難期 (八、二一)[※西島喜代三郎]
祖父[おおちち]のまなこのくぼみいやまさりいまはふたヽびたちまさヾらむ
朝夕に咳きたまひ嘆じたまひ みいのちのおはり近づきにけり
よきこともなくて幾年過し来つ 報はれずしてゆきたまふらむ
ふたヽびは起ちまさヾらむと医師つげぬ そのことにいきどほり感じてゐるも
勉強 (中之島図書館) (八、二三)
図書館の地下室にして法律を説ける輩はそぼひげ生せり
こはだかに語り説きつヽおのがまヽに他人を説きふせむと努むるらしき
ブルジヨアの世紀終りに近き時何ぞも妻の財産を説く
かさかさのぱんをのんどに通しつヽゆくておもふに泪流れき
わぎもこをつまどふに足る代あらばと嘆かふ時は生きたくもなし
ゆふぐれとなりて巷の空おほふ雲出でにけり夾竹桃の花
建築中の天守閣見ゆる橋の上に曇れる川も見つめてありき
あはれ革命近づきたれやまつぴるまルンペンがからかふプチブルのむすめ
ルンペンの群と行き交へりあえなくも眼はつひに得もむけやらず
かの垢頭破衣の群の強き眼光を思ふに足よろめかしてのがれつ
未だのこるわが感傷は夕ぐれの川面に下り流れむとする
感傷の少年は暮(ゆふ)の川ながめ海面へのあこがれを傳へようとする
甘藷畑 (八、二四)
夕づく陽乾ける畑にさしにけり畑に薯はころがりにけり
あはあはとななめに夕陽が照らし出す薯の赤きもさびしまれけり
向日葵は畑の隅にかたむけりその本にもある裸か芋の山
伊古麻山と春日野
いこま山 菊の香にくらがりのぼる節句かな はせを
能勢 三島
わたる日は天つ雲路にかくろひてとほわだつみの光りたる見ゆ
夏山の花も咲かざる茂みより蝉鳴くこゑはむらがり来る
ほうせん花 誰もゐぬ茶屋のうら畑ひとりはぜつヽすがれてゆくか
ほうせん花の彈ぜ実いじりつつ海見ゆる ああ見ゆるとてわれらゐるなり
ひとごゑのきこゆるまだき曲りかど白き洋服の女の児現(み)ゆる
はるかなる海(わだつみ)の水脈はあらはれぬ にぶく光りて舟載せてゐる
すずかぜはまつ虫草をそよがせり伊古麻の山に日はかげり来ぬ
天雲は山の頂の飛行塔にあたれば凝りぬ息吹の如し
あま雲のおほへるまだき山頂は陰惨(くらく)しなりぬ自(おの)心よる
あもり[雨]来むと友と云ひつヽかたはらの女の児にもきかすとするよ
藝妓らは聖天様にまゐりたり杉の中道のぼり来りて
おのづからさびしくなりぬ満月(もちづき)は雲を破りて出づるを見れば
ほのぼのと山河白く光らせつ大和の國を月は經(めぐ)りぬ
楽焼
秋立つや伊古麻の山の女郎花
春日野 小中義城
杉の樹のこずゑにありて雲乱れ月出でむとす原はかすむに
あなさびし女のことを語りつつ慕ふ女をいとふと云ふに
われら童貞は春日奥山の石佛達に
白毫酒を献じやう
それも月の明るい夜、杉を繞[めぐ]つて生物の飛び
谷の声に和して蟾蜍[ヒキガエル]の啼くときに
石佛の弥勒様は未来欣求[ごんぐ]のわれらの
眼ざしを嘉容し賜ふべく
地蔵菩薩はわれらの未だ童なることに
満足の慈愛を感じたまはう
白毫酒の盃には白い光が射し込んで
酒は煙となつて空に昇り
或は天雲と化して雨を降らせ
或は散華と化して我等の肩に積もるであらう
月かげにほのかに形顕はせる三笠の山は見るに嚴[いつ]くし
廃れたる土塀をめぐる蔦の葉にこほろぎかくれ啼きあかすらし
木の間もる月の光に菩薩どち青く照りつヽもだしたまはむ
御佛の眉(まみ)にたまれる月かげはわが見にゆかば尊からめど
× × ×
きみをこひしといふときは
しんじつたまらずおもふなり
ことにこほろぎなくよるは
きみがふしどもおもはれて──
×
わがくもりたるひとみさへ
きみをこふるにかヾやきぬ
されどもそれはたまゆらに
すなはちまたもくもるなり
ふたヽびかへるさびしさは
おもはぬまへにいやまして
×
きみを思へば西域の
青き玉をばほしといふ
朝にゆふべにながめつつ
きみがまなことかなしまむ
まこと珊瑚のきみの唇
いまは性根もつきはてて
おとすなみだはさんさんと
眞珠のごとく光りてよ
×
あはれゆふべははかなけれ
おぼめくいろのをみなへし
にほひはふかしふじばかま
げに秋草はいにしへの
あてなるこひも思はせぬ
われらがこひはしのびねの
むしのこゑよりかすかなり
きみはわれをば
かへりみたまはず
×
あはれをみなごつみふかき
むかし大徳(だいとこ)落しにき
いまわがきみはよるふかく
われを眠(ね)しめずをきたまふ
おつる地獄もあればこそ
こひのよろこびありぬべし
われはいづこにゆかばとて
その幸だにも得んやらむ
× ×
明き星みて語りにき
としにひとよのあふせ[逢瀬]をば
たのしむひともありぬると
明き星てるよひごとに
われはなげきのまさるかな
あはれひとよや見えたまふ
×
千草の花もちりぬべし
啼く虫のねもたえぬべし
かくてありへ[経]ばひとよるも
なげきたえざる十二時(とき)
秋はよるこそ長けれど
花も香[にお]はじ音[ね]もきかじ
×
きみがきぬには八千草の
しどろの様をえがかしめ
枝毎におく茂つゆを
したふ虫とはなりぬべし
音になききみに告げてむを
×
秋ぎりは野に立ちこめて
あはれあはれこどもらの
こひの時たちぬ
世のをはりおのれかなしむ
虫のねにみじめなるをのこ
ひとりまどによりなげけ
月かげはきりにまどひて
その窓によらず
よるふけて風去[い]にぬ
あきらめよとて
×
つたの葉のかれがれと音立たば
せんなきことヽあきらめも果つべし
萩が枝につゆおきて月てるころは
あヽ こひまさるこころ おのれすら
いかにせよとよ
×
土堤の穂すヽき茂る中
ふたりはこひをかたりにき
すヽきは枯れて折れければ
ふたりはこひを止めにけり
×
ふるさとのすヽきのつヽみ
きみとゆかば
あヽ きみとゆかば
うみ見ゆる丘にいたりて
うちあけむ
あヽ うちあけむ われがおもひを
× 小唄
赤いとんぼはゆふがたに
唐辛子畑に
さまよひて
どれがわれやらひとぢややら
×
ゆこかまいらんしよか[※行きましょうか]
盆の墓まつり
死んだ情女(をなご)を
なぐさめに
×
わしがむすこは他(た)に
術(じゅつ)ないが
こゑがじまんで
女郎(めろ)くどく
×
をどれぶんけ[分家]の
十八むすめ
をどりうまけれや
よめにとろ
×
盆のあくるひ地曳きあみひけば [※以下無し。]
月明 (八、二八)
【抹消】遠天の夜走る雲にとヾきけり月の光【抹消】
棕櫚の葉に
月の光は
こまごまと
分れてゆれぬ
ちるがごとくに
×
をとめ子の
すこやけき寝息
思ふにぞ
淋しきものか
月と虫の音
×
月けぶる
河内國原
里芋の
畑つらなり
夜月にあざやけし
×
安けくも
きみはこの夜を
小夜床に
ふかくひそみて
眠りてあらむ
×
遠街に
月の光は
射しにけり
はるかに
夜行く雲はありけり
×
あまのはら
かそけき風は
ありにけり
遠天の雲
流れつつ見ゆ
この歌は西川とメツチエン[※少女]に遣らむ
八月二十九日
久し振りに憤ることあり
我は二十一歳なり
ほうせんくわはぜよと云ひてわれらゐる
海見ゆる高みにらむねのみにけり
とうきやうもさびしき空のあるやらん
蘭の香にいしころみちをくだりけり
右 和州生駒山補遣
中野重治に感心す
感心した以上何とかしろ
これ以上何とかなるか
×
[船越]章ちやんと心ブラ
買ひたい本(買へる本)
一九三一プロレタリア詩集 .四○[銭]
ルノアル画集 .五○
大日本思想全集 東洋思想 一、二 .四○ .八○
東洋思想辞典 .六○
歴史辞典 .六○
京都市古地図 藤田元春 ?
李青集 [※木下利玄] 一.○○
古代社会 上、下 モルガン .六○ 一.二○
佛蘭西革命史 クロポトキン .六○ 一.二○
買へぬ本
古代研究 折口信夫
日本紋章学 沢田頼輔
東方言語史叢考 新村出
Die Ruhelose Nacht [※安らぎのない夜]
私の心音は大きくうねつて
私の駆ける足を追かける
私の足は受けた汚辱に眞赤になつてゐる
汚辱は私の足跡である
足跡は赭土に印してある
赭土は山の一分塊である
×
私は私の死後の為に歌を作る
生きてゐる中は何の役にも立たぬ歌
私の歌 ── あヽ みじめな
そしてほめてくれる人があると
私は死後の幸せを思ひ うれしがるまいことか
それ故 私はいつまでも死ねないのだ
×
いつか僕は魂ののすたるじあを呼號した
それは遺傳のみちびきであり
遺傳は先祖のおどろきである
おどろきを叫ぶことの象徴たる詩は
故に魂ののすたるじあの象徴である
この三段論法は
僕に於ては正しからうか
創始者僕に於ても!
×××
百貨店の帽子賣場の女の子よ
僕は君に恋を感じたらうか
君は細い眉を画きうまく紅を頬にさしてゐる
ほんとに旨く
だから君は美しい お世辞でなく
僕は君に恋を感じたらうか
君は生活してゐる
獨りで立派に そしてつヽましく
僕は親から金をせびる
親は借金してゐる
誰からか僕は知らない 知りたくないのだ
そして今 君に僕が恋する──
それでよいだらうか
それは最も悲惨なる滑稽だ
女の子よ 賣場の女の子よ
僕は君に恋を感じたらうか
×
お嬢さん
女学生のお嬢さん
毎朝バスで会ひますね
君は美しい
君は可愛いい
君は昨日「令女界」[※雑誌]を持つてました
僕のみつめてる眼に会ふと
君はその本を開きました
帰つてから僕は妹にその本を借りました
花ことばが書いてありました
今日 君に会つた時 だから
本当のことを云ふと
僕は花ことばを期待してたのです
空色のネクタイに
黄水仙の花は調和するぢやありませんか (S.S嬢に)
新約聖書
視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る(馬太傳 二ノ九)
ヨハネは駱駝の毛織衣をまとひ、腰に皮の帶をしめ、蝗と野蜜とを食とせり(〃 三ノ四)
視よ、天ひらけ、~の御靈の、鴿(ハト)のごとく降りて己が上にきたるを見給ふ(〃 三ノ一七)
ゼブロンの地、ナフタリの地、海の邊、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、暗きに坐する民は、大なる光を見、死の地と死の蔭とに坐す る者に、光のぼれり(〃 四ノ一五)
山の上にある町は隱るることなし(〃 五ノ一四)
茨より葡萄を、薊より無花果をとる者あらんや(〃 七ノ一七)
惡鬼いでて豚に入りたれば、視よ、その群みな崖より海に駈け下りて、水に死にたり(〃 八ノ三二)
視よ、種播く者まかんとて出づ。播くとき路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。土うすき磽地に落ちし種あり、土深からぬによりて 速かに萠え出でたれど、日の昇りし時やけて根なき故に枯る。茨の地に落ちし種あり、茨そだちて之を塞ぐ。良き地に落ちし種あり、或は 百倍、或は六十倍、或は三十倍の實を結べり。(〃 十三ノ四)
まづ毒麥を抜きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ(〃 十三ノ二九)
天國は一粒の芥種のごとし、人これを取りてその畑に播くときは、萬の種よりも小けれど、育ちては、他の野菜よりも大く、樹となりて空 の鳥を宿す(〃 十三ノ三二)
夕には汝ら「空あかき故に、晴ならん」と言ひ、また朝には「そら赤くして曇る故に、今日は風雨ならん」と言ふ(〃 十六ノ三)
視よ、光れる雲、かれらを覆ふ。また雲より聲あり、曰く「これは我が愛しむ子、わがスぶ者なり、汝ら之に聽け」(〃 十七ノ五)
路の傍なる一もとの無花果の樹を見て、その下に到り給ひしに、葉の外に何をも見出さず、之に向ひて「今より後いつまでも果を結ばざ れ」と言ひたまへば、いちじくの樹たちどころに枯れたり(〃 二十一ノ一八)
パリサイ人よ、汝らは薄荷・蒔蘿(いのんど)・クミンの十分の一を納めて(〃 二十三ノ二三)
電光(イナヅマ)の東より出でて西にまで閃きわたる如く、人の子の來るも亦然らん(〃 二十四ノ二七)
死骸のある處には鷲集らん(〃 二十四ノ二八)
これらの日の患難(ナヤミ)の後 直ちに日は暗く、月は光を発たず、星は空より隕ち、天の萬象ふるひ動かん(〃 二十四ノ二九)
無花果の樹よりの譬をまなべ、その枝すでに柔かくなりて葉芽めば、夏の近きを知る(〃 二十四ノ三二)
その中の一人はしりゆきて海綿をとり、酸き葡萄酒を含ませ、葦につけてイエスに飮ましむ(〃 二十七ノ四八)
荒野に呼はる者の声す。主の道を備へ、その路すぢを直くせよ。もろもろの谷は埋められ、もろもろの山と岡とは平げられ、曲りたるは直 く、嶮しきは坦かなる路となり、人みな神の救を見ん(路加傳iケ書 三ノ四)
狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし(〃 九ノ五九)
鴉を思ひ見よ、播かず、刈らず、納屋も倉もなし(〃 十二ノ二四)
百合を思ひ見よ、紡がず、織らざるなり(〃 十二ノ二七)
汝ら雲の西より起るを見れば、直ちに云ふ「早雨きたらん」と、果して然り。また南風ふけば、汝等いふ「強き暑あらん」と、果して然り (〃 十三[12]ノ五四)
日はまひる
青草の野はつきて
白き雲ゆく大空の見ゆる
窓辺によりて
おるごるの音に
聖歌を唱へば
ひとりなることの淋しさに
反りみてわれは泣きけり
×
凌霄華咲く窓の外に
子供らの遊ぶこゑ
ぶらんこのきしり
大空にゆれる木の梢
いちじくだよと
弟がもつて来た
×
いつか泣きます、泣かれます、夕くれがたに丘の家、白いフエンスに見えかくれ、
女の子らが遊びます、声をそろへて唱ひます、あヽ古い歌、賛美歌を。
新約聖書
ガリラヤの人々よ、何ゆゑ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に擧げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復き たり給はん(使徒行傳 一ノ十一)
イスラエルの家よ、なんぢら荒野にて四十年の間、屠りし獸と犧牲とを我に献げしや。
汝らは拜せんとして造れる像、即ちモロクの幕屋と神ロンパの星とを舁きたり。われ汝らをバビロンの彼方に移さん(〃 七ノ四二)
ペテロ祈らんとて屋の上に登る。時は晝の十二時ごろなりき。飢えて物欲しくなり、人の食を調ふるほどに我を忘れし心地して、天開け、 器の降(くだ)るを見る、大なる布の如き物にして、四隅もて地に縋り下されたり。その中には諸種(もろもろ)の四足のもの、地を匍ふ もの、空の鳥あり。(〃 十ノ九)
九月一日
我家の樹木
棕櫚 三二 栂[つが] 三 松 二 樫 一二 冬青[そよご] 三 扇骨木[にわとこ]二 杉 八 夏蜜柑 三 桜桃 一 椿 七 楠
三 柿 一
木槲 七 梧桐 六 八角金盤[やつで] 三 無花果 一 ウバメガシ 六 樗[おうち] 二 青木 一 高野槙 五 椋 二 桐
一 山梔子[さんざし] 五 枇杷 二 櫻 一 南天木 四 槐[えんじゅ] 二 柘榴 一 茶梅[さざんか]三 金木犀 二 楓 三 檜
二 櫨[はぜ] 三 桃 二 不明 四 計一四〇
九月二日
大佐渡の名も無き寺のあすなろう
(湯原)
蝉死にて花無き杉の相(かたち)かな
おそ夏の木の花開く暑さかな
(湯原)
【抹消】時雨るヽ秋をまちかまへたる梧桐哉【抹消】
高架線を
長く貨車牽きてゆく
機関車の壮さ
×
動くものを
凝視めるに
寂しさの湧くことを知る
×
汽車の煙
淡くなりて
その長々と
汽笛鳴らすを
聞けり
×
夾竹桃は
さかりの長い花
散らぬ花
秋づく日の空
木梢の先にのこる花
×
別れのかなしさは
夾竹桃咲く塀路を通り
港へ下りていつた午過
×
晝に
白い雲の立つたあたり
夕ぐれては
星座の動かざる相
×
涙脆うも
秋早い巷をゆき
何気なく見上げて
見えた星座の姿(なり)
×
秋になつて
初めて實る蕃茄(トマトオ)
祖父の命は
やうやく保つたまヽ
×
白亞の建物に
歪んだ光線
秋だつたと
しみじみ
呟くはわたし
×
手帛の白さが
うれしくも秋
人間が如何に期節[ママ]に制約されるかは今年と去年の僕の休み中の行ひ、考へを比較して見るがよい。僕は燕にもなれよ
うし、春になれば必ず咲く草木にもなれる。
関口に一句
淋しさや楠の朽木の小蘖(コヒコバエ)
廣重の松の並木に鴉哉
×
西垣に
蝉の声しばしとだえてひるね哉
鴎鳴く港を出でば夕日かな
カラカラと物のひヾきに出船かな
時雨るるや別れも告げぬ出船哉
石段は四百段目の海の色
天の川夜明け御山を下るとき
峰の杉に明星落ちて夜明哉
渋柿の不作も惜しむ初秋かな
秋浅きつめきり草に夕日かな
末生[うらなり]の絲瓜[へちま]みつけし秋暑し
× × ×
感傷
どなたさまにも
ごめいわくではございませうが
手前さびしうなれば
手紙を書くのが 癖でござります
忘れじの誓ひ日記にのこりけり
お天守に沈む夕陽や街も暮れ (九月三日)
稲田見渡すお城にのこる夕日かな
くびかくす扇になほも残暑かな
増田正元君の遺影を受け取る
時の忘却作業は
君と僕との思ひ出に
秋づく日の斜めな光を
射しこんでゐる
×
わかれ──
そしてそのまヽに
僕達は歩み去り
今焦燥を感じるのは僕だけだらうか
×
長く長く汽笛を鳴らし
前の海峡をゆく汽船
ゆうぐれはこの花壇の
ヂキタリスの枯葉にもあつた
×
鉢伏山の傾斜が
今となつては鮮かな
我々のラストシーンを画き出し
海は静かに光るばかり
Mein Erl ser,Jesu Christ,
Hilf mir,wenn mir zu helfenist!
Liege ich tief auch im S nderschlamm,
Bin ich dein Kind doch, o Gottes Lamm!
救ひ主 エス キリストよ
御心あらば 救ひたまへ
罪業の沼ふかく横たはるとも
われは主の子 の仔羊なれば
Schütze, Herr, dies Kind zumeist,
Das da spielt am Strande,
Send ihm deinen heil'gen Geist,
Ein' sie durch herzliche Bande.
Tief ist das Wasser und schlüpfrig der Grund,
Aber ist fest geschlossen ihr Bund,
Bleibt es gerettet, bleibt leben,
Um sich zu dir zu erheben.
Mutter sitzt in tieber Pein,
Weiss nicht, wo es jetzt weilet,
Teht vor die Tür und ruft es hinein,
Antwort wird nimmer erteilet.
Aber sie denket, wo es auch ist.
Gottes Beistand es nimmer vernisset,
[主よ、岸辺で遊ぶこの子供に聖霊を送り、心のこもった絆で結び付け、何よりも彼を守ってください。水は深く底は滑りやすいですが、 絆がしっかり結ばれていれば救われ、生き続けてあなたのもとに浮かび上がってくるでしょう。母は深い痛みに襲われ、子供が今どこにい るのかも分からず、ドアの前に立って喚んでみるが返事はなく、彼女はどこにあっても念うのです。しかし、神の助けは決して失われるこ とはありません。イエスは恵みによって彼を被害なく帰宅へ導きます。]
蕪村句集
春之部
青柳や芹生の里の芹の中
二もとの梅に遅速を愛す哉
隅々に残る寒さやうめの花
燈を置かで人あるさまや梅が宿
なには女や京を寒がる御忌詣
古寺やほうろく捨てるせりの中
公達に狐化けたり宵の春
さしぬきを足でぬぐ夜や朧月
指南車を胡地に引去っ霞哉
春雨や人住て煙壁を洩る
物種の袋ぬらしつ春の雨
はつうまや鳥羽四塚の雞の聲
静さに堪えて水澄むたにしかな
畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ
きじ啼くや草の武蔵の八平氏
春の海ひねもすのたりのたりかな
畠打つや鳥さへ啼かぬ山かげに
大和路の宮もわら屋もつばめかな
燕啼て夜蛇を打つ小家哉
連歌してもどる夜鳥羽の蛙哉
よもすがら音なき雨や種俵
しののめに小雨降り出す枯野哉
骨拾ふ人に親しき 菫かな
野とともに残る地蔵のしきみ哉
商人を吼る犬有桃の花
やぶ入のまたいで過ぬ几巾の糸
かくれ住て花に真田が謡かな
なら道や当皈ばたけの花一木
甲斐が根に雲こそかかれ梨の花
菜の花や日は東に日は西に
なのはなや笋見ゆる小風呂敷
夏之部
ころもがへ印籠買に所化二人
子規柩をつかむ雲間より
寂として客のたえまの牡丹かな
地車のとヾろとひびく牡丹哉
牡丹切て気のおとろひし夕かな
閑居鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ
鮎くれてよらで過行夜半の門
しののめや雲見えなくに蓼の雨
三井寺や日は午にせまる若楓
絶頂の城たのもしき若葉哉
古井戸や蚊にとぶ魚の音くらし
若竹や夕日の嵯峨と成にけり
火やいづこ河内の麦畠
鮒ずしや彦根が城に雲かかる
路たえて香にせまり咲いばらかな
愁ひつつ岡にのぼれば花いばら
五月雨や大河を前に家二軒
さみだれや佛の花を捨てに出る
蝿いとふ身を故郷にひるねかな
しののめや鵜をのがれたる魚浅し
堂守の小草ながめつ夏の月
雷に小屋は焼れて瓜の花
蟬啼くや僧正坊のゆあみ時
絵團のそれも清十郎にお夏かな
揚州の津も見えそめて雲の峰
雲の峰四澤の水の涸れてより
飛蟻とぶや不二の裾野の小家より
日帰りの兀山こゆる暑さかな
秋之部
梶の葉を朗詠集のしほり哉
大文字やあふみの空もただならぬ
ひたと犬の啼町こえて躍かな
柳散清水涸石處々
山はくれて野はたそがれのすすき哉
まちからも見ゆる花屋が持佛堂
蘭夕狐のくれし奇楠を炷む
虫啼くや河内通ひの小でうちん
日は斜関屋の鎗にとんぼかな
庵の月主をとへば芋掘りに
甲斐が根や穂蓼の上を塩車
甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
缺けかけて月もなくなる夜寒哉
冬之部
時雨るるや鼠の渡る琴の上
初冬や日和になりし京はづれ
枇杷の花鳥もすさめず日くれたり
茶の花や白にも黄にもおぼつかな
狐火や髑髏に雨のたまる夜に
早梅や御室の里の売屋敷
たんぽぽの忘れ花あり路の霜
むささびの小鳥食みゐる枯野哉
子を捨る藪さえなくて枯野哉
草枯て狐の飛脚通りけり
狐火の燃へつくばかり枯尾花
蕭条として石に日の入る枯野かな
こがらしや何に世わたる家五軒
此冬や紙子着やうと思ひけり
冬ざれや小鳥のあさる韮畠
易水にねぶか流るる寒さかな
静かなるかしの木はらや冬の月
宿かせと刀投出す吹雪哉
寺寒く樒はみこぼす鼠かな
蝙蝠の啼く音あやしき夕かな
九月五日夜 伊藤氏方
眠れざりし朝のおどろきに目高の小さヽとそのなま臭さとを感ぜり
掌に跳ねるこの生臭き生命が耐[たま]らずにくたらしくなる
生臭くなつて死ぬる目高を思へば無所畏[むしょい]の心終に無からん
夜中に口笛吹く音長くつヾくを聞きしが犬も口笛吹くなるか
九月六日 清徳保男、友眞久衞
飽和の状態にある大気を擾[どよも]す風が吹いてまつ青なのつぱら
嵐の先駆はげしきにたなびきもえさかる炎の遠きにあり
百日草の朱の色も嵐の前の青い大気にもの凄く冴える
九月七日 宝塚 京阪商業 十一 × 十三 [※ 野球スコアあり]
ミス日本某嬢を見る
日の当るなだら斜面を持つ山のめぐる球場の空は澄みたり
寫生する女の子あり空青くとんぼとびつヽこころぐく[憂鬱]てゐる
種子となりし待宵草の野つ原にひる啼く虫をなき止ましゐる
川原によもぎ叢[むらが]り石白し鮎のぼりつヽ漁らるらむ
増田正元
一年(ひととせ)をみじかしと云ふはむ すこやけくありし君だに見えざるものを
めぐらせる青菅山のまん中に球争ひし去年のいまごろ
秋風にみだれたなびくぽぷらの木きみがおもわは今も目にあり
「間諜X27」(DISHONORED)
金崎忠彦君、公楽座 九月八日
Dir. JOSEF STERNBERG
X27. MARLENE DIETRICH
KLANOV. VICTER MCRAGREN
刑場の装ひは成りて雪深し足音重く兵等ゆきけり
悲しくも石壁にひヾく楽の音にニヒルみだるる稚心もありき
ある朝の雪深き獄庭に倒れし女も数夛くなり戰ひは止めり
泣くなかれきみがなみだのあふるヽを見るわれがまさに死ぬべきなれば
おのづから女心のかなしさにこふまじきこひするを咎めむか
われはスターンバークの計にかヽりて口惜しくも泪ながせりまさに悲しく
はるばると音楽のねぞひヾきくる牢獄にとヾく暁の光り
かよわきをみなころせし十人の若き兵士は悔い悲しむか
すなほに泣きて死ぬとも咎めぬに冷く笑ひて逝きしせ[兄]はも
せんなき自嘲に東洋の白磁の壷破りて見て更に悲しき
冷かに鬢[びん]に落つる毛をかき上げてさらばここをと胸を指すなり
あまり冷し冷しと云ひて泪流しつヽあはれこの映画はさびしけれ
ひとりで行く途に夛くの人の生活を持込んだことの結果と知る
ともに生きむと云ひしわれはも きみうたむ號令せよといな[否]あた[与]ふまじ
ともに生きむと云ひしわれなればきみ死なむこのあさあけに死なむとすらむ
戸外(こぐわい)には探照燈の光あかしいきどほる眼もせんなくは見ゆ
たはれめと向ふ牢部屋の窓の外わが飛行機はいまも来れり
あるは明るくあるひはくらしわが朋(とも)らのくにより来る飛行機の爆音
かなしきは遍照光のきゆる見つヽちヽはヽのくにヽわかれいづるも
大阪を去る 九月十日 松浦宅
吹田の驛を出づれば群松の丘の彼方に陽は落ちむとす
赤々と陽はうらがなしくおちにけり われはひもじくて車窓によれり
ちヽはヽのくににわかれてゆくをのこ 西に入る陽を見るべしやまた
海州常(くさぎ)山咲く白々と咲く夕あかりほのかに見つヽ汽車に吾はゐつ
はつはつに白萩咲ける山崎の驛のあたりの夕空の蒼さ
×東大阪のスラム
高架線のガードの下にむしあつき夕方頃を眠る人々
うす汚き足のうらをば見せてゐるむしろにいねし男死ぬべし
夕方ガードの堅き柱にもたれ男食みゐるべんとう白し
生きのかたさ[難さ]をひとびと説きつ いたづらに説くにまされるこの人らの相(さま)
蓆[むしろ]の上に頭よせつヽ眠りゐる二人かならずしも仲善きにあらじ
×女工さん
たからかに笑ひつヽゆく蒼白き女工の群に嘔吐もよほす
ブルジヨアの世紀つきればこれやこの かヽる女らつきむとすらむ
みんなみんなきちんと装をつくろひて仲よく暮せる時来れかし
プチブルのイデオロギーはわるけれど さもあるべしとわれは予期(のぞ)むに
十一日 西垣氏宅 林氏、岡本正徳氏、福井敏夫氏、野田氏
秋浅き鳴滝山の片岡に青毬[あおいが]見えてさらにかなしも
雜木生の片岡中の栗の木はその青毬にしるくしあれよ
ゆうされば愛宕比叡の灯も見えて風来るところ酔泣く主人(あるじ)
十二日 岡本、福井氏を送る
萬年筆出にくし 出にくし 出にくし
博物館
Turfan[トルファン]の佛様達見にゆけりその眉の長さいまも覚ゆる
冷き石の像なれど口鬚のねじれゐたるがなつかしく見ゆ
豊國神社、方広寺、清水寺、八阪神社、
北野天満宮、平野神社、
金閣寺
うれひつヽわが見にゆきし銀閣といづれととはヾ銀閣われは
巨きなる鯉ゐて菱の花白き水面にうかび揺がせてゐる
亀游ぐ池の向ふは衣笠山後水尾帝は眞佛[ママ]かけましき
春すぎて夏来にけりと見そなはしヽ豪放濶達の帝にませし
林間に泉はありて青苔を傳ふ細水光りては見ゆ
嵯峨の夜
虫啼きて家をめぐりぬつぶさにきけばおのもおのもに声ことなれる
憂鬱──
それはまだ持つたことのない恋人の死を思ひ
死んだ父母のことを思ひ──
所詮持たぬものに対する悲しみであらう
憂鬱──
それは暗い北海の波打つ渚に
胃痛の胸を抑へて未だ来ぬ原稿料を
焦り待つことであらう
わが憂鬱は──
チヤイコウスキイのメランコリツクシンフオニイをひく
モデレフスキイのラヂオに完全なる結実をとげ
いま嵯峨の野の奥なる落柿舎に死なむと思ふ
青柿よ落ちなば落ちね石の苔
蔦まとふ松もありけり紅葉ゆかし
奥嵯峨の禪寺通はぬ路もあれ
鹿啼けよいづれ丹波は山どころ
十三日 西垣氏と
青い鳥ブルフリンク→蠶神社→太泰広隆寺→嵐山大悲閣→虚空蔵菩薩→松尾神社→梅宮神社→嵯峨天龍寺→清涼寺→大覚寺→車折神社
広隆寺弥勒菩薩
年久しく拝みまつらむと思へりしみろくぼさつにあひ奉る
ほヽづえをつきてよるひるものおもひにこやかにしてまします佛
大悲閣
枯れ桧に蔦まつはれる青さかな
ひるすぎや水浴みの音谷にあり
みんみんの石段のぼり大悲閣
名所よはるかに見ゆる比枝の山
みづひきははつか[わずか]に紅し秋の蝉
空青々峽の水は光り出で
赤松の幹光りゐる向ふ山
心中はかの山なりき谷ふかし
常夜燈つきなむころやほとヽぎす
みざくらは鳥にくはれて秋来る
嵯峨天龍寺
林泉(しまやま)の池の向ふの茂りふかし木深く水は光り落ちつヽ
水草の黄なる花咲く禪寺のお池にひるの日はかげりけり
しまやまをめぐる林のこぐらきに禪僧ゆくを見よといひぬる
清涼寺
西山の釈迦の御堂をと[求]めくれば二層の塔の瓦青かりき
楼門の傍に松は茂りけれいづこに啼くかその蝉どもは
子守遊ぶ寺の境内広ければ松いく本を植ゑ生はしけむ
京都を去る 十四日夜
植物園其他
カンナ咲くまひるの園にふみ入れば炎になれる生命も思へ
眞赤にまんじゆさげ早や咲くを見しまなこいまサルビヤの花を諦観す
百日紅咲かしめし庭深からむ あで人[艷人]すむとわれは知りたり
麗人はとつぎのよそひなれりとふあかく咲きたる花も痛けれ
洛北白川
頂に家建ちゐたる吉田山 愁の眼に松は見えつヽ
茶人となり枯れし生命も終らむか いのちさびしとは言に云ひかねつ
よるもひるもたゆまず水の流るヽにその中に咲く青藻の花は
萍水相逢 民國留学生某君 年二十一才 河北省人 明大生 籠球選手
北平[ペーピン:北京]より来りしきみは眉ひろし はろかに遠き支那を語るも
うきぐさは水に流れて咲きゐたりその花のいろ黄いろといふか
別れ果て余情なかりしきみ思ふに蒼き帝都のそらのくれいろ
民國の歴史研めむといふ君は共匪[共産党]を恐れのヽしるとする
十五日
茅ケ崎の朝凪海は並松の上に見えたり花咲かぬ野は
大山の頂にかヽる朝雲をいつはれむかと民國人見つ
異邦の名知らぬ山にゐる雲の あはきうれひはとはに忘れざらむ
あはれ蒼き朝の稲田は広ければ人ゐて見ゆるが甚だ小さし
× 松田明、肥下恒夫、石山正一、船越章諸氏
さびしさやかへりきし庭のこヽだにもカンナ赤々さかりならずや
カンナの花の巨きくなるを畏れゐる これのこころは誰にも語らず
かへり来し宿に一本の朱実つくる樹ありしを知りぬかなしきこころ
十六日 無為
秋雨は百日紅[サルスベリ]の遅花に降るとは見えず外に出れば濡れぬ
杉林に音なくしぶき雨ふりぬ そこはかとなき白き花咲き
むかしむかし百日紅咲きし屋敷もち わが祖父は煙草のみゐき
むかしむかし白壁めぐらす邸にゐて わが祖父は小作米積みき
むさしのを開拓きし昔思ほゆれ神輿ゆりつヽ児等が群るれば
関東は子供さへ心荒しとおもふ あはれ神輿はとほくゆれつヽ
まじめに太鼓叩きてまつぴるま 人ゐるなればわれも歌つくれ
十七日 新宿 章氏と
かの子らやおのもおのもに夫[つま]を得て安寝[い]せむころわれは泣かなむ
ねむりぐすりのみつヽいねむさびしさのきはまれる夜には何を思はむ
×
美しきをとめを見しが巷にて かヽはりなきかこのおとめらは
美しきをとめのころ[子等]が夫とりて交合せむを思ふに耐えず
×
おぼほしく空は曇れり虫なきて白紫微花[さるすべり]ゆれつヽは見ゆ
すたれたる絢爛さおもふさかりすぎし白さるすべりに風は吹きつヽ
×
嫉妬といふこころを
素直に表し得ぬものか
自らは恥ぢを感じて
何とも為やうもなく
全身を熱くする ほんとにあつく
人はこれをさげすみの目もて見る
殊に勝利者の目は
嫉妬する人を死なしむるに足る
故にわれわれはひそかに
爛々たる眼もて幸福者を
物の隅より凝視め
大きく息を吐いて悲しく悲しく
蒼暗き洞穴に隠[こも]らうとする
×
芭蕉葉やででむし蒼き夕ぐれは
×
ゆるやかに物云ふ人をにくみけりひそかににくみいかにすべきぞ
横面をはりつけやうとも耐えてゐむこの人にはわれ負けると思ふ
十八日 章氏と三越へ。 保田、松田。
十九日 大学 「支那と戰爭」
かなしきは営々とわれら築きたる格納庫破壊の東洋飛行機
さげすみの眼もてわれらを見てゐたる東洋をとめ姦せむいまは
東洋の神経質なる奴輩(ヤツバラ)に民國の爆彈をぶつヽけるべし
この日頃にくみ重なりし東洋人(トンヤンジン)北陵に屯し火を焼けり見ゆ
黄沙飛ぶわれらが郷土に入り来り銃剣の穂を閃めかす東洋人
東洋兵らつぱ吹きつヽ来りけり牛羊蔵めよ木犀の家
東洋兵の銃剣の穂は光りたりかの地平まで広し國原
莎草(すげ)生ふる牧に入りつヽ東洋兵銃組みゐるを童らおびえ見る
ごうごうと夜ふかく鉄橋わたりゆきし急行列車に爆弾打つわれは
わが友のわがかたはらにこゑひそめ口火切りゐる見つヽかなしも
がう然と鉄道線路とびちりぬ広原の牛馬こゑあげて逃ぐ
ひろしひろしわがくにはらにけふもかも入り来る東洋兵一隊また一隊
紅くあかくはげいとう見ゆる支那民家のをとめを見つヽ行軍するかなしさ
このをとめら屠らむと思ひとほくおつる入日を見て夕げ炊かなむ
よるふけて牛羊そばにより来りけもののにほひすふるさとかなし
この野原にしげく生ひたる莎草群に支那の民かくれいく日くらさむ
二十日 日えう[日曜] 丸来
早明二囘 六A−五 明大勝
慶立二囘 三−○ 立教勝
二十一日 早明三囘 六−四 明大勝
今来、保田、松田、藤田、天野、肥下、澤井、長野
十一半頃激震アリ 向ケ岡弥生町三番地ナル園ノ下宿ニテ遭遇ス
地震[なゐ]ふりてものおと雜然と起こりたり おのづから生死の域に心至りぬ
三味の音聞えずなりしに思ひつきしは なゐやみてのちはるかとおもへ
窓の外に見ゆる二階家のゆるヽ見て 死ぬべき期と思ひし瞬間もありき
棚の上の植木鉢をどりゐたりしが地震やみてのちしづけくは見ゆ
×
ひいやりと煉瓦造の学館の棟より秋の空がのぞけり
カンカンと石打つ音の澄みにけり ま上の空に煙流れぬ
巨くも時計塔は空につきたちぬ ま上さしゐるその時針いま
ほのぼのと味噌汁のにほひながれたり 朝啼く虫に地震はふりたれ
菊の花のつめたき感じにわがこころ おのづからなる秋に至るも
二十三日 同窓会 緑会委員の事に関して也 スパイ二人
二十四日 秋季皇靈祭 増田の記念帖「夕映え」来る
菊池眞一郎、丸三 二科展 章氏と
二十五日 お腹が空いた 学内の空気急迫
われを養ひたまふに
わがははは山羊の乳をもて
なしたまひけむ
ものに怖ぢ易く奔り易き
赤き眼をせる子どもとなりぬ
×
あはれ おぼろなる
秋のも中の月かげに
かすかにもきみは倚りたまふ
まことふがひなきわれにもあるよ
月の照らす木々の葉より
なほ蒼ざめをののきて
終に白きみ手に指だにも
觸れざりけるを
×
などわれは恋ひむな
きみを──
まことわが君は
心うるはしく 眉清き
この世の中なる
花の如し
われは襤褸[らんる]をさげて
垢髮 巷をさまよふ
かたゐの群よりも
せむかひなし
松田明氏、保田與重郎氏
二十六日 「西康問題」を買ふ
二十七日 早帝戰 十一−五 帝大勝ち
わたる日は雲の流らふ間にありぬ 夜更けの月の如くは見ゆる
まひるまに日を仰ぎしが眼くらまず 地(つち)はかげりとなりにけり
白紫微花衰へて秋 暑き青き空に富士の方雲旋る
雲のめぐる武蔵の江戸のさるすべり 秋なればおとろふものかまなに見えつつ
二十八日
夕ぐれてくれのこる不二の山
いつまでもいつまでも西の空に
何だか女の子を思ふてる夕ぐれ
×
淡青の空に
煙をのぼらす煙突があり
雜音を刻みこむ
汽車があり
蒼茫と広がる地は
×
われは
夕ぐれのいつもの寂しさに
屋根の形をした富士山を
眺めつつ
中央線の驛に
煙草をくゆらす
二十九日
銀杏の實落ちる
午過ぎの大風
雲はゆきめぐり疾し 疾し
西空はやヽ開けて
淡青き空の地
やがて銀杏の實の臭ひ──
VAGINAに似ると
清徳保男が云ふたか
云はなんだか
三十日 東洋史学會
ひえびえとくれかヽるそらは身に冴みぬ 気球するりと下ろされにつつ
時計塔のくれのこる空はさむざむし みのる樹あるはかなしと思ひ
ぎんなんの樹の下をとほりゆふぐれの帝都のこゑにかへらなわれは
お茶の水の谷間はふかし神田川 流れつつ見す生計(なりはひ)びとを
歌つくり止めむと思ひ止めよと云はれ菊賣る街を帰り来りつ
うすぐもる空にとぶものありにけりガスタンクに人のぼりてゐたり
いつもいつも少年の頃おそれにし いまもおそるる夕ぐれのこころ
×
愁來らば野丘(のづかさ)に
攀(のぼ)りて國見せむずらむ
あヽ蒼茫と暮れかヽる地平にのぼれ
夕月も ちろりちろりと消え光る
夕づつ(星)もあれ 穂芒は音に
いろをこめ なびくべし
遠嶺はなほも暮れのこり
淋しき夕の物の音を
つれなく反響(こだま)しとよもさな
わが十八の口笛も
一日 上念の省さんと銀ぶら
本宮君逮捕されたとの噂あり
二日 章氏と白十字
同窓会 脱退のことヽなる
もの怖ぢの眼の光弱きひとらあつまりよわき物の云ひ方
するどければ若ければわれらうべなはず かの一團(かたまり)はやすきにあらじ
二十の年のわかさに革命の朝を語らぬそはまことか
本宮氏逃れたらしい 富山はたしかに捕はれた 久保も一応連行された相
帰れば丸来てゐる 松田と三人ではなし
三日 奥澤九品佛
百日紅が咲いてた
九品佛は金々と光つて
葬式
白い棺をかついで
栂の木蔭で泣いてゐた母娘
×
果敢なきものをこふまじき
われはほのほとなりはてヽ
百日草の畑に立つ
とべとべとんぼ 秋なれば
×
をみなごをこふるあまりに
わだ中の伊豆の大島
わたりゆき 燃ゆる山見む
秋の光に
×
椿の葉いや黒みつヽ秋ふかき 朝の泉のあたりしづけし
× 童骸未焼
さるすべり木梢(こずゑ)となりて咲くなれば ほそぼそのぼれ秋の煙は
そら高く啼きつヽ鳥のゆく見れば人焼くけむもそこまで昇る
裏山は墓原となりて ゆくりなく人燃えゐたるひるにありけり
どんぐりはこの墓原にもありにけり葬列はいましづかに來たる
×
かなしきひとひるをさびしく人々にまもられてゆく杉の墓群に
栂の樹のこずゑに鳴きし鳥ありきこのもとふかくなげかふわれは
かくし妻われにしあれば百日紅 紅きもとゆく葬列を遠く見やりてせんなきろかも
×
恩師財津愛象先生四日逝去さる [※新聞の事故記事切貼。]
七日告別式あり 遥に拝す
温容永久に帰らず
秋の雨ふるやわだちに枯落葉
柿みのる山田に葬列のぼれ
しづしづとゆく葬列に喪主もあり
熱高き夕となりて冷き雲
林に坐して琴きく夕の落葉かな
大学のマロニエ黄葉すること早し
反動の嵐吹き荒ぶなればか
スパイは紙屑ひろひとなり
金崎忠彦は故郷にかへらむ
八日 丸三郎 松田明 明とビール呑みに
九日
年月──
それは灰色の髪の毛と
皺ばんだ手とを表す
悪意ある嘲笑
そして墓穴
× × × ×
富士が見えた今日は
雨が晴れてカラツとした空の
深さ──長くはつヾかなかつたが
十日 薄井敏夫君 服部より来信
新井薬師
時雨るヽや梢にありて虚栗(みなしぐり)
膝たんだき[抱き]またや仮寝の落葉哉
秋 こすもすの花美しき
晦冥に生(あ)るる児ありや
カルルのヨハンナに与ふる文
ヨハンナ、ヨハンナ、汝(おまへ)の眼はりうのひげ[※植物名]の實よりも青い。
ヨハンナよ、汝のくちびるの紅さを果物の切り口にたとへよう。
ヨハンナ、汝の髪はダーリヤよりも輝き 遠く沈む日よりも金である。
ヨハンナ、汝のみ陰(ほと)は枯草の匂ひよりもすがしく 銀杏の臭さよりも好ましい。
ヨハンナ、汝の乳房は無花果の葉つぱのにほひがする。觸れると薄荷よりもきつく 僕の皮膚を刺激して僕は歓喜で飛上がつて了ふ。
ヨハンナ、おまへの手はとかげの指よりも軟く自由自在で海星の觸手よりも魅力がある。
ヨハンナ、おまへの足の趾(ゆび)は
ばらもんじんの根よりも相が好くて星のやうな爪を一つ一つに具へてゐるのが神妙不思議に有難い。
ヨハンナ、おまへの巻毛は東邦の棕櫚の葉よりも 、嚴に知慧の殿堂のありかを示す。
ヨハンナ、おまへの耳はみやまうすゆきさうだ。雪の中に咲く一群のうす花だ。
ヨハンナ、ヨハンナ、おまへの言葉は銀の連る嶺より出る月の如く四辺のものをひヾかせ共鳴させる七絃琴だ。
ヨハンナよ、そしてお前の便りだけはわたしを悲しませ、悩ませる悪魔の手品だ。
十二日 硬友会野球 LEFT ×弘前 一四−○
十三日 生島栄治君来訪
十四日 生島、保田、松田、長野、紅松、杉浦、本宮、山本 帝立戰 二−一
富士の嶺に光れる雲はめぐりゆきおのれさびしく久しくてゐる
不二のねにかヽれる雲は動かざり眼の下の街の電車小さし
高空にとんびまはせつ不二のねに至る平野の人間の営み
伊豆の海よ起れる雲はつらなりて光りつヽ動く武蔵野をめぐり
はるかなる國會議事堂にさす光 小く光りまひるとなれり
宮城の松山のあたり雲動くに長々ととよもすまひるの號笛
秩父嶺の武甲の山にゐる雲の山とかヽはりはなれぬがかなし
遠々しき峽より起る雲の群人間とあるをかなしみつヽ見る
銀杏の梢ゆるがす風ありぬアドバルーンも靡かせにつヽ
海へ吹く風に気球はなびきゐぬ洲崎のあたり船は見えつヽ
にぶくにぶく光れる海に巨いなる街の煙は垂れて低けれ
十五日 帝立戰
ひるの図書館であんまり大人臭い話をきいた。
夕方、丸、本宮と神宮苑を散歩。
ゆう月はなヽめに西に下りつヽそこはかとなき木犀の香も
ゆうもやはなびきて芝にふりにけりわれらがいのち短くあらむ
花の咲く園にふみ入り秋ふかき夕となればかなしみかたる
ちヽはヽのにくきをかたり時たけぬ革命ののちはかヽらざらむよ
ゆうさればしみじみ光りゆく雲にまぎれずあるは星にあるらし
淡ければゆうべの星をかなしみぬ かくてすぎゆくわれらの時も
十六日 無為 松浦とこ、保田と
十七日 早慶一囘戰 雨で中止 國原を買ふ
十八日 同 二−一 早勝
永遠の女性は
モナリザにとヾめをさす
かすかにほヽ笑みもの云はず
右手には紫の花をつみ
左手には幼児の手を握る
母性愛と美に対する愛の象徴
現実を忘れぬがそのために
理想を捨てはしない
背後には伊太利亜の空が蒼々として広がり
野草の咲く丘を越えては
光る湖が見え 揺れる樹には
實がうれてゐる
モナリザは永遠の女性で
やさしいやさしい僕のこひ人である
×
荒城自蕭索 おのづからさびしきものか
萬里山河空 山河も空しくそびゆ もののふの
天高秋日迥 古き城あと いま秋なれば
嘹唳聞歸鴻 そら高く日はゆきめぐり
寒塘映衰草 雁が音をきヽつヽゐれば泪さしぐむ
高館落疎桐 池のみぎはに生ふ草も枯れがれて
臨比歳方晏 高き館の前に生ふ梧桐の葉も
顧景詠悲翁 日々に落ち いまはまばらとなりにけり
故人不可見 年老けたれば少年の感傷は身にあらねども
寂寞平林東 つもるよはひ[歳]はなほかなし さりにしひともなつかしし
王維 [※自訳]
十九日
しみじみと眼下の街の屋根瓦ぬれつヽ光る秋雨の日は
大いなる憤ありてゐる耳に 上野の鐘は通ひ来りぬ
銀杏も落ちつくしけむ秋雨のしみじみと降り冷き手足
あなつめたききみの手足と寄りゆかば ほヽと笑へよわれがをとめは
幼な妻と秋雨のふる一日はカンナの花の衰ろへかたれ
× ×
嘆けとて片われ月はかたぶきぬかの川岸に水よせゐむか
あきらけく川面にゆらぐ光あり瀬音にまぎれなくはこほろぎ
月かげに川上の山おぼろめき川堤みち誰か来る見ゆ
川霧はどてのぽぷらの梢まで のぼりまつはり月に光るも
わがこひしきみがふるさと家々の瓦をぬらし月の光(かげ)てるこのよるを
きみはふしどにさめたまへ さらばにはべになくむしは せつなきわれのこひごころ ねに立てヽこそ啼くと聞け
×
幽けき光に燃えて茸達の輪舞
篁中はてしないざわめき
植物質の醗酵 水分は霧となる
月光がさして来たぞ
今となつてすましても駄目だ
白い菌糸がお尻にくつヽいてるのやら
外套の破けたのやら
いやはや何たるていたらく──
顎の長いおぢいさん おだまりな
夜は長いしお腹はくちいし
さあさ もう一おどり 一おどり
×
あきらめた人をあきらめかねる──
一年前のいまごろだ
月の光の下をさまよふた
収穫で忙しい野原をうろついた
山茶花が紙屑の様に咲いてゐた
赤い漆の葉 もみぢの葉
秋はなつかしくほヽえんで僕を迎へた
今は百里の山川をへだてヽ
仙薬の救けでも借りなければ
一目あふよしさへもない
せめておもかげかよふ人をもとめて
古いソフト の下から眼を光らせよう
十月二十一日 (耿太郎の讀書會を開いてくれるといふ山鉄、湯原に呼びかける)
耿太郎は一九三一年十月二十一日の夜半の寝覚こころやるせなきまヽに一九三○年十一月二十五日の事件(それを嘗つて「起
たなかつた話」として前半を[*巻四に]記した)を叙する。
元より一年に近い「時」は或部分を除く外は記憶を甚だうすれしめ、記事も従つて不正確となるのであるが、事件の中心近くゐて種々のことを見
聞した点に於て耿太郎の記事も又後世に残すべきである。讀者この心理を諒とせられよ。
扨、十一月二十六日午後四時、学校側の回答に誠意なきを認め、今後の行動に関してのクラスの態度をきめるために一先ず解散することにした。
この際、 分宿所を定め連絡委員を出すことにしたのは甚だ統制あるやり方であつた。
耿太郎らの文三乙は寮の集会所楼上であつた。
これは寮中最良のところでリーダーの位置にあつたわれらに与へられた名誉とも云はねばならぬ。併し乍らこれより先、理三甲生全部は前日既にストライキ等に
類似する行動一切を否定し、
全部(庭球の松山、蹴球の田島等の極少数を残し)この生徒大會に加はらなかつたのであり、又文一甲は、耿太郎らが後輩である遅川一派も同様な態度で、之も
級中の半ばを占めた。
かくて連絡委員も後日の責任を逃れるためクラスの席順により三四名を出し、以て中央部との連絡を計ることにしたが、この中央部たるや実は俣
野理事一人であつたとは後に判明したが、
これこそこのストライキの敗れた最大原因で、これ又耿太郎ら文三乙クラスの恥辱責任であらねばならぬ。尚、連絡委員もかくしても尚はかばかしからず、
殊に席順の始より出せし委員は成績優秀のもの計りにて、学校のためを思ふより外事を知らざれば統制上に欠陥の生じたも計り難い。
これより先警備隊なるもの組織され、隊長として文三乙の川本が当つた。川本はストライキに対する態度ははつきりせざりしも隊長として中々功
労があつた。警備隊は各處の校門を守り、
急を聞いて馳せよする父母達の心配をなだめ事情を諒せしめるべきであつたが、徒に面會を謝絶する計りであつたのは少々遺憾である。然しこれもむりからぬこ
とで、 後に話す玉眞判事の周章振りに照らしても周章したる父兄には何の理屈も徹らかつたに相違ない。
現に耿太郎が校門附近を遊びゐるさい中年の洋装婦人あり、不二原なるものに面會を求めて止まない。
生徒大會中なることを以て止めてもきヽ入れぬ、遂には泣いてそこに蹲るといふわけであつたが、何らの恐れありてかくするか耿太郎らに分からなかつた。耿太
郎は親しくその婦人 に理を説いたつもりである。
四時半五時の更に至り、日は暮れんとした。耿太郎は八つ手の花のほんのり白い中庭で同級生に呼びとめられた。それは梅下[※松下武雄]であ
る。
梅下は哲学会を牛耳る一人で、R火の同人でもあり急進派としてしられてゐた。彼によつてストライキ中止の提議がなされたのである。
その意見は、
「勝敗は既に決した、客観的に見るに全校生徒の熱甚ど揚がらぬ。この寒空にあつてこの後数日のストライキをなすも最後は知れきつてゐる。徒な
る處分と果敢なき惨敗である。
これはこれまでの高校ストライキの轍をふむにすぎぬ。われらはこの際学校側の休学三日発表にその周章振りを発見しこれを一の功として業に就かう。而してそ
の間交渉をつづけ、 再度三度の蜂気をなさん」との要旨であつた。
これには湯原[保田與重郎]、中野等の急進派も賛成し、海老沢、永島は何か不賛成の如き点もあつたが、何ら云ふところはなかつた。
こヽに於て今迄沈黙しつヽ事態を「冷静」に観てゐたる杉浦、横川、山崎、本田等の運動部派はこぞつてその然ることをのべ、文三乙は二年以来
の暗闘を解いてこヽに左右両派の一致を見るに到つたかと思はれたが、耿太郎は右翼に属するものであり、理屈も何も分からなかつた。
最初この提議を梅下に聞いた時、 何故か奇異の感を受けた。然し考へれば尤も至極であると見て大賛成の意を表したのである。
こヽに文三乙の議論はまとまり、この提議を他クラスにも支持さすべく文三甲、文二甲へは湯原が出かけた。
耿太郎らはこの後、寮集會所に集まり今後の處置、
即ちストライキ中止後の處置に関し相談した。この際先輩小松(籠球)来り、我等のストライキ中止を聞き大に驚き、先輩に任せてつづけよと云つたが、
此の際組総代東山の返答はクラスの態度を表した。
先輩の案を見せられずに無條件で一任することは出来ぬ。ストライキ中止は既にクラス案となつてゐる。
これに代はるべき前後策もあればとも角として、この際止むを得ぬと信ずる。これが返答であつた。
この時小松先輩は返答もなかつたのは彼が京大先輩としての位置不明であつたヽめで、 先輩の行動遅かりしことも責めらるべきであらう。
あヽ、われらがストライキは遂に敗るべきであつた。元よりクラス中には之を以て敗れたとせず、学校側の裏をかくものと
考へんとした手合もあるが(例へば横川)、
併し矢張りこれは論丈にすぎなかつたのである。われら文三乙の前者は書斎派であり、後者は完全なる反動であり、中間に立つ耿太郎は事機に際して事宜を知ら
ぬ阿呆であつた。
湯原の提議は文三甲、文二甲に容れられ、今回の事件の原因クラス文二甲が容れた以上、甚だよい形勢となつた。ことにリーダーの位置にある三
クラスの一致は誠にわれらの提議の前途を示すものと思はれた。
大會再開は八時と決められたが、それに至る迄の間に父兄の数は増し、無理に連れ帰られた学生も一人二人はあつたらうし、警備隊との交渉も不円滑であつたら
う。
七時すぎであつたか、スパイ、スパイの声が校内にひヾきわたつた。この際、耿太郎らは窓よりのぞかんとしたがクラス中窓よりのぞけば本部が
わかる、と注意するものあり、 中に中野、次田の如きは手帳を破き卓上に燃したの何の意味かはつきりせず、狼狽の極を示したものであつた。
スパイに指紋をとられたものもあるとの噂が傳はつて来た。
もう学校中をとりまかれたと放言したのは中野であつた。耿太郎は別に恐れるところもなく喜んでゐたところ、暫くして横川入り来り玉眞[※友真久衛]をまね
き、耿太郎もよらしめ、 スパイと間ちがはれたのはどうも玉眞の父らしい、といふのである。
玉眞はわれと部を同じくしてゐる。然し今出てゆけば、父は直に[息子を]連れ帰り、そのため裏切りの汚名を蒙ることを恐れ[面会を]耿太郎
に嘱した。 耿太郎も愛する友のため外に出ることヽし、南門より出でその人を探したが見当らぬ。遂に正門前に至り會ふことを得た。
微醺を帯びた老紳士であつた。
耿太郎は問ふに玉眞を知れるかを以てしたが、老紳士「知らぬ」といひ、その言辞甚だ嚴とし且つ不遜であつた。
耿太郎なほも辞を低くして暗所に誘つた。これは何のためであるか。
今より考ふるに後に寮報にのせられし玉眞判事愛児奪収の件は此の誤解であらう。玉眞は父判事に会はなかつたのである。
判事はわれに住所と姓名を訊ね、之を手帳に書きつけ甚だ威嚇するの様あつたのち、この事件の後を操る「魔の手」を説き、耿太郎にも帰宅せん
ことを勧めたのである。
耿太郎は横川と共にこもごも事態を話し、その帰宅せられんことを説いたが、老判事頑として動かず、只八時過ぎの集会の結果を聞かむと云つた。
耿太郎がクラス會に帰つた時、既にクラスの議は確定しストライキは完全に中止となるべくその理由書なるものも出来てゐた。それは甚だ簡單不
明瞭なるものであつた。
かくて八時の大会は開かれたのである。書斎派の誤謬と反動派の勝利の中に。反動派はこの時今迄と違つて意気揚々としてゐたであらうことヽ思
はれる。大会劈頭、提案は提出された。満場寂として声なく迎へた。文三甲これに賛し、文二甲之に次いだ。然るにこの時文二乙起つて堂々と之に
反対し、之を卑怯と呼び、裏切りとなした。
始め三クラスの動議に際しては沈黙を以つて迎へた場は湧きかへり、卑怯者、裏切り、のこゑ充ちた。
茲に於て文三乙は理事が発言を求め、提案理由を説明せんことを要求して許された。
この時総代海老澤は喉乾れて声出でず、先の動議の際も副総代東山をしてよましめたほど故、
この度は中野及耿太郎、横川の三人に頼むことにした。耿太郎は正と拝する議論のため勇躍してはじめて公会の席で弁を振ふことを諾したのである。中野は先づ
起つて、理由を説明したがその言甚だ不遜、「わかるか、これ丈はわかるやろ」の語は奇異の感を与へ、且つ云ふことも正鵠を欠いた。
これが皆の心証をわるくしたと思はれる、
次でも早文三乙に対する冷い空気の中に耿太郎は壇上に立たされ、痩躯何を述べたか今は正確に覚えぬ。只かくてはも早事足つた。
これ以上やるは不可能であり、敗北である。後に力を養はうと云つた際、それが今わかつたのかとの語文二乙辺りから飛んで耿太郎を射た。
耿太郎は後になつてこの傷を子細に検めたのである。人気者耿太郎の弁も誰をも動かさなかつたと思はれた。次いで横川は立つて説いた。
その言や無茶といふべくあまりと云へばあまりだつたと後に文二甲文二乙の連中から聞いた。父兄の心配のこと迄云つたのである。これが後の横川スパイ説、東
山反動説の起りであらう。 勿論耿太郎も反動と云はれたであらう。われは之を人に聞いたことはない。
がうがうの反対はこの時起つた。他人の気勢落ちたと見てのヽしるには元気がつく。文三乙汚し、卑怯なり、断じてストライキに入れとの語と
び、 わがクラスでも高柿[※高垣]の如きは寮中にあつて之に入つた。
蒼白なる耿太郎が彼を連れ来つて、その組(クラス)案にして一致して推すべきことを説いたのは、
言葉甚だ過ぎて傍観者のなほも覚ゆるところであらう。理三丙のわが中学の同輩大和[※倭]は「他を躍らしてをいて今更やめろとは何事か」とつめよつた。
この言葉甚だ賣名的であつたが又然らん。しかし躍れと云つても躍らなかつた輩の数、殆ど全部であつたのを他は知るか。文三乙中の中心のみが知
つてゐたのである。
併しこの時梅下、湯原等は誤算と考へた。それほどわれらに対する反対の声はきつかつた。俣野理事もこの声に勇み立ち再びやらんとの気配を見
せ、文三甲、 文二甲は態度を一変し文三乙のみ孤立した。然しあく迄投票を叫んで止まなかつたのは何故か?
梅下らは後で客観的情勢さへゆるせばやつてもよかつたではないかと泣いたのも之に原因する。
かくて投票となり、之はクラス別に行はれた。
この時ストライキ決行に賛して全級殆ど一致したのは文二甲、文二乙位であつたらう。決行の声もつとも高かつた理一乙山上のクラスの如きは殆
どなく、 理二乙でも理三乙丙でも半に充たなかつた。
併しその理由に曰く、リーダー達がかくある上は何うしてストライキ等が出来やうかと。蓋しわれらは推し上げられてリーダーになつたのであ
る。
事件の動議はわれらにない。三年の文科との責任がずつと後に僕等の胸に来た。一校文化の指導的地位を保つて来たとの自信は、この時猛然として起つた。さる
が故に客観的情勢にも思ひを致したのである。
投票の結果は三分の一位で決行は葬られ、光輝あるわれらがストライキも終つた。学校の休校は
二日ある。われらはこの間に何をしようといふのか。
耿太郎は本田らとともに小い蒲団を引つぱりあつて寝ねた。然り眠られたのである。涙を拭つてこの無念を忘れまいと河上の言やよし、然りわれ
らは眠つたのである。
解團式は翌日三時からだつたか。思ひもかけず文二乙の矢部立つて讀み出した長文の文三乙に対する不信任状。長い長い針を植ゑつけたことば文
は旨く、よみ手も旨かつた。 泣いて之に抗弁しようとした海老澤は理事にさへぎられた。
かくてこの手紙は全校の拍手を以て迎へられた。われらは呆然とねむり足らぬ夜の名残をとヾめたをしてゐたのである。
これほど無念だつたことはないと泣き崩れた海老澤と、尚も自分等の正しさを疑はなかつた杉浦、本田のやから、僕は漸くこの頃から疑ひ始めたのである。湯原
と何か云ひあつたと思ふが。
ダラ幹山内、松下を東京から迎へて、犠牲者防止運動のあつたことはも早云ふに耐へぬ。云ふべき理由もなからう。
かくてわれらは敗れ而かも尚知らなかつたのである。
このストライキにかヽる反動的役割をつとめたことはこのヽちの革命運動に際する耿太郎のちうちよの前兆となるであらう。
耿太郎の讀書會も山鉄よ、むいみであるべきだ。ゆはらよ、阿呆に話しを説くのは止せ。こののちわれは湯原、ツネヲと仲好くなりしばしば無念
を語りあつた。こののち級は仲好くなり、
左翼は暫時右翼に接近した。中野、濱田は没落したと噂され、之によつて右翼の好感をいく分取り返したのである。海老澤は未だに喉を快くせぬ。
喉頭結核で死期も早定まつてゐるとも云ふことである。医師の宣告に際し小刀を持つて暴れたとも云ふ。
十月二十一日 秋日好々
楡の木の並木も秋の日は射しぬ 張物板をたてかけてある
あの丘の何かいろづく雜木林 大根畑の見透しきヽぬ
富士さへぎる林起伏し はるかなり雲立ちうごかぬ空見えゐたり
何かはかなき 秋の空
紅き實をつけ樹はありぬ
冬鳥小鳥ひもじうて
毒と知りつヽ食ふならむ
何かはかなき 秋の花
その黄金色(きんいろ)は大空の
ますみのいろにこびるなる
すがれて種子を地にはじけ
何かはかなき 秋の人
実りは小田に深ければ
煙管に火つけうちながむ
遠國に立つ雲ひとつ。
情痴の徒 浅間の岳は見えずけり
竹林に寒月かヽり夜鳴き鳥
十月二十五日 日曜 石神井池へ
ゆけばゆけばむさしのくにの大根の畑さみしく日は下るなり
くちなは[蛇]のゐたる沼べり咲きてある秋蓼の花にとんぼかヽはり
音たてて流るる水に草生ひぬ 河骨[コウホネ]の花一つあるかも
桑畑となれる小丘の向ふ側 家あり何か紅葉づる樹植ゑ
山茶花咲くみちべの塚にたちどまり山茶花見れば愁ひは止まず
大根の青葉のいろにこころひかれ ながくあゆみつその葉の青に
森めぐる畑のすみは森きれて そこにくだるか秋の夕日は
とほく鳴る汽笛の音は聞こえ来ぬ 森にみのるはむらさきしきぶ
この紫の實つけし樹の傍ひととほり 何云ひゆきし名知らずとか云ひし
石神の祠に至るみち細し くちなは遊びわれに見られつ
石神の森をつくれる杉の樹の尖り葉くろし冬は来向かふ
大根の畑のみちに日はかげりかへりたしと思ふふるさとはなし
ふるさとの河内の野みちゆきゆかばこひしき人の門に至るに
十月二十八日 窓 A Madomoiselle Shun Kashiwai
わが窓に椿咲きぬと教へ来しとつぐに近き十九の乙女
× A Mousieur M. Masuda
病院の夜の窓辺にきりせまり海の軍艦の光とけつヽ
× A Madomoiselle M.M.
あるときの神のすさびにおどろきぬこれぞ久しくゆめみしをとめ
×
われは友の凡てを捨てよう われは心貧しくして人を容れがたし
人も心貧しくしてわれを容れがたし
われ心鬱して石蕗[つわぶき]の花を視入るとき ひとは處女をかたり
われ青空に涙をとかせば 他 遠き革命の日をあざわらふ
知らず石蕗の黄花と處女といづれか美しき
知らず青空と革命の日と何れか遠き
×
あるひ、まはりのひとがみんなすげなかつたので
あきらめたをとめのこひをおもひだした
あるひ、まはりのひとがあまりやさしかつたので
わたしはなくのをわすれ からからうちわらつた
するとおほぞらにあつて あのひとみが
つめたくわたしをさげすみみました
きづけばあまりにもすみとほつたあきのそらでした
ふじのやまにくもがのぼつてゐました
山里は石ふむ坂の野菊かな
僕は何か泣きさうになつて昧爽の本郷通りを行きます
冷い風が僕のレインコオトを吹きまくり
僕の細い足はズボンの上からもよく見えます
向ふから来る女の子に恥かしいので 僕はテレ臭さをかくすために笑ひます
女の子は怪訝さうに通り過ぎます
あヽもう大学につきました こヽでも僕は自分の弱みをかくすために
お世辞をふりまかねばなりません
僕は喜劇俳優ほどよくしやべり
悲劇俳優の様に表情をいたします
×
されどよふけの十二時(とき)
時打つ音をかぞへつヽ 十一うちて眠(ね)に入らば
こころふるへてうれしからむ
×
見渡せどげに幸多きひとやある
げに幸もたぬ人やある
×
なにか泣きつヽゐたりけり 雲も動かぬまひる時
冷たき水に背のいろの 緋を浮せつヽもだしゐる
鯉もつまどふ時ありて さほどすげなく拒まれて
わけさへ知らにと云ひつヽも その巨いなる眼を開き
水の外なる雲みつめ げに虚ろとぞ呟くか
×
つはぶきやさびしきいろと云ひつべし
つはぶきの莖のすがたや水の上
×
まろねして炭火の烹[に]ゆる音聞きぬ
ま冬つき鉄もとけなむ寒さかな
動かざる蝿見つけたるさむさかな
今年柿みのらでくれぬ 夕日赤し
×
秋風や大野をめぐる山くれぬ 蓋し俗体か?
菊の香やみちべの家の観音経
十月二十九日 小石川植物園
叢林の一もと高き青樹なり鳥来てむれぬとび又とまり
叢林に赤き實つけし一もとの木の名見て来ぬ今は忘れし
まるめろは目立ずその實つけゐたり波斯[ハシ:ペルシア]トルキスタンの産と書かれつ
まるめろは沙漠より来り東の國に棘ある藪つくりゐる
わが祖ら生きゐし時に甘藷つくりし昆陽先生[青木昆陽]の碑はなつかしき
ひるひそか動物の檻の前に来ぬ小鳥ら鳴きてわれをおそるる
猿のむれの狡しきわざも見てゐたり人間の児はなほぞさかしき
銀すヽきかヾやきその穂なびかせり富士見えぬ空はその上に垂れ
どんよりと曇れるそらの下にしてつみかさなれる家々はあり
十月三十日 本宮清見と丸の風邪見舞いに
さやさやとなびくすヽきの穂を見せてかの草丘に日はあつまれり
草丘にひるすぎて草刈るひと入りぬ すヽきのしげりふかしと云はむ
虫どもは鳴きつヽゐたり野の凹地(くぼ)に 紅葉づる樹々は囲り生ひぬ
風邪ひきで臥てゐる丸の声太し 柿もちゆきて食はしめにけり
兄貴のかへりけふはおそからむ遊びゆけと弟なれば言ばいぢまし
十月三十一日 雪吉千代治氏送別會
碁敵はにくさも憎しなつかしく
十一月一日 高尾山に遠足 池内宏博士
浅川−高尾山−小佛峠−與瀬
たたなはる群山はあれどそが上の富士の高嶺は相具(すがたとヽの)へる
丹澤の群嶺しづもりそびえたり巨いなるさびしさそこにはあれり
丹澤のしづけき山群そびゆる空に鳶まひ立ちてしばらくはゐる
相模灘くもりて光らぬ海なりき江の島を師に教へまゐらす
×
北面となりてわけ入るは落葉松の林なりけり秋深きひる
落葉松はもみぢて地にこぼれちる その葉の上をふみゆくわれら
落葉松の林を出でて瞰はるかす野洲の山ははるけくは見ゆ
落葉松の林道をゆきくまざさのしげりに山の邃[ふか]きを思ふ
×
川の音高くきこゆるたまゆらに 紅葉めでます師の言はあり
夕ぐれて峽の町に下り立ちぬ 子供らむれて球抛げてゐぬ
夕ぐれの峽のくるること迅し 自働車の燈は遠くより来ぬ
夕ぐれの峽の西にくれのこる 朱雲に光る桑の秀先は
夕ぐれに河成段丘の桑畑の下の道ゆき光る雲見つ
×
暮れがたの紅葉つめたし山川のかそけき音も耳にとヾめつ
いつしかにうろこ雲空にたなびけり はぜもみぢ誰かみちにすてつヽ
折り来りし紅葉の枝を捨てにけり 林道を来て長きなりけり
×
高尾山の嶺の上にありて見のはるか 甲武信の岳に何時雪ふらむ
大菩薩峠をきけばあなたなり 武州澤井の里は何れに
相模川峽に白く光りたり 嶺より見れば峽はくらし
くれゆけば街道ばたの杉の木に 閻浮檀金[えんぶだごん]の佛出(い)で坐(いま)す
天狗らの跳梁すとふ高雄山 下り立ちあふぐくらき峽に
十一月五日 薄井君トアテネフランセヘ
十一月七日 革命記念日
大デモ
髪の毛を引つぱられて検束されて行つた兄弟
×
斎藤茂吉の信濃路の歌は
ぼくを喜ばしめる
それと同じ程度に
警察と結び附いた醜い学校組織が
ぼくを憤らしめる
あヽ いつの時代にか
輝く叡智の眼ざしを持つた若人が
髪の毛を握られて耳を引つぱられて
引きずられて行くと云ふことが容認されるか
ぼくの感傷は幼けれども
資本主義社會の断末魔の悪を
冷たく看過せる人はないはずだ
兄弟よ 傲然とそびゆる時計塔の
内部にかヽる獸の巣喰つてゐた時代を
憎しみを以て語り合ふ日 過ぎ去つたことヽして
語る日──それは僕らプロレタリアートの社會である
×
──FLEUR DU MAL──
悪の華
それは裏街に咲くものではない
どんな汚い街にも。
美しい曼珠沙華が咲くとても
それは資本主義社會機構の矛盾の
現はれで
毒々しい色はありながら
人を醇乎たらしめる匂りはない
赤い華は咲くとても
その基をなした葉はも早見るを得ぬ
地下に膨れた球根は
蓄積され集中された資本だ
それから咲くメカニズムの花
暴力の花、独占の花、独裁の花
凡ゆる反感をこの花に感じ
こころ疲れてわれわれは野の路をゆく
× 十一月八日 保田、慶明ラグビー
十一月九日 紅葉と体と
日本(にっぽん)の紅葉(もみづ)る樹々とわが愁ひ いづれか夛き秋深きとき
にれの樹の葉のちるくれはかへりぢ[帰途]を しづまりてゆくものヽ音(ね)をきき
はかなしや日本(にっぽん)の秋の草原にもみづるはぜのまじり立つこと
わがうれひひそかにみつめおのれ嘲笑(わら)ふわらはねばならぬこのうれひかも
きり降(お)りるよる よるは思ふ 血を咯(は)きていのちおとろへゆきし子ろが眼
裏山に夜ごと啼く鳥こゑあやし 細るわが腕見ては耐ええず
杉林(さんりん)によるわが住めば友送り 出でヽおどろくきりのふかきを
參星(しんせい[オリオン])は東に昇りゐたりけり ひそかなるうれひ保ちてをらむ
【抹消】こころなく身寄りてあらむ秋ゆきて【抹消】
杉林の隣にありて一群のもみづる樹々は愛(かな)しみ耐えず
むかで落つる音とも聞かむむさしのの林にふかくおこるものの音(ね)
かそけくも葉つもる路をふみ来りかへりみすればゆふべ霧降(ふ)り
落葉焚く匂ひは流れ来りけりかそけきながらそのしるけさは
一鳥は梢にありて啼きゐしが葉の散るくれに飛び去りにけり
愁ひつヽ野にひろがれる大都(だいと)瞰ればゆふべの煙くらく蔽へる
十一月十二日
朝なればひと見捨てたる山羊の檻 来てぞわがみるやぎのみほとを
学内の樹々のうつろふ様見れば いま散る葉ありわがまなかひに
楡の木のうつろふ構内(くるわ)石おこす のみ音たえずはたらかぬ身は
橡の樹はいつかすがれし朝の間の林泉(しま)にちりこむ何の木の葉か
ものおとのするどくひヾく朝をゐて林泉およぐ鯉赤しと見をり
×
くれはてし帰りみちゆき星光る空に朴の樹散りしを知るも
霧ふかきかの河岸を思ひつヽ ひるげを食むにひとりひるげを
×
時に見てふとおどろきぬはぜ紅葉 この紅さをばいつか見たりき
幼子のわれなりしときこの紅の帽子よろこび着しにありけむ
中野重治の云ふ如く、われらはかすかなものをかすかなものをと追ひすぎる。
けれどもわれらの教育(何とわらふべき)は、これ以上のものを作らしめぬのだ
十一月十七日
きり雨にけぶるニコライ堂見ゆるお茶の水ばしをけふも渡りつ
きり雨に下ろされぬ気球ありにけり電車ゆきかふ音たえにけり
×モロツコといふ穴 津田
棕櫚の樹やひともと明る雲往来(ゆきヽ)
きり雨にけぶらぬ花もあれ故園には
×本郷通り
女人受胎の型けふも巷にさらされ
まことその女陰さびしうてならぬなり
×われ
われは鱶の牙なり われは荊の棘なり
われは啄木鳥の嘴なり
×また
われは水晶なり 己れ寂しければ
虚しくむなしきかな
×おまへ
おまへはわが認識の外に立つ第四次元界
そこにあつてはわが像も如何なる像にあらむ
これこそ畏しく敬しきものヽ最なれ
× 一九三一年
いくさはじまると覚えた明る日
新聞に現れたは同じいくさはじまるの謎とき
扨て われはこおひいをのみブハーリンひもどかむ
青山囲繞美濃國
眉秀眼鋭士隠山 昭和六年十一月十七日建立
嶺
丘 みのヽ國 不破郡 今須村妙應寺 沙門賢堂 保雄
耿 昭和六年十一月十日
太
郎 山中鐘聲起反響
索得紅樹與秋心 施主 田中克己
十一月十九日 肥田、天野と三越で
私は見た
上品な中年の男を
その人は詩人のやさしい眼と
やせた体と
古ぼけた外套と
曲つて細いズボンとを持つてゐた
失業してから何ケ月になるのだらうか
入口のボーイの蔑すむ眼に送られて
彼は賣場の方へ
蹌踉と歩いてゆく
彼はライオンのゐる入口を
けふも夕ぐれ出てゆき
帰つた家で
職のない淋しさを喞[かこ]つに
けんどんな妻を持つであらう
(或は子供達をも)
私は彼を見たゆえに
すつかり淋しくなつて
階上に昇つてゆき
瞰下すと 曇る日の大都會は
咆吼し渦巻き
煙と埃とを空にあげてゐた
大きな建物が方々の空に
くつきりと白くそびえてゐた
いつの間にか
職のない人達が集まり昇つて
四方を瞰下してた
痩せた子守が泣く子を揺すつてゐた
×
高空よ鳥渡る雲に断目(キレメ)あれ
むなしくてやがて雲出る空の隈
一抹の雲残りつヽゆうぐるる
×
赤き實にとんぼよぎらす風吹かな
さびしさは樫の葉ちらぬかしの森
小春日の梅の樹に咲く花小さし
後日ノタメニ 偶然ニ俳諧七部集ヲ開ケバ
曠野集巻四 濃州 芦夕[俳名]
淋しさは橿の實落るね覚かな
十一月二十五日 佐々木恒清教授急死さる
[※「大軌電車衝突」の新聞記事の切貼有り]
はかなさやこよひすぎなば花散らむ
誰か見しまんじゆさげちるひとときを
枯れ原に鳥落ち時雨ふり出でヽ
虫なきやみいづこあてどのやみをゆく
冬来るや枯山丸き峽ゆき
わかれ路や白雲なびく山見つヽ
うづみ火に弥勒坐像を仰ぎゐて
こもりゐむ病雁おつる沼ちかし
十一月二十八日 今井の祖父重態との報来る
春過賀遂員外菜園 王維
前年槿籬故 こぞのまがきはくちはてヽ
新作薬欄成 まとふつるくさ枯れにけり
香草為君子 薬草の香は園にみち
名花是長卿 いろとりどりの花の彩
水穿磐石透 いはにとばしる細水(さヽみづ)の
藤繋古松生 光れるかげもあるところ
書畏開厨走 みどり色こき松が枝に
來蒙倒履迎 ゆかり紫ふぢのはな
蔗漿菰米飯 からむとみしにあるじびと
蒟醤露葵羹 まち設けいれつくづくし
頗識灌園意 つくすこころのかずかずは
於陵不自輕 つくしの米やむつの魚
希待一陽來復期
梅馨早夜床馥馥
十一月二十九日 古川氏令妹帰郷さる
もみぢばのながらふ水や碧しあをし 不二が嶺にくもなびくとぞ告げて来ね
白雲無盡時
この日頃満州に兵夛く発ち北辺餓ゆと人告ぐるなり
へいたいの親子飢寒に困しむにふらんす語きヽにけふも通ひつ
十二月一日 近事雜詠
もの暗にしやれかうべの眼光りたり風吼る夜をおそく帰り来
朴の樹の枯れ枝の尖(ほ)を風すぎぬ もろ木鳴りつヽ光りてゐたり
枯梢風わたりつヽなびかひぬその秀の先に星空ありぬ
まなかひに紅葉おとろふ森ありぬ 鉄路は光りひたのびてゐつ
冬に入るこころもさびしも鉄道の レールの光みつめてあれば
あるあさを混血児の眼のうすあをきを さむしと見つヽわれはゐたりぬ
あるあさにふと女の児愛しとおもひ 不二見ゆる駅の廊壇にゐつ
× 新しき友 鈴木朝英、吉田金一君
ばりけえどきづかむ朝の寒さおもひ街行く朝もあまたとなりぬ
[※ 半ページの破れあり。「タイトル不明 その一」欠]
その二
いつか飛行機狙撃の防塞と
なるといふ大学図書館の
樓上に昇る
初冬の風は快よく冷い
遠い上州甘楽郡の山が
冷たく凝つて光つてゐる
野は廣 [※ 半ページの破れあり。]
その三
柊が匂ふ
かすかな匂ひに
ここは静かな墓地で
上田敏先生も眠つてゐる
むかしの人はのんきだつたな
その四
けふ初めて
大川を東に渡り
叫喚する機械の音をきき
浮動する煙の團りを見た
それから一銭蒸汽にのりにゆく
ぽんぽんと音をたてヽ
船がやつて来ると
毒消し賣りの女が下りた
娼婦が下りた
女衒が下りた
僕達はその代りに乗つて
川を西に渡り
芝居を見に行つた (四日)
十二月十四日
新しい外套をこさへた
僕は鬪士としての資格をもたぬ
松本善海は文学部学友会委員となつた
連絡を断つたレポの罪
×
愁はつきじ、いく世にも
かなしき人妻
こひしきをとめ
×
軍人慰問金
帝大丈で一九○○円近く
×
愁はつきじ、いく重にも
十二月十六日
船越の小父急死の報あり 小光小母と朝十時東京を発つ
[※船越章の父、政一郎。柏井小光は悠紀子の母。]
ふゆしぐれしとしとと降り宮城の暗き松群ぬれつヽは見ゆ
おほろかにひとのいのちを観ゐしときしたしきひとのいのち死にます
美
しき乙女と下る西の旅 故國なまりもなつかしきかな [※柏井悠紀子]
枯れ葉まとふくぬぎ生(ふ)寒き峽ゆき箱根より降る雨に遭ひぬる
高空に輝く雪の富士ありぬ 西ゆく旅の午はすぎたり
冬川のさヾれ磧のさむけさよ 川上の山ときのま青し
冬海のくもりて暗き沖に立つ 波頭白しその白さはも
音もなくくだけてゐたる冬海の波にこころはいやさびしもよ
ひるすぎて白銀の山現れぬそのはろけさに泪わし[走]りつ
伊吹嶺のふもとのあたりよるくらし死なねばならぬわがいのちさへ
おのづから雪空かぎる夜の山のまろさ見えつつこころおちゐず
×
極月(しはす)空こごりてあれや風ふけばむれゆく鳥はつばさをならし
なげきつつみはふり仕[つか]ふともがらの泪もこほるそのさびしさは
冬の野の枯れ生に眠る獸がそのまま死なば何ぼうかなしも
× 祖父も既にみまかりあり [※西島喜代三郎]
冬の日のうすき光はおほちちのにごれるまなにいまはさヽざらむ
おのづから冬至る気におほちちはまなこつぶりて死にたまひしか
ねもごろにやまひおさへてさとしましヽかの秋の日がわかれとなりぬ
おほちちのつひのつかへ[終の仕え]と百万遍じゆずまさぐるも眠さをこらへ
十二月二十日 松浦悦郎 藤井寺
あヽ むかし わが
こひにこころもし[痴]れはてヽ
ゆきしとき見し青鴨は
いまもしづけく眠りゐて
その頸蒼く光るなり
暗き水面(みのも)に風ふけば
眠れる鴨もうごくなり
あきらめ果てし恋なれど
冬来し日よりわが胸に
ひそかに還り又去らず
いま鴨によせ心述ぶ
×
近く刈入れの済んだ田に
蠶豆の芽の列り。
その向ふに藁鳰。
やヽ遠く櫟の落葉林。
古塚へわたる鳥
白壁の家ある聚落(ムラ)
遠く赤ちやけた山脉
なほはるかにおほぞら──その寒さ さみしさ。
×
N0ËLは淋しや
エス様信ぜぬわがともがらに
何のめぐみがありませう。
雪空は重たく
わがいたむ頭(かうべ)にかぶさり
いそがしく人々は
ゆききすれど なまけものヽ
われはゆく所もなく
足取りも重くさまよふ。
まつ青な葉をもつひひらぎに
あれほど赤い實をならせるとは
エス様もよくよくのおしうち
われならあヽはするまいに。
エス様瀆す語のかずかず
もつたいなくも吐(つ)いたあげく
どこで酔ふたやらもつれ足
かへる野路の夜空を仰げば
あれあれ雪空きれて──
みちかひの星──さびしやとは
云はせぬぞ いはせぬぞ。
×
十二月二十四日 友眞、本位田、松浦とドンバル
鬼澤の追悼文書く
木の葉ちり空さす枝に鳥も來よ
十字路なる石標(しるべ)苔むす日数へて
あはれさやみのむしけふも動かずて
長き夜に凍りあまるや諏訪の湖
故國(くに)出でむ山茶花夛き家の数
十二月二十五日 西川英夫
ぶはありんよみ でぼおりんよむともこの友にわれねたまれであらむ [※Nikolai Bukharin, Abram Deborin]
をみな抱くすべは云はざらむ世の中の重大(おほい)なる機会に際会すわれは
十二月二十六日 再上京
松の間にいまあかあかと唐辛子ほすてふところ三河の國は
行先をまじめにおもへば泪出づゆで卵をば食はざりにけり
あはれなる道化となりてわが出でば
棕櫚の木は箒とならむ 松の木は何(な)に
十二月二十七日 京大22−6東大 ラグビー
川久保悌郎君
十二月三十日 九大19−16東大
村山高、池田栄一
川久保悌郎君
昭和七年
一月一日 他郷迎春
あはきうれひひたひにあれや武蔵野の麥一寸にしもふりし朝
一すぢの雲空にあり さみしけば街道たどりひとにまじりつ
禮[いや]かはすひともなければ霜柱ふみさく路に眼据えてむ
この國の春は家々ひとこもり たのしからむよわらふこゑすも
×
われをとめ[乙女]にし生[あ]れましかば
黒髪ながくひとみ美(よ)き乙女にあらむ
情濃くこころ細かのをみなにあらむ
さてわれ歌をうたふとき
そのこゑひとを酔はすべし
われはその美しさもて万人のこひ人となり
ひとりのこひ人のために命を終らむ
一月二日 井倉和雄氏
麻布のや霞町なる邸より眺むれば木夛し美しき東京
初春のかすむ木立のむらさきにかの君の衣おもひいづれば
初春のなごめる空に会堂の尖れる塔の見ゆる街に来
はろばろに笛ぞきこゆるおるごるの はたとやみたる道をゆきこば
山茶花のま白き花に日かげさし ひるふかしとおもふ深き息つき
ともどちのいのち永かれちヽはヽに幸夛くあれわれ死なざらむ
山手線よりうすがすむ山見えてゐし 新年の東京にはじめてゐたる
青山のちまたをゆけばたまさかに想ふ正元をまた想ひ出ぬる
一月三日 同大10−21早大 古川氏、柏井俊子嬢と
銀座で京大ラグビーに会ふ 藤枝、江馬、和気
一月四日 三高0−103KO[慶応] 薄井君
一月五日
二つの山脈が低夷して
互いに倚り合つたところ
そこには湖があつて
きれいな水をたヽへてゐる
水はかぐはしい匂をもち
水芭蕉の花を咲かしてゐる
湖をめぐつて
潅木林
そこでは鳥が啼き
それが啼き止めば
静けさが残る
僕はある日そこに迷ひこみ
深く息づいてその香気を吸ひ
岸辺にかけより水にくちをよせると
僕のうす紫のくちひげに
水芭蕉の花心がふれて
僕のくち髭は黄色く染まる
僕の息吹は
まはりの山々に到り
静かに反響(こだま)して
湖の中心に渦巻き収る
もう一度ゆきたい あの湖辺に
×
ながれの岸のひともとは
にほひゆかしきすみれ草
はかなく咲いてすぐ凋む
恋の思ひのすみれ草
×
流眄[ながしめ]うつくしき女ひとり
言葉うるはしき男ひとり
ともに歩かば
ねたましき
正月七日以后、体悪く夢見ること多し。
その夢。
七日
練習をすましてくれ方、部の室(へや)へ入るとうすくらがりにうつぶせになつてゐるユニフオーム姿がある。やせた小さな肩、増田正元らし
い。おいしんどいかと云つて頭をもつてひきおこすとその顔は骸骨だつた。
僕はがんばれがんばれと云ひ乍ら逃げ出したが、それでは許してもらへさうもないのでかんにんと呼號した。かかるかなしく荒涼(スズロ)なる
夢も見る。凝れる空の下で死んだ増田正元に光栄あれ。
八日
僕は日本のKAISERと裸で舟にのつてゐる。夏の水浴み時らしい。KAISERはごま白の
の大きな上品な紳士である。僕は彼の関心を相当ひいたらしい。突然彼は他の舟に用事があるとて泳いで行つた。僕達は船を止めて待つてゐる。そこへペニスを
表した男が泳いでくる。その男は魚を採つてゐると称する。僕はその青白い太いペニスが気になる。KAISERが帰つて来て訓示をする。僕らは
その時もう陸に整列してゐる。僕は列び方がわるいとてひどく叱られる。
(この日、晝、李昌善の爆弾KAISERをおそふ)[※李奉昌 桜田門事件]
九日
僕は高等学校の生徒である。僕達は重大な協議をしてゐる。全校生徒が集まつてゐる。右せんか左せんかをはかると右、左の声がおこる。やがて一
つの悲壮なる叫びが「右は運動部の主将だけだ」と叫ぶ。すると右翼打倒の声が泡のやうに立つて来る。僕は今より生徒大会に入ると議長にならう
とする。よこに保田がゐてこれを止める。その前に僕らは何らかの策謀を持つてゐたらしい。時機早しと叱られたのである。僕が坐つて二年生の藤
原が議長となり、僕は保田に詫びる。
八日 江馬、矢島、杉浦、竹田 (三島 )[※ 以下ページ中途に破れあり。]
十日
×
咳すれば喉いたむゆゑ浅田飴こころをさなくのみてねむるも
富士山の見えゐし夕を通ひゆき
× 本郷通りに十一時をすぎると天使出る。
十七日
感ずる所之あり
冗費は止めむ
めの子のこと忘れむ
おれは──
不平を云ふまい
おれは下積みになれてゐる
おれは案外さびしさに耐へる男だ
すぐわんわん声を出す代り
その痛さに慣れる
[※ 以下ページ中途に破れあり。]
育てられ
おれは未だに文芸に執着をもち
しかもその型の古さ
けれどおれは匡四郎の驕慢を
快くは思はぬ
おれの仲間の湯原冬美をはじめ
誰がそれを知らないか?
おまへはおれらを理解せぬ
二つの魂をもたぬ人間が何時ゐたか
おまへ自身がろまんていつくでなければ
何故おまへはそんなに忙しく立廻るか?
おれは以後沈黙を守る
匡四郎らのゐるところでは
× ×
COGITO(コギート)
おれ達が花を見るとき、その花のまはりの葉つぱも眼に入る。
その花はおれ達の意識の中にある。(以下不明[ママ])
その葉は俺達の意識の中に潜在する。意識の中に顕在する花をおれ達はコギトの対象と呼ぶ。
一月二十一日 原始の始原
蜥蝎[とかげ、さそり]の族は
羚鹿[かもしか]の族と相争ひ
いつか地平の彼方の
彼の族の住地へと
侵入すべき日を夢みてゐた
凶日が照り
野にみのるくだものは凋みおち
獸の群は何こへか遁走して影を見せぬ
蜥蝎の族は
北を目指して大挙する──
あすこには敵と食物がある──
そして実らぬ草野に残つたは
蜥蝎の動物柱(とーてむぽーる)ばかり
雲をさす柱
地を貫く柱
敵と食物を索めて
移住した族は再び帰らぬ
月は
星は
幾たびこの柱をめぐり
柱の基幹を食ひあらす虫があり
蜥蝎の体色を彩る
顔料の凡て脱落した時
月と
星との
下に立ち
不覚の涙は蜥蝎の眼から流れた
八脩の宮ふみならす時雨空
昭王の塚 秋の日をあばかるる
東洋史同好会にて
一月二十六日 岡部長章君に献ぜん
一月二十七日 橋本勇君
臘梅のすたれし園に咲く見つつ春来む期をともに語りし
北の風この大野をばわたらへば あるひわれにもおもて吹きたり
北風のわれがほほべを吹くときは わらはんとして眼のなけて来る
一.
朝鮮の友 趙君
君の 肋骨がすいて見えるやせたわき腹を
かつて僕たちは淋しがつたが
いま僕たちもそれほどやせて了つた
趙君
君の顔が困しみのため歪んでゐることを
かつて僕達はその利己的な美しさ好きから
嘲りわらつたが
今僕たちも笑はうとする顔の
しらずしらず歪んで来るのを何としやうもない
趙君
君の服はぼろぼろだつた [※ 以下破れ。]
二.
兵隊さんの出征が勇ましいと云ふので
停車場まで見に行つた
旗を立てて人達が見送つてゐた
兵隊さんはテレて他見しながら
お互い同志はなししてゐた
旗を北風が吹いて
発車時刻はまだ来ない
村長さんが帽子を飛ばした
その帽子には入場券が挟んであつた
僕達はもう一つの客車(ハコ)を見に行つた [※ 以下破れ。]
三. 懐 [※破れ。] サマルカンド [※ 以下書かれず。]
このひるまくぬぎ林の疎林ごし ましろき富士のみねあらはれぬ
もの云はずありける時にすゐせんくわ ほのかにほふとわれは知りたり
むさしののふじ見ゆる野に冬立ちて丸三郎の鬚は長(た)けむか
こもりゐ[井]の湯のわく音はかすけしとまひるのゆめにいまかい[入]りぬる
かなしきや二十有五のますらをの木枯しやむ間音讀するか
をのこさびたたかひせむとおもへどもたらちねもへばとごころ[鋭心]はかなし
× M.M
藁鳰のつらなれる野はとほく聞け雪まだあさきいこま山見ゆ
(第6巻終り)
「夜光雲」第7巻(昭和7年2月-7月) 欠損
※『コギト』創刊号(3月)-5号(7月)。
「夜光雲」第八巻 その1
昭和7年7月17日 〜 昭和7年12月31日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(184ページ)
夜光雲 巻八
田中克己
一九三二年七月十七日
七月十七日 手紙
つれなききみのこころをたよりにて御文待ちそめてより 日の三日四日を経ぬれば
いまは耐ふべきにあらずとも思ひ乍ら
さても永らへたるはさりともと思ふこころのあればこそ、この望さへ盡き果てばやがて生命死にぬべし、なほしうらめしきおん心かな
うらみわびかくと告げ得むわれならず昨日の日こそさ思ひすぎし
はるかなるよそびとどちのこひがたりそこさへともし[羨し]きみつれなきに
いつまでかよもぎのつゆのきりぎりすかぼそくいきむわれがこころか
はなはだも思ひしづめるさよ床にうかぶみおもはやさしきものを
鈴木兄、これは冗談でござゐます
日輪のたヾひとつなるこひゆゑにやせまさる子をわれはゆめむに
おほぞらにわがこひの星凋みたりつれなききみのまなこのいろと
きみこひしこひしとそらにしるしなばきみ見ずとてもひとあはれまむ
火の山の溶岩よりもなほあつきわがこころなれほ[秀]にはいでねど
橋本兄、これも冗談でござゐます
反動の名は保たむか
七月十八日
一枚一枚わたしのめくる骨牌にわたしはあわててひえた悒鬱の後姿を見る。
ああ、秋も近いねと友は云ふ。友も夜鳴く鳥を聞いたのであらうか。
ひるねの後にわたしはじんじんと鳴く蝉を聞く。わたしの中耳には執拗な耳鳴りがある。わたしは子供の頃の水遊びにそれを得た。
極北のひとはけふもわが身を削るわたしを嘲つて来た。わたしに削り得る肉がまだあることをわたしも異としてゐる。かう、 わたしは返事を書き、やがて破りすてる。と、紙片は夜空に白く舞ひ上り、夜気は北に流れつつあつた。
わたしがあのひとを見たのは十八の秋であつた。空に旗が流れ、地に獸が潜んだ十八の秋であつた。
わたしはひとりの男につけねらはれてゐる。明るい所で見たとき そいつは冷徹極りない顔をしてゐた。暗いところではピカピカはがねを光らすといふ奴だ。 わたしはそれ以来明るいところをよつて歩いてゐる。わたしはいつもヒタヒタいふ足音とあの冷徹な顔を見ねばならぬ。この男をわたしは愛してさへもしてきた が、 この男の属する集団の意志は、この男以上に冷徹であるらしい。わたしはいつか此の男に命令を下してゐるこゑをきいたと思つた。鋭い細いこゑであつた。それ は死を後だてとする悪魔を思はせた。(廿日)
廿日
けふも手紙来ず。固い約束はむなしいことばであつたのだらうか。あの女のやはらかい性質は、私をうれしがらせたにすぎないのだらうか。疑ふこ
とをわたしは畏いとも汚いとも思ふけど。
あめつちはくだけめとてもよそびとにうつさむこころならずとも云へ
あひみねばこころさぶしとうちつけにいはむ子ならずさぶしとは思へ
わすれじとかたくちかひしことばだにいかヾはせむやいまはうたがはし
わすれじのちかひおもへどむねにつのるこのうたがひをいかにせよとや
せうそこ[消息]はみじかくあれやこひしぬとたヾひとことをきかまほりすれ
おほぞらにめぐみたるる日へめぐれどわが思ふひとの文得ぬさびしさ
愛(なさけ)あつくともに死にたるひとどちをうらやむ日こそきみほい[本意]なけれ
たらちねのおやにもそむかむたヾひとりおもひさだめしひとゆゑといへ
たらちねのおやもうらみぬしたはしききみにそむけといふはたがこと
二十一日
[船越]章君けふ帰りたるはずなれど
×
何にも自信のない身、自意志のない身。
×
人々はすべてマリア様やキリスト様のやうに背光をもつてゐる。ひとびとは背光を触覚の様にうごかしてそれで他人と接触する。背光同志が接した
時、その時ひとははじめて相知る。
二十二日
蜩は椋の樹の梢にゐた。ゆうぐれの空は海より蒼い。さびしさが一羽の烏になつて、ゆうひの方にとんでゆく。泥をふくむ風が吹いて来た。
×
暑さ。寒暖計が喀血した。わたしは水銀に暗示を與へる。極北の鳥を思へと。
甲斐信濃の歌 訂正
夏草に紅甘草は光りゐぬをとめとわかれ旅ゆくわれは (立川)
ひるふかくいまだしぼまぬ月見草荒れし磧のそこここに咲くも (豊田)
夏雲のくもりひろごる気配あり紫陽花の椽[縁]にひと髪すきぬ (八王子)
小佛の隧道ちかく汽笛ならし汽車ゆくみちの夏枯草のはな (浅川)
しめやかに杉の木の間にきり降りぬまひるを鳥も啼かざりにけり
嶮し峰[こごしね]のはざまに起る夏の雲みつつおもへばをとめぞはしき (甲斐鳥澤)
まがなしくふたへまぶたのをとめ子を思ひつつ来ぬ甲斐の峽路 (大月)
あはれあはれ流離のこころ守りをれば窓辺にありて移る山河 (初狩)
辻辻に山見ゆるとふ甲府の町しづかにきけば蝉しき鳴きぬ (甲府)
信玄の館のあとに乱れ咲く夏草の花も見むとおもへや
あまの原くもゐにありて甲斐駒のすさべる姿見ればかなしも (日野春)
南天にかつと日のさしたちまちに現れわたる峰に雪ありき
こごしこごし甲斐の大峰にけふやはた ひとのぼりつつつまこふらんか (小淵澤)
なつかしきひとゐるくにの東べに富士晴れ来しを誰に云ふべき
山驛に汽車とまるまを啼きてききし うぐゐすさへもかなしきものを (青柳)
なみよろふ蓮華の峰の八ツ岳のふもとをめぐりわがひるたけぬ
遠天に湖のみづ光りたり ここは信濃の茅がやふかき高原(はら)
あえぎつつわが汽車はざまゆくときはくるしきこひをわれもおもひぬ (塩尻)
この驛の構外(そと)は落葉松のまばら葉に ちちろと虫の啼くひるなりき (木曽日出塩)
からまつの驛に乳児抱き女降りぬすなはち汽車は動き出にけり
雨あとの濁りはふかし奈良井川いく山川を集めたりけむ (薮原)
茂山にあめのたかぎりふりにけり旅なればおもふひとのとほさを
盆ちかき山間の墓地のひとごゑは墓苔拂ふ母と娘なりし
ゆふちかくなりて心もおちゐしがたぎち[滾ち]の音をきけばなとせむ (美濃中津川)
くれそめば見知らぬ山の原にして光り出る星はおもかげびとを
ひとこひしこひしとおもひ疲れしがまどろむひまはゆめにだに見ず
×
記憶の世界に 時間の霧を降らしたまふ天主は頌むべきかな。母を、恋人をわすれはてて 魚の如き瞳もつに到れば
われわれは主のものとなるゆゑに。
七月二十四日
杉浦正一郎に
蝿うるさし あつき厨のはつたい粉[※麦こがし]
阿羅漢のひるねの様もしばし見よ
琴唄
やちぐさの、秋にいるまの、川わたり、かち[徒歩]にてゆけば、妻こひし、牡鹿の啼くも、遠からじかし、
狐火の、諏訪の湖、風ふけば、白波さわぐ、沖の辺の、白帆は夫(つま)か、かぢとりませる
ゆうされば、槲[かしわ]の上枝の、ほのしろみ、きり立ちながる、空見れば、あはれ女夫の、恋の星見ゆ
大日本史 巻之一百十八 [列伝第四十五]
百濟敬福、百濟義慈王之玄孫也、舒明朝義慈遣其子豐璋禪廣入侍、後義慈與唐人戰、軍敗降唐、其臣佐平福信、起兵克復、迎立豐璋、豐 璋即位、以讒殺福信、唐人復來攻、豐璋請援朝廷、朝廷遣兵拒唐人、不利、豐璋乘船走高、禪廣、遂留而不去、持統朝賜號百濟王、及卒贈 正廣參、禪廣長子昌成先卒、天武朝贈小紫、次子郎虞、元正朝授從四位下、為攝津亮、敬福其少子也、為人慧辨、有從政之才、聖武帝殊寵 遇之、而放縱不羈、頗好酒色、有人告貧者、傾資振之、無則乞假而給焉、以故頻歷外任、家無餘財、天平中再為陸奧守、敘從五位上、先是 郡國不出黃金、常取用於外蕃、及東大寺盧舍那佛像成、塗金不足、帝常嘆恨、會陸奥小田郡出黃金、時敬福為守、馳驛獻之、帝大ス、改元 天平感寶、特授敬福從三位、既而又獻黃金九百兩、勝寶中為宮内卿、歷兼河内常陸守、為檢習西海道兵使、遷右大辦、寶字中歷出雲伊豫 守、為南海道節度使、改讚岐守、入為外衛大將、八年奉太上皇勅、與山村王等、帥兵圍中宮院、逼帝出宮、天平神護元年、為刑部卿、稱徳 帝幸紀伊、為後騎兵將軍、二年薨、年六十九(續日本紀)
巻之一百二十一 [列伝第四十八]
百濟俊哲、寶龜中蝦夷作亂、俊哲有功、賜勳六等、尋勲五等、累進從五位上、為陸奧鎮守副將軍、奏曰、臣在賊圍中、兵疲矢盡、祈桃生 白河、等十一神、乃得潰圍而出、非神所佑、何免覆沒、請以十一社、准幣社、許之、天應元年賞征夷之勞、賜正五位上勲四等、延曆中坐 事、左降日向權介、居之四歳、赦還京師,帝欲征蝦夷、勅與坂上田村麻呂至東海道、簡閲軍士器械、為征
夷副使下野守、兼陸奧鎮守將軍、(續日本紀)尋授勲三等、至從四位下、(續日本後紀承和元年)十四年卒(日本紀略)
大日本史 巻之七十六 [列伝第三 后妃三]
桓武
女御百濟教法、叙從四位下、承和七年十一月卒(續日本後紀)
百濟教仁、從五位上、武鏡女也(一代要記)叙從五位下、生太田親王、(一代要記代・帝王編年錄)
百濟貞香、従四位下、教徳女也、叙從五位下(一代要記)生駿河内親王、(一代要記・皇胤紹運錄)
百濟永繼、正五位上飛鳥部奈止丸女也(公卿輔仁)初適藤原内麻呂、生真夏冬嗣[公卿輔仁・尊卑分脈]、後入宮為女孺、生良峯安世、 授從七位下(姓氏錄・公卿輔仁)
巻之七十七 [列伝第四 后妃四]
嵯峨
女御百濟貴命、鎮守將軍俊哲女也、貴命姿質姝麗、閑於女工、為女御(三大実錄)生基良親王、忠良親王、基子内親王、弘仁十年叙後五 位上、進從四位下、仁寿元年卒[文徳実錄]
尚待百濟慶命、鎮守将軍教俊女也(一代要記)動有禮則、帝甚貴重、生源定(三大実錄)源鎮(源氏系圖・一代要記・帝王編年紀)進從 三位、天長七年特賜封五十戸(日本紀略)承和初、帝遷御嵯峨院、是為大院、為築別宮、号曰小院、其寵渥如此(三大実錄)三年為尚待、 八年進從二位、嘉祥二年薨、勅贈從一位、遣使監護葬事(續日本後紀)
仁明
百濟永慶、從五位上教復女也(皇胤紹運錄・一代要記・帝王編年紀ニハ教俊トアリ。)生高子内親王(三大実錄)
巻之八十九 [列伝第十六 皇子四]
桓武
大田親王、延曆十八年賜攝津荒田五十七町(日本紀略)大同三年三月薨(日本紀略)年十六(一代要記)
良岑安世、少好鷹犬、善騎射、多伎藝、稍長始讀孝經、釋卷而歎曰、名教之極、其在茲乎、乃潛志於學術(公卿輔仁)延曆二十一年賜姓 良岑朝臣、貫于右京、顧公大同四年為右近(姓氏錄)・・・(大田)十年奉敕、與大納言藤原冬嗣(同母兄)、中納言藤原緒嗣、監修日本 後紀・・・又與冬嗣及藤原三守等、奉詔撰内裏式・・・(天長元年)七月藤原冬嗣薨、以其異父兄、稱病不朝、淳和帝屢遣中使、敦喩起 之、五年轉大納言、大將如故七年七月薨、年四十六(公卿輔仁)詔贈從二位・・・安世有文藻、嘗奉淳和帝詔、與東宮學士滋野貞主、撰經 國集二十卷(日本紀略)敕收其詩、其餘凌雲集、文華秀麗所載・・・
七月二十五日
essai de la hassion
赫奕[かくえき]の夏の帝の日輪とわがこひごころいづれか激し
神畏れぬこころの相(さま)も夏の日のきみこひがててくるふわが身か
高天に日は輝けり棕櫚の葉のくだく光にこころふるひき
呪はしき執よ欲よとなげかへど諦め念ふわれにはあらず
たへがたく夏の炎熱の風吹きぬ たのしかりし日の君が息吹と
夏のまひる止まず炎天に噴上のしぶきあぐるに似たるわが執
いざ佳偶よ 大野に出でて 歌はまし 銀の
かがやかの笛吹けよ 牧に遊ぶ 畜(けだもの)を
呼び集め 野苺の 実を引しぼり たわみたる
牝牛の乳
きみを疑ひしことの恥づかしや 日輪の大空にあるがごと 君が信[まこと]は疑ひなし
【抹消】一年を刻む大時計の台石はゆらぎ、【抹消】
二十六日 五人會、西川英夫、故意に避けたること是非もなや。
Nを
ひとづまと浮名立ちたりあまの川
あまの川夜気の流るる相みせて
ひとつねの相手うたてき晝の月
友眞の家にとめてもらふ
二十七日
肥下を瓜破に問ふに
星や蝶や草花を
愛するにもまして愛したひとと
少年すぎたころに再び會へば
さて何ともなき笑ひにつくろふ才覚はあれど
ありし日の胸の火
またも燃え出るをいかにかすべき
うちあくべきこひにあらねば
うちあけえむわが身にあらざれば
夏草やひともと白き百合の花
青田つヾき風の跡ある野々宮や
紅あつきながれてゐたる空の青
風ふかば崩れんものか雲の峰
三十日 またMlle. M.を
ふるさとの河内國原青田風しるけきさまにわがこひわたる
麥酒のみ赤ばみしわが顔みつつほほとわらひきをとめなりけば
そのあしたきみがかんばせおもひ見るにさてかたなきはあはれかひなし
わたしの胸をはりさいて
あなたに見せると云ひたいのですが
わたしの胸はこみちです
思ふあなたと
契つたあの子と
ふたりの影がもつれあひ
花園の薔薇と撫子の様でせう
×
ああわたしは何と馬鹿(あほう)なのでせう
あなたとろくさま話したこともない
あなたの顔を見たことも何度あるといふのでせう
あなたを恋すると云へた義理でせうか
あなたは僕(わたし)なんか認めてもゐられない
(きつとさうにちがひない)
これが阿呆の特権です
これが阿呆の本性なのです
わたしはあなたのおもかげを
しつかと抱いて
あなたのご婚禮の日まで失望はしますまい
これが阿呆の幸福(しあはせ)です
これが阿呆に似合ひです
ああ阿呆の恋
阿呆で生きてゐられる世紀
×
いいえ 阿呆は生きてゐられない
わたしは何ぼ何でもやはり恥は知つてるのです
わたしはこの世紀の焦燥を感じるのです
わたしは自分にもあるその焦燥を可成り軽蔑して見ます
だけど軽蔑しきれない
それがわたしのひとすぢの恋を妨げました
ああ 阿呆にも恋の出来ない世紀
鬱陶しい世紀
おかしこい[ママ]世紀
×
わたしは道化の役をつとめませう
白粉も塗ります
眼のふちに紅をさし 頬を描き
鬘をかぶり 鼻をつくりつけ
大きなカラーをはめて
鶏の啼き声もいたしませう
(幸せにわたしはそれが旨いのです)
わたしのおどけがひどければひどいほど
あなたを得てからの報ゐは大きいから
わたしを苦しめたあなたを
わたしは鞭うち
その矯慢をいましめます
他人にはいまでもさうであれと望みつヽ
わたしはあなたに従順を要求します
×
あなたに献げた歌は百首にあまり
あなたにさヽげた詩もたいへんな数です
あなたの為に泣いたことを御存じでせうか
あなたを知つてから
わたしは人にやさしくなりました
わたしはあなたを待ちました
努力もせずにたヾ口をあけて
あなたは泳ぎまはる小魚でない
ああ その中にがまんがしきれず
わたしは釣針にくひついて
旨くにげるとまた次のにひつかかり
いつもあなたを思ひ出しては
わたしの無節操をあざけります
だけど所詮わたしは釣針に死ぬべき魚です
香しい餌がまた眼の前にぶらさがつてます
どれ ごめんをかうむつて一口食べさしてもらひませう
三十一日 また
【抹消】ゆうされば、ひとりさびしきこころあり ひのうちはなほこころ【抹消】
[八月]一日 章君来る
Mlle M.
ゆふかげにじんじん蝉は鳴き止まず夕陽黄いろき椋の梢に。
槐の花おほかた散りて朝夕に涼しさおぼゆ夏おとろへぬ。
一葉(ばらん)ゆらがす風涼しけばをとめおもひかすけきこころ保ちてをらむ。
やちまたにいでゆきぬとも物念ひなど絶えせむよつかれかへりぬ。
夕椽[縁]にものかきをれば何の葉か枯れてさびしく畳に散り來。
ゆうがたに黄くなる地平を視つむればきみがみこゑもかよひ來るかな。
死にゆきしひとはせむなし夕雲の紅くうごける空をながむる。
金蓮花永き日照りに枯れにけりわがこひすぎむときのしるしに。
青雲のゆうべしづもる時たてばはるけききみにこころかよふも。
うつそみの因縁かなし御讀経のあひまに蝉の啼くこゑきけば。
祖父を父はにくみ、僕は父をにくんだ。僕の家の天井裏をひそかに蛇が這ふことを僕は知つてゐる。白い蛇だと見たひとが
ある。わたしは蛇を憎む。古い輪廻をにくむ。
×
夕陽が村の家々の白壁を紅く輝かした。稲田の風は眞青だ。わたしは釦をはづす。白いシヤツに夕陽をあてるために。わたしの胸は直ぐ出血しだ
す。わたしは静かに釦をかける。もつと静かに血は流れつづける。蜩(カナカナ)。わたしは口からも血を咯く。
×
わたしは庭の楠の梢にのぼる。栗鼠の様にわたしの眼は光る。わたしは憧憬れて西方を見る。遠くの天守閣の鵄尾は金色だ。巷の叫喚がわたしを意
識下に引戻す。わたしは樹下に降り立つとき下駄の片方が裏向いてゐるのを発見する。わたしの跣足[はだし]に苔が触れる。
×
夕立ち前の池にわたしは影を寫す。わたしの髪はメズサの様に乱れてゐる。電閃を藻が受取る。金魚藻と松藻の区別をわたしは知つてゐる。
×
夜深く五位鷺が[去鳥]々と啼いて飛んだ。
嵐はとうとう來ないで了つた。
遠く汽車が過ぎた。
わたしの思ふ子は遠い海岸に泊(ね)てゐる。
波の音は平野の眞中までは來ない。
五位鷺の啼く森は暗い巨きな影となつて横はつてゐる。
煙突から出る煙が白くたなびいた。
わたしはもう寝よう。
八月三日 深更
「殻」[※不詳]を書く。十二時から三時
八月五日
やうやく雨季ちかし
昨夕の散歩
巻雲は生駒山の北端につらなつてゐた
星田の山にのぼる軌道の灯
生駒の灯はまたたいてゐた
わたしの連れる犬をわたしは畏れた
眼のむしやうに紅い犬と戯れたゆゑに
わたしは女の友達を持たない
その晝よんだレミゼラブルの
理想にとつつかれた青年達の純潔がわたしを悲しませた
饒舌な言葉の豊富な佛蘭西人が
わたしを驚かした
わたしは十町歩くともうつかれた
白粉花のにほひ 布施町の花火
土埃はわたしの足をかさかさにした
わたしの書いた小説を破くのが可哀想でならない [※前述の「殻」か。]
×
愛は利己的であるべきだ
愛がなければ太陽も消えるとは 太陽と愛する主体との関係を語る
愛と愛の客体との関係はしばしば無であり得る
太陽の消えることを提出する場合、人は太陽の存在を主観的に認容したにとどまる
ブハーリンはそれを論理なしに実践で打ち破つた
それを中野重治もなした
ぼくは──愛は利己的であるべきだ
良心の満足を外に求める時それは愛であり、これを内に求めると知になる
世界は知と愛と、良心よりなる
良心は世界理性である。人間の世界理性、獸の理性を僕たちは考へる必要がない
良心は神である。神は白髪の翁でない。光り輝く王座でない。雲に坐し、雷霆を動かす絶對者でない
神はおきてである。神は動くものである。人間社會より醸し出だされた聖なる水である
知と愛に限界を與へ、知と愛を存在せしめる観念である
それは存在せぬ存在である
光が物質のちからを必要とせぬと考へられた時、神は光に近かつた
いまはたとへるべき何もない。一は他の数字を以てたとへられるべきでない
一は二の二分の一であるといふとき、二を二でわるといふ容易ならぬ式の含まれてゐることを人々は発見せねばならぬ。しかも、数の存在を定義の
以前に認めねばならぬ
神を定義する時、神の限界するところを以てするならば、それは更に他の定義を必要としよう
詩人はそれを敢てする
神の内包をとりあげて無数に頌ふとき、神の無限大なる姿は漸次限界を近くする。無限小に近くするもそれが神の定義である
パン、葡萄酒を神のみ名に於てすする奴輩を冷笑せよ
我を無視するヤツバラを殺せ。理想をとつつかまへたと信ずる奴輩を啓蒙せよ。全我を以てほほえみ、生き死にの境を彷徨せよ。凡ての責任を神に
帰せよ
凡ての知と愛とをつくすべきだ。神の流るる光の中に
八月六日
昨日久し振りに雨降る。七月十二日の驟雨以来、将に二十三日間の日照りなり。
海峡を白い汽船が通つて、その煙は崩れおちる波頭とも見えた。
わたしの登る山笹の道を、あはてて蜥蜴のかくれた方には、一本の桔梗の花が紫色にゆれてゐた。いまこそわたしは女を殺さうと煙草をなげすて
た。
その煙が妙に消えやらず、縷々とたちのぼるのがわたしの決心をにぶらした。ふりかへると女はもう、頸動脈から血を噴き出してゐた。わたしの刀
はまだ汚れてゐない。
×
古い生家の末裔(すえ)とわたしは秋近い夜をものがたつた。院の寵愛に與つたといふ先祖の白い顔(かんばせ)がわたしの眼前に浮かび上つた。
わたしは香を所望した。幽かなその香をきいてゐると、
先を螢が飛んだ。季節はづれのその光は人魂を連想させた。女は御息所の美しさを尚も語つてやまなかつた。このひとも美しい。わたしの心があらはれたのだら
うか、そのひとはいつか面を紅らめてゐるのだつた。
八月七日 船越章
友眞、西川、林の叔父、田村春雄
八月八日
中島[栄次郎]を訪ねる。
七夕の笹をたてた家に案内を請ふと、可愛いい女の子が出て来て不在を告げた。女の子ののどにあせもがいたいたしかつた。
×
八月はわたしに倦怠をもつて来た。日中の涯しない飢餓の沙漠と、ゆふぐれは隠し得ぬ疲労の海とを。まつ白な鶏の樹にゐて啼くゆめを夜にわたし
はしばしば見る。夢の断れ間の倦怠を、眠りながらもまだ感じるわたしを、ひとびとは夏の徴候と見た。
×
海の見える露台に凌霄花を纏はせて、ヨハンナは白い扇を動かす。咽喉まで吹き通る海風をしらぬげに、九月、ああその秋はこの海港を扼殺しよう
ともう、迫つてゐる。灯のいろの潤ひをヨハンナは扇子で眼から隠す。海に落ちる星の様にヨハンナの十八は、急速に轉げ落ちる。
×
屍門に夾竹桃の花。
窗にペチユニアや金蓮花を咲かせて、
病室はいま午後(ひるすぎ)の体温(ねつ)のさかりだ。
×
Je m'ennuys [※憂鬱]
Mlle.S. Andoh
きりふかき秋のいく夜を停車場のほのけき灯(あかり)にあひ見しひとよ
ある時はきみが丹の頬のやはらかさ ふともためさんと思ひつつゐき
きみとよむ青き表紙の讀本の挿繪かなしきをりをりも經ぬ
つかれつつ校門いでば駿河台に雲のこりつつゆうぐれにけり
はやあしにわれ追ひ抜きてゆくきみのうしろすがたをひそかに愛でし
きみとよむ佛蘭西語つひにすすまねばわが趣奇いたむをりふしもあり
八月九日
本位田昇
Erotische Gedichte (Imitatis D. Horiguchi)
[※エロチックな詩(堀口大学にならって)]
一
わたしはひとりで固いクツシヨンに眠り
天の川のゆめを見ます
白く流れる乳の道を
二
歯のないおばあさんだ、あなたは
歯齦[はぐき]ではわたしの作つた料理はかみきれない
マヨネーズソースはお気に召しましたか
三
小麥畑の畦にひそむ一本耳の兎よ
なんとそんなにこはがつて
耳を動かすのだ
耳を染める紅は羞らひからか
四
愛の女神を産み出した
帆立貝の強靭な貝柱を頌へよ
わたしの指に傷を残した
敏感な貝殻に注意せよ
五
クレオパトラこのかた
頭の尖つた毒蛇に殺されぬ女はひとりもない
六
狹いくぎられた海の上を
夏の暑さに
一組づつ男と女が泳ぎます
疲れてから飲む一口の
飲料の爽かさ
手帛で口もとを拭はねば
おくさん おあがりものが知れませう
疲れが癒ればもう一泳ぎ
それを拒むのは
おくさん却つて失礼です
海の上では泣かうとわらはうと
それは自由です (未定稿[ママ])
凡て波まかせとゆきませう
八月十一日
丸に
海見ゆる武庫の木の間に手をとりてなげきしひとのおもかげいかに
つまぐれのちるゆうぐれはをとめ子のふたへまぶたをおもふとせずや
a Y.[※悠紀子に捧ぐ]
トマトの赤い片をもつた
きり子の玻璃器にも
ゆうがたは青い空がうつり
ゆく雲はいろとりどりの美しさで
空をくぎります
わたしの心にもひとへにきみによる心と
はかない疑ひとがいりまじり
はては消すことも出来ぬほど
濃い疑ひの紫いろに
よるよるの眠りのくるしさを
きみよ 思うて文寄せたまへ
×
槐 淡く咲くふるさとの家に
アグネス きみを思うてゐれば
蜩の鳴くゆうぐれをかなしんだ
あのころのきみの切ないこころが
しみじみいとほしく
蜩も鳴けよと思へど
あつくるしい油蝉また子供のよぶ松蝉が
ひつきりなしに鳴くばかり──
槐はアグネス きみの庭にはなかつたね
×
薮蚊の出る暗い家に
ひるも蚊取線香を立てて
かなしい恋の詩をよんでゐれば
いつか この顔はかうやつれて
頬骨の尖りをきみに見せたくもなや
アグネス 迫つたまた會ふ日を
待ちこがれてゐるのは自分だけではなからうね
蚊取線香の匂ひがまた一しきり
そのまにもわたしはやつれるばかりだ
八月十二日 大掃除
颱風雲(あらしぐも)夜にいり西にせまり来ぬ便りよこさぬきみうたがへば
海辺に、ひと多く寄る海岸にゆかむと云ひてことたちしきみは
きみがふみ十三四日見ぬゆゑにこころすさぶ雄あはれと見ずや
百日紅の永きさかりもすぎなむにいぎとほろしく日々をくらしつ
かにかくにきみそむくごと悪しき日の来む日いかにとわれはすべきぞ
をだしくも[ママ]やさしきこころのままにゐてその日つたなきわざすまじきぞ
この夏はきみ思ふとに明け暮れぬつれなききみはなにのすさびに
くらき雲高空に立ち風吹きぬ東の山の灯は消えむかも
あまりだとも思ふてわたしは潜然と泪を流さうとするが、意気地ない心を嘲るのは他人ばかりではない。泪さへも素直には出てこない。固い誓
ひ、やさしい心づくし、それはわたしの自惚にすぎなかつたらうか。はたは、かの人の心弱さからの口ごかしであつたのだらうか。夏の海岸の怪し
い寝苦しいゆめが純なかの人をも襲つたのだらうか。わたしは悲劇の主人公となるにはあまりに現実的すぎる。わたしは楽しい夢を見るにはあまり
に心が細かすぎる。明日にでも便りを手にしたらわたしはすぐそれを机の上に投りだしてもうさつきまでの苦しさ等忘れて了ふのだが、さういふ心
を予感してこの日々を、郵便の時間を待つて来たのだが。
×
八月は倦怠ばかりではなかつた。はてしない孤獨と猜疑と、僕の男は腐つて了つた。八月の鰯のうろこを見よ。
黄牛(あめうし)のよだれかはかぬ埃り道
西瓜生々しき皮に蝿ゐる市場かな
疲れつつ御談義聞けば蝉涼し
安居會の外は杉なり蜩なり
×
山路来て桔梗すぐる風を愛でぬ
ひともとは蝉に食はるるえにす[アカシア]かな
蒼茫と暮れかかる峰を見よ。夕べの雲は立ちのぼりつつ、憂鬱の故郷のごと少年を惹く全紅に輝く落暉を見よ。たなびく紅雲 は明日への希望を指示す。
後二週日して上京せむ
ふるさとは烈しき日でりにものみな乾き、夾竹桃、百日紅、何と暑い花だらう。ダリヤはいましばらく咲くを止め、巷をゆく乙女にも美しい人達は
ゐない。秋草の花のごとく、ひとびとのゆきかふ時はわたしのふるさとを去る日である。その日をとどめよ。時の過ぎることの寂しさ。
八月十三日
櫻井──奈良
たちまちにばななのにほひくと見れば車室におうなそをたうべゐる
かまつかは畠の隅にあかかりき引手の山に虹たちわたり
坪井明
あをによしならのみやこのふたもとの松とことはにならびてゐませ
八月十四日
弘福院
堂裏の小池のひるはひつじぐさ浮葉しづもりその花開かす
佐々木恒清先生の墓 保田、坪井と、先生の長男望君。
先生のみ墓に手向けんと買ひし花の日々草はちりやすき花
み墓べに友のもちゆく日々草白きがこぼれつちにしるしも
先生の鼻ゆづりうけし中学生の望君ものを云はぬ子なりき
保田の元気と自信を見よ
この敵手を 白刃もて殺すべし 利刃いづこに
八月十五日 中島栄次郎、誠太郎叔父。
わたしの頭顱[とうろ]は雲辺にぬきんで
わたしの髪には一抹の霧がなびく
──懸崖のみやまうすゆきさうにかヽるやうに
わたしの眼は爛々として炬のごとく
わたしの脚は崩れる後からあとから形成される(「巨」−改訂)
×
ゆうぐれの鐘の後で子供のわたし達が遊戯をやめたやうに
二十の過ぎるのを惜しんでわたし達は生きることを止める
八月十六日 清徳保雄、田村春雄。
八月十七日 〃
さふらんやみらぼお橋のはしたもと
×
戰爭の紅い夾竹桃
戰爭の柘榴の実
戰爭は紅玉をちりばめ
戰爭は電閃を支配する
×
海見ゆる丘に白堊の館たててよすがら血喀くきみがかなしき
鴎らを何の鳥よと訊ぬとももの云ふならね唖の嫗は
わが容顔おとろへにけりこの秋は何のすさびに生きてあるべき
美の廃墟
八月十九日
体温三十八度七分
熱やみてわがゐしときに西空に黄なる太陽は沈みけるかな
わが疫病の熱に
白粉花の匂ひの夜──
朝顔が咲いて
むしあつい朝だ
限りない混乱に
幻と現[うつつ]が立ちかはり
風は南から吹いて
耳殻にかすかな雷鳴
庭の樹を伐り倒す音が
残酷にひびいて
一日はリロオフエの歌
さびしい たのしい
けふ丈の熱い生命を
額に手をあてて妹よ 試みよ
その後で棺の白さを
まざまざとみつめよ
臨終(つひ)の夜とおもへばかなしおもかげのくづるる後のむなしさゆゑに
わがいのちかなしくなれば呻きつつねぐるしき夜をすごさんとする
友よ女(ひと)よせめて亡き名をよびつヽもひとひふたひをいねぬがにゐよ
うつそみの空しき骸はほろぶともかそけき業はとヾめざらめやも
つひに消えぬわが悪業にとこしへの暗をしゆかむひとかなしみて
泣きいさちおらびたけべどかへるべき吾が生(よ)にあらず寂(しづ)けくてゐむ
このいのちいまいく時か在り經つつひとのおもわをせめておもへや
全田の敦子(十一才)僕を美青年と呼ぶ。
観自在菩薩行
[※8/19日より8/22迄の体温表]
二十二日
白菊や港に星の墜つるころ
津田清
焼砂に烏のおりる小島かな
嶺丘耿
流行性耳下線炎
顔腫れ 顎いたみ こめかみ疲れ 神暗みたり
二十四日
神戸。能勢、三浦、増田忠氏。
憶増田正元 十句
生き残る秋蝉さびし墓地の夕
海港の朗らに照りて百船や
秋の日は檣(マスト)の上のべにやんま
生き残る兄の手黒き秋ひでり
死にしひとおもへばくもるしぐれ空
甃路(いしだたみ)のぼりつおりつひととほき
帆船のくだけてゐたる磯の草
白狐(びやくこ)磯に出でて遊ぶ日風なぎぬ
乳母車に赤帽子のこりたそがれぬ
秋蠶(あきご)死にたえて音なき茅屋(わらや)かな
わたしは故友の兄に對してゐる。そのひとは黒い腕を見せつつ、生きてあることの尊さ巨きさを語つた。わたしたちのことば
とあそびが、かつて友を殺したのだつた。わたしたちは頭を垂れていまさらに生きてゐる自分を羞ぢた。まつ黒な蛾が電燈に飛んで来た。友の兄の
顔にその影がさつと流れる。
忽ちに死の匂ひはわたしたちの鼻腔を襲ひ、見交はすわたしたちの面貌はもはや生の血流を留めない。ああ、死の門は開かれた。地獄に咲く蒼き花
よ。わたしたちは屍衣(きやうかたびら)の用意の無いのをはぢねばならぬ。
二十六日 大阪を去る。本位田見送つてくれた。
落魄(うらぶれ)の身悄然(みしやうぜん)と荘厳(さうごん)の神(かみ)の殿(みやゐ)を放(はな)たれしが時(とき)に金色(こんじき)
の陽(ひ)わが脚(あし)をよろめかし孤影(こえい)巨柱(きょちう)の影(かげ)にまじりぬ。丹(に)の碧(あを)の彩(あや)ふたたびそ
のいろを獲(え)、わが身(み)を嘲(さげ)すむに似たり、また泪(なみだ)してゆかむとする眼路(めぢ)のはてやはるかに黒(くろ)き旋風
(つむじ)捲(ま)きおこり巨魚(いさな)のごと砂原(すな)をあげ紅塵(ちり)をたてそのしづもらむとする時(とき) 一塊(いちくわい)
の骸(むくろ)あばきいでて見(み)せぬ。さてわが身(み)かげとともにそこにとびかよひて醜(みにく)き骸(むくろ)と一つにあひにけるぞ
うたてや。
×
軍国の尖塔は緑と白と紅の光芒を廻轉せしめ、そのあわたヾしさがわたしたちを焦燥に陥れた。夜の都会のものがなしい呼吸の刹那刹那を照し出す
光芒たち。緑の光は落着いた光を、白い光は察(さぐ)りを入れる冷い光を、紅は脅かす眼ざしを発する。その中に軍国の都會は頽然と腐れつヽ、
その細胞の一つ一つを露き出す。わたしたちはせん方なげに麥精をのみ、この一瞬の、いまだ許されてあるか、偸みつつあるひとときであるかを論
ずるのだつた。
三十日 関口八太郎
麻布の兵隊たちとゆきまじりけだもののにほひ嗅ぎつヽをりぬ
兵隊の汗ばみしかほに眼のあるを見つヽををりぬこころかなしみ
坂路をあがれば開く青空のすみとほる間に晩蝉のこゑ
夏ゆけば古きちまたの石垣のしみいる光になにかかなしも
×
後園の薔薇の花を
白衣のマダムに捧げると
何とはかない詩
白い時計台を
白い鳩がめぐつて飛ぶと
この詩人たちは歌つたでせう
センチメンタル ロマンチツク
このことばの説明に
あなたたちの詩は舌足らずです
蝶が夜を截り
月が羽を落し
あなたたちの卓子は汚れますか
a K.Kitazono, N.Inui, I.Takenaka,T.Miyoshi et moi
[※北園克衛、乾直恵、竹中郁、三好達治、そして私に]
九月四日 コギト第六号編輯
秋 その他
池を廻り汀に立てば花菖蒲(あやめ)かな
海の空立つ雲わきて多ければ
秋動く白堊の樓に映る雲
童等の青雲呼ばふ時立ちぬ
恋死にてはてなき海の旅に入る
さびしければ無花果もいでもつて来な
來ぬひとを辻にまつひる風吹きぬ
花束の龍膽もあるを贈られし
庵めぐり青栗ゆるる音すなり
白蝶死にて蟻に牽かれぬ日翳りぬ
虚しくてつつましくゐる鴿[はと]三羽
遠き丘にお題目呼ぶ家建ちぬ
海さびしとどろと鳴る日人無き磯
★
ソオダ水をよぎる雲
葡萄にゐる蟻
睫毛には日の翳りの濃さが (ひる ── 夏の)
★
ひるがほの咲く砂山にひとのぼり恋を語りし日は去りにけり
砂濱にさびしく残る家なりき乙女子つどひ歌うたひしは
薄穂のなびくがごとく波頭 砕けもしるき秋さりにけり
★
丘の家に植木屋が入り
山茶花はもう蕾の準備をし出したに違ひない
冬に紅い実を着ける樹が伐られた
★
築地の方の空の濃さ
香爐の煙より細い雲
二科展の噂
ことしも草花を描くひとがゐる
★
中央理化學実驗所
フラスコに熱する苛性曹達溶液
動物の皮の焦げる匂ひ
わたしの魂を煮つめた透明液を
お嬢さん あなたに差上げませう
ヘル・ドクトオル いやらしい冗談はお止しなさいまし
さて硝酸銀は感光した
春來る海市[※小説](十二枚)書く。蓋し處女作なり。
九月十一日
L’Amour Triste [※悲しい恋]
いまの世も世に立つわざは知らなくにこひせむをのこしりぞけむとす
なにゆゑに泣くぞと云へばわがゆゑにその母つらしといひしこ[子]ろはや
ひとは如何につれなくとても汝(なれ)とあ[吾]といとしめばよしといふにうべなふ
青山の山かげの田の穂にいでて垣ほもしげきこひとはなりぬ
泣くを止めていねよといへば寢ねにけりさめてつれなき母かしこみて
九月十二日 コギト第六号校了 関口、松田。
獨逸浪漫派頌詩
一
夜の帷はややにかヽげられ
東の方ほの紅らみ
まがきの上 霧立ちぬ
園の鳳仙花(バルサム)におく露を見よや
絲杉(ツェダー) はた菩提樹に鳥ひそみ
朗らかに啼きわたり
わがこころ疲れは去りて
新しきひとひを迎ふ
黄金の飾ある馬車に
白馬はつけられ 装ひなりぬ
いざ旅立たな 窗辺なる乙女の上に
幸ひの夛かれ その黒髪永く艶やかに
その丹の頬 とことはに頽(おと)ろへざれ
石橋をとどろと馬車の過ぎぬとき
川の辺に釣糸(つり)たるる童ゐて
口笛吹くをききたり
誇らかの歌、天國はなれのものなれ
過ぎゆくに山川はうつり
丘のいくつかを越え わが車
游泥に入り わが馬疲れぬ
かくては家にあらましを
景も変りて 荒涼の
人無き磯に鳥すさび啼き
風さわぎぬ 湖に波は狂ひ
白波のひまに黒髪みだれ
妖精(エルフ)現はれ われに向ひ
叫びいざなふは
いつまでか きみが世ほこり
いつまでか かヾやかのかんばせ[顔]たのむ
玖瑰花[ハマナス]の花しぼむがごとく
ながいのちしなへむときに
燭の火のつきるがごとく
ながいのち消えなむときに
なげくともく[悔]ゆともしかじ
永遠の美のくに
水の底にいたりて
わがつまとなりたまはずや
わが腕はしなやかに
きみが腕まき
わが胸はきみ抱くとに
みちふくれむを
わが歌を知りたまはずや
わが踊りめでたまはずや
この時見しは水底より
蒼き光らんらんと輝き
その中に輪舞せるをとめを
見しが そのひとりわがこひびとに
おもかげのかよふと見たり
そは既に死にはてしひと
そのひとの奥津城の辺の
絲杉(ツェダー)はうなだれゐしを
たちまちに天の一角
閃きしは一條の電[いかづち]
妖気うせ 妖女すでになし
湖はなほもさわぎて
白波はとどろとなりぬ
わが馬はおそれし様に
車牽き狂ひてゆくは
いづくとか 即ちこれ
莎葉の生ふる流沙の原
地に這ふもの 地にひそむもの
怪しげの歌うたひゐしが
こは見るに 罪人の変化[へんげ]の相か
頭より悪血ながし
眼には泪あふれぬ
電はここらを打ちて
ひれ伏しぬ 動かずなりぬ
わが車 即ち入りぬ 光明の市
三角の柱は天にそびえたつ
これ東都のオベリスク
古の聖王の績 きざみしが
その跡ふ[古]りて誰がよみえむ
門入れば 人無き館
荒れ果てし まがきの中に
ひともとの薔薇のしげみ
遅れ咲く花の色香は
これぞこれ わが理想(のぞみ)
憧憬の青き花
處女の瞳もてわが魂を
うばひ果てたり
これ見るに泪は止まず
わが求(と)めし奇(あや)の珍花
とく手折らむと 手をふるに
たちまちくずるその花瓣
かひなしやもとの色香は
かすかなる香ひのこりて
かなしげにわれに語りつ
いざきみよ、もとの旅路へ
漂白の路に入りね
あこがれはきみがひとよを
求めむもの、たはやすく
得べきにあらず、きみが見し
わがかほばせは 天なるみ神
きみをして倦まざらしめと
大み心はかりませしぞ
汚辱に染みし きみが身を
魂のはなれむ そのとき
天つみ國の門 開かれむとき
光明 赫奕と輝きいでむ
わが本の性のままに
そのときまで いざ出でませ
漂泊の旅の長路を
教へのままに出でゆけば
氷雨たちまち降り出でて
狼は號[おら]び 虎 奔りぬ
怖えし鹿は岩角より
深き谷間に躍りしが
啼くこゑだにも立てざりき
あはれこごし峰に陽はおちむか
いま ゆうぐれの時
馬うつ鞭もしなへたり
氷雨に手はこごり 足は水漬きぬ
孤影悄然と峽路の
溜り水にうつれば
死の手 またわれを招き
わが心臓は痛く搏ちたり
そを掴まむと虚空より
荒鷲は舞ひ降り わが頭
その嘴もて喙ばむとすれば
鞭をあげてふせぐに
四体たちまち崩れて
血の雨 わが身体をおほひ
羽毛はわがのんどに入りぬ
時に天眼開け
われに語りぬ
なれおぞ[愚]の小きものよ
いのちの時来りたり
その羽毛を身につけよ
その爪を足につけ
その嘴を、その眼をながものとなし
舞ひ上り ここまで到れ
おぞの力をふるへかし
かくすれば身は輕々と ひようひようと
氷雨をつきて舞ひのぼり
人間界を見下ろせば
神の殿(みやゐ)も人の家も
わがまなしたにひろごりて
大野のはてに雲ひそみ
氷雨は止みぬ 陽はてりぬ
その晩暉の消えぬ間に
一刻早くのぼらむず
野も森も いまくれはてて
陽の下るより迅くとび
天上界に到りぬれ
ここは常世のくわし[美し]國
水晶の門、瑪瑙の扉
開けば瞰ゆる広らの國
名をだにしらぬ鳥啼けば
羽うるはしき虫飛びぬ
緑のしげみ深ければ
その静もりに知りぬるは
これこそみ神いますところ
みくらの様を拝まむと
茂みを分けば白沙に
神の姿はまた無くて
たヾ一輪の青薔薇
咲くと見るまに神痴[し]れて
たヾ影のごと体(み)を出づるに
花心こゑあり善哉と
嚴しきこゑもゆめうつつ
われ天地としづもりぬ
[万葉集]巻一
吾背子はいづく行くらむ奥つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ (當麻真人妻)
吾妹子をいざみの山を高みかも大和の見えぬ國遠みかも (石上大臣)
ながらふる雪吹く風の寒き夜に我が背の君はひとりか寝らむ (譽謝女王)
み吉野の山の颪の寒けくにはたや今夜も我あがひとり寝む (文武天皇)
宇治間山朝風さむし旅にして衣借すべき妹もあらなくに (長屋王)
山の辺の御井を見がてり神風の伊勢處女ども相見つるかも (長田王)
海の底奥津白浪立田山いつか越えなむ妹があたり見む
巻二
君が行日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ (磐姫皇后)
斯くばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを
在りつつも君をば待たむうち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに
梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りがてぬかも (石川郎女)
玉かづら花のみ咲きて成らざるは誰が恋ならめ吾は恋ひ念ふを (巨勢郎女)
わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に吾が立ち沾れし (大伯皇女)
二人ゆけど行き過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越えなむ
あしひきの山の雫に妹待つと吾立ち沾れぬ山の雫に (大津皇子)
人言をしげみ言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る (但馬皇女)
大船の泊つる泊のたゆたひに物念ひ痩せぬ人の児ゆゑに (弓削皇子)
橘の蔭ふむ路の八衢にものをぞ念ふ妹に逢はずて (三方沙弥)
丹生の河瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛し吾弟乞(こち)通ひ来ね (長皇子)
石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか (柿本人麿)
小竹の葉はみ山もさやに乱げども吾は妹おもふ別れ来ぬれば
秋山に落つる黄葉須臾はな散り乱れそ妹があたり見む (柿本人麿)
巻三
焼津辺に吾が行きしかば駿河なる阿倍の市道に逢ひし子等はも (春日 老)
亦打山夕越え行きて廬前の角太川原に独りかも寝む (辨基)
佐保過ぎて寧樂の手向に置く幣は妹を目離れず相見しめとそ (長屋王)
明日香川河淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに (山部赤人)
見渡せば明石の浦にもす火の秀にぞ出でぬる妹に恋ふらく (門部王)
高桉(くら)の三笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋哭するかも (山部赤人)
霰降り吉志美が嶽を険しみと草取りかねて妹が手を取る (仙柘枝)
輕の池の浦廻行きめぐる鴨すらに玉藻の上に独り寝なくに (紀皇女)
陸奥の真野の茅原遠けども面影にして見ゆとふものを (笠郎女)
石竹のその花にもが朝旦手に取り持ちて恋ひぬ日無けむ (大伴家持) ()
巻四
近江路の鳥籠の山なる不知哉川日のこのごろは恋ひつつもあらむ (欽明天皇)
君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸の簾うごかし秋の風吹く (額田王)
夏野ゆく牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや (柿本人麿)
珠衣のさゐさゐしづみ家の妹にもの言はず来て思ひかねつも
今更に何をか念はむうち靡き心は君に縁りにしものを (安倍女郎)
吾背子は物な念ひそ事しあらば火にも水にも吾無けなくに
庭に立ち麻を刈り干し布曝らす東女を忘れたまふな (常陸娘子)
千鳥鳴く佐保の河瀬のさざれ浪止む時も無し吾が恋ふらくは (大伴坂上郎女)
打日さす宮に行く児をまがなしみ留むは苦し遣るはすべなし (大伴宿奈麿)
現世には人言繁し来生にも逢はむ吾背子今ならずとも (高田女王)
天雲の遠隔(そくへ)のきはみ遠けども情し行けば恋ふるものかも (丹生女王)
君に恋ひ痛も術なみ平山の小松が下に立ち嘆くかも (笠女郎)
朝霧の鬱に相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひ渡るかも
夕されば物念ひ益る見し人の言問ふすがた面影にして
相念はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づく如し
さ夜中に友呼ぶ千鳥もの念ふと侘び居る時に鳴きつつもとな (大神郎女)
松の葉に月は移りぬ黄葉の過ぎぬや君が逢はぬ夜多き (池辺王)
阿胡の山五百重隠せる佐堤の崎小網(さで)延へし子が夢にし見ゆる (市原王)
月讀の光に来ませ足引の山き隔りて遠からなくに (湯原王)
倭文手纏数にもあらぬ命もち何にここだく吾が恋ひわたる (安倍虫麿)
青山を横切る雲の著ろく吾と咲まして人に知らゆな (大伴坂上郎女)
恋草を力車に七車つみて恋ふらく吾が心から (廣河女王)
夢の逢はくるしかりけりおどろきてかき探れども手にも觸れねば (大伴家持)
一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべくわが身はなりぬ
一隔山隔れるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ
巻五
巻六
巻七
妹等がり我が通ひ路の細竹すすき我し通はば靡け細竹原
春がすみ井の上よたヾに道はあれど君にあはむとたもとほりくも
道の辺べの草深百合の花咲に咲まししからに妻といふべしや
佐伯山卯の花もちしかなしきが手をしとりてば花は散るとも
あしひきの山つばき咲く八岑越え鹿待つ君が斎ひ嬬かも
暁と夜烏啼けどこの丘の木末の上はいまだ静けし
冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも吾が情熾く
巻八
九月十七日 丸、友眞、天野、松浦、杉浦、
肥下と[コギトの]配本
霖雨漸く晴れ
坂の登り降りに
ちらちらと蒼空が覗き
フルーツパーラの緑の室に
わたしの顔貌は蒼白を極めた
疲労と困憊の秋草が
わたしの脳髄に咲けば
神々は黄昏を
心からの嗤ひに吼えたまふ
×
つゆけさや龍膽の花運ばるる
×
[※ 以下5行破棄。]
九月二十三日
当世無頼調
木犀よひとしめり吹く秋の風
木の草の実りはかなき葉のしたに
にはたづみ乾きてあつき空の蝉
×
わがものぐるひはいつの日か
×
おしろいのにほひ木犀のにほひ
ひるすぎのラヂオは玄冶店
つまらぬ小説でも書ければ
暢気でいいのですが
むらさめにぬれて巷の女見る
赤き銭てのひらにのせ嗅いで見な
銅銭の一つ二つのこるうすさむさ
銅銭もあまさずなりしひるを眠る
酒の香や隣は菊の初花賣
秋の魚 乾魚は魚のうちならず
空とぶや酒のさかなのみそさざい
衣賣らむ本賣らむ海に遠きひる
秋山の木の葉にともる灯の青さ
à T.Hige
金借らむすべは知らねば紙衣[かみこ]着る
九月二十六日 中華辺境兵漸繁
戰爭
一
青服の驃騎兵たちは喇叭を鳴らして夕日の長城を出て行つた
城門の傍の泉に椿が二三輪落ちた──
二
夕陽に尾振る馬を灌ふ兵
吃飯する兵
喇叭を稽古する兵
子供がそのまはりに二三人
三
早朝屯営を出発したらしい兵が二中隊ばかり
小川の辺で憩んでゐる
やがて隊長らしいのが立ち上って
中天の日にま[目]かげをして空を眺めた
中央亜細亜の鷲が舞つてゐるのだ
四
莎草の中の死骸が一躯
銃聲が一発すればつヾいて反響のやうにどこからかこたへる二三発
中天の日はしばし翳る
五
炊爨[すいさん]車に烏がとまつて啼いてゐた
青服の死骸から蝶が舞い上つた
十月三日
戰爭 つヾき
六
鴆[ちん・毒鳥の名]に遭ふた将軍は鸚鵡の籠の前で吐血した
明け方ひとびとは鸚鵡を撲殺した
鳥は羽をふるはせながら最後まで将軍の苦悶のこゑを叫んだ
十月八日
遂に晴れぬ邪念もつ身はよるふけの秋風の路をゆきにけるかな
東京の並木のみちをさみしみと酔ひつつゆきぬ木々は揺れつつ
しばしだにもだしてあらば泪おちむ犬にも似つつ吠えてあるかも
竹の葉にをとめの衣はふれにけりおとなのをとめ見ればかなしも
齒をやめばこの秋風は寒けしとよるさへ更けて月傾きぬ
ゆうぐれの乱れゐし雲いづべかもいたむ歯おさへ文よみにけり
街燈は青く光りてゐたりけり病む身を寄する幹のつゆけさ
鐵のてすりのさはり冷けば菊咲く秋ともなりにけるかな
あかあかと花咲きたればをとめ子ら叫べるこゑは空にふれける
此の世にも生きにくくなり生業(しごと)もたぬわれらすら嘆く晝を怠けて
さ夜ふけとよふけの月は陥ちゐつつしどろの足を見ては嗤ひぬ
十月十一日
保田の下宿。
槻の樹の幹白々と光りをり小路を白き猫歩みけり
秋ふかきコスモス咲ける家々にラヂオかたりぬわらべあそびぬ
十月十三日
レンズの世界を恐れよう
歪曲した脚と鼻と
この世紀は細身の洋袴をはき
大きい頭のやり場に困憊してゐる
×
冬の季節は枯草と焚火
雪は吾党の家に積り
風は吾等の足をはらふ
十月十四日 保田與重郎と石神井へ
三宝寺
天人の裳裾は二本の脚を見せ
その眉は長く眼は潤[ママ]く
牡丹の唐草 葡萄の蔓
梵鐘の余韻は柊の茂みにしづもり
象の牙と鼻を哄[わら]へば
「普陀落や燕の鳥もはや去にし」
× 石神井池
鳰[にお・かいつぶり]の巣や睡蓮咲けば隠れけり
水草に遊ぶや鳰のこゑたてて
石神の祠に寒き朱[あけ]の色
とりどりに冬の實結ぶ小藪かな
茶の花やとしよりて後見まくほし
紅葉にもなるべき相や椿の樹
×
ゆるやかに大地(つち)の傾き起き伏しの武蔵の野辺は大根作りぬ
野に出でてうすらくもりを働けるひとびとを見れば勉むると思ふ
× 僕はトルストイを讀んでゐた
わびしらや大根畑の立ち尿[いばり]
沼中に骸くさるる鳥獸
鶇啼きつれ立ちおちぬ森邃[ふか]し
薄野のかぼそき路は絶えもせよ
薄野の虫啼くあたり焚きつくさむ
柿の實を吊してありし土間暗し
×
僕の肋骨は洋燈をつける。宵々毎の蒼暮の時に。
僕は近づくひとびとを近視の眼で瞶める。牡蠣にでも似たと人は云ふだらう。
僕はカメラの焦点をわざと外す。ああ、ひとびとは凡て眼を、鋭い発光器を持つてゐる。
僕の肋骨は羞ぢて燈を消す。空の暮れ果てる時に。
カンナの花がまだ残んの光を放つ時に。僕はそれをわびしいと思ふ。
十月十五日
本日傳聞す。伊藤健二郎氏十一日三時三十分永眠し玉ふと。
悲雨の中をお酒のみにゆくも些か故人への贐けなりと。同行丸、天野両君。
松茸や柚酸つぱくて喫ひにけり
柚の香や厨にふきこむ雨冴えて
菊匂ひ佛名いふも泪なり
お供への花散るくれや新佛
喪主の衣はつかに白きゆふくれや
小竹の弟武君もいまは逝き名なしとかや
松原に球とるひまをほのえみしわらべの子ろはいづちゆきけむ
十月二十二日 Y[※悠紀子]旅行
丸と散歩。
皀夾坂から見た神田は曇り
飯田町の汽車の煙り
靖国神社はお祭りで
桑畠の夕ぐれ迷ひ雀かな
さいかちは伐られて車通ひけり
禾本[かほん]科の雜草ふみてつかれゐる
十月二十三日
霧のシレエネよ [※Selēnē:月の女神]
泡沫のアフロデイテよ
生みの母親よ 甘き乳房よ
冷い白い肌膚にとりすがれば
意識の流れにその汁液は混る
十月二十四日 昨日は春山行夫氏より「文学」に執筆依頼ありき
井の頭へゆきし
蒼靄はすすきに流れまとふめり 杉浦正一郎
黄櫨[はぜ]もみぢつめたきいろに霧ふりぬ 相野忠夫
ゆふみづやしろじろ光る時のさま 室 清
幹毎に鳥啼くゆふを葬りかな 松田 明
黍殻のもゆるもかなしうすけむり 後藤孝夫
秋ふかき茶の花もちる垣墻[かきね]かな
野の果の白き館のわらひごゑ
野路ふかく人住まぬ様の館かな
つたもみぢ荒れたる宿のけむりかな
ゆふぞらに鳥落つ木末射しにけり
うきことをかたらはむひとも住みしさま
芋抜くやここは武蔵の吉祥寺
芋の葉にこよひの月はくもらなむ
細みちや友四五人にくれかかる
★
Oh,Chanteur des rues[※ストリートシンガー]
青銅の女にわたしはこひをした
わたしの胸の花は夜ひらく
ほつほつと音たてて そのひらくとき
わたしは唇を歪めて咳[しわぶ]く
わたしの胸に塩水が湧く
ああ 虫のこゑ イレエヌよ
おまへの青銅の眉に
おまへの青銅の頬に
むらさきいろの霧がふり
わたしの唾液はねばつこい
こん夜も星空は見えぬだらう
★ Atlantide,(Herrin von Atlantis) [※アトランティスの女神]
わたしの脚は流沙を踏むに適し
わたしの瞳は幻影(イメエジ)にまどはされることもない
莎草(かやつりぐさ)は日中に枯れ
弘法麥は根を千尺の地下に張る
わたしの骸は砂がおほふであらう
わたしの霊魂は海市の殿宮に入るであらう
たヾわたしのせつない感傷は
流沙の原に 颱風の中に
はかない月影を索めてやまぬ──
搖蕩とまた眩暈が襲つて来た
★
わたしは迄北[いほく]の人民です
漢の長城はわたしを塞[さえ]ぎります
わたしは紫髯緑眼の徒です
わたしの笛は漢の公主を泣かしめました
公主の寢園をごぞんじですか
わたしの笛は緑の芽をふきました
春を はこやなぎの澤を
新しい公主の輿[こし]を迎へに參ります
長城の南の雲をごらんなさい。
★
あはれゆふべはたヾひとり
ほのけき煬[あかり・ともし]にむかひつつ
ふみかくときぞたのしけれ
「きみがふむ京(みやこ)は土のしめりかな」
むらさきのくもにしにたち
ふじのたかねもかくされぬ
ゆふづつ[夕星]ひかれ すすきのに
「秋山や茸(たけ)くさりゐて路つきぬ」
はるかにともしひかりいで
林をまとひ きりたちぬ
ながれてしろき野の川や
「きみがたもとちまたちまたにひるがへれ」
つきさへいでぬきみがまみ
うかべるくもは きみがぬか
ふたへまぶたを思ひ出(で)ば
「ゆく秋や名しらぬ花もすがれつヽ」
わかれはかなしときのまも
とはにわすれじきみが言
なさけはあつくちはあつし
「ふたりしてつむじの雲をみむ日かな」
Ce n'est pas vrain!
C'est ça!
C'est comme ça!
[それは真実じゃない!
それでおしまい!
そういうことだよ!]
★
やちまたの京のちまたにたちなげき山ゆ下り来る霧にゐたまへ
わがをとめ雲居にありて菊の香のながるる街にわれおもふとや
音羽山陶器竃(せとものがま)にたつけむり紅葉のこずゑおほふころとか
十一月一日 英子といふ女に惚れた。
ゆふぐれ
ころころと子供等は喉からラムネの玉を吐き出してゐる
木の葉のさへずりを聞く
半ば虧[か]けた金星(ヘルペルス)が坂道を駈けて降りて来る
十一月二日 ポーリンといふ女に惚れた。−深夜−
巨きな犬達がつるんでゐる
啼く声は森閑とした街に怒濤の様にひろがつて行つた
×
毎夜ここまで来ると僕は排尿する
アフロデイテの様に白い情緒が一筋枯草にのびてゐる
×
參星は森林の上で見つけられる
友達は骨を生じた
ああ 花は骨片のやうにカラカラと音たてる
×
肋骨のついた軍服の胸を張つて
僕も女を斬らう
城壁の様に厚い胸を剖いて
白い鳩を飛ばしてやる
×
水龍骨と蜥蜴とを
天琴宮にけあげて見よう 宝瓶宮(アクエリアス)
リルリルと鳴りひヾく
わたしの咳をひとりで聞く部屋の窗には
霜の花が咲いた
まるでおまへが純潔かのやうに
十一月六日 竹内好氏
菊作る女に道を訪ねた
金色の実の多く実つた樹
曇り空が動いた
白い雲に 日は暮れる
灰色の林がうすれる もう見えない
×
ピアノをひヾかせてたのしげな館々
海は鉛のいろに動かず
ガスタンクの辺に煙はのぼる
力の無い世紀
ああ たのしげだ
×
目白鳥(めじろ)来(く)る館(やかた)に早(はや)し冬(ふゆ)の花(はな)
時雨(しぐれ)して茶點(た)てむ友(とも)よ早(はや)も来(き)ね
十一月十日 原田淑人先生と漢代漆器
棺槨[かんかく・ひつぎ]をあけると無残、若い女の骨骼が三体積み重つてゐた。その歯は雪の様に白く、膞骨はしなやかであつた。足許に漆の
朱い器があつた。開くと青銅の鏡、リボンも故のままに、掛蓋をとれば白粉、嚥脂、(鬢油)澤、笄、櫛、白粉、刷毛と銀の鈴が一ケ、女の子の可
憐さを想はせた。ああ、漢の文化は骨となり果てた。この漆器も明日となれば木乃伊[ミイラ]の如く萎へるであらう。
十一月十二日
鬼澤一男の遺稿集
十一月十四日
アダムとイヴこの方ためしのない大暴風雨の夜となつて
人つけの少い乗合に老紳士がのつてゐて
臘の様な涙が鬚まで傳つてゐた
×
鳥達は僕の窓に打ちつけられ、窓框に
その羽毛が一杯につもつた
朝 僕はそれを掃いた 泪を流して
×
僕は肺臓までしみとほる咳をした
雨音が一時とぎれた──そのひまにも一度咳をした
眼の前で鬼火が螢の様にとびかうた
傘にとまれと歌つたらよかつた
十一月十五日 コギト校了
死ぬべし、忿怒相のまヽに
女の子は馬鹿なり、年老つた女は厚顔なり
愛する女なんて嘘だ
下宿をかはらう 忿怒相のままに
火鉢を抱いて 詩を泣くべし
引三円六十銭也。
十一月二十七日 二、八三
運送屋(丸二) 一.○○
改造(芙蓉堂) ○.五○
散髪(ハイカラ軒) ○.五○
切手(父へ) ○.○三
急須、茶碗(高島屋) ○.二○
灰皿 (〃) ○.一○
茶瓶 (〃) ○.一○
盆 (〃) ○.二○
足袋 (〃) ○.二○
十一月二十八日
原稿送料(清徳氏へ) ○.一二
十一月二十九日 ○.八二
引五円十二銭也。 計八円七十二銭也(十四円二十二銭也)。
切手(島へ) ○.○四
バス(阿佐ケ谷−高田寺) ○.○五
ほうじ茶四半斤(〃) ○.一八
バレー剃刀刃 (〃) ○.二五
仁丹ハミガキ (〃) ○.一○
スリツパ (高島ヤ) ○.一○
チリ紙 (〃) ○.一○
十一月二十七日
中野区鷺宮一丁目二六八 仙藏院に移る。
ここは阿佐ケ谷より三十分の地。窓を展れば墓地なり。
以歌代日記
鵝鳥啼くこゑきこえゐぬ南天の朱ら実枝垂る枝に向へば
墓原のしづもりふかし遠方に秩父の峰の雪光る見ゆ
ゆふぐれて時雨のあめとなりにけり 手足かはゆし時雨冷たければ
風呂に立つわが脚下にころべるは耳あてヽ聞くラヂオなりしか
据風呂にシヤツ脱ぎたれば寒しと思ふしぐれの雨は氷雨となりし
かやぶきの庵をぬらしひそひそと時雨ふる夜をしづこころなし
×
はしけやしをとめゐる家をわが去るに 門に立たざりしそのをとめあはれ
をとつひときのふのふたひわがひざになみだなきゐしそのをとめあはれ
いとしとてわが抱くときにおのづからまなこにあふるものならしなみだは
×
あはれ琴抱きて
杉吹く風に彈じなば
朱実熟(な)る樹の並木道
わが庵と[求]めてをとめ来むかも
十一月二十八日
朝、電車の中でふしぎな女の子を見た。年は十五六、女学校の一二年生なのに、疲れた敗頽的な顔をして、長い睫毛の下では瞳が憶病さうに覗いて
ゐる。顔に雀斑[そばかす]があつたつけ。
十一月二十九日 ─ヘルマフロデイテ─ [※両性具有神]
富士の峰に湧き立つ雲は鷺の宮の林のなかに詩とならずけり
朝日子は遠き屋並をてらしゐぬ こころ足らひて縁に出でゐるも
澤向ふの福藏院の森あかく朝日の照らす朝霜けぬがに[※消えてしまいそうに]
世にひとに捨てられつつもこの森にいのち生きなば なんをか云はむ
十一月三十日 三.八九 (十三.三銭)
バツト ○.○七
中国社会史(文求堂) ○.七○
台湾の租佃( 〃 ) ○.四○
インキ(丸善アテナ 三省堂) ○.二四
ノート(〃) ○.一三
飯(第一食堂) ○.一五
茶(森永、稲垣太郎、天野二君)○.五○
菓子(杉浦) ○.二○
食費(四日分) 一.五○
十一月三十日
すがれた菊はかすかに匂ひ
夕日は篁を紅く染める
大根畑に犬が餓えてゐる
昔、余、大梁ニ登リ。西南、洪河ヲ望ム。時寒ク原野曠ク。
風急ニ霜露多シ。仲冬、正ニ慘切。日月、精華少シ。
落葉、縱ニ起リ。飛鳥、時ニ相ヒ過グ。廣川ノ陰ニ搔首シ。
歸ルヲ懷フ。思如何ゾ。常ニ初服ニ反ラント願反フ。潁水ノ阿ヲ閑步ス。(梁・江淹──效阮公詩)
蒼茫トシテ歲晚レント欲シ。辛苦ノ客方ニ行ク。大江靜カナレド猶浪タチ。扁舟獨リ且ツ征ム[ママ]。
棠ハ枯レ絳葉盡キ。蘆凍リテ白花輕シ。戍人寒クシテ望マズ。沙禽迥リテ未ダ驚カズ。
湘波各深淺シ。空シク歸情ヲ軫念ス。 (陳・陰鏗──和傳郎歳暮還湘州)
十二月一日 (十四○.三三)八.三三(十三二.○○)
バツト ○.○七 ((一)○.六○)
玉子丼 ○.二五
肥下に返す 三.○○
松井小母に返す 五.○○
十二月一日
今年の花は皆咲いて了つた
わたしは陶器に夏の花を描く
澤に小鳥が陽を浴びてゐる
★
うめもどきの朱さ
常磐木はいよいよ黝ずみ
わたしの僧房は晝も燈を灯す
凍つた蛇が天井から墜ちる
十二月二日
テアトルコメデイ、戸川秋骨、松井松翁、飯島正、中村正常、太田咲太郎、岸田国士の諸氏。
佐々木三九一、重三、益子、池田、天野の諸兄。 タカラヅカ──大森
竹中郁の「象牙海岸」失ふ。
十二月九日 服部とボストン。KANAMORI
Blanc et Noir[※ 黒と白]
黒い三角 白い丸
かみしめれば薄荷のにほふハツカ紙を
むかし かみしめかみしめ 味なくなつたを嘆いたあの心
口の中でとけてあまい チヨコレート
ウイスキーの一しづくも入つて
十二月十一日
アナムネーシス
Reiner Maria Rilke
et á Y. Okizaki[※中島栄次郎]
三月 わたしは諸種の花の種子を蒔く
雲雀がなく 私は思案する
わたしの死んだ母を知る老嫗が来て云ふ
「あなたのおつ母さんも花が好きだつた」と
八月 わたしはわたしの花を見る
黄や紅や藍や 太陽の日時計の文字となつて
わたしは繪をかく こゑで繪を
おつ母さんのいいこゑを思ひ出す
十二月 わたしは酒を酌む
荒海のやうに わたしの体内にいろんな血がわきかへり
わたしは夛くの叫びをきく わたしは昂然となる
今一つが「おまへの父がさうだつた」とささやく
ああ 父よ母よ 眉をひそめ こゑをふるはす
ああ 灰になりたまふた 遠い御先祖様よ
ああ 放蕩もののわたしの 御先祖様よ
★
あの手はわたしの腰を纏き
あの足はわたしの足を挾みました
だけど聖母(マリア)様 妬忌(ねた)まないで下さい
あのやせつこけたとげとげの四肢が
わたしに滑つこかつたわけを御存じですか
わたしは始終あなたをおもつてゐました
あのいまはしい時間中
★
硝子の樹をへし折つて
あなたの襟にさしはさまう
クリスマスの日にわたしの贈物と
佐藤竹介君にあふ。詩を上げる。
阿佐ケ谷へ
★
月は雲の下へ下りてくる
わたしの冬の星たちよ
わたしの部屋の蝋燭よ
おまへたちはわたしより暗い わたしより
冬の外套の褪せたわたしより
ヴエーヌスの讌[うたげ]
わたしのために白い卓布がしかれ
わたしに銀のさじも置かれた
わたしの椅子の紅い天鵞絨[ビロード]
わたしは黒いネクタイをしめ
おづおづその場にまかり出たが
客人達の様子におどろいて
またもわたしの洞窟にとぢこもる
シユミーズも穿かない貴婦人方
ズボン下一つの殿方
ああ 外は寒いのに
乞食達よりも行儀の悪い格好で
一体何のお料理だといふのだらう
★
固いCatelette 塩のききすぎたSarade
熊たちにでも喰べさせろ
わたしの潔癖は飢をも却ける
わたしが喰べたのは好奇(ものずき)でしかなかつたのだ
わたしの潔癖に歯をガチガチならさせて
十二月十二日 徹夜校了
十二月十三日 高輪芳子心中
索漠とした死の曠野を
あなたはひとりで行く
世紀の險しい峽を
僕もいつ心[一心]に攀ぢてゐます
月夜の雲は虹色の輪郭をもち
高くで 羊たちの様に啼きかはしてゐます
死の痩せたカサカサの手が
あなたの髪の毛を掴むところを
僕はあの『紅い風車』でしたやうに
フツトライトのまだ下で見てゐます
★
袋もあるのに まだ皮をつけてゐる蜜柑の様に
こひびとがいくらあつたつて一人のシエーンハイト[Schönheit:美]のなくなるのはかなしい
その美しさで僕の心をくるんでおきたいのだ
★
あなたはまだ十八です 子供です
大人染みた思案は止しなさい
あなたのそのしなやかな肩で
何のやうな苦しみを擔つたとて
荷物の方がずりこける
そのなめつこさをあなたは肩に持たせなさい
★
西方(さいほう)の黄(き)なるゆふぐれとなりにけり秩父嶺(ちちぶね)に雲(くも)たヾよへる見(み)ゆ
秩父山(ちちぶやま)ゆふ日(ひ)にかすみ死(し)ぬひとの夛(おほ)き冬(ふゆ)の日(ひ)またくれむとす
きそ[昨日]のよる月(つき)におぼろと見(み)えたりしちちぶのみねはひるもかすみぬ
あかあかとすすきにかたむき日(ひ)はおちぬ鴉(からす)しばしば啼(な)きにけるかも
みはしばし仙藏院(せんぞういん)にとどまりてゆふくれごろにひとをこふるも
うしろより日(ひ)にてらされて秩父嶺(ちちぶね)になびくうすぐもほのあかるかも
十二月十五日 《文学》にポエジーのはじめに出る。
十二月十六日
あなたの頭で了解することを
わたしは心臓で知らうとする
あなたが心臓で書くことを
わたしは頭で書かうとする
★ 記憶
またけたたましくわたしの中で記憶の鸚鵡が啼く
わたしの眼玉をつヽき出さうとするのは明りを求めてゐるからなのに
わたしが一寸暗示を与へるとすぐ啼き止む
可哀さうなわたしの記憶、おまへのうすやみに黄金の虹をいまにかけてやるよ
★
おまへの流れる黒髪の川
おまへの鍾乳石、おまへの鳩穴
おまへはわたしを廻(めぐ)る、おまへはわたしに合流する
おまへよ、おまへよ、月かげの下の谿河よ
★
月光にてらされて 夜目にもほの白い不二の山
雪は吹雪となつて頂上の嵐に狂つてよう
ここ 風呂のしまひ湯が石けんの香をなつかしく流す野原を
ぼくは女の子の体温をかかへてかへつて来る
★
船は疲れて芦の間に纜[ともづな]をおろした
飛び立つ夜鳥
甲板のわたしの髪に霜がおりる
わたしはまどろみゆめ見る 金の星が墜ちると
★
構橋にひとがのぼる
わたしに青いコツプをもつて来る少女
《おたつしやで》──コツプには金星がとけてゐた
十二月十七日
河々の薄氷も固まつた
犬を目がけて海東青鶻[はやぶさ]は矢の様に墜ちる
昔の遼の天子の金冠をぼくは見つけた
おまへの歯ならび──そのやうに國境の山々はみつめさされる
★
春ごとに公園の白梅が咲き出すと
ぼくの知つてゐる囚人が牽かれてゆく
「旦那 もすこしだけ世の中を見させて下さい」
頬の汚れた子守女たちがかれの世界に来て坐る
★
子供たちは喉のおくまで見せて聖歌をうたふ
避雷針にとどまる星
ぼくの心臓で鐘のひびきがおさまる
ベツヘルムも眠つたころ──石ころ道に霜がおりてる
★
星明りはぼくの影で消える
かれらの指し示すは知慧か破綻か
ぼくは流れる夜気に見る──虚
しづかな夜にも迷つた鳥たちがぼくの上にとまる
十二月十九日
舗道の旋風(つむじかぜ)に日はくれる
街燈の円弧に白い犬がゐる
★
たのしく女の子は大きなリボンをつけた
蝶々だよ、まあ毛蟲だわ
リボンは僕の喪章となる
★
黎子はバラを植ゑてゐた
《どんな花が咲き出すか知れやしない》
ぼくは指を立てヽ脅すまねをする
黎子はもう泣いてゐるのだ
★
本郷通りをボンネツト[※帽子]着た女の子がゆく
眼蓋をまつ赤に泣き腫らして
ぼくはシネマのビラを拾つてゐた
★
天花[※雪]は半時ばかり現[み]えてゐた
弟の手はひどい霜焼だ
にいちやん おさかな
氷に木の葉がとぢこめられてゐた
★
縄飛びしてゐる女の子ら
てんで縄になんかとどきはしない
逆立ちしてゐる黎子をぼくは睨めてやつた
逆さまの顔で笑つて見せる
起ち上がつても笑ひやまない
にいさんの顔つたらありはしなかつたわ
★
玻璃のなかの匂ひ菫
紅と白と緑のボンボン
黎子 Xマスの歌をやつて見な
此の子はマリア様を信仰してゐる
子供のくせに
藤澤古實『國原』
吾等ふたり夕山道をたどり來ぬかなかな蟬は鳴きてわびしも (歸郷漫吟) 大正三年
ま日照らふ峽間に動く雲あはれ一人來につつ母をおもへば
山ふかく時雨の後(のち)の一つ星天のおくがに光りそめつも
十字路をよぎらむとする草の車電車もならび過りたるかも (青草車) 大正四年
日の光しんとしづけき倉庫河岸南京豆が零れゐにけり (梅雨上り)
草刈ると馬に乗り入る山ふかく遠雷(いかづち)を聞きにけるかも (夕立)
ひさかたの空晴れわたる山の原はるかに馬の嘶きにけり (草刈り)
ま日暮れて家路をゆけばひむがしの仙丈獄に日かげのこるも (箕輪村) 大正五年
わが母の青雲山の靈どころ笹鳴りさやぐ夕暮れにして
夕ぐもりひくき空より霰降り峽の沼田に鴉くだれり
杉むらを木ぶかくとほす日のひかり春蘭の花開きたるかも
亞鉛(とたん)板塀にかくまれて咲く姫椿 春雷とどろ轟けるかも (三峰山)
砲兵工廠の土手の青草のびゆけば夏はととのふ上富坂町 (上富坂町)
生業(なりはひ)の車とどめてうつつなし人馬はねむる坂の木蔭に
三日月のかたぶきかかる林間に鴉みだれて寢ねむとするも (林間群鴉)
月しづむ吾がまへに鴉ちかづきて羽習大きく過ぎにけるかも
三日月に渡る夜鴉鳴きながら林の闇に入りにけるかも
道ばたの塵芥(あくた)車に群鴉くだらむとして羽ばたきくだる (三菱原小景)
試験にてせはしきときに春雷の雲のうごきを吾は見てゐし (春雷)大正六年
眼ざめゐる一人に遠く鳴くなれば朝さみしき蜩のこゑ (ひとり)
ひとりなれば或ひは安しひぐらし鳴く夕の庭に犬を呼びをり
林間に夕日うすづくしばらくも小鳥はしげく鳴きにけるかも
紫はこまやかなれや日はたけて草生にまじるうつぼ草の花 (うつぼぐさ)
潮の香は呼吸におもたし夕浜に暮れ沈みたる竹煮草の花 (竹煮草)
美蔫(みすヾ)生ふみ山くだれば芒原ふみかたまれる道筋つヾく (箱根山)
日はすでに山より高し立枯れの草にまじりて鬼薊咲く
土荒れて日ごとに凍(し)みる岡の村こころに寒き空きはみなし (櫟と土)
雲雀鳴く河原ひろびろしいく藪も日にひかり咲く野茨の花 (寒土)
木下道ゆふべ小暗き梅雨ながらしきりに落つる白樫の花 (梅雨時)
鳴く鳥は身近きからに吐(つ)く息の氣づかぬほどの歩みかなしも (泥濘道)
富士が嶺の雲につヾける伊豆の國太平洋に突き出だしたり (富士登山詠草)
天ぎらし南風(みんなみ)吹けば富士が嶺の山北の國は雲とざしたり
雨ふくむくもりはひくし岩山に夕かげゆらぐ虎杖の花
よぢのぼる岩山肌にさ霧降りあゆみにふるる虎杖の花
眼のまへに霧降りおろす裸山土にうづまりて鬼薊咲く
燒土の山路に咲ける鬼あざみ根もとの厚葉土にひろがる
刺とがる厚葉のうへに落ちたまる花粉うるほふ鬼薊の花
山の間にこもる湖 西開き夕日しづみていまだ明るし (富士裾野)
一人ゆく青木が原の朝ぐもり遠く懸巣の鳴きごゑこもる
カンテラの光ひろがる窖(あな)ひろし岩床くぼく水たたへたり
空たかく夕雲わたる萱原のくぼみに水のたまり光れる
富士が嶺のくもるゆふべは湖の磯にあげたる舟に波うつ
栂の木の繁り葉とほし降る雨の響きひろがる暗き林に
夕空のくもりしぐるる山の道笹の細根に歩みつまづく (豆相旅行)
潮ひびく岩崖したに揺らぐ舟切石つむと人のちひさき
落葉松の冬枯れにける山ちかし木立のなかを通る道見ゆ (箕輪村) 大正八年
もらひ來し佛手柑二つしなびたり移り來ていく日こと手につかぬ (ひとびと)
籠居の窓べ明るく咲きみちて一日露もつ紫陽花の花 (むらぎも)
音もなく海へながるる引地川水底あさし砂の流らふ (相模海)
松の間に夕かげうつる水銹(みさび)田の水の面明るし蛙鳴きあふ
隠沼のゆふさざなみやこの岡も向ひの岡も松風の音
命たちて肉體(からだ)は土にくちぬとも吾が爲(せ)しことはぬぐふべからず (むらぎも)
夜鷹鳴く山のいただき明るめど月の出おそしこの谷かげに (桐澤山)
つぎつぎに背戸に咲きつぐつはぶきの花をうづめて落葉つもれる[藤澤にて]
海の荒れつひに砂地を乗り越えて磯の窪地に潮流れたまる (砂浜) 大正九年
凄(し)みゆるみ大地おちつく春ちかし畑原とほく雪山ならぶ (村と涙と吾)
藤のつる通草のつるとからまりて花咲ける藪川ばたに高し (春)
花あせて青葉となりし木苺のさゆらぎやまず雨上がるらし (元町の宿)
茂りあふ土手草の底に水うねる濠をはさみて蟬ひびき鳴く (白晝道)
夕されば木曽の山脈かげをなす伊那の國原遠くつヾけり (伊那谷秋望)
しづかなる上野の森の秋ふかし鳥獣の鳴かぬ日はなし (美術學校花園)
足もとの雨霧はれてましたなる峽間はふかし細き山水 (駒が嶽登山) 大正十年
日の光あらあらしもよおしなべて巖むらがる嶽のいただき
天つ日の照れる寂かさやたたなはる山脈のうねり四方につヾける
たまさかの音こそよけれ晝ふけて檐(のき)ばにふかく鳩こもる音 (初冬)
朝日さす山上の霧にこゑかなし子をつれ歩む雷鳥の聲 (鹽見嶽頂上)大正十一年
ひむがしに夕暮るる富士や吾が立てる赤石山の陰のびにけり 243
この朝い行く野道に時雨ふり一つ小走る犬あはれなり (代々木原)
日ならべて日は澄みながら北空のしづめる色は時雨なるらし
冬籠りけながくなれば山脈の日の入り処北へ移りし (信濃に歸りて) 大正十二年
春ふけて田の朽株の見えぬほど摘菜ま白く咲きにけるかな (春ふけて)
日影さす櫟林はあかるけれ羽音をたてて飛ぶ鴉あり
朝開きゆふべ閉ぢあふ合歡の木の葉にやうやく花の見ゆる頃かも (朝まだき)
檻に住む鳥けだものも暑からむま日なか獅子の啼きとよむ声 (上野にて)
つぎつぎに地震うちふるふまにまにも草原なかに蟲なきにけり (震災歌)
大川の上潮どきと浮かび來る人のかばねに犬もまじれり
丘の上に焼けし銀杏の末[うれ]たかく頬白なきて秋くれむとす
代々幡の堤にのぼれば雪見ゆる秩父につヾく上野の山 (晚秋)
落葉松の若木の落葉おそくして小雀(がら)むらがるこの山日向 (十一月歸郷)
さ夜ふけて月の光に吾が越ゆる山の生物寝しづまるらし (休暇を得て歸クす) 大正十三年
春あさき岡の枯生に日あたりて黃色目に立つは蕗の薹かも
日のもとにひときは黄ばむ竹叢のなびくを見ればあはれ春かも
大砲の音ひびきわたる高原にしばしもやまぬ蟲のこゑかも (富士裾野)
月讀の光のもとに横たはる箱根の山にすがし笠雲
八千草の素枯に向ふ高原に松蟲草はまだ咲きにけり
渡津海の音やこもらふ九十九里の浜べの曇り沖につづけり (九十九里浜)
落葉松の木ま枝うつり日暮まで山の小鳥のあさる声すも (澄心寺多居雜詠) 大正十四年
山門より傾斜のゆるき雪野道この寺をさして人の来る見ゆ
夕谷の雪や明るき群岩を飛びうつり遊び夢かとぞ思ふ (木曽遊行詠)
朝はやく小學生徒つづき來る木曽街道は深き谷道
雲動けばうごくとなげき日のさせば眉根開き言ふをとめなりけり(故山早春[折にふれて])
山ざくら山梨の花黄山吹この山道をとはにゆくなり (父を葬る)
五月雨の雨間ともしも夕明り水蠟樹(いぼた)の花の白くこぼるる (夏くさぐさ)
昭和七年十二月十九日二十日抄出
十二月二十二日
雪は天から素馨花(ジャスマン)の匂りをもつて来る
鐘のひびきはわたしの瞳に金の幻をくりひろげる
★留置場
暗い光の中で蒲公英[たんぽぽ]が對になつて咲く
光を待ち受けて自ら光を放つ
★高円寺
橄欖(オリヴイエ)の樹にわたしの幻はかヽり
さぼてんの花は此の街を濶歩する
絲杉の青さ、柊の實の赤さ
★
金牛宮の牡牛の瞳は怒つてゐる
どこの牝牛のせゐでせう
軛き[くびき]にわたしは綱をかける
水晶をつないだ念珠、その冷さ
★
棕櫚の樹の傍でわたしの眼は瞠(ひら)いた
生れてはじめての日の光
キラキラと泉に溢れるは生命の水
棕櫚の幹にわたしは新しい感觸を加へる(パルテマイ[※聖書中の盲人]の話)
★
魚たちは金の鱗をもつてゐる
けふ いちんちわたしの手は腥(なまぐさ)い
わたしの網の大穴を天使は繕ひたまふ
窓の外から星といふ光で (旁羅[マルコポーロ]の話)
十二月二十三日 松浦帰郷、蠣の家。丸、友眞。
その朝わたしが食膳で割つた鶏子(たまご)は落日(ゆふひ)のやうに紅かつた
ゆふ方わたしは隻脚を失くして運ばれて来た
わたしの隻脚が淋漓と海アネモネの花を染めてゐると確信して
★ 中華人大氏の失踪について
満州國瀋陽省海甸縣人、大氏をそのゆふ方までわたしは、彼が五色の蛇を呑みこんで銀色の大刀を吐き出す鮮やかな術の場面を、海盤車[ひとで]
座のフツトライトの下で固唾をのんで見まもつてゐたのだつた。
夜半ゆきつけの酒場花骨を出て来ると號外が来た。大氏の失踪について特大號の見出しで。わたしは愕然として煙管(パイプ)をおとした。その琥
珀の管は凍てついた煉瓦の上で粉微塵、わたしは不幸を生まれてはじめて感じた人の如く蹌踉とタクシーを命じた。
気がつくとわたしは外套のままアパートの自分の床にねむつてゐる自分を見出した。
棒のやうにわたしの脚は痺れてゐた。多分大陸産の蝎がわたしの脚を這つたに相違ない。わたしは今更故郷の父母たちに音信を欠かしてゐることを
自責した。水道の口が口許まで延びてきた。
そこでわたしは部屋を去る。鞋子(スリッパ)が婦人用のになつてゐた。その外に何の異事があり得よう。煙管がわたしの口に戻つてゐたのだか
ら。
わたしはいつか御濠端を歩いてゐた。足取りは確乎たるものであつた。輕気球が揚がつてゐた。空はよく晴れてビルデイングたちが其處から懸垂し
てゐる。わたしは広告の文字を讀む。《大日本帝国萬歳》。危くわたしはまたも煙管をとりおとすとこだつた。大の字が人間だ!そこから大氏が絹
帽をとつて挨拶してゐる。太陽に絹帽がちかちか光つて眩い。大氏は一歩づつ登りつめる。気球に觸れたと思ふ途端、足が浮いた。アツといふわた
しの叫びごゑに、彼は一寸会釋してそのままの姿勢で空中へ。空気は酒精のやうに冷くなつた。大氏はもう豆子のやうに小い。風が吹いて木の葉を
散らして来た。別れの挨拶状のやうに。
わたしは又酒場花骨の人となる。緑のシエードの下で紳士達が骨牌を弄んでゐる。菫色の菫の花を裏に描いた骨牌、それが慌しくやりとりされはじ
め、ひとびとは熱狂して来た。ひとりが矢庭に自分の頭を頸から外して横へ置くと、みんながそれに倣つた。わたしは起つて行つてそれを交ぜかへ
し、女達にひとつづヽ分け与へた。みんな辞退する。扉が開いてひとが入つて来た。牡丹花色の風呂敷をもつて。
わたしの手が痩せたその人の手といそがしくいりまじつて、頭たちをその中にかき集める。ほろほろと卓の下にこぼれて止まない。ふと見ると相手
が大氏だつた。わたしは久濶を敍する。大氏は口に手をあてて叱つと云ふ。紳士達は緑のシエードの下で骨牌を弄んでゐる。
わたしは大氏とネオンサインを消してまはる。風呂敷から頭たちを一つ宛とり出してそれらに与へればわけはない。わたしは寂寥とわたしの影を巻
く。
大氏はその時横丁に入つた。以来出て来ないのだ。號外は未だに頻発されて、わたしはその煩雑さに耐へ切れない。わたしは鶏子(血のやうに紅
い)でわづかに命をつなぐやうになつた。
★怕
馬たちがひとりで街を歩いてゐる。
★
此の日聞きしは肥田靖三君急逝の事なり。二十貫の巨躯、今那辺にかあらむ
★深更に至りて小説一篇を作る。「ある訪問」と仮に名づく
十二月二十五日
けふはいちんち家にゐたり。
寒々と野良はつヾけり遠畦に嵐ふきまく土埃見ゆ
南天の実はこの寺に数夛し嵐に揺れてしづどころなし
みすずかる信濃の雪の高原に柏井数男何たのしめる
気短かの田中克己のいさかひの相手となれりあはれ数男は
北風に向ひてわれはあゆみしが髪ことごとくうしろになびく
ゆふぐれの寒風にゐて中学生枯れし冬木の相をゑがけり
赭(あか)、黄など枯れしいろのみ使ふめり万象(もの)のさびしき時のしるしと (仙藏院詠草)
★
空を天車の駆ける音がする
鼠がぼくの寝息を竊[ぬす]む
死が墓碑の文字から甦へる頃だ
★
空だ、漠だ
枯野をゆく水
子を孕む犬
十二月の青葉
★
烈しい風の中で
彼等はパンパンと空気銃をうつてゐた
鳥たちは撃たれた様な格好で
枯野に墜ちて逃げて了つた
烈しい風の中でパンパンと銃声がつづいてゐた
十二月二十七日
雲があの街をおしつける
橋の上を孕んだ女が来る
氷雨に青物が凍てついてゐる ──大阪
十二月二十八日 金來る。
シユトルム ── 街 ── gedr.1857
[※1857刊。以下Theodor Storm訳詩]
暗い岸べに 暗い海べに
街はあり
霧は屋並を重く壓へつけ
静寂(しヾま)を破つて海が鳴る
單調(ものうげ)に街のまはりで
ざわめく森もなければ 五月
たえまなく囀る鳥もゐない
渡り鵝鳥がかん高いこゑで
秋の夜を鳴いてすぎるばかり
岸べには草がなびく
けれどわが心はひとへにおまへに倚る
海べの暗い街よ
若い日の魅惑(ゆめ)がいつまでも
ほほえみながらおまへの上で休らふてるから
おお 海辺の暗い街よ
── 海辺 ── 一八五四
入海をいま鴎はとび
たそがれははじまつた
濡れた洲の上に
夕焼がうつつてゐる
灰色の島影が
水を搏つてとび去り
島々はゆめのやうに
海霧の中に浮いてゐる
わたしは泡立つ泥の
秘密ありげなこゑをきく
さびしい鳥の叫び──
いままでもいつもかうだつた
もう一度風はそよぎ
それから黙つてしまふ
沖の方からの人声が
だんだんはつきりして來る
【抹消】 ── 黄昏どき ── 一八五二刊
お前は安楽椅子に、わたしはおまへの足もとに
頭をおまへの方に向けて 坐つてゐた
しづかに時の流れるのを感じた
おまへとわたしの間はいよいよしづかになつた【抹消】
── 子供たち ──
一、 一八五二刊
わたしの膝にはいま
小つちやな奴がのつてゐて
暗がりからわたしを
やさしい眼でみつめてゐる
もう遊びもしない わたしの傍にゐて
だれのとこへも行かうとはしない
小つちやい魂は抜け出して
わたしの中へ入らうとする
二、 一八五二
わたしのヘエヴエルマン[※甘ったれ] わたしの小僧
お前は家中の日光だ
おまへが明るい眼をひらけば
鳥は歌ひ 子供たちは笑ふ
三月の故に Aus der March 一八五三刊
牡牛は柔らかい草を食べ
堅い莖は残しておく
百姓が後へついて行つて
用意ぶかくそれを刈りはじめる
だから冬に 牛小屋で
牡牛はなんとてき面に啼く
緑の草のときに賤しんだものを
秣[まぐさ]になつたいまは消化(こな)さねばならぬ
── 四月 ── 一八五三
いま囀つてゐるのは あれは鶇
わたしの心を動かすのは それは春
わたしに好意を表しながら
聖靈が地から上つて来るやうなここちがする
生命はゆめのやうに流れる
わたしには花や葉や木のやうに思はれる
── 園で ── 一八六八刊
御用心 おみ足とお手に御用心
世にもあはれなものにふれないように
いやな毛虫もふみつぶせば
美しい蝶々を殺すことになるのです
來れ 遊ばむ ── 一八八一
夏の日の雅びの讌[うたげ] 早やすぎぬ
秋風はあららに吹きぬ 春の日やはた また來なむ
いま蒼ざめし日の光 地にふりそそげ──
來れ 遊ばむ 白き蝶よ
あはれ石竹(なでしこ)も玖瑰(ばら)もいまはなし
みそらには 冷き雲のゆきめぐり
かなしやな 夏の日のたのしみ早やもすぎしこと
ああ來れ いまいづこ 白き蝶よ
── クリスマスの夜 ── 一八五二
他國の街をわたしは家に残した
子供達をおもふて うれひながら歩いてゐた
それはクリスマスの晩だつた どの通りにも
子供たちの声と 市場の賑ひがわきかへつてゐた
わたしは人込に推されながら
しやがれた声を耳にした
「おぢさん 買つてよ」 やせた手が
玩具を買つて来れとさし出した
わたしはびつくりした 街燈の明りに
蒼い子供の顔が見えた
年はいくつで 男だつたらうか女だつたらうか
押されるのでわたしは識別けられなかつた
ただその子の坐つてゐる石段からいつまでも
その子の面のやうに疲れたこゑがきこえる
「買つてよ おぢさん」 たえまない叫びが
だけど誰とて耳かすものはない
そしてわたしは?──道ばたで乞食の子供と
取引するのは不格好や恥辱だつたらうか
わたしの手が財布にとどくまでに
こゑはわたしの背後で風に消えて了つた
然しわたしはひとりぼつちになつたとき
おそれがわたしの胸をとらへた
まるでわたし自身の子供があの石の上で
パンを求めてゐるのに私が逃げ出したやうに
一九三三年
一月一日 関口、畠山六栄門氏
元日のゆふ空のもと帰り来しわが眼のまへに大星おつる
蒼々とゆふ西空はくれやらず光りつつ星墜ちてゐたりし
元日の日かげあまねしひたすらに日輪こひてきそ[昨日]はゐたりき
★
春山行夫、菊池眞一、本位田昇
★
死にたやな
★
忘却(レエテ)の河を渡り果て 効(やく)なき知慧をふるひすてなば
光明赫えき[赫奕]の眞智に 彼岸に眼覚めなば
月桂の冠をつけ 椰子の葉を身にまとひ
身は常緑葉樹(ときはぎ)と花咲かせなば
★
戰爭といふは何ぞかなしき
一月二日
墓原を遠く見えたる秩父峯に吹雪すらしもたちまち曇る
東村山へゆく
しろがねの雪のみねみねまなかひにもとほりをればこひしきひとも
かうべ垂れわが行く道に日の丸の旗かざしたりここは家群
さみだれはこの枯芝にふりにしか 丘ゆきてわがひとり思へば
山の上にはだらはだらに雪ふりて いまも降るらしわれに向かひて
幾重山起伏すきはみ雲光りうれひのごとく漂ひたるも
峽路のこごり赤埴はららはららくだけてゆくもわが足ごとに
ひと来ねばこの丘のへに手をとりぬ をとめの子ろはわが故(け)に死なむ
少年のこころとなりて一月の冷き水に向ひゐにける
鳥鳴けば雪降ればちちはは思へばかなしといまも思ふこころか
をとめ子の長引眉のいつまでか ありもへぬべき生命なるかも
もろともに遠天の雲仰ぎゐぬ ここだく鳥は啼きつつ墜ちぬ
かもじもの水禽群れて雪もよふ 空のもとにもたのしくゐたる
はるけくもわぎへの方に弟妹らめしはむも[思]へばなみだながれつ
ひととほくはなれてくればこほしかも いさかふものとにんげんを知れど
桑の秀は天に向ひて竝みゐたり うすぐろく雲押しわたるとき
にんげんら桑つくりゐる畑丘に 元日のひるはうごきゐるかも
いたいたしくひとを思へば北國の上野(かうづけ)のくにに雲晴れわたる
ひるすぎのらぢお琴彈きなげかへる をとめのこゑにわれ死にぬべし
冬の山にわが身ちかづく柑子など子らのかじれる街道たどり
もろともに死なむと抱きいざなへばさびしく笑みていなみし子ろは
あからひく晝をこほれる山蔭の田の刈株に鳥おつる見ゆ
一月三日
磔刑に罹りし人 Crucifixus 1865
[※1865刊。以下Theodor Storm訳詩]
十字架にその苦しき四肢はかけられ
血をもて汚され 賤しめられぬ
されど處女のごとく常に純きひとは
恐ろしき光景を消し去りぬ
さるに 自らその使徒と称するもの
そを青銅(からかね)と石に型どり
寺院の暗に置き
あるはまた明るき野に据えぬ
かくてわれらが時に至りては
純き眼ごとにある畏怖起こりぬ
古き不敬を永遠に傳へつヽ
この宥[なだ]め難き光景よ
思い出づるや (一八五七)
思い出づるや かの春の夜に
われらが部屋の窓ひらき
園を瞰下したりしとき 秘めごともありげに
暗がりに素馨花(ジャスミン)と紫丁香花(リラ)匂[かお]りしを。
星空はわれらが上にひろごりて
なれはいとも稚かりし。ひそやかに時は過ぎしか。
風しづもりゐき。千鳥のこゑ
海邊よりけざやかにひびきわたりて
わが園の樹の梢のうへに
もだして たそがれてゆく陸を見つめき
いままたも われらに春はめぐり来ぬ
いまされど 故郷をわれら失ひぬ
いまわれ 夜深く目ざめゐてしばしば耳とむ
風の音 帰郷のひびきつたふかと
ふるさとにひとたび 家を建てむもの
いかで 他國に出づべしや。
かの方にその眼は常に向けられつ。
つひにひとりを止まりぬ──われらはふたり行くなれば。
誕生日に (一八五七)
よくぞ云へり 「四十而立」
四十はされど五十のはじめ
暗にゐるわが足許に
新しき朝の時あり
この淵にさへひとたびは
光芒(ひかげ)さしなば われいたくおどろかめ
早も塚より風吹きぬ
秋の日の木犀草[ジャスミン]の香をもちて
寢覺め (一八五七)
虞れにゆめよりわれ覺めぬ
何故しも雲雀はかく夜ふかく歌ふや
晝はすぎぬれ 暁はとほし
褥をば星影てらしたり
さるをわれ いつも雲雀の歌を聞く
ああ 晝のこゑ わがこころ愴(かな)し
破浪戸 [はらっこ:無頼漢] (一八六四刊)
たとひ俺がまさしき破浪戸であつたとて
俺は一向なんともない
外面如菩薩 内面如夜叉
親友 それこそほんとにお咒(まじな)ひだ
左手に俺は基督[キリスト]の外套の
裾を役にも立たうかと把らまへ
右手には ── どうして俺にそんな権利があるのかおまへは信じまいが
王様の黄鼬(てん)の外套をつかまへてるんだ
箴言(一八六四刊)
或者は問ふ 「それから何うした」
他の者はたヾ問ふ 「本当かい」
ここに於て自由民と
奴隷との差が分れる
×
不幸より先づ
負債(しやくきん)をとりのぞき
その他のことは
忍耐(こらへ)にこらへよ
眞暗(一八六五)
来るべきものいざ来れ
なが生ける中は晝なれば
外[と]つ國に出づるとも
ながゐる土地はわが家なれ
われはながいとしき顔(おも)を見て
未来(ゆくすゑ)の暗を見ず
一
墳墓(おくつき)の古い棺(ひつぎ)の側に
新しい棺がいま置かれた
その中でわが愛人から
麗はしい面貌(おもかげ)が失せてゆくのだ
棺の黒い覆布(おほひ)を
花環が全くかくしてゐる
桃金嬢(ミルテ)の嫩[わか]枝の花環と
白き紫丁香花(ライラック)の花環だ。
数日前までは森で
太陽に照らされてゐたものが
いまここ 地中で匂るのだ
五月の百合と山毛欅(ぶな)の青葉と。
石の扉はしめられ
上にたヾ小さな格子があるばかりだ。
愛する死者は
置き去られひとりでねむる。
月の光にてらされて
世界が休らひに入るときに
白い花のまはりをまだ
灰色の蝶がとびまはることだらう
二
時々わたしの胸からおまへの
死以来 悩ましてゐたものが退(の)く
すると若い楽しかつた時のやうに
も一度幸せを獲ようとの気がおこる
しかしその時わたしは訊ねる 「幸せとは何だ」
おまへがわたしの許へ帰つて来て
今迄と同じやうに暮らすといふことより外の
答へをわたしは与へ得ない
その時わたしはおまへを墳墓まで
運んで行つたときの朝の日を思出す
そして声なくわたしの希望は睡り入り
もうわたしは幸せを追はうとはしない
三
曠野に出る空気の精のやうに
わたしの眼前に
不死思想がちらちら動く
遠くの蒼もやの中で
それがおまへの姿になる
憧憬の精髄を疲れさす呼息(いぶき)
身を痴れさせるあこがれがわたしを襲ふ
しかしわたしは身をふるひ起し
おまへをめがける
どの日もどの足どりもおまへに向けて
曠野の處女(一八六五刊)
わたしは薔薇です 早く摘んで下さい
匂りはむなしく雨と風に曝されてます
いいえ 行つて下さい うつちやつといて下さい
わたしは花ではありません わたしはバラではありません
わたしの上衣に風が吹かうと わたしが風をとらへようと
わたしは父も母もない娘なのです
さまよひて(一八七九刊)
わたしの前で あちこちで
鳥は可愛く歌ひます
ああ 傷ついたわたしの足よ
鳥は可愛くうたひます
わたしはいつまでもさまよひます
いまはどこへ歌は行つたのでせう
もう夕焼も消えました
夜が歌をしめころし
何もかもをかくしたのだ──
だれにわたしの難儀を云はう
森には星もまたたかない
道もところもわからない
丘べには花が
森には花が
暗にどこまでも咲いてゐる
曠野を越えて(一八七五)
曠野をこえてわが歩みひびき
地よりのぼる濛気ともにゆきぬ
秋は来れり 春は遠し
またひとたびも幸(たの)しき時ありや
沸きのぼる濛気まはりに漂ひ
草は黒く 空は虚し
ここを五月にゆきしことなかりせば
生と愛と──すぎていにしよ
一月三日
坪井明のFRAU孕みしといふ
カアネーシヨンやスイートピーが花屋に咲いてゐる
大変明るい店だ
誰にとも無しに買つて見たい
僕の愛情を賣るために
一月四日
畏怖
熱帯林に夜吼える虎の爛々たる眼より
荒磯の尖り立ちたる岩の上に腐れてゐたる骸より
畏怖しきものいま來たり
祭りの夜の灯のもてる明るさと 夜咲く花のそこはかとなき艶やかさもち
畏怖しきものいま來れり
北方の大星達の墜つる時 大空の毛布(けぬの)の如く巻き去られ
無花果のごと 人々の黒み疫(えや)みて死ぬる時
その時よりも畏怖しきときは來れり
バビロンの権威(ちから)尚(たふと)き帝王の一言もちて人民(くにた【ら頭を刎ねむ
並びたる臣の奴のいづれをか死の座に据えむと睨(ね)めまはす
黄金の王笏もてる手の荒べる淫慾(たはれごこち)ゆゑふるひたるさへ畏怖しく
いまかわれかと待ちゐたるその畏怖よりなほ強き
畏怖は來たり
希臘(ヘレネス)の女神達 浮気ごころのけふやさしく白き腕(かひな)に抱きしめ
明日は黄泉(とこよ)に放つとふその惨酷(むごさ)より 尚強き畏怖は來れり
白癩の疫病の如くふるるともなきに いつとてか眼に見えず忍びより 屍斑のごとくわが肌膚にその跡つけて
畏怖しきものいま來れり
畏怖
父になるかも知れぬとの畏怖が太郎をふるへ上らした
母になるかも知れぬとの畏怖が花子をふるへ上らした
かりそめのたはむれゆゑと太郎は呟く
かりそめのたはむれゆゑと花子は怨む
おれの血がおまへに生きる
あなたの血がわたしに生きる
二十なのに おれは子をもつ
十六で わたしは子を産む
世間は何といふだらう
世間はひどく責めるでせう
かりそめのたはむれゆゑに
かりそめのたはむれゆゑに
おれの父たちもさうだつた
わたしの母たちもさうだつた
父たちが責めよう
母たちが責めよう
その父になるかも知れぬとの畏怖が太郎をふるへ上らした
その母になるかも知れぬとの畏怖が花子をふるへ上らした
一月五日
一月 屍灰は空をおほひ
壊血に似たものが行人の衣を染める
噴泉に渇してゐる虫達が溺れ 理性は悉く混乱を極めた
★
月の中から墜ちて来た練金術士──街の煙管(パイプ)が秘密をうらぎる
義務の観念に俺は乳鉢を割る 懸声をして
一度びの放蕩に俺の大地はめいつて了つた
啊喲。[※ああ。]
★
毒酒は俺の身を浸す 焼けつく疼痛が臓腑でする
俺の吐瀉物は菊の花のやうに凝る
見る見る地獄はまぢかに来る
劔鬪のひびき 殺害のこゑ 俺の神經はまだ効くのか
悪魔め 毒盃を地にすてろ アネモネより紅い花が咲かう
女は呵々笑つてゐる 畜生 賣つたな 鐚[びた]銭で
緑青の浮いた面が見たや 臓腑を喉から俺は吐く
一月七日
わたしを軸として日が傾けば月が騰つて来た
灰より細いわたしの情緒に加はるゆふがた
また邪鬼(まがつみ)の時刻(とき)が来た
わたしの犯気はとめどない 面帕(かつぎ)をはらふ風が吹き
★
飾紐(リュバン)の花は亡びた
理性の縄でくくしつけた獸達がわめく
灰色の悪虐の並木道
飾紐の花は亡びた
★
一月九日
情は痴なり
他は冷なり
★
ああいふ時に泣きごゑを立てたあなたの
不信を僕は責めませう
僕は患者です 藝語[うわごと]いひです
僕はあなたを苛めてあなたへの愛を表現した
馬鹿な母がゐてその場にとび入り
あなたと僕の遊戯は破れました
あなたの不信のすすり泣きゆゑに
★
どんな叱責にも僕は耐えよう
あなたと僕の間さへ旨くゆくなら
だけどその自由を奪ふどんな者にも
僕は凡ゆる譏誚をつくしてやる
ああ あの額に醜い皺のある年老つた女め
あいつが君の母親でさへなければ
僕はあいつの存在を否定したい位だ
★
あなたが医者の妻になり
あなたのYungfrauhantchen[処女膜]が査檢される
ふふんだ 大わらひだ
恥しらずめ 大方金ぶちの眼鏡でもかけて
まだお若いのに口髭の濃い奴だらう
あなたよりおつ母さんが気にいつたと
寢物語におつ母さんに云ふだらう
★
空にヴヱエヌスの星がゐる
今夜も大抵お天気だ
空に娘と母がゐる
また縁談の話か
いつになつたら娘が口説きおとされる
ヴヱエヌスの星よ
おまへがゐるのでわたしはおつ母さんの云ふことがきけぬ
わたしの窓から一刻も早くどいとくれ
はいはい畏まりました
淋しい彼奴の床でも照らしましよ
★ 不信
柿の樹の虚(むな)しき枝に飛うつり千羽雀ももの云はずけり
花咲かむ春來む期をはろばろときみに語りしをいまかわすれし
言こわききみが母刀自[おもとじ]いまもかもこの恋止めときみくどくかも
★
夕霧は澤から立ち昇つて
冷くこの寺院の梢にまとふ
わたしはおまへを思つてゐる
あの楽しかつた日のことごとを
恋愛のどの瞬間もが
一の試練の時に外ならないことを
知らずにゐたわたしは馬鹿だつた
ひとは額からたらたらと
油汗をながして成就の門をくぐるのだ
ああ 楽しかつた日々よ
愚かにくらし得た日々よ
★
いまは神や佛をもたのまう
冒瀆の罪を犯したわたしにも
神や佛はたしかに
君の母よりは親切なはづだから
ああ人間の母は
額の皺とともに何と醜いことか
十二日
Y[※悠紀子]より愛の証とき来れり。
この日頃安眠を得ざりき。
父へ打ち明けむことを決心す。
十三日 北園氏よりマダム・ブランシユの同人たらんことを求め來る
十五日 肥下と銀座へ
岡田安之助邸を訪ふ 異郷の愁情泪ぐまし
帰来 父へ手紙を書く
★高円寺
冬空に紅き満月出でしかば蛇屋の蛇も冬眠(ねむり)ひそめる
みちばたの青面金剛に燈ともりぬ凍てつきし路に灯影うつして
★
雲が北から南へ動いてゐる
雲間で竪琴がきこえる
退屈なミユーズに退屈する
★
遊んでゐる雲の下で
鳥が一羽迷つてゐた
大へん努力して羽搏いて
竪琴が聞える
★
雲から絲が垂れ下つて
鳥はそこにくくしつけられてゐた
地面は堅く凍てついて
鳥が墜ちると怪我するから
十九日
昨日は[『コギト』]校了。共産党記事解禁。
大阪では渡辺怘が起訴されてゐる。
雪の花片をまきちらすミユーズたち
彼女等の裳は実に白い
彼女等のバスケツトから青いリボンが見えてゐる
★
嘆きいる海の人魚
アネモネを散らす風
月に魚達は懐胎する
★
ひとびとは豚を追ふやうに棍棒を以てヘルクレス達を逐ひ拂つた。噴泉をもつた庭園に火の子がぱちぱち落ちてゐる。格子にかヽる爵牀(アカンサ
ス)のしげみ。ひとびとはいつも棍棒をもつてゐねばならぬ。死人の面にはラツク[※塗料]をぬれよ。
一月二十日 コギト10号出来
ゆふ方の忙しいくれいろに 電車は車輪の下に火花を散らして轣轆と構内に入つて来た。わたしの心臓がいくつもその前面に飛びこむで死ぬ。夕方
のいそがしい時に。
★
ひとは散歩にふさはしい洋杖(ステッキ)をつき、散歩にふさはしい女をつれてゐる。
わたしは鬚ののびた面を垂れて埃色の外套をきてゐる。
ひとはわたしにつきあたつてすなほにわびてゆく。ああ、そのすなほさの矯慢よ。
雎鳩(國風、周南)
荇菜(同)
葛(同)邶、王
黄鳥(同)邶
卷耳
馬(周南、鄘)
藟
螽斯
桃(周南、衛)
兔
芣苢
楚
蔞
魴
麟
鵲(召南)鄘
鳩(衛、召南)
蘩
草蟲
蕨
薇
甘棠
鼠(召南)鄘
羊(同、王)
梅
麕
茅
樸樕
唐棣
李(召南、衛、王)
葭
騶虞
蓬
燕(邶)
雉(同、王)
鴈
葑
韮
苽
狐(邶、衛)
虎
榛
苓
烏
鴻
茨(鄘)
家
唐
桑(鄘、衛)
麥(同、王)
鶉
栗
椅
桐
梓
漆
蝱
竹(衛)
蝤蠐
螓
蛾
鱣
鮪
菼(同、王)
芄
檜
松
木瓜
黍(王)
稷
維
牛
蓷
蕭
艾
麻
一月二十日
こひ歌
雪ふる原にまよふ鳥われのこころは様ゆゑまよふ
あはでこがるるみのやるせなや南天の実の朱ほどこがれ
思ひ切る身にあらねばこの山寺に鐘もつかぬに日のくれる
誰そや恋ゆゑ身をほろぼすと ほろぼすこひもして見たや
くるかくるかと様待ちかねて雪の野原をたれが來よ
けさの雪原ひとさへゆかず足跡(あと)はわがみのあとばかり
雪野ながるる小河の藍のなんとあらはれたわがおもひ
雪の降る夜は傘はなもちそひとのなさけのあはゆきにぬれてゆきやれ
(仙藏院閑吟集)
★
大砲だ 攻城砲だ
堅塞にたてこもる憎らしい奴らだ
★
肥下はけふ妹のことをふとも云つた。僕は思ひ出す、むかしのことを。
★
凍てついた心臓にあの矢がささる
雪の中に咲く雪割草
たちまち四辺は紫色にかほるのです
★
誰も死の旨い奴などゐはしない。僕の詩も旨くない。
一月二十六日 マダム・ブランシユの会
北園克衞、阪本越郎 、知らないひとびと、知らないお嬢さんたち。
夜ふけ時計は捻釦(ねじ)をまいてゐる
僕の思念はまだはなれぬ
畏ろしいひと達の集りに
僕は活然と身をおこす 僕の体にたれかヾのしかヽつてゐる
──僕の影かも知れない
星の光が一体どの節穴から入りこむのだらう
★ソアレエ [soiree:夜公演]
スヰートピーや櫻草や飾窓は大へん綺らびやかだ
花屋の店では呼吸するものを飾る
わたしは本をかヽへてゐる パンの苦労は止さう
搾りとられるわたしの思惟よ
こん夜だけは休らかにおやすみ
遠い風の音 電車のひヾき
★
僕は天井裏に凍つてゐる鼠の死骸を畏れる
僕によく似たあの眼たちはもうとつくに溶け去つて了つた
ガラスの義眼(いれめ)をかれらに箝めよう
大層それは息ぐるしい
★
彼等は豚を屠つてゐる
間断ない叫びごゑと地を搏つ音
その塀外で僕は排尿する
僕たちもあれを食つてゐるのだ──
★
リラの花賣りは白い建物のかげに待ち伏せしてゐた
風の吹く街角で(急に風が来るところで)
リラの花をなびかせてゐた
わたしは佛蘭西語の辞引の紅い華を好んでゐる
リラの花賣は美しい お世辞もいひたくなる位
たヾ わたしの瞳をみつめて畏れない リラの花の匂りよ
★
雨だれのあひまに淫虐の帝をかぞへる
わたしたちと生活と
酒池肉林をわたしたちは恐れる
わたしたちの生活のために
雨だれはとぎれない
★
灰の様に雪が梢からおちる
花咲く春のしるしに
花咲く木々の梢から
さう 屍灰の後から宝石が出る
一月二十五日 のきのふはYと二週間以上ぶりに会つた。
お菓子のやうなくちびる。花のやうな女の子。
愛する。愛する。愛する。
一月二十八日 コギト 相野
一月二十九日 Yと多摩川へ
枯草に舞ふ翼の族
遠い對岸は冬の霞
白い磧の寒々とした悪意
★
奴等は砂利を掘り上げてゐた
奴等は俺と俺の少女を侮辱した
奴等の頬はむさくるしい
奴等の脳味噌は固陋である
奴等に俺と俺の少女は脅へる
★
少女の髪をふく風は草の葉をも靡かし
ふたりのひそひそ話に鳥の歌がまじる
陽は松の間にかげり ふたりは蔭にゐる
蜘蛛におびへる少女をしみじみとかい抱き
この時の流れるにひそやかな恥辱を感じてゐた
★
多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの子のここだかなしき
★
黄金の髪 黄金の陽
烏羽玉の髪 黒耀石の瞳
一月三十一日 Yより手紙。
のおとうつし。
二月四日 身神困憊
ああ 融通の利く奴が世界に充満し
知りもしないことについて得々と喋舌り
他人の間違つた知識を受け賣りし
猥りに自らを高しとして
それ同志語りあひ、意気投合して
腹の中でもう悪口を云ひはじめ
下駄の音が消えると内では雜言する
藝術の、知性のとガキめらが吐く
青髭をそりたての男が女の子だのと花だのと
煙草の脂くさい口からほざく
昨日三色旗をつけてゐた奴が
今日はもう黒襯衣[シャツ]党で
まごまごして挨拶に困るこちとらを
投獄しようとひしめく 何の サアベルが、
砲台の口は百軒長屋に向けられ
ドロアースの両口※はブルジヨアに向けられ [※不詳]
継ぎのあたつた襯衣の中で「権威」がふるへ
北風も法権も大建築の前で向きをかへる
融通が利かぬ奴はやせこけ青い顔をして
お腹でも痛むかと聞かれる。その筈
奴等は生理的以外の悩はもたぬのだ
仁丹以外の薬に何の信用がおけよう
背廣もネクタイも体中広告といふ奴が
大道を悠然と濶歩する
早く行きすぎれば広告の意味をなさぬ
舞台裏では出代りがまだ扮装もしてゐない
まはし一つで出ようとさわぐ
頭取が芝居に出る、支配人が口上云ふ
なんせ大したお芝居だ
前足の仕事を後足がふみ消す
心臓の熱気は遣尿できえる
さうしたもんさ、ガキめらひつこめ
金田一氏と愛奴[アイヌ]
北方の夷の國人よ すりきれた生命の草鞋よ
おまへ 縄紋の衣を着て 永遠の太陽を享け
白堊の殿堂に悪魔の使の如くやつて来た
おまへの唇辺の黥墨に俺は羞恥を感じる
おまへの白い髭に俺は恐怖を知る
銅色の光線がおまへの周囲にとヾまつて
おまへは凝視の波の中を泳ぐ 夷狄よ
夷狄よ、
★
傷いた鹿は心臓のあたりから血を流して
泉のほとりまでくるとおづおづ四辺を見廻はした
片栗の薄紫の花のあたりに彼は口をつけて
音もたてずに水をのむとがくりとつんのめつた
ふくろ角を藺草の芽のやうに水から出して
彼はもう身うごきもしない。滴る血は地面をつたつて
泉の方へ滲んでゆく。泉と、泉に浸つてゐる鹿の頭を
赤くそめるのももう直ぐだ。梢では鹿の皮の斑紋のやうに
陽が照り昃[かげ]りしてゐる。春だ。
[※ハイネの伝記]
Hartwig Jess『Heinrich Heine』1924
Pierre Gauthiez『Henri Heine』1913 より訳出。
Heinrich Heine
von Hartwig Jess
Heinrich(原の名Harry)Heineは佛蘭西軍駐屯中(1806-13)のドイツライン地方に生れた。ドユツセルドルフ
(Düsseldorf)の猶太人の家に、父はSamaon Heine商人である。
生れた時から印象力と消化力に富んでゐたがHeineの精神的肉体的の構造は家系上nervös[神経質]である。佛蘭西の批評家の語をかれ
ばécorchéで主として父の血である。
父Samaon HeineはCumberland
侯の司提官(Proviantmeister)となつてchevalereske[騎士風]な傾向を持ち気軽な楽天的な性質であつた。
»Eine grenzenlose Lebenslust war ein Hauptzug im Charakter meines
Vaters, er war genußsüchtig, frohsinnig, rosenlaunig. In seinem
Gemüt war beständig Kirmes.« (Memoiren.)
母は之に反してRationalistisch[合理的]な人間でHeineに早くから一定の方針をもたさうとした。之には子の性質を認める
より母の虚栄心の方が働いた。
»Sie hatte ... eine Angst vor Poesie, entriß mir jeden Roman, den
sie in meinen Händen fand, erlaubte mir keinen Besuch des
Schauspiels, versagte mir alle Teilnahme an Volksspielen,
überwachte meinen Umgang, schalt die Mägde, welche in meiner
Gegenwart Gespenstergeschichten erzählten, kurz, sie tat alles
mögliche, um Aberglauben und Poesie von mir zu entfernen«
(Memoiren).
[彼女は…詩を恐れていて、私の手にある小説を見つけるとそれをすべて奪い取り、劇場に行くことを許さず、民俗演劇への参加を禁じ、私の仲間
を監視し、私の前で幽霊話をするメイドを叱り、要するに迷信と詩情を排除するためにあらゆることをしたのです(回想録)。]
かく空想的なものを排した代り、悟性を作ることに努め、子供の時からH.に哲学の講義をきかしめた。
しかしHeine自身には父の血の方が多く、生まれながらに具つたSinn für das Phantastische und die
Romantik[幻想的でロマンチックな感覚] は Ammen märchen[聖書のおとぎ話] や Sagen,
Volksliedern[伝説、民謡]や 加特力[カトリック]教会の風習によつて養はれた。
【学校】Harryは母の素志通りetwas
warden[なにか身を立てる]しなければならぬNapoleonと仏蘭西主権に基づいてゐた。奈翁はユダヤ人を開[解]放したためユダヤ人一般から讃
美されてゐた。ハイネの母、ハイネも夛分にもれなかつた。併し奈翁没落後、HeineはPrivatachulen[私立学校]の教育を受け
た後(vgl. »Citronia« in der
»Nachlese«[『ナハレーゼ』の「キトロニア」参照])、Düsseldorf[デュッセルドルフ]のLyzeum(古典中学校)に入学した。
この学校は当時佛──人[フランシスコ会]に任営されてゐた。厳格な教則と義務遂行にHeineは慣れなかつたヽめ授業は投げやりにし、先生
には神経的態度をとつた。殊に注意すべきはHeineは仏蘭──詩を忌つたことである。又学校では猶太人としての彼への嘲弄な聲があり、これ
がHeineの感じ易い精神をひどく刺した。
Heineはこの頃初恋をした。相手は死刑執行人の娘のSefchenで、この叔母Göchinは幼時のHeineに
Hexenkünste[魔術]を物語つて大なる感化を与へた。
»Ich küßte sie nicht bloß aus zärtlicher Neigung, sondern auch aus
Hohn gegen die alte Gesellschaft und alle ihre dunklen Vorurteile«
(Memoiren).
[私は優しい愛情からだけではなく、古い社会とその暗い偏見に対する嘲笑から彼女にキスをした(回想録)。]
【銀行】Heineは1815年Frankfurt[フランクフルト]の銀行に入った。(後に→)
Henri Heine
par Pierre-Gauthiez
Heineはその悲しい一生の終に書いた「私の先祖は猶太教に属する。私はその出身を誇りにはせぬ」と。しかしAlexandre
Weillといふ名をもつた厭ふべきfamulus[側近]は彼のために誇りをもつやうになつた。であるから彼はSouvenirs
Intimes de Henri
Heine[ヘンリー・ハイネの思い出]といふ題の馬鹿げた傳記に下のやうな奇妙な句をしるした。「独逸の貴族的猶太系の第一なる家系の出なる
Heinrich Heine」
われわれは貴族的猶太系家族たり得る家を探したが無駄であつた。
×
18世紀の中頃、猶太人の一族Heine家がHanover[ハノーファー]に移住して来た。Heymann HeineとMeyer
Simon
Popertの娘がAltonaの町に於る六人の息子と二人の娘の先祖である。長男IsaacはBordeaux[ボルドー]へ出て失敗したが三男
SalomonはHambourg[ハンブルク]の裕福な銀行を設立し、又Parisのla banque Armand-Michel
Heineのmaison-mère[親会社]であつた。この叔父とその娘達がHeineの運命で大役をつとめるのである。
IsaacとSalomonの間にはSamsonが生れ、裕福でもなければ貧乏でもなかつた。世間並のおひとよしで1764年には
Hanoverで暮してゐた。これがHeinrich Heineの父である。
Heineはこの侯爵領軍隊の御用商人の肖像を可成り滑稽な姿で残してゐる。
「赤い制服、白墨の様にまっ白に粉をつけた頭、財布から髪の毛まで気持よく粧った──」
(第8巻終り)
「日記」第九巻 (「夜光雲」改題)
昭和8年2月5日〜昭和9年1月20日
21cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(127ページ)
日記(巻九)
昭和八年二月五日
わがゆきに [※柏井悠紀子]
田中克己
二月五日 ゆきと帝劇へ「制服の處女」を見に。
捨ても果つべきこの身にあれど様ゆゑ生きて恥さらす。
★
梢 梢に霧が降り
二月の夜空は羊雲が通ふ
わたしの雪[ママ]はわたしに牽かれ
小石の原を躓きながら随いてくる
ああ この古風な處女の
なよびかな眉びきを見たまへ
★
わたしはもう誰にも心を動かさない
わたしに頼つて一人の処女がゐるから
その子は頼りないわたしをも
その子自身の全天と崇め
わたしの眼の中に何かの啓示を悟らうとする
わたしの前額(ひたひ)に意志の軌跡をよみとらうとする
わたしは此の子ゆゑに生きてゐるのに
この子はわたしゆゑに生きてゐると云ふのだ
わたしはもうどんな女にも心を動かさない
わたしのゆふぐれ そしてわたしの暁明(あさあけ)
二月六日
愛の花弁は果して買ひ得るものであらうか
愛を育てるものが かのミダス王の好餌であらうとも
その花弁を彼はちぎつてまきすてる
彼はひどい咳をする 喉頭の見える位
愛の花瓣を 彼は不要だといふ
★
アモオルは失礼な男には案外親切なものだ
しばしばその扉をたヽいて押賣りをする
いらないつてば 帰つちやへ
アモオルはしばし泪ぐむ それから恐ろしい決意をする
アモオルは食物に毒をまぜる
仇は血を咯く 頬にアネモネが咲く
鏡に顔を映して見ると眞蒼だ
そこでアモオルに嘆願する
アモオルは白い衣の看護婦に変装し
一寸 彼を癒してやるやうな気配を見せ
それから又彼を盛り殺す
その間に男が覚悟をして了つたのをも知らずに
彼はアモオルを蹴立てたと信じてゐるのだ
★ ma neige [※雪]
わたしの雪よ 蒼褪める勿れ
わたしはおまへに鉄剤をもつて行つてやる
わたしの雪よ 慄へる勿れ
わたしはおまへに貂[てん]の外套をもつて行つてやる
わたしの雪よ すすり泣く勿れ
わたしはおまへに戯詩(パロディ)をもつて行つてやる
わたしの雪よ 疑ふ勿れ
わたしはおまへに羊の心臓をもつて行つてやる
わたしの雪よ おまへには何でも
わたしの才能の許す限りもつて行つてやる
たヾ 夢と幻がそれを可能にしてゐるのだ
めざめるなかれ わたしのゆきよ
二月七日
船出した水夫は海底に紅い珊瑚のあるを見る
わたしは雲の多い海港をゆき
破片になつた珊瑚たちを海の匂ひにまじへて吸つてゐる
雲は波近く降りて来てガタガタと帆網を鳴らす
鴎と波の親近さ 憂鬱の翼を搏ち
★
八つ手の掌にわたしの幼年を見る
霙のふる夜はいまもある
風呂の湯の捨てられた匂ひ
みみずの鳴きごゑを求めてゐた
★
朝日に照らされた少女たちの胴体(トルソ)
遊動圓木をわたる叫びごゑ
焦だつ思ひで見てゐたわたしは足袋を汚して
★ 妙正寺池の方へ散歩《ゆき》
恥だの無花果の葉つぱだの
萎れるままに委せよう
ミロのヴヰナスを逆しまにして
振つて見ると塵が出た
愛の塵垢の匂ひを嗅いで
石灰のやうな顔色をして ──わたし──
★
わたしはもう少年でない
口笛を吹く年齢でもない
だのに口笛を吹いて
月の澤を歩いてゐる
失つた詩を索めて
あまりの未練さに
二月九日 猫柳も咲いた
★
わたしの春の駿馬には白い犬と斑の犬
尾をふつて月の出を待ち
わたしの処女の愛撫を求める
二月十日
ひとびとはオルガンを悲しく奏し
肉親の柩を僕は見る
花環は萎れてその匂ひを立てる
すすり泣きの中に虚構を僕は見つける
安心してゐた 悪童の自負に
二月十一日 テアトル・コメデイ
ヘラスのひとびと
プラトン ── 菫を愛した一章
アリストテレス ── 先生より長い名をもつてゐる
★ à Madmmoiselle X
わたしも人形を探してゐたのに
あなたは先にお貰ひになつた
あの黒い着物のマダム
それを運命と申しませう
わたしはあなたの熟してない
生命の樹によぢのぼりたいのです
たとへ棘でひつかヽれようと
☆
ゆふがたの僕の熱は抛物線を描いて上昇する
チユーブでこさへた胴体に
何の金属で着物をこさへませう
絶望の論理をほろにがくかみしめてゐた
二月十二日
風の吹く雪のちらつく中をYと歩いて
★
二月、降る粉雪はわたしの額につもる
わたしのゆきもそのやうに冷い
わたしに接吻するは粉雪
わたしの唇は凍りついてしまつた
風はわたしの髪を吹いて
わたしの頭には黒馬が暴れ狂ふ
あなたの酷(むご)さにわたしは拉(ひし)がれて
わたしは額を打ちもぬきたい
わたしの足は愴踉(よろ)めく
あなたは腕をかしてくれない
わたしは愛を求めるのに
あなたは出し惜しみする
わたしはわたし達の不和がかなしい
接吻もなしに 言葉もなしに
わたしたちは四辻に別れる
あなたは後も見ないでゆく
わたしに泪が浮かんで来る
北風が眼がしらにくちづけする
枯葉がわたしに慰めをさヽやく
もうあなたは影も見えない
☆レダ
醜い鳥(羽は白く 嘴は紅く 眼も紅く 趾も紅いのに)
わたしの肌を抑へつける尖りづめ
わたしの肩を啣(くは)へるくちばし
わたしは肌が寒気だつ
鳥の翼は空気をあふり──
邃い森中にこの様な所業のあつたことを
沼は藏めてひとり波だつ
蘆の葉よ わたしは羞かしい
☆
黄色いランプが草間に灯いてゐる
明るさはほのかだけれど
わたしの爪を照らしてゐる
十二あるわたしの足の爪
ランプは羞ぢらつて消え失せる
☆
いままで讀んでゐた本の字が
突然わたしに他人となる
未知の符號をわたしは瞶め
はらはらと泪を注いでゐた
☆
本たちのかあいさ
置かれた場所にそのまヽ並んで
友達の数も増へない(尤も友だちなんて大したものではない)
☆
Schlafe meine Kleine [※眠れ、わがいとし子]
Schlafe meine Reine [※眠れ、わが純潔]
Schlafe meine Eine [※眠れ、わがかけがえのないものよ]
Schlafe ganzes Nachts [※一晩中ねむるがいい]
Wohl in dem Bett [※幸せはベッドの中に]
Wohl in dem Traum [※幸せは夢の中に]
Schlafe wohl gesund [※眠れ、幸せに、健やかに]
二月十三日
高橋匡四郎
☆
絶望の倫理
空腹の論理 仲良く押しあつてる
☆
空彈に倒れる人馬
二月十四日
Y、小川俊郎
風邪をひく
二月十五日
二月十六日
女たちは單調に合唱(コーラス)うたひながら
磴(いしだん)をのぼり降りしてゐる
海の見える女体柱(カリアテイド)の神殿
遠く白いは海鳥かシレエネか
爵牀(アカンサス)のしげみに風がわたる
ひとりは大変かなしい
大変かなしいひとりである
何者にも代へがたいひとりである
ひとりは代へがたい何者かである
思ひ起こすはむかしの歌
石段は四百段目の海の色
いしだたみのぼりつ降りつ人遠き
二月十七日 《Y》、松本一彦
1松田行一帰郷のこと
2松田行一妹二階にて嘆き云ふこと
3叔父嘆くこと
4結婚式のこと
5父方の伯父、叔父と事あること
6松田行一帰京のこと
Tホールで行一は十一すぎまで踊つてゐて、下宿に帰つたのは十二時かつきりだつた。寒々した部屋の勉強机の上に親展の手
紙が一通のつてゐた。叔父からの手紙で、予ねから決つてゐた妹の結婚の日どりが一週間の中に迫つたから急いで帰京するように、との旨が簡単に
書かれてあつた。何の感動もなしに讀み終ると、行一は帰りの電車の中で思ひ出してはたのしんでゐたダンサーのA子の体温をも一度味はうとし
た。不思議にもうそれは浮んで来なかつた。いまヽでこの手で握つてゐたあの指や掌がもう、何里とはなれた所で何かしてゐる。そんな他愛もない
ことを感じてゐると、さうだ、明日にも帰郷しなければならないのだと、せかせかした気持ちが急にし出した。行一はもう汽車にのつてゐる自分
や、妹に會つてものを云つてゐる自分の事を考へ出してゐた。結婚式を控へた妹は一寸てれ臭い存在であつた。妹自身より自分の方がもつと気恥か
しい思ひをせずにはゐられぬだらうなどと考へてゐた。
O驛につくと夕方だつた。
行一の、休暇毎に帰り、又、現在妹や弟たちの住つてゐる金井の叔父の家はさう遠くなかつた。O市目抜きの大通りに昔のまヽの大きな屋根を重た
げに覆つて、広い間口に提灯などの吊してある全市でも、もう一寸めづらしい造りの家だつた。汽車の旅の疲れも手傳つて、行一は一寸閾をまたぐ
とき感傷的になつた。
小僧のひとりが眼敏くみとめて「おかへりやす」と云ふと、トランクを引つたくる様にもつて土間を先に立つた。[※未完]
二月十八日 Mr.岩本修蔵。 本賣る。四.一五
風はわたしを目指してゐる
四辺には誰もゐない
まつ黒な杉の森に一つ灯り
風に包まれたわたしの脚
のどを吹きとほる風の枝
わたしで向きをかへる風の川
☆
嫉妬の牙の中で彼女は眠つてゐる
月より白い牙の林
倫落の花瓣が一ひらづつ彼女に咲く
はてしないその数に彼女は清浄である
わたし──ひそかな竊み視の男は
眼を眩まされてうづくまつてしまつた
★
オルガン
その古風な楽器の中で
わたしの頭痛がはじまる
なにか懐想に似たものが
天井をかけまはる
髪の毛をもつて吊り上げる
見えぬ手のたしかさ
古風な手に静脈の浮き出てゐることを確信する
二月十九日 日曜 北園克衞、岩本修蔵
サロメ風のむかしが懐かしい
菫をつんでゐたむかし
水龍骨[※羊歯の類]を生やしたむかし
二月二十日 Y。 服部と支那語の勉強。
【抹消】暁(あさ)わたしは学校へゆくみちで【抹消】
よふけ 疲れて帰つて来ると
鶏たちが取引されてゐた
叫びごゑをあげるのをひとは撲ちのめしてゐた
ひる 鶏たちはぶらさがつてゐた
紅んべいをして
★
二月二十二日 支那語試験あり。
Laue luft kommt blau geflossen
Frühling Frühling poll es sein! ─Eichendorff─
なよ風 蒼く吹き来れり
春なれ まこと春ならめ [※アイヘンドルフ]
昨日の夜はまだ冷い風が吹いてゐたのに、けさ起きて見ると風はもう南風に変つてゐた。井戸に近い水仙の芽立ちが青く、風 には生ぬるい肌ざはりがあつた。わたしは例のやうに屠殺場の傍を通つて学校へゆく。豚たちを屠ることを人々はけふもやめなかつた。豚たちの悲 鳴は、子供のだヾをこねる「イヤーン」といふこゑによく似てゐた。その後で濡れ手拭で板を打つやうな音がする。乾鰛(ほしか)によくにた臭ひ が鼻について来た。
阿部次郎さんの滞欧雜記をよむ。
プリムラ・ヴエリス[※桜草](レナウ)
1
可愛(いと)しき花よ
かくも早くも
帰りや来る
禮をたまへよ
プリムラ・ヴエリス。
牧野の花の
どれよりかそかに
なれはねむれり
いとしき花よ
プリムラ・ヴエリス。
なれのみききぬ
めざむる春の
なよきささやき
先づ誘ひしを
プリムラ・ヴエリス。
わが心にも
とく咲きゐたり
愛(めぐみ)の花の
どれより美(た)へに
プリムラ・ヴエリス。
2
いとしき花よ
プリムラ・ヴエリス
美(あえ)かの花よ なれをば呼ばむ
信仰(まこと)の花と。
空の最初(はじめ)の
黙示(しるし)を信じ
急ぎ迎へて
胸襟(むね)をひらきぬ
春は来りぬ
霜はたくらき
霧その春を
またおほふとも
花よあこがれの
聖(たふと)き春の
つひに来らむを
なれは信じつヽ
むねをひらきぬ
されどひそみゐし
霜は来りて
心臓(むね)を傷(やぶ)りぬ
しぼまば しぼめ
花の信仰(まこと)の
魂こそは
とはに消えやらじ。
二月二十三日 [※詩経訳出]
関々雎鳩 在河之洲 窈窕淑女 君子好逑。
みさご鳥 河の洲にゐてつまどへり うるはしをとめ 貴人(うまびと)にあふ。
參差荇菜 左右流之 窈窕淑女 寤寐求之 求之不得 寤寐思吸 慫哉悠哉 輾轉反側。
さだめなき ぬなははかより かくよりぬ うるはしをとめ
ひもすがら よすがらもとめ なびかねば 思ひてやまず
あしびきの ながきよすがら いぬることなし。 (周南 関雎)
葛之覃兮 施于中谷 維葉萋々 黄鳥于飛 集于灌木 其鳴喈々。
くづの葉は 谷に蔓延ひ しげりたり うぐひすは しげみによりて そのこゑ調(あ)へり。 (周南 葛覃)
采々巻耳 不盈頃筐 嗟我懷人 窴彼周行
つめどもつめどもはこべらの このこかごにもみたざるは
きみをおもひてつめばこそ みちべにかごをおきすてヽ
陟彼崔嵬 我馬爬隤 我姑酌彼金罍 維以不永懷
をかにのぼれば うまつかる しばしこがねのつきくみて おもひわすれむ
陟彼高岡 我馬玄黄 我姑酌彼兕觥 維以不永傷
をかにのぼれば うま病みぬ しばし兕角[じかく]の杯くみて いたみわすれむ
陟彼砠矣 我馬瘏矣 我僕痡矣 云何吁矣
をかにのぼれば うまやみぬ しもべもやみぬ あはれ あはれ (周南 巻耳)
桃之夭夭 灼灼其華 之子于帰 宜其宝家
桃の稚木は そのはなさかり この娘とつがば その家のさかえ (周南 桃夭)
遵彼汝墳 伐其條枝 未見君子 惄如調飢
河のつヽみに木の枝を伐れど きみにあはねば くるしきばかり
二月二十七日
シルドクレエテ
朝方かなしいばかり 鳴る汽笛に目覚め
耳をすましてゐれば 薄く消えてゆく そのひヾきに
船出の朝かとも錯覚してゐた
☆
後頭部のづきづきするのをこらへ
霙のふる渠ばたに
寒くてさむくて河豚仲間を待つてゐる
二月二十八日、三月一日 Yに会ふ。
冬と春のあはひ
寒菊やまつげの長きひとに似て
おぼろ夜をまちゐき梅も咲きゐたり
下駄よごす霙止みたりお濠ばた
ふきの薹 霜なき里に咲くとかや
水仙の芽立ちの青も淡くして
石佛のまへは一むら黄水仙
川の藍濃くして草を埋む雪
【抹消】御地蔵の君に白しや柘【抹消】
雪の雲 右に左にみちありぬ
海くれぬ 白梅咲かす館(いへ)のをち
鶏の吊られし店に啼く子あり
この日頃梅にながるヽ野川かな 春泥
川久保悌郎 服部正己 虹 サン・ジユヌヴイエエヴ
やぶ柑子の冬が去り
ふきのとうの春が来た
☆
もう野に出ても寒くない
ヨハンナの頬を凍らす風もない
☆
不和の時は過ぎて
僕の顔は紅みもささう
☆
赤児の大きくなる時
僕の狂気するとき
三月四日
春は野に花を撒きちらしにやつて来た。藪かげの太郎の犬の墓を花で飾り、そのバスケツトから一つかみの花を辺りの土にまきすてヽまた行つてし
まふ。太郎はゆめに春の跫あとを見る。うすらうすらと霞たちが手をつないでかくしてゐるのだつた。
×
あなたのフアンム[※phantom:幻想]のイレエヌを私に下さい。みちばたに不思議な乞食がゐてわたしに云ふ。昨日もけふも。明日はわた
しにさうした名をもつた妻の存在を信じさせるかも知れない! わたしは彼に赤い銭を一握り投げてやらう。
×
紙ナプキンにおちる花びら。洋刃(ナイフ)の刃にはラグビーの畑が映り、蝶がこの食堂車を徘徊し出した。
×
わたしは石ころをひろひ上げる。血に染みた石ころにわたしはあのユダヤの戒(おきて)を思ひ出す。友の妻、そのまつ毛の美しさを語らぬひとが
あつたらうか。わたしは越えてはならぬ柵はよけて来た。だのにわたしはなほこの石が生ぬるく畏ろしい。わたしは旅に出なければならぬ。
×
山吹の花を咲かせ、櫻をちらし、やがて此の東の都にわたしは帰つて来る。拳銃がわたしを殺さねば。毒薬がわたしを殺さねば。
×
わたしの影をもう巻き出さう。鶏が啼いてゐる。夜更けの地震。わたしの足おとが戸外でしてゐる。時が来たにちがひない。阿修羅の髪を玻璃にう
つしてゐるわたし。
×
軍鶏(しやも)があさはやく人の家をのぞきこんで啼いてゐる。遠くで矮鶏(ちゃぼ)の應戰の合図がきこえた。
×
次郎の手紙をまるめて捨てる。花子のてがみを文箱に蔵ひこむ。
次郎は手紙をよくよこす。花子は宛字のある手紙をたまにしかよこさない。花子の封筒には京人形がはれぼつたい目をしてゐる。次郎をわたしは豕
(ゐのこ)と呼ぶことにした。
三月九日 試験おほかたすみたり。
コギト第十一号、肥下の「しのぶ」に泪ぐまし。[※小説]
三月十二日 Yに会はぬこと一週に近ければ
ゆふべは丸、友眞とゐねし。
わたしはわたしの影のやうに
ひとりの處女を愛してゐる
花の咲く野原を花をふみしだいて
その子のやつて来るのを夢みた
ゆめはゆめでしかあり得ない
わたしはけふも雪のみちをゆく
わたしの足もとにふみしだかれるのは
雪の花 氷の花 あはれ冷く
そしてわたしのbien-aimee[最愛の人]のかげも
まぶしい太陽の下で消えてゆく
わたしはわたしの膝を抱く
もう天しか瞰るものはない──
☆
ゆきぐもをてらす都会の光炎が
楡の木のうしろにあかるく──
わたしは息吐く 雪みちの遠さに
丘ぞひに白い雪の積みかさなりが
雪女のしなやかさでわたしを牽く
わたしは凍えるかも知れぬ
遺書(かきおき)ももたぬこん夜の中に
☆
はてしない論争のうちに
火鉢の炭はもえつき
はてしない言葉の蔭に
鋭い刃の鈍るここちがする
☆
わたしの抱くのは たヾひとりのをとめ
わたしのもつてゐるものは たヾひとりのひと
(それはわたしが影をもつてゐるより確かで)
そしてわたしが影をとらへ得ぬやうに
わたしの腕の中でそのひとは他のゆめを見てゐる
わたし以外のわたしの夢を──
すき間のかぜがふきとほる 冷酷に
一陣の風の波で──
三月十七日 帰郷
まつげの波うちぎは
ぬれた渚
潮つぽい風の吹くひるすぎ
貝殻がうちよせられる
☆
しらじらと夜の明け方 眼をひらいて見れば見知らぬ山川がはてしらず移り重つてゐる まだおぼえきらぬ景色もあつたとおどろいてゐた
☆
老年期のなごやかさ
丘陵 牛
敗頽した古城
花の咲く傾斜
三月十九日
ゆふ日の中を父がゆく
☆
ゆふ日の中に城がある
☆
ゆふ日の中に鳥が啼いてゐる
三月二十一日
思念(パンセ)の中に森が見える
森の中に湖が見える
湖にお城が見える
お城の中で僕の思念が眠る
白い着物を着てゐる
★
Hilfe in der Not
Ein rechter Freund erscheint uns in der Not
Zu rechter Zeit und sicher wie der Tod.
Doch offen, Bester, sag ich dir:
Du hast eine ganz verwünschte Manier!
Du trocknest mir den Jammerschweiß,
Und machst mir doch die Hölle heiß,
Du bringst das ganze Jüngste Gericht
Mit dir─ bei Gott, so meint ich's nicht!
──Eduard Moerike
☆
曠野をゆくのは誰だらう。雪に足跡をつけて、ああそれは私だ。春に私の足跡から花を咲き出さすために。ああ汚辱の花かも知れぬを、お気の毒
な。
三月二十二日 西川英夫
愛の菊の花をもつて来たおまへは白い着物を着てゐた。病室の窻から私はおまへを見てゐた。おまへの足どりには健康な処女のそれがある。
私は妬んで顔をひつこめる。蘇鐵のかげにおまへは這入る。おまへは躓く。そこは私の柩車の揺れたところだ。私の寢衣(ピジャマ)の汚点(し
み)をおまへはアルコオルだと思つてゐる。クロロフオルムだ。一体菊の花弁はいく枚ある。おまへは不可能の可能に脅える。また私は発熱する。
赤と青の線を調和さすために。扉にゐるおまへにわたしは敷布(シーツ)の匂ひをかいでゐる
★
天の穴からガラス戸へとどく棒。わたしの悪戯を止めささうと。
あすこらでは閑な階級が住んでゐるにちがひない。
卑劣なおべつかで私は自分を羞ぢらはねばならぬ。
★
おひまの節は自動車で、あ、お靴は汚れたまヽで、私の室には
一輪差しもないのですから。そこで煙草一本頂きませう。
三月二十三日
布きれのちらばつてゐる巷。脚の間をすりぬける小僧。レモン水を賣つてゐるやうな屋臺店。僕たちは眼の下に隈をこさへてゐた。
春風と芝居の幟と、本の表紙の金文字に水蒸気がしめつぽくそヽいでゐた。
★
ブロマイドから挨拶する友達ら。醜悪な横断面に顔を背けて立つてゐる。肩の上に金モオルをのせて。彼等の愧死と私たちの飢死と。
春の花のふる空を嗅いでゐた女たち。
三月二十六日
水溜りを越えて子供が歩いてゆく。春の野茨の原を。
陽炎をつかまへた。僕たちは貝殻をとつてゐる。横眼で見た子供たちは瞼の裏で赤い火炎になつてゐる。軽便鉄道の煙が這つて来た。
★
ズスヘンは鳥を飼つてゐた。嘴の紅いのを二匹、羽のまつ白なのを。ズスヘンは硝子瓶に入れてゐる。春の光の中で條を引いて動いてゐる。嘴に花
が散つて来る。ズスヘンの花は青い。宇宙をみつめさヽれると生意気を云つた。
☆
音楽の漣。雪解けの澤を動いて来る。いろんな匂り。例へば椿油、バナナの皮、ゴムの焼ける匂ひ。泪ためてゐた。息ぐるしいので。街道を葬列が
ゆく。屍臭がすると思つてゐた。眼ぶたをぴくぴくさせて。
☆
家鴨たちの御面相を親しく思つてゐる。僕の十年飼つた犬を盗まれた。毛皮への反感。雲垢だらけの友だち。すべてを容赦せぬ怒りに近い嫉妬。舞
台裏では月を動かしてゐる。
☆
山焼のけむりたちゐき 生花の瑞香花(ぢんちよう)しほれ くだちつる日々。
別れはて 忘れはてたる友どちも かげろふの間に面かげ見ゆる。
☆
眠つてゐる私のまはりに誰かが白墨(チョーク)で圓を劃(か)いた。構はずに動くと漆喰の壁につきあたつた。引きかへすと泥溝があつた。鵝鳥
が啼いてるやうな。眠つてゐるわたしに生温(ぬる)い手を感じた。
三月三十日
蒼蝿(うるさ)きこと夛ければ東上望ましき
瑞香花(ぢんちょうげ)咲(さ)くや此()の家(や)に蚊(か)も生(あ)れぬ
放蕩(のらくら)の身(み)に苦(にが)くて喫(きつ)す烏龍茶(ううろんちや)
よもすがら沸(たぎ)りゐる湯()にゆめ見(み)ゐぬ
仙蔵院主より来信あり。もつと深刻な顔をするまで云々の語ありき。
われはあまりに暢かすぎたる面わをもてるらしき。
三月十八日には中島と伊東静雄氏を訪れたり。原野栄二氏も来会しゐられぬ。
出たらめな言葉をつヾる。例へば始めの一語が出たらめであり、その次に来る語の如きは紙に表はれてはじめて驚くべき底のものである。
春雨(はるさめ)やわが傘(かさ)はあり他(ひと)の家(いへ)
茅葺(かやぶき)の一屋(いちおく)ともすおぼろかな
春愁(はるうれひ)云(い)ふべきもあらぬ相(かたち)して
梧桐(あをぎり)の遅(おそ)き芽立(めだ)ちももどかしき
芍薬(しやくやく)は花芽(はなめ)をわかぬ赤(あか)にほひ
岡部曹子いかにいかに
Yの歌
たヾ一人我がたよる君つよくませな世の波風の如何に荒くも
あしたゆふべ我がいのるごと神いまさば君守りませさきく正しく
こは縲泄[るいせつ]のくるしめなり。
津の國の難波の春は夢なれや 早や二十年の月花を眺めし筆の彩も 描き盡くされぬ数々に(歌(か)へすがへす餘波大津 絵)
四月一日
松浦悦郎を訪ふ
眼は鶏蛋[チータン]の様に巨きくみひらかれ
こゑにはいやな不協和音がまじつてゐた
肉親の愁しみの中に彼は眠り
眠りの中にも蝕むバチルス[※細菌]を養つてゐる
哀歌を好まぬわたしは眼をそらしてゐた
わかれ、そのかりの別れが永遠を告げるかとおそれた
天國への遅刻、何のそれが恥辱であらう
四月二日 上野芝 田村家
はるさめやさくらのつぼみかたりゐき
青芝や雲雀のとりの巣は荒れて
松の間ににびいろの海光りゐる百舌鳥耳原よあめはれをゐし[ママ]
ひんがしの葛木山をうす墨にこぬか雨雲ぼかしゐるかも
古の墓原くづし石棺をほり出せしとふ松は残れり
赤土の原よはるかにながむれば峰々かすむはるとはなりけり
何となくこころいらちてゐたりけりしとしと雨は松をぬらしぬ
きみませばきみとくらせばこの原の春のあしたも何かうれひむ
この原にきみと小き家たてむかヽるゆめ見るときぞかなしき
四月三日
今中博物学会卒業生会
四月四日
全田家 むかつくこともあり
目上の人は詮方なしとは思へど
十年進尺寸
我們的時候児
是不得信一個図讖説
[※10年経った今、
私たちは幼かったころ
予言を信じてはいけない]
列ィ指出。全世界上分成両個營塁、一辺是代表二万五千万人的統治階級、一辺是代表十二万五千万人的被統治階級。統治階級
与被統治階級之間是絶無国界、或民族的限的。
[※レーニンは指摘した。全世界は二つの陣営に分かれており、一つは2億5000万人を代表する支配階級であり、もう一つは1億2500万人
を代表する被支配階級だ。支配階級と被支配階級の間には、国境や民族的制限は全く存在せぬ。]
四月七日 大東猛吉[※松下武雄]
梅、椿、しづかに咲ける山かげに君が館はありにけるかも
ゆうづきのほのかに人らすみわたるさまを思ひぬ梅ちるひるを
わがゆきに
ひたすらにゆふべとなればきみおもふわかきこころはすぎにけるかも
家々に白き辛夷(こぶし)の花咲けりわがひたごころうつろひにけり
春の雨あたりをぬらしそぼふるにしばしくらしぬ物思ひもせず
芍薬の芽立ちくれなゐ愛しみゐき太陽光もなごみ来し日は
生こま山春浅ければ頂きの風さむきとこのぼりゆきけり
風寒き枯草原の起き伏しのかなたにひとは歩みゆきにし
赤松の木肌さむざむななめ日のてらす時来ぬひととほみかも
なげかへば雨雲くらき山原の小松の原に風わたる見ゆ
一切空。寂滅爲樂。
四月十日 森中先生
一切の思惟をとヾめよ。時の流れをとヾめむに。
★あまた鳩のあゆむこのしづかな屋根瓦(ポオル・ヴアレリイ)
わたしの記憶もあそこにある
晝顔の花が閉じ開きしてゐるところで
僕(わたし)の肉親も眠つてゐるのだ
失つた時々をみんな焦[せ]かせか拾ひまはりたい位だ
脳髄をかむ入海の波
かぼそい脚で頭を蹴る鴎たち
★
あすこ 青銅の寺院の屋根に
たえまなく刺激をもたらす樹が育ち
小学生徒たちが歌うたつてゐる
一本道を手をつないでゆく(犬の尾が切断されてゐた)
満潮のあとの泥のつぶやき
秘密、秘密、そして僕の悪業は忘れられた。
四月十一日 田辺
四月十二日 誠太郎叔父
四月十三日 夜 池田徹と上京
四月十四日 夜に入つて杉並区馬橋四丁目五四二 根本氏方に入る。
新しい畳 東と南に開いた窓 本棚を置く壁あり。
肥下、赤川草夫氏
薄井は「死なせる」[※コギト掲載小説]で俺を「須藤」に昇華させた。
感性の論理=破漸=半環
ヨハンナ
汽車は轟々と入つて来た(と聞いて)
ヨハンナは手欄(てすり)にもたれてゐた
体の細さ 顔いろのわるさ
悪友の前にヨハンナを羞ぢた
☆
凡ての虚栄をとり去ると
ヨハンナは俺には勿体なすぎる
俺の半球では彼女は異常に美しい
口髭のうすい處女だ
★
罪は贖はれねばならぬ
罪には罪 花には花
咲きつヾく罪の花 地の廣さ
中島のコギト十二号の詩「神」
硝子の向ふで誰かひとり食事してゐる
ときどき皿やナイフの音をさせて
僕のほうが旨いけど、これはぬかれる。
四月十七日
長谷川巳之吉氏、辻野久憲氏、
岩本修蔵氏。
おぼろ夜(よ)の櫻(よさくら)に灯(とも)すころとなり
みなづきの若葉(わかば)ゆかしきちまたかな
軽気球(けいききう)ひつそりと墜(お)ち花(はな)くれぬ
鳰(にほ)啼(な)くやこのひとゆふを命(いのち)かな
松(まつ)の間(ま)に衛士(えじ)の欠(あく)びと鳥(とり)のこゑ
菜(な)の花(はな)はいづれ巷(ちまた)は夜(よ)の匂(かほ)り
雲(くも)ゆきき白堊(はくあ)の雲(くも)にとどまりぬ
このゆふべをとめの衣(きぬ)に花(はな)ちりし
鳴(な)る鐘(かね)をさがすあたりや店(みせ)じまひ
水草(みづくさ)に陽炎(かげろう)きゆる春寒(はるさむ)の
四月十九日
保田の手紙。
GAPP。
唯心的と唯物的。甘さと甘さ、質のちがつたそれとそれ。
北園克衞氏、岩本修蔵氏。
L'enfance [※幼年]
夕陽を背景にした巨大な肖像画
凛々しい眉のあたりに閃く銀刀
祖先の血を滴らしてころがつてゐた
★
國定教科書のサクラ
青いオレンジエードの中に埃
蛙のゐる壁掛
四月二十一日 Y。
古本を賣ると十三円に賣れた。
× × ×
魚達の氾濫で街は腥 [なまぐさ]い
苺が運ばれてゐる 急行列車で
海濱の避暑地に仔犬が生らされた
葉櫻の季節にも人は見えない
★
坂を馳けのぼると水が見えた
ペパーミントを盛つた杯と
僕たち口髭の薄いやからは果物
成人たちは女をからかふのに忙しい
葉櫻から毛虫が膝におちる
しやうことなく押し潰して──
欠伸してゐた 潔癖らしく
四月二十三日 岡田家、佐藤竹介君。
櫻の木に花が埃のやうに簇がつてゐる
水兵たちが楽器を喞へて上陸する
街の透明が倏忽[しゅっこつ]としてこはれる
四月二十四日 Yと「巴里祭」を看に[ママ]
Le 14 Juillet
Boum! boum! boum! c'est le canon qui annonce le commencement de la journée de fête !
A toutes les fenêtres flottent des drapeaux.
On entend les tambours et les clairons des soldats qui se rendent à la revue,
la grande, la magnifique revue de 14 juillet.
A Paris, elle est splendide:
au son des musiques militaires, tandis que les avions volent dans le ciel, les troupes défilent fièrement devant le Président de la République, les ministres, les Ambassadeurs et tous les hants fonctionnaires.
On voit, en grand uniforme, noitant leurs nombreuses décorations, les maréchaus et les généraux célèbres.
La foule applardit, les acclame. Vive l'armée! Vive la France!
L'après-midi il y a des jeux populaires dans toutes les villes, dans chaque village.
Et à mesure que la journée avance, l'animation grandit.
Le soir la ville entière est illuminée, on danse sur chaque place, à chaque coin de rece. Une énorme foule d'hommes, de femmes et d'enfants se presse pour voir le feu d'artifice.
Et quand partent le premières fusées, ce sont des cris, des exclamations:
Oh! la belle bleue! Oh! la belle verte!
Le bouquet final est une magnifique gerbe aus couleurs nationales, bleu, blanc, rouge, qui embrase le ciel un instant et retombe en pluie de feu,
pendant que la foule enthousiaste répète le même cri: Vive la France. Vive la pa France!
メルヘンの中で恋をする
ジヤンとジヤンヌのたのしさ
街の上の方まで灯がともり
鬼火がふわふわ漂ふてゐる
☆
春の雷は舗石をぬらしてゆく
それから一組の俄か造りのこひびとたちを
彼等の靴の下は道が乾いたまヽなのに
赤川草夫氏
われはゆき子に邪慳なりき
四月二十六日 丸三郎 松田明 橋本勇 松本善海
鴿[はと]の来てふむわたしの記念碑
しづしづと脳髄に蛆虫が食ひ入り
わたしの頭痛は永遠に置き忘れられる
蔘麻(いらくさ)が生えてゐる わたしの掌に根をおろして
☆
美しい空よ 凝視よ
わたしの瞳は天象を宿す
わたしの耳はエーテルを感じる
私の魚は盲目になる
☆
ひそやかにひとびとが相談してゐた
太陽の動きがのろい午すぎを
わたしの追放は逃れられぬものと思はれた
古井の端で蔓草で編んでゐた
忘却の紙屑籠を
☆
とびこえる
とびこえる
頑固な白頭を
とびこえる
とびこえる
☆
バラ咲く五月
園匂ふ若葉
ヨツトが梢に浮かぶ
ひるすぎの奏楽
テラスで子供が鬼ごつこ
バラの枝が垂れる
花をつけてバルコニイから
わたしのひるね
噴泉がとまるかと思はれた
梁 呉均
山中雜詩
山際来煙を見る。竹中落日を窺ふ。
鳥は簷上に向ひて飛び、雲は窗裏より出づ。
同 何遜
慈姥磯
暮煙は遥岸に起り、斜日安流を照らす。
一たび心を同じくして夕を賞せば 暫く郷憂を解き去りぬ。野岸 平沙と合し、連山遠霧浮かぶ。
客悲自ら已まず。江上帰舟を望む。
折楊柳歌辞
馬に上りて鞭を捉らず、反りて楊柳の枝を折り、
蹀坐して長笛を吹き、行客の児を愁殺す。
遙かに孟津河を看るに、楊柳鬱として婆娑たり。
我は是れ虜家の児にして漢児の歌を解せず。
陳 陰鏗
渡青草湖
洞庭春溜満ち、平湖錦帆張り、
沅水は桃花の色、湘流は杜若の香り、
穴は茅山を去ること近く、江は巫峽に連つて長し、
帯天迴碧を澄まし、映日浮光を動かす。
行舟遠樹に逗まり、渡鳥危檣に息ふ。
滔々として測るべからず。一葦詎能航。[※一葦なんぞ能くわたらん]
二十七日 多摩川へ遠足。池内教授、台北の吉村君。
おそ春の八重櫻咲く梢(うれ)見ればおほによどめり土埃ぞら
蛙のこゑをちかた小田にすだくめり若葉にしづむ埃たちたり
ならくぬぎうすむらさきに芽をふきぬをちべの水はかなしう光り
麥みのる四月をはりのかなしけれ魚ら血流し釣られてゐれば
魚らのをろかなる眼をみてをりぬ磧にあそぶ女(こ)らとひととき
むかふ岸に水かたよりて流れたり断崖の上は草青みゐぬ
若芽だつ樹々のむらがり壯(さか)りにてかの片丘はもり上り見ゆ
木々の芽にひとしほくらき御堂ぬち金色佛(こんじきぶつ)を師に示(み)せまつる
み佛ら閻浮檀金[えんぶだごん]に化現(けげん)まし佛顔(かほ)うき世めき形どられます
さきおととひ邪慳(さが)にもてなしかなしませしをとめを思ふとこに遊びし
わがつひの世をともにせむをとめなり多摩の水示(さ)しちかひてし子ろ
五月四日 東洋史讀話会
白鳥、市村先生 [※白鳥庫吉・市村瓚次郎]
先生は老来益々壮健でゐられる
コンスタンチノーブル わたしもあすこには
さう 一九○三年か四年にゐました
わたしたちの父のまだ母と結婚してゐない頃
わたしたちはシネマの旅愁を思ひ浮かべてゐる
☆
華やかに白いテーブルクロスが拡げられてゐる
コオトレツト[※カツレツ]の汁で先生は髭を汚される
飛燕草やマアガレツトの蔭で先生の顔がしばらく見えない
先生は老人の咳をなさる 白い手帛がいたいたしい
☆
東洋史 夜に和田先生[※和田清]。石田幹之助氏、岩井久慧氏。
池内岩先生の講演。
五月一日 メーデー見に。橋本君、岸君ら。
五月二日 春山氏より原稿依頼。
五月三日 丸、遊びに来る。
五月五日 辻野久憲氏。田園交響楽(ジイド)
詩に
わたしとおまへの間にはとげとげした不和がある
おまへはわたしの手をはなれると
牡蠣のやうな眼でわたしを瞶めはじめる
わたしには怪訝の情しか残らない
☆
わたしが把へ得たと信じてゐたものが
曉の光と共に逃げてゐる
空しい敷布の皺でわたしは悟る
わたしの夜の間の自惚れの数々を
髪の毛が落ち散つてゐる
不協和音(デイソナンツ)の群をなして [※dissonance]
暮春の碑
ゆく春やわれも
むかしは美少年
五月七日 杉本一彦、小川俊郎、
三浦治
夕方松浦死すとの電報に接し帰阪す。
雪はおまへの熱つぽい額を冷やさうと降り
ぼくらは小学生のやうに腕をかヽへて歩いた
おまへの咳は方々にひヾくので
僕は四辺の静かさに気兼ねしてゐた
それで咳を止めておまへは行つてしまつた
僕をかなしますのに残してをいて
☆
五月の歌はたのしい 雄々しい
たとへば芽吹く楠や 紅いすかんぽの花のように
そこをおまへはさまよひ到頭逝つた
咳[しわぶき]ながらむせびながら
茫漠たる天の階段をのぼりのぼつて
☆
あけぼのの光のなかにめざめゐぬ もの思ふべうあ[吾]は残されし
ひとすぢにあゆまむとしめし野の道をその足跡も消しつヽゆきぬ
華やかにひとびとはなれを哭くならばあれらをのこしゆくもうべなふ
五月八日 葬式
斎藤さんや、水泳部、原田、西野、吉長、坂ボン、ペコ、田、西川、中島、川崎、白井、松下、生島、安田栄次郎、杉野、
弔辞よみかき
五月九日 戸田氏、父。
夜、上京。
月光の下に海への道がある
人の子ひとりゐない
桑の葉がぬれてゐる
五月十四日
ゆふぐれに子供たちの出てあそぶ僕の窓がある
子供たちは愛情といふ一つのことに敏感すぎて
僕の邪慳をとつくに見ぬいてゐる
僕の窓帷(カアテン)を降ろせ 僕の手帛をふることを止めよ
★
外で香水の匂ひがしてゐる
外にスリツパがぬぎすててある
外に出る 何も匂はない
スリツパも消え失せてゐる
僕は敬虔になる 内なる神よ
外の悪魔よ
五月十六日
夜の二人での歌(エドアルド・メリケ)。松浦悦郎の思ひ出に。
女 いともなよかに 夜の風は牧をかすめ
さやかに音たて若葉の森をはしりぬけぬる [※未完]
五月十七日
菜園には虹が立ち
晝の雨はアポロの額に消えて行つた
☆
海の見える前庭の晝食(ひるげ)
尾をふる犬らと子供と
潮くさい風とを皿にのせ
母の懐ひに胸つまらせてゐた
☆
庭は豊かな匂りもつ花々に埋れ
雪の積んでゐた庭はもうない
子供たちはかけまはる
花をふみちらし驚かせ──
大人になつた僕を欣んで見てゐる
☆☆☆
アジアの地図を指で料理つてゐる教授
夛倫諾尓[ドロンノール] ここは食へるところ
戈壁[ゴビ] ここは砂利だらけ
新疆 虫が巣食つてゐる
青海 膓(はらわた)が腥[なまぐさ]い
剖分[ふわけ]は出来上がつた ナイフだフオークだ 大きな皿だ。
☆
眼がさめると明るい晝が来てゐた
汽車のとまつた駅の外では何か紅い花をぬらす雨がふり、音なくものみなを光らせてゐた。僕は 冊子に眼をおとす。ゆふべ の頁のつづき。ゆふぎり。霧のおりてゐるプラツトフオオム、それらが疾過して行つた。雨は大降りになりはじめたらしい。やがて海が見えてき た。
五月十九日
そのものと関係なささうにひとたちが流れてゐる
わたしはそのものを知らない
たヾひとつのものであるらしいことが わたしを震はせる
身うちがぞくぞくする
☆
婚禮の鐘が鳴らされ
けふはじめて邸中に燈りのついたことのうれしさに
犬たちは庭園を走りまはる
子供たちは寝床へ追ひやられ
食器の音に耳をかたむける
大きな菓子を切る洋刀を羨むあまり
敷布を暑くしてゐる
素馨(ヤスミン)と接骨木(フリイデル)の花ざかりの夜なか
五月二十一日 米田巍君
まつかに眼を腫らしてゐたみんなよ
生きてゐるぼくの友だちよ
死んで了つたぼくの友だちを泣くために
ここ 葬場に鳥のやうに虔かにゐるのだね
五月二十日
今中会 三宮校長
美の家 小原、小川、松本、倭
僕ひとりが憎まれてゐる
永遠のままつ児
矯傲の性をかくせどもあらはれぬ
五月二十七日
ガラス戸を越して木が見える
子供たちの攀ぢてゐる木で
一面にまつ白な花が咲いてゐる
ぼくは熱を病んでゐるので
ゆふがたの空の冷さが快い
子供たちの歌がぼくの木をもゆすつてゐる
★
ぼくらを呼んでゐるこゑ
會堂の尖塔にゐる鳥たちのかしら
垣ねを破つて竹の子が出てゐる
まだ御用はありませぬか
★
ヒドラはふるへてゐる
汚い水溜りもつつじの花を映すのに美しい
鯉や鮒やみな自分の場を占めて
一萬年前の哲学の書をひもどいてゐる
★ A Fuyuji Tanaka [※田中冬二に]
黎子に見せてやりたいのはわたしの田舎の館
若葉に埋れた山ふところ
ラムプをともすゆふがたに鳩の啼く谿間
麥の間の街道の埃もしづもり
青い木々や草々の匂ひにつつまれて
わたしの弟や妹たちが帰つて来る
向ふ脛に生傷をいつぱいこさへて
小いのから順々に蚊の多い床につく
僕はそこで黎子への手紙をかく
田舎はさびしいと
★
知らないひとに足をふまれた
その多様な愛撫の仕方で
都會はわたしを狂はせる
鉄や鋼でくすぐつたりするのだ
★
植木屋がこさへて行つた庭潦[にわたずみ]を
取巻いて紫の菖蒲が咲いた
紅い鯉と黒い鰻とに
星が墜ちて来る 幸せなど
植木屋に負ふ所が甚だ多い
五月二十八日
わたしの隣には絶望が棲んでゐる
わたしは庭に孤独の花を咲かしてゐる
わたしは高ぶつてゐる
わたしはハリネズミのやうに刺す
しかしそれが何であらう
わたしの針は今みな折れて了つたのだから
わたしは絶望の顔を見る
シヨツパイ泪が湧いて出る
わたしはもうわたしを見ない
五月三十一日
村と村との間を縫つて河は流れる
蝶々が水草にとまる
蛙は棲まない
僕は橋で河と交渉を保つ
瀧川問題、東大にも。
長野の結婚。[※長野敏一]
昇降機
天鳶絨[ビロード]の階段は置き忘れられ
ひとは鋼鉄製の檻を愛用する
造山作用はかくて成立するのだ
☆
胸に蝋燭を灯すぼく
ミネルヴアの祝祭のために [※芸術の女神]
智慧の洞穴から梟を飛び出させ
手品はもうおしまひですか
☆
シロツコはどこから吹く [※海南風]
あちらこちらに飛ばされる蝶よ
室々の玻璃窓毎に花鉢をおき
室内では紙屑さへ動かない
☆
十二時が来る
杜鵑[ほととぎす]が啼く
森はひとねむり
太陽と重なるので
☆
麥は熟る 黄金色の髪の毛と
夕陽にもえる家がある
もつときつい火炎の森たちよ
子供たちが帰つて来る いろんな彩の着物着て
そこで五月の祭りが終つたのだ
☆
常緑木にまじる芽出し楓の紅へ
自動車の吹き上げる土埃の中に
虫たちが死んでゐる
六月一日
喫茶店
輕気球を浮かした空からは
石竹の花束が降り
海からは塩の瓶が来た
和蘭陀風の画縁では
絶間ない溢れを防ぎ止めてゐる
さて木の葉のオレンヂエードを
人々はパイプから吸ひとつてゐる
煙草には地峽の悒鬱がこもつてゐたのだ
★
六月二日
坂のつき当りには薔薇の垂れ下がる蔓に一杯のバラの花
茂みでフイロメエレがないてゐる [※うぐいす]
空は驚くほど近い 饗宴がそこでもたれてゐる
六月三日
悲劇(喫茶店改作)
かぢりかけの幾片かのソオセエヂ
塩の瓶に並んで石竹の壷
くすんだ銅板画の中で人が釣してゐる
凡てはテエブルクロスの線より上にある
六月四日、五日 母妹。
妹から小遣ひを貰つた!!
六月七日 Yと。
六月八日 北園氏を訪ふ。留守。
色褪せた髪の毛もつ人のねた
寝台車はいま動く
ひとびとは集つてゐる その人の生死を知りたさに
腥い潮風が吹いて来る
日はかつと凡ての上に熱い
六月十日 薔薇の鉢植を買ふ。
けふは土曜、火曜日までに萎れないやうに。
六月十一日 はせを[芭蕉]の夏
1.寛文、延宝、天和年間
菖蒲生へり軒のゐわし[鰯]の髑髏[されかうべ]
時鳥いまい俳諧師なき世かな
五月の雨岩檜葉の翠いつまでぞ
ゆふ顔の白く夜の後架に紙燭とりて
2. 貞享、元禄年間
夏来てもたヾひとつ葉のひとつかな
麥の穂をたぶりにつかむ別れかな
木つつきも庵は破らず夏木立(雲岸寺)
先たのむ椎の木もあり夏木立(幻住庵)
ほととぎす大竹藪をもる月夜(嵯峨)
どんみりと樗[あふち]や雨の花ぐもり
白げしに羽もぐ蝶のかたみかな
髪生ひて客顔青し五月雨
入梅ばれのわたくし雨や雲ちぎれ(洗馬)
さみだれや色紙へぎたる壁の跡(落柿舎)
六月十一日
自轉車競争(イヴアン・ゴル)
32人の世界選手!
青、白、赤の虹が
正午を照らす
廻れ!
子午線(ミリデイアン)の黒い軌道(レエル)を廻れ!
廻れ ヨーロツパとアジアとよ![ママ]
あなたのためにみんなはまはる あなたのためにぼくらは祈る
時計の文字盤(カドラン)
工場の調帶(クウロア)
緑の日傘
富籤(ロテリイ)の大きな輪
まはれ まはれ 奴等のために!
最後の一周(ラウンド)
銅羅(ゴング)!
太陽は一輪車の上にさしかかつた
競技場はふるへるゴム輪のやうに
ベルギー アメリカ! 太陽!
まはれ ベネツト杯のために
一生懸命で
六月十五日
赤い煉瓦の建物の肩で
空は雲をちぎりちぎりしてゐる
紫陽花などの花がしめつぽい
外國人の少女が降りて来る
その坂の傾斜は大したことはない
×
不幸の豫感を感じない
海には親しい 山には畏れる
ヴエランダから見る海は歯を剥き出してゐる
僕の松林を洗つてゐる
歯が歯ブラシにあたるやうに
★
マノン様お風邪を召しますよ
いいからほうつておきつてば
薔薇の花は馨りロツシニヨル[※鶏]は啼く
あの人はまだ見えない
緞帳で月がのぼる 蟾蜍[ひきがえる]を啼かす役も忙しい
★ 稲垣太郎氏を見送る。藤原義江も中山正善も。
ちようど よござんした
直ぐそこに見えましたね
汽車の動いた後でお婆さんたちが云つてゐる
僕のお尻の辺りで(何にも見えはしなかつたらう位 背が低い)
送られる人 息子はおん年将に五十一才の海軍将官
★
ユウゲントを捨てちまへ
その雜事を凡て嫌悪する(Y)
後に何が残るのだ
カント式の消化不良と
ノヴアーリス式の小児的性慾とか。
六月十六日
時計(イヴアン・ゴル)
時間は凡て塔からころげおちる
水晶の翼は街路でくだけ
絶望した天使 永遠の自殺
凡てのモンブランから時間は飛下りる
人間のために作られた氷のやうな永遠を
僕らは點眼器でのむのだが
毎日毎日
毎日毎日 奴等は僕らをくり返し殺す
走らう 走らう!
何処へ?
毎日毎日
乗合自動車(オオトビュス)はケンタウルスのやうにセエヌを過ぎり
ブリユツセに急行はきちんと七時十二分には出発する
明日の朝 ギヨロツテイーヌ[※ギロチン]はオウロラの首を断り
取引所は正午に開くことだらう
地球は廻る 神様の自動車の五番目の輪なのだ
天使はむだに自殺する
暴行は不滅に残るのに
アカシア
夏は爆発する
アカシアの砲彈だ
誰に投げられた?
僕を滅ぼす無数の心
億萬長者の友だち
どの葉もみんな囚はれた希望
どの鳥もみんな忘れられた苦しみのかずかず
ああ 歌へ
風はゆるやかに世界をゆする
アルプスの小い三部曲
1、谷
草原で
勿忘草をつむために
足をぬらすのです
李の木が
その涙の菫の花で
センテイメンタルにします
金髪の娘
牝牛たちがゐます
静かさ 永劫の愚かさです
2、峰
僕は紅い心臓が礫に対して撲りかかるのを感じる
僕はギンギン尾のやうにそれを開き
みんなに一つづつやるのです
僕の魂の青空は
曇です [※訳未完]
六月十七日
《文學6》
《火の鳥》山川弥千枝遺稿集
Mademoisells divine!
Mademoisells blue-blanc-rouge!
Mademoisells pleureuse!
Mademoisells qui rit souvent!
J'aime vous!
Vous êtes ma bienaimée eternelle!
限りなく愛するそなたさま
水晶の翼を羽搏いて
天橋を辿りのぼられる方よ
虹のやうにそなたさまの足跡は輝き
汗は硝子の管のやうに光るし
吐息は六月の風のやうに匂ばしい
海が見えるでせう 泪をためたお母さまとも
十八日
見せてよ 見せてよ
蔦の葉たちは太陽を見ようと
押しあひへしあひしてゐる そこで
葱くさい噫気[げっぷ]をつきながら
閥から太陽が出て參る
★
わたしは戰さの先頭に立つ旗手なのでせうか
それとも家にあつて守る門衛なのでせうか
どちらもお嬢さんから遠くかけへだたるので
シンガプールにゐるやうに(イヴアン・ゴル)
感受性が足りぬので
感性的でゐませうよ
それでは恋人でなければいけませぬか?
山や谷を愛するには。
とりでの上へ
蒲公英[たんぽぽ]つみにゆきませう
歌うたふやうな天國は
まづないのです。
なさけやこころが足りぬので
毎日恋をせねばならぬ
恋や苦痛といふものは
新嘉波[シンガポール]でも買はれるのです。
別れに泣く方には
僕は葉書を出しませう
感受性が足りぬので
感性的でゐませうよ。
目覚まし時計
夜 噴水は錆ついた
煙突は葉巻のやうに燃えて跡かたもなくなつた
大聖堂(おてら)で 宝石の寝床で
天使たちは星の南京虫にかぢられる。
子午線のもつれをときたくても
どこに糸口があるのだらう
地球の獨樂は誰が廻はした?
空の漆喰は粉砕した
田舎へゆく道は螺旋状で
空間のどこへ向いてゐるかさへわからない。
牡鷄はもう お助けを呼んでゐる
女郎屋を出しなに化粧した太陽は
大草原(プレエリイ)を千鳥足で歩いてゐる
無邪気な川は歌つてゐる
人間だけはまだいびきをかいてゐる
目覚ましの精が活動力を鈍らせたので。
六月二十日
アルクイユのクラブのパアテイ
à A. Kondo (※ 近藤東に)
à Mlle. A.E. (※ 江間章子に)
扇はあなたの掌で馨つてゐた
素馨とそれは申します
あたいはお腹を通[こわ]してるんだ
靴下に石ころが入つてゐる
軍艦かも知れない
★
アツサンスウル[※靴]を用ひない
紳士たちは
把手(ハンドル)を廻す手は銅の匂ひがするので
手帛が墜ちてゐる
ふみにじられたそれは獸のやうに醜い
★
あたいは世間が淋しいのでお酒をのむ
一昨日から両世界評論が休刊したので
ストロンボリの再噴火も昨日まで知らなかつた
あたいはみんなに見棄てられた
バルコンの下で月光に地中海がちぢれてゐる
バグダツド・カイロ急行が月の下から出てきた
六月二十一日
辻野久憲氏
六月二十二日
水の腐つた池
それは黄楊の株に囲まれ
藻の花のあひまに睡蓮が浮かんでゐる
たとへニムフがゐるとしても大変泥臭い
向ふ岸にお神の鳥居さへ見えてゐる
六月二十三日
本位田来る。
六月二十五日
Y
à tontes les meres et mers (※凡ての海と母に)
海はピアノの低音部の鍵盤
誰かヾ倦まず叩く
海は貝殻の鑛床
死骸になつてひとびとが運び出される
海は母への愛慕の象徴
そこで凡ての女は髪を濡らす
海への道でひとは哭く
かずかずの思ひ出がみな思ひ出されるので
海には山が迫り海のいろを染める
大変青い さうして心配気だ
ネプチユウンを巻く海蛇を見るのだ。
Ich wurde Vater! [※ぼくは父になった]
à Shuzo Iwamoto (※岩本修蔵に)
この世紀は皮肉なので
あなたは芭蕉をも知らない
梅雨と啼く嬰児とを
蝸牛たちが運び入れる
陋巷に花が光つて咲く頃を
★★
彼女は塩つぽい、塩の泉をもつてゐるので
彼女は脂粉をきらふ
天瓜粉[てんかふ]をぬるのはあせもを防ぐため
それも味へば塩つぽい
六月二十七日
クラス会 神楽坂 紅谷、
橋本、山口君
六月二十八日
川久保君
煩瑣な学問は捨てねばならぬ
いつか何の本よりも櫻桃の方が美しいと思ひ始めた
×
病院から子供をしよつた奥さんが出て来る
外は雨降りで高下駄の歯を鳴らして
×
アドニス アドニス 潅木林でこだまする。鏡は山間で澄んでゐる。
時々そこを横切る人影がある。海 それも懐かしい。それらが一つとなる時 帷のやうに怨恨は引かれてゆく。さうして果てしない夜が来る。
六月二十九日
碧潭に釣りを垂れるわたしに
渦巻き流れる過去よ
七月一日
本位田昇来らず。
七月三日
本位田、丸。 船橋。
七月四日
國府台。
【抹消】夏草や鼬のよぎるみちせばめ
濠割に魚ゐて旭さしてゐぬ
崖端をめぐりて葦の堤(ドテ)ありぬ
泥の上に舟揚がりゐるに石投ぐる【抹消】
朝刊 [※訳詩]
巴里の風見鶏(かざみ)は鳴りひびく
おお 花崗岩の大艦は
そこで月が星の蝿めらを見張つてゐた・・・
蜘蛛の巣の繋索を断(き)つた
自由
ゴシツクの塔はバラ色の風にゆれてゐる
その鐘たちは空の陶器(セトモノ)を破[わ]つてゐる
天使たちは眼をこすつてる
慄えてゐる修道院
廊下の部屋たちはこわがつてゐる
カフエ・オオ・レエの熱い匂りを──
キリストはズボンの釦をかける
可哀想に 起こされた一番電車は
窮屈にコルセツトでしめられた少女たちと
舞踏会の一番後の婦人たちとを待つてゐる
大きな熊がセエヌ川をかちわたる
だけど燕はもう
空のフライパンで躍ねてゐる
カフエ ピアルは眼ばたきする
大白鴉の停車場前で
階段のまはりを周つてゐる
「マタン」と「ユマニテ」新聞が
重い頭は地下鉄(メトロ)でゆれてゐる
避難所(アジュル)にでもゐるやうにそこで身体を暖める
その瞬間に
とてもちぢれた頭が
(第一頁の寫眞)
刑務所の背ろで転がる
哀れな虜よ!
だけど僕らの小さな麺麭はバタがついた
【抹消】貧乏人の酒場
小つちやな電気の夜鴬【抹消】
七月五日
七月六日
まひるユンカア機は墜ちるところを
娼婦たちに見られた
海風の吹く砂原に
ユンカア機は玩具のやうに壊れてゐた
しどけない女たちが集まつて来て見る
血みどろの飛行士を
(彼はもう肉塊をつつんだボロと云つていい)
★
白鳥たちは生れてゐる
あちらの沼で こちらの池で
花が咲く 地は暑い
ゆふぐれ かなかなの啼く時まで
太陽は死ににゆかない
★
七月九日 夏
梧桐の木蔭に喞筒[ポンプ]は錆びついた 青く塗られてゐる
街道を遠く金色の棺車がゆれてゆく
埃が噴水のやうだ
★
懸崖の中途に紫の花簇
筧がある つららが滴つてゐる
雲は覗いてゐる 苔生(む)す岩のあたりから
★
崖錐が発達してゐる
粘板岩に植物は生えない
この地帯の生物として兎
雪溪に足跡をつけてゐたので
途は極まる如くして盡きない
★
宿の畳に 羽のある松の種子が散つてゐる
(けふ越えて来た峠では蜩が鳴いてゐた)
紫陽花の蔭で燈籠に灯が入つた
七月十一日
旅への誘ひ (l´ invitation aux voyages)
蓮池は涸き切つて 泥に人の足跡がついてゐる
鵞鳥が漁つてゐる 陸の眞珠貝などを
蛇が埃まみれになつて街道を横切つて行つた
★
七月十二日
汽車が止まると駅の外は落葉松林
鳶が舞つてゐる 蟋蟀が鳴いてゐる
旅情を下ろして汽車はまた動き出す
★
谿に白いのは あれは百合
田舎ゆゑあのやうなボンネをかぶるひとはない
風の中に蝉が啼く
とても勤勉な樂手である
★
夜は蚊の群になつて一しきりぼくを悩ますと
入れ代つて曉がくる
雀の合唱團の午前四時
蝉ももう鳴いてゐる 鷄が目をさます
ぼくの眠りはやうやく深い
★
熱帯植物も暑さに首垂れる
そのやうなひるすぎ
雀が泉水に来てゐる 乾いた泥に
その小つちやな足跡をつけに
七月十五日
七月十七日 Y、関口、丸、友眞、池田
七月十八日
雷
ケンタウルスたちがいがみ合つてゐる
蹄から火花がとび散る
吐く息は熱くるしい
やがて和解をもたらす眞青な雨が降つて来る
國境
海から吹く風は腥い
帝王の玉冠と風にふかれる旗たちをなびかす
馬車などは白墨の線で止まらされる
巨大な差伸べられた腕である
象眼
窮屈に宝石たちは押しこめられてゐる
大理石の匣の外側に
さてその中ではサロメたちが眠つてゐる
白い敷布や花環などを
血の宝石で象眼して
in crustation
ノヴアーリス 夜の讃歌
2.
朝は常に還つて来る筈のものであらうか。現世の勢力(ちから)は永久に終らぬであらうか。邪[よこし]まの営みは夜の天上への飛来を無くして
了つた。愛の神秘の犠牲(にえ)は永久に燃えぬであらうか。光明は適確にその臨終を迎えた、しかも夜の支配は果なく無間[ママ]である。──
眠りの継續は永遠である。聖なる眠りよ、夜の秡ひ清めしものを、この現世の日
日の行事の中に全けく幸せとならしめよ。
七月二十三日
黒い晝顔の咲き凋むところで
あの歌が僕を震へあがらせる
もう二度と見ない
夕曉空の下のあの影を
蜩たちの啼き止めたあとを
そんな歌ごゑがぼくを取巻くのだ
七月二十七日
灰色の陸
たそがれてゆく夕曉空の雲は
さびしい陸を脅かしてゐる
かなしい笛をもつた男のやうに
秋は世界を通つてゆく。
おまへはその近づくのを知り得ない
そのメロデイーもききとれない
だけど 蒼く色あせる野の中に
おまへはかれらを感知する (シユテフアン・ツワイク)
桔梗の咲く高原から白樺の葉書をよこす友だち
蒼ざめた弟と歩く路には露が深い
フオルム・フオルム 聳える山にも襞が透きとほつて見える
春の樹木 (ツワイク)
方々の樹木はどうして蒼い
空をその梢で塞いでゐることだらう
このざわざわなる緑の雲たち
その間にまじるこの火花 この白いのは
暗がりからもう萌え出た鮮しい
花かしら それとも星なのだらうか
空に唇をいまつけてゐるものこそ
あのさびしい冬の日の
蒼ざめてゐたものとほんたうに同じものなのだ
それをぼくらは幾度もあこがれて眺めたものだ
その幹が 春の近づきを
示してはゐないかと
慰[や]る方もなく枯れて 空つぽの桟敷に
彼等はいつも立つてゐた そしていま胸を
呼吸(いき)づきながらおせじいふ風の中でゆりうごかしてゐるものが
秋の日に 涙のやうに蒼ざめた
黄色の葉を落としてゐたものと
ほんたうに同じもの 一つのものなのだ
夕暮の哀愁 (ツワイク)
夕暮の哀愁よ なりひびくもののねよ
くらやみのたましひよ 青春の親友よ
夕暮の哀愁よ 慰めいふ悲痛よ──
わが孤独のやさしい遊び友達よ
夕暮の哀愁よ ざわめく涼風よ──
夕暮の哀愁よ ああ おまへをわたしは感じる!
甘いものを含んだ暗い唇が
いまひそやかにわたしの唇に降つて来た
やはらかな腕が やさしくわたしの顔を
撫で わたしを全く
もうおまへの哀愁の情に身を委ねようと
まちかまへる快さに震へさす
七月二十八日
ぼくの上を草や木が覆ふ時
幾枚かの紙屑が残る
それを友だちは知性のないぼろぼろのつぎ合せといひ
見知らぬ人たちはいつそ白紙のほうがましだつたと怒るだらう
みんな金冠をつけ勲章を佩びて
七月二十九日
帰郷 薄井 肥下
七月三十一日 船越 伊東 中島諸氏
【抹消】 遙んな風景 (ツワイク)
あの人は夢なのだ 子供の頃のわたし。
夛分一度ゆめ見たのだ でなければ夛くが
度で会つた人で それをとつくに忘れて了つたのだ。
だのにその姿に いまわたしの胸にちらちらする
まるで鋭い刀が夜の奈落から
引さいたやうに【抹消】
八月一日
いま他人らしくわたしを瞶めるこの街が
わたしを生んだふるさとなのだ
その証拠を邪慳な仕方でそれは見せる
たとへば大きらひな幼い時の喧嘩友だちや
きざな同じ語をつかふ男の姿で
それからまたうるさい肉親のすがたや心づかひで以て
★
チユーリヒ湖畔のアルプスの光 (ツワイク)
この窓の框[かまち]の中に黄金の風と光に
俄かにしのびよつた姿を誰が呼んだのだらう?
しづかにそれはわたしを呼ぶ。そしてもうわたしは名を覚えた
それは秋だ そして別れを告げようとするのだ
晝の中空にあつた峰々は
いま ま[間]近く区々己々の光のなかに輝いてゐる
ああ ここでいつも同じく感じさされる。明澄の中に
もう過去と廃墟の一部とがあることを
そしてまたも一度ひそやかにいつもの如く
夕ぐれの路を谷間へと下りてゆけばよからうと。
そこでは秋に夜々が早過ぎるから。
そしてまた西方の火が窓から迸り出る
家々の外が暗くなる前に
夏の日を胸の中に見ればよからうと。
★
あさか山蔭さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに(古歌)
たそがれてくれなゐばらのにほふ園をとめは去りぬほのにかげ見ゆ
をとめ子の衣のにほひとくれなゐのばらにほふそのさりゆきがてぬ
ゆきずりにきみがはだへのにほひしをふとも思ひぬゆふべにあれば
★
八月二日 雨
冬(ツワイク)
神様に 大空高くさすらふ風の上に
枝々は凍へる腕で祈る
おゆるしを おゆるしを
ああ ごらん もう春の準備(よそほひ)が出来てるんだよ
いま 白い悲哀の中に再び雪はふりしきるが
それでも はや血の中には花が咲く
ああ そなたの永劫の熱情の
春の息吹を賜へ
そして鋭いふる雪を避けさせよ
われらの花から。 それは花を痛ませる・・・
八月三日 船越章氏
よすがら溪の音を聞く
わたしは脈膊をおそれるゆゑに
百合の花冠を徽章にした古王朝を
血みどろの戰車が牽いて行つた
すべて過去(こしかた)の雄叫びである
いま鳩はわたしの手に握られてある
★
青い砂地に僕たちは山をきづく
巍然とそびえたそれは何より嚴しい
僕たちはユウゲント[若さ]をもう持たない
心臓は凝つた汚血の塊である
八月七日 神戸出発。 本位田、父。 [※
台湾旅行出発]
岩壁の花々
へばりついてゐる
★
鴎がはばたくのは夜を招くため
藁束が浮いてゐるのにとまる
燈台
★
縹[はなだ]色の海──暮れ残る
海岸の砂地が白い
すべて花
虹を発射する落陽は雲の下に
★
永くひく船の笛
波を切る音は勇ましい。
甲板のあひびき 風に髪が。
燈台 油のやうに流れる潮
★
海風や明石の浦に日は翳り
夏草の折れて流るる海の澳(オキ)
海の藻に別れのこころのこしけり
雲ゆききと見る間にうつる島の群
鴎どりとびうをと海めづらしき
白魚を棲ますこと海いくばくぞ
潮路やかよへるものに似しことよ
夕日かげ海に五彩をながしけり
燈台におちかヽる日のかげを見よ
雲立つや陸路汗ばむ百合の花
夏の日は潮路にくれて星いでぬ
左舷紅燈に星とびかヽる曲り舵
潮の香を浴衣にのこしねむるとす
どんよりと曇るや海の魚の眼も
三十里来たりしほどは何も見ず
命なり きみがかひなは沖の底
八月八日 門司
家たちの這ひあがつてゐる山
こちらは何と雲の夛い山
★
海丹 鳳梨 [オンライ:パイナップル] 朱欒[ザボン]
街で拾つたのは西洋婦人のボンネ
★
雲と波とに追つかけられてランチで上陸する
江間章子が花をむしつてゐる
近藤東の水平線は大変明るい
★
次第に街の辻の高度の上る港町
七夕の翌日で色彩の夛い竹の枝が
色どる横町で子供が坐つて用を足してゐる
アフオリズムを見つけに歩く
大変退屈である
★
これはみづ みづなのよ
鴎はそんなことを云はない
あの人の眼を見ろ
睫毛だけで他人をにらめつける
濃霧(フリマ) 傭船(フレー) 瀬戸(グーフル) 港口(グーレー) 投錨(ムイヤージユ) 小舟(ナツセル)
海岸(リヴアージユ) 岩礁(ローシエ) 嵐(タンペート) 舵手(テイエモニエ) 吃水(テイランドオ) 快走船(ヤツク)
燈台(フアール) 水脈(ナツプ) 流水(クウラン) 警報(アラルム) 堤(シヨセー) 絶壁(フアレーズ)
海豚(マルスワン) 艙口(パノー) 海嘯(ラドマレー) 帆船(ヴオアリエ) 峽湾(フイヨール) 貝殻(エカイユ)
うしほ路やひねもす海の草流る
船は貧乏ぶるひをつヾけてゐる
闇の中で飛魚の幾匹を驚かせてゐることか
船尾の甲板には犬を四匹に首振る馬を二匹飼つてゐる
さうしてその船尾はうるさい動揺がもつとはげしいのだ
やつと見える燈がゆれてゐる
すべて水平線なんて語はあり得ない
ひと島はひと島送りゆふくれや
ゆふくれのわだ中に船とゆきあはず
ゆふけむり平き島がありにけり
日は雲に岩礁とほき水けぶり
右、壹岐、對島。 左、平戸、五島。
わだ中の道ひとすぢをゆくところ
八月九日 は、晝日海路縹茫たり
夜甲板に出れば星斗闌干たり
些か sea sick 気味で頭痛がする
三半規官
子供の夜啼きうるさし
八月十日
⑴ アシンコード(彭佳嶼)
基隆(キールン)島 燈台守のハナシ
基隆港
断崖と舢板(⑵サンパン[※はしけ])のむやみに夛い港
戎克[ジャンク※はしけ]もゐる 砲台が顔を出してゐる草山
八尺門といふ海峽のこちらは社寮島
赤い旗ひるがへる海水浴場
キールンから台北までは
岸壁−基隆−八堵−五堵−汐止−南港−松山−台北
羊歯類の大きな葉の見える草山
水牛と水牛使ひの少年
鵞鳥と家鴨と白鷺と台湾ガラス
(白鷺は実に夛い)
ホテイ葵の紫の花に木槿 双思樹
ガジユマルの気根
廟の屋根はそり反つてゐる(あまり熱いので)
本島人の家の入口には聨[れん]がかかつてゐる
總体に色彩が夛い(丹・碧)
墓が見えた 田圃の中の草生に開口して。
大屯山 七星山 観音山
双思樹の並木の蔭で油賣つてゐる人たち
× 北門町一三 榕樹館 [※滞在宿]
夜 台北の散歩
鉄路不准進入 せんろに入るべからず
バ 運転手 渋谷友廣 運轉手 黃亦澤
ス 車掌 陳氏來有 車掌 伊達利江
劔潭古寺
水月印禪火円覚珠光長不夜
滄桑經佛眼銷磨劔気幾何年
おみくじ
花開結子一半枯 可嘆今年尓虛度
漸々日落西山去 勸君不用向前途
台北市大橋町壹丁目百拾参番地
新興発商店 李媽銓 敬奉
黄五四印刷部印行
己未の分の文句には
危険高山行過盡 莫嫌比路又重々
若問桂蘭漸々発 去蛇反轉変成龍
動物園
鸚鵡「カステラ! カステラ!」
迦陵頻伽 [かりょうびんが]
Porphyrio Poliocephalus 鶴亜目秧鶏科 [※青鶏]
雨傘蛇 台湾コブラ
本島人の家
山崎克雄君と
水源地
佛桑花の花は紅い
淡水河の瞰える丘に蝉の声をきく
新沾街にゆく輕便鉄道
かつと暑い陽かげ 渇くのど
双思樹の枝を折つた
植物園
ドイツ少女が馬にのつてゐる
とても下手だ
すばらしく綺麗 髪の毛がふさふさゆれてゐる
瑠璃茉莉 紅茉莉 檳榔樹 大王椰子
風船かづら 椶櫚のたぐひ とても暑い[ママ]植物ばかり
明菓
木瓜(モックワ[※パパイヤ])
夜 尾崎秀眞翁
貝の文化 殷墟発掘の貝貨 秦の銅貨
東夷島夷(書経禹貢[しょきょううこう]) 台湾六千年史を書くと
高砂─高山國─竹暫[※竹塹](テンサング)(ザン濠のザン)(旧港)
八月十二日
大
稲堤 [※大稲埕]
豚の油、汚臭、喧燥、龍の落し子が乾されてある、蛙、鼈[スッポン]も、
蛇の黒焼は口をあけてゐる二三十本の棒
鹿の腎、鶏の骨
海仁草
人形の首をつくる人、
刺繍をする子供
錠前をこさへる職人
鞋、台湾服 跣足
賣小翁
─ 向吉凶何事?[何が吉で何が凶か?]
─ 南方旅行! 田中克己二十三才
─ 往東南方吉貴人有平安得財八月二十外去吉
[南東に吉、富を得られ8月20日は吉。]
城
隍廟
謝将軍 痩長 城隍翁
范将軍 肥短 城隍娘々
留心火車往来(きしやにちうゐ)
Mlle.謝氏琴、M.陳、王、黄、翁、康、射、鄭、張、
陳氏玉鳳
康氏純錦 支那墨 支那筆
芥子園画傳(六五銭といふ)
頸飾 支那扇
台湾酒
公鶏
米酒
花 (シユテフアン・ツワイク)
春の一番初の日の
少女たちはとてもすばらしい
まだ彼女たちはそれを云ふすべを知らぬけれど
花をかざしにその髪に
冠のやうにさしてゐることを覚[し]つてゐるから
かそかな風のヴアイオリンの音に
彼女たちは春の祈りへとさまよひ
あこがれの心が彼女たちの胸に湧き
それが彼女たちの蒼い夢のすがたを
夛くのあかりで吹きとばして了ふ
そして凡てのものへの鈍[ママ]くさな渇望が
彼女たちの身体に一つの官能を与へる
養魚池のにぶき光もくれにけり
たそがれは(夏の夕)蚊食ふやもりも啼ける宿
夜公園で音楽を聞く
法院へ行つてる人
台湾の花には匂ひがない
老人は内地へ帰ると死ぬ
永くゐると色艶がなくなる
葬式 婚礼 法律の話
八月十三日
台
南まで
茉莉の生墻、木瓜(パパイヤ)の木、バナナの林、甘蔗の畑、北部は早苗、南部は収穫、夾竹桃の駅、鳳梨(オンライ)、パナマ帽にするタコの
木、濁水溪、大甲溪など露出した石原、断りたつた河岸、木生羊歯
安
平
玉簪花をもつた老嫗たち、龍眼肉たべる児どもと一しよのバス。
廃港を彩る緑珊瑚。養魚池(ギョオン)で魚が跳ねてゐる。塩田のにぶい光、一掻きごとに光る塩の結晶。やもりが啼く、蚊を喰べに出る、垣根に
もはつてゐる。鷹を飼つてゐる主人、木麻黄の防風林、この家の庭にも。千日草が多い。億載金城の方、電柱。含羞草の原。破れた垣、菊面石の
垣、水上警察の柱は仁と白のだんだら染。夕日が反射する。城郭の養魚池にせまつてゐるところ、砲台。墓山。小石かと見えるのが墓、そこにもゆ
ふひ。七鯤鯓は連つてゐる。汽船の燈、廃英國領事館、つばな、抜穴がゼーランデイア城[※安平城]から。ユトレヒト砦(製塩会社を見学)蘋菠
(ピンポン)の果、パパイヤ、愛玉子(オーギョーチ)。
十四日 別れを泣く隣の子
西
㡣殿 [※西龍殿]
西望鹿耳南鯤身威靈赫濯
龍躍禹門廻大海呵護紺宮
広済殿では虎嘯き龍吟じてゐる。
文朱殿 日龍殿と反りかへつた甍のお廟の夛い街
菩提樹(ゼーランデア)の白い葉裏。史料館の女の子いふ、城壁に気根の這つてゐるのを台湾松と(榕樹)。パパイヤの花、 檳榔しるで歯を染めてゐる老婆(台湾では車夫が)、紫のひるがほが運河に。
台南 赤崁樓
文昌星・女の子曰く。孔子様より前に文学をつくられた人。顔が
みにくヽて用ひられなかつたと。
こヽを出るとお葬式。
花車(二○台位)子供が曳く。
奠物(女の子供がもつ五つばかり)
位牌(祖母のらしい)
喪主(麻衣で、顔をかくす)
附添ひ、腕をとる。
男の親属(白衣)
女(車にのり覆面)
泣く女もゐるらしい。
関帝廟(武廟文衡聖帝)
二輪加芝居[にわか芝居]、老役一(青衣)、二枚目(書生風銀色の服)、女(娘)、乳母(女形)唇を黒く塗る、男数名、群集数人。
數定三分扶火又漢討呉伐辛苦備嘗未了半世事業 関聖降此言
志存一統佐興朝伏魔蕩寇威霊丕振始完当日精忠 ××××●●
さつきの老役[ふけやく]を描くゑかきが来てゐる。
媽祖廟(天后廟) 元の寧靖王の邸と。
お札をもらふ。
おみくじを引く。五十六番
大 種得藍田壁一雙
天 鳳凰相感為翺翔
后 貴人眞有非常遇
宮 代々児孫保吉祥
弟子楊所録敬謝
孔子廟
名宣祠に列せられるるもの十人
太子少保 兵部尚書 福建総督 范承謨 之位
太子少保 靖海将軍靖海侯 福建水師提督 施琅 之位
太子少保 兵部尚書 福建総督 姚啓聖 之位 [※ほか略]
東廡 先儒(右)(36人) 神位(公羊高、孔安国、司馬光、欧陽脩、范仲淹、李綱、陸九淵、文天祥、方孝儒)
先賢(左)(41人) (原憲、楽正克、萬章、周敦頤)
西廡 先儒(右)(39人) (公冶長、左丘明、程頤 etc.)
先賢(左)(34人) (穀梁赤、董仲舒、杜子美[杜甫]、諸葛亮、胡瑗、韓愈、韓g、蔡沈、陸秀夫、王守仁、黄道周、黄宗羲
etc.)
大成殿には、顓孫子師、卜子裔、仲子由、閔子損、端木子賜、先賢 冉子雍
先賢 冉子耕、言子偃、有子若、冉子求、朱子熹、宰子予
壁間に(東壁に忠節 西壁に孝義 の大書あり)
漢文台湾日日新聞
夫婦房中口角
夫手刃婦
新莊街人。張阿浪。年三十六。去十二日午後八時許。与妻張氏。年三十三。在其寝室内。為事口角。阿浪大怒。遂出菜刀。傷黄氏左大腿。 及膝蓋其他計五傷。被刑事捕入司法室究弁云。
大正十年来
第二暑熱 迫近百度
十二日酷暑。台北三十六度五分。十三日暑気更甚。午後二時四十分。昇至三十七度七分。即華氏九十九度九。明治三十年以来。大正十年七 月二十一日最熱。達三十八度七。十二日為第二次之酷暑云。
開山神社
[※東]
明 銅山守将 張公進 位
明 水師四鎮 陳公陛 位
明 左虔衛[左鎮衛] 江公勝 位
[※西]
明 正兵鎮 盧公爵
明 戎旗鎮 林公勝
明 總練使 王公起俸
明 忠振伯 洪公旭
明 建安伯 張公万礼
明 援剿右鎮[左鎮] 黃公勝
明 崇明伯 甘公輝
明 懷安侯 沈公瑞
明 閩安侯 周公瑞
明 定西侯 張公名振
明 咨議參軍 陳公永華
明 參軍 柯公宸枢
明 戸官 楊公英
安平 An-ping Wô hêng ai nih! [※ I love you]
八月十五日
台南→二水→水裡坑→水社→魚池→埔里→魚池→水社
山間ににぶき光をはなちたる湖の上を舟はゆきかふ
木瓜を庭に植ゑたる宿ゆ見れば水社大山に雲とどまれる
ゆふだちの(あとの)にごりのふかしも(よ)この川に水牛曳き童もいまはゐざりけり
八月十六日
水社─水裡坑─二水─台北
×
巒大山の紫に向つてゐる水牛
童に追はれて草深い石段を降りてゆく水牛
自動車に轢かれる鷄、まつ黒な山羊が草の崖にゐる
水裡坑の蛮人
おまへ 自動車を畏れて橋桁につかまつた夷よ(二人)子供一,男一
おまへ 斃れた紅の衣をつけた垢だらけの夷よ(三人)女一,男二
おまへ 氷屋の前で矮[ちいさ]い背を見せてゐた夷よ(一人)男一
八月十七日
台湾のお盆
台の上に人形、その前に沢山のお具へもの。
(豚の肉、鷄、種んな食物、菓子)
台湾の毒蛇 雨傘節(アマガサヘビ)
飯題倩(タイワンコブラ)
亀殻花(タイワンハブ)
赤尾鮐(アヲヘビ)
百歩蛇(ヒヤツポダ)
これらに皆擬[まが]ひがある。
釈迦頭=蕃茘枝
台湾の町には印(ハンコ)屋、女の鞋子(クツ)屋、呉服屋が非常に多い。次に生薬屋、刺繍する家、佛壇屋。
双思樹歌
みんなみの島びさすらふわが上(い)をもきみわすれずにゐませとの木ぞ
城隍廟のおみくじ(十三番)
室家事已成 四序盡和平
若要心頭快 青雲足下生
八月十八日 福建毎颱有名(福建通志巻七十一)
日 颶
正月初四 接神
正月初九 玉皇
正月十三 劉将軍
正月十五 上元
正月二四 小妾
正月二九 拗九
二月初二 白髭
二月初七 春期
二月初八 張大帝
二月十九 観音
二月二九 龍神朝天
三月初三 元帝
三月初七 閻王
三月十五 眞人
三月十七 諸神會降
三月十八 后土
三月二三 媽祖
三月二八 東嶽帝
三月二九 諸神外天
四月初一 白龍
四月初八 佛子
四月十四 純陽仙師
四月二三 太保
四月二五 龍神會太白
五月初一 南極星君下降
五月初五 屈原
五月初七 朱太尉
五月十三 関帝
五月十六 天地合日防惡
五月二一 龍母
五月二九 威顯
六月初六 大禹王
六月十二 彭祖
六月十八 善婆
六月十九 観音
六月二三 小姨
六月二四 雷公
六月二六 二郎神
六月二八 大姨
六月二九 文丞相
七月初七 牛女会
七月十五 鬼子
七月十八 神熬会
七月二七 天地合日防惡
八月初一 竃君朝天
八月初三 防惡
八月初五 九皇
八月十四 伽藍
八月十五 龍神大会
九月初九 落帽
九月十五 百神俱起
九月十六 張良
九月十七 金龍
九月十九 観音
九月二七 冷風
十月初五 小春風信
十月初六 天曹下降
十月初七 水仙王
十月十七 水府朝上帝
十月二十 東嶽朝天
十月二六 翁父多
十一月十四 水仙
十一月二七 普庵
十一月二九 西嶽朝天
十二月二四 送神
十二月二九 大盆
八月十九日
海上のやまとの方に風ふきてすヾしき夕ももゆるこころを
あまのはら星の座(くらゐ)もさまかはるみなみのくにはひとぞこひしき
檳榔の高きこずゑにかぜわたるゆふべゆふべを何ごとせうかも
八月二十日
尾崎翁 das Rendezvous im Pflausengarten [※植物園のランデブー]
八月二十一日 大和丸で基隆出帆
八月二十二日 洋上
解定邦君 新竹州竹南郡後龍三三九
陳中川君 台北州海山郡三峽庄公館後一二八ノ二
李世家君 台北州海山郡八張字八張九
長衫(てんさん)
檬果(まんごー)(檨仔(ソワヤー))
蒲桃(ふともも)(香果(ヒヨンコー))
蓮霧(おほふともも)(輦霧(レンブ))
蕃石榴(拔仔(バラー)・椰抜(ナツプ))
八月二十四日 帰阪 西川、池田
八月二十六日
Notes of the Topography [※台湾地誌]
この大いなる島は、土人自身よりは北港(パカン)またはパカンドと呼ばれ、支那人よりは大流求(タイリウキウ)(即ち大琉球。これに対し小琉
球も
あり。)と呼ばれ、葡人、若しくは西人(カスチリアン)よりは、その快く且つ魅力的な景状のためにイルハ・フオルモサと呼ばれ、和蘭人よりはフオルモサ島
と呼ばる。(キヤンベル[William Campbell])
×
住人たちは單一なる言語でなくして数種の言語を話せり。而して彼等は王公支配者、酋長を持たず。彼等は相互に平和には暮らさず各部落は他の部
落と絶えず戦闘状態にあり。
この國は夛数の美しき河流によつて横切られ、魚に富み、鹿、豕、野生の山羊、兎に充ち、雉、鷓鴣[シャコ]、鳩、その他の鳥類に富めり。この
島はまた、大いなる種類の獸を有し、例へば牛、馬の如きものにして、前者は数岐に分れたる甚だ厚き角を持ちたり。これらの獸の肉は甚だ嗜きも
のと思はるる。
而して彼等は山岳地方に於て群れをなして見出され、土人によつてオラワ゛ング(olavang)と呼ばる。また虎あり、テイネイ[tinney]と呼ば
るヽ他の肉食獸あり。こは熊と同じ姿態なれどやヽ巨きく、 その皮、より高価なり。
この國は耕墾される地、甚少きも非常に肥沃なり。樹木は概して自然生にして、その数種は果実を産し、土人によつて甚しく好まるるものなれど欧
人は触るることを肯んぜず。
生姜、肉桂も見出さる。尚この国には黄金銀鉱もありと伝へられ、支那人がその地を訪れ、原鉱の一部を日本に試みに送れりと傳へらる。
予自身はこれら鉱坑を実見したることもなく、嘗て之に狂溺せし蘭人の如き興味ももたず。
3.蘭人貿易の歴史
台湾の最近史を参照するに、葡人、西人[ポルトガル・スペイン]のこの島に来着したるは蘭人に遥かに先立ち、しかも名称を与へゐるなり。
然れどもその何時に初めて彼等の来りしか、または何を彼等は成したりしかは明らかならず。
われら蘭人に先立ちて英人の来りしを主張する者あり。即ち彼等は最大の島に城塞を築きしが、何等定かなる理由なくして彼等は不幸にも放逐され
たりと。 されど彼等はこの事の起こりし年月日を指示せざる限り、吾人は之を訛談なりと思惟す。
蘭人の来着に関しては、より確定的に且つ正確に語るを得。彼等が初めて支那に帆行し来りし時、その眞目的は彼の国と貿易し、日本へ持ち来すべ
き商品を得、
かくして葡人を圧迫せんとしたるものなり。然るに支那人は、國法を以て外国人の入國を禁止せるを以て夛大の遅滞と困難を経験され[せ]、これらの理由、
又他の事件の爲に彼等は初め彭湖の島に投錨したり。(漁夫群島の一にして、北緯二三度三○分の地に横り、正しく北回帰線の下に位置し、
ラモア島より二十二哩の東、台湾より十二哩離れたり)
かくして此地に到着した最初の和蘭人として知られたるは、提督Wybrand van
Warwyk[Warwijck]なり。彼はパタニより一六○四年の六月二十七日、支那に向け出帆し、
颶風のため澳門に到ることを妨げられ、八月七日、彭湖の西側の良港湾に投錨したるものなり。
かくして八月二十九日には快走艇スフエラ・ムンデイも同じ颶風の大危険に曝されたる後、彼に加はれり。
彼はこヽに永く、彼の本土に到るを許さヾる支那人の報告を待ちゐたり。十二月十五日に到り、彼と彼の船員とは少しも貿易することなくして彭湖
を去りしが、こは一には、
かくすべきことを通辞──彼等の上陸を防ぐるため五十隻の戎克をもちて登場したる支那官吏──に勧告されしにより、一には、約束されゐし確かなる返答を受
取らざりしによる。[続く※]
【抹消】海風や羅漢が像の漆はげて
よすがらを海風聞くや
さびしさよ灯のきゆるころの塩田蟲
啼くは何ぞ蚊喰鳥とふ屋守の虫
脂煙立つ隣は米酒福禄酒
肉下げて翁とほるや隘路なれ【抹消】
[※続き]
その後(一六○七年に至り)、提督コルネリス・マテリーフ(Cornelis
Matelief)が支那に向け出帆し、貿易確定の希望の下にラマオ島に投錨した。然し支那人は先づ蘭人に、
彭湖へ行けばそこで戎克を遣して貿易をなさうといふことしか賛成せず、重大な契約はしたが実行しなかつた。支那人の欲するところを知つた蘭人は、
何とも欺かれることを肯んじなかつたゆゑ、この企を継續することを決心した。
そこで艦長コルネリス・ライエルスゾオン(Cornelis
Reyerszoon)が派遣され、又も彭湖へ向つたが、これはその地の支那人と話を纏め得るかを見る爲であつた。しかし漁夫ばかりの住民は蘭人を怖れ逃
亡し、 近づくことが不可能であつた。しかし遂に成功した。商人頭のヨハネ・フアン・メルデルド(Johan van
Melderd)が平和の白旗を船尾に掲げたヨツトで遣され、我々蘭人と商議することに説伏したからである。
そして彼等が蘭人の平和以外に何等求めてゐないことを知ると、彼等はフアン・メルデルド氏に、湾内に入つて彼等の爲に説くことを勧めたので、メルデルド氏
はさうした。
この会合の結果として三隻のヨツトが用意され、フアン・メルデルド氏は之を以て漳州(ChinChew)?[ママ]河に航行した。
しかしこヽでも又住民たちは我々の近づくのを見て逃亡して了つた。しかし遂にフアン・メルデルド氏は支那官吏に説くを得、彼は單に貿易のために、
且つマニラの西人と支那人が貿易せざらんことを勧むるために来つたと弁じた。ここに於て支那官吏は上官に、上官よりは又皇帝に奏した上、確答
を齎さんことを約束した。
しかし彼は先づ最初にフアン・メルドルド氏がこの河より出発し、かくして凡ての紛擾を避けることを要求した。而して自身は直ちに厦門[アモイ]よりは七十
哩へだたれる市、 福州(Hokchiuホウチウ)へ訓令を受けにゆくことを誓つた。
この官吏は帰還すると四艘の戎克を以て使者を彭湖に遣し、その使者中には一人の甚だ慧智且弁舌巧みな人物(沈有容(Ong
Sofi)[オング・ソフイ]?)と名乗る有り、彼は我々の会議に對し、
貿易許可はもし我々が彭湖の嶼より立ち去る時許されるであらう(彭湖は国王の所有なる故に)、而して国王は我々が退去せぬ中は貿易を肯んじない、
国王は自己の國に来り許可なくして港を作るやうな人間たちと協調することを是認し賜ふことは出来ぬ、と宣言した。彼は又附け加へて云ふには、
我々が台湾島にゆきそこで港を作らうとするならば、国王は何等の抗議をし賜はぬであらうと云つた。しかし我々側はこれを企てる自由をもたなか
つた。 バタヴイアに於てその地位を見すてヽはならぬとの指令を得ていたので。
かくの如く効果なき支那への探検の数年を費やした後、會社は一六二二年に至り再び艦長ライエルスゾオンを支那へ派遣し、澳門を征服するか、若
しくは漁夫諸島にゆき、 ここで支那との貿易の可能なか否かを見させることに決した。
彼は前者の方を企てたが成功しなかつた。そして彼は亦、火薬樽の爆発のために重傷を負つた。この時二隻の英國船がジヤツクル・フエブル
(Jaques le Febre[Fèvre])氏を便乗させたフエイスフル号と共に六月二十七日、
日本に向つて出発した。而してベア号とサザン・クロス号がラモアに支那沿岸を一層精細に視察するために出発した後には、
八月の終りまでマラツカから澳門に来る船を監視するために残つてゐたホープ号と聖ニコラス号とパリカツテ号を除く他の船が六月二十九日、彭湖に向つて出帆
し、
七月十日に至つて机のやうに見える最も高い島の一の背後に錠泊した。この島々の間には武装した二十隻の戎克が監視してゐた。そして漁夫もゐたがこれらは逃
れ去つた。 [続く※]
私は知つてゐる
この半球を充す濃い液体が凡て一様に苦く鹹[しおから]いものであることを。
わたしの船を追つて来る鱶や鮫のたぐひが凡て赤子の脳髄を好んで食んできた残害の徒であることを。
また、日ねもす流れる黄金いろのねなしかづらと見えるであらう海の草が、けふは生命盡きて船の進路
を阻むことも出来ず、紺色の泡の下に踏みしだかれてゐることを。さうしていま檣の上で鴎の金切声でも
つて「人が陷ちた(ア・ノンム・ア・ラ・メール)!」と叫ぶこゑごゑが同じい海の蠱[まやか]しにすぎぬことを。
その時わたしの船は徐々に船首をもとの港の方へ向け変へるのだけれど。
(愚人の智慧)
【抹消】私は見る
ヒドラたちの緑色の群れをなして流れるのを。海底火山の噴き出した軽石の穴に小さい海老たちの棲み
入るのを。海豚や鯨の吹く潮の中で真珠や蛋白石や瑪瑙のあまたが消えてゆくのを。また遠く黄金色
の陸のやうに見える雲の向ふにかくれてゐる黄金色の陸を。【抹消】
[※続き]
そこで彼等は抜錨して美しい湾内に入り、水深八九尋の所に至つて再び投錨した。視野にある陸は平たく石が多く、樹木が生へてゐず丈の高い草よ
り外何も無かつた。 数少い小い泉の外には眞水も見出されず、その泉も乾燥期には幾分か褐色になつた。凡ての淡水は本土から来た。
しかし一隊はどこかこの近所に定住せよとの嚴しい命令を受けてゐたので、彼等はタイワンといふ小島の近く、台湾の南端に一つの港を定めたのだ
が、
そこには数人の支那人が貿易のために移住してゐた。ここへ彼等はヨツトで糧食を運んだが、ここはピスカドーアからは約十二三哩はなれてゐた。しかし多大の
不便を要したのは、
この港は水深十一尺にすぎず、しかも非常に屈曲してゐたので、大きな船は入ることが出来なかつた。その上このタイワン島は小さな島。云ひかへれば乾いた砂
洲にすぎず、 僅に長さ一哩で台湾本土からは何半哩も離れてゐる。
七月十九日にはグロニンゲン号とベア号とが支那沿岸へ渡るために抜錨した。二十一日には本土を視、漳州河の反對の側を過つた。この河は北東の
側に、その一つが柱によく似た二つの丘を持つてゐるので認め易いのだ。河のも一つの側の陸は非常に低く、南西の陽に塔に類したものがある以外
は砂丘ばかりであつた。[※未完]
×
廃(こぼた)れた城壁には榕樹の気根がまとひついてゐて
それは怨恨を思はせるもので
沖では汽船たちのともす灯が古城の灯たちと呼應して警報してゐるのはわたしの身辺を脅かす影があるからなのだが、わたしはそれを見得ない。
九月六日
捕虫網で 腐肉で 誘蛾燈で 糖蜜で
わたしは虫たちを捕らへて殺す
翅をのばして死んでゐる数々の彼等を
わたしは銀いろのピンセツトでつまみ上げる
玻璃の箱に入れる 青酸加里はもういらない
わたしは齒痛を感じる
×
緑にゆふぐれは沈む小砲台
開いた砲門には鳥が巣くひ
防風林からは風の彈丸が来る
×
賢人の様に白い唾吐く荒海と
珊瑚とる蒼い内海とがくつヽいてゐる
三色旗が
椰子の梢に掲げられた
九月二十日 Y
昨日はYと新宿で邂逅し、父方のA町[※阿佐ケ谷]を歩きまはりし
こぬか雨いらかをぬらしふるひるを長衫つけてゆくはたが子ぞ
みんなみのパパイヤしげる園生ゆきものおもへりし子をなわすれそ
わだのはらひとたびわたりたびゆきしわれがすさびもふとおもひ出ぬ
海はけふも流れてゐるだらう
(海の流れることをあの旅で知つたのだが)
飛魚たち 海月たちの無数を育てては死なせ
海はけふもうねつて流れてゐるだらう
その濃いインキの色の水を
船と船人を脅かすため白い歯の形にこさへ上げ
奈落の様に深い口腔をあけて
皮肉なわらひで脆弱な詩人たちを嘲るやうに
笑ひながら流れてゐるだらう
もう一度遊びたい その流れる大海の上で
★
芭蕉の林をくぐりぬけ
鳳梨の畑の畆をながれ
にごりにごつてゐた汌(いじ)よ
椰子の木のかげに建つてゐた
朱や碧の瓦もつ家々よ
水牛を追つてゐた童よ
いま北國は霧のたつ秋がきて
ひ弱いわれはもう痰喘を病んでゐる
友よ 明るい太陽の下に好信を賜へ
夜ふけが酒杯の中に塵となつて浮んでゐる
★ Uber meiner Liebe [※私の愛について]
おれはおまへの誠実を愛する
おれはおまへのぼんやりを愛する
おれはおまへのだらしなさを愛する
おまへの誠実を時々疑つてゐる
おまへのぼんやりを時々わらつて見る
おまへのだらしなさを時々憤つて見る
おれはおまへを愛してゐる
九月二十一日 肥下のフラウ
われは修羅となり
わが白き歯を噛み折りたり
われは渾身の力を傾け
わが立つ土を押し動かしぬ
われ巨いなる壁の前にたちて
わが躯を打ちつけしに
わが肉破れ わが骨砕けしかば
われわが膝を抱きて泣きたり
★
秋は冷き雨となりて
わが肺の臓を凍らし
わが靴底を貫きて
わが足を蹙[ちぢ]ませぬ
われわが身の羸弱[るいじゃく]を知れば
わが少女を抱き死なむことをはからむとはする
九月二十六日 晝 橋本君と植物園 夜 丸三郎
老衰した火山が、その壮年期に堆積した膨大な容積の溶岩を波の間に見てゆくこの旅は、たしかに壮嚴なものであつた。
羚羊の駆けるのをいくたびも見たが、それはアンテイロオプと呼ばれるべきものではなく、むしろ陸の飛魚とでも名づければいい。
木生羊歯の叢生した斜面を、僕は眩暈しながら、ゆくゆく太陽に絶大な信頼をもつてゐたので、時々それが霧に覆はれると死をさへも感じて恐れた
のだ。 それから見た幾百の分子式の噴煙の團々を。
神々の哄笑を聞きに来た僕に、それは悪魔たちを思はしめた。僕は木生羊歯の幹もて作つた杖を捨て、四んばひになつて退却した。波の穂を一つ一
つ数へながら。
★
彼を葬るにひとびとは玻璃もて棺を製つた。
さて埋める時気づいたことには土をかぶせるなら玻璃でも何でも同じことだつたのだ。
人々は又斜面を屍を擔つて降つた。
翌日人びとは埋めた 鉛の棺に容れたひとを。
絲杉を周囲に植ゑ、湖を環らし
顔を覆つて退いた。
さうして彼はいまここに眠つてゐる 絲杉と湖に囲まれて。
★
木の果を見ては喫ふをおもふ性を
われは友に語り 空の碧さを恐れぬ
少女の恋かたる友は高原の秋を知らず
われ薄と曼珠沙華とに万斛の涙そヽぐ
季節の情迫つて耐ふべからず
★
季節の菊の花を手折る。
瑠璃の茉莉を忘れず。
ずずだまの實はささ鳴りぬ。
額田女王の眉と月出で。
出羽の守になるわたし 都を発つ日。
灯ともし頃 街燈の弧光(アーク)かなしみ。
みなみなに語れば肯んじたり。
陸に死ぬことを嬉しむ。
紫の陰影濃きグラスあげて。
ヴアレリイのことば
(1)一篇の詩(ポエエム)は「知性(アンテレット)」の祝祭である筈だ。それはそれ以外のものではあり得ない。
(2)思念(パンセ)は詩句中にあつて、果実中の栄養價のやうに隠されてゐなければならない。
(3)リリズムは感嘆詞の進展である。
(4)頁の上を素早く、がつがつと勝手に走り廻る眼、その眼に堪へ、且つその眼を必要とするもの。
(5)イマアジユの乱用と過剰とは、心の眼に調子(トーン)と不似合いな混雜を来す。ちらちらしすぎると反つて何も見えなくなる。
(6)作者への忠告──二つの言葉の中、つまらない方を選ぶこと。
(7)或る一つの作品は、或る内的展開を、それを公表する行為、又はそれを完
成したと判断する行為によつて切断した截断面に外ならない。
(8)大いに人気に投ずるものには統計的特徴が備はる。その質は中庸。
(9)芸術家として新しさを探求することは、消滅することを探求することであるか、さもなくば、新しさといふ名目の下に、全く別個なものを探
求して軽蔑を買ふことか、 その孰れかである。
(10)或る作品に就いて成される模倣は、その作品から、模倣され得るものを剥ぎとる。
(11)或る芸術上の作品は(又は一般に精神上の作品は)、その存在がすでに存する他の作品を規定し、思ひ出させ、或るひは否定するか否かに
よつて重要である。
(12)夢(レエヴ)も夢想(レエヴイ)も、必ずしも詩ではないのである。それらは詩的ではあり得る。けれども運任せに形成された表象は、偶
然にのみ調和ある表象であるにすぎないのだ。
(13)詩的状態とは全く不規則で、不安定で、無意志的で果敢ないものであり、吾々は図らずもそれを捉へ、またそれを失ふのである。
★★★九月二十七日 Yより手紙。
金木犀匂ひ初む。
九月二十九日
The Topography of Formosa [※台湾地誌]
@
賢人のやうに唾吐く荒海と
珊瑚とる内湾とが一線で劃されてゐる
木生羊歯の巨大な葉つぱの間に
蒼い地層の傾いてゐるのが見られた (Kielung)
★A
雲が舢板をおつかけてゐる
基隆[キールン]びとはむらがつて来る
起重機で馬をおろす
檳榔子の梢に旗が掲げられた
船はもう呼吸さへしない
★B
北方に流れる堅固な火山彙に
地塊の意志をよみとる
曲りくねつた河の澱みで
水浴みする獸たちが現れ出す
★C
双思樹植ゑた道の隈
お廟の屋根そりかへる天際
手袋の要らぬ國にトランクを預け
わたしは一本の杖となつて 頭から照らす太陽に遠ざかつて行つた
十月三日
アンドレ・ジイド l'école de femme [※女の学校]
わたしは個々の生活をおくりたい
わたしは引とめられてゐる
形をなさないさまざまの咒文に
わたしはふるへてゐる 漠然とした傳説のために
十月三日
ジイド・プロメテ
愛する鷲のためにぼくは卓を設けた
だけど鴬を愛することは一層強かつた
皿に粟を入れ 鉢に水を盛り──
チチルであるぼくをとりまくのは沼の悪水ばかりゆゑ
その水を得るにぼくはどんなに苦労したか!
鴬は飛び去れ 自分の好きな歌をうたつて
鷲よ来い 乾からびた肝がこヽにある
ぼくは老年を知りたくない
★
くちをあけては見るが
わたしはこゑにならない叫びばかりだ
わたしを取巻くものが余りはげしくしめつけるので
わたしは吐く 褐色のどぶどろを
審判者がそれらを見て訝しむ
いつの間にわが目の前でそれを飲んでゐたかと
彼は「内(インネン[innen])」なる観念を全く理解しない奴だ
★
可憐なもの に 彼をえらばう
彼の唇や額を長い間愛して来たが
彼は凋ん了つた
わたしは手を閉ぢ ひらきする
匂るのは過去ばかりではないのだが
十月六日
アルクイユのクラブ 城尚衞の気味わるさ
十月七日
田辺耕一郎とか云ふひと
★ わるい夜
階段を降り乍ら 星とともに墜ちる
海のあげる飛沫を浴びる
木々の枝に引つかヽれる
毀れた馬車にころげこむ
車輪に巣くつてゐる鼡どもを驚かす
一散に駆け出す小妖精の車
枯葉を藉[し]いて踞まる
灣の満潮が足まで來る
月が覆ひかくしてゐた星が挨拶する
時計塔で時計が目をこする
オウロラが呼ばれる
汽笛と霧とが一緒に來た
★
嘴をひらけ 雛鳥たち
おまへたちは起ち上がる 卵殻を見すてて
曙の淡紅い光の中では
何もかもが鮮かだ
羽をつくろへ 歌へ
わが命令の下に何もかもが美しい
★
葡萄畑の段々に籠を忘れて来た
帽子に枯葉がついてゐる
電車は揺れてむしやうに眠い
汚い足袋裏を見せて家鴨たちが寝てゐる
松葉がこぼれ落ちる
荷物棚から紐が垂れてゐる
もうすぐ出発の驛だ
永い空虚な時間をもう感じ出してゐる
十月八日
菊の花を用意した
ヴエエニユスの祝祭のために
風邪の藥が袋の中で鳴る
乾ききつた履物が道を横切る
落葉の艦隊
花瓶に埃が浮く水を溢へる
槲の樹に昆布を乾す
海峽を通過すると船はもう見られない
曇り日に閉ぢる花は
雨天には傘をさすように気をつけねばならぬ
熱いのみ物で膝をぬらす
尿瓶(しびん)がかためて捨ててある
展覧会で鷹がとんでゐた
プールに蛙の子が生れた
化学教室は蒼い
蛇が両大陸をつないでゐるが
血は体のどこからも出ない
馬にねて残夢月遠し茶の煙 ばせを
梁 元帝
夜々曲 [※梁 沈約]
河漢縱且横
北斗横復直
星漢空如此
寧知心有憶
孤燈曖不明
寒機曉猶織
零淚向誰道
雞鳴徒歎息
[※夜々の曲
河漢、縱かつ横 北斗、横また直 星漢、空しく此の如し 寧ぞ知らん心に憶ふこと有るを 孤燈、曖(くら)く明ならず 寒機、曉にし て猶ほ織る 淚を零つ誰に向ひて道はん 雞鳴、徒らに歎息す]
石塘瀬聽猿 [※梁 沈約]
噭噭夜猿鳴
溶溶晨霧合
不知聲遠近
惟見山重沓
旣歡東嶺唱
復佇西巖答
[※石塘瀬にて猿を聽く
噭噭として夜猿鳴き 溶溶として晨霧合す 知らず聲の遠近を 惟だ見る山の重沓たるを 旣にして(やがて)東嶺に唱ふを歡び 復た佇 む、西巖に答ふるに]
直学省愁臥 [※梁 沈約]
秋風吹廣陌
蕭瑟入南闈
愁人掩軒臥
高窗時動扉
虛館清陰滿
神宇曖微微
網蟲垂戸織
夕鳥傍欄飛
纓佩空為忝
江海事多違
山中有桂樹
歲暮可言歸
[※直学省に愁臥す
秋風、廣陌に吹き 蕭瑟、南闈に入る 愁人は軒を掩ひて臥し 高窗、時に扉を動かす 虛館に清陰滿ち 神宇は曖(くら)く微微たり 網蟲(クモ)は戸の織(巣)に垂れ 夕鳥は欄の傍に飛ぶ 纓佩(栄達)、空しく忝なく為し 江海(世事)、事多く違ふ 山中に桂樹有 り 歲暮、言(ここ)に歸るべし(隠遁)]
十月九日 「文學」終刊の夕
春山行夫氏 岡本正一氏 西脇順三郎氏 堀口大学氏 近藤東氏
阿部知二氏 北村常夫氏 飯島正氏 中村喜久男氏 左河ちか氏
江間章子氏 百田宗治氏 阪本越郎氏 高岩肇氏 丸岡明氏
和木清三郎氏 酒井正平氏 岩下明男氏 合田攷氏 加藤一氏
麻生正氏 那須辰造氏 田村泰次郎氏 富士原精一氏 淀野隆三氏
岩崎良三氏 三浦逸雄氏 辻野久憲氏 etc. etc.
十月十日 松下武雄に呈す三句
葵葉に霜つむ朝も近からめ
やちまたを落葉ながるるさむさかな
すずろなるこころ黄葉に向ひをり
青銅の馬が跳ねる
街を流れる溶岩流
血の噴水で毛が染まる
自動車は蛆虫のやうにのろい
一隊の騎兵の服装は薄汚いが
轉つた帽子(シャッポ)をひらふ手が
舗石の上をさまよふ
十月十一日
東洋詩
雲宵(オホゾラ)といふ港があつて
蕉樹に黄果が熟するとも季節は定め難い
旗を掲げて大型の戎克[ジャンク]が入つて来ると
颱風が雲を巻く
椰子の木が揺れると猿が堕ちて来る
港の外では波がまつ白だ
雪を見ぬ國ゆゑ たとへには塩をもつて来る
塩は天日で作られる それをつけた木瓜[パパイヤ]は旨い
【抹消】東瀛隔一洋茫莫 尚存神
人不探蒼古之世 似不採甘美橘果【抹消】
十月十四日 丸の宅
その電車の乗客はみな眠つてゐる
開いてある窓からは寒いといふやうな風が
果物の饐ゑる香りを運んで来る
停車場では乗客の代りに燈が待つてゐる
私は腹立たしい なぜ彼等は眠り
私丈が醒めてゐなければならぬのか
私はうれしい 彼等の中に裳裾を開いて
風になぶらせてゐる種類の阿婆摺れに際会したので
車掌が窓を閉めて廻るまで
★あひるとかまきり
かまきり:貴女は白い。雪より。
あひる:白いことなんか自慢にならないわ。
かまきり:わたしの見つけ出すどんな賛辞にも、その手では反對出来さうですね。
あひる:あなたおせじをおつしやつたの。
かまきり:いヽえ、どういへばほんとが嘘に聞こえないだらうかと汗をかいてゐるのです。
あひる:まあ、お上手だこと。
かまきり:・・・・・名人の発見[みつ]けだした名句をエピゴーネンたちが金言にしちやふ。
あひる:何のこと、それ?
かまきり:わたしは独りごとを云ふくせがありましてね。
あひる:蔭でわる口をおつしやるなんてひどいわ。
かまきり:まともに面とむかつていふよりですか。
あひる:よくつてよ。いくらでも仰しやつて頂だい。
かまきり:さういふ風に首をくねらせてそつぽをむいた風情をわたしは大へん好きなんだが。
あひる:どうせそうでせうよ。皮肉おつしやるもんぢやないわ。
かまきり:わたしもさうしたふうに何でも自分とむすびつける考へ
方をおそはりたいものだ。
あひる:女つてみなさうしたものよ。
かまきり:貴女はまだいヽ方なんでせう。
あひる:えヽさう、あなたがさうでないと同じ程度に。
かまきり:わたし?
あひる:ひとの云ふことが気になる位なら、自分の云ふことにもせいぜい気をおつけになつた方がいいわ。
かまきり:わたしほど反省のすぎる人間はありませんよ。
あひる:内気でね。
かまきり:大きに
あひる:憶病で
かまきり:さういふ風にも云へます。
あひる:まあ、押しの強い!
かまきり:さう、強い様で弱く、弱気のやうで強気な。
あひる:謙遜してるやうで自家広告し、控へ目のやうでづうづうしい。
かまきり:ああいへばかういふといふ男。
あひる:ねえ、もう仲良くしませうよ。
かまきり:かけ合ひはもうおしまひですか、御退屈さま。
十月十五日 松本善海の肺病
僕は体の皮が裏がへしになるらしい
体重は十一貫を割つたかも知れぬ [※41kg]
もしも豚が一番美しい獸であるなら
僕は笑ふであらう
紅葉のある谿川で
体を洗ふ獸より美しいものは
それを写すカメラでは断じてない
葱とさつまいもと
黄楊[つげ]の櫛にヘアピン
彼女は手入れが足らない実に不精な女だ
僕は彼女がおしやれになるまで家を建てない
白骨になつた指に霜の降りるまで
山茶花の蕾も白い
帰來故園樹木青 不似故人無旧情
枯骨悄然撫痩脛 爾今何樂保余生
[※帰來、故園の樹木は青し 似ず、故人の旧情無きに
枯骨悄然として痩脛を撫す 爾[なんじ]今、何ぞ余生を保つを樂まん]
十月十八日
食ひ飽きてわたしの眠る前の
一瞬にわたしは肥えてゐる自分を覚える
鼠が来てかぢる靴下の先に
銀の錘りをつけて海に沈む
山窩の群に入つて松の果をとり貯めると
朝鮮といふ赤裸の山から成る半島が見えて来る
十月二十日 近藤東氏 春山行夫氏
旅行
ポストが佇つてゐる街角を曲り
高い山の見える通りを爪先上りに登る
ミオソテイス[わすれなぐさ]を摘み
牛乳しぼりの女にくれてやると
お礼にキダチハツカの一束を貰ふ
郵便脚夫のやうに家々に
それを配つて歩くと道がつき当る
引かへす路は海が見え
軍艦でお祭りをしてゐる
煙が吹き流されて面白い
それで環投げした子供の頃を思出す
しめつぽい泪が湧いて来る
石段を下りる 駆けることは出来ない
朽ちた手すりをこはす
犬が待つてゐるので怖しくつて
立ち止まると莞爾として
少女が首根つこを抑へる
僕は云ふまヽに逆立ちをする
雲がきれいに七色に見え
軍艦はマストを空につきさす
黄色い菫が降つてゐる
夕刊賣りが立止る
リボンをほどく少女に手伝ふ
ズボン吊りがゆるむので無しやうに気味わるい
青銅貨を鑄る工場の前で別れしな
金色のチヨコレエトを三つもらつた
ものもらふことの多い日だ
アルフアベツト
アメンドオ[]の實が鈴なりで [※amendoim落花生]
いろんな玩具が欲しくなる
うれしいのはお休みの旗がひらめくこと
えん習の兵隊が僕んちに入つて来る
音樂は單調で眠くなる
神様がタクトを振ると
金文字の本の背皮がそろつた
釘に帽子がかからない
煙が登つてゐる空まで遠い
小猫が木の上で居眠つてゐる
山茶花といふ花を教はつた
シメエルの吐く火 [※ギリシア神話の怪獣]
炭より黒いのは黒檀
蝉セミと呼んだがいまは犬といふ
ソバ畑を白いと云つて来た
谷川
血に似た夕焼
常に新しい先生の靴を穿き
手で歩いてゐる乞食に会ふ
扉を押すと開いたが暗い
波の背中で痒い
西まで海が拡がつてゐて
沼はこの国ではきらはれる
眠くなると帷を引く
残して来たお菓子を思ふ
ハナの咲く野原をゆく人は
晝も夜もわからない
船よりも陸のほうが軟い
蛇はまだ園を廻つてゐる
堀割にミヂンコがわいた
満州へ弟を旅立たす
短いヨツトを操縦する
村に時計が無い
目に痛い風習のオ灸をすゑる
文字は動いてゐる汽車である
矢車草に蜂が来てゐる
柚のタネは苦い芯があつたね
夜まで三十二分のこつてゐるが
ラム酒飲む鼻の赤いおぢいさんは死ぬ
龍を見た支那人もゐない
瑠璃草つみに家人たちは出かけた
連理の木で首つる人を見に
呂律も廻らぬお酒のみたちが来る
穽をかけたら牛がこはした
無
ピアノとマンドリンを彈いた少女は
自殺者が隣家であると直ぐ引越し
代りに子供のよく泣く夫婦が来た
夜ぴしぴし撲る音がする
屠殺者は僕も好まない
すでに三十二人目の棺が出る
鬱蒼たる大木の蔭ゆゑ
祟りがあるのだとひとびとは云ふが
僕は僕の魔呪をまだ自信してゐる
十月二十四日
晝の花火や
雨のやうに落ちる木の實は
都を廻つてあるのだが
秋はこヽでは僅かにビルデイングの肩で
瀕死の息を吐くばかり
タバコの展覧会では水煙草
繪画展では秋草
凡て一様につまらない
奈々子と惠楚子の化粧するひるすぎ
空がかげつて来る
十月二十九日
ひとりでゆくと泪が出る
みちづれは無い
大変センチでゐる女の子
★
全く參つて了つた
誰も俺の心配などして呉れぬ
俺自身も餘りしたくない
★
やましいくちづけで慰め云ふ
夕陽の時の風のうごきは
いま野菊の花の凋れる時に
黄金色の雲とともに去つて了つた
數々の追憶のにぶい翅音が
わたしの夢にまで忍びこみ
夜 炎は火山のやうに心悸を起す
嘆きの中にわたしは感じる
川辺の楊柳のやうに首垂れる
敬虔な心にもたらされるいろいろな
賜物の一つさへわたしに無いと
故郷を流れる大河の仄白い光に
影をうつしてゐた形象を
いまはみな忘却し切つた
ゆふぎりは寺院の甍をこめ
ここの高い梢につきさされ
わたしの胸にまで悲鳴をもたらし
すでに牢乎として抜き難い
わたしの樹木の中で夜鳥[ぬえ]
わたしの枯草のしげみには蛇たち
それらが皆死にかけてゐる
因縁の深さを齎す手紙を
昨日の夜受取つたが 茉莉咲く
島からは音づれもなく この年は暮れ
期待すべき明日は昨日に等しい
あまたのフアントオマ[※怪盗]が去来する
精靈 橋に佇み
あなたさまに叫びかける日々を見る
十月三十一日 伽藍
太陽と埃の代りに沼や澤から霧が立ち
夜はあまたの月の光で照らされて尚さびしい
首垂れる絲杉の蔭ごとに 死んでゆく生物の蠢きが見える
靈は消えうせる前の微かな輝きに
病人たちの頬にアネモネの花を咲かす
遠い薔薇や菫のときを罪犯すことなしには想ひ得ぬ
藻の漂ふ湖岸に鹿の死骸がうち上げられ
山々は紅葉の装ひの中で 棺をうつ鎚の音を静かに聽く
そんな夜々を犬たちはうそうそ徘徊し
屍衣や鉛のメダルをくはへて戻つて来る
背徳者の一群は襤褸[らんる]を血に汚して橋を渡り
婚禮の鐘が二人の死者の弔鐘に打ち負かされ
土星は魚座で後もどりする
參列し忘れた友人の葬列を追ふために
★
川は流れる 過去を忘れるために
山は巍然として全てを否定する
虚無の夜が支配するもの
終りなき消滅の一循環を見よ
十一月三日
花や少女や美しいことばかりが書きたいが
醜い心理のあらを探し出すのもむつかしい
わたしなど一人前の顔はしてゐても
この眼はうつろだし この心は人の幸せをそねみ
人の不幸せを祈る気持で一杯だ
花や少女や美しいことばかり書きたいのだが
★
岩のある地方に頭蓋骨の懸けられてゐる画
落つて来さうな額面から鴉が舞ひ上り舞ひ下りる
躓くと生命にかヽはる谷を見下して
栄光を荷つたひとが来る
禮拝する禽獸のなかにわたしがゐる
果物のたぐひを手に捧げもち 紅い頬をして
わたしは咳き入る 相貌に成就の十字が現れる
★
太陽を一面に受けた白つぽい断崖がある
鴎の波がその裾を彩る
菊の花が開く花畑
眠つてゐる人は道をゆくゆく花を折る
覚めてゐる女がそれを髪に挿す
鴎たちは一斉に飛立つ
しばらく太陽だけが断崖に残る
★
牛乳配達の降りて来る坂道
礫が光つて見える
コスモスの咲く垣根に
僕の犬が佇ると追ふ声がする
煙の上る山から鳥たちが飛んで来た
★
一つの生命だけが美しい
牛乳の罎のやうに輝いて
半ば開いた唇から
凡ての啓示がやつて来る
乳白色の霧がまひるの街をおほひかくす
犬たちが吼えてゐる
扉の開く音がする中で
十一月十二日
マドモアゼル・エンマの可哀想な西洋梨にふれ [※江間章子?]
青いろの洋服きたひとととび上つておどろく ──ゆめ──
★
鷄小舎と山羊の小屋の手入れに
この日曜をすごす
蜜蜂は眠る
山茶花の晝を
チエス指すふたりは
陽のあたる窓べりで
何時の間にか引込んだ
枯草焼くと
こほろぎの翅が可哀想に焼けた
パイプのやうな煙突から
煙が忙[ママ]くて日がくれる
靴を磨くのを忘れてた
★
雲の間からヘリコオンが見えた [※ヘリコン山]
ガニユメイデスの斜面には [※ギリシア神話]
帽子と煙管が落ちてある
生意気な小僧は
夕暮の忙しい時にも帰つて来ない
雷霆の音がひとしきり
納屋の隅までいなづまが射し込む
鶏が卵を生んでゐた
青い驟雨が李の木にふつて来た
十一月十三日 のせ来る。 十一月十四日 神宮。
十一月十六日以来腹痛下痢頻々たり。
十一月十六日 近藤東 春山行夫 百田宗治氏。
十一月十七日 佐藤竹介 留守。
十一月十八日 終日臥床。ヒゲ。
十一月十九日 コギト会
十一月二十日 ユ[※悠紀子]、佐藤竹介
枯葉の立てる音は
紅葉の色といりまじつて
ここの秋を美しくしてゐたが
華やかな着物きた人たちは
織るやうに林をゆきめぐり
廣大な枯芝の上に
ふるやうに歌がひびく
★
鯉といふ腹びれの紅い魚が一匹
巨大な円盤の中を泳いでゐる
水の冷やかな午後に
寫眞とる女の子らの影映して
雲めぐる空が立つてゐる
紅葉せぬ木のないこの國は
ギリシア風な庭園の噴泉を
押しとどめてしまつた
よどんだ水に子供らの残した毬が浮く
紙屑のやうに汚い
★
バラの木が欲しい
印度風の小徑
二列の高い玄武岩の岩壁
蛇形の水が湧く
パンの樹 パンダヌス[※タコノキPandanus] ブウラオ[※ハイビスカスburao]
島の中央の方へのぼる
益々蛮地らしい
★
草花や木の葉や花の輝かしい混乱
蔽ひかくされた一種の高原
嶮岨な山壁が口を拡く
私の手は血みどろである
ロオタス[※蓮]の花を切るやうに
バラの木の重さのオセアニア
樅の木の囲む城廓で
われらは歌を語つたが
夜ふけ 月 梅の花に落ち
夫人の額にかげりが来ると
性急の私は一番に座を立つた
彼は憎悪してわたしをみつめる
まだ論破したらぬアモオルの神が
その濃い眉根にぴくついてゐた
十一月二十一日
岡の上に灯がつくと
月は金星に一歩づヽ近づき
櫻の木の葉のかげで
汽車が止まる
新聞紙包みをもつて
白服の男が降りて来る
谷間の家々にも もう灯がついた
櫻で囲まれた広場は暗い
アセチリンのまはりに人がゐぬ [※アセチレンランプ]
十一月二十二日
多島海(ARCHIPELAGUS)
わたしを何がおどろかせたのだらう
その夛岐の入江をわたしはふみまよひ
海月と海藻の間に神々を見出す
夕月の様に輝いた額もつ少女たち
山茶花に似た唇の貝殻たちは
眞紅の總になつてゐる舌を吐く
病気になつたわたしの友だちに
太陽の光の遍くてらすやうに
祈る瞬間だけわたしはものがなしい
たのしいいろんな想ひ出が この夕あかりに
凡てかへつて来る 古代の説話のやうだ
毛むくぢやらな巨人の胸か または
古代の血にまみれた楯に似た島が
わたしの前面に立ちふさがり
背後から太陽に照らされてゐる
わたしの立てる波がまだ彼の足にまで及ばない
彼は様々の樹木をもつてゐて
それから露き出しの肩と顱頂とをもつ
わたしを取巻いて帆船がゆく
わたしをとりまいてたそがれがある
凡てのものが動いてゐるが その忙しさは
帰還といふことばかりのためだ
わたしは出発するのだ
多岐の入江を身をくねらせながら
わたしは脂粉で粧はねばならぬほど蒼ざめてゐる
十一月二十四日
険岨な山路を駆けるには
この自動車は古ぼけてゐる
その中で 櫻の杖もつた暴力團が吐気をもよほす
バナナの植つた傾斜を見下ろす地点では
蛇のやうに蜒[うね]つた大河は
もう銀色の一流れとしか見えない
水牛がこの高地にもゐて
雲かかる山を睨んでゐる
その尾の向く方で谿の声
パパイア 檳榔樹 バナナの花
木生羊歯の根元にミヤマホトトギス
水が見える 【抹消】遊んでゐる山羊の様に【抹消】
黒い木立を通して 耳環の様にキラキラ光る
そこから道は下る一方で
到頭一つの村に着く
トランクさげた学生は他國を見つけ
さびしく暴力團に別れの挨拶し
ホテルのある高地まで上つてゆく
湖では魚捕る歌がある
△
ホテルでは「いらつしやいませ」
つきあたりの欄間に蝶類の額
すべる廊下をこはがつてゐるのは
先に着いた肥大症の老婦人と
黒眼鏡をかけたその夫の教授たち
湖は山々の足を洗ふ盥
タバコをふかすと犬が現れる
お茶はなかなか来ない
パパイアの實がゆれてゐるがまだ青い
廊下で女中たちが押しあひしてゐる
「このお客様はなんて小いんだらう」
ホテルの晝食に三十二匹の魚たちが
無念に殺される
海抜は二千呎
△
島の中心には雲がかかつて見えない
三角の山が方々に並んでゐる
ゆうぐれになれば虹が橋かける
電力工事の堰が白い
湖をゆくボオトは蛮社を見にゆくのだが
向ふでは内地人を内心いやがつてゐる
雞屠るお祭りを
毎夜さされるのはいやなものだ
歌に安来節がまじつたりする
こんな手段で一の民族が亡ぼされる
△
ある日 僕等は歌をうたつたが
空腹のためにそれはこゑにならなかつた
おまはりが来てしよつぴいて行つたが
それは一番の親友だつた
鬚の生えた人間が大嫌ひの男だから
今頃は如何してるかと思つたが
彼は元気で帰つて来た
翌日からだんだん痩せ
一年たつと巫女を呼んだ
巫女は白眼のにくらしいやつだが
祈祷がはじまると友は腕を組み
体をゆさぶつて無意識になり
タバコの箱やパイプを食べようとした
僕等は彼の反抗にまで
それを妨げたが無駄であつた
僕等は葬儀社に棺の註文をし
低いこゑで歌をうたひながら帰つた
声は風にちぎれちぎれに浮んだ
△
鋒杉の立つあたり
みづうみは朝日の反射で鉛に光る
みちは下つてゆく ひたひた波打つ渚まで
崖がある 牛がゐる
【抹消】何といふ湖だ バラの粉(こな)だ
空は白葡萄酒の色だ
そして白葡萄酒の空の上に
どの枝も髪のやうについてゐる
いままでちつとも風がなかつたやうだ
みんなが歌や娘や甥だつたやうだ
木々が馬に乗る【抹消】
火山岩のやうに灰色な岩
病的な蘭科植物の花が
赤い色の海に沈んでゐる
花粉は波の上に浮き
昆蟲はそれを追つて飛ぶ
眠つてゐた鴎がとび立ち
ぼくたちから催眠劑をとり去る
×
珊瑚礁のやうな防波堤に囲まれた街
下町のはづれに砲台がある
杭に倚り波止場のはづれに蹲るもの
水に向つて飛込む群集
緑の野へのあこがれが彼等を駆る
十一月二十七日 ユ、また約束を破つた!
大きく傾いた高原の横を通つて
山脉の方に近づく鉄道は
小石がレエルに横はつてゐるので停車した
それは穿山甲にすぎなかつた
恙蟲[つつがむし]の潜む露ある薄の藪を
ひとびとは恐れながら車中に指さす
すでに濁水河は清水溪と変じ
雲を頂いた高山たちも
裾の藍だけで十分に巨い巨人ぶりを示す
おお 芭蕉畑に立つ汚れた子供よ
わがキヤラメルの空箱をとらまへろ
それは彈丸の如く
客車の背後に疾過し去つた
機関車は最後の喘ぎをマンゴーの樹に吐きかけた
十二月二日 ユを見舞ふ。夜、佐藤、中務、野村諸氏来る。
眼のくぼみ二重瞼の少女である
あれが僕の妻
僕は夫でまだ青い
晝、肥下、服部。
夜の大論戦、近隣を脅かす。
十二月九日
わたしは縞になつたシヤツを着てゐた
横腹のところを魚がくすぐつて行つた
わたしの前に小石があり
わたしが蹴ると轉がつた
頭痛をさせる重い雲
鈍い音楽が砂の間に起る
わたしは縞のシヤツを引裂いた
すでにわたしの髪は流れてゐた
★
雜草の生えてゐる家根の向ふに
帽子のやうな尖塔があり
雀たちが朝の鐘をならす
入り乱れて子供たちが集つて来る
踏切がある
彼等は足ぶみしながら列車に手をあげる
轟音が歡聲にこたへて去る
鈍くまた 鐘が鳴る
ふところ手をしてひとが来た
雜草の生えてゐる家根のところまで
★
枯いろの衣つけ小鳥たちは草にひそむ
舌を鳴らす蛇はゐない
小石にさす日影
鐵條が錆びてゐる
跨線橋から人々が覗く
犬が轢かれてゐる
ひき肉のやうだ
空には富士
鐵路はまつ直にその方まで延びる
★
カタバルト、カテイスム [※不詳]
そこらあたりに神がある
★
白鳥のやうに浮く雲は
尻尾の方で山脈を掃く
太陽が眼をさますと
もう四辺は磨かれてゐる
辻で人形遣ひが立ち
影はまだ長い
風見鶏がひヾく 遠慮なしに
おかみさんが箒に叱言を云ふ
煖爐で灰がくづれた
★
市場で野菜がみづみづしい
舗石が濡れてゐる
自轉車がから舞ひし
牛の肋がおろされて
鉤が鳴る
どこかで時計が鳴る
他に音はしない
彼女は鏡に故障を云ふ
ネクタイ結ぶ僕は手さぐりで
山茶花が障子に映つてゐる
ゆふべの詩はけさ醜い
食卓の上の食べ殻のやうに
★
いつも紳士はドメステイツクで
淑女はロマンテイツクでありたいものだ
そこで神様が殺される
十二月十二日
遠い海から波が来て
眠いおひるごろに山茶花が植ゑられる
庭の芝は枯れ 日蔭では土がくづれ
父達の留守をして
もの皆変改すと書を讀むのに
こゑをだしてよみ 悲しく思ふ
十二月十三日
櫟の木の下に楽器が棄ててある
谷一つ向ふで音楽が聞こえる
谷間を葬列がゆく
雅びやかな宴がそこここに開かれ出す
★
にほひあらせいとうの咲く春は何時来るか
小魚の遊ぶ春は
凍豆腐を食むに悲愁の気が立つ
12.18 酒井正平 合田孜 江間章[※江間章子] 伊藤整 百田氏。
飛んで行く和蘭人の歌
あなたや、あのマドモアゼルEがゐる。かたくわたしの俗人根性をいましめになつた。わたしの根性をエラスムス大人[うし]に告げろと。
わたしの根性を海の中にたヽきこめと。わたしは海なぞ歌ひたくはない。なよなよと風になびくコルセはめた腰や、青い光を放つ花についてなど何も云ひたくな
い。
わたしは歌ひたい。サアベルや、くさつ[ママ]や、すべてわたしの頭をぶつものを、殊にその打つ状態に於て。するとあなたはそれを弱り切つた心の状態と云
ふだらうが ×さう云はねばならん×
さうであることをわたしは欲してゐるのだから。欲してないのだから。わたしはわたしのこころが判らないのではないと思つてゐる時がある。
朝、ハミガキをつかひ、手ぬぐひで顔をふく。わたしは生徒で無いから腰に提げてゐない。手ぬぐひではない、手である切られた手をぐるぐる廻して尚も助命を
請ふのか、
わたしは歌ひたい。歌つてゐるのはHAINANの島[※海南島]の東で沈んだオランダの船について、五百五十二語で。船が沈むのだがそれが何になるのだ
ろ。
おまへ、蝿よ、虻よ、すべて飛ぶものよ、論理もまたとぶ。とぶと悲しいおまへの眼が怒つて見つめるけれど、あなたは怒らない。すべてヾ怒るひとは三人では
ないか。
父母について憎しみを歌ひたい。憎しみを歌へばよい。鉛筆をけづり、紙に白つぽいヽ手が動き出す、そら書けた。よめ、よめばおまへの卑怯な心はもう何か附
け加へる。
小学校の時「卑怯」を讀めぬ先生がゐた。かんかんを着た男がゐた。犬がゐた。凡てうそうそしたものを無くしちやへばいい気持ちだろ。僕はイヒヒと笑へばい
い。
すると怪物たちがゲラゲラわらひながら消えちまふのだ、気持ちがいいな。だけどイヒヒとわらへないのではないか。蒲団をかぶつてから歯をむき出して見るが
声にならない。
眼が赤いから何を見てゐるのだらう、この眼は。突き出た眼、とがり眼は何もみてゐない。彼等はボール投げを見る。犬を見る。犬の子を見るのに何も見ないの
で、 悲しくなつちまふので悲しいと心理学で教はつたが、教へたひとも眞偽は不明だと云つてイヒヒとわらつた。あのやうに笑つて見たい、
といふので笑つたらどんなに気持ちがいいだらうとみんなに云つてやりたい。ああ、云つてやりたいので耐らないけれど、何故だかこの蘭科植物は病的で、
おまへたちを惹きつけるのだと母親たちが云ひながら呼びに来る。けれど大変赤いな。死ぬ前のときのやうだつたが、僕は死んだことなどありはし
ないぢやないの、何を云つてゐるのだろ。
僕は死について神について何を云つて来たのだろ。イグノラビスムス[Ignorabimus,不可知]といふ。イグノラント[Ignorant,無知]と
いふ。イグノラビスムはえらいのかしら。カルモチンのめば死ねるのかしら。
死ねなかつたのではないか。午前十二時から飲みはじめてゐたが、あの子は偉い。死ねなかつたのかしら、死ねと云ふ人があればいいな。皆冗談でしか云はない
ぢやないのだろか。
云ふのに税金がかかるのかしら。税金のことも書かねばならぬのだが書いてゐると夜が明ける。税金の長さについて尺があるのだが、尺といふものも見たことは
ないと云ふ。
批判を受けてゐるのであるのであるのであるので無意識が手を動かす状態を見せにきた博士はゐないことを書く。するとゐないことがわかるだろ。馬で跳ねて行
くだろ。行かぬかしら。
跳ねるかしら。何故君は答へないのだ。君は答へるのだが聞こえないのだと云ふのだろか。それがまた聞えないのだろか。さて聞きたくないことばかり云つてゐ
るのだと云ふのか。
云はないのか。云ふのだ。云はぬのだ。云はされてるのだ。云はされたいのか。云はされるといふのか。云ひたいのか。敬語について、俗語について、夛くのこ
とばがあるのだ。
言語学について五時間ばかし話たい。ネグロのことばについて、オストインデイエン[東インド]のオランダ人のつかふ鋤について、槍について、古臭い昔話を
知つてゐるのだ。この男は青銅だつた。
十二月三十一日 「流域」
そこでは山岳地帯のやうに音樂がよく聞えて
青銅(からかね)いろの炭が賣られてゐる
馬たちが繋がれると道は通れない
砂利の上へ熊笹から蜘蛛が来て遊ぶ
日暮までそこは日があたり食物にことかかぬといふ
「 」[※ママ]
葡萄酒のいろに空は染められ
汚点をなして鳥がとびかふ
遠近や高低を無視して家々が重なり合ふ
單檣船たちはもう錨泊してゐる
一九三四年
一月三日 肥下にYのこと打ち明けた。
レインボオ[※カフェ?]で女たちは僕をまだおぼえてゐた。
冬の季節には友だちが親しい
カリグラムの中で菓子が凍える
撲られる男は可哀想だが
クリスマスが過ぎれば楽しみはない
★
鳶、鷹などの嘴が
私の背中を痒くする
私は眠いので休息し
夢に彼女たちに復仇する
アポロの使の ある女たち
悪口より外に取柄のない天使
一月九日 「冬の日[※コギト小説]」脱稿
一月十二日
晝過ぎになると刈株の並んだ水田では
氷がひヾわれはじめる
雲雀たちが枯れいろの衣つけてその上を歩む
彼等が田圃を渡り終つて
背後をふりかへるともう氷が足跡を埋めつくしてゐる
×
ズスヘンは壜に鳥を飼つてゐた
お天気の日にはそれは紡車のやうに
ぶんぶん唸りごゑを立てた
窓の外では樹木の枝が橈みはじめる
ズスヘンは鳥を干乾しにした
一月二十日
さざ波のまヽ氷ついた湖を渡つた
僕たちは苛性曹達での投機について話した
「それは泥棒さ」
僕たちは詩句では出来るだけ潔癖であらうと欲した
目的驛の吹雪が報ぜられてゐる
[※交友人名録]
天野高明 東京市杉並区東田町1丁目40
友眞久衞 大阪市天王寺区寺田町8 / 本郷区向岡弥生町 弥生館内
藤田久一 目黒区下目黒2-179 三省学舎内
鎌田正美 本郷区森川町117 蓋平館別荘
高垣金三郎 西宮市寺前町13 / 杉並区高円寺3丁目310 山中信造方
山田鷹夫 大阪市東成区東桃谷町1丁目5832-1 / 本郷区森川町88-6 若村方
山本治雄 葛飾区下小松町297 / 大阪府三島郡新田村下
丸三郎 世田谷区上北沢町1-332 / 千葉県印旛郡公津村大袋
室 清 小石川区丸山町21 学生修道院 / 京都府天田郡西中筋村石原
中野清見 淀橋区上落合1丁目5の1 / 青森県八戸市中野町 中野医院
井上槮 本郷区本郷31 津田方 / 大阪府豊能郡箕面村桜井4-5
原田運治 兵庫県三原郡倭文村長田
紅松一雄 杉並区大宮前6丁目412
後藤孝夫 大阪市東区瓦町4丁目23
相野忠雄 杉並区天沼1丁目69 三田方 / 和歌山市関戸高松町207
竹内好 芝区白金今里町89(高輪3764)[※電話]
杉浦正一郎 日本橋区橘町4丁目6(浪花7080) / 神戸市下山平通4丁目127
服部正己 徳島市富田浦町
長野敏一 大阪市北区中ノ島宗是町18
薄井敏夫 芝区芝公園14-9 古谷方
保田與重郎 奈良県桜井町
坪井明 奈良市法蓮町池ノ内
肥下恒夫 中野区池袋南3-261
小野壽人 神戸市宮本通3-7
菊池眞一 本郷区曙町9-3 / chez M.Planson, 13, rue Albert-Sorel Paris(14 )
France
島稔 仙台市大窪谷内70-10 江戸方 / 和歌山市北新博労町
鈴木俊 大森区池上徳持町385
旗田巍 中野区沼袋南1丁目1567
鈴木朝英 小石川区大門町22
吉田金一 本郷区駒込曙町30 大谷一声方
岩佐精一郎 淀橋区柏井4-813
岡部長章 目黒区目黒三田54
川久保悌郎 中野区千光前町25
高橋匡四郎 [※無記述]
羽田明 京都市上京区大宮田尻町52(西陣3700)
丹波鴻一郎 淀橋区百人町1-33
原口武雄 [※無記述]
松本善海 松山市大街道2丁目9
山田静夫 杉並区天沼1-191 八女学寮 / 福岡県八女郡羽犬塚町
山崎清一 [※無記述]
式守富司 小石川区竹早町35 佐藤方
橋本勇 滝野川区中里町403 / 長野県諏訪蓼科温泉 美遊喜館
×
春山行夫 中野区高根町28
岩本修蔵 中野区池袋北2-759
阪本越郎 麻布区飯倉3丁目24
北園克衞 大森区馬込町東2-1098 / 三重県宇治山田市外朝熊村 橋本平八方
三好信子 大阪府住吉区相生通1-66
赤川草夫 中野区沼袋南2-15 日生印刷●機
伊東静雄 大阪市西成区松原通2-15
アルクイユのクラブ 渋谷区栄通1-36
辻野久憲 杉並区馬橋2-217
安藤鶴夫 本所区吾妻橋1-19
×
佐々木 三九一 品川区大井金子町6570
×
侫 岡蔵 大阪市西区京町堀上通5-26
×
道野市松 兵庫県尼崎市東御園町15 トモエ薬局内
×
松本一彦 淀橋区柏木2-662 橋本方
×
能勢正元 福岡市崇福寺新町19 九大寮
×
森本 孝 住吉区天王寺3001
安川正弥 阪急沿線曽根248
森中篤美 広島県佐伯郡大竹町油見
西垣清一郎 京都市右京区鳴滝音戸山町4-94
×
岡田安之助 渋谷区松濤25
増田忠 兵庫県武庫郡魚崎町横屋川井202-2 内山方
松浦(悦郎)元一[※兄] 北区天神橋筋1-52
×
関口八太郎 東京府下立川町本町3203 / 仙台市
×
國行義道 京都市左京区下鴨中川原町27 (上1843 政経書院)
門野正雄 大阪府北河内郡守口町 京阪商業内
×
本位田昇 京都市左京区浄土寺南田町97 古原方 / 北区曽根崎上
×
畠山六栄門 麹町区丸ノ内 丸ビル三階 桜ビール内
×
村山 高 天王寺区堂ヶ芝町51
金崎忠彦 佐賀県小城町
小竹 稔 和歌山県御坊町
小林正三 大阪府泉北郡浜寺町諏訪ノ森
三島 中 本郷区菊坂町15 富士見軒
×
澤井孝子郎 大阪府北河内郡友呂岐村郡
×
小森治廣 大阪市東区竜造寺町1
×
池田 徹 芝区三田小山町5 塩谷方
×
中橋吉長 北区天神筋町61
川畑勝蔵 京都市左京区浄土寺馬場町149 山田方
杉野 祐二郎 京都市左京区吉田本町32 阪田方
坂口 嘉三郎 京都市左京区浄土寺石橋町81 尾崎方
×
池内 宏 麹町区紀尾井町9
和田 清 世田谷区代田652-1
加藤 繁 杉並区和田堀町和泉396
×
内田英成 [※無記述]
大島義当 松山市持田久保筋450
松本健次郎 大阪市南区日本橋2丁目58
和田勇 和歌山市湊通町北2
岡本博信 大阪市南区日本橋筋1-24
竹島新三 [※無記述]
村田孝三郎 大阪府泉北郡高石町南
豊田久男 大阪市此花区上福島北3丁目
生島栄治 大阪市住吉区天下茶屋2-2
細川宗平 大阪府豊能郡豊中町桜塚937
藤枝 晃 京都市左京区北白川西町64 田中亀次郎方
岡田安之助 渋谷区松濤25
本位田 昇 北区曽根崎上1丁目67
西川英夫 中河内郡布施町東足代
山村酉之助 [※無記述]
山本信雄 住吉区北畠西2-77
千川義雄 住吉区天下茶屋3-8
久保光男 西成区東四条2-29
佐藤竹介 淀橋区戸塚町2-132 名越方
鹿熊 鉄 此花区江成町101 城光堂化学研究所
川村欽吾 牛込区喜久井町34 伊藤方
酒井正平 芝区三田四国町2-4
大前登与三 神戸市須磨区小寺町4-33
本田茂光 台湾台中州大屯郡霧峰小学校
加藤 一 静岡県富士郡富士町平垣
古谷綱武 中野区昭和通1-4
檀 一雄 中野区昭和通1-4
三浦 治 世田谷区北沢2-86 愛情館
(第9巻終り)
「日記」第十巻
昭和9年2月13日〜昭和10年2月8日
21cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(82ページ)
TAGEBVCH VOL.10.
13te FEBRVAR 1934
K. TANAKA
Hute meine Liebe und mich
vor Hunger und Frost, o Gott!
Liebe ist verg nglich.
Hunger sei ewig!
[※神よ、我とわが恋人を
飢えと寒さから守りたまえ!
愛はうつろいゆくもの
飢えは永遠だ!]
仟玖佰參拾肆年貳月拾參日
せむ方なく愁しきこころを抱き
外濠通ふ傳馬船(てんま)を見
冷き水を見てゐしが
いつしか心は大いなる愛(おもひ)の上に移りにき
われは愛すべからぬひとを思ひ
ひとはわれをかなしくしぬ
われは飯を求めしが ひとびと酷くこれを拒みたり
大いなる天より何ぞも降り来らむ その日々の飯
心と腹とひもじければ ひとびとにまじらひ
ふたつながら満すことを得ず
たヾひとりのひとによりて共に泣きしが
かれにさへ権力(ちから)なかりき
たヾふたりして思ふらくは 地二つに割れ
われらを生きて埋めよと
あるひはわれら一双の豺狼(さいろう)となり
巷にありて他人(よそびと)を喫[くら]ひのまむことを
かくてわれらとげ得ぬのぞみに焦れ
われは男なれば外にありて侮(あなづ)られ
かれは女ゆゑ内にありて哭き
夜臥床に入りて人間の営みのみをつくしぬ (禍津見[まがつみ]抄)
貳月拾肆日
★
ゆふぐれになると帰るひとびとの様に
わが魂はいつか性として汝の魂を索める
★
山腹に隠れた村々から挨拶が送られる
街は日食に忙しい
天文台へは臨時に電車が出
新聞社では新しい社員が叱られてゐる
わたしは山腹の家へ帰りたい
老いた父母を慰める方法を一も
学校生活では教へてもらへなかつた
★
青い花(一) ゲルハルト・ハウプトマン
古い山の街は燦爛と好ましく彼方へ拡がつてゐて、鏘然と重々しくそこから過去(こしかた)がひヾいて来る。そして微かにわがまはりには、ワ゛
ルテルの歌ふ恋歌がたヾよつて来る。その時、かの高根の去年の雪まで空間は拡げられ、夕の鐘の音の翼をつけられた魂は、かの晩映(ゆふばえ)
の名残の光とラウリン※の薔薇咲く苑へ立去つてゆく。 [※「ニーベルンゲンの歌」に出てくる王]
貳月拾七日
蒼暮
鴉が啼くと風が止み
花キヤベツの閉ぢる音がする
ここ わたしの脚下に地軸は立ち
わたしを中心に日が傾けば月が騰つてくる
湖水
水の中に髪の毛
かはほねの花のやうに黄金色で
昔その歌が湖水を渡つた
絲杉のかげから夕もやが立ち
暗い水の中で髪の毛は閃いた
長い夜
わたしたちの歌が空に昇り
雲のきれつぱしから星が降りた
むかしむかしおぢいさんとおばあさんがあり
オルゴオルに倚つて死を想つてゐた
諾否
けふの日から芳香が立ち
柱をめぐつて鳩が飛ぶ
破瓦から草が芽ぶき
死んだ神々が賭博して
そのさいころをふる音が愁[ものがな]しい
カリグラム
鳩やみさごの墜ちる石から
水は流れ出して
月夜は深い淵となる
少女達が游ぐ水では
シヤボンがとけながら
青くなつて行つた
貳月拾玖日
ある麗かな朝から
羊に似た雲が躍り
地上では若草の間を魚達が下る
ピアノを彈く小鳥達に
木の實が約束され
市場では株が上がり お晝に一寸休憩がある
二月二十二日
池内教授よりほめらる。[※池内宏]
★
方々で梅の花の咲く午後を散歩でくらす
何が私を悲しますのだらう
わたしは指を折つて見るが指は足りない
だけど結局は一つのことだつたと気がつくと
白い雲は馬のやうに丘の背中を蹴つて駆けて行つた
二月二十五日
梅の花の咲く苑にも
まだ枯枝のまヽの木々が入りまじり
髪の毛のやうに葉がひつかかつてゐる
お婆さんのやうな鶴が歩む
脚は奇妙に細い
冷い水に映る影を見るほどの気力もなく
彼女は天を仰いで嘆く
三月五日
詩「西康省」を書く。十枚、一九○行
ゆき子 留守の間に来る
三月十五日
もくげや辛夷の花の間に
老いた春はさまよひ
散つた花びらを踏む足がある
雨が過ぎた後では木々は背のびし
夏を呼ぶ歌がこだまする
山峽から鮎が落ちて来る
☆
魚の卵が海藻にあつた
ロヂツクと云ふ字に似て心につヽかかり
綜々と流れる潮よ
わが春の愁をとヾめたまへ
☆
おととひそれは香ばしい風で来
昨日は雪を以て中断した
黄色い小い花が咲き
鳥が来鳴く藪と繁茂し
雨の中にきらきらと耀ようた
☆
わがクセニエンを聞いた人はない [※諷喩詩]
口笛のあひだに咳がまじり
静かな屋敷町の晝から
ボンボン時計が拂はれる
ラムプや帆船の模型や
苔の花の中にクセニエンは育ち
梢から空に向つて墜ちこんで行く
われは殻を荷負つて
濕つぽい土にのたうつタニシの如くある
☆
ゆきの名を負ふ少女に
われは幾夛の負債を得
蹌踉として深夜をゆき
生ぬるい風に嗚嘔し
溝ごとに唾を吐いてゐる
安らかに眠る少女と思つたが
いつかやせてゆくことをゆめみた
三月十七日
こんな気持ちである。
H[※肥下]のところへゆくとY[※保田]が来てゐた。Yが話し手で、「Oさんが二円五十銭出したんや。そしたらみなで、もろとけもろとけ、
出したものならもらつておけ、と云ふ工合なことを云ふたんや。Oさん苦笑しとおつたど」。それはYの科の謝恩会の時のことを云つてゐるのだ
が、Hはそれを「はあ、はあ」とほんとに可笑しさうに笑ひ声を立てながら聞いてゐた。
自分はその話し手と聽き手に怪訝さよりも怒りを感じてゐた。
「あんなことがほんとに可笑しいのだらうか?」
「何故、あヽした笑ひ方をするのだらうか?」
それにくつヽいて色んな批判が湧いて来た。結局その批判は皆自分に墜ちて来た。
自分だつて外へゆけばあんな話に打ち興じてゐる自身を見つけるのではないか と気がつくのだ。
ちつとも物が書けなくなつた。ためしにむりに筆をとつて書いて見る。
何がわたしを驚かせたのだらう
その多岐の入江に踏みまよひ
わたしは海月と海藻の間に神々を見た
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
書き畢ると直ぐパロデイの方が頭に来る。たとへばこんな風に
何がわたしを苦しませるのだらう
わたしの胃酸過多症はもう癒つた筈なのに
・・・・・・・・・
世界中で一番汚いことばが自分の筆先から生まれて来た。自分は少くとも筆で書けるだけ潔癖な魂を持つてゐると考へてゐたのに。
(それは笑ひ事かも知れぬが、自分たちの年頃では偽善をおし通すなどいふことはできぬのだから)
ものを書くことを止めることが一番いヽ。誰もかもがさう勧めてゐた。殊に群小同人誌の批評家たちが一番手ひどく思はれた。自分は田舎へ帰つて
中学校の先生をしようと考へた。 それと同時にけふ田舎の父から、当分口のありさうもないことを報じて来てゐるのを想ひ出してゐた。
お兄ちやんのヒステリー
お兄ちやんのキチガヒ
S[※咲耶]といふ女学校へ行つてゐる妹が歌ひ乍らやつて来る。そんな情景は美しい。しかし自分はそんな妹を持つてゐなかつた。
自分はむかしコオラスをやつたことがある。譜が中々讀めなかつた。第一テナーだつたが、高いところは生の声しか出なかつた。しかし快適なリズ
ムを、自分は あれから愛し出した。
−∪−∪−−∪−−∪−∪−−∪− ドイツ語の詩にはみなこのやうな強弱がある。自分は声を出してそれらを讀むのを好んだ。
ある日野原に出た。杉の木が冬の霜で赤茶けた葉をつけてゐた。
くぬぎや楢は新芽で煙つてゐた。ワツトオの画のやうだと自分の中で云つたが自分はワツトオを知らなかつた。[※Antoine
Watteau]
自分はこの頃、草花を再び愛しはじめてゐた。殊に桜草属の可憐な花たちが眼を惹いた。それらの色は皆割合に穏かで、決して気持をかきみだすこ
となしに引立てヽくれるのを感じる。 そんな気持を友達等からも求めてゐたが得られなかつた。
自分には友情を云々する友達はゐたが、友情を感じさせる友達は一人しかゐなかつた。彼は田舎で画を書き乍ら、口頭文官試験の準備をしてゐた。
彼に丈は椚や楢の美しさが通じた。
自分はニイチエ的な孤独者ではなかつた。山に入る底のものよりも、常に求めて与へられぬ乞食のやうな卑しさをもつてゐた。そんな孤独は耐えや
うがなかつた。 そして皆が一人前のやうに一人歩きしてゐるのに鑑みて、自ら羞ぢ苛いなんだ。
三月十八日
梢たちは新芽で遠眼には打煙つて見える
屋根からは煙の立つ藁葺きの家
埃のやうな梅の花──鶴はゐぬ
老翁たちが畑を打ち
自轉車が眼の角を曲る
★
林には幾夛の思惟があり
落葉たちは水溜りに沈んでゐた
鳥が音たてヽ歩き
所々に幽かに花が咲いた
その實を去年の冬にみたのだが
そして思惟たちはつながらなくなつた
★
林を渡つて鐘が行つた
降るとしもない雨が蕭條とけぶり
春は遠山の夕映にだけ見えてゐた
夕方の風は篁[たかむら]に殘り
しめつぽく車が列をなして通つて行つた
★
愚な疑惑が水の面に書き記されてゐた
そこでは女は井守のやうに醜く
男は狡猾な蛙のやうであつた
またも不眠の夜を眠り
朝は更に濃いコオヒーの中で目覚めてゐた
★
彼等は凡て敵である。彼女と彼とを結びつけて呼ぶだけでも忌はしい。
三月二十日
鴉の啼く朝
廣重の松から飛び立つて
汽車のゆくことは音だけでわかり
瓦の屋根の波から
鍛冶の歌が起る
× 八木あき子氏、北園克衞氏、衣巻省三氏、中村喜久夫氏
青い腦髓の中に林檎の花が咲き
私の鼻は冷い 犬のやうに
チカチカと輝く五角の宝石よ
廻[めぐ]つて流れる濃い色彩の水から
滴る水滴をもつ魚たちが掘り上げられる
×
暑い植物たちを通つて来た風は
炎々と燃える建物の大理石の柱に
その鼻先をくつヽけて冷さうとした
アカンサス属の植物をつぶすと
紫と赤の中間色の汁が滴り
私の更紗の着物を汚し
母の叱責のために準備が出来上つた
三月二十五日 大阪で
六月のバラがもう咲いた
帷を垂れた空の下で
ヨツトたちは浮んで雲のやう
坂を降りてゆくのは馬
裸か身に汗ばんでゐるのだ
★ ★
驛逓馬車の喇叭は遠い
森ではお祭り、水仙の花が踏み躪[にじ]られる
歓喜の声がこヽまで聞え
蒼白な詩人たちの椅子が動く
松脂の香が一面に漂ふ
もうすぐ螢が灯をともす
★ ★
明るいイマアジユが浮かぶ
フロラとブランシユフロラの双生児
花よりも愛でにし児たち
蹄から火花、森から螢
川からは水精(ニユムフ)・・・・・
★ ★
アヅマヂノ サヤノナカヤマ ナカナカニ アヒミシヒトノ
カゲゾコヒシキ[※源宗于] アヒミテノ ノチノココニ クラブレバ
ムカシハ モノヲオモハザリケリ[※藤原敦忠] フルサトノ ヨベノフスマニトヒクルハ アヒミシコロノ サヤサヤノオト[※不詳]
三月二十六日 西川、池田、安田
三月二十七日 清徳(浪中で)田村邸
三月二十八日 全田、山本信雄氏、千川義雄、勢山索太郎氏、藤村青一氏
三月三十日 久保光男
三月三十一日 西川を送る。池田、中島、安田、かをる、八木[※八木あき子] etc.
ああ 咽喉の奥まで見せつけて悪罵を放ちたい
この腐臭を放つ大都会なるもの
原色をもつて色彩るに妙を得た獸らと
底土から湧き出すメタン瓦斯の泡(あぶく)たちに充ち
到る所で奇妙な言葉がかけまはつてゐる
★小間物屋の息子西田は三月一日死んだと云ふ。
★このノートは掘り出し物である。
Des fleurs s´envola un papillon gui me fr la le menton de ses
ailes, j´en eus telle frayeur gue j´ai cri .
Belle compagne Blanchefleur, voulez-vons voin une freur gue vons
aimerez beancoup, je le sais, lorsgue vons la verrez. Il y a
pasdefleurs pareilles dans ce pays.
Venez-y, dit Clarisse, vons la conna trez certainement, car elle
est de votre pays i je vonsla dounerai si vons la vonlez.
[※花から一疋の蝶が飛び立ち、羽で私の顎をくすぐった。私は吃驚して思わず声を上げた。
美しき友、白い花、その花を見たいと思う?
私には分かるが、その花を見たら君はきっと好きになるだろう、この国にこんな花はないのだから。
「いらっしゃい。」とクラリスが言った。「この花は貴方の国のものだから欲しければあげましょう。]
噴き上げは の若葉に埋れた
大理石のヴヰーナスは無花果の藪のうしろ
黄金の陽の矢は果樹にとヾまり
馬車は坂路を駆け墜ちる
口笛がとほく林をゆるがせ
村々では燈火が足らない
そこから一年中の賣上が稼ぎ出される
泥の中に手足は委ねられ──
お屋敷で古典的なマヅルカが舞はれてゐた
四月六日
奈良と松田明
タカマドの山は赤茶けてゐる
アセビの花も陰気くさい 鹿の子は見えぬ
寒い風を含んだ雲が走る
おばあさん達が一列懐郷病にかヽり
女学生達は靴下をほころばす
イコマのヤマから夕ぐれが来
あつちは西だとセンセイが教へてゐた
★
彼の苑では白梅、紅梅、沈丁花、菜の花
彼の家にはめぐし児
それから口やかましい義母
その云ひなりの義父
気の利かぬお嬢さん上りの妻
一團りの義兄弟たち
彼の家の外を寒い風が吹く
彼は煙草を吹かす
家の内と外で
彼の頬から濃い髯が立ち上る
★
春寒や鹿の子に芝生くれかヽる
馬酔木咲く原起き伏しの目にしるく
寒ければこの手がしはも見ずに来ぬ
老嫗(ばヾ)ひとり鼻汁(はな)うちかむも氷室社(ひむろ)まへ
「春の日」
二月十八日
春めくや人さまざまの伊勢参り 荷兮
櫻ちる中馬ながく連れ 重五
山霞む月一時に舘立(いへたち)て 雨桐
鎧ながらの火にあたる也 李風
× ×
鳥居より半道奥の砂行て 昌圭
花に長男(おとな)の紙鳶あぐる頃 李風
柳よき陰ぞこゝらに鞠なきや 重五
入かゝる日に蝶いそぐなり 荷兮
× ×
世にあはぬ局涙に年とりて 雨桐
記念(かたみ)に貰ふ嵯峨の苣[ちさ]畑 重五
いく春を花と竹とにいそがしく 昌圭
弟も兄も鳥とりにいく 李風
× ×
三月六日 野水亭にて
奈良坂や畑うつ山の八重ざくら 旦藁
おもしろふ霞むかたがたの鐘 野水
春の旅節供なるらん袴着て 荷兮
口すゝぐべき清水流るゝ 越人
× ×
月なき浪に重石(おもし)おく橋 羽笠
轉びたる木の根に花の鮎とらん 野水
諷ひ盡せる春の温泉(ゆ)の山 旦藁
のどけしや筑紫の袂伊勢の帯 越人
× ×
こは魂祭るきさらぎの月 旦藁
陽炎のもえ残りたる夫婦にて 越人
春雨袖に御哥いたゞく 荷兮
田を持て花見る里に生れけり 羽笠
× ×
三月十六日 旦藁が田家にとまりて
蛙のみ聞てゆゝしき寝覚哉 野水
額にあたる春雨のもり 旦藁
蕨煮る岩木の臭き宿かりて 越人
まじまじ人をみたる馬の子 荷兮
× ×
同十九日 荷兮室にて
× ×
跡ぞ花四の宮よりは唐輪にて 旦藁
春ゆく道の笠もむつかし 野水
永き日や今朝を昨日に忘るらん 荷兮
× ×
我春の若水汲みに晝起きて 越人
餅を食ひつゝ祝ふ君が代 旦藁
山は花所残らず遊ぶ日に 冬文
曇らず照らず雲雀鳴くなり 荷兮
追加
三月十九日 舟泉亭
山吹のあぶなき岨のくづれ哉 越人
蝶水のみにおるゝ岩橋 泉舟
きさらぎや餅さらすべき雪ありて 聽雪
× ×
春
鯉の音水ほのぐらく梅白し 羽笠
餞別
藤の花たゞうつぶいて別かな 越人
蚊ひとつに寝られぬ夜半ぞ春の暮 重五
「曠野」 巻一 花 三十 句
薄ぐもりけだかく花の林かな 信徳
暮淋し花の後の鬼瓦 友五
巻之二 初春
若菜つむ跡は木を割る畑かな 越人
女出て鶴たつあとの若菜かな 加賀小春
あけぼのや鶯とまるはね釣瓶 伊賀一桐
蝶鳥を待てるけしきやものゝ枝 荷兮
暁の釣瓶にあがるつばきかな 仝
蝙蝠にみだるゝ月の柳かな 仝
仲春
うごくとも見えで畑うつ麓哉 去来
暮春
ねぶたしと馬には乗らぬ菫草 荷兮
ほうろくの土とる跡は菫かな 野水
行蝶のとまり残さぬあざみかな 燭遊
はげ山や朧の月のすみ所 大坂式之
松明に山吹うすし夜のいろ 野水
山まゆに花咲かねる躑躅哉 荷兮
巻之六 雑
詩題十六句中
白片落梅浮澗水
水鳥のはしに付たる梅白し 野水
員外
麥を忘れ華におぼれぬ鴈ならし 素堂
手をさしかざす峯の陽炎 野水
橇(かんじき)の路もしどろに春の来て 荷兮
もの静なるおこし米うり 越人
・・・・・
立かへり松明直[ね]ぎる道の端 野水
千句いとなむ北山の寺 荷兮
姥桜一重櫻も咲残り 越人
あて事もなき夕月夜かな 野水
・・・・・
遠浅や浪に標(しめ)さす蜊とり 亀洞
春の舟間に酒のなき里 荷兮
のどけしや早き泊に荷を解て 昌碧
百足の懼(お)ざる藥焚きけり 野水
・・・・・
時々にものさへ食はぬ花の春 昌碧
八重山吹は育ち[はたち]なるべし 野水
日の出でやけふは何せん暖に 舟泉
心やすげに土貰ふなり 亀洞
・・・・・
人並に脇差さして花に行く 釣雪
つい田作りに落る精進 野水
美しき鯲[どじょう]うきけり春の水 舟泉
柳の末(うら)の螳螂(かまきり)の卵(かひ)松芳
・・・・・
何事もうちしめりたる花の顔 荷兮
月の朧や飛鳥井の君 冬文
灯に手をおほひつゝ春の風 舟泉
数珠くりかけて脇息のうへ 松芳
・・・・・
次第次第にあたゝかになる 冬文
春の朝赤貝履きて歩りく兒[ちご] 舟泉
顔見に戻る花の旅立 松芳
・・・・・
月の朝鶯附けに急ぐらん 野水
花咲きければ心まめなり 荷兮
天仙蓼(またたび)に冷食残し春の暮 同
かけがねかけよ看經の中 野水
・・・・・
三方の籾[數]むつかしと火にくぶる 荷兮
供奉の草鞋を谷へ掃込み 野水
段々や小塩大原嵯峨の花 同
人おひに行く春の川岸 筆
・・・・・
花の賀にこらへかねたる涙落つ 傘下
着物の糊のこはき春かぜ 越人
打群れて浦の苫屋の塩干見よ 同
内へはひりて猶吠ゆる犬 傘下
・・・・・
おろおろと小諸の宿の晝時分 傘下
皆同音に申す念佛 越人
百万もくるひ所よ花の春 傘下
田楽きれて桜淋しき 越人
深川の夜
・・・・・
月と花比良の高根を北にして 芭蕉
雲雀さへづる頃の肌ぬぎ 越人
破れ戸の釘打付る春の末 同
店はさびしき麥の挽割[ひきわり] 芭蕉
・・・・・
いかめしく瓦庇(びさし)の木藥屋 越人
馳走する子の痩て甲斐なき 芭蕉
花の頃談義まゐりもうらやまし 越人
田にしを喰ふて腥きくち 芭蕉
・・・・・
穴一(あないち)に塵うちはらひ草枕 越人
雛(ひいな)かざりて伊勢の八朔 其角
満月に不断櫻をながめばや 同
・・・・・
物聞き分かぬ馬士の鬮(くじ)とり 越人
花の香に胡葱(あさつき)膾緑なり 同
筵敷くべき喚續(よびつぎ)の春 同
・・・・・
白露の群れて泣き居る女客 越人
つれなの醫者の後姿や 嵐雪
ちる花に日はくるれども長咄し 越人
呼子鳥とは何を云ふらん 同
・・・・・
烹た玉子なまの玉子も一文に 野水
下戸は皆いく月のおぼろげ 落梧
耳や歯やようても花の數ならず 野水
具足めさせにけふの初午 落梧
いつやらも鶯聞きぬ此奥に 同
山伏住て人叱るなり 野水
・・・・・
朝毎の干魚供ふる瑞垣に 落梧
誰より花を先へ見てとる 同
春雨のくらがり峠越えすまし 野水
眠り轉べと雲雀鳴くなり 落梧
・・・・・
若者のさし矢射てゐる花の陰 一井
蒜喰(くら)ふ香に遠ざかりけり 鼠彈
春の暮ありきありきも睡るらん 胡及
紙子の綿の裾に落ちつゝ 長虹
・・・・・
板へぎて踏み所なき庭の内 一井
羽のぬけたる黒き唐丸 鼠彈
ぬくぬくと日脚のしれぬ花曇 長虹
見わたす程はみな躑躅なり 胡及
春寒や奈良坂路にくれかかる
埃にまがふ花のかなしも
【抹消】古への都大路もだヾひろく
鹿の子ひとつがはぐれてゐたり【抹消】
猪(シヽ)下り来る春日の奥に通ふみち
在所は麋(ソダ)に忙しげなる
羊歯の葉に包みてかへる小魚かな
翁の面をとりおとしけり
夜叉ひとつ天竺河を渡るとふ
砂子(まさご)にまじる瑠璃ぞはかなき
み匣(くしげ)に蚊のとび入りしゆふべかな
寢られぬまヽに歌仙寫しぬ
奈良坂やこの手がしはを教はりて
薬師はきのふ山に入りにし
御木伐るや丁々のこゑせせらぎに
短冊とれば硯もて来ぬ
苔の屏風に鞠を蹴りかくる
淵瀬かはりし宜寸(ヨシキ)佐保川
【抹消】大佛の境内ありく夫婦連
朱の玉垣緑の瓦【抹消】
一本の柳の下に店開き
茄(ウデ)卵子三つ蜜柑一籠
笊(ザル)もつてゆがく野菜を買ひとりぬ
夕月の下(モト)畑に火を焚く
四月九日 芦屋ロツクガーデン、大江勉と
探幽
櫻咲く溪谷をゆき
石ころの河原を見
果物を食み
鴬を藪に聞く
落葉樹は紫に芽吹き
常磐木は黒い
山角を曲れば瀬の音
崖から水が湧く
菫の葉は尖り
花は目立たない
嶮岨な小徑を攀ぢ
杉根を撫で
岩を傳つて流れを過り
崩れ落ちる砂をふんで
岩山に上る
露出した岩は風化し
海は和やかに皺より
帆は静かに滑つてゐる
少童は岩窪に立ち
予は岩秀に坐し
藥草生ふる絶壁に
佛菩薩の文字を讀んだ
四月十五日 「鷭」来る。[※同人誌]
安部忠三氏を訪ね、歌集「砕氷船」頂く。
野茨咲きはなばな匂へり晝ゆきて堪へがたくわが渇きをおぼゆ
篠懸は青々と葉をゆすりゐる下かげにゆきて水のみにけり(大正十四年)
肩並めし汝をかへりみわがさぶしかかる月夜をいく夜なりけむ(大正十五年)
正月のいとまさびしく老父と将棋をさして晝はくらしつ
青々と海の底ひのふかみには砂子明るくしきにけるかも(昭和二年)
青くさき樹の葉のしめりにほひつつ闇にほのけし蛍のひかり(昭和三年)
このひとを吾はうやまひてかつてありき今日のしたしさにも忘るることなし
青葉ふかき溪間にこもる蝉しぐれかすかに日向に雨ふりてをり(昭和四年)
赭土の斜面をのぼりゆきし犬あり丘の上の青ぞらにあらはれにけり竹の御門のまへをながるる浄き水にもこのあは雪はとけつヽあるらし (昭和五年)
つれびきの若き繊指をおもひをりしなやかにつよく絃の鳴ること
篝火のかげに佇たして母上のいたく小さくなりたまひたる
夕くらき赭土の丘をのぼるみちまがりて来つヽこころかなしき
青くさはこの林中に冷えてをりはしりてしろきくちなはを見る
沮澤(ふけ)のゆふぐれ、畑に黄なる豆殻のけぶれるを見て犬はあるけり
この山の羊歯のるゐなど日もすがらしめりてくらく蛇のあそばむ
青葉畑はいまは昏れゆき先刻(さき)よりゐる菅笠しろし、ひさしくうごかぬ
先生はつひにつかれて睡りたまへりなほ酒うまき身はにくめども(昭和六年)
四月十六日 中島、藤村、西尾、志田氏。
遠近法
葡萄酒のいろに空は染められ
鳥たちは汚点をなしてとびかふ
單檣船が入港して
碇泊のためにいかりをおろし
その時夕焼が少しばかりゆらいだ
四月二十七日
崖の下の感情
蛙は蛙の歌をうたひ
田螺の殻には櫻の花片がくつヽいてゐた
そして櫻の木では毛虫が育つてゐ
蝶にはまだ早い まだ早い
五月一日 松田明来る。中島。
五月二日
詩
世界は緑いろで國中には旗や幟がひるがへつてゐる
瑠璃窗の中で酒を酌む男
顔色が蒼いと下婢が寄つて来る
蜘蛛の金の糸で体を縛られて
嶺から初雷と電光がやつて来る
「ひさご」
花見
木の下に汁も膾も櫻かな 翁
西日のどかによき天気なり 珍碩
旅人の虱かきゆく春暮れて 曲水
はきもならはぬ太刀の革背(ひきはだ) 翁
・・・・・
雁ゆく方や白子若松 翁
千部讀む花の盛りの一心田 珍碩
巡礼死ぬる道のかげらふ 曲水
何よりも蝶の現(うつつ)ぞ哀なる 翁
文かく程の力さへ無き 珍碩
・・・・・
一貫の錢むづかしとかへしけり 曲水
医者の薬は飲まぬ分別 翁
花咲けば芳野あたりを駆廻り 曲水
虻にさゝるゝ春の山中 珍碩
・・・・・
いろいろの名もむづかしや春の草 珍碩
打たれて蝶の夢は覚めぬる 翁
蝙蝠の長閑に面(つら)をさし出して 路通
駕の通らぬ峠越えたり 仝
・・・・・
旅姿稚き人の嫗(うば)連れて 路通
花は赤いよ月は朧よ 仝
汐のさす縁の下まで和日(のどか)なり 珍碩
生鯛あがる浦の春かな 仝
・・・・・
汗の香をかゝへて衣をとり残し 越人
頻りに雨はうちあけて降る 仝
花ざかり又百人の膳立に 荷兮
春は旅とも思はざる旅 仝
城下
・・・・・
・・・・・
一歩につなぐ丁百の錢 乙州
月花に庄屋を寄つて高ぶらせ 珍碩
煮染(しめ)の塩のからき早蕨 怒誰
来る春につけても都忘られず 里東
半気違ひの坊主泣き出す 珍碩
・・・・・
雑
・・・・・
鴬の寒き声にて鳴き出だし 二嘯
雪のやうなる梭魚子(かますこ)の塵 乙州
初花に雛の巻樽据ゑならべ 珍碩
心のそこに恋ぞありける 里東
・・・・・
手みじかに手拭ねぢて腰にさげ 正秀
縄を集むる寺の上茨(うはぶき) 及肩
花の頃晝の日待に節ご着て 野經
さゝらに狂ふ獅子の春風 二嘯
田
疇道や苗代時の角大師(つのだいし) 正秀
明くれば霞む野鼠の顔 珍碩
觜ぶとのわやくに鳴きし春の空 仝
構へをかしき門口の文字 正秀
・・・・・
獨ある子も矮鶏(チャボ)に替へける 珍碩
江戸酒を花咲く度に恋しがり 正秀
あひの山彈く春の入相 仝
雲雀鳴く里は厩糞(まやごゑ)かき散らし 珍碩
・・・・・
子規御小人町[おこびとまち]の雨あがり 珍碩
やしほの楓木の芽萌え立えつ 正秀
散る花に雪踏引ずる音ありて 珍碩
北野の馬場にもゆる陽炎 正秀
五月四日 大毎でおちました。 [※大阪毎日新聞]
五月八日
私の緑の世界で 私は赤い帽子を着る
色盲の検査にはいつも合格したが
暗がりに落ちてゐる花束の色は知らなんだ
螺状の道がそこにある
掘り取つた青い土から陶器をこさへ
空ゆく雲や鳥は水に影うつす
そこでは自棄など考へやうもない
★
「此頃はノワ゛ーリスの翻譯で創作力が消失しました」
★
星は 彼等の制服に
花は 彼等のお顔のまん中
それは 花ではありません
赤くて雄蕊があるけれど
★
おヽ 祟高な大山脈
峨々たる山襞
巍々たる峰々
これに比べてはわが胸の
肋骨の尖りなどまだまだだ
★
歌ひませう 踊りませう
ロンドがちぎれて蹄鉄の
形になるまでをどりませう
森は五月の若緑
地には若草五月花(サツキバナ)
をどり子たちが踏むならば
たのしい拍子でふむならば
いつそあきらめませうから
歌ひませう をどりましよ
空は五月の淡青(アサギ)いろ
もつともいまは夜だから
その上森がふかいので
春の星さへ見えないが
もうぢき螢がひをともす
幸福(しあはせ)なんてひる間には
どんな聖者も見つけない
歌ひませう 踊りませう
もうさつきから茂みでは
森の楽隊百千鳥
調律試演のおまちかね
歌はハイネが春の歌
あれは破れた恋の歌
不吉な歌などよしませう
ただひとすぢにこころから
自分の歌をうたひませう
五月九日
私たちは最も正確な機械の一つとして時計を知つてゐるが、それも人が故意にすヽめたりおくらせたりするのを見た後からはもう信用することが出
来ない。
灝気(エーテル)がたちのぼる野中に
子供らといりまぢつてはねる
金貨のやうな小い花が
しづかに水に流れてゆく
魚や獸やの存在が明かでない
★
ノワ゛ーリス?
W・シユレーゲル
ヘルデルリーン
テイーク
シエリング
アイヘンドルフ
グリム兄弟
アルニム・アヒム
ブレンターノ
ハイネ
シユトルム
レナウ
北川冬彦
北園克衞
春山行夫
三好達治
阪本越郎
上田敏雄
安西冬衛
西脇順三郎
★ ニユムフのいざなひ
紫いろの水の中に
男は額を浸してゐる
水には黄色い藻が咲いて
日は亭午
木の間から洩れる光が
芝生で豹の皮のやう
男は今だ顔をあげない
水も動かない
五月十日
うすい血の色の林のなかで
小鳥は啼きはヾたきしてゐる
雲は輕やかになるこゆりを動かし
時々口笛を吹く
自由な水が流れては
インクのいろに染まつてしまふ
★
聳える岩にまとひついた髪(カミノケ)科の植物
去来する獵科の鳥
★
月の無い水から這ひ上つて
爬虫類は啼く いたましく
おお おれも知つてゐる挽歌のかずかずを
そして墓はいつも暗い
そして死に至らしめる非行が最も暗い
★ 天狗
夛分その背後に燦爛たる群星が在る
それは暗い発光せぬ天体だ
ハイエナのやうに髪をふりみだし
天空にくつヽいて遊行する
それのためにわが地球は若干暗くされてるのだ
★
うづくまつてゐるハイエナを知つてゐるか
彼等は爪に毒をもつてゐる
そして爪の毒が役立つより先に
弱い獲物は出血で死ぬ──
★
彼等が口をあけて歌ふとき
その口腔はうす紅い
──それを俺は永い間愛してきたものだ
芳ばしい微風が薄い雲をひく
その奥で歌だけがいつまでも残る
世界はその方がもつと美しい
★ エロスにさヽぐる
無花果のさしかはした枝の間に
その茂つた葉のまへに
太陽に照らされた石竹と薔薇の花
朝露でぬらされて美しかつたが
子供たちが折る時さつと萎んだ
★ 鴬
上の道をゆくとき下の道で啼いた鳥
木々が花で茂つてたので
その黄緑いろの皮虜を見なかつたが
いまにして思へばしみじみと惜しい
また
年寄つて病床にきくとき
──老いた人間は口笛を吹かぬから
その鳥は天使に変つて
窓の薔薇に巣くふだらう
室では石竹が馥郁と
五月十一日
緑の鸚鵡
堅しい岩の城でないわが心を
あの秘密な力強い感情が
攻め陷すのは易い
そのためわが姫は奴隷となり
敵國の王の閨房(ハレム)の一人となる
柘榴や巴旦杏咲く園で
捕虜の我と邂逅したとて
もはや彼女はわがものでない
そんな潔癖がわれら
貴族社会には免れ難いのだから
★
やはらかい樹木の葉の柔しい光に
わが五月は来
卯の花腐(くた)しのすヽり泣きが
一夜さわが床を廻(めぐ)つてゐた
そしてわたしの中で小鳥が一 死んでしまつた
★
逝つた全のみ魂の時代を徒に
恋ひしたふまい
それは予定された変改の軌道通り
あすのくすんだ銀の時代を
おれはこれから夢みるのだ
その光が心臓には何といヽ沈静剤となることだらう
戸外では さう心臓の外一杯に硫黄の香がする
★
灯はゆれる 歌につれて
悲しい聞きあきた歌だ
四辻では花が咲く
こめかみに彈丸の跡がある男
その人は俺にボンボンをくれた
俺は眠る
ゆれる灯にゆすられて
★ 史前(プレヒストリイ)
鹿や羚羊や猪や
凡てハイエナの族を狩りした
入江では蘆の花がまつ白で
舟から飛び下りるとき
貝殻で足のうらを切つた
★
渺茫たる水を先づ知り
銀色にけぶる無限の林を見た
赤系統の色を見ては獲
緑では休らひ
蒼で眠つた
時にわが手を噛む獸を馴したが
それの胴はわれのやうに細かつた
かくてわれは眠る
獸のやうに手足を折り曲げて
★
叫喚する我孫子のこゑ
わが憩ふ阿夫里まで聞ゆ
薑(ハジカミ)を啖ふに慣れしものわれら
ハイエナの族 北方の族を殲[ほろぼ]さむと
★
栗鼠が月の夜 鐘を鳴らした
木枯の中を院主はまた酔つて帰つて来た
翌朝早く起きた僕は
霜の上に点々の足跡を見た
獸か人かをだれが知るであらう
★ 佛×蘭×英戰爭
海から青銅の大砲が上つた
それは西暦一八二○年の鑄造になり
弗羅曼[フラマン]の名匠が手になつたものである──
軍國は冷笑してそつぽを向いた
★ 分水嶺
痩せた陸の背中をゆく その
脊椎骨を数へるのだ
一輪咲いた高根の花
霧たちがまた来て帷をひく
病室らしくクロロフオルムを匂はせて
★ 中島栄次郎に(二首)
五月雨に棕櫚さへ花の咲く頃や
葉にまぎれて青きはかなし柿の花
鬱悒のしげり通るや海のいろ
五月十二日
あの子はきつといふ
「あなたまだ信用してないの?」
または
「まあ!ひどいわ!」
だけどまるで答へを待つてたかのやうに
俺はたヽ一つの問ひに焦るのだ
★
Ich und du und du und du,
Zwei mal zwei ist viere,
Tragen Kränze auf dem Kopf,
Kränze aus Papiere;
Rechts herum und links herum,
Röck' und Zöpfe fliegen,
Wenn wir alle schwindlich sind,
Falln wir um und liegen,
Purzelpatsch, wir liegen da,
Patschelpurz, im Grase:
Wer die längste Nase hat,
Der fällt auf die Nase.・・・
Otto Julius Bierbaum
[※私とあなた、そしてあなたとあなた、
2かける2は4、
私たちは頭に花輪をかぶる、
紙でできた花輪。
右に回り、左に回り、
スカートと三つ編みがなびき、
みんなめまいがして、
転んでそこに横たわる、
滑ってバタンと音立てて、
草むらに横たわる。
一番鼻の長い子は、
顔からぺちゃんこに倒れるだろう。
オットー・ユリウス・ビールバウム
牧羊神の逃亡
どこもかしこも緑に茂り 色さまざまに花が咲き
正午の太陽が照らしてゐる
島の藪の人の手のとヾかぬところで
牧羊神(パン)は坐つて刻んでゐる
接骨木(にはとこのき)からたくみに
笛を刻んでこさへ
にはとこのやうに細い
髯の上にのせる
上品に 低く吹き
そして彼はほヽえむ
これは夜なかに
湖の上で吹けば
夜中に
健気な詩人も悲しむだらう
これを晝なか甘く吹けば
ああ
彼等の詩人の嘆きをさませば
ああ
ああ ああ あはれな私 牧羊神(パン)に
おれのしたことはいけなかつた
俺の眠つてゐる間には
ほほえむことを
奴等は忘れてしまつたからな
低く彼は笛を吹く それはひびく
まるでみづみづしい苔の間から
つるつるした大きな礫の上へ
明るい泉がとばしるやうだ
青い接骨木の匂りのやうに
この音曲は大空に漂ふ
一杯になごやかに
そして笛の音を一人の童女が聞いた
藪で花を摘んでたので
ひヾきが全く早く
つたはつて行つたので
ひとりでこヽで考へて見るには
たれかヾ笛を吹いてゐる
誰がこの笛を吹いてゐるのだらう
誰もいまヽで聞いた人は
こんな風には吹かなかつたし
ああ 彼女は音に全く混乱され
心臓ははやく動悸をうつ
きつとほんとにきれいな男が
それ故うまくふけるのだが
そして若い人にちがひない
そこで彼女は高い岩にのぼり
ひヾきをずつとつたはつて見る
藪や石や切株や
いヽや なんだ ふん
笛を吹いてゐるのは山羊だ
ああ 神様 何といふ格好です
茶色のかみのけ 太くてちヾれ
全く
それから鼻 それから脚
曲つてんだもの
ゆらゆらしつぽももつてゐる
怪つたいな二つの角
きものはだけど小い
それで彼女は笑つて 笑つて 笑つて
涙が出るほどわらふ
牧羊神は歌から覚め
そこから逃げ出す
いとどふかい静(しヾ)まにゆく
人からはなれた 人からとほい
(オツトオ ユリウス ビイルバウム)
[※Otto Julius Bierbaum「Pans Flucht」訳詩]
五月十三日 中島と伊東さん [※中島栄次郎と伊東静雄]
山中常盤を見る。
花が咲き、馬が嘶き、甲冑が鳴り、槍や刀がきらめく。
藍や青の土坡、緑の松は美しい。
たヾ卑俗の惨酷さが、腐肉いろの赤となつてゐる。
★
星よ 墜ちて来い
レモンよ みのれ
北から吹く風で児が授かり
南風では黄金が来い
五月十四日
梁塵秘抄 巻二 仏哥二十四首の中
〇釈迦の正覚なることは、この度初と思ひしに、五百塵点劫よりも、彼方に佛と見え給ふ
〇佛は常にいませども、現ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ
〇釈迦の御法のうちにして、五戒三帰をたもたしめ、一度南無といふ人は、花の苑にて道成りぬ
法華経廿八品 謌百十五首中 序品五首 第一巻
〇空より花降り地は動き、佛の光は世を照し、弥勒文殊は問ひ答へ、法花を説くとぞ予て知る
〇鷲の御山の法の日は、曼陀羅曼珠の華降りて、栴檀沈水満ちにほひ、六種に大地ぞ動きける
四句神歌 百七十首 神分三十六首
〇南宮の宮には泉出でて、雜井のお前は潤ふらん濁るらむ、中の御在所の竹の節は、一夜に五尺ぞ生ひのぼる
僧哥 十三首
〇柴の庵に聖おはす、天魔はさまざまに悩ませど、明星漸く出づる程、遂には随ひ奉る
〇冬は山伏修行せし、庵とたのめし木の葉も紅葉して、散り果てヽ 空さびし、褥(にく)と思ひし苔にも、初霜雪降り積みて、岩間に流れ来し水も、氷しにけり
雑
〇筑紫の門司の関、関の関守老いにけり、鬢白し、何と据ゑたる、 関の関屋の関守なれば、年の行くをば留めざるらん
〇美女(びんでう)打見れば、一本葛ともなりなばやとぞ思ふ、本より末まで縒らればや、斬るとも刻むとも、離れ難きはわが宿世
〇わが子は廿十に成りぬらん、博打してこそ歩くなれ、国々の博党に、さすがに子なれば憎かなし、負(まか)い給うな、王子の住吉西の 宮
〇遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声聞けば、わが身さへこそ搖がるれ
五月十五日 丸に
棕櫚咲くやひとには遠き五月晴
卯の花の垣根に海のある家や
棕櫚の花がなまじつかな華(はで)やかさで
わが館を金でふちとりすると
五月は溢れるさびしいいろとなる
外の畑では葱がはかない坊主頭を
並べてゐるのだらう
夕日の時以外には外出しないならはしである
もうし、もうし、柳河ぢや、
柳河ぢや
銅の鳥居を見やしやんせ、
欄干橋を見やしやんせ、
(馭者は喇叭の音をやめて、
赤い夕日に手をかざす。)──白秋(柳河風俗誌)
教授は柄付眼鏡(ロルグネツト)をとり出す
夕日の坂下で馬が倒れてゐる
アカシアよ
女の子たちが見上げて通る
石橋の下は川でない
遠くで眩い屋根がある
星辰をたヽき落とせ
プラトンが見た毒人参の杯は
ソクラテスの死後 彼の旅行につきまとふ
金箔
五月十八日 浪中の嘱託を命ぜられる [※浪速中学校]
五月二十三日
かなしく穀物はみのり、丘陵は遠い。麥刈女たちは歌ふ。雲雀。
室で時鳥[ホトトギス]の話をする。風が緑を光らす。土は眩い。
僕は哀れな黒帽子をきて背中が曲つてゐる。
道がくねくねしてゐる。蚊が生れる。ああ、遠い丘陵を見る。
熱帯や少女がこひしいので帽子にかくれる。
眞珠いろに山々が光る。ちかちかと眼の中に注ぐもの。
風の波、光の波、交互にやつて来て音叉のやうに鳴る。
僕のたましひはふるへる。午後だから。
鐘が鳴つて鐘が鳴つて、葬式は出ない。
六月一日
おれは遠く埃の噴水を見る
矢車草の色彩の混乱
野茨が白い花をつヾる藪かげ
白い道の上をよぎる蜥蜴の子
おれはこども等を愛し
南瓜の花を愛する
なぜかしらんが泣いてゐるといふ
おれは手紙を書く、腕が折れるまで
おれはあのあたりに家を建てようと。
夏は柘榴のチユーブから押し出される
終日おれは噴泉を見る
そこここで啼く犬がゐて
晝はひと気がない
おれが悒(いぶ)せくてゐると
掌がとほくでひるがへつてゐる
山が近い 禿げてゐて
あれを思ふと海が拡がつてくる
うねる波と輝く波とが。
アトラスの苦悩を己はすでに愛した
すべての經験が己のなかで無に帰る
非有の原子を見る
神の種子が甦へると祝祭になる
六月五日 東郷元帥國葬といふ日
良寛詩集
富貴非吾事 金持ちや高官にはなりたくない
神仙不可期 神仙になれるとも思はない
満腹志願足 餓えさへせねばそれでいヽ
虚名用何爲 空しい名前なぞほしくない
一鉢到処携 どこへゆくにも鉢を一つ
布嚢也相宜 布の嚢(ふくろ)には米を入れる
時来寺門側 時々寺門の側にやつて来て
會與自動期 子供たちと会つて遊んで見る
生涯何所似 一生これ以上のたのしみはない
騰々且過時 ふらふらとしばらく時間をつぶす。
○
青陽二月初 春は二月のはじめごろ
物色稍新鮮 草木の少しあをむころ
此時持鉢盂 鉢をもつて
得々游市廛 得意然と巷にゆくと
児童怱見哉 子供たちがおれを見つけ
欣然相將来 よろこんでさそつてやつて来て
要我寺門前 寺の門前でおれをとおせんぼ
携我歩遅々 おれにぶらさがるので歩けない
放盂白石上 そこで鉢を白い石の上に
掛嚢緑樹枝 ふくろを青い木にかけて
手此鬪百草 草ですまふをとらせたり
手此打毬子 手毬りをついたり
我打渠且歌 おれがつくと子供らがうたひ
我歌彼打之 おれがうたつて彼らがつく
打去又打来 ついて ついて ついて
不知時刻移 時間のたつのもわからない
行人顧我咲 通行人がおれを見て苦笑して
因何其如斯 「何でまあ、そんなことをなさるのぢや」
低頭不応伊 おれはうなだれてこたへない
道得也何以 こんなことはくちでは旨く云へぬ
要知箇中意 わけを考へて見たところで
元来祗這是 もともとかうしたものなのだ。
おれは思ふに一生自分の家は建ちつこない
そこでゆめ見ることにした
あの野茨のこヽかしこに咲いた
方二百坪ほどの地所がいヽ
あすこに南面の
日当りのいヽ家を建てる
児のためには子供べや
妻の化粧室 婢室(ぢよちうべや)
はばかり
就中[なかんずく]湯殿と便所をきれいにし
書斎兼應接間をひろくとり
まはり四面に書棚をくむ
そこへ英独佛蘭支の書を積み
おれはゆめのひまに讀む
おれはまた家のうしろに
花をつくる園をもちたい
家の前には香気のある
花咲く木々を植ゑておきたい
秋風春風のおとづれ毎に
それらが馨るのがうれしいのだ
芝草を食む牡牛の大さ
雲が彼の膚に去来してゐる
早い蝉が啼いてゐる
遠い木で
晝の星が山の上に淡い
★
みささぎのほりに水草の生ひしげりわがかなしみに夏は来りぬ
★
彼等は歌ふがいヽ
テラスについて
夫人について
転向した博士をものあはれげに
ギリシアの神をも嗤ふがいヽ
六月十日
サボテンめ
空の蝿をとらへをつた
そのとげのある偏(ひらた)い手で
×
六月十一日
朝焼がすると晝すぎに降る
おれは東の方を見て決心し
西の方を向いて唾を吐いた
黄いろい瓜が實る
オーデコロンのにほひがする
六月十二日
砂
海のまん中に裸の岩山がある
鴎が夜そこに集ると
波が鞺鞳[とうとう]と岩根をゆする
鴎たちは夢みる 虚空が彼等を脅かすと
碧
潮風を吸つた時
海の薔薇園と
野菜畑を知つた──
そこでキヤベツだけが育ち
藍色のうねになつてゐる──
子供たちは歓声をあげ
青い 青いと呼ぶ
鴎が降りて来て 彼等の眼を啄いた
六月十七日 僕は体が大変悪い。夜よく夢を見る。
螢
山脈は藍青の裳をひろげ
雨雲の方に靴下を見せてゐる
煙は巨人の掌のやうに
ひろがつては死ににゆく
夕ぐれから物音が分離し
急行列車のやうに時が走る
墓地に緑いろの光が閃いて
両世界に橋を架けてゐる
★
黄いろい枇杷を叩きおとす
フランス菊は咲かない
印刷所の夕暮をおもふ
熱が微かに引く
★
蘭の花をぬひつける
流沙から立ち上る都市
死人の指を折る
苜蓿(うまごやし)の香りの中で
★
心臓よ
血管の木を生けた花瓶
中学の卒業式を思出す
その木も弱つたか
眩暈の雲の中で
木々は指のやうに裂けて見せる
ひヾのいつた瓶よ
色がわるいね
★
流れよ 俺の思惟よ
詩について生死について
神や靈や青い花や
魚(イヒテイス)のために
彼女は啼く
獣のやうに だらしなく
流れよ 俺の思惟よ
魚のために
Proletariat[プロレタリアート]
六月二十三日
業
息子はア・デイアドムと呟いた。父は理由も知らず憤つて撲つた。
息子はまた、ア・デイアドムと呼んだ。父は怒つて彼を殺した。そ
れからア・デイアドムと呼んで泣いた。
歴史 1
百合の花の土(くに)
赤児の掌のやうに
彼の中を水が流れ
彼の文學には獅子が住む
定期の氾濫のあと
パピロス[※葦]の間の鳥の巣は見えなくなつてゐた
歴史 2
中間の海を潮がゆき
レバノンの杉は金のいろ
彼等は褐色に装ひ
カルタゴの土に下り立つため
故郷の都市を見捨てヽ去る
やせた女たちが後にのこり
六月二十五日 西川英夫帰つて来る。
Ich bin traurig; die Ernte ist auf,
Ich höre alltäglich deu Meeresgroll・・・Licht und Blume.
[※私は悲しい;収穫の季節がやってきた。
毎日海の荒波が聞こえてくる・・・光と花と。]
俺は悲しい 収穫も済み
海鳴りを終日聞く
紫陽花や青きに雨の光をる
×
すばらしい便りをもつて来い
この鈍色の世代の子に
ああ 玻璃吹きとなり
灼熱の太陽界に至りたや
×
無明を破らうとし身がまへ
金色の太陽にならうとした
愛は消え 雲は走つた
たゆたふひまに俺は盡きる!
× 三木老先生を見てると
老の坂手にふれてゐし花もある
× 桂川先生も老いてゐる
かの眉やいつより光り消えうせむ
×
俺は悲しい 終日
俺の林をさまよふので
穽[おとしあな]がある
季節毎に来て
滅却の小路を見ると
愛はもう見えぬ
歴史 3
片眼をなくした人たちに会つた。労兵会では麺麭を堆[つ]んでゐた。ヴエルダン※で一個中隊が骨に化してゐて、ワ゛オーモン※では一個師團が
魂になつたなど。街角で鈴が鳴り、カルタがくばられてゐた。ビルデイング毎に憲兵が勲章の蔭に待ち伏せてゐた。このオリンピア祭を俺は見送
る。[※第一次大戦激戦地]
歴史 4
ひそかにひとびとはアカンサス※から立上る。影はこヽでは短い。
大理石像は皆新鮮な傷をもち、露地では盗賊が鬪つてゐる。夕焼け
の方から嶺が消えた。[※ギリシア建築の装飾]
歴史 5
剱歯虎を掘り出した。埃の黒い息子、痣のある娘に電話がかかる。
石炭山での逢引を思出すがよい。凡てに悪魔の翼が与へられ、皇帝
はオウステルリツツ橋で手帛を振られた。過去がぴくりと不動の姿
勢をとつた。[※サーベルタイガーの化石]
六月二十六日 コギト26
天稟
ひるの暑さ耐えがたきまヽ、百合の花手折らむと嶺に分け入りぬ。
幽邃の気の中に美女に遭ひ、花の精かと驚けば、楚々たる容姿のま
まに山気の怪を説く。話中の怪より怖ろしさなほ甚だし。
魔の山
此の館は潅木帯にあり
晝中兎が園に迷ひこむ
エイラン苔を採り 患者らの晝の散歩は終る
[※依蘭苔:地衣類の一種]
六月二十七日 西川上京。松田、(中島)安田等が送る。
歴史 6
低い草だけの生えてゐる列島
大きな骸骨をとヾめてゐる
波は彼等を洗つてゐるやう
荒天には煙つて見えぬ
昔そこに荷蘭[オランダ]人の館があつた
天公廟から老人が遺物をもち出し
われに説明料を要求した
歴史 7
帰仁侯はいづこへ行つた [※不詳]
帝は? 彼に位を授けたが
今 家を暴くと衣冠だけ
祁連山を尋ねようと [※チベットの山脈]
青年は出発し
白髪の人がその訃報をもたらした
六月二十八日
時間
蝋の流れおちるのを見た
おれは岩や玉やすべて不変のものを愛する
女の操など
おれと仲好くてゐる天地がある
反映
鴎は波から飛び上り
波を嘲らうとした
波は歯がみして彼を脅かし
鴎はおそれに羽をうちならした
七月九日 あと二十二日也。
ゆき子
雲には氷がある
それは反射して紅い
おれは渇えて夕を辿る
蝉は啼く
夏の蝶は青葉に舞ふ
★ また
エトルリア人はアリアン人種でない
けふおまへに似たひとを見た
埃が立ち 音楽が遠い
革命をもう絶望し
己は中学の教師でおへる
人毎に一生さといひながら
七月十九日 畏怖
己は遺書をかヽねばならない
たとへばこの推測が虚妄のものである場合より外に逃げ途はない
ひとを怨むことは一もない
死を前にして凡て愛に帰する
最も責めに任ずべきは(ゆ)に對して [※悠紀子]
凡ゆる可能な領域の思惟は
後悔(ナハ■イエ[※不詳])に帰一する
死まで十日間を暮し──
詩に
なるものは一つもない
世界は混乱し
この世界に革命が起るか
大洪水がまきおこるといふ
絶對絶命を信じねばならぬ
永遠の春をとヾめ
残骸には土をかぶせ
ひとびとよ もう顧みるな
七月二十一日
夏は猫の髄に食ひ入り
俺は腹が立つ
葉 花 莖
詩にならず
七月二十七日 本社實先生を訪問。 燈火管制。
なづき[※脳髄]に食ひゐる虫のごとく
俺は俺の己を守るため
すべて抑制干渉をいとふ
口に出さぬ間は耐え
口外するととめどない
いつかこのため人命を失ふことがあらうと
×
雲や花や木々を歌ふまい
潅木帯が盡きると草本帯
高峰は尖つた稜(カド)が多い
人情を俺は知らぬ
非人情の郷に生れたからに
× かもめ
夏は犬を狂はせ 水につきおとす
いまわれも青い水を見る
子供らが泳ぐ──狂つてゐるやうに
われは羽搏き 水面をかすめ
ひとはわれを食を漁るといふであらう
×
おれの舌を見よ 妻よ
まだあれば 早晩俺は命を失ふだろ
留舌不留命 留命不留舌
秦氏のうまご[孫]はいま報いを受ける
俺が皇帝ならよからうものを
×
艨艟なり いま整々とすヽむは [ ※戦艦]
父母なり 郷に泣けるは
飛機なり 轟然摧け墜つるは
死人なり 歯を啄き出し百穴より血を出せり
×
杏や李の木が後庭に育つてゐた
郁々として馨る花をつけ
村でそんな日に花嫁が来た
杏や李の木は老いて枯れて了つた
俺は流れを見 丘を見
破瓦を見て嘆く [※破風?]
俺の日の花嫁の来ぬ期にめぐりあはせたことを
×
彼はうたふ 何でもが種になる
八月の炎熱に汗を流して
筆とる指からも汗が出る
ひとびと彼を熱情の詩人と呼ぶ
×
おれは岩にゐて笛を吹く
「海豚よ来い 群れて」
おれは急いてはならぬと考へた
正午に
おれは羞かしいことに空腹になつた
おれはせむ方なく笛を止めた──
一町むかふで海豚たちが叫んだ
『いまごろ止めるなんて』
おれは彼等に飽腹したら
反吐を食はせてやらうと思ふ
dann kommt ein tiefe Zweifel [※そして深い疑念が湧いてくる。]
七月二十八日
青い川がさヾ波を立てて流れてゐる
杜がある 村がある
わたしは何を見ても死人を考へる
雜草の中で蒸れ腐れてゐたのだ
大野の中に何も楽しいものはない
明るい花園で蝶が悲しく舞つてゐる
それを弟等は網でもつて追かける
止めよ 止めよ
おまへの不滅の標本箱のために
★ à Ito Shizuo [※伊東静雄に]
僕のなす事はすべて喜劇に終る
幕がおはつても僕はまだ泣いてゐる
観客はもう笑はない
彼等は舞台のまはりを他のことを喋つて歩く
八月十五日
高きなる神の座を降り
青草の上へと臨めば
流青く 雲白く
夏の日は数夛の火花を
渾天に漲らせ
いま笛の音と溶けて
人性を懐はしむ
八月二十七日 悠と訣別す。 [※悠紀子]
さからひ難くわれを誘ふものを求めたり
わが弱き心のゆゑにこれを外に求めたり
かの愛の青き流や
希望のほの紅き峰も
わが誘ひには弱かりき
いまにして朝明けの夢には知りぬ
内なるわれの呼び声の
朝睡のごとく不知不識われを引き入れ
魔呪のあやしき渦巻きと身をなして
ふしぎなる快さ 眩暈にわれは細く透き通りし
魂としてわが本体を見ぬ
(Imitatio──Novalis) [※模倣──ノヴァリス]
かくて尚 かの少女を愛す
夢に見ぬ かの子 他人(よそびと)と親しくもの云ふと
また死ぬと 青く細りて
その度にわれ泪ながし こゑあげて泣きたりし
かの少女と別れむ日
夢にまた何を見るやらむ
楽しかりし日をか──その日とて無かりしものを
×
かのだらしなき少女
彼女(かれ)はその衣をまるめてころがしゐたり
かれはその身の薄き生毛の口ひげだに剃らざりき
かれは頭髪 汗くさく總身 汗と脂の臭ひしたり
かれの帯は破れ、かれの帽子ピンは飾玉なく
かれの歩くさまは外輪にひきずり
かれの平常着は汚点だらけなりき
かくてかれを愛せむとし
かれを叱らむか否かをわれは案じたりき
家庭持つ日
主婦としてかれは堪ふべきや
その日もかれの肌着くさくにほふや
主人のわれの襯衣まろめころがさるるや
幼児の襁褓[むつき]洗はずして捨てをかるるや
鍋は? 釜は? 座敷は? 庭は?
新婚幾ケ月にして本性を現すや
またその日よりずるけるや
われ これを案じ、しかもこのだらしなき子を
だらしなさ以外で愛したれば
責めむとして口ごもり、口ごもりつヽ責めたり
朝明け山に登る
湯わかしに湯のにえかへるやうに
シヤンシヤンと啼く蝉の坂
百合はまだ居眠つて首をふつてゐる
森から冷い空気が来る
その時熱い太陽が昇る
あたりの空気を一変させて
もう空は一面 燃えて燃えて
黒焦げの鳥が一二羽飛んでゐる
秋の気立つ
○秋空や荷蘭語いまだ爲し畢へず
○絲瓜の水とらぬに はやし秋の空
○あはれ蚊にいねやらぬ夜や秋気入りぬ
○へやにゐてながるるものを首に感ず
○さびしければ岩木のごとき巨を愛す
○旅ごころはてぬに夏休み終る教師
○此の夏は柘榴みのるや妻孕むや
○何事に送らむ秋ぞ薄穂出づ
○寢相いぎたなし妻見しひるや秋立ちぬ
八月二十七日 千葉へ 石山直一氏
小い潴[いけ]に波は立つ
輝くもの
小鳥たちは群れて去つてしまつた
赤い土の上に日があり
おれは影を見る
長い細いかひな[腕]だと
×
けふ輝く青い海と
肉のある手を見た
植物がその上を覆つてゐる
熱帯の珊瑚よ
陸を造るものよ
輝くきらめく宝石のしたヽりよ
けふ青い海の流れるのを見た
× ゆきこひしき[※悠紀恋しき]
忘れられたやうに
山でかぎられた峽間まで
海がふかく入込んでゐる
けふそこへ手紙を書き
掌の筋をかぞへて見た
×
たえず海の方へ走る汽車に
われ忘却の愛人を懷へり
海風や青き植物や
埃立て街道をバス走る見たり
旗たててひとのゆく
海沿ひの道よ
そこらの家に何の花咲くや
世界は色の豊富さに満溢し
おれの眼はきらきらと泪ながし
木かげの椅子が二脚
おれたちが坐らうためにと
はしけやし君津の海や青波の上はろばろにきみ坐ます見ゆ
かつしかのままの手児奈やをみな子をいとしみそめしころに生れましき
海上(うなかみ)のうねうね小野は芋つくりながめて見ゐれば遠くつくれる
起伏[おきふし]の連なる小野やところどころ低きに田あり水はしる見ゆ
ひるすぎて海波やみし海原のいぶし銀いろに照りかへす見ゆ
楠の木の木蔭にありてもの云ひぬ背後の崖に虎杖[いたどり]生ひて
ももちだる千葉や上總や青海原めぐらす大野身も青むがに
鹿野山に雲ゐたなびき晝闌[た]けぬひざしまばゆき坂を降るも
海波はひるすぎしづみうなはらにまばゆきひかりとどまりたるも
八月二十八日
おれは巨大な潟地の太陽を見た
それが地表に反射してゐるのを
二つの岐路に苦しみ
一つの目的を永久に見失つた
すべて己れの原罪である
★
夜ふけて蝉が啼く
不安は去らぬのであらうか
喇叭が遠い
それは却つて悲しくひびく
夏草よ
花もたぬに身は死ぬ
九月二日
誰にも會はず。
九月八日 午後五時五分、内田校長逝去。
九月十日 堺斎場にて密葬。
九月十四日 学校にて本葬。
九月十七日 ゆより手紙。
まだ自分には明確な形象が来ない
青い桔梗の花
鳴らす釣鐘草よ
その肌に自分は眠り
襞の多い夢を見る
夢──そして夜明けに静かに死ぬ
×
巍々たる峰に日輪は射す
朝は山河に
草は深い田舎
きりぎりすよ ばつたよ
旅嚢でパンが爆ぜくりかへる
九月二十一日 Zyklon [※サイクロン:室戸颱風]
この日頃うたてき空気学校にこもれるを感じくらしゐたりき
このあした大颱風あり 学校の棟いくつ倒し馳け去りゆけり
みにくかる人の争この風に止まむと思ふには或るはしからざらむ
みにくき争ごともことごとく己れ生かさむとの深きより来る
いつまでも孤り高くて處[お]らむとぞ思へるわれもあやふきにあり
自然のあらしもあれど人間の争の輪に巻き込まれむか
ある朝たちまちにして来る嵐それより怖し執拗[しつこ]き争は
Der Stern des Bundes S. George
[※ステファン・ゲオルゲ「盟約の星」]
Um dies werk witterte ein missverständnis je erklärlicher desto unrichtiger: der dichter habe statt der entrückenden ferne sich auf das vordergründige geschehen eingelassen ja ein brevier fast volksgültiger art schaffen wollen .. besonders für die jugend auf den Kampf-feldern. Nun ist der verlauf aber so: der Stern des Bundes war zuerst gedacht für die freunde des engern bezirks und nur die erwägung dass ein verborgen-halten von einmal ausgesprochenem heut kaum mehr möglich ist hat die öffentlichkeit vorgezogen als den sichersten schutz. Dann haben die sofort nach erscheinen sich überstürzenden welt-ereignisse die gemüter auch der weiteren schichten empfänglich gemacht für ein buch das noch jahrelang ein geheimbuch hätte bleiben können. (Vorrede) [※序文]
Du stets noch Anfang uns und End und Mitte
Auf deine bahn hienieden , Herr der Wende ,
Dringt unser preis hinan zu deinem sterne.
Damals lag weites dunkel überm land
Der tempel wankte und des Innern flamme
Schlug nicht mehr hoch uns noch von andrem fiebern
Erschlafft als dem der väter: nach der Heitren
Der Starken Leichten unerreichten thronen
Wo bestes blut uns sog die sucht der ferne ...
Da kamst du spross aus unsrem eignen stamm
Schön wie kein bild und greifbar wie kein traum
Im nackten glanz des gottes uns entgegen:
Da troff erfüllung aus geweihten händen
Da ward es licht und alles sehnen schwieg.
(2)
Der du uns aus der qual der zweiheit löstest
Uns die verschmelzung fleischgeworden brachtest
Eines zugleich und Andres · Rausch und Helle:
Du warst der beter zu den wolkenthronen
Der mit dem geiste rang bis er ihn griff
Und sich zum opfer bot an seinem tage ..
Und warst zugleich der freund der frühlingswelle
Der schlank und blank sich ihrem schmeicheln gab
Und warst der süsse schläfer in den fluren
Zu dem ein Himmlischer sich niederliess.
Wir schmückten dich mit palmen und mit rosen
Und huldigten vor deiner doppel-schöne
Doch wussten nicht dass wir vorm leibe knieten
In dem geburt des gottes sich vollzog.
(3)
Ihr wisst nicht wer ich bin.. nur dies vernehmt:
Noch nicht begann ich wort und tat der erde
Was mich zum menschen macht.. nun naht das jahr
In dem ich meine neue form bestimme.
Ich wandle mich doch wahre gleiches wesen
Ich werde nie wie ihr: schon fiel die wahl.
So bringt die frommen zweige und die kränze
von veilchenfarbenen von todesblumen
Und tragt die reine flamme vor: lebt wohl!
Schon ist der schritt getan auf andre bahn
Schon ward ich was ich will. Euch bleibt beim scheiden
Die gabe die nur gibt wer ist wie ich:
Mein anhauch der euch mut und kraft belebe
Mein kuss der tief in eure seelen brenne.
[※「盟約の星」
この作品には誤解があるのではないかという疑念があったのですが、説明するほどその誤解は深まるばかりでした。:
詩人は魅惑的な距離感ではなく表面的な出来事に焦点をしぼり、ほとんど大衆的な性格を持つ祈祷書を作りたかったのでした。特に戦場の 若者たちのために。
しかし今では話はこうなっています。:
「盟約の星」はもともと内輪の友人たちのために作られたものでしたが、かつて話されたことを秘密にしておくことは今日ではほとんど不 可能であるという考慮によって、最も安全な保護手段として公表が好まれるようになっただけであるということ。そして出版後に起こった 急速な世界情勢により、今後何年も秘密のままであったかもしれない本が、他の階層の人々にも受け入れられるようになったということで す。 (序文)]
十月一日
霧雨
木々の茂みから立ち昇り
小川に注ぐ黄金の光
朝は深い霧
それは大理石と斑岩のモザイク
刻まれたむかしの姿を
幾百の矢が攻める
街
橋のアーチを見にゆく
鳥がくヾる祭壇
風よ 吹きやぶれ
鐵と石との林立
街に乞食のゐる日がない
同盟市
亞米利加の田舎のやうな小都会
街角でオペラの切符を掏[す]られた
しかし日はまだ通りをよぎらない
水に架つた橋からひとは自分の影を見ぬ
時計屋で静かに眼鏡のレンズがひらめき
椰子と薔薇で著名な市長が飾られた
その日以来 この町に犯罪は失くなつて
合唱
おお ミオソテイスの聨合よ [※ワスレナグサの群落]
菫やオウリキユラは忘れられて [※アルプスの高山植物]
雨はこの上で粉末になる
風車をまはす道化役は晝食を立食せねばならぬ
叫喚、多忙
水族館でさへも三色旗がひるがへる
魚は晝寝
水は性急
滴る眼藥に秋の植物が見える
實らぬ水ヒアシンスなどの種子──
R(クルツ・エル) [※kurz R:短いR]
落陽は建物に反射した
銀のサアーベルが閃いた
それは撮影用の閃光(マグネシウム)
こヽで巨大な芝居がある
世紀がそれを現像する
十月三日
ナポレオン時代の終滅
世界中に鐘が鳴りわたる
リンリン リリエンクロオン──
葛のからんだ塔よ
昔馴染の月よ
馬車はしづかに動き去る
土橋のくづれた道へと
前途の心配もなげに
十月七日
第一巻 (1)
Da dein Gewitter o donnrer die Wolken zerreist
Dein sturmwind unheil weht und die vesten erschüttert
Ist da nicht nach klängen zu suchen ein frevles bemühn?
Die hehre harfe und selbst die geschmeidige leier
Sagt meinen willen durch steigend und stürzende zeit
Sagt was unwandelbar ist in der ordnung der sterne.
Und diesen spruch verschliesse für dich: dass auf erden
Kein herzog kein heiland wird der mit erstem hauch
Nicht saugt eine luft erfüllt mit profeten-musik
Dem um die wiege nicht zittert ein heldengesang.
伊東さん、松田、中島 [※伊東静雄、松田明、中島栄次郎]
橋わたる車の遠いひびきにあらゆる星は墜ち
都会はすでに巨大なる輪轉印刷機
花賣ることに会意文字はある
傾く大廈 立直る高樓
小学校で犬を習ひ イヂメツコは画家となつた
十月八日 隅田先生、岩鼻先生
峠
で思案する
このあたりは木の花が多い
緑いろの鳥が一面にゐて
遠くは山が据つてゐる気配
2
All die jugend floss dir wie ein tanz
Ein berauschtes spiel von horn und flöte?
Herr so Iockt ich deine sonnensöhne.
Menschlich glück verschwor ich um dein lied
Fügte mich der not des wandertumes
Forschte bis ich dich in ihnen fände ..
Tag und nacht hab ich nur dies getan
Seit ich eignen lebens mich entsinne:
Dich gesucht auf weg und steg.
3
Da schon Dein same den ich trug in fahr
Und aus mir nährte und erzog in nöten
Heut unausrottbar grünt: so gib noch dies
Solang ich in dem süssen licht verweile:
Dass ich die würde deiner segnung wahre
Und in der freunde lob der jünger preis
Von den verschwiegnen liedern nichts verlaute
Und in des schwarms getriebe und gemurre
Dein heiliges geheimnis treu behüte.
甕には薄赤い花がさされてある
ほのかな光が上品に
今年の菊は荒らされて
娘たちは色が蒼ざめてゐる
戰爭よ 錦魚のゐぬ屋敷
にはたづみに陶器の鶴がある
十月十七日
Bacchanal [※バッカス祭]
高原を去来する雲に比へよう
この家鴨たちの大艦隊
水兵の吹き鳴らす嚠叭に
街では方々で火薬が爆ぜる
親類で一人の少女が
無辜の懷胎を告白した
×
とヾまれよ この街に薄明
菊賣る店の香──午前五時
白い霜の早く消える街角
朝日は藏ひ忘れられた國旗に
十月二十日
ゆふぐれ この都会の上に
雲がしばらく止まる
そこに地図が描かれてある
アジアは青く
ヨーロツパは紅い
そこから稲妻が来る
陸橋を遠雷のやうに
のろのろと市内電車が横切る
× ×
おれは芥と共に川を下る
一つの島に上陸する
夕焼や暁のいろを見て
高い石の階段を登ると
海も陸も限りなく広かつた
× ×
おれは家族を持つてゐる
一つの家系
その特兆[ママ]として梅花形の痣を
背中に持つてゐるものたち
金貨に共通の祖先の形が彫まれてあり
それを匣の底に昨日見出した
× ×
塔は都市の上に手を拡げてゐる
見えない糸が夕方手繰り寄せられる
蠢めく無数の青い蜘蛛たち
微風が通ふ河川の上で
凡ゆる影が入りまじつてゐる
死者が現れて呪ひをこめるとき
再びこの都市は廃墟となるであらうか
× ×
此の都市で劇場の入場券と
中央銀行の兌換券とが相似してゐた
奇妙な類似が支配者と被支配者の間にもある
飯を食ふことと 生きてゐることと
十月二十五日
航路
ミモザの生えた島を右に見
左には泥臭い洲がある中を
薄い煙を立てヽわが船はゆく
驚かされた鳥たちが羽ばたき
その悲鳴の中に白い花が散るのを見た
フアタ・モルガナ [※蜃気楼]
多くの女体柱の聳える島
哄笑が晴れた大空からひヾく
松林では小鳥と蝉
その上にうつすらと棚びく面紗(ヴエール)
十月二十七日
わしは都会の眞中で榛の實を賣つてゐた
友達は公爵や仲買人になつた
榛の實では子供たちの玩具が多く出来る
そしていつしかわしの影は老いて行つた
★
皇帝がワ゛オーモンで云はれたことは事実となつた
彼は元帥を得、片脚を失つたまヽでゐた
彼の息は唖、彼の娘は美人
彼の孫に色盲が一人、血友病が一人、他は健康だつた
彼は瞑目する時、神に恩惠を謝した
事実 彼の館ではコリー種の犬の外に不幸なものはゐなかつた
それは当時ヂステンバに悩んでゐた
彼の館は今のR…公園だ
そしてわしは朝夕の散歩を彼の銅像の前まで行ふ
★
卵に毛あり、鷄は三足。(荘子天地篇)[※安西冬衛の詩の原典]
十月二十八日 新築地の「タルチユフ」を觀る。日野月先生
北の海に魚がゐる。その名は鯤と呼ばれてゐるが、その大きさは
幾千里かわからない。
変じて鳥になると、その名を鵬と名付ける。鵬の背は幾千里かわからない。怒つて飛ぶときにはその翼はまるで天一面の雲のやうである。この鳥は
海の上をわたつて南の海にゆかうとしてゐる。南の海とは天地のことである。
斉諧といふ怪異な事ばかり記した本がある。その諧に云つて曰ふ
には鵬が南の海に徒るときには、水三千里を撃つて、そのあふりによつて九万里の高さに上る、そして六ケ月たつて漸く南の海に徒り終へて休むも
のだといふのである。
十一月一日 長谷川氏[※長谷川巳之吉]よりオフテルデインゲン出版のハガキ来る。
[※第一書房より出版される『青い花』のこと。]
ゆき子よりは便りなし。
十一月二日 松田と興地先生を訪問。
帰来、増田忠氏結婚の通知ありうれし。
地上には祝祭、天には新たな祭典。
この饗宴は同時に聖い鎭魂(たましづめ)の歌げ
十一月四日 まだ
湖尻
かすかに動く水の雲
ヘスペルス輝くなべに [Hesperos:宵の明星]
湖岸では明るい別荘(ヴイラ)と
山とりかぶとの花
水の香ひがして四辺に合唱がひヾきわたる
蛇
夏の気配をゆめ見つヽ この石の上に赤棟蛇(やまかがし)は冷くなつた
こほろぎが啼くすヾしい空
森で羊歯が鳴つてゐる
髪を洗つてゐる女が日向の水辺にゐる
流沙
ここではヘスペルスの輝く空が暑い [Hesperos:宵の明星]
夕方遠くに雲のひそまるのを見送る
鳴らない風
黒と白の砂丘に
例へやうのない惨酷な生き方をして
獸たちが埋められる日が来る
少女について
疑ひ出すときりがない。そんなに頭を費すに價しないと知り乍ら
日々を送る。俺はひとりで鬼をこさへ、影を追ふものだ、自分の尻尾を呑む蛇だ。しかし知ることに何の解決があらう。一の信さへもない己。菊咲
く頃はいつもかうか。仙藏院の十一月は寒く、大阪で暑い寝床にねてゐる。ガブリエル・フオーレ。太田黒元雄。
わがをとめよもそむかじとおもへどもうたがひ夛きさがなるわれは
わがをとめひとめひかじとおもへどもねたみつらみの夛きこのごろ
わがをとめふみよこさざる二十日まり一月ちかくみは痩せに痩す
わがをとめわがしるごとくをろかにてあやまちせじといひきれぬがに
身はとほくへなたりたれば疑へり共にある日は疑はざりき
Über der Verkehr mit Johanna Kaschiwaiina
[※柏井ヨハンナ(悠紀子)との関係について]
昭和六年三月十五日頃、東京帝大文学部入学試験終了後、はじめ
てその家に到り相見る。顔色わるき、されど眼あげてわれを見し少女なりき。その眼、神経的なりしと思ひたり。
昭和七年一月頃より、漸次相親しむ。その以前には共に朝夕通学
す。われ、この少女を得むと思はざりしにはあらねど、手に入れ得むとは思はず。この頃よりやヽに相依るものあり。
昭
和七年二月十一日、われ不慮のことあり。そのときわれを思ひ
慮りゐし旨をきヽて喜びたり。[※アジ集会見物にて一夜勾留]
同年三月頃より漸次交渉すヽむ。帰郷中はじめて来診あり、兄と
呼び来れり。
同年七月幾日、帰郷。その以前、小母より数回皮肉を受く。
[※昭和7年2月-7月「夜光雲」第7巻欠損期間]
同年九月以来、母と吾との間に立ち、泣く事夛かりき。
十一月、ついに吾、その家を去る。寺に入りて文をやるに渝[かわ]りなきことを誓ひ来る。多摩川にゆきしもこの頃なり。妙正寺池、堀の内方面
にしばしば遊歩。
八年三月、立教高女を卒業す。
八年四月、上京の際、迎へに来る。青く汚し。
五月頃、この頃しばしば家へ来るとて小母より禁足さる。
六月二十五日、はじめてKorperliche Verkehrをもつ。
夏休み中より、新宿伊セ丹の店員となる。
九月より九年三月にかけ、日曜の休日に下宿にくること夛し。
思ひ出の町として、中野、東中野、新宿、阿佐ケ谷。
九年三月二十一日、帰阪。以後八月一日まで会へず。正に四ケ月と十日なり。
八月中頃、伊セ丹をやめ、某会社に移る。
八月二十七日、決別。以後十月六日の手紙まで一月と二週足らずの文通。四回
十一月七日 来信。
十一月七日
十一月九日 丸三郎 来る。
十一月十一日
十一月十八日 誠太郎叔父いよいよ悪し。
葡萄揉みの歌は聞こえぬか
窓を開けると寒い ヘスペルス── [Hesperos:宵の明星]
お嬢さんのシーツ それは霜だ
おれの紅い血 それは山々の紅葉
★ ★ 日本古典派のために。
ギリシア人は「事物の正鵠を失したるもの、均整を失ひたる」ものを見て不快に感じた。「此の正鵠均整の感じ」「いはゆるκαιρστ(カイロ
ス[※主観的な時間感覚])の感じが彼等の文学、 芸術に於ける中心的な特徴となつてゐる。」
「就中、彼等は文藝に於ける明瞭性を尊重した。不適当な装飾にも増して晦渋を厭ふた。彼等の表現法は即物的である。」
「ゲーテが古典の特徴として挙げた純一性(アインハイト)と明瞭性(クラールハイト)とは、正に此のギリシア文学の二大特性である。」
イオニアの海には海豚が游び
春にサラミスの海岸には菫が咲く
ヘラスの人々は青と菫色と
すべてのいろの澄んだものを好む。
神に凡ての美を 凡ての美に神を觀
酒宴には手を叩き
葬儀には首をうな垂れた
十一月二十三日
青春
高い山に登つて俯瞰する
谷に人や馬が群つて
岩や石塊が寒い眺め
夕暮まで暮らして道を下りるに
白雲の中に迷つて了つた
建物の肩から寒い山が見え
橋を渡れば冬の風が来た
この橋や町には馴染んでゐて
何処にも花など咲かぬと思ふに
日に日に愛憐の情断ち難い
黄色い絹の手帛を人に贈るために
この商品券を利用しよう
十一月二十六日
悔恨
紅葉の美しい谿を見ると
俺の心には消し難い衝動がある
やがて山々には雪が来るだらう
ひつそりと山村は静まつてゐる
烏が街道を歩いてゐる
神秘な嚮導者
俺は休息をとるのために一軒の扉を叩く
白髪の嫗が現はれて
手眞似で入つていヽと云ふ
こヽに言語の終焉はあるか
十二月四日 午後三時五十五分 誠太郎叔父死す。
首を鳳翔縣に囘らせば、旌旗晩(クレ)に明滅す。前みて寒山の重なれるに登り、屡々飲馬窟を得たり。邠郊地底に入り、水中に蕩潏(イツ)
す。
猛虎我が前に立ち、蒼崖吼えて時に裂く。菊は今秋の花を垂れ、石は古車の轍(ワダチ)を戴く。(北征)
[※杜甫「北征」より。回首鳳翔縣/旌旗晩明滅/前登寒山重/屡得飲馬窟/阜郊入地底/水中蕩□/猛虎立我前/蒼崖吼時裂/菊垂今秋花/阜
郊入地底/石戴古車轍 ]
×
日色孤戍[樹]隠れ、烏啼いて城頭に満つ。中宵車を駆つて去り、馬に飲(ミヅカ)ふ寒塘の流れ。磊落として星月高く、蒼茫として雲霧浮かぶ。
大なる哉、乾坤の内、吾が道長く悠々たり。(発秦州)
[※杜甫「発秦州」より。日色隱孤樹/烏啼滿城頭/中宵驅車去/飲馬寒塘流/磊落星月高/蒼茫雲霧浮/大哉乾坤内/吾道長悠悠]
林迴にして峽角より来り、天窄くして壁面削れり。磎西王里の石、奮怒して我れに向つて落つ。仰いで日車の傾くを看、俯しては坤軸の弱からんこ
とを恐る。(青陽峽)
[※杜甫「青陽峽」より。林回峽角來/天窄壁面削/溪西五裡石/奮怒向我落/仰看日車側/俯恐坤軸弱]
季冬日已長、山晩半天赤、蜀道多草花、江間饒奇石。(石櫃閣)[※杜甫「石櫃閣」より。季冬日已に長し、山晩れ半天赤し、蜀道草花多し、江間
奇石饒[おお]し。]
冬温蚊蚋集、人遠鳧鴨乱、登頓生曾陰、欹傾出高岸。(通泉駅南)
[※杜甫「通泉駅南去通泉県十五里山水作」より。冬温くして蚊蚋集り、人遠くして鳧鴨乱る、登頓[登り休む]すれば曾陰[層雲]生じ、欹傾
[身を傾けて]高岸[崖から]出づ。]
★
朝 花咲く村道を辿り
夕方 ピアノ彈くを聞いた
蛙らが生まれ 草木が匂ひ
石がすべて赤く、白い
傾いた地塊──日の車は
そこをまつしぐらに駆け降り
わが苑の日まはりの花に留まつた
十二月十三日 午後六時四十分 祖父死す。享年八十四才。
十二月二十三日 着京、わが家に入る。
十二月二十八日 小母と話す。確執あり。
十二月三十一日 父、上京。
[※昭和10年]
十年 一月一日 肥下の宅にて[※新年を]迎ふ。ゆと新歌舞伎。
一月五日 出京。
一月十六日 中島来る。
ヴエネチア
昔 褐色の夜に
橋辺にわれ佇んでゐた
遠くから歌が来た
黄金色の滴が
ふるへる水面にしたたり落ちた
ゴンドラ 燈火 音楽
恍惚と薄ら明りに漂び出た
わが心 絃曲は
目に見えねど感動して
ゴンドラの歌を秘かに歌ひ出た
色あやな幸福にふるへながら
──たれかそれに耳を傾けただらうか・・・ (ニイチエ)
黄金虫の歌 (ヘツセン民謡)
とべとべ黄金虫
お父は戰爭で
おつ母は火薬島で
火薬島は燃えちやつたぞ (子供らの魔笛)
てんとうむしの歌 (民謡)
てんとう虫 お坐り
僕の手の上に 僕の手の上に
何ともないんだよ
何にもしやしないよ
おまへのきれいな羽をみて
きれいな羽見るだけなんだよ
てんとう虫とんでけ
家が焼けてる 子供が泣いてる
どえらい どえらい 泣いてるよ
わるい蜘蛛がつかまへてる
てんとう虫 とびこめよ
子供がどえらく泣いてるよ
てんとう虫とんでゆけ
となりの子供へとんでゆけ
何ともないんだよ
何にもしやしないだよ
きれいな羽を見るんだよ
ふたつの羽に挨拶するんだよ
一月十七日
鳶
俺はとぶ
日は已に傾き 風が強い
感情が昂ぶり 弧が旨く画けぬ
冷い虚空で
俺は独り言をいひ
俺は巣をみ失ふ
一月二十日 祖父 誠太郎叔父満中陰。
俺は多くの半島を知つてゐる
就中 禿山と松の實の多い半島を
・・・・・・・・・
二月三日
遠く家々が沈み
桃咲く園や 小波の渡しや
松風は白い
沖から人々を呼ぶ
空間ははがみし 犬は吠え
大理石の噴水池で
今見る少女は
喪服を脱がず
二月二日
橋の上で
俺はあまたの影を見る。
雨の中で川波はゆらぎ
花は咲かぬ日より
二月三日
遥かな道を来てふりかへると雲の中で
赤や青の旗を立てヽ行列が行つた
わしは山や谷に分け入り 懸崖に菊を見
菊はわしの眼の前で開き、懸崖は手の指のやうに裂けて見せた
【抹消】夕方 わしは途方にくれて腐ちた木に
腰をおろし息をつくとそれも凍るのだつた【抹消】
突然夕星が見え、わしは思はずほうと啼いた
一声啼くとあとはつヾいていく声も出た
月明かりに花花は貝殻のやう
土人たちは眠く歌つてゐる
いたるところ青黄の鳥を見る
神は来てはまた往かれる
二月十九日朝、天満與力町大塩平八郎屋敷ニおいて、鉄砲の音ホンホンいたし、其門玉 建国寺庭へ飛来り大に驚き 御屋敷へ其趣の答ニ成候処 如何にしても不審の事 或
早速加藤莊三郎殿大塩屋敷へ罷越 今朝より鉄砲の音いたし如何の事に候哉と取次を以申入候処 大塩よりの答に
窮民救の爲に放火 併御官へ對し 不敬の儀不致間此段御安心被下 貴殿にも此方の味方に御付相成
無之 申事故
宗三郎殿大ニ驚き早く屋敷ニ立帰り一統評議なし 和田山府申し事故 堂島弥田方へ申来 付
早速弥田御官へ馳行 此店へも申来り馳付候処 最早東西の与力町中へ鉄砲大筒等打込 大火と相成 夫より大筒弐つ車にのせ 与力町 より引出し 壹つの車ハ天満橋南へ越へ 一つの車ハ天満中大家の 打込 市の側西へ行
堂嶋不残焼捨 夫よりかじ又かじ
東へ打登りて申積りの処 難波橋迠来り候処 尼ケ崎御屋敷御門前 夫々厳重にかため候故 西へ行 かたがた
夫故難波橋南へ渡り 能つけ■■■に嶋善へ打込 嶋庄同所 夫より岩城三ツ井へ打込 東堀へ渡り米平へ打込 その外 道すがら爰ト思 ふ処ハ打込打込いたし 其上風もはげしく候故 誠ニ天満上町 船場とも一時の火ト相成 恐しき事に候 安濱川のはし迄相片付 在所ニ 親類有るものは家門在所へにげ 或ハ堺へ行 兵庫西の宮 播州辺迄も逃行 誠ニ前代未聞の事難盡筆紙御座候。
二月七日
Ich leide an Jr. [※私はジュニア[懐妊]に悩む。]
二月八日
銀の峰々 黄金の原
ドイツは青い流れに浮び
サクソニヤ※の王 バイエルンの公 [※ドイツ・ザクセン州]
カルルスブルグのハインリヒ
リンデン咲けば猫歩む
裏町 花束 地下電車
二階で造花や
三階 洋服ヤ
四階 マネキンクラブ
五階で夫婦喧嘩
六階以上は雲の中
ベルリン中が花ざかり
途にカフエを立ち飲み
人に見られて散歩する
フリイドリヒ ウイルヘルム三世の銅像前まで
二月十五日 薄井敏夫君
【抹消】月は経期の少女のやう
花はそこらに散らばつて
街中どこにも犬や猫
病院で塑像【抹消】
牛(ソー) 馬(マル) 犬(キヤ) 猫
八月 東京での予定。
1. 訪問──ゆき子、肥下、松本、西川、川久保、岩佐、池内先生、岡田氏、丸、
?春山、?百田、?酒井、?饒、?北園、?あき氏
会ふ人──橋本、丹波、薄井、和田先生、保田、
2. 松浦悦郎遺稿集の件
3. ヲランダ語
4. 東洋文庫
知人録
天野高明・東京市杉並区東田町1丁目40
赤川草夫・東京市中野区沼袋南2丁目10号 日本印刷学校内
安藤鶴夫・東京市墨田区本所吾妻橋1丁目19
淺野建夫・東京市外【抹消 吉祥寺町447】三鷹村上連雀新道北794-23
相澤 等・神奈川縣鎌倉郡中川村阿久和3434
生島栄治・大阪市住吉区天下茶屋2丁目2
池内 宏・東京市麹町区紀尾井町9
伊東静雄・大阪市西成区松原通2丁目15
【抹消 岩本修蔵・東京市】
岩佐精一郎・東京市【抹消 淀橋区柏木4-813】渋谷区代々木山谷町116
井上 槮・※無記載
岩佐東一郎・東京市品川区大井庚塚町4928
池田 徹・東京市芝区白金三光町245 塩谷方
石山直一・千葉市千葉中学内(寒川長洲)
内田英成・【抹消 京都市左京区吉田中阿達町17 鈴庄寅次郎方】京都府乙訓郡向日町上植野南開11
薄井敏夫・東京市芝区芝公園14-9 古谷方
江間章子・東京市品川区大井倉田町3450 長谷川方
大河原倫夫・※無記載
相野忠雄・【抹消 東京市杉並区天沼1丁目69 三田方】徳島縣立阿波中学校
岡部長章・東京市目黒区目黒三田54
岡田安之助・東京市渋谷区松濤25
大前登与三・神戸市須磨区小寺町4-33
大江喜代造・兵庫縣武庫郡精道村浜芦屋
加藤 一・静岡縣富士郡冨士町平垣
川村欽吾・東京市牛込区喜久井町34 伊藤方
北村春雄・神戸市灘区赤坂通7-308
柏木俊三・東京市杉並区井荻1丁目144
笠野半爾・東京市本郷区西片町10
鹿熊 鉄・大阪市此花区江成町101 誠光堂科学研究所
加藤 繁・東京市杉並区和泉町396
川畑勝蔵・山口縣玖珂郡麻里布町今津 帝国人絹岩国工場内
金崎忠彦・佐賀縣小城町
川久保悌郎・東京市中野区千光前町25
鎌田正美・東京市本郷区森川町117 蓋平館別荘
北村英雄・兵庫縣武庫郡今津町大東
菊池眞一・東京市本郷区曙町9-3 Chez M. Planson, 13, rue Albert-Sorel, Paris,
France
【抹消 北園克衞・東京市大森区馬込東2-1098】
饒正太郎・東京市中野区高嶺町6
久保光男・大阪市大阪市住吉区天下茶屋3丁目8
國行義道・京都市下鴨中川原町27
紅松一雄・神戸市灘区天城通8-177 西田方
近藤 東・東京市中野区城山町41
後藤孝夫・※無記載
澤井孝子郎・大阪府北河内郡友呂岐村郡
酒井正平・東京市芝区三田四国町2-4
佐藤竹介・東京市淀橋区戸塚町2-132 名越方
坂口嘉三郎・京都市左京区浄土寺石橋町81 尾崎方
阪本越郎・東京市麻布区飯倉3-24
佐々木三九一・東京市品川区大井金子町6570
白井三郎・※無記載
島 稔・仙台市大窪谷地70-10 江戸方
式守富司・※無記載
小竹 稔・和歌山縣御坊町
小竹昌夫・※無記載
佐藤義美・東京市淀橋区下落合3-1727
杉野裕二郎・京都市左京区吉田本町32 阪田方
鈴木 俊・東京市大森区池上徳持町385
鈴木朝英・東京市小石川区大門町22
杉浦正一郎・奈良市【抹消 芝辻町11 高瀬正美方】
清徳保男・大阪府泉北郡踞尾村上野芝 田村金之助方
関口八太郎・東京市杉並区大宮前六丁目351
千川義雄・大阪市住吉区天下茶屋3丁目8
田村春雄・s. 清徳保男
高垣金三郎・兵庫縣西宮市寺前町13
竹内 好・東京市芝区白金今里町89 (高輪3764)
田中城平・大阪府南河内郡藤井寺町春日丘
高橋匡四郎・※無記載
竹島新三・大阪市浪速区恵美須3丁目
丹波鴻一郎・淀橋区百人町1丁目33
辻部政信・兵庫縣武庫郡精道村芦屋山角
辻野久憲・※無記載
坪井 明・【抹消 奈良市法蓮町池ノ内】名古屋市南区豊田町道徳西畑2817-1 上田方
津村信夫・東京市本郷区西片町10 いの21号
友眞久衞・【抹消 徳島市新倉町】東京市本郷区森川町117 蓋平館別荘
道野市松・兵庫縣尼崎市東美薗町15 トモエ薬局
高荷圭雄・埼玉縣大里郡本畠村
中橋吉長・大阪市北区天神筋町61
中島栄次郎・大阪市天王寺区寺田町14 新藤方
長野敏一・※無記載
中野清見・※無記載
西島喜代三郎・大阪市住吉区田辺西ノ町3-10
西島誠太郎・【抹消 大阪市住吉区相生通1-52】神戸市林田区西山町2丁目22 (湊川3640)
西島一興・東京市豊島区駒込1-120
西垣清一郎・京都市右京区鳴滝音戸山町4-94
西川英夫・【抹消 東京市芝区白金三光町245 塩谷方】
能勢正元・※無記載
林正 哉・大阪市住吉区田辺西ノ町3-10
羽田 明・京都市上京区大宮田尻町52 (西新3700)
服部正己・【抹消 杉並区高円寺7-953 佐野方】(住2744)
春山行夫・東京市中野区高根町28
橋本 勇・【抹消 東京市瀧野川区中里町403】
原口武雄・【抹消 東京市本郷区追分町30 鈴木方】
旗田 巍・※無記載
原田運治・※無記載
肥下恒夫・東京市中野区沼袋南3-252
福田一男・※無記載
船越 章・東京市杉並区阿佐ヶ谷
藤田久一・【抹消 東京市目黒区下目黒2-179 三角学舎内】
古谷綱武・東京市中野区昭和通1-4
藤村青一・大阪市住吉区清明通1-35
藤枝 晃・京都市左京区、吉田下王子町45 ヤ貫ふじ方
本田茂光・台湾台中州大屯郡霧峰小学校
本位田昇・大阪市北区曽根崎上1丁目67
松根 実・大阪市住吉区旭町1-31
丸 三郎・【抹消 世田谷区上北澤町11-332/渋谷区代々木大山町1071】千葉県東葛飾郡葛飾町小栗原284
全田忠造・堺市今池町335
松本善海・【抹消 中野区沼袋南2-15 白井方】中野区大和町1
増田 忠・兵庫縣武庫郡【抹消 魚崎町横屋川井202-2内山方】本山村田中的場227
松浦元一・大阪市北区天神橋筋1丁目52
松本一彦・【抹消 東京市淀橋区柏木1-52橋本方】
松下武雄・奈良縣生駒町谷田
三好信子・大阪市住吉区桐生通1-66
三島 中・東京市本郷区菊坂町【抹消 58第四初音館】15富士見軒
三浦 治・神戸市葺合区二宮町1-72
村上菊一郎・奈良市外吉祥寺343
村田幸三郎・大阪府泉北郡高石町南
村山 高・大阪市天王寺区堂ケ芝町51
室 清・※無記載
百田宗治・東京市中野区小淀町33
森本 孝・住吉区天王寺町3001
森中篤美・広島縣佐伯郡大竹町油見/大阪市西成区玉出新町通2-40貴志方
山本信雄・大阪市住吉区北畠西2丁目77
山田鷹夫・東京市本郷区森川町88-6 芳村方
山本治雄・【抹消 東京市葛飾区下小松町297】
保田與重郎・東京市杉並区高円寺6-738 原田方
山口静夫・福岡縣八乙女郡羽犬塚町下町
山崎清一・※無記載
倭周 蔵・※無記載
安川正弥・【抹消 大阪府阪急沿線曽根248】西区靱北通3-17
山村酉之助・大阪府泉北郡和泉町伯太582
吉田金一・※無記載
吉川則比古・大阪府中河内郡布施町新喜多18
和田 清・東京市世田谷区代田652-1
八木あき子・東京市京橋区銀座西6丁目1-2山市方
直野 栄・※無記載
池田榮一・東京市本郷区向ケ丘弥生町 真正館内
原田重雄・※無記載
梅本吉之助・※無記載
川崎菅雄・愛媛縣越智郡鏡村明日
田村二郎・※無記載
俣野博夫・※無記載
横山薫二・※無記載
【抹消 古谷綱武・ ※前記↑】
(第10巻終り)
「日記」第十一巻 (「夜光雲」改題)
昭和10年2月4日 〜 昭和14年2月15日
20cm×16cm 横掛大学ノートに縦書き(135ページ)
Journal
4te Fev. 1935
Katumi Tanaka
三月四日
成都行 (杜甫)
翳々たり桑楡の日
我が征衣 裳を照らす。
我が行 山川異り
忽ち天の一方に在り。
但だ新なる人民に逢うて
未だ故郷を見ることを卜せず。
大江 東に流れ去り
游子 去ること日長し。
曽城 華屋を埋め
季冬樹木蒼たり。
喧然たり 名都の会
簫を吹いて笙簧を間[まじ]ゆ。
信に美にして與に適くことなく
身を側てヽ川梁を望む。
鳥雀 夜 各帰り
中原 杳として茫々たり。
初月 出でて高からず
衆星 尚ほ光を争ふ。
古より羈旅あり
我れ何ぞ苦[はなは]だ哀傷せん。
多島海 [※ヘルダーリン訳詩 Der Archipelagus : Friedrich Hölderlin]
くろづるたちは またもお前の許へ帰つて来るか?
船たちは またもおまへの岸をめがけて航海して来るか?
人みなのまちこがれるそよ風は おまへの静かな波の上を吹くか?
海豚たちは深海からおびきだされて新しい光に背を乾かすか?
イオニヤには花が咲いてゐるか、今はその時季か? 春立つごとに
生きとし生けるものの心臓が若がへり、人間の初恋と
黄金時代の追憶のよみがへるときに、
わたしはおまへの所へゆき、静寂の中におまへに会釈するのだ、
年老いたものよ。
ああ 力強いものよ、恒につねにおまへは今もなほ生き存らへ、
おまへの山々の蔭に憩ふ。青年の腕をもつて
おまへの愛らしい國をいだきしめる。しかもおまへの娘達、
おまへの島々は、あヽ 父なるものよ、花咲く島々は少しも変りを見せぬ。
クレタはそびえ立ち、ザラミスは緑に萌え、月桂樹にかすみ、
光線に囲まれて四面花咲き、成長の時季と
デロスはその感激した頭をもたげ、テノスとヒイオスは
紫の果実をたわヽにつけ、酔ひ恍れた丘からは
チユプリアびとの飲物がわき出、カラウリアからは昔のまヽに
銀の小川が父なるものヽ年古りた水に流れ墜ちる。
英雄の母たち、島々はことごとくいまも
年々歳々 花咲きながら生き存らへ、時としては
奈落から解き放たれた麗しいものヽひとり
夜の炎、下界の雷雨をひつとらへては
死にゆくものを おまへの胎にしづめはするが
あヽ、神々しいものよ、おまへは永遠に生きぬくのだ、
おまへの暗い深淵には多くのものが浮かび また沈みしてしまつたが。
天なる神々、高きなる諸力 ひそやかなもの、
遠くから明るい晝と甘いまどろみと予感を
満ちみちた威(いづ)のうちから感じ易い人間の頭へともたらすものさへも、
昔の友どちも、変ることなくおまへとともに住み、しばしばたそがれどき
アジアの山々から聖嚴の月光が射し出で
諸星の光がおまへの波の上で会ふとき、
おまへは天つ光に照らされて、それらの彷徨ふにつれて
おまへの水も移り、天なる兄弟たちの歌が
その夜の歌がおまへの恋する胸にまたひヾくのだ。
それから遍照光、晝の太陽が
東洋の子、奇跡を行ふものが昇るとき
生命あるものはみな朝毎にこの詩作者から
授けられる金色の夢の中で、営みをはじめ、
悲しむ神であるおまへには一層たのしい魔呪が授けられる。
しかもそのやさしい光でさへも 昔と同じくとことはに
汝をなつかしんで おまへの灰色のまき毛のまはりに
あみ出してくれる愛のしるしの花環ほどは美しくない。
また灝気はおまへをとりまかぬか?
汝の使者、雲はまた彼のもとから
神々の贈物、稲妻をもつて高空からおまへの所へ帰つて来ぬか?
この時おまへは雲を陸に送る。かくて、
炎熱の岸辺では 雷雨に酔ひ恍れた森が
ざざなり おまへとともに波をうち、まもなく父に
呼びもどされた放浪息子のやうに、数百の小川とともに
メアンデル河はその迷路を急ぎ、平野からはカイステル川
喜んでさそはれて来、長男のとしよつた
永い間かくれてゐた、莊嚴なナイルの川は
遠い連山から威風堂々と 剱の音の中のやうに
勝ちほこつていまやつて来、まちこがれた人の拡げた腕にとどくのだ。
それでもおまへは寂しげに見えるね。沈黙した夜に
巖はおまへの嘆きを聞き、翼をもつた波は天國へと
しばしばおまへから人間を憤つて逃れ去る。
【抹消】
その高貴の寵児たちは、おまへと共に生きられないので
かつてはお前を崇め、美しい神殿と都市とをもつて
お前の岸を装つた英雄たちが花環がなくて感じたやうに
この神聖な元素は感じやすい人間の心臓を
常に求め、無いのを惜しみ、名誉として欠けてゐるの残念がる。【抹消】
かつておまへを崇め、美しい神殿と都市とをもつて
おまへの岸を装つた かの高貴の寵児たちが
おまへと共に生きてゐないので、この神聖な元素(みづ)は
感じ易い人間の心臓を常に求めながら与へられぬのを惜しみ
英雄たちが花環に對して感じたやうに無いのを悲しむ。
云つてくれよ アテネはどこにあるのだ。 聖なる岸辺の
おまへの最も愛する都市(まち)は巨匠たちの骨壷(ウルネ)の上に
悲しむ神、ことごとく灰燼に帰したのか。
もしも船人が通るとき、その名を呼び、偲ぶに足る
何かのしるしは残つてゐるか。
かしこでは円柱は聳え立ち、城塞の屋根より
神々のすがたが輝いたのではなかつたか。
かしこではあらしのやうに動く民衆の声が
市場(アゴーラ)からざわめき来、たのしげな(市の)門からは
幸多い港へと街路は急ぎ通じてゐたのでなかつたか。
三月七日 木曜会(ウス井、中島、松田、伊東さん)[※関西コギトの会]
ハイネ 独逸 (一) [※訳詩]
悲しい十一月のことだつた
その日その日が益々暗澹となつていつた
風は木から葉を散らした
そのときわたしはドイツへと旅して行つた。
国境まで来たとき
胸で常ならぬ烈しい鼓動が
するのを感じ、その上両眼が
滴しだすやうな気さへした。
ドイツ語の会話を聞いたとき
ふしぎな気持がした
まるで心臓から出血して死ぬのだが
それが全く気持ちよいといふのにそつくりな気がした。
小さな竪琴ひきの少女が歌つてゐた
彼女は偽らぬ感情と偽りの声とで
歌つてゐたが、しかもその曲に
わたしはひどく動かされた。
彼女は恋と恋の怨みと[※以下未完]
三月十一日
剪燈余話 鸞々傳中 趙鸞々 [※以下6篇抄出]
雲鬟
擾擾香雲(フサフサタルクロカミ)濕未乾(ウルホヒテイマダカハカズ)
鴉翎蟬翼(アレイゼンヨク)膩(アブラ)ノ光リヤ寒シ
側邊(カタハラ)斜ニ插ム黃金ノ鳳
粧ヒ罷ンデ夫君(ヲツト)帶ビテ笑ヲ看ル
柳眉
彎彎トシテ柳葉(マユ)愁邊ニ蹙リ
湛湛トシテ菱花(カガミ)照ス處ニ顰ム
嫵媚不煩ハサ螺子ノ黛 *波斯国より出づ
春山(マユ)畫キ出シテ自ラ精神
檀口
銜メバ盃ヲ微ニ動ク櫻桃ノ顆(ツブ)
咳唾(シハブキ)輕ク飄(ヒルガヘス)茉莉ノ香
曾テ見ル白家ノ樊素ガ笑
瓠犀顆々綴(ツヅ)ル榴房ヲ
酥乳
粉香汗(ヲ)濕(シツ)ス瑤琴(タマゴト)ノ軫(シン)
春逗(トウ)シ酥(ソ)融(ト)ク白鳳ノ膏
浴シ罷ンデ檀郎捫弄スル処
露華涼シク沁(ヒタ)ス紫葡萄
纖指
纖々タル軟玉削リ春蔥ヲ
長在香羅(ウスギヌ)翠袖中
昨日琵琶ノ弦索(イト)上
分明ニ滿甲染ム猩紅ヲ
香鉤
春雲薄々トシテ輕ク籠メ笋ヲ
晚月(ユフヅキ)娟々トシテ巧ニ露ス錐ヲ
簇蝶裙長キ何処ニカ見ル
鞦韆架(タナ)ノ上下リ來ル時。
三月十六日 鹿熊猛君より来書。十時一年 の号を用ゆと。
×
エルネステイイネは林檎が好き [※Ernestine:オペラ歌手]
園は石竹とバラの花盛り
月の出にはじめて蚊や蚋がとび
むしあつい南の風が雨をまじへて来
一夜あけると恋花ばかり
×
Horenや Musenalmanach ではずい分時間をつかつた(ゲエテ)[※シラーと出した同人誌]
レツシングやシルレルも少年の日には
感傷を歌つたが 年よつて固まつた
ことしはミユーズたちが南へ行つてしまつたので
バラや麥を見ても心を動かされない
遠い都会の轟々の音や
クラリネツトやアコーデイオンが時々耳をひくが
泉の声は小さく 海の笛は大きすぎる
三月二十日 及落会議。猿芝居也。校長いやらし。
おれはしばしば白美木や
角斑岩のゆめを見た
炸裂する砲彈や
石榴の實や
混乱した観念の世界で
原始の鳥は羽ばたき
巣をかけるのだが
琴とつてうたふ男は
友だちに似てゐないかもしれぬ
三月二十三日 高石へゆく。村田幸三郎。西角先生。
老公園
櫻の咲くひる 親子が来る
ZOOでは孔雀より蛇が可愛いヽ
猿や熊は人の森林で狩されて
ナンキンマメなど
鶴は啼き どぜうを食べ
正午 天丼を食べる
父は子に箸で食べさし
母は財布を出して見る
帰つてから疲れた子供は泣く
夫婦は寝てから欠伸をするなど。
×
古い海は吼らぬ 松は
鼻唄。
歌うたふ小鳥はトオキイのやう
色んな香りのする野菜
ヒアシンスと薔薇と
はねつるべ。
こはれた噴水 破れた窓。
テラスは月夜ではない
鳥は黙す
星と星と慇懃に
女の子は はね
ぶらんこは わめき
シーソーは 逆立つ
海に松の森が歩み
山から波の羽毛が散る。
三月盡日
ケープタウンではテーブルクロス
カイロでは灼熱した蒸気となり
ボルネオで椰子の實
セレベスでは驟雨
マカオでは戎克にふりかヽり
上海 柳の絮[わた]となり
東京ではおたまじやくしの粘々(ネバネバ)
シベリアやアラスカでは雪や氷
ロツキー山脈では樹氷となり
ポポカテペテルで夜の雨 [※メキシコの火山]
ニユーヨークぢやホテルの風呂の水
ギリシアぢやアリストフアネスの劇となる
?(ママ)
トントントントン [※スチームの入る音]
おれは二十番教室でギリシア語を聽き
十一番では東亜考古学
三十七番の大教室で眠つた
しよつちゆうスチームが通つてゐて
ゆりかごの歌が奏せられ
雲や風が戸外を疾走する
トントン
四月六日 胃悪く眠れず。
メトロポリス
おれが歌ふはギリシヤのむかし
青い地中海の岸々に小い植民市をもつた
小い母市(メトロポリス) アテネやテーベではなく
城郭嚴しく近衛兵等に護られた
ブランデンブルグ辺境伯の首府でもない
「これはこれ 觸手ある大都会」
毅然として天の一角にそヽり立つ大殿堂
・・・・・・・・・
四月十六日
わしはその荒々しい気候を愛した
アジアよ
その荒々しい土壌と岩石よ
わしは驃騎兵
わしは屍体を食ふ禿鷹
アジアよ
わしはその血肉を貪る──
わしは古い神々を
その神殿とともに覆がへし
愛せられたるものの
紅い小さな手をとる
この密雲の下の
いろんな小さい花々よ
鴿[はと]を見、麝[じゃこうじか]を見
いろんな詩を探り
雪と氷とに閉ぢられた
茫乎たる海洋に
わしは巡洋艦隊
あまたの鴎を率ゐて。
四月二十七日? 上京。ゆき子、肥下。
二十八日 丸、友眞、西川と早法、帝立戦。
二十九日 友眞とボントンへゆく。
三十日 夕 ゆき子、母と東京を立つ。
五月一日 高師浜一二八○に転住。
二日 夜 田辺に
父母 母
城 叔父 ゆき子
正哉叔父 和田さん夫妻
その後、新居に入る。
七月三日
雲と祭と金魚
雲は水平線で動かない
華やかな夕ぐれ
波と船との奏でる音楽
崩れる幻想──
×
短い華やかな多彩な夕ぐれ
多くの都市が埋もれる
崩れる雲の山
船の入る椰子林
弦楽器なしの音楽をもつ祭
珊瑚礁の組織──
×
形をなさない思考の群
遠く沙漠でのやうなオーボエ
石油タンク
蒸発するオアシス
駱駝の遺骸──船の龍骨のやう
羊歯
ほんとに羊にまがふ雲の出
×
金いろの巨大な魚の雲
西方に祭あり
巨人は一脚をもち
一手は義足
義眼がたの日は沈み
回教寺院の荘嚴な
悲愴な祭壇
没薬の香やくちなし
青い夕ぐれ
見えぬ海なつかしき。
× 燕支黄葉落 [※李白「秋思」]
秋は丘をめぐり 妾望白登台
高台に立てば 海上碧雲断
海辺に雲たなびき 單于秋色來
北から秋は来るか 胡兵沙塞合
兵のゆくのが見え 漢使玉関回
旅人は帰らぬ 征客無帰日
ことしもわれひとり 空悲尅雀
七月七日
晝 大江へ犬を貰ひにゆく。 村井勇司節子夫妻。
夜 コギト大阪例会。うす井、松下、中島、四人。
晝すぎ山には霧が降つた
おれは紋黄蝶と深山龍膽[みやまりんどう]とを採集した
こヽからは瀧はよく見えない
蛇骨と木の葉石とを黒人から買ひ
郵便局では切手がきれてゐたが
眠る客を起こすに日くれまで待つ
★
高原では青葉が空に映り
少女たちはみんな同じ服をつけ
オレンジとメロンの罐詰が
馬車でゆられてレツテルをとりかへ
テニスコートでポンカンが投げあはれ
黒ん坊たちは庭芝に撒水してゐる
休火山の肩で日くれがちらつと覗いた
七月十二日
眠る海とゴオホの日まはりと
大戟科の植物とをゆめに見る
海は或時はゆれて砂丘をよぢ
雲と慇懃に挨拶し
古新聞のやうに白い海鳥が
とび上らされ、すひつけられ
日まはりにしばしば日が翳るんだ
八月五日
露ある園を歩み
多くの花を嗅いだ
色んな花の中で
一番平凡なのが気に入つた
Des Knaben Munderhorn [※「少年の魔法の角笛」訳詩]
魔笛
○駿馬に跨つた若者が
帝の御城へ馳せ向つた
駒は地に身を傾け
若者は雅やかにお辞儀をした
○婦人たちには何とあでやかに 綺麗に
うるはしく見えたことぞ
彼は手に黄金の紐(バンド)の
入つた角笛をもつてゐた
○金の中にちりばめてもあつた
美しい宝石が沢山と
眞珠や紅玉やらが
人々の眼をひきよせた
○誰も見たことがないほど大きな
誰も見たことがない位美しい
象牙の角笛で
その上端には環が入つてゐた
○銀のやうに輝いて まじり気のない金から出来た百の鐘が
深い海から齎されてついてゐる
○これは海の魔女の手から
帝の后に贈られたので
彼女の純潔さの誉として
また美しく賢しいために
○美しい若者もいつた
「角笛の用ひ方と申しますと
あなたのお指でちよつとお抑へになれば
○この鐘はみんな
いヽ鳴り音をたてヽ
どんな竪琴の音や
どんな女の歌でも
○空で囀るどの鳥でも
海の少女たち以外には
こんな拍子はとれません」
さういつて若者は山のほうへ駆けてつた
○皇后の手にはこの名高い
角笛が残された
その指が一寸抑へれば?
あヽ 澄んだ美しいそのひヾき
ズルタンの姫君と花つくり。
(Köln[ケルン]の古い一枚刷から)
希臘文学に於けるロマンテイシズムの曙光
★芸術に現はされた(オリユンポスの)これらの神々の形は、直ちに彼らの自然神としての正体を暗示した。
彼らは自然そのものヽ具体化された表現となつた。
河の神はその形の流動的な輪郭によつて知られる。
山や森のいぶきはデイオニユーソスやそのサテユロスの行列につきまとふ。
彼らの節と瘤のある筋肉や木の葉のやうな巻髪を以て。
海は鱗ある胴と波うつ髪をもつてゐる神々によつて、
魚を手に握つたネーレーデスによつて、
又は海豚やその他の海の動物によつて表はされてゐる。
波の生命と力とは、
翼ある海馬や疾走するネーレーデスによつて描かれる。
日の出の華やかさは、
人格化された「曙」によつて描かれてゐる。
その「曙」は翼ある馬と共に波から上つて来るのである。
馬の手綱は暗赤色で
「曙」の左右には星がある。(340P-341P)
★十字軍はアレキサンドロスの亜細亜遠征の結果に驚くべくよく似た結果を齎した。
遠い国々の戸が開かれた。
鳥や、
獸や、
爬虫類や、
又、植物の標本のあらゆる種類などが蒐集された。
それは自然研究者の時代であつた。
最古の動物園がパレルモに設立された・・・・。
十六世紀にはパドウア、ピサ、ボロニアはそれぞれ公立植物園をもつてゐた。(346P-347P)
★テオクリトスの描いた牧人は・・・・
その農人らしい競技に最もふさはしい場所について、
詩で議論する。
それは野生の橄欖の樹が生え、
冷い水が落ちるところであるか、
或は槲の木や松の木がより濃い影を投げ、
蜜蜂がその巣の周りに可愛いヽうなりを立てヽゐるところであるか。(356P)
★
「今や眠る、
山の頂も峽谷も、
岬も河床も、
黒い大地の養ふ、
あらゆる匍ふものヽ族も
小山に育つ野獸らも、
蜂の種族も、
暗い海の底の怪物も、
羽を拡げるあらゆる鳥の族も
すべて今は眠る」 アルクマン断片(373P)
★
「あヽ、あヽ、キユプリス、
と山々がすべて云つてゐる。
さうして槲の木が答へる。
あヽ、アドーニス。
さうして河々はアプロデイーテーの悲しみを嘆き、
泉は山々の上でアドーニスを泣く」 ビオーン、アドーニス哀歌(383P)
★
「泣け、
泣くのを聞かせてくれ、
汝、森の中の空地よ、
さうして汝、ドーリアの水よ、
泣け、
河の流れよ、
愛すべきビオーンのために。
いざ、
汝ら、 なるすべてのものよ。
嘆け。
いざ汝ら、森林よ。
彼を悲しめ、
いざ汝ら、花よ。
悲しき叢の中に萎み去れ。」 モスコス、ビオーン哀歌(383P)
高い建物にのぼり
四方を眺望する
こヽは夕には雲が集まり
朝は鳥たちの家となる
山川は一目で
平原は茫々としてゐる。
むかし功名を求める士が
こヽで争つた
百年の後の今は
皆 野辺の土となり
その塚の松柏さへも人に伐られ
塚の土は低くなつてしまひ
跡をとぶらふ人もない
魂たちはどこへ行つたか
栄華は誠に願はしいが
あはれなものでもあるのだな(陶潛、迢々百尺楼)
[※原詩
迢迢百尺樓,分明望四荒。
暮作歸雲宅,朝為飛鳥堂。
山河滿目中,平原獨茫。
古時功名士,慷慨爭此場。
一旦百歲後,相與還北邙。
松柏為人伐,高墳互低昂。
頹基無遺主,遊魂在何方。
榮華誠足貴,亦復可憐傷。]
嶮しい山は登りにくく
山頂にゐても星はとれない
あヽ 輝く斑点よ
天の蟋蟀よ
その心臓から涼風は来た
☆
人情だの義理だのは忘れたが
浮世には節季やかけとりがあり
(西鶴の頃だつてあつたものだ)
詩人や学者をも用捨しない
江洲採白蘋
日暖江南春 夕なぎさ犬ゐて海に向ひけり
洞庭有帰客 子供らが砂城越すや夕の波
瀟湘逢故人 砂浜や名も無き草に風吹きぬ
故人何不返 夕凪やキヤンプの子等も外に出
春花復應晩 夕凪や動かぬ船の沖にあり
不道新知樂 夕凪や島いろいろに暮れかヽる
祇言行路遠 夕凪や 戸とろとろとくれかヽる
(柳ツ江南曲) [※梁・柳ツ『江南曲』訳詩]
窓の外に多くの花がある
眠い蜂の羽音がする
正午すぎると悲しくなつた
一日がかうして暮れ また他の一日が来る
湖畔の町 (シユテフアン・ツワイク)[※訳詩]
コンスタンツ
蒼暮の時の一層増した美しさで
遠くドイツの町のはつきりした線が
これはまたやさしい色調の雲に
たヾ六月の夕にだけある様子で映つてゐる
湖岸の公園では暗い木の茂みから音楽
歌「昔のうたをまだ覚えてゐるかい?」
たわヽに実つた葡萄の房の液のやうに
うれしい、かなしい歌が波間をしづかに流れる
その時まるで懷郷病にかヽつたやうに汝(ソナタ)の心は鳴りひヾき
この町もはじめて、いまあせた月光に
まどろみながら凭れてゐるおのが黒い
シルエツトを見るのだ
幸せな一刻(ヒトトキ) (フーゴー・フオン・ホフマンシユタール) [※訳詩]
こヽに臥せてゐると、まるで世界の頂上にゐるやうな気がするのだ
こヽには別に家ももたず、天幕ももつてゐないのだが
人のゆきかふ路はぼくのまはりにあり
上は山々の方へ、下は海へと下つてゆく。
彼等はおもひ思ひの荷をもつて来る
みんな僕の生活(クラシ)を支(タス)けてるなどとはゆめにも思はないで。
彼等は燈心草と草とから出来た箕(ミ)の中に
永い間食べなかつた果物を入れて来る つヾく
八月二十日 小高根二郎、伊東静雄、山村酉之助諸氏。
日が入つてから私は不幸せだ
垣根に花が咲いてる木には
もう実がなつてゐる
あらゆる声々が呼び立てるのは
私の収穫を促してだが、
もう世辞なぞ聞きたくない
シムバルほど喧しくてやり切れない
日は再び昇つて垣根の上に、そこで
私は満足して眠るのだが、
いろんな噂がゆめに迄も現れる
牛や馬の形を仮りて。
××××
波に映つて雲は形をかへる
鴎は帰る舟のやうに翼を張つて
海底に沈んだ魚を探(モト)める
止めよ 止めよ 汝の菩提のために
それは雲だ、しかも虚妄のものだ。
×××
『蘇鉄』といふ小説を書くべし。
月夜 (ヰ゛ルヘルム・アレント)[※訳詩]
しづかな青い森の夜に
白鳥の背にのつてゐる月桂樹の葉を見た。
ああ、心もそぞろになるばかりのうましい純らかな光景──
巨匠の手に神業のごと造られたか!
水は夢みごこちの深い沈黙にくちづけし、
童話のやうな暗さの潮にはそよとの風もせず、
月影は花咲く枝々から滴り
紅玉の色で森を染めてゐる。
鹿の声 (フエルデイナント・アヱ゛ナリウス)[※訳詩]
月夜は
山森(ベルクハルト)をこめて。
霧の中を
細い雨がしぶき
風は瀕死人の
息のやうに吹く。
突然、呻く──。
あれは鹿が啼いてゐるんだ──。
熱情をこめて呻き
叫ぶのだ。
この時すべての懸崖で木魅になつて
暗の方々で無生物たちが目を覚まし
急に
立ち上り、夜に向つて
訊ね、
嘆き
元気を失ふ。
正午 (パウル・バルシユ)[※訳詩]
闃[げき]として、そよ風もない。谷は
目眩(まぶ)しい正午の日の炎に照らされてゐる。
草や花や、潅木や樹は
息もせぬ夢につヽまれてゐる。
その時 ものうい花の野原から
急に蛇が頭をもたげる。
彼は無感動に遠くをみつめる
何か向ふでこつそり動いてるかのやうに。
だけどそれは虚妄(まやかし)だつた。蛇は
また深く頭を垂れ、正午は黙す。
美しい色の野原で夢は卵をかへす
それは依然として平和なのだ。
少女の夢 (ハンス・ベンツマン)[※訳詩]
彼女は坐つて忙しく刺繍しつヾけ
王様の死の悲しい唄をうたひ、
散つてしまつた百合の花を唄ひ
盛りをすぎた恋の炎を唄ひ
遠く夜と風とをおかす船人を唄ひ
捨てられた少女の唄をうたふ。
彼女は唄ふ──夜が来るまで・・・・
野性の楊桃の樹が生え
冷い水の墜ちるところで
耳をすませば 都会はいろんな音樂と
いろんな木々とを持つてゐる
金色に光る夏蜜柑、赤い夾竹桃など
夕日が昃り出すと
鳥がみなそれらから飛び出して
この峠まで帰つて来る。
九月四日
果樹園
重い雲が疾走する
園の中央で鋏が光り
美しい香気が傾斜を下る
そこで取引が行はれる
二十四日
城ある湖のほとり
ほこ杉は朝日にぬれて輝き
梅の花は古代めいた花つけ
青い貝を二つ三つ拾つた。
窓を開けると灰色の並木道
のろい 生ぬるい塩風(ママ)がくる
子供たちは一斉によむ
「それは蜂か それは蜂ではない それは蛾である」
ほんとに窓の間には蜂がはさまつて唸つてゐる
九月二十七日
ある晴れた秋の朝
発動機船第三住吉丸は
五色の幟をひるがへして
初めての船出をした。村中が浜に集まつてゐた。
さわがしい機関の音は
次第に小くなり
やがて船は倒れるほど傾いて
進路を北の方へ変へて了つた。
十月二十七日
鹿は山頂に坐つてゐた
四足を折り曲げて、疲れた様子で。
遠い山で稲光りがして
花苔やエイラン苔や岩角や、また [※前出:依蘭苔]
彼の蹄の間にはさまつてゐる岩屑が
瞬間、しかもはつきりと輝いて見えた。
△
ふたりで山頂に立つてゐた
僕たちの後影は黒く見えたらう
夕やけのする空を間もなく雲がかくし
烈しい稲妻が起つて
山々や谷々を照らし出した。
僕は妻に僕の故郷を指示することが出来た。
十一月二十七日
玩具風景
眼鏡橋の上から男が覗いてゐる
水の中へ落つこちさうな姿勢だが
日はまだ通りをよぎらない
地方法院の塔から郭公が飛び出し
十二度啼くとまた入つた
兵隊が河岸を徘徊してゐて
星章が遠くからも輝いて見える
エプロンで手をふきふき下女が出て来る
鈍く砲声がして家並の上に雲が見えた。
昭和十一年一月
冬海のほとりに住む
夜更け目覚めて聞くと海は遠い紡績工場のやうだ
絶間ない轟音の間にかん高い女工たちの行儀の悪い歌が聞こえ
テノールの監督たちの叱り声がまじつてゐる
やヽあつて終業の汽笛 微かに声長く──
いやあれは午前一時の最終航路
(幾百の船酔ひに苦しむ夢をのせて)
アツタ・トロル (ハイネ)[※訳詩]
傲慢に抜んでた、灰色の山々が四周に聳えてゐるところ
流れ墜ちる荒い河音を子守唄と聞き、夢の町のやうに
谷間に雅かなコーテレー[※Cauterets]の町が横はる。バルコニーのある白い家々、そこに美しい婦人たちが立つて婉然と微笑んでゐる
婉然と微笑みながら彼女たちが瞰下してゐる。人々のごたごたと群れてゐる広場では、ドウーデルザツク(バグ・パイプ)の音につれて牡熊と牝熊
が踊つてゐるのだ。
アツタ・トロルと彼の夫人の黒いムンマが踊り手で、バスクびとたちは感心して叫び声を立てヽゐる。
気取つていかめしく、荘嚴な態度で貴族アツタ・トロルは踊つてゐる。が房毛の夫人には威嚴と体面が足らぬ。
さうとも、僕なんかもう少しで彼女がカンカン踊りをしてるのだと思ふところだつたし、お臀の振り方にはグラン・シオミールを思出さされた。
[※Grande Chaumière:モンパルナスの游興場]
彼女を鎖でつないでゐる感心な熊使ひさへも、その踊りの背徳性を認めてゐるやうすだ。
それだから彼は幾度も鞭で彼女をひつぱたくが、その時黒いムンマは山々が反響(こだま)するほど吼えるのだ。
この熊使ひは尖り帽に六つの聖母像(マドンナ)を挿してゐるが、これこそ敵の鉄砲玉や虱を防ぐに役立つんだらう。
彼は肩には五色の色の祭壇の掛布をマントの代りにかけてゐ、その下からピストルと短刀が覗いてる。
青年の頃には僧侶であつたが、後には盗賊の隊長となつたが、その二つを結合さすため最後にはドン・カルロスに仕へたのだ。
ドン・カルロスが円卓騎士たちと一緒に亡命し、大抵の勇士たちが律義な手職にありつかねばならなかつた時──
(シユナツプフアーンスキー氏は作家になつたが)我等が騎士は熊使ひとなり、アツタ・トロルとムンマをつれて
諸國を廻ることとなつたのだ。
かうして彼は二匹を踊らす。人々の前で、広場の中で──
コーテレーの町の広場の中で縛られてアツタ・トロルが踊るのだ。
嘗ては荒野の誇れる君主として、自由な山の高みに住んでゐたアツタ・トロルは人間共の中で谷間で踊る。
それどころか軽蔑すべき貨幣のために踊らねばならぬ。嘗ては畏怖の尊嚴にみちて、己れを世界主と思ひなしてゐた彼が、失つてしまつた森の支配
権、青春時代を思ひ浮かべた時、アツタ・トロルの魂から暗い声が呟き出した。
フライリヒラート[※詩人]の黒いモール公のやうに、陰鬱に眺めて、太鼓の調子が狂つたとき、怒りのために
旨く踊れなかつた。
それでも同情を得ず、哄笑だけが起つた。ユリエツテ[※ハイネの妻]さへもがバルコニーから絶望の一踊りに笑ひを投げかけた。
ユリエツテの心には心情(ゲミュート)など少しもない。彼女はフランス人で外面だけで生きてゐて、しかもその外面がすばらしくて魅きつける。
彼女の秋波は甘い光の網で、その網目にかヽるとわれわれの心は魚のやうに捕へられてしまひ、たヾあがくばかりだ。
U [※以下未完。]
五月二十五日
暗澹と日がある。たヾ我は日を逐うて強められ、自信を持つて来る。この我の完成過程は勿論、完成の暁にも幸福はない。世俗的にも絶對的にも。
計画
儒林外史、あるひは水滸傳の訳
ホフマンシユタール詩集訳
歴史小説、洪承疇、或は鄭成功
十二月迄に清朝と蒙古に関する論文一篇
二十四史買ひ度し
[※自分の]詩集安くて出し度し
柚梨枝(Yulie)
登邇雄(Tonio)[※生まれてくる子の命名案か?]
老者の夏へのあこがれ [※ホーフマンスタール訳詩]
最後に三月が七月とかはつてくれるなら
辛抱はしない。わしはRANDを取つて(馬か車か鉄道かに)
わしは席を取つて
美しい丘陵地にやつて来る
そこには群れをなして大きい木
プラタナス 楡の木 楓や槲が寄り添うて立つてゐる
それを見なくていくとせ經たことぞ
そこでわしは馬から降りるか
馭者に云ふ 停れと そしてあてどもなしに
夏の國のおくふかくへ進んで行く
こんな木々の下で休息する
その梢には晝と夜とが同時にあり
この家の中でのやうに日毎が
まるで夜のやうに荒涼(すさ)んでゐ
夜毎が晝のやうに鉛色で待ち遠しいのとは違ふ
そこではすべての生が光と輝きとであるんだ
そして蔭から夜の光の幸の中へ
わしは踏み入り そしてそよ風が吹きすぎるが
どこにも「こんなものはみな無だ」などとの囁きはない
谷はくらくなり 家のあつたところには
燈がついた そして闇がわしに息を吹きかける
しかし夜の風は死については語らない
わしは墓地を通つてゆき
花ばかりが最後の光の中にゆらいでゐるのを見る
その外には何にも近くには感じない
もう暗くなつた 榛の藪中を
小河が流れて行つてる そしてわしは子供のやうに耳を欹[そばだ]てて
しかし「こんなことは空だ」との囁きをきかない
そこでわしはすばやく着物をぬいで その中へ
とびこむ わしが小川と組打ちして
そしてわしが頭をもたげたときには 月が出てゐる
氷のやうに冷い波から わしは半ば身を出して
滑らかな礫を陸にむかつて
遠くへなげながら月光の中に立つ
月に照らされた夏の國に
一つの影が遠くへとどく それがこの こんなに悲しげに
この壁ぎはの褥に埋もれて ここでうなだれてゐる奴か?
こんなに悄気こんで悲しがつて 夜明け前に
半身しやちほこばつて 朝の光に痛がつて硬直し
わしら二人の間に何かが待伏せしてるのだと知つてゐる奴か?
この三月の意地悪い風に こんなに苦しまされ
毎夜 眠りもやらず
自分の心臓の上で黒い手をひきつらせてゐる奴か?
ああ 七月と夏の國はいづこ?
[※原詩
DES ALTEN MANNES SEHNSUCHT
NACH DEM SOMMER:Hugo von Hofmannsthal
Wenn endlich Juli würde anstatt März,
Nichts hielte mich, ich nähme einen Rand,
Zu Pferd, zu Wagen oder mit der Bahn
Käm ich hinaus ins schöne Hügelland.
Da stünden Gruppen großer Bäume nah,
Platanen, Rüster, Ahorn oder Eiche:
Wie lang ists, daß ich keine solchen sah!
Da stiege ich vom Pferde oder riefe
Dem Kutscher: Halt! und ginge ohne Ziel
Nach vorwärts in des Sommerlandes Tiefe.
Und unter solchen Bäumen ruht ich aus;
In deren Wipfel wäre Tag und Nacht
Zugleich, und nicht so wie in diesem Haus,
Wo Tage manchmal öd sind wie die Nacht
Und Nächte fahl und lauernd wie der Tag.
Dort wäre Alles Leben, Glanz und Pracht.
Und aus dem Schatten in des Abendlichts
Beglückung tret ich, und ein Hauch weht hin,
Doch nirgend flüsterts: »Alles dies ist nichts.
Das Tal wird dunkel, und wo Häuser sind,
Sind Lichter, und das Dunkel weht mich an,
Doch nicht vom Sterben spricht der nächtige Wind.
Ich gehe übern Friedhof hin und sehe
Nur Blumen sich im letzten Scheine wiegen,
Von gar nichts anderm fühl ich eine Nähe.
Und zwischen Haselsträuchern, die schon düstern,
Fließt Wasser hin, und wie ein Kind, so lausch ich
Und höre kein »Dies ist vergeblich« flüstern!
Da ziehe ich mich hurtig aus und springe
Hinein, und wie ich dann den Kopf erhebe,
Ist Mond, indes ich mit dem Bächlein ringe.
Halb heb ich mich aus der eiskalten Welle,
Und einen glatten Kieselstein ins Land
Weit schleudernd steh ich in der Mondeshelle.
Und auf das mondbeglänzte Sommerland
Fällt weit ein Schatten: dieser, der so traurig
Hier nickt, hier hinterm Kissen an der Wand?
So trüb und traurig, der halb aufrecht kauert
Vor Tag und böse in das Frühlicht starrt
Und weiß, daß auf uns beide etwas lauert?
Er, den der böse Wind in diesem März
So quält, daß er die Nächte nie sich legt,
Gekrampft die schwarzen Hände auf sein Herz?
Ach, wo ist Juli und das Sommerland!]
七月八日 午後八時、男児分娩。
大きな眼、あくびする。大きい声で啼く。くさめする。
八月二十二日
畠中先生のフラウ逝去され、川口教会で葬儀ある旨、服部より知らせ来る。四時頃行くに電車で全田の叔母と一緒になり、円タクでゆく。まだ早く
誰かれ来てゐず。その中[うち]に大高の諸教授来る。中島、松下と並んで坐る。キリスト教の葬式はつまらず、会衆不慣れな爲、余計をかしい。
式後、本庄、興地諸先生を誘うたが成らず、服部、五十嵐、野田と六人で川口の支那料理を食ふ。五十嵐君おごる。気の毒の上不愉快。何か不道徳
的な責務を感じ、カフエーをつれ廻る。
どこもつまらず帰りたくなる。その気持ち尤もみじめ也。心サイ橋のミラクルといふ所で服部珍しく怒る。皆同じ気持ち也。
八月二十三日
きのふのビールでけふは晝寝大分す。叱言大分云ふ。
妹二人、建[※弟]来る。天沼のネエヤ、帰ることを一日延ばしたり。
九月四日
原先生と保さんの見舞にゆく。上がらず。田村へゆき、春雄君と永い話。病院内部のことを色々と聞く。外科の若い医師は皆、切りたがつてゐる
由、脊髄カリエス、丹毒などはそれ故いやがる。痔の手術、下手なものがやれば粘膜が外へ出て、一生猿股が汚れるなどと。ドリーシユの形而上
学、保さん[※清徳保男]の訳あり。自費出版でもいヽから出したいといふことになり、熊野君を帰りに訪問、考慮してもらふこととす。
朝明け山へのぼる
つゆ草につゆある道
蝉は目覚め 蝶は羽うち 蛇は寝返りをうつ
高みで太陽を迎へる──歓天喜地
雪は慇懃に波を打つ
水筒で水が沸りかへる
九月五日
佐藤春夫「南方紀行」よみ返すほど巧みなり。昨夜は水滸伝で眼をつからし、頭痛はげし。
〒・山崎清一君。
九月六日
熊野君、学校へ来られ、ドリーシユの清書をすべき由、諾否を明らかにせず。
九月八日
専修院教道居士三回忌。彰夫氏に保さんの病気を告ぐ。帰途、田村へゆき、ドリーシユ原稿もち帰る。
やはり趣味をもたぬ学問のことヽて困る。自分の仕事のことも考へると嬉しくなし。[※ハンス・ドゥリーシュ『形而上学』清徳保男訳の遺稿、昭
和16年岩波文庫となる。]
〒・山本書店、ノヴアーリス原稿返送のことは許せ、近く十五銭のにして出すとのこと也。 [※山本文庫『ヒヤシンスと花薔薇』]
九月九日
6.死へのあこがれ [※ノヴアーリス訳詩]
光の國をはなれて 地の懐に下りゆかむ
苦痛の狂乱とあらあらしき打撃とに
樂しき旅立ち(死への)のしるしあり
小き舸に打のりて
早くも天の岸に到り着きぬ
永劫の闇夜は頌むべきかな
永劫の眠りは頌むべきかな
晝はわれらを暖かにしてくれたるも
長き憂ひは却りてわれらを萎ましぬ
他郷の樂しみは去りゆけど
父のもと 我家へと行かまし
この世にありては愛と誠を
われらはいかに爲すべきや
古きは蔑[ないがし]ろにされぬ
新しきはわれらに何たるや
あはれ さびしく佇ち 深く悲めり
厚く虔しく 太初を愛する者は
太初よ 諸感官が明るく
巨いなる炎となりてもえしとき
父のみ手とみ面を
人類のなほ見しりゐしとき
[※原詩
6.Sehnsucht nach dem Tode
Hinunter in der Erde Schooß,
Weg aus des Lichtes Reichen,
Der Schmerzen Wuth und wilder Stoß
Ist froher Abfahrt Zeichen.
Wir kommen in dem engen Kahn
Geschwind am Himmelsufer an.
Gelobt sey uns die ewge Nacht,
Gelobt der ewge Schlummer.
Wohl hat der Tag uns warm gemacht,
Und welk der lange Kummer.
Die Lust der Fremde ging uns aus,
Zum Vater wollen wir nach Haus.
Was sollen wir auf dieser Welt
Mit unsrer Lieb' und Treue.
Das Alte wird hintangestellt,
Was soll uns dann das Neue.
O! einsam steht und tiefbetrübt,
Wer heiß und fromm die Vorzeit liebt.
Die Vorzeit wo die Sinne licht
In hohen Flammen brannten,
Des Vaters Hand und Angesicht
Die Menschen noch erkannten.]
1. [※ノヴアーリス訳詩]
生ける者なにか、自がまはりに広ごれる空間の、なべての不思議の現象にまさりて、万象を喜ばす光を愛せざらん──その色とその光條と弯曲と、
あかつきのときの和やかの偏在とをもてる光を。
生の最奥の靈のごとく、そを小休みなき星辰の巨大世界は呼吸し、踊りつヽその青き潮の中に漂ひ──閃々たる永劫に休らへる石、感官もてる乳を
飲む植物、荒々しく燃えて様々の形したる獸も、そを呼吸し、──就中、感覚するどき眼と飄々たる歩みと、やさしくしまれる佳音に富める唇とを
もてる莊
嚴なる外来者、そを呼吸す。地の自然の王の如く、そは勢力ことごとくを呼び来つて、様々の変形なさしめ、無限の同盟を結び、解き、そが天つ像
を地のものことごとくに懸けしむ。その顕在のみ、この世の不可思議像の莊嚴的を啓き見せしむ。
されどわれ、光にそむき、神聖なる言語にたえたる秘密なる闇に左袒す。この世は遠く下に横はり──ふかき洞窟に沈みて──そのありか荒涼とし
て轉た[うたた]淋しや。胸の琴線(いと)はふかき哀愁がかき鳴らす。
露の滴に身をしづめ、灰に身をまじへんとす。──思ひ出の遠き代々、若き日の希望のかずかず、
幼年の夢あまた、永き一生の短き喜びと空なりしのぞみとは、灰色の衣着て、陽の没りの後の夜の霧のごとく来りぬ。他の空間には光がたのしき天
幕を張りぬ。あどけなき信もて、彼を待ちこへるそが子たちに、彼はかへり来ざるべきや。
かく予感にみちて心中にたちまち湧き来り、哀愁の微風を呑むは何ぞや。暗き闇よ、汝もわれらに好みをもてりや。目に見えずしてわが魂に力強く
感ぜらるる何を、汝は外套(おほひ)の下にもてるなりや。貴き番膏、汝が手より、一束のひなげしより滴り墜つ。心情の力強き翼を汝はあげぬ。
昧く物云ふすべしらに、われら動かされたるを感じ、嚴しき顔をわれたのしく驚きて見、そがやさしく虔ましくわれに向ひて禮し、無限にもつれし
母が巻毛の下に、めぐし児を示したり。この時、光りはいかにみじめに子供らしくわれに思はれしぞ──晝との訣別のいかに喜ばしく、祝福された
るものなりしか──
されば、夜が汝の召使どもを汝より背かしめたるに依り、汝は空間の遠きに輝く球を繙き、汝が別離の時、すでに汝の全能(汝の再帰)を告げ知ら
す。かの輝ける星よりも、われらはわれらの心中に開きたる無限の眼を尊し(ヒンムリッシュ)と思ふ。かの無数の群なせるいと淡きもののどもよ
りも、遠く
を見はるかし──光の要なくして恋するものの心情の淵をも洞見(みとほ)す──より高き空間(そら)をことばにいへざる情念もて充す心情。
──
世界の女王、神聖世界の高き豫告者、幸多き恋のみとりめ看護婦の賞賜よ──彼女はわれに汝を送りぬ──やさしき恋人を──夜の愛らしき太陽を──今われ覚
めぬ──われは汝のものにしてわがものなれば──なれは夜を生として告げたり──われを人となしたり──わが躯をたまの熱情もてくひつくし、
われをして空中にてなれと烈しく混和し、永劫に新婚の夜をつヾかしめよ。
[※原詩 1.
Welcher Lebendige, Sinnbegabte, liebt nicht vor allen Wundererscheinungen des verbreiteten Raums um ihn, das allerfreuliche Licht - mit seinen Farben, seinen Stralen und Wogen; seiner milden Allgegenwart, als weckender Tag. Wie des Lebens innerste Seele athmet es der rastlosen Gestirne Riesenwelt, und schwimmt tanzend in seiner blauen Flut - athmet es der funkelnde, ewigruhende Stein, die sinnige, saugende Pflanze, und das wilde, brennende, vielgestaltete Thier - vor allen aber der herrliche Fremdling mit den sinnvollen Augen, dem schwebenden Gange, und den zartgeschlossenen, tonreichen Lippen. Wie ein König der irdischen Natur ruft es jede Kraft zu zahllosen Verwandlungen, knüpft und löst unendliche Bündnisse, hängt sein himmlisches Bild jedem irdischen Wesen um. - Seine Gegenwart allein offenbart die Wunderherrlichkeit der Reiche der Welt.
Abwärts wend ich mich zu der heiligen, unaussprechlichen, geheimnißvollen Nacht. Fernab liegt die Welt - in eine tiefe Gruft versenkt - wüst und einsam ist ihre Stelle. In den Sayten der Brust weht tiefe Wehmuth. In Thautropfen will ich hinuntersinken und mit der Asche mich vermischen. - Fernen der Erinnerung, Wünsche der Jugend, der Kindheit Träume, des ganzen langen Lebens kurze Freuden und vergebliche Hoffnungen kommen in grauen Kleidern, wie Abendnebel nach der Sonne Untergang. In andern Räumen schlug die lustigen Gezelte das Licht auf. Sollte es nie zu seinen Kindern wiederkommen, die mit der Unschuld Glauben seiner harren?
Was quillt auf einmal so ahndungsvoll unterm Herzen, und verschluckt der Wehmuth weiche Luft? Hast auch du ein Gefallen an uns, dunkle Nacht? Was hältst du unter deinem Mantel, das mir unsichtbar kräftig an die Seele geht? Köstlicher Balsam träuft aus deiner Hand, aus dem Bündel Mohn. Die schweren Flügel des Gemüths hebst du empor. Dunkel und unaussprechlich fühlen wir uns bewegt - ein ernstes Antlitz seh ich froh erschrocken, das sanft und andachtsvoll sich zu mir neigt, und unter unendlich verschlungenen Locken der Mutter liebe Jugend zeigt. Wie arm und kindisch dünkt mir das Licht nun - wie erfreulich und gesegnet des Tages Abschied - Also nur darum, weil die Nacht dir abwendig macht die Dienenden, säetest du in des Raumes Weiten die leuchtenden Kugeln, zu verkünden deine Allmacht - deine Wiederkehr - in den Zeiten deiner Entfernung. Himmlischer, als jene blitzenden Sterne, dünken uns die unendlichen Augen, die die Nacht in uns geöffnet. Weiter sehn sie, als die blässesten jener zahllosen Heere - unbedürftig des Lichts durchschaun sie die Tiefen eines liebenden Gemüths - was einen höhern Raum mit unsäglicher Wollust füllt. Preis der Weltköniginn, der hohen Verkündigerinn heiliger Welten, der Pflegerinn seliger Liebe - sie sendet mir dich - zarte Geliebte - liebliche Sonne der Nacht, - nun wach ich - denn ich bin Dein und Mein - du hast die Nacht mir zum Leben verkündet - mich zum Menschen gemacht - zehre mit Geisterglut meinen Leib, daß ich luftig mit dir inniger mich mische und dann ewig die Brautnacht währt.]
九月十日。〒羽田、四日上海にて投函したる葉書着す。二日午後三時半発なりしとのこと也。
九月十二日
2. [※ノヴアーリス訳詩]
朝は永劫に還り来るものなりや。現世(うつしよ)の支配の力は終らぬにや。夜の天國的なる飛来をば凶々(まがまが)しき雜務が食ひ盡しぬ。愛
の秘密の犠牲は永劫に燃えざるべきや。
その時は光に配当されたりき。されど夜(闇)の支配は時間なく無間なり──睡りの継續は永劫なり。神聖なる睡りよ──夜(闇)の祓ひ清めし
者どもに、この晝の間の業のまに、しばしばに祝福を与へよ。汝を謬りて覚り、なれが眞の闇の、かの薄明のときに、われらに同情して投ぐる蔭な
る睡りを知らぬものは愚者のみ。葡萄の房の黄金の水にゐるなれを感知せず──巴旦杏のふかしぎの油、ひなげしの褐色の汁にゐるものとも。愚者
たちは、なれこそたわやめが乳房のまはりに漂へるものとも知らず、その膝を天國となすものとも知らず──古き傳説ゆ、なが天國の門をひらきて
歩み来るとも、無限の神秘の、もだせる使者たる幸夛きもの住居への鍵をもたらすとも悟り得ず。
[※原詩 2.
Muß immer der Morgen wiederkommen? Endet nie des Irdischen Gewalt? unselige Geschäftigkeit verzehrt den himmlischen Anflug der Nacht. Wird nie der Liebe geheimes Opfer ewig brennen? Zugemessen ward dem Lichte seine Zeit; aber zeitlos und raumlos ist der Nacht Herrschaft. - Ewig ist die Dauer des Schlafs. Heiliger Schlaf - beglücke zu selten nicht der Nacht Geweihte in diesem irdischen Tagewerk. Nur die Thoren verkennen dich und wissen von keinem Schlafe, als den Schatten, den du in jener Dämmerung der wahrhaften Nacht mitleidig auf uns wirfst. Sie fühlen dich nicht in der goldnen Flut der Trauben - in des Mandelbaums Wunderöl, und dem braunen Safte des Mohns. Sie wissen nicht, daß du es bist der des zarten Mädchens Busen umschwebt und zum Himmel den Schoß macht - ahnden nicht, daß aus alten Geschichten du himmelöffnend entgegentrittst und den Schlüssel trägst zu den Wohnungen der Seligen, unendlicher Geheimnisse schweigender Bote.]
[九月十二日]
原正朝氏と清徳氏見舞、玄関先にて帰る。それより中島を訪ねたるに、父君逝去とのことゆゑ、寺田町の家を訪ね弔問。松下に電話し、服部を訪ね
てその旨を伝ふ。夜、五時すぎ、阿倍野斎場にゆく。その後野田君を訪ね、ドリーシユのテキスト五十嵐氏より預かりくれたるを持ち帰る。
服部[※正己]、関大を又振られたる由、大高四回の上道氏[※上道直夫]が行く由。
九月十三日
父来る。午後、服部来る。ともに夕飯。畠中先生をたづねしに不在。興地先生をたづね九時まで話す。畠中先生、旅行して今にも帰つて来る気持と
奥さんのことを云はれをる由、コギト翻訳陣強化をハツトリと語る。
九月十四日
藤岡晃死す。鶴町の自宅で告別式あり。梅田生と共に参列。五時まで三時間ほど待ち疲る。晃、小くして眼黒く、歯出でたる線病質的生徒なりし。
〒川田總七氏より「若き蛇」。「歴史研究」
九月十五日
〒江間章子氏轉居通知。彙文堂より「嘯亭雜録」一.六〇。羽田に手紙書く。
九月十六日 午後、京都にゆく。藤枝に研究室で会ひ、「台湾府史」借りてもらふ。藤枝は関大予科の講師になる。生徒の
行儀悪い由、窓の外より返事するもの有り、入室した時號呼したなど。
東洋史大辞典の原稿書き終へるまで下宿で待ち、正宗ホールにゆく。十一時前帰宅。
九月十七日 防空演習豫行。晝、中島を訪ね、碁をうち丸善にゆく。
九月十八日 南野の子供来ず。
九月十九日 國学院新理事 高畠氏、工藤氏(百舌鳥社)
新監事、井岡氏。原さん喜ぶ。昨日の評議員会で新しく入つた人間を組主任にし、前からゐる原君をせぬのは如何なるわけか、出来ぬやうな人間な
ら止めさせろと校長に云はれた由、前田さんの話也。吉村少しあはてた旨。
〒セルパン。「靖海紀」製本出来。[※清初の水師提督、施琅(1621〜1696)著『靖海紀』の筆写原稿。]
九月十七日
日下貝塚発見十周年記念祭。中島と碁を打ち、夕食後服部を訪ね、興地先生とエリーへゆく。
小い市にて
ある日 手提鞄を提げて
小さい駅に降り立ち
木犀咲く練塀小路をゆき
タバコやの角を曲り
濠につき当つて 一廻りし
天主の跡に登る
市は低くて一目に見渡せ
青い秋の海が穏やかに湛え
山々は静かにそのまはりを取巻き
目に見えぬ星辰の中央に
輝く太陽はその歩みをつヾけ
光を浴びて突立つ建物は
旅館観海楼と
わるい案内人に指さされはしたが
市中は秋の晝を和やかに眠り
遠く紡織の煙のみが生々と
紡錘形の雲を漲らしてゐるのが見えた
手提鞄の案内記で承知したところでは
こヽは百年前までは安倍大内記の御城下で
わたしもその一族の貴公子と交あつたことがある
彼は当時泥酔して
電車の駅に佇つてゐたが
その鼻は高くその丈はすらりとして
たヾ少し猫背で人々を見下してゐた
今は宮内省の主馬寮に勤務し
わたしには寒暑にも見舞さへよこさない──
案内人は頬杖ついてベンチにゐたが
長い欠伸の後 わたしの耳もとで
昔の家老筋の娘の経営する
小いカフエへ案内しようといふ
城壁を攀ぢ降りて
タバコやの角を折れ
練塀小路をゆけば
小い駅前で彼女は
夜の待機の姿勢を
二階の四畳半で專心してゐたのが
訪なひを聞いてトントンと降りて来
店の隅に囲つてゐた中学生たちの頭を撫で
私たちにしづかに会釈を与へたが
チリメン皺のかげから
中学生たちのふかす
安い煙草の煙が立ちのぼり
かうして日が暮れるかと私は途方に迷つた
帝政時代の追憶
人々は帝政時代をともすれば讃美し
今の共和政をプロパガンダにすぎぬといふが
老いたわたしから見ればそれは謬りであろ [※未完]
【抹消】わたしが二十代の帝政末期には
様々のプロパガンダが様々の形であり
紀元節といつた式で皇帝の讃歌を
生徒たちはまちまちの曲で歌つたあとで
皇帝万歳を盛んにとなへたものだ【抹消】
十一月六日
精神文化講習で、平泉スマシの悲憤慷慨を聞く。[※平泉澄]
敵の陣営を覗くのは良いものだ
タンポポ帝国でも方々に
そのためスパイを派遣してゐる
教授は壯んに清貧を説いたが
彼の棒給はいくら位あるか
彼はこの講演でいくら銭をかせぐか
彼の祖先は義貞を藤島で殺した
平泉寺の悪僧の一人ではないか
彼は若年で博士の学位を得
しかも尚ほ野心にみちみちてゐるが
更に若く更に貧しい小学教員共に
何の忠君愛國を強要する権利ありや
彼は低声に しかもりつぱな声で
壇下をにらみ付け 盛んな拍手で
なで肩をゆすぶつて降壇してゆく
ホフマンシユタール
旅のうた [※Hofmannsthal:Reiselied]
われらを呑まうと水は墜ちて来る
われらを打たうと岩は轉がつて来る
鳥は力強いはばたきで
われらを攫み去らうとかヽつて来る
しかし下方には土地がある
果実は見わたすかぎり
齡ひ[よわい]をもたぬ湖に影を映してゐる
大理石の額(ヒタヒ)と井戸の縁とが
花咲く野から聳(タ)つてゐて
そよ風が吹いてゐる
[※原詩
Wasser stürzt,uns zu verschlingen,
Rollt der Fels,uns zu erschlagen,
Kommen schon auf starken Schwingen
Vögel her,uns fortzutragen.
Aber unten liegt ein Land,
Früchte spiegelnd ohne Ende
In den alterslosen Seen.
Marmorstirn und Brunnenrand
Steigt aus blumigem Gelände,
Und die leichten Winde wehn.
春近きころ [※Hofmannsthal:Vorfrühling]
春風が
裸の並木道を吹いてゐる
その風の中に
ふしぎなものがある
涙のあるところでは
彼は体をゆすぶり
みだれた髪の毛には
身をかヾめた
彼はアカシアの花を
ゆすり落し
呼吸づき乍らもえ立つ
四肢をひやした
笑つてゐる唇に
彼は手を觸へ
やはらかく萌え立つ
草原をくまなく搜しまはつた
笛の中をすヽりなく
叫びとなつてすべりぬけ
たそがるる赤色に
飛び去つた
ひそひそ声のする部屋は
もだして吹きとほり
懸ラムプのうすらあかりを
おじぎして消してつた
裸の並木路を
春風が吹いてゐる
ふしぎなものが
その風の中にある
高低ない裸の
並木路を
その風は蒼い影を
追ひまくつて吹く
そして彼が来たところから
匂りを
昨夜来
彼がもつて来た
[※原詩
Es läuft der Frühlingswind
Durch kahle Alleen,
Seltsame Dinge sind
In seinem Wehn.
Er hat sich gewiegt,
Wo Weinen war,
Und hat sich geschmiegt
In zerrüttetes Haar.
Er schüttelte nieder
Akazienblüten
Und kühlte die Glieder,
Die atmend glühten.
Lippen im Lachen
Hat er berührt,
Die weichen und wachen
Fluren durchspürt.
Er glitt durch die Flöte,
Als schluchzender Schrei,
An dämmernder Röte
Flog er vorbei.
Er flog mit Schweigen
Durch flüsternde Zimmer
Und löschte im Neigen
Der Ampel Schimmer.
Es läuft der Frühlingswind
Durch kahle Alleen,
Seltsame Dinge sind
In seinem Wehn.
Durch die glatten
Kahlen Alleen
Treibt sein Wehn
Blasse Schatten.
Und den Duft,
Den er gebracht,
Von wo er gekommen
Seit gestern Nacht.
十二月二十三日 独乙文学と私。
もし僕が、ペンクラブの使節としてでも南米あたりのある國へゆく、するとどこかの國と同じやうに早速新聞記者がやつて来て、インターヴユーを
とる、彼はやはりどこかの國の新聞記者のやうに、文学、就中、ドイツ文学については何も知らないに違ひないから、僕は昂然且つ悠然と答へるだ
らう。
「何故ドイツ文学が一番好きなのか」
「それは他の文学を知らないからさ。僕はイギリス文学もロシア文学もペルシア文学も、更に甚しくは日本文学についても殆ど知らないからだ。知
のないところに愛はないといふことわざを知つてゐるだらう。もし僕がも少し不正直なら、僕がドイツ文学を愛するのはその中に現れる理智である
とか、或ひは樅の木であるとか、青いバラの茂みになく夜鴬の歌であるとかが好きであるからだといふのだが」
「では、ドイツ文学では何といふ作家と何といふ作品とを愛するか」
「先づゲエテのフアウスト。シラーのある種の作品。最近の作家ではカロツサ云々」
「今後どういふ方面で活動されるつもりか」
「ドイツ文学の正しい紹介を行ひ度い。幸ひ日独協定もあることだし、大使館あたりが中心になつて、かういふ事業を援助発展さしてくれればいヽ
と思ふのだが。ともかくドイツ文学と日本文学の相似性、いひかへれば両國民性の近似点を求めて、日独親善の基点とする必要があると考へてゐ
て、この仕事にこそ男子が一生をかけてもいヽと考へる云々」
昭
和十二年
二月二十二日 塚口三郎博士逝去の由。
塚口克己の思ひ出
かつて海辺の小学校で
「克己同志だね」といつた友だちは
その後 肺を病んで死んだ──
俺はある日彼に再会しようと思つた
医科大学の標本室に彼を訪ねると
彼はその骸骨の顎骨を開いて
奥まつた眼窩に微笑を浮かべてゐたが
骨々の継目からは
少し錆の来た銀色の針金が見えた
父博士は「私もいつかここに骨を並べます」
といひ、老人の笑いを浮かべた口もとが
ほんとによく似てゐられるので悲しくなつた
三月十九日 及落会議。
陰山(一ニ大青山ト云フ)ノ北麓
百靈廟又ハ四子部落ノ辺リニ
(事件ノ性質上今ハ詳[つまびらか]ニスルヲ得ナイ)
彼ノ率ヰテヰタ蒙古兵ノ一部隊ハ
突如トシテ兵変ヲ起シタ
(尤モ蒙古人将校ハ既ニ三四日前ヨリ逃亡シ畢リ
紅イ傳單ヲ見受ケタ事モ一再デハナカツタガ)
彼ハ兵営カラ数町ノ
砂地ノ上ニ立タサレ
目カクシヲサレテ銃殺サレタ
ソノ後 彼ノ制服ト軍帽トハ
彼ノ従卒ノ有ニ帰シ
彼ノ肉ト骨トハ
蒙古犬ドモガ食ヒ盡シ
彼ノ日来愛読シタ松陰全集ノミガ
砂漠ノ間ニ残ツテヰタト云フ
×
一日春風吹き盡くして
夜 厠に立てば砂塵縁を埋めたり
わがこの家に住むも一年に近く
蝸牛の居中 黴埃堆く[うずたかく]なりたり
如かじ一巻の書を携へて
松岳梅林の間に逍遥せんには
六月十四日
支那の皇帝曰く [※Hofmannsthal:Vorfrühling]
(フーゴー・フォン・ホーフマンシュタール)
萬物の中央に
天子、朕(われ)住まひたり
朕が妃、朕が樹木
朕が畜、朕が泉水を
第一の城壁囲みたり
そが下にわが祖宗眠れり。
王者に相應しく
自が剱佩[は]き
自が冠を頭に戴きて
彼等墓窖の棺の中に住めり。
地の深奥に至るまで
朕の玉歩は鳴り響かす。
朕の玉座、朕の緑の足台より黙して
等分されたる流れ
東西南北へ
廣大なる地、朕が園を潅(うるほ)さんと流れ行く。
ここに朕が畜の
黒き眼、色様々の翼 影映し
外にては様々の都邑
灰色の城壁、密林
数夛の國民の面映れり。
綺羅星の如き朕が貴族輩は
朕が囲りに住みて、朕が
彼等の各々が朕の下に来たりし時に因みて
賜ひたる名を持ち
朕が贈りし妻を持ち
一群のその子どもを持ちたり。
この地上の凡ての貴族の
眼、丈、唇は朕が作りき
園丁が花作れると同じく。
また外城との間には
朕が騎士なる民
朕が農夫なる民住めり。
新しき城壁ありて、その外に更に
かの征服されし民
愈々愚鈍なる氣質の民
最後の城壁にして
朕が國土と朕を囲める海に至るまで住めり。
Rasenbänken芝生を植えた腰掛
[※原詩
DER KAISER VON CHINA SPRICHT:
In der Mitte aller Dinge
Wohne Ich, der Sohn des Himmels.
Meine Frauen, meine Bäume,
Meine Tiere, meine Teiche
Schließt die erste Mauer ein.
Drunten liegen meine Ahnen:
Aufgebahrt mit ihren Waffen,
Ihre Kronen auf den Häuptern,
Wie es einem jeden ziemt,
Wohnen sie in den Gewölben.
Bis ins Herz der Welt hinunter
Dröhnt das Schreiten meiner Hoheit.
Stumm von meinen Rasenbänken,
Grünen Schemeln meiner Füße,
Gehen gleichgeteilte Ströme
Osten-, west- und süd- und nordwärts,
Meinen Garten zu bewässern,
Der die weite Erde ist.
Spiegeln hier die dunkeln Augen,
Bunten Schwingen meiner Tiere,
Spiegeln draußen bunte Städte,
Dunkle Mauern, dichte Wälder
Und Gesichter vieler Völker.
Meine Edlen, wie die Sterne,
Wohnen rings um mich, sie haben
Namen, die ich ihnen gab,
Namen nach der einen Stunde,
Da mir einer näher kam,
Frauen, die ich ihnen schenkte,
Und den Scharen ihrer Kinder,
Allen Edlen dieser Erde
Schuf ich Augen, Wuchs und Lippen,
Wie der Gärtner an den Blumen.
Aber zwischen äußern Mauern
Wohnen Völker meine Krieger,
Völker meine Ackerbauer.
Neue Mauern und dann wieder
Jene unterworfnen Völker,
Völker immer dumpfern Blutes,
Bis ans Meer, die letzte Mauer,
Die mein Reich und mich umgibt.
幸福なる家
打開きたる露台にて 一人の老人
オルゲル[※風琴]彈きつヽ天に向ひて歌ひゐたり
その脚下の三和土[たたき]には
細き孫と鬚ある孫と剱術をなし
×
紫陽花の咲く縁側で
女が髪を洗つてゐる
汽車はその傍を通るとき
一声 疳高い汽笛を鳴らし、その時
雲間をやぶつて
日光が虹色に輝く
×
子供らは雨に退屈し切つて
鉄道唱歌を高声で歌つてゐた
まもなく嫁ぐ此の家の娘が
苺を皿に盛つて現れた
誰かが庭木の葉にゐる青蛙を見つけ
金魚は水盤の中で閃(ひか)つてゐた
×
何で此の日がたのしかろ
日々は日毎に暗澹と
わが死にの日は近くなり
日々は日毎に暗澹と
妻はまた子をひり出す
何で此の日がたのしかろ
Ce n'est pas vraid![※それは真実ではない!]
×
輝きて死ぬる虫あり
六月の暗き空より
一時を 輝き出づる日に映(アタ)り
燦々としばし輝き死ぬる虫あり
×
此の日々を稚き心もてくらす
わが弱き体愛(カナ)しみ
辱(ハヅカシ)め しばしわすれて
す直なる、返報知らぬ心も
此の日々をしばらくくらす
ああ眞晝 海の虫ども
水の面に 漂び上りて
水死人むさぼりくらふ その時ぞ
吾妹子は喘ぎて死にぬ
假なれど死(シニ)は悲しく
吾子(アガコ)さへ 先立つ勿れ
×
吾友は昨日死にたり
吾妹子は明日をばしらず
その面に死相出でしと
術師らが呪言(まじごと)聞きぬ
時も時 まひる星あり 東北(ウシトラ)の空に輝く。
九月初八日
朝登校聞饗庭源吾君轉任京都市立四條商業学校。君赴任浪速中学校在昭和十年四月、卒業大阪商大高商部直後也。其資性明朗快活雄辧而頭脳極明
晰、唯憾小心翼々力迎合人意。然交与我極深、至以爾汝。今聞是報而嗟嘆耳。但浪速中学校非君子之永住之處、君之決意尤可然歟。
午後教護座談会、畢而臨五十嵐達六郎君之嚴父君葬儀於阿倍野新斎場、見大高諸先生、其後会談与野田松下服部中島諸君、此間有大雨次雷鳴。
[※朝、登校し饗庭源吾君、京都市立四條商業学校に轉任するを聞く。君の浪速中学校に赴任するは昭和十年四月に在り、大阪商大高商部を卒業し
て直後也。其の資性は明朗快活雄辧而して頭脳極めて明晰、唯だ憾むらくは小心翼々にして力を人意に迎合す。然れども我と交りは極めて深く、爾
汝を以て至る。今是の報を聞き而して嗟嘆する耳。但だ浪速中学校は君子の永住の處に非れば、君の決意、尤も然るべき歟。
午後の教護座談会、畢りて五十嵐達六郎君の嚴父君の阿倍野新斎場に於ける葬儀に臨む。大高の諸先生と見ゆ、其の後、野田、松下、服部、中島の
諸君と会談す、此の間、大雨次いで雷鳴有り。]
九月初九日
登校、無事、午後訪田村家、未亡人縷々説家計、家産概貸金而当今之時節難回収云。
[※登校、事無し。午後、田村家を訪ふ。未亡人、縷々と家計を説く、家産の概ね貸金し而して当今の時節回収難きと云ふ。]
九月二十三日
履歴書
一.明治四十四年八月三十一日、大阪府人西島喜代之助、兵庫縣人田中これんを両親として生る。母の家を継ぐ。
一.明治四十五年(二才) 明治天皇崩御。妹千草生る。
一.大正六年(七才) 母死す。
一.大正七年(八才) 嗣母京都府人今井しづえ来る。大阪府泉北郡高石尋常高等小学校に入学。歌枕、高師浜の地也。
一.大正十二年(十三才) 転居の爲、大阪市浪速区惠美第三小学校に轉学。
一.大正十三年(十四才)
大阪府立今宮中学校に入学。伊原宇三郎、淡徳三郎、藤沢桓夫、武田麟太郎を出したる学校也。時に三年上級に石山直一(野上吉郎)、船越章あり。
一.昭和三年(十八才)
大阪高等学校文科乙類に入学。同級に保田與重郎、中島栄次郎、服部正己、松下武雄、松浦悦郎、松田明等あり、ロマン的学級と称せらる。隣級文甲に杉浦正一
郎、相野忠雄(若山隆)、竹内好あり。理甲に伊藤佐喜雄、一年上の文甲に、(三浦常夫)小高根太郎ありき。教授佐々木青葉村(歴史)、財津愛
象(漢文)を崇拝す。
一.昭和四年(十九才)
以後三年、野球部マネージヤーとして学業を抛擲して顧みず、詩誌「璞人」の編輯を野田又夫、奥野義兼より譲られ、松下、中島と編輯。一月にして保田と代
る。
一.昭和五年(二十才)
短歌誌「かぎろひ」を保田と創刊、編輯に当る。この頃、利玄、順に私淑す。肥下恒夫、病気休学中なりし爲この年より同級となる。この秋同盟休校あり。
一.昭和六年(二十一才)
茂吉、千樫を愛讀す。中野重治を好んで讀む。皆、保田が感化に依る。かぎろひ十号を以て編輯を中田英一に譲り、三月卒業。四月東京帝大東洋史学科に入学。
上京して柏井家に寄る。船越章と同室。この頃、盛にマルクス主義書籍を讀む。満州事変起る。
一.昭和七年(二十二才)
三月、コギトを肥下、保田と共に発刊。薄井敏夫及び前掲諸氏夛く同人たり。この頃佐藤春夫、志賀直哉を耽讀、ハイネ、シユトルムの詩を愛して訳に努む。伊
東静雄と識る。
一.昭和八年(二十三才)。松浦悦
死す。北園克衞、近藤東等のマダム・ブランシユの会員となる。酒井正平、川村欽吾、饒正太郎と親しむ。卒業論文の爲、やや東洋史を学ぶ。
一.昭和九年(二十四才)。学成り畢つて帰郷職なし。新聞社の試験を受けたれど通らず、遂に大阪市私立浪速中学に奉職す。先輩清徳保雄の推輓
による。
ノヴアーリス「ハインリヒ・フオン・オフテルデインゲン」をコギトに訳載。
一.昭和十年(二十五才)。五月、柏井悠紀子と結婚。
一.昭和十一年(二十六才)。「歴史学研究」に卒業論文の概要を「清朝の支那沿海」と題して載す。オフテルデインゲン「青い花」と題して第一
書房より発行。七月、一子史(ふびと)を挙ぐ。「四季」同人となる。服部正己と「ザイスの子弟」を共訳、山本文庫より「ヒアシンスと花薔薇」
と題して出版。
一.昭和十二年(二十七才)。正月、石浜純太郎先生に就く。清徳保雄死す。夏、上京。佐藤春夫先生に就く。史学、文学に共に師を得たり。支那
事変大に起る。
日録
終日無爲(秋季皇靈祭休日)晝寝。妻子往田辺。夜澤田君来訪。
九月二十四日
本日饗庭氏後任吉野廣氏来任。午後訪問杉浦正一郎。夜無爲。
十月一日(金)、雨降。
正午與眞野吉之助氏諍論、左記其大体。
初我与渡部氏在図書室、眞野氏入室曰、
マ・本日職員会事由如何。
ワ・國民精神総動員之爲也。
マ・何謂総動員、若人與我金、我幹事、若不與、則我不能。
田・非金銭之事、要足励精職務、然猶当研鑽國民精神。
マ・我不能、我地位甚卑、我棒給料很賎。
田・勿云、勿云、卿爲教育者、何爲此言、我不忍聞斯言。
マ・我不能、我地位卑、我棒給賎。
田・卿常出斯言、再勿謂於我面前、若使我爲校長、我誓馘卿首。
マ・願卿爲校長。
田・我亦希望之久。然卿常出斯言、我不堪聞。(退去)
・・・・・・・於教員室
マ・我等両人須退職。
田・何謂、我不知當退職之事由。
マ・喧嘩両成敗。
田・然則卿喧嘩再三、何嚮日不罷。
マ・卿不罷乎。
田・不罷。
マ・其反日本精神甚。
田・不然。
マ・若我等両人在学校、其毒学校最甚。
田・我不認其事態。乞卿暫黙。
[※
正午、眞野吉之助氏と諍論す、左に其の大体を記す。
初め我と渡部氏と図書室に在り、眞野氏入室して曰く、
マ・本日の職員会、事由は如何。
ワ・國民精神総動員の爲也。
マ・何ぞ総動員と謂ふや、もし人我に金を與ふれば我幹事とならん、若し與へずんば、則ち我能はず。
[お金が出ないんなら、私はやらんよ]
田・金銭の事に非ず、職務を励精する足るを要す、然らば猶ほ当に國民精神を研鑽すべし。
マ・我、能はず、我が地位甚しく卑にして、我が棒給の料、很[はなは]だ賎[やす]し。
田・云ふ勿れ、云ふ勿れ、卿は教育者爲り、何ぞ此の言を爲すや、我、斯の言を聞くを忍びず。
マ・我、能はず、我が地位卑し、我が棒給賎し。
田・卿、常に斯の言を出づ、再び我が面前に於て謂ふ勿れ、若し我をして校長爲らしむれば、我は誓って卿を馘首するなり。[もし私が校長だった
ら、あなたなんか絶対クビにしてやる]
マ・卿の校長爲らんこと願ふ。 [校長になってよ、たのむわ]
田・我、亦た之を希望すること久し。然れども卿常に斯の言を出す、我、聞くに堪へざり。(退去)
・・・・・・・於教員室
マ・我等両人、須らく退職すべし。
田・何をか謂ふ、我は當に退職すべきの事由を知らず。
マ・喧嘩は両成敗なり。
田・然らば則ち卿の喧嘩は再三なり、何ぞ嚮日[前に]に罷めざる。
マ・卿、罷ざる乎。 [やめんつもりか]
田・罷めず。
マ・其れ日本精神に反すること甚し。
田・然らず。
マ・我等両人が学校に在るが若きは、其の学校を毒すること最も甚し。
田・我、其の事態を認めず。乞ふ卿、暫く黙れ。]
十月六日(水)霽
午後四時、故田村金之助氏(金剛院義山良佑居士)五七忌也。赴彼邸、其後被招待於歩兵八連隊南「南浦園」。席上聞、大谷集翁之談、四十年前、
聘妓僅々三十銭、雲呑一杯五厘、麥一升一銭五厘、米一升四銭五厘耳。
〒「日本歌人」十月号。
十月七日(木)
築地座主宰、友田恭助、爲工兵伍長而戦死於上海戦線之由、哀悼久之。
十月八日(金)
午後訪問中島栄次郎。囲碁五番、勝越一番也。
〒川久保悌郎氏。彙文堂
十月九日(土)
朝、会田村春雄君於車中。午後卒業生大江紀作君携一瓢来飲。
十月十日(日)晴
午前、與妻子[妻子と]観千草[※妹の]婚嫁衣裳。得間訪服部正己於宅、會々[たまたま]長野敏一来會、聞昨日辞職浪速時報社、創立ヒルネオ
ン商会。書紹介状(松浦元一氏宛)
十月十一日(月)快霽
自松下、野田又夫君之「デカルト」出版記念会案内状来。夜赴於皇典研究所主催講演会、初河野省三講話、愚論可嗤、次陸軍中佐来、次電影。十一
時半帰宅。
十月二十三日(土)
爲妹結婚式上京。夜十時半汽車、與田中城 、昌三二叔父及大江叔母、飲麥酒小罎一本畢酣酔。
十月二十四日(日)
午前八時半着京、直入軍人会館。少憇後訪問川久保君於阿佐ケ谷新居、小松清之近傍也。
次訪松本善海。午後二時帰館。改装朝服、列席婚禮、神式也。喜悦有餘、不覚催感涙。夕刻有披露宴。
新郎友人総代吉原飛行士、在近席、新郎諸妹亦在近傍。宴終到柏井家。
十月二十五日(月)
訪妻之祖母於松田家。午後訪問第一書房与長谷川、春山二氏会談、其後会與コギト同人(肥下、保田、薄井、小高根)及長尾君、於杉田屋印刷所。
自保田聞中原中也之訃、夜出於新宿。
十月二十六日(火)
出京。先於乗車、訪西川英夫於会社、不在。列車中隣於一出征兵士、茨城縣筑波郡之人、齡三十五六才。
云有家児五人、覚責任却很重大、但願戰爭早休止云云。訣別於名古屋駅、十時着田辺之父宅。[※十一月十二日記事参照。]
十一月三日(水)
明治節。雨天、運動会中止。式後、開○○会於阿倍野加都良城。
会畢、訪中島栄次郎。囲碁十数番、中島常先一番之超勝也。
十一月六日(土)
文芸首都原稿「格吉図六年史」(※未確認著作)書畢、以速達便送之。
儒林外史
儒林外史は清の康煕乾隆間の人、呉敬梓の著した警世小説とも称すべきもので、此種類の支那小説中最も傑作の名が高い。呉敬梓は安徽省全椒縣の
生れで、家は代々官吏を出した名門であり、甚だ福裕でもあったが、彼が家を嗣ぐや産を治めずして次第に家門が傾いた。此時安徽巡撫趙國麟が才
名を聞き、博学鴻詞科に薦めたが遂に赴かず、家益々貧となるや(江寧(南京))に移り、茅屋にただ古書数十冊のみを擁して日夜自ら娯しんでゐ
たが、遂に五十四才にして其地に没した。
著書には此儒林外史以外に、文木山房集(詩集七巻、文集五巻)及詩説七巻がある。かやうな経歴の人故、この小説は全く時勢を遂ひ栄達を求める
讀書人階級を白眼視し、辛辣なる筆鋒を巧みな叙事の中に蔵めてゐるが、かヽる筆法は実は支那小説の常道であると云つて過言でなく、近くは魯迅
先生の小説にある諷刺の味も、この脈を引いたものではあるまいか。
この小説は程晉芳の呉敬梓傳に據れば、五十巻と云ひ、金和の跋では五十五巻と云ひ、天目山樵評本では五十六巻であり、齋省堂本では六十巻とい
ふ。蓋し傳寫益々夛きを加へて自ら差違を爲すに至つたのであらう。自分の見た本は五十五回本であつて附 一巻がある。
この小説を紹介する動機となつたは、青木正児[まさる]先生の「支那文学概説」(昭和十年弘文堂發行)に、李渙以来称せられてゐる「三国史」
「水滸傳」「西遊記」「金瓶梅」の四大奇書に今や「紅楼夢」及び「儒林外史」を加へて六大奇書とすべきである、と云はれてゐるのを讀み、かね
がね讀了したく思つてゐたところへ、今夏佐藤春夫先生にお目にかかつた際、先生もその面白味を激賞してをられたので、懶惰の身に鞭つてかくは
略述するのである。
第一回
人生南北夛岐路、將相神仙、也要凡人做
百代興亡朝復暮、江風吹倒前朝樹」
功名富貴無憑據、費盡心情、総把流光誤
濁酒三杯沈酔去、水流花謝知何處」
[※人生、南北岐路多ければ、將相・神仙もまた凡人の做ひを要す
百代の興亡、朝また暮、江風は吹倒す前朝の樹。
功名富貴、憑る據なし、心情を費し盡せども総じて流光を把らんとして誤つ
濁酒三杯、沈酔して去らん、水流れ花謝(しぼ)む、何れ處か知らん]
この一首の詩は年寄の口ぐせであつて、人生の富貴は身外の(みにつかぬ)物であることを云つてるのだが、実際は、
世人は一旦功名を見ると生命を捨てヽも之を求め、手中にした後はじめて、その味はひ蝋を噛むに似たるを知るのである。しかしこのことを昔から今に至るまで
看破り得たものがあらうか。
次に紹介する人だけが只一人の例外である。
元朝の末に一人の名利に拘らぬ人が出た。姓は王、名は冕[べん]と云ひ浙江省諸曁[しょき]縣の人であつたが、七才の時父に死に別れた後は
母の針仕事で村の学校に通つてゐた。
十才になるとそれもいけなくなつて隣の家の牛飼に雇はれた。この後は毎朝牛を湖の傍の野につれて出、夕方帰つて来て駄賃を貰つたが、
感心なことにはそれを他に使はないで一二ケ月すると本屋へ行つて幾冊かの古本と換へ、牛を放した後、柳の木蔭で讀むことにしてゐた。
かうした三四年たつたある日のこと、丁度黄梅(つゆ)の時に当つて天気があまり蒸暑いので、牛飼も倦く緑の草の上にねころんでゐると、たち
まち黒雲が一面に覆ひかぶさり、
一陣の大雨が降つて通つた。やがて黒雲のふちから白雲があらはれ、其の雲がだんだん散つて一すぢの日光が射して湖はまつ赤になり、湖畔の山は青いのもあり
紫や緑のもあり云ひやうもなく美しい。
一方木々の枝はすべて雨に洗はれて一しほ色がまし、湖の中の蓮の花は花びらの上に露がたまり葉の上からは露がころころと滴りおちる。
この有様を見て、王冕は画工になつてこの蓮の花を描きたいと云ふ気になり、それからは銭がたまつても本を買はないで、人にたのんで城内で臙
脂[えんじ]や鉛粉の類を買つて来て貰ひ、
蓮花を描く練習をはじめた。三個月もすると、あの時の蓮の花に一つもたがはず、まるで湖からとつて来て紙にはりつけたかと見るまでの絵が出来たのである。
村の人もこれを見て銭をもつて買ひに来る人まで出て来た。王冕は其の金で母親に孝行してゐたが、これを聞きつけて買ひに来る人が縣内到るとこ
ろからといふ有様になつた。
しかし王冕は官爵をも求めず、朋友をも納れず、終日戸を閉して書を讀んでゐた、が、ある日楚辞の図の屈原の衣冠を見て、さつそくそれに似た
衣と冠を作つて、
花明柳媚の頃には牛車に母親をのせ、歌曲を唱ひ乍ら村はづれの湖辺まで行くので、子供たちが笑つて跡をつけて来ても意に介せぬといふ風であつた。
ところが一日、王冕の許へ諸曁縣の頭役(こづかひ長)で翟[てき]といふのがやつて来て、知縣が王冕の絵を欲しがつてゐると云つた。
王冕は隣の主人がうるさくすヽめるもので止むを得ず承知し、二十四枚の花卉の絵を書き、上に詩を題した。知縣はそれを翟から聞いて二十四両の銀子を出し
た。
翟は其の中から十二両を懐にしまひ込み、十二両を王冕に渡して画帳を持つて帰つた。
この画帳を何うするかと云ふと、此時諸曁縣の出身で前の大官であつた危素といふものが帰郷してゐて、この人の帰郷の際には天子も城外まで送
られ手を握つて十数歩歩かれ、
危素が再三おことはりしてやつと轎に乗つて回られたと云ふ位であり、且は知縣の挙人試験官でもあつた。此人の機嫌を取るため当時縣内で有名であつた王冕の
絵を求めたのであつた。
さて危素は此の画帳を貰ふと愛玩して手から釈かず、次の日さつそく知縣の許へ礼に来て、作者を問ひ、一度会ひ度いと云ふ有様に知縣は大に喜
んで造作もないことヽ受合つた。 翟が又王冕の許に遣されてその旨を伝へると、王冕は一介の農夫であるからと云つてどうしても聞かない。
翟は顔色をかへて「一縣の主が一人の百姓を動せぬと云ふことがあるか」とまで云つたが聞かぬ。隣の主人が「古から滅門の[皆殺しの]知縣と
云ふではないか」と云つたが聞かぬ。
そこで隣の主人が三銭二分の銀子を翟に与へて帰つて旨く云つて貰ふこととしたが、此由を聞いた知縣は、
「これは虎の威を借る狐的に翟のやつが威張り散らしたもので、官吏(やくにん)を見たことのない奴が怖がつたのであらう。
自分は危素先生に受合つておいて呼べぬとあれば笑はれるであらう。仕方がないから村へ行つて呼んで来よう。知縣がわざわざ来たと聞けば大ゐばりでやつて来
るかもしれぬ」。さう考える一方、「堂々たる縣令が一人の村人に会ひに行くとは役所の奴等の笑ひ話にはならぬかしら」とも考へたが、「先生の
先日の口ぶりではよほど尊敬してをられた様子である。その上、尊きを屈して賢を敬する、なら後に本にでも書いて貰へるかも知れぬ、これこそ万
古千年不朽の仕業である」と自問自答してやつて来た。
しかるに王冕はわざと親類に行つて留守であつたから、知縣はその無禮を怒つて直にも罰しようと思つたが、危素の思惑をかねてやつと耐へて帰
つて行つた。
かヽる有様で王冕の身辺は甚だ危くなつた。彼は母親を隣の主人に頼んで山東省の済南[さいなん]府に来て、こヽで画を畫[描]いて賣り生活を立てヽゐる
中、 黄河の堤が決(き)れて沢山の被難民がやつて来た。
これを見て王冕は天下の将[まさ]に乱れんとするを知つて故郷に還つたが、時に危素も朝廷へ還り知縣も栄転した後であつたから、無事に家に
戻つて母親に孝行を盡す中、
六年たつて母親が死んだ。その後三年の喪に服したが、一年たたぬ中に天下が大に乱れ、浙江には方國珍が據り、蘇州には張士誠、湖広には陳友諒が據つたがす
べて天下の主ではなかつた。
たヾ明の太祖朱元璋は滁陽に兵を起し、金陵を得て呉王と称したが、これこそ王者の帥(いくさ)であつて、忽ちに方國珍を破つて浙江を取つた
から、 おかげで町も村も騒ぎなしですんでしまつた。
ある日の午ごろ、王冕が母親の墓の掃除を終へて帰つて来ると、十幾騎の軍人が村へ入つて来た。
頭立つた一人は頭に武巾を戴き、身に団花戦袍[じんばおり]を穿(き)、色白で美しく眞に王者に相応はしい人であつたが、馬を下りて王冕に、
「こヽが王先生の御宅でせうか」と尋ね、王冕が「わたしが王冕で、こヽが家です」と云ふと、「これは甚だ有がたい。特にお目にかかり度くて參
つたのです」と云ひ、馬をつながせて家の裏に入り王冕の問ひに答へて朱元璋と名乗り、方國珍を平らげた序に先生に会ひに来たので、浙人の心を
服する法は如何と問うた。
王冕は、仁義を以て服すれば何人か服せざらんと答へ、之には元璋も感服して嘆息した。その日は日暮まで談じて朱元璋は帰り去つたが、その後数
年ならずして天下を平定し、 大明と国号を建て洪武と年号を定めた。
危素は元の臣であつたが既に明に降つて重く用ひられてゐた、が、自ら尊大に構へたために太祖の怒に触れ、和州へ左遷された。この後、禮部で
官吏登用の法を定め、
三年に一度試験を行ひ、四書五経を課目とし八股文で答案を書くことヽ定めた。王冕は之を聞いて悦ばずして云つた。「これより讀書人はこの栄身の路のみを重
んじて文学を軽んずるに到らう。」
洪武四年の夏、王冕は夜、星を見て「文昌星を貫索星が犯してゐる。一代の文人が厄にあふのだらう」と云つたが、果してこの後、人の噂で朝廷
では浙江の布政使司に詔を下して、王冕を官に任じようとしてゐると云ひ、次第にやかましくなつて来たので、
遂に会稽山に遁れたが、その後半年して朝廷から咨議參軍の職を授けるとの詔をもつて大官がやつて来た。王冕はその後会稽山にあつて姓名を云はず、後、病を
得て世を去つた。
この人こそ一日も官にならず、栄達を欲せぬ只一人の人であつた。
第二回
さて山東省兗州[えんしゅう]汶上縣[ぶんじょうけん]に薛家集[せつかしゅう]といふ村がある。丁度成化の末年天下繁盛の頃に当つて、村
の主だつた人たちが正月八日に相談のため村の寺に集まつたが、その席上、申祥甫といふ頭だつた人が云ひ出すには、
「家の子供も大きくなつたので今年は先生を呼ばねばならぬが、この観音庵を学校にしたら何うだらう」。衆人(みんな)が之に賛成して
「われわれの中にも学校へゆく子供のある家が多い、ついては城内から先生を呼んで来るが好からう」
この時申祥甫の親戚で、集の総甲に任ぜられてゐる夏といふ者が云つた。「先生なら一人ある。わたしの役所の税金取立方の、顧だんな[旦那]
のたのんでをられた先生、周進と云ふ人で六十何歳になる。
前の知事さんが第一等に推薦されたことがあるがどうしたものかまだ学生[科挙の位]に中つてをられぬ。顧旦那の家では三ケ年来て貰つてをられたが、
昨年顧小舎人(わかだんな)が学に中りなさつた。この村の梅三相と同じに中られたわけだ。その日縣学堂から帰つて来なさる時、
小舎人は頭に方巾を戴き、身には大紅袖をつけ、知縣さんの馬小屋の馬に乗つて笛や太鼓でどんちやんやつて家の門口まで来なさる。
俺たちは役所の者と一緒に迎へて祝盃をかはしたものだ。その後で周先生をも呼んで来て顧旦那が三杯つぎなさつて、それから上座に据ゑなさつた処、先生が芝
居を所望された。 その所望されたのは「梁灝 八十才 中状元
故事」であつたから顧旦那も少しいやな顔をされた。小旦那が八十になつてやつと状元に中ると思ひなさつたからだつたらうが、
その文句の中に梁の教へてゐる生徒が却つて十七、八才で状元に中るといふ唱があつて、これを聞いてはじめて喜びなさつたと云ふもんだ。もしお前さん方が先
生が要るなら、 俺は周先生を呼んで来て上げよう」
みんな之に賛成した。翌日、夏総甲は果して周先生に説いて、毎年の宿舎費を十二両とし、毎日二分づつを和尚へ利賄代として、正月二十日から
お寺を学堂にして学校を開くこととした。
十六日に顔あはせの宴があつて申祥甫の家に集まつた。村の新しく儒学生員に進んだ梅三相が、陪客(おしょうばん)になつて方巾をかぶつて早
くからやつて来た。
午前十時頃に周先生がやつて来た。犬の啼き声を聞いて申祥甫が迎へに出た。みんなが周の姿を見ると、頭には古い毛の帽子をかぶり、身には黒い紬の直綴[じ
きとつ]を着てゐたが、
右の袖と尻のところとはぼろぼろに破れてゐるといふ風であつた。周進は梅玖を紹介されると、謙遜してどうしても拝禮をさせないものだから、梅玖は、「今日
は格別です」といふがどうしても聞かない。そこでみんなが、「年齢から云へば周先生の方が上だ。先生、ちつときまじめもいヽかげんになさい」
と云ふと、梅玖が皆の方を向き直つて「君たちは我々の学校の規則を知らぬ。老友は小友と年を以て比べるべきでない。ただ今日は格別だから、周
さんに上座についてもらはう」と云つた。
もともと明朝の士大夫は、儒学の生員を朋友と云ひ、童生を小友と云ふ。この童生が学生員となると、十何才でも老友と云ひ、学生員になれねば
八十才になつても小友と云ふ。
丁度これは娘が嫁にゆく当座は「新娘」[シンニャン]といひ、後には「奶々」[ナイナイ]「太々」[タイタイ]と云つて新婚と云はないが、
もし嫁でなくて妾へゆくと、白髪になつてもまだ新娘と呼ばれると同じことである。
さて愈々、宴がはじまつて卓の上には猪頭肉や公鶏や鮮魚の肚肺肝腸の類が並べたてられ、みんなはまるで風が残雲をふき拂ふやうに食べ去る
が、周進だけは一口も食べない。 そこで申祥甫がわけをきくと周進は、「私は精進をしてゐるので」と答へた。
「これは失禮しました。どういふわけで精進をなさる」「先年、母の病中に観音様に願を立てヽ精進にしましたので、もう幾十年になります」。こ
れを聞いて梅玖が云つた。「先生が精進なさるといふので、面白い話を思出しました。先日城内の顧旦那の家で、先生のことを唱つた一字から七字
までの詩を聞きました」。みんながどんな詩か聞き耳を立てた。
『獃、秀才、吃長斎、鬍鬚満腮、経書不掲開、紙筆自己按排、明年不請我自来』
(ばか、しゅうさい、しょうじんれうりで、ひげぼうぼう、ほんもよまずに、ふでもとらずに、らいねんは、よばずもまいりやせう)
「こんな詩[※以下欠]
菓子を吃ひ終り、又一わたり酒盃を廻してから、燈火のつく頃になつて梅玖や村人たちは帰つて行つた。申祥甫だけは残つて宿の世話をした。
開館のその日になると、申祥甫はみんなと共に学生をつれて来たが、大小とりまぜた子供たちは先生を見ておじぎをした。みんなが帰つた後で周
進は書を教へた。夕方学生が帰つてから各家の授業料を開いて見ると、荀家だけは一銭銀貨に八分の茶代を入れてゐたが、他は三分の家もあれば四
分の家もあつた。銅貨十個ほどの家もあつて合はせると一ケ月の飯代には足りないが、周進は之を一まとめにして和尚へ預け、後で清算することと
した。子供たちは馬鹿な牛と同じく一寸目を放すとそとへ出て、瓦や石を投げ飛ばしたり、球を蹴つたりして毎日いたづらを止めない。周進は天性
を抑へて坐つて教へた。
覚えず二ケ月たつて気候が次第に暖かくなつた。周進は晝飯を吃ひ終つて裏門を開けて出、河岸を眺めた。村ではあるが川辺には幾つかの桃と柳
の木が植つてゐて、紅と緑がまじりあつて好いながめであつた。みるみる霧のやうに細い雨が降つて来た。
周進はこれを見て門内に入つて雨中の河岸を見てゐると、煙は遠樹をこめて景色は益々美しい。この雨が段々ひどくなつて来た。
そのとき上流から一隻の船が雨を冒して下つて来たが、河岸に近づくと[※以下未完]
十一月十一日(木)
登校聞知、富樫弘三氏之戦死。氏者浪速中学剱道講師。剱道六段、 性極温厚、他薄交之故不知之。午後弔問松屋町宅、有老母少女。
十一月十二日(金) 運動会。夜訪田村家。
秋の湖 [※十月二十六日記事参照]
僕たちは秋の半日を一緒に暮した
下り列車の三等席のきまりゆゑ
膝つきあはせて親密に
語り合うた
「北支は今は寒いでせうね
私は筑波山の北の麓の生れ
家には五人の子どもがあります
村人たちが旗を立てヽ送つてくれました
子供らゆゑ あの人たちゆゑに
しつかりやらにやならんと思ひます
東京には十日居りました
あの畑に白いはそばでせうか
なんと唐辛子が沢山植つてますね
こヽらは私の國よりずつと豊かなことですね」
汽車は轟々と鉄路を走り
午すぎて一條の鉄橋をわたる
秋の遠江の濱名の湖
日は昃り 船は向ふ引佐の細江
山々はおだやかに湖をとりまき──
兵士はじつと眼をすゑて
樂しげに云ひ出す
「いくさのおかげで珍しいとこを見ました」──
十一月二十日(土)
信州追分油屋全焼之由、今夏八月五六七、三日間逗留之処也。
今日訪問中島栄次郎。
十一月二十二日(月)
放課後、与校長教頭訪問辻先生家庭。
十一月二十三日(火)
新嘗祭休日。妻子往于吹田田中三郎宅、予同車赴京都。列席於東洋史談話会、藤枝、今西、鴛淵諸氏。講説畢而晩餐会。羽田博士、井上以知爲氏、
岡崎博士、石浜先生、三上次男氏並予卓話。出於室
外則燈火管制。與石浜先生帰阪。書信於羽田明君。
十二月二十一日 原君と会ふ。
王國維先生 觀堂集林 巻六
○釋史(我子「史[ふびと]」のために)
[※「史」の字を釋す]
説文解字ニ「史」ハ「事」ヲ記ス者也。「又」ニ从ヒ[したがひ]「中」ヲ持ツハ中正也。[※从又、持中。中、正也。]
其字、古文篆文並ニ[㕜]ニ作リ[*]ニ从フ(秦の泰山刻石ノ「御史大夫ノ史」、説文[※を注釈した]大小徐[※徐鉉・徐鍇の]
ニ本、皆此ノ如ク作ル)ト。
古文ヲ案ズルニ中正ノ字ハ[*****5種]ノ諸形ニ作リ、而シテ伯仲ノ仲ハ[*]ニ作リ、[*]ニ作ル者ナシ。唯篆文始メテ[*]ニ作ル。
且ツ、中正ハ無形ノ物、徳ハ手持スベキニ非ズ。然ラバ則チ「史」ノ从フ所ノ中ハ果シテ何物ナル乎。
呉氏大澂曰ク、「史」ハ手簡ヲ執ル形ヲ象ル、ト。然レドモ[*]ト「簡」ノ形トハ殊ニ類セズ。
江氏永「周ノ禮疑義挙要」云フ。
凡ソ官府ノ薄書ハ之ヲ「中」ト謂フ。故ニ諸官言治中受中小司寇断庶民獄訟之中ハ
[※故に諸官(の官名)を「治中」「受中」と言ひ、「(周禮)小司寇」の「庶民の獄訟の中を断ず」(の「中」)は]
皆薄書ヲ謂ヒ、猶ホ今ノ案巻ノゴトキ也。此レ「中」字ノ本義。
故ニ文書ヲ掌ル者、之ヲ「史」ト謂ヒ、其字「又」ニ从ヒ「中」ニ从フ。
「又」者(ハ)右手ニシテ手ヲ以テ薄書ヲ持スル也。「吏」字「事」字、皆「中」ノ字有リ。天ニ司中星[※中を司る星]有リ、後世「治中」ノ官
有ル、皆此義ヲ取ル、ト。
野原を [※訳詩]
雲は天を翔けてゆき
風は野原を吹いてゆき
野原を 母さんの
失した子が彷徨つてゆく
通りを木の葉は散つてゆき
木々では鳥が叫んでる
山を越えればどこかしらに
遠い故郷があるはずよ (ヘツセ)
[※原詩
Über die Felder . . .
Über den Himmel Wolken ziehn,
Über die Felder geht der Wind,
Über die Felder wandert
Meiner Mutter verlorenes Kind.
Über die Straße Blätter wehn,
Über den Bäumen Vögel schrein ―
Irgendwo über den Bergen
Muß meine ferne Heimat sein.]
エリザベート [※訳詩]
高い空に漂んでる
白雲のやうに
白く美しくはるかな
あなた エリザベート
雲はゆきさすらふけど
あなたは見もしない
でも暗い夜 あなたの
夢の中を通るでせう
ゆき乍ら銀色に光るものゆゑ
小休みもなくあなたは
その白い雲に甘い懷郷心を
感じられることでせう
[※原詩
Elisabeth
Wie eine weiße Wolke
Am hohen Himmel steht,
So weiß und schön und ferne
Bist du, Elisabeth.
Die Wolke geht und wandert,
Kaum hast du ihrer acht,
Und doch durch deine Träume
Geht sie in dunkler Nacht.
Geht und erglänzt so silbern,
Daß fortan ohne Rast
Du nach der weißen Wolke
Ein süßes Heimweh hast.]
永暦十一年七月 明の延平郡王 鄭成功は
艦船を率ゐて北伐の途に上つた
根據地の厦門には一族の鄭泰と宿將の洪旭とが留守をし
その他の將兵はすべて出征した
厦門を出て金門島の岬を廻り 泉州湾を外れて大海に出ると
浪は急に暴く 島影は見る見る西南に小く低くなつて行つた
船内で成功は諸將と協議し
先づ興化府の黄石地方を侵掠し、別に甘輝等は涵頭地方を暴した。
侵掠の結果は甚だ好成績で 三日の間に各船とも米粟が山の様に積み込まれた
清軍は手出しもしなかつた
その次には福建の省城 福州の入口である関安鎭に侵入し
こヽへ王秀奇を残して更に出発し
八月十二日には浙江省の台州の門戸である海門港に入ると
こヽを守る清將 張捷 劉崇賢等が小癪にも発砲して来たが
これにかまはず黄岩縣を攻め
守將 王戎に城下の誓をさせ
十八日には台州府を攻めた
此時 軍の威儀堂々たるを見て
台州の總兵官 李必は讃嘆し
又前任の總兵官 馬信は既に鄭成功に降つて重用されゐると聞いて
城上の旗の樹て方もうろたへた様であつたから
鄭成功は馬信を遣して招くと忽ち降参した
二十六日の開城に文官たちは府縣の戸籍簿と徴税の台帳とを献上する
係の楊英が城中の倉庫に入つて
帳簿と合して見て三千余両の銀をとり出した。 十二月三十一日
盛宣懷が外債による鉄道國有を宣言し
四川の人士が夛く反抗した時は
彼は十二才で長沙の高等小学にゐたが
級友たちは盛宣懷の首を作つて之に石を投げ
その一人は十一才の呂・・・といつたが 演壇に上つて
慷慨淋漓の演説をし
満座は感動して涙を流した
昭
和十三年
一月一日
四川は古の屬漢の國
先主 劉備とその遣嘱を受けた孔明が
魏呉と鼎立して天下三分の形をなしたところ
山々は凡て此の盆地を囲繞し
そこから鴉礲江、岷江、嘉陵江、沱江の諸川が平行して降りて来る
岷江がその支流の西康省から流れてくる大渡河を
入れる地は宋代以来の名邑で昔の嘉定府、今は樂山縣といふ
西に聳つて峨眉山がある
一八九一年、彼[※郭沫若]はこの地に生まれたといふから今年は四十五才だらう
彼が中学に居つた時、辛亥革命が勃発し
就中 四川は鉄道國有問題から巡撫 端方が殺され
革命の口火の切られた地であつた
民國三年 彼は日本の福岡医科大学に遊学して
解剖学や病理学を専心に学んだ
所以は民國の民生を救ふ爲に
遅れた西洋文明を民國に輸入しよう
中でも医学こそ最もそれに適切と考えたからである
民國五年に大学付属医院の看護婦 安哪(アンナ)と彼は恋に陥ち
後に共に家庭をもつたのがそのひとである
但し彼は已に四川で当時の支那に普通な如く
少年にして結婚をしてゐたことは云ふまでもない
この恋愛が彼に与へたものは
彼をして文学を愛さすことを教へ
就中 歌徳(ゲーテ)と雪莱(シエリイ)とを愛せしめた
ミユーズがヴイーナスと同盟を結んだ時に
常に人々が爲さしめらるヽと同じく
彼は浪曼的となり、浪漫主義を愛した
彼は歌徳の恋の歌を訳し、若き維特(ヴエルテル)の悩みを訳し
雪莱がネープルス湾畔で傷みて作つたスタンザを訳し
施篤漠(シユトルム)の茵夢湖(イムメンゼー[みずうみ])さへも訳した
私はこの小説を甚しくは好まない [※未完]
二月十五日 筒井薄郎[教え子]と池田日呂志君。 帰宅、立原の手紙。
[※二月十二日〔土〕田中克己宛 立原道造書信〔東京發〕
夕ぐれが室内をもう暗くしはじめました。
すべてのとほくに住む人の心が、急に僕に近く訪れるやうなおもひにかられます。それは却て奇妙な情熱のやうに――僕は、長いもの思 ひから、灯をいれて、不意にあなたにおたよりしはじめます。
それは、けふ、古いコギトをよんでゐて、晝間のうちずつと、あなたのことをかんがへてをりましたから。松浦ス郎忌のためにや、ズスヘンの歌など。そしてあなたのことをたいへ んになつかしくおもつてをりましたから……
追分油屋でお會ひしたときに、僕があなたにあるひとつの部屋を指さして、あの部屋で僕ははじめて、コギトにのつた詩「風に寄せて」 を書いたのですとおはなししたことをおぼえてお出ですか。「風に寄せて」の一聯の詩、リルケにならって名づけるならば 「Zephyr[西風]」といふ詩たちが生れたあの部屋も、もうなくなつてしまひました。何かしらなくなったもののことからあなたに おはなしはじめるのはやはりかなしいことです。失ふことがあまりにも多い日の言葉は、かへつてもつとたのしくありたいとおもひますの に。しかし、かうした夕ぐれに、もう何年かまへに、美しかつた大気のなかで、おなじゃうに、夕やみにとざされて行ったあの部屋。そし て、そのなかに今よりもずつと稚く坐つてゐた自分の姿などが、かなしい慰めにみちた歌になります。追憶は決して何物も質問しません。 ただ僕の失つて行つたもの、あるひは得て来たものが、無限にとほくにそれをおしやります。僕には距離がなくなりました。昨日の歌の追 憶も、とほいあのときの歌の追憶も、ただ無限にとほいあたりで、咲く花がにほふやうに、肉體の感覺にそれと感じられるほどの場所を持 つばかりです。あなたと街道をとほくまで歩いた夕ぐれの灰色だつた景色。そのときに僕らは何をはなしたか、みな忘れてしまつてゐま す。それならばあれは朝だつたかも知れません(あの高原では、ときどき、一日がまったく長い夕ぐれのやうな、灰色のうすらあかりにと ぢこめられる日がつづくことがあるのですから)あのときに犬や子供が親しい同伴でした。僕らのはなしたことよりも、かへつて、そんな 同伴にあなたがときどき示された動作がなつかしく思ひおこされます。あなたは犬を追って駆けられました。それから丘の草のかげにのぼ つて下の街道をやって来る三好さんをおどろかされました。そして僕らは、あの油屋の建物のなかにかへつて行きました。堀さんの部屋で 「アベラールとエロイーズ」にされたことをこのあひだの四季でよみました・・・・・・今度、僕はまたあのちひさい旅行鞄を持って行き ました。それの底には、あなたのあの小さい安全剃刀が忘れられたまま、はひつてゐたのです。築地のあたりを歩きまはつたときに、あれ はすててしまって下さいとのお言葉を忘れてゐました。そしてあの火事にあひ、あの安全剃刀も灰になりました。金屬はやけてものこるこ とと、燒跡での何かの形見に、さがしたのですけれども、見つかりませんでした。僕は、持つて行つた「オオカツサンとニコレット」の本 などをなくしました。堀さんのなくした「アベラールとエロイーズ」は本郷の古本屋で僕が見つけてそのままにしておいたら堀さんに先に 買はれてしまった本でした。僕のなくした「オオカッサンとニコレット」は、ある日、堀さんにいただいた赤い小さい本でし た・・・・・・今夜は、あの夏の一日と、あの晩秋の一日とがいつしょに場所を占めてゐます。あなたが油屋の建物にかへつて行かれたと き、そして、ふたたびあなたが出て来られたとき、あなたもまた、見られはしなかつたでせうか、あの不吉な晩秋の一瞬を、その廢址を ――何かしら、むしろ信頼して、あのとき、見られたとおもひます。築地の川のほとりで、夕立のあとの虹のことや、川のなかに波紋を描 いて降つてゐた雨のことや・・・・・・あなたとあれからふだんにとほく離れてをりますだけに、お會ひしたすべての瞬間が意味ふかくお もひおこされるのでした。ひょっとしたら、それはあの出來事のあとに、今になってもまだなほりきれない、僕の神経の疲れがする幻覺か も知れません。あなたも僕も、ひそかにあの出来事を知つてゐて、それをほかの言葉で語りあつてゐたのだ――……
……その後、お身體はおかはりございませんか。僕は、また十日ばかり、外科手術や風邪のためにやすんでしまひました。小高根さんと 冬の夜にお會ひしたときも風邪をひいてゐました。そしてあのとき小高根さんのしてをられたホータイと同じ意味の外科手術を、このほど いたしました。夏にお會ひしたとき、僕の左の頬につけてゐたコブがなくなつてしまいました。そのコブをとつたのです。小高根さんのは 耳のうしろでしたが……
いろいろなことをおもひ出しましたので、それに誘はれるままに、あらぬことばかり書きしるしました。自分のことばかり書きすぎてゐ て、そのわがままをお詫びしやうもありません。どうぞ、あしからず――|
では、くれぐれもお身をお大切になさいますやうに。
立原道造
けさ、四季のあたらしい號が届きました。深いよろこびと感謝の心で、あなたの文章を拝見いたしました。茂吉の歌が書かれてありまし たが、「萱ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ」といふ方にむしろ近く生きてゐた日の詩集でした。あなたの引用さ れてゐる歌は、けふのあなたの深い決意と悲哀のしるしと存じます。そして、けふは、そのあなたに近くをります。しかしながらあの詩集 の日は、やはり僕の持つてゐるこの茂吉だつたといはなくてはなりません。
鷗外の「山椒太夫」のなかで、厨子王が萱草、安壽が垣衣[わすれぐさ]と名づけられたことも血縁であります。あの美しいロマンは悲 しいばかりに希望を造型してゐること、けふのおもひのなかで、なつかしく追想します。
この手紙を書きはじめるとき、僕はおそらくもつとちがつたものを考へてゐました。それにも拘らず、このやうな手紙になつてしまいま す。何かが、僕を烈しく拒んでるます。それは何か。それとの闘ひが、僕の生活のすべてではないかしらとおもひます。何者にも拒まれな い魂の獲得、自由精神の誕生、そこに一切をおもひます。
くれぐれも、お身體をお大切に。]
詩
澗[たに]まに悲しい樂を聞いた
簫[ふえ]と篳篥[しちりき]とをまじへた嫋々たるものの音
新しい墳土は積まれたか?
ひとびとは掌で面を覆つて帰つて来た
涙は指の間から滴り墜ちてゐた
どんな悲しみかを考へたわたしは
その夜、宴で賑やかな笑声に驚かされた
×
夜更け目覚めて薄暗い室中を見廻はす
子供は唇を半ばあけて睡つてをり
妻は背を向けて鼻息もさせてない
深い静けさが近隣を占めてゐる
突如として昔、少年の時分に
悲しい時出て見た冬海の青波に
舞つてゐた寒い鴎の姿が見える
頼られることのさびしさを知らなかつたものを──
僕は声をあげて慟哭さへしたくなる
×
あれは夢だつたらうか
ひどいガタガタ馬車だ
道の曲角ごとに 吊りラムプの光に
崖にクリーム色の花々が咲いて
その蘂の中にクリーム色の蛾たちが
聚つてゐたと見たことは──
わたしがさう語り出した時
若い友たちは目的地の計画を語り合ふのを止めて
気の毒さうに合図の目くばせをかはした
×
その日 誰にも見とられずに行かう
寒い暗い一本道を松の木の下へ
誰がついて行けようぞ 先祖の方々も
行つた道だ、ひとりで面を覆うて
悲しみか怖れか──頼りない感じのみ
それを我々は寒さや暗に置き換へる
×
かつて桜井から奈良へゆく汽車で
三輪山に連なる布留や高圓の山脈を
わたしはさむしい思ひで見てゐた
それから六年 我が姿はいよいよ細く
山脈はけふ見ても寒々しく裸だ
萬葉人は何としてこんな山々を歌つたか
この冬のさびしさを夏に忘れたか
親しい人々を此の麓に埋めなんだか
奈良の停車場でわたしは身慄ひしてゐた
三月十八日
けふぼくははじめて黒龍江を見た
河の水は黒く早く流れてゐた
堤には柳が芽吹いてゐた
裸の、枯芦だけを着た河中の三角洲で
(望遠鏡で眺めたとき)
金髪の兵隊が立て銃[つつ]や捧げ銃や
立ち射ちの構へをして遊んでゐた
遠くV市の空に一点黒いは
偵察機か戰鬪機か──
急降下したり上昇したりしてゐるのが見えた
お祭りの前の日やうに華やかな期待はありながら
悲しい気分にあふれ
歩哨に立ちながら君たちのことも思ひ出す
お祖父様も曽祖父様もこヽでお生れになつた
高祖父様はこヽで菜種油を商つてらつしやつた
泥溝のやうな堀割の網の目の中に
黒い暗い家々がぎつしりと立ちならんでゐる
窓の数が少ないのは金貨が逃げぬ爲だ
詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ
取引所や銀行や帳場や電車の中で
せかせかと鼻音の夛い異國語がはなされてゐて
公園や街路の樹木は皆枯れてしまふ
詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ
曽祖父様は俳句をお作りになつたが
そのため紀州通ひの船貿易で大分損をなさつた
角帯をした番頭は少なくなつたかはり
人々は頭髪をきれいに手入し サンデー毎日や
競馬の雜誌を抱へて朝晝往来する
空は終日暗く 夕日のときだけ町はちよつと明るくなる
算盤の音が止み 人々はペンを耳にはさんで小さく欠伸する
しかし堀割から夕もやが立ち出すと 家々は戸を閉めて
一日の決算がひそやかに行はれる そして父が子にさとす
詩を作るなんて──何と馬鹿げたことだ
Sのこと
彼と僕とが知合になつたのは、高等学校の野球部のことからである。体の弱い僕は勿論選手になれなかつたが、マネージヤーに任ぜられた。彼は僕
の前々任のマネージヤーであつて、
第二投手を兼ねてゐたこともあつた。そこで大学へ入つてからも毎日練習を監督しに来てくれた。もう一人同期のキヤツチヤーをしてゐたKも毎日来て、此二人
を我々は先輩として尊敬し同時に大に煙たがつた。
かうして二年経つて僕は東京の大学に入つた。彼はその後も一年程高等学校へ練習を見に行つてくれてゐたらしいが、僕は全く部から遠のいた。しかし休毎に帰
ると殆ど例外なしに彼を訪れた。
彼は大学院へ通つて相変らず哲学を勉強し、かたはら禪学を修め、易を学び、碁を打ち──といふ風に夛方面な暢気なくらし方をしてゐた。こんなことが出来た
のは、彼は両親はあつたが、
高校時代から家庭教師として入り込んでゐたT家といふのが一家そろつて善い人で、裕福な気前のいヽ生活をしてゐる処へ、彼の親切な正直な気持ちが理解され
ると、
教師としてでなく子供の兄として扱ふやうになつてゐたからであつた。彼は何時も書棚にレクラム文庫や一切経や哲学の部厚い書籍類を並べてゐたし、相談事に
は適切な忠告を与へてくれ、
場合に依つては親切に実際上の世話をしてくれるのだつた。僕は彼のゐるT家に宿つたことも幾度もあり、碁も並べ方丈は教はつた。大学を卒業する年、僕は休
みに例の如く彼を訪れ、
卒業後の方針を問うた。といつてあれこれとすることがあつてどれをしようかと云ふやうな、贅沢ではなくつて卒業後どうなるかと聞いたのだつた。彼自身は三
年間大学院でくらした後、
その年の九月頃からN中学に就職してゐた。但し哲学を学んだ因果とて、教員の口のあくまで書記をやらされてゐた。彼は筮竹[ぜいちく]をとつて型通り卜つ
て云つた、「きつと口があるから心配するな」。
僕は半心軽蔑し乍らもその卦には気を好くした。ところが三月卒業すると就職口はない、入社試験には落第する、僕はすつかり意気沮喪した。
卒業論文の成績がいヽらしいから大学院におさまつて、末は大学教授をゆめ見てもいヽわけだつたが、これは父のやせ脛で到底出来ぬことであつた。
四月四日〜六日 大江紀作と紀州旅行。 紀の國の日高の海岸をつたつて、皇子の御歌で有名ないくつかの浦曲や峠をすぎて南部(ミナベ)に着く。その町を出はづれると鹿島神社がある。老松の鬱蒼と 茂つた神々しい社で、 その境内には標示があつて「鹿島は大神の神遊び給ふ地にして、就中東神山は千古斧鉞を入れぬ地なれば云々」と記されてゐる。 小手をかざして眺めると蒼靄模糊たる中に二つの神山が並んで見える。
夕陽は海いつぱいになつて沈んで行つた
島はもう霞んではつきりは見えぬが
あの木立は亜熱帯性の樟や椎や樫や
常緑蔦が密生して晝もなほ暗いのだらう
大海に面した側には桜や椿や藤が
海の青と対照した美しさをもつてゐるだらう
そこで火をともして神々が髯垂れて
遊び給ふ姿を神鹿たちが觀てゐるのだらう
宿について夜になると風のまにまに
波の音と笙 篳篥の音を聞いたと思つた
中皇命往于紀伊温泉之時御歌
君がよも吾が代も知るや磐代の丘の草根をいざ結びてな
吾がせこは借ほつくらす草なくば小松が下の草を苅さね
吾が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の珠ぞ拾はぬ
有間の皇子の自ら傷みて松が枝を結べる歌二首
磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらば亦かへり見む
長忌寸意吉麻呂 結松を見て哀咽せる歌二首
磐代の野中に立てる結び松心もとけずいにしへ思ほゆ
長忌寸意吉麻呂
三名部の浦潮なみちそね鹿島なる釣する海人を見てかへり来む
春の風景には夏の徴候がある
紀の國の金色の柑子は暖かい雨に濡れて光つてゐた
海は青く夢の中にまで輝いてゐた
──それほど明るい雨だつた
峠の村で蘇鉄の花を見た
浜木綿は村役場の前に植えられてゐた計り
西南に開いた灘に桜が散りかヽり
古い祠の扉に戦勝祈願の札を貼り
恐らく彼等は山畑を捨ててしまつたらう
妻を連れて来べき旅のさびしさは
夜 絃声湧くが如き田舎町に眠つてゐた
夕日は華やかに沈んで行つた
飛石のやうに見えてゐた岩礁を潮がかくした
島はむらさきの霞が立ち罩めた
樟や椎や白橿や竹柏(なぎ)の木立の中の
常緑藤(キヅタ)や藤蘰(フジカヅラ)が茂く垂れ下つた地面で
大海に面した側には桜や椿や藤が
海の青と対照した美しさをもつてゐるだらう
篝を焚いて神々が遊びたまふ時と
若い神々は笛吹き篳篥を奏(かな)で
老いた神は髯撫でて何思ひたまふぞ
麋鹿[なれじか]は足を傍へに坐り聞いてをり 鳩たちは枝々に眼とぢてゐた
五月十六日 A Mme.M.[※マダムM.に]
どんなに愁しい時だつて
恋歌なんぞ歌ふまい
さう思つて十一年すごして来た
歌はだけどみんな恋歌だつた
僕の顔は黄ばんで
目尻に皺が寄つた
そしてけふ途中で人妻になつた
彼の女を見かけた
牛肉と葱をもつて
帰るところだつた
彼の女は僕を見
僕はその顔をみつめた
御丈夫ですか
旦那さんは立派な方ですか
犬や猫や小鳥を飼つておいでですか・・・・・・
僕は色んな思ひをこめて
その顔をみつめた
それから行き過ぎて
煙草に火をつけて
妙に手がぶるぶるふるへるのを知つた
五月二十日
五月来たれり
わが蒔きし諸々の花、開きたり
さなり、わが蒔きしを忘れたる花さへ──
垣根には蔓薔薇
池に花菖蒲──
我が家は花やぎ 久々に
家ぬちに笑声起るごとき心地す
厨には金色の酒満てし瓶に
七月十一日
夕頃、校長を訪問、辞意を告ぐ。快然として?承諾されき。我への反感の強さも露はなり。尚ほ「どなたかと衝突されたのか」との質問あり。馬鹿
にしてゐる。村田幸三郎を訪ね碁を打つ。三連勝。小宮豊隆「夏目漱石」をよむ。身にひき比べて興ふかし。
俳句
夕立のすぎたるあとや青臭き
向日葵や家々毎に水を打つ 夏夕
蚊の声の燈消せば昂(たか)くなりしかな
百日紅まだ見ぬ夏や旅を恋ふ
猫の子の夜啼きや妻は眠りをり
四つ角に樂隊ゐたる暑さかな
田を植えしあと蛙らを聞くばかり
祭 彼方此方、生徒(こ)ら この日頃 遅刻がち
晝顔や夏を泳がぬ二三年
蜘蛛の巣にわが家わびしくなりにける
桐の花高く咲く道ありしかな 憶阿佐ケ谷
七月十二日
放課後、本橋謙一氏を見舞ふ。省線を灘まで乗越し水災の実況を偶見、澤井孝子郎氏に駅にて邂逅、帝大出そこにても憎まれるヽ由。本山に引返し
本橋邸に到る。会談半刻、魂の触るヽものを感じたり。
芦屋に大江叔母を問ふ、不在。田辺の父宅に至る。夜、杉浦宅にて西鶴輪講会の送別会あり。会者、岩渊悦太郎、岡本新太郎、吉永孝雄、川崎鉄太
郎、島居清諸氏、杉浦、予。
駄句(杉浦の言)[※杉浦正一郎]
驟雨や蝶ども何の草の蔭
白蝶の翅もぐほどに風の吹く
ラムネなどの罎の数よむ残暑かな
青胡瓜朝の間の涼しさよ
厨べに飯饐ゑゐたる暑さかな
猫の子の四匹生れし暑さかな
七月十三日
放課後、小川、島居二子来訪、小川子カフス釦を贈らる。
夜、防火演習。酒井賢先生に上京を告げ参らす。
七月十四日
石浜大壷先生訪問、上京を告げ参らす。 [※石浜純太郎]
原栄之助子の神経衰弱について憂慮さる。
他人よりトリツペル[※淋病]と思はれゐざるかといふことが強迫観念になりをる由。君が[※大阪から]逃げはせぬかとて方々口を探したがむだ
なりし由申さるる。
興地実英、本庄実両先生に留訣申上ぐ。
別れ路や今年はじめの蝉を聞く
夕方の簾吹きゐし青田風
(吾加大壷)先生の眉いつまでも太かれと
七月十五日
金截千生来る。雨月物語を留別の資に充つ。
コギトに「始皇帝の末裔」二十七枚を送る。思へば一昨年の稿なり。
建[※弟]来る。海水浴場に行く間に村田幸三郎君来り本日不在の由名刺置きあり。夜、田村春雄君を訪ふ。
七月十六日
七時より橿原神宮外苑の勤労奉仕。皈途、大鉄にて片山寫眞館。
板井、金川三氏及び谷口君と会食。
ここ橿原の大宮居近く
炎天は熱の爲 曇りに近く
草の香 却つて馨ばしかりき
三山は昔に変らねど
人の心 うつろふまヽに
荒れし地の雜草(あらくさ)掃(はら)ひ
土均(なら)し 畚(もっこ)もちゆき
この世をば いかで昔にかへさむと
我思ふとき 手に力無き
松村一生[※生徒]曰く、 師は体裁に来とる
七月十七日
日曜、父、大[ひろし※弟]来る。学校へ採点もち行く。高見氏を問ふ。帰宅して中島が澤田君宅に居るを追ひゆき、夜九時まで話す。此間母も来
る。
七月十八日
朝、浪中の水練場を問はんとし、吉野氏と途中に会ふ。上原氏、母上危篤の爲
本日の帰郷の由。午後亀井、荒井生来り算盤す。野球部生より辞職の話聞きし由、
松根の饒舌の故ならん。夜、野田又夫氏来訪、書籍を返却の爲。浜寺に卒業生式田の家あり。会つて石田義己の死を聞く。
七月十九日
肥下より来書、「始皇帝」愉快に読みし由。吉野氏を訪へる間に園克己氏来訪。二十分許して帰るとの事。一時頃、園氏再訪。
七月二十日
登校、通知薄発送。全田家へ行く。夜、伊東氏と安西冬衛氏を訪ふ。
七月二十一日
○○会[ママ]の送別会。その前に職員生徒に別辞を述ぶ。校長の挨拶中々巧みなりし。送別会前に長池クラブにて撞球十数次。
○○会員(欠席、上原、本橋二氏)松根、松井、金川、原、楠田、山本、小川、島居、今、吉野、横山の十一氏。
七月二十二日
朝より荷物発送。午後コギトの会(金鳳昊、島居氏、此間来訪)
矢倉ずしにて。伊東、中島、杉浦、坪井は奈良より会す。
会後、寄書の扇を貰ふ。
七月二十三日
田辺に昨夜は泊り、清徳家、今井祖母、服部、杉浦を歴訪。服部は昨日二時間遅刻の爲会へず、夫人懐妊とのこと。夜、金川君を訪ひ談話数時、外
に出て池田勉氏(文芸文化同人、今宮中学)に会ふ。
七月二十四日
朝、松下を石橋の病院に見舞ひ、令兄夫妻とも邂逅、小西君来合せゐたり。京都にて藤枝に会ふ。羽田博士邸を訪ひ、明君母君に会ふ。今西春秋氏
を泉湧寺内の家に訪ひしも不在。
夜九時半、尼崎の婦宅を訪ひしゆき子、史と京都駅に会し一路東上。
七月二十五日
七時半、東京着。阿佐ケ谷の祖母を見舞ふ。船越夫妻来合せゐたり。十時、肥下を訪ふ。夜、天沼に入る。
七月二十六日
午後、肥下を訪ひコギト八月号の校正をし、松本善海君を訪ひ、共に新宿へ出づ。はじめて特殊喫茶店[※カフェー]なるものに入る。川久保君不
在。
七月二十七日
コギト校了。小高根、薄井二君も来る。銀座ニユートーキヨーにて夕飲。橋善にて飯を食ふ。
七月二十八日
午前中、本の包を解く。退職挨拶書を印刷に附す。二時半東洋文庫に和田教授を訪ふ。
岩井主事にも面会。共に退職の無謀をたしなめらる。金沢良雄君は川久保君と同所(国際文化振興会)に勤めゐられ、同道して文庫に来る。松本、
川久保二君と新宿に下車。 松本君宅にて「清鑑易知 」を受取りて帰宅。川久保君の恵与したまふ所也。
船越君より「陣中の竪琴」借し賜はる。
先生に叱られゐたる暑さかな
書(フミ)はみなかびてをりたる暑さかな
七月二十九日
午後、東洋文庫にて「清朝寔録」、「康煕盛学通志」を見る。後者は同文庫地方志目録には康キ二十二年、初修のものの如く記しあれど、見るに続
修(五十年)なり。
帰途駒込駅にて兵士の列車にて出征しゆくを見、手帛をふりたるは我のみなりき。川久保君宅に寄り、「清史稿杜臻傳」を寫す。
七月三十日
午後、肥下を訪ふ。コギト出来しをれり、伴ひて家に帰り来り薄井を待つ。程なく来つて俄かに明日結婚する故、二人を招待するとの由、二人呆然
たり。夕食の後帰る。
本日中島より来書。
七月盡日
薄井の結婚式に臨む。新婦は岸川氏政江嬢なり。媒酌は会社の若手の重役らしく、我々友人は上座に坐らされたるに恐縮す。席上薄井の無口を軽く
非難する人あり。
生島某嬢祝婚歌を歌ふ、後に来りて我に挨拶す。長野、肥下と三人にて新宿に下車、長野漢口陥落後の國内騒擾の豫想を説く。肥下と赤川草夫氏の
古書肆を訪ひ、「西園寺公と湘南先生」を索め来る。些か開店祝賀の心算也。
帰宅後、ゆき子前途を心細しとてか落涙す。
三句中島へ
祇園会を旅にて見たる暑さかな
凌霽花 高く咲きたる暑さかな
かなかなの降る程なくがわれの家
八月一日
三好達治氏より葉書、勇ましとて賞め来らる。昨日今日にて退職挨拶状約百枚発送し畢る。
午後東洋文庫にて「吉林通志」(光緒十八年)を閲讀。夜、ゆき子、史と駒込叔父宅を訪ふ。
八月二日
午後、東洋文庫、昨日のつヾきを閲讀。和田先生、階上より莞爾として会釈せられたり。帰途、川久保君を家に伴ふ。夜、肥下を訪ふ。詩集、杉田
屋見積りにては二百五六十円とのこと也。本日立原氏より来書。室生犀星氏るす宅にて病臥中とのこと。他に定野弟君、田中太一郎より来書。
八月三日
ゆき子、川北病院を訪ふ。子宮外妊娠かと云ふ。
八月四日
妊娠に非ずとの診断也。夜、肥下来る。百五十円位にて詩集出し得る由。本日午後、日華生命に坂本氏を訪ふ。就職の件なり。
八月五日
薄井君を家に新婚祝ひの爲、訪ふ筈なりしに手違續出、果さず。
五時立原道造君と新宿に会ふ。堀辰雄氏昨夏、軽井沢に会ひし加藤氏[※ 加藤多恵氏]と結婚されし由。夜、肥下宅を訪問。ゆき子やはり妊娠に
て流産せし也。
[※八月三日日〔水〕田中克己宛 立原道造書信
先日おはがきしましたが、急にまた信州にゆくことにしました。それで六日の午後の汽車であちらにまゐります。もしおたづね下さいまし ても、もうここにはをりませんのでお知らせします。信州にゆきますまへに一度お目にかかりたいのですが、五日に僕は吉祥寺の方へまゐ りますので、夕ぐれ新宿あたりでお目にかかりたく、もしおさしつかへなかったら、午后四時半と五時との間にタカノ・フルーツパーラー 二階にお越し下さいませんか、その時刻にお待ちしてをります。(もしあらかじめおさしつかへのことわかつておいででしたら、五日朝ま でに大森の方にお知らせ下さい。)ではとりあへず、右まで。
道造しるす。
八月六日
午後、文庫。上野図書館を訪ふ。 G.E.Harvey及び Phayreの「ビルマ史」閲讀。及び「日露戰史」。
八月七日
日曜、午後中野映画劇場に「乙女の湖」と「ブルースを唄ふ女」を見る。前者
にてエリツク、病みて料理女の褥に眠る時、女のシユミーズ一つになる場面、慄ふほど扇情的なりき。
八月八日
午後、日華生命に阪本氏[※阪本越郎?]と会ひ、大久保の帝国第一女学校の校長増田悟策氏を問ふ。仝校にては講師一時間一円にならず、専任も
五六十銭の割なる由、驚き入る。
八月九日
三越、青木陽生氏、夛忙らしく働けるを見ゆ。
丸善、○○会[ママ]の餞別なる切手にて記念品を購はんとせしがかなはず。
フイルモン、薄井氏を訪ね、結婚祝ひを渡す。三河屋にて晝食。東拓兒、長野氏を問ひ会談。
日比谷図書館にて「日露戰爭実記」をよむ。
鴎外と同じき八幡丸にて田山花袋、博文館の役軍記者として渡れり。 三等船艙にて汚穢と臭気に悩みしを記す。
長山列島にて三笠[※軍艦]よりランチ来りて奥司令官[※奥保鞏]をのせゆきしとありて鴎外とそです。[※接触す]
敵襲ととりちがへし椿事の際は軍医部と共にゐたる筈なるに記さず。
肖金山は金州東南の高さ三百米の独立高地なり。倒れし旗手は第一師団の第一連隊か、五人の旗手を代へたりき。
南山の尖頭せしはわが第四師団の第八連隊なり。午後七時半に山頂に至りしも肖金山よりよく見えしなり。
第四師団の悪評は日清戰役の際にはじまりし如し。その原因は不明なるも、出動の期おそく休戦となりて特功をあげ得ざりしにもよるならん。
此役師団の中堅将校悪評を取り返さんと殊死して戦ひし旨、同記に見えたり。
夜、肥下を一家にて訪問。赤川書店を訪れ、製本の相談を決む。
「欽定史記」(光緒
図書集成本)を二円半にて購ひ帰る。此日、羽田[※羽田明、ベルギー]ブリユージユより便りあり、青雲の志を捨る勿れ云々。
八月十日
終日家にあり、漢文中の清語のカード二百枚を作製す。
八月十一日
阿佐ケ谷の[※妻の実]家を問ひ、履歴書一通を托す。文庫にて「八旗氏族通譜」を閲す。馬佳氏は満洲の名族なり。五時、池田春三氏と会ふ。午
後十一時汽車にて見送る。餞別を贈られ稍々迷惑をかけたり。昨日は野田又夫氏より「習慣論(ラヴエツソン)」を、本
日は立野保男氏より「戰爭と資本主義」を贈らる。所謂福徳ありか。帰宅、本庄先生より御餞別届きゐたり。
八月十二日 終日家居。夜、肥下を訪ふ。
八月十三日 終日家居。
八月十五日 千草[※妹]を訪ふ。
八月十八日
安田生命に三橋氏を訪ひ、就職を依頼す。丸善にて「井上支那語辞典」を、文求堂にて郭沫若「創造一○年」を購ふ。
八月十九日 肥下を夜訪問。
八月二十日 川久保氏を訪問。及川「満洲通志」借り来る。
八月二十一日
小高根、薄井を肥下と共に訪ふ。夜、小高根、肥下三人にて月島へ涼みにゆく。
八月二十二日
肥下来りて中島[※栄次郎]の入営を告ぐ。詩集の原稿出来。
留別
君のこり我がゆく夏の夜なりしに
目に沁みて巷の秋の風のいろ
秋草に旗たれゐたる門出かな
この秋もさびしき秋と申すなり
先の日 立野保男(在菅平 )に
山路ゆけばたヾ桔梗の蒼からん
また立原道造に(在追分)
秋草の早や蓬々と山の宿
八月二十三日
肥下を訊ね、原稿もちて杉田屋に行く。午後東洋文庫「八旗通志」及「満洲実録」をよむ。鈴木俊、川久保悌郎二氏に会ふ。
途中省線電車にて杉山元治郎、麻生久の二人を見る。風采宜しき人々なり。
八月二十四日
本郷東片町 一叡舎[※印刷所]に詩集の原稿を渡す。
長野、小高根、肥下と、中島に贈るべき日の丸に署名す。
此の秋はゴビの沙漠に旗立てよ 肥下
我が喚ばふ萬歳載せよ秋の風 僕
すめろぎの の軍[いくさ]に海越えて遠征く君はまさきくありこそ 小高根
八月二十五日
東洋文庫にて松本善海に会ふ。
八月二十六日
目黒緑ケ丘の近藤信一氏を訪ふ、田中三郎氏の叔父なり。就職の件。
津村信夫氏を訪ふ、留守なり。夜、大阪より佐渡、旅行の途次東京に立寄りたる小川浩氏を案内す。
八月二十七日
青木徳一郎氏の手引きにて東亜研究所の穂積永頼氏に面会。[※東大]東洋史よりはやはり三人入所しをる由なり。コギト校了、保田、詩集の広告
を巧みに書きくれゐたり。
八月二十八日
午前中三橋孝氏を訪問、海軍省山本次官に電話かけて貰ふことヽす。
午後肥下宅を訪ひ、[※詩集]発送用状袋の表書きをなす。
八月二十九日
夜、肥下を訪ふ、保田来り会ふ。肥下は明日、保田は明後日、中島を送る爲西下。此日コギト出来。
八月三十日
夜、松隈医学博士を青木徳一郎氏と訪ふ。東亜研究所、池田大佐に紹介を頼む爲なり。陸相秘書官赤松少佐の名刺を貰ふ。
八月三十一日
午後、企畫院に池田大佐を訪ふ。偶々わが履歴書来る。大佐見て「学校の先生か!一度本人を呼んで詮衡することに致しませうか!
」と、意味ありげに嗤ふ。何ぞ計らん、これわが履歴書なりしかば大喝して「かう方々へ頼んでは駄目ぢやないか」と。われも憤慨し応酬す。とも角詮衡の列に
入るを得。
九月一日
文庫にて松本と会ひ共に丹波鴻一郎を訪ふ。新婦を見んが爲なり。
[※東大同窓・丹波哲郎の兄]
九月二日
東京建物会社に西川を訪ひしも三度目の留守。隣の槇町ビルの平凡社に青木富太郎氏を訪ふ。
あはれわが秋こそ来つれ
この秋は何にすぎゆく秋なるぞ
夏中蝉は啼いた 声のあるたけ樂しげに。
空は澄み 夏の花はすべて衰へた
蝉は狼狽へた さうして眼を据ゑた
ある夜 天来の智慧が囁いた
身のなる果を 暗い夜の蔭を
蝉はもう眼をとぢて木の根に蹲つた。
おれのまはりに張りまはした此の縄を
とびこへる、とびこえる、笑つてとびこえる
それは弱い、それは低い
断るか、とびこえるか、
觸れるのはいやだ それは恥辱を齎すから
とびこへる、とびこえる、笑つてとびこえる
靈山(又 陵山)
其處峻嶺而方石泉下帶。民居星散,結網為業。田土肥,耕種一年二收。氣候之節,男女之規,與占城大同小異。地產K紋相對藤杖,每條易 斗錫一塊,若麁大而紋疎者,一錫易杖三條。得檳榔荖葉,無異物所產。其往來販舶,必於此汲水採薪,以濟日用物。人齋沐三日,崇佛諷 經,燃放水燈綵船,以禳人船之災。
詩曰
靈山方石嶺,其下有泉流。寥落民居少,豐登穀米稠。
放燈祈佛福,賽愿便商舟。藤杖山中出,魚蝦海内求。
梵經曾睹此,今日一遨游。(星槎勝覽)
九月三日
文庫にて和田教授に会ひ、東亜研究所の件をお話す。先生もしきりに大学の権威の陥ちしを嘆かる。此日「蒙古源流」(漢文)と那珂「支那通史」購ふ。
九月四日(日)
午前八時、杉浦より来電。十時阿佐ケ谷駅にて会ひ、西川英夫宅を訪ふに留守。それより伊藤松宇先生のお宅を訪問、地は小石川関口台の中腹にし
て旧芭蕉庵の跡なり。
先生钁鑠たること驚くに耐えたり。建部涼袋を愛し、夛くその作を集めらると云ふに所望してその「威振八紘図」等を覽る。保田が涼袋論をよみて
感心されをりし由。
それより御案内にて芭蕉庵の跡を見る。毎日、雉、数双の来り遊ぶとふ橋を渡り、井泉の配置うるはしき。
俳句の季題にありとある野の花もて埋めつくしたる庭の有様面白し。先生の句碑もありて「眞中に富士聳えたり春の園」とよまる。
先生感心癖あり。又、警句を連発さるヽも中に忘れざりしは、前日の颱風に折れし竹を見て、夛くの中にこの竹の折れるのは運命かと嗟嘆されしこ
と也。
この庵もと田中光顕伯の邸地なりしも今は講談社長、野間清治の有に帰す。 野間氏、先生の俳句の書、万巻を購ひ、先生、百年の後ま
では之は委託しをくとのためにこの宅を建てしとなり。田紳にしては珍しきことかな。
杉浦と別れ、佐藤春[]先生を訪ひしにマスラオ[※長男方哉]、「お父さんの出発は十四日」とのことに面会を求むれば、先生出迎へらる。
「お忙しくなきや」と問へば「別に忙しくもなけれど先客なり」とのことに匆慌辞し去る。醜態自ら嗤ふべし。
帰宅、肥下、中島より来信。中島の即日帰郷を報ず、当然事なり。午後十時、杉浦と再び新宿に遇ひ、共に國立の杉浦叔父別墅にゆき泊る。この
夜、杉浦の句
月清き大和島根を船出して
枕頭に漂ふ。夜半目ざむる二時に。本位田、丸を夢みたり。
九月五日(月)
新宿にて杉浦と訣れ、目黒の近藤信一氏を訪ふ。それより田園調布の青木家を訪ひ、二時半、安形英雄と会ひ、家に伴ひ帰る。八時まで語る。
近藤翁の話に、松竹日活等にては大学出を一○円にて見習三ケ月の後、必ず退社さす。浅草に殺人請負業あり、眠らすは六十円、半死半生は四十
円、打毀しはルンペンによれば十銭なり。又、前東京商工会議所会頭、藤田謙一はモーニングのまヽ引くりかへるが得意の暴力団なりしと。日本よ
如何なる‼
昨日今日兵ら流せし血の如く
もののふの流血のいろと
佛桑花 紅く眞紅く咲きし岡の辺
木々は皆梢ゆれたり
これやこれ颱の跫跡
はらはらに雀鳥は枝移り
わが見たる眼路の末にし(やはらかに)
帰り来、渡洋爆撃機
かの大佐 猛き眼もちて
いく人の人を殺せし
わが胸の羊血ゆらぐ
九月六日
本日は八方を馳せ廻りたり。これもわが心から。
九時 一叡舎 ── 文庫(九.三○)── 美術研究所(十一.五○)── 企畫院(○.三○)── 安田生命(一.三○)──
日本フイルモン跡(二.○○)── 小高根太郎(三.○○)── 薄井(五.○○)── 川久保(七.三○)── 松本(八.○○)
けふ「西康省」の初稿出ではじむ。企畫院で会ひし小西大佐は、先日池田大佐に履歴書取次ぎくれし蓬髪黒面肥満型
の男なり。沼田鞆雄氏、東亜研究所に入りし由。
九月七日
午前中、平凡社の原稿を書く。正午肥下を訪ひしも未だ帰宅せず。
小高根を研究所に問ふて陸恢、鎭江派、曹霑につきて調ぶるも不明。帝国図書館にて陸恢のみやヽ要を得たり。図書館入りの連中の貧相なのと、館
員の横柄なのとに情無く感ず。
九月八日(木)
文庫に行き松本とニユースを見る。五時半、来庫の立野保男を迎へ幸島、倉辻の二氏と歓迎宴を新宿にて。後、玉を突く。
九月九日(金)
夜、立野を案内し、家に泊まらしむ。
九月十日(土)
立野を帝大につれゆき、神田にて玉突き。三時東京駅に見送る。肥下来る。
九月十一日(日)
退職手当来る、一五○円。○○会[ママ]愈々解散の由、腑甲斐なきことかな。夜、肥下を訪ふて猥談す。
九月十二日(月)
〒中島。本日より燈火管制。島居君、出征の由。肥下を訪ふ。妹節子嬢、僕の詩集所望の由。
九月十三日(火)
〒伊東、松根、松井。
肥下と印刷屋一叡舎に行く。詩集の内金四十円を渡す。
武蔵野館にて「舞踏会の手帖」を見る。
九月十四日(水)
立原道造より昨夜速達あり。その指定に任せ四季社に行き、日下部雄一、津村信夫二氏と初めて対面す。立原は明日岩手へゆく由。
二氏と別れ、送別に中村屋にて支那鏝頭を食ふも可笑。留守中、沢田直也訪ね来りしに付き、電話して明日行くことを約す。
九月十五日(木)
肥下と連れ立ちて保田の新居を訪ふ。堂々たる家なれど妻君居るや居らずや紹介せねば変なことなり。「戴冠詩人」を東京堂より出すとの由。
印刷屋にゆき校正の間に沢田を朝栄館に訪ふ。大学の入学試験の際、わがゐし下宿なり。印刷屋に引きかへせば既に五時、間もなく燈火管制にて乗
物動かず、富士神社前まで来れば絶対に歩行を止めらる。抗議せし青年、警察へ引張られたるを見て動けず。遂に二時間を立往生し満蒙研究会はゆ
けずなる。この日詩集校了す。
九月十六日(金)
クレオパトラ[※「埃及の女王クレオパトラ」]三十一枚にて一先づ今月分とす。肥下を訪へば留守。赤川氏の店にて多和氏と待合せ、京橋の紙店
にゆく。思ひ設けし紺碧色[※詩集の表紙]なく、止むを得ず鉄色の鳥の子紙とす。一冊につき四銭の品也。次で杉田屋にゆき広告の紙型とらし
む。
新宿にてニユース映画を見、川久保君を訪ね昨日の詫を云ふ。藤沢桓夫氏、わが上京を小説書く爲と猜し居られるとか。
遠雷の如く殷々と轟き
我友中尉小寺範輝の柩車来りぬ
死者に敬礼せよ
十月の初咲の菊の花だに萎れたり
・・・・・・・・・・・・・・
★
わが上に日々美しき空展け
鳥は飛び 君笑まふ
海原の微かなるとよめきの
朝に夕にわれ聞く
九月十七日(土)
コギトの会開かんとす。定刻、肥下、長野来るも薄井、小高根来らず一時間して保田来る。
その間、萩原朔太郎氏颯々と眼下の道をゆくを見る。保田の話に、芳賀檀の家にさる人ゆき「四季」を借りたるに、神保の詩のみ直してありしと。
コギトの改組を保田云ふ。肥下は喜ばぬ様なりしが、新同人として名あがりしは大山定一、芳賀、立原、桑原、亀井、中谷などの諸氏。
彭佳嶼(ピエン カア スウ) ──
基隆港外の北東にありて、三島嶼あり。一を彭佳嶼又は草莱(ツアウライ)嶼といひ、欧米人の所謂アジンコルト(Agincourt)島即ち是にして、キー
ルンの鼻頭角を去る三十浬三六、周囲一里三丁とす。
一を棉花(ビエヌホエ)嶼又鳥(チアウ)嶼といひ、欧米人の所謂クラグ(Crag)島にしして、鼻頭角を距る二十三浬二二、周囲二十町。
一を花瓶(ポエパヌ)嶼といひ、欧米人の所謂ピンナクル(Pinacle)島、 鼻頭角を距る一七浬一三、周囲六町。
この島々につき最初に踏査したのは西暦一八六六年六月、英国軍艦サアペントの支那海を回航する途次、棉花嶼の附近水深九尋の所に投錨し、艦長
ブロツク少佐が三島の位置形勢を測定したるを最初とし、アジンコルト・・・の名を附したるも此時にして、之を翌年刊行の英國海軍海図に記せ
り。
彭佳嶼といふ所以は「此嶼、幽邃不泥俗塵、可以静養神気、如古昔老彭祖、住居佳景壽山」といひ、草莱嶼は「遍山皆草芥、如入無人之境、亦彷
彿仙家蓬莱」といふ。[※明治33年、伊能嘉矩「アシンコルト島調査復命書」]
アジンコールトといふ名は、原と[もと]佛國のパスデカライス地方に属する一村落の名にして、西暦一四一四年、英王ヘンリー五世の佛國と交
戦せる時占領せる地に係る。
第二嶼の棉花嶼といふは、日本水路誌に「鳥類は沖縄人の所謂白イソナ、黒イソナの類にして、その多数なる殆ど計算すべからず」といへる如
く、夏秋の季節に至りて、此の鳥群の渡来のために、島面を覆はれ、一斉に飛揚する状、恰も棉花の風に舞ふに似たるに因みたり。淡水廳志にも
「海鳥育卵於此、南風恬時、土人駕小舟、往拾曰得数斗」といへり。
クラグ島といふは巉岩島の義なり。
第三島の花瓶嶼といふは、孤立せる尖形の岩石より成れる形状に出で、ピンナクル島といへる名も尖閣島の義なり。
九月十八日(日)
西川午前中来る。金鳳昊来る。松本を訪ね、赤川氏を訪ぬ。印刷出来しにより製本につき依頼の爲也。この日調べし結果、コギトの会の案内発送を
忘れしと判明。
ゆき子本日青木宅訪問、千草[※妹]の見舞の爲。
九月十九日(月)
詩集の印刷出来につき、印刷所、製本所、肥下宅を数次往復す。その出来に不満あり。
九月二十日(火)
本日も肥下と詩集のことに拘[かかずら]ふ。印刷所本郷片町一叡舎を訪ね、難詰す。その難点次の如し。
1、紙ハ横紙ヲ使用セル事 [※紙目が横で皺がよる事]
2、紙ノ色合様々ナル事
3、厚キニスギテ不体裁ナリ
コレラハ独断ニテ紙ヲキメシタメ
4、版ノ位置上スギ且ツ中ヘ寄リスギタリ
5、墨色ウスク、且ツ不揃ヒナリ
6、段チガヒ甚シ
7、二五○部ノ分シカ用意シアラズetc.
種々弁明してきかず、物分れにて帰る。
九月二十一日(水)
「漢文史料中に現れたる清語」半ピラ五十枚を書く。
午後、阿佐ケ谷の祖母を見舞ふ。
九月二十二日(木)
午前中、肥下と製本屋にゆく。午後、松本と文庫に行き、和田先生に論文をわたす。留守中、大阪の池田日呂志君来訪。詩集[※『夜への歌』]置き行くとのことに明朝反対に訪れる旨電報す。
本日早朝東亜研究所の穂積氏を訪ねしに生命保険屋と出会ひの最中。その後、立話にて入所の件断らる。そのとき口中に飯を含みゐたるがいやなり
しのみ。昔、周公、哺を吐いて士を見しとは異なり、平将門飯を含んで田原秀郷に軽蔑されしたぐひか。
九月二十三日(金)
宮崎丈二氏宅なる池田君を訪ふ。宮崎氏は春陽会の画を能くする人。美しい画夛く見せらる、江戸前の上品なる人なり。
それより▲池田氏を伴ひ製本屋にて詩集十部受取り、一部を▲宮崎氏にと託す。▲川久保君の留守宅を訪ひ、本日の例会欠席を断る旨の手紙と詩集
一部とを託す。[※▲詩集寄贈]
六時より四季の会。三好氏、宇野千代とあり、紹介せらる、美人なり。詩集を▲神西、▲津村、▲神保、▲丸山、▲阪本、▲日下部[※日下部雄
一]、▲三好の七氏に渡す(計十冊)。
室生、萩原両先生も来会。萩原さん、佐藤春夫、堀口、日夏の三氏は「怒りつぽの三すくみ」なる由、くだを巻く。
閉会後、三好氏につれられて新橋の久兵衛なる店にて河上徹太郎、佐藤信衛、文学界編輯X氏にあふ。佐藤氏、内藤湖南先生をほめゐたるは感心。
九月二十四日(土)
秋季皇靈祭。午前、祖母を見舞ひ、肥下を訪ぬ。熱河なる眞田雅男氏より注文の爲替つきゐたり。
川久保を訪ね、帰宅、晝寝す。途上萩原先生夫妻来り、先生近よればそつぽ向く。
九月二十五日(日)
「東洋史研究」へ書評25×10、八枚送る。夜、肥下と製本屋へゆき十八冊受取りて帰る。
九月二十六日(月)
朝、詩集発送。▲中島[※中島栄次郎]、▲野田[※野田又夫]、▲本庄[※本庄実]、▲興地[※興地実英]、▲五十嵐[※五十嵐達六郎]、▲
立野[※立野保男]、▲服部[※服部正己]、▲杉浦[※杉浦正一郎]、▲伊東[※伊東静雄]、▲松下[※松下武雄]。
肥下を訪ね、満州承徳の眞田雅男氏に詩集発送、この送料四十五銭なり。他に東京堂の注文一冊。
保田を訪ね▲詩集十冊を託す。「戴冠詩人の御一人者」を貰ひて帰る。
本日「新日本」の編輯会議の由。紙上出版記念会には保田より萩原、中河の二氏に頼みくるヽ由。僕よりは三好、津村、立原、神保、阪本、草野
心 、百田宗治あたりに頼むが良からんと也。
▲中河、▲萩原、▲百田、▲室生、▲船越[※船越章]、▲相野[※相野忠雄]、▲坪井明、七冊。
▲赤川氏に手渡し一冊。合計二十八冊。 ▲小高根二郎▲安西冬衛
死者に敬礼せよ
殷々と遠雷の如く轟き
我友 歩兵中尉小寺範輝が柩車来れり
初咲の菊 遅咲きのダリアみな白くして愁ひたり
去年の夏 故里を立ち
山西は重畳たる山國
幾何(いくばく)の敵や打ちけん 雪や分けけん
閻錫山が作りしめし罌粟畑や見けん
一ひらの便りだに寄せず
五月青葉のひるさがり
山國の山西を出で河南省博愛縣の戰鬪に
尖兵の長にはありき
チエコ機銃 篁より火を吐くに突撃し
田の畦に倒る 二十七才なりき
初咲の菊 遅咲きのダリアみな白くして愁ひたり
我友 歩兵中尉小寺範輝が柩車去れり
殷々と遠雷の如く轟き
死者に敬礼せよ (コギト十月号へ)
九月二十七日(火)
▲石浜先生[※石浜純太郎]、▲藤沢桓夫氏、▲小高根次郎君、三冊。計參拾壹冊。
コギトの校了に杉田屋にゆく。保田、小高根[※太郎]も来る。
「小高根太郎」中河与一氏の「天の夕顔」をよみ感激す。
第一書房訪ねしも春山氏留守。▲長谷川[※長谷川巳之吉]、▲春山[※春山行夫]。
史、午前二時頃目覚めて吐きし爲、睡眠不足。
九月二十八日(水)
史、本日も病気。午後印刷屋にゆき検印押す。午前中、中央公論社の入社試験を神田YMCAにて受く。二百名近き志願者ありし中、百名程の受験
と見ゆ。試験問題中、詩あり、出塞行。
春海長雲暗雪山 孤城遥望玉門関
黄沙百戰穿金甲 不破樓蘭終不還
[※青海の長雲、雪山暗し 孤城、遙かに望む玉門關
黄沙、百戰、金甲を穿つ 樓蘭を破らずんば終ひに還らず]
夜、肥下来りて 神田の井田書店より注文ありしとて代金を呉れる。
九月二十九日(木)
午前中「詩集西康省あとがき」20×10、十三枚を書く。肥下宅にて寄贈の表書す。四九冊なり。製本代意外に高き
に不快を感ず。
文庫にて松本に会ふ。夜、祖母危篤につき見舞ふ。船越章、甲府より来る。十二時帰宅す。史、本日は回復。
九月三十日(金)
阿佐ケ谷を見舞ひ、船越と肥下を訪ぬ。製本屋に二十三円八拾六銭支拂ふ。赤川氏[※草夫:古書店主]に本六円を賣る。
夜、川久保君を訪ね、満洲史研究会に行くつもりなりしをすつぽかされ些か憤慨す。
十月一日(土)
阿佐ケ谷を見舞ひ、肥下を訪ぬ。▲松本善海に詩集を贈り、漢書借り来る。王昭君を書かんが爲。肥下の妹▲節子嬢に詩集贈る。
前漢書 巻九 元帝紀
仝巻 九十四 匈奴傳
後漢書 巻百十九 南匈奴傳
西京雑記 → 歴代名画記
文選、 李白 楽府
唐物語
大鏡
和漢朗詠集
十月二日(日)
中央公論社の筆記に通りし旨。
阿佐ケ谷を見舞ふ。▲長野[※長野敏一]を訪ね、詩集を贈る。肥下を訪ね、詩集の礼状を受取る。中に嬉しきは日夏耿之介氏。「寒鳥」「多島
海」「植木屋」の三詩をほめ来らる。斎藤茂吉氏よりも礼状あり。
十月三日(月)
▲酒井正平、▲加藤一、二氏に詩集贈る。共にマダム・ブランシユの盟友たりき。▲草野心平氏を訪ひ詩集を贈り、▲鹿熊猛の分を託す。
十月四日(火)
章君、甲府へ帰りし後、午後五時三十分、外祖母松田もと女(通称みね)死したまふ。行年八十七才。
十月五日(水) 風邪気味なり。
十月六日(木)
午前中に中央公論社に赴き人物試験を受く。試験委員、我名を知りゐし爲、第一次通り、体格検査を受く。体重四○.○瓩、胸囲六九.四cm、身
長一六四.四cmなりき。
第二次は島中雄作[※中央公論社社長]の親ら[みずから]行ふところ。体の悪しきを云ひて暗に不合格を諷す。
第一次のときコギトを止めるべき旨を暗々に諾せし如きことヽなり、何れにしても入社は不可能なり。この夜、通夜。
十月七日(金)
葬儀。集りしもの、大体左の如し。
ゆき子の礼服大阪より来ず。章君の所謂「天沼氏」より大分ひどく云はる。
夜、三上次男、川久保悌郎二氏と、目白の桜井芳明君の家にて「二十二史剳記」をよむ。諸氏の漢文を讀む力の乏しきには一 驚を喫す。これ我が徒らなる誇負に非ず。三上氏の如き、かヽる文にかヽるよみをなすかとの感ありき。
十月八日(土)
午後、章君と肥下を訪ぬ。詩集一冊注文あり、これにて四冊。保田を三人にて訪ぬ。
中河与一氏、文化学院にて予の詩朗讀せしに、よめば[※音読すれば]却つて良くなかりしと云はるヽ由。
十月九日(日)
午前中、祖母初七日法事。勇喜一氏及章君を見送り帰れば長尾良[※ながおはじめ]来りし由。安形次いで来り五時まで話ゆく。肥下を訪ひ、十六
氏に発送の表書す。帰れば長尾また来りし由。次いで就床後、肥下来つて松下武雄の死を報ぜし服部よりの電報を示す。
連れ立つて保田宅へゆき、種々協議、肥下明朝下阪のことヽなる。
去りがてに別れ来ぬれどかくのみに早き命を思はざりけり
十月十日(月)
午前中松下宅へ弔電打つ。照合電報は三分一割増なれどたしかなる由。
パリー桑原氏に詩集贈る二十四銭[※送料]。逸見猶吉氏(大連)九銭。
午後、長尾良氏来る。卒業論文に徽宗皇帝を書く由、本三冊を貸す。東洋文庫にて佐藤龍児氏と話す、春夫先生明日帰京の由。
駒込の叔母に会ふ。沢田直也にあふ。君は好痛症[※神経過敏]なりと云ふに肯ふ。
けふ小高根に電ワ、薄井に速達にて松下の死報ぜしむ。長野は勤先よしたとてゐず半信半疑也。中島より来信、松下数日の中[うち]ならんとのハ
ガキを九日に出してゐるのも哀れ也。
十月十一日(火)
けふ長野より来信、昨日出にて雑誌の原稿催促なり。電話をかけし処やめしとは嘘なり。
文庫にて善海に会ふ。龍児氏けふ見えざりしは[※春夫を]出迎への爲ならん。和田先生に会ふに「[※東洋]文庫」は日本中最も満洲語の文献多
くその整理者必要なり、君ほんとに出来るならばと仰せあり。小高根を訪ひ、保田の[※結婚]祝ひを三円づヽときめ、十六日五時新宿に集合と決
めたり。
帰宅、千草男子安産の電報来ゐたれば見舞ひにゆく。途、駒込の叔父夫婦とつれになる。思ひの外に元気なり。
本日肥下るす宅を訪ひ、注文東京堂より二冊ありしと夫婦喧嘩の話とをきく。
十月十二日(水)
悠紀子、千草の見舞ひにゆく。近藤信一氏を訪ひ、先日の礼をのべ文庫にゆき善海に会ふ。
十月十三日(木)
文庫にて和田先生に会ひ、満洲語文献整理係お願ひす。岩井主事に話しおかんとのこと。
五時二十分、悠紀子と母を東京駅に迎ふ。青木氏夫妻も出迎へたり。四人にて病院にゆき、母は青木泊りと決む。帰宅の途、肥下留守宅を見舞ふ。
詩集注文一冊あり。日本文学の会(文芸文化)より原稿依頼。
十月十四日(金)
十二時半、丸ビルにて母より宮田美樹氏を紹介され関東商業学校の水野勝清氏を訪ふ。就職を依頼す。神西清氏より来信。[※就職斡旋は]珍しき
語学と教授の紹介あらばとのこと。
十月十五日(土)
文庫にゆく。善海と会ふ。夜、冷雨の中を川久保氏と三上氏宅の研究会にゆく、三人のみ。
東中野の饒君[※饒正太郎]の裏なり。豊かに美しく暮しゐらるヽに羨まし。高橋匡四郎、建国大学の助教授となりし由。
十月十六日(日)
保田の結婚披露宴。肥下のフラウを誘ひゆく。
来会者 佐藤春夫、萩原朔太郎、倉田百三、中河与一、仝幹子、川端康成、林房夫夫人、外村繁、亀井勝一郎夫妻、神保光太郎、木山捷平、蔵原伸
二郎、平林英子、若林つや、藤田徳太郎、肥下夫人、小高根、薄井、長野。
十月十七日(月)
午前中阿佐ケ谷にゆき、父母と会ふ。吹田の姉夫婦を見送る。風邪気味。
十月十八日(火)
風邪の爲一日籠居。クレオパトラのつヾきを書く、十枚書きて十六枚となる。夜、母来る。明夜帰阪の由。
まだしばらく骨は薔薇色に燃えてゐたが
まもなく冷えて白くなつた
これは肩胛骨 これは下顎骨
(長い木箸で)指さすと骨たちはめのまへで
幻のやうにくづれてしまつた
室ぢうがムンムン骨の臭ひがし
生きてゐる我々は咳をした
十月十九日(水)
靖國神社臨時大祭。昨夜父来る。午前中、史をつれて肥下の宅へ原稿をとりにゆく。午後保田を訪れ、コギトの編輯をなす。中河与一氏の詩集評あ
り、保田の評も親切なり。松下の令嫂より、臨終数刻の模様をしるしたる手紙来りてゐる。松本善海を訪ふ。
十月二十日(木)
原稿を杉田屋に持参す。時間半端なる爲、新宿にてニユースを見る。寒気せし爲帰宅。昨夜より史、吐瀉下痢をなす。
十月二十一日(金)
午後、文庫へ行く。善海来てゐず。「綏乗」を見るに王昭君の墓と伝ふるもの二つありと。日本にも鹿島社東、太平洋岸の砂丘に王昭君の墓あり、何
の意ならん。本日午前中は暴風。広東陥落。
清代奴隷考
1.奴隷の定義
奴隷を表す語 奴婢 奴僕 世僕 諸申 哈々珠色等
2.奴隷の身分
a.獲得 イ、明代よりの連続
ロ、軍事上の捕虜
ハ、刑罰
ニ、賣身
b.離脱 イ、清初の科挙、その他
ロ、買身
3.奴隷の社会的地位
刑罰の不公平
生活上の差別待遇
子孫の科挙に対する束縛
職務・軍事に用ゐられし例 控馬奴 Kutule ? 嘯亭雑録
農事 仝 家奴の諸用 仝
4.奴隷の解放
十月二十二日(土)
午前中、肥下宅へゆく。中島、松田の記念文あり。立野の弟より詩集注文あり。青木へ御祝持ちゆき、父の荷物発送の手続済ませ、日銀[※父の勤
務先]へゆき切符をことづける。今夜帰阪の由。文庫にて善海に会ふ。やはり僕より風邪を伝染されし由。今夜満洲史研究会なるも、冷雨ふりしき
る爲さぼる。田中氏宅の碁会にゆく、皆僕と良い勝負の下手。
十月二十三日(日)
午後、酒井正平に新宿に会ふ。故西崎晋氏「星座」に僕のことを書いた小説[※不詳]のせてゐた
由。正平、今もまだ日大芸術科にありてシナリオ勉強す。留守中、保田来て眞田の「雁」おきゆく。[※『コギト』原稿]
十月二十四日(月)
朝、肥下宅へゆく。注文二冊あり。津村信夫を訪ひて「軍艦茉莉」を借る。連立ちて丸山薫氏を訪ふ。萩原さん中野に轉居せし由。
保田を訪ふ。亀井勝一郎、林房雄を訪ひしとき、林、僕の「俺は悪魔を−」中の人物をやらねばならんと云ひゐし由。[※『日本の橋』を]池谷賞
候補に河上、三好、林の三氏推薦するだらうとのこと。
夜、小高根と銀座で会ひ、熊谷法律事務所を訪ひチユーター[※ 家庭教師]の相談決む。相手は中大予科生、野附一郎君。
十月二十五日(火)
文庫にゆくにだれもをらず。夕方二時間、御茶水文化アパートにてドイツ語教ふ。
十月二十六日(水)
肥下宅を訪ふ。保田、立原に速達を出す。羽田より帰朝の挨拶あり。
十月二十七日(木)
コギト校了、保田と小高根[※太郎]と立原と集る。百十頁となる。漢口陥落祝賀の爲、宮城前に至り、銀座にてビールのむ。
十月二十八日(金)
朝、杉田屋へ扉の凸版もちゆき、夜は御茶水へドイツ語 へにゆく。
十月二十九日(土)
午前中、文庫にて支那海の海賊につき調ぶ。晝食時沢田を訪ぬ。
午後、和田先生に会ふ。満洲語の件おくれる由。自分でたのめば早くなるかもしれぬとのこと也。
善海と六義園を見、肥下を訪ぬれば中島と共に本朝帰京、保田宅にある由、訪ねゆきて話す。松下の追悼号のこと也。
斉藤茂吉氏、アラヽギに僕の詩集の評のせゐらるヽ由、中河与一氏より報せ来らる。
十月三十日(日)
中島訪ね来る。共に長野を訪ぬる途中、アララギを見しに、有明光太郎にも見られぬ詩ありとの過襃の辞あり。三人にて新宿に出、散歩して帰る。
十月三十一日(月)
文庫にゆき、野附生を教へてのち、銀座資生堂にて保田、肥下、小高根、長の、薄井、俣野と集り、中島の歓迎会をミユンヘンにて行ふ。すべて麥
酒一盃にて陶然たり。
十一月一日(火)
午後、中島を阿佐ケ谷の家に伴ひゆき碁二盤打つ、一勝一敗也。新宿に出てニユース映画を見る。
十一月二日(水)
中島を案内して沢田、末永に会はしめし後、文庫にて一時間讀書。
島稔より昨日来信、茂吉先生の文よみ詩集欲しとなり。松本善海より旗田巍氏、夫人喉頭結核のため死目に会ひに帰郷さると聞く、同情の念禁じ得
ず。夕方ドイツ語教ふ。 「東洋史研究四の一」届く。我がブツク・レヴヰウあり。[※藤田元春著「日支交通史の研究」中近世篇]
一
いまぞアジアの朝あけて
【抹消】ここ蒙疆のしののめや【抹消】
朔風膚をつんざけど
東天紅を拝しては
一声高きいななきに
【抹消】青馬(あを)に軍気はいやましぬ【抹消】
全軍の士気天を衝く
二
名も拒馬河(がは)の夕まぐれ
すねを没する泥濘に
重き砲車を引きなづみ
手綱をとりしわが見れば
なれが眼(まなこ)も泣きゐたり
三
【抹消】江南柳蔭夛く【抹消】
南京城外ひともとの
柳色濃き下かげに
さばへ[蝿]を追ふと尾をふりつ
まなこをとぢし汝がゆめに
【抹消】富士も夢路に入り来しや【抹消】
富士は故郷は入りにしや
【抹消】
四
騎兵足音(どり)軽く駆けて入る
城門高き日の丸に
群る敵を駆け散らし
騎兵刀をばぬきつらね
敵城門を
鉄の蹄に蹴散らしぬ
固きとりでをけふもまた
諭せどきかぬ頑敵の
固きとりでも一つまた
一つと落ちて秋風は
痩せし肋[あばら]を撫でしとき
日の丸の旗ひるがへし
なれが肋もなでよかし
【抹消】
五
【抹消】青馬よ眠れよ永遠を【抹消】
昨日負傷の我のせて
運びし馬も傷つきぬ
今はに何を望みけむ
至仁至愛の大君の
日本の國に生れ来て
六
この幸得しを喜べと
我が撫づれば眼を瞑ぢぬ
青馬よ眠れよ汝が墓に
戦火の煙消えん暁(とき)
東洋平和の花植ゑん
十一月三日(木)
肥下、中島と保田を訪ふ。小高根も来り会し、野附の十月分謝礼をことづかりをる。この日夜より憂鬱となる。
十一月四日(金)
中島を案内して二重橋、明治神宮へゆき新宿にて夜食。本郷にゆき、八時半の汽車にて帰らす。保田東京駅へ来ゐる。この日、終日不安なる心悸あ
り。
今月の原稿左の如し。
1.コギト(二十日)十五枚。 十三枚スミ。 [※ 送付済の意]
2.四季(仝)。 スミ。
3.文芸文化(十日)三枚。 四枚スミ。
C.新日本(七日)三十枚。 三十二枚スミ。
5.文芸汎論(十五日)詩。 スミ
6.不確定性ペーパー(十日)十枚。六枚スミ。
7.あけぼの(十一日)六枚、随筆。 スミ。
六十一枚 詩二篇
十一月五日(土) 野附生を教へにゆく。
十一月六日(日)
松田祖母の五七日にて忌明く。午後、小高根と中河与一氏を訪問、蔦美しき松一本あり。
十一月七日(月)
「新日本」原稿を書上げ保田に渡し(「海賊の系譜」三十二枚)肥下より五冊分、五.二五円受取る。
野附生を教へ、夜「天の夕顔」出版記念会に出席。
十一月八日(火)
肥下を訪ね、長尾良君に会ひ玉を突く。二十の腕前なり。夜、松本と川久保を訪問。
十一月九日(水)
疲れてゐたり。四季社に日下部氏を訪ふも不在。米式蹴球なるものをはじめて見る、面白し。夜、野附生を教ふ。
十一月十日(木)
中河与一氏より速達にて「あけぼの」なる雑誌の原稿を依頼さる。「ドイツの軍歌」六枚送る。
肥下を訪ねしに詩集七冊賣れゐたり(通計二十八冊)。十一冊分、十五円十銭受取る。
十一月十一日(金)
野附生を教ふ。帰途、 神田を歩き、西川を訪ねしに不在。
十一月十二日(土)
「不確定性ペーパー」に六枚。「天の夕顔」批評なり。肥下と保田を訪ひ、明日の打合せなす。
十一月十三日(日)
夕五時より西康省出版記念会。
肥下と連立ちてゆく。定刻より長尾良、池沢茂、岩佐東一郎、亀井勝一郎、藏原伸二郎、佐藤春夫先生、岡本かの子女史、田中冬二、丸山薫、立原
道造、増田晃の諸氏来会せられしに、同人側より保田まだ来らず。座白け、佐藤先生忙しとてせかさるヽに身のちヾこまる思ひす。
止むなく七時十分より開会。津村信夫、神保光太郎、若林つやの諸氏も来られ、次で宇野浩二氏来られ、最後に中河与一氏と共に保田来る。七時半
なり。
テーブルスピーチに佐藤先生「田中君の詩は脆弱なことばに剛き魂ある」旨、くはしくは覚えず。岩佐東一郎曰く「もつと椅子にデーンとかけてゐ
る人かと思つた」、けだし適評也。
閉会後、長野来る。
[※『コギト』78号誌上出版会(昭和13年11月号)・付『四季』同11月号 抄出]
十一月十四日(月)
肥下をたづね、共に 神田へゆく。野附生を教ふ。
十一月十五日(火)
夜、松本善海をたづね、快談数刻、夕方川久保君来り、会の流れしを報ぜらる。中河与一氏より、「若草」などに推薦すべければ詩一二篇送りおか
れよとのこと。
十一月十六日(水)
午前中、赤川草夫氏を呼び、本八円を賣る。肥下来つて「文芸」の原稿依頼状をもち来る。
午後、立原、津村、神保、日下部の諸氏と、日動画廊にて四季の編輯会。野附生を教へし後、赤坂清水公園にて「詩の会」発会式。草野心平の肝煎
[きもいり]なり。
高橋新吉、山岸外史、佐藤一英、菊岡久利、伊豆公夫の諸氏をはじめて見る。阪本、丸山の二氏も来り会す。
十一月十七日(木)
肥下を訪問、越前三國女学校の城越健次郎氏より注文あり。残部僅かに四十八冊の由。
「文学界」十二月号に井伏、三好の二氏、ペシミツクなればとほめゐたり。午後、藤枝晃を訪ひしも不在。夜、
川久保来り、羽田の歓迎会の手筈決まる。
1.中河さん(若草?)
2.文芸 十一月末日、詩二頁。スミ。
3.四季 十二月十日、詩。
4.こおとろ 十一月末日、詩。スミ。
十一月十八日(金)
肥下と保田を訪ぬ。座に藏原伸二郎氏あり、談数刻に及ぶ。
5.三田文学 三枚。保田の本の批評。二十一日迄。スミ。
野附生不在にて、沢田を訪ひ、七時半、新宿に松本、川久保と会し、羽田明の[※帰国]歓迎会をなす。途にて羽田の母君、時野谷君に会ふ。妹君
(時野谷君夫人)女子安産の由。羽田はフランス人の如くなりをる。口をつくは痛辣なる皮肉譏刺の語なれば我以外は当り難し。東亜研究所に入る
ことヽ内定するも、東洋文庫の方が宜からんとすすめおきたり。十二時散会。
十一月十九日(土)
歴史研究大会に出席、浦和より山崎清一君来りて会ふ。任官は年末、結婚せしも細君、人工流産にて帰国中とのこと。鈴木俊氏、文芸春秋の池島信
氏より僕の詩集のことを聞いた由、藤枝マルコ・ポーロの話す。
十一月二十日(日)
肥下を訪ねゐる際、村上菊一郎氏あとを追ひ来る。共に井伏鱒二、青柳瑞穂氏宅を訪ねしも留守。日夏耿之介氏に会ひ、再び井伏鱒二氏を訪ねピノ
チオにて飲み、僕は別れて帰る。身延講の仲間入りをして登山する話、最も面白かりし。
十一月二十一日(月)
肥下、松本を訪ね新宿で映画を見、野附を教へ、帰途、川久保君を訪ぬ。神西氏より返書。[※就職斡旋の件]穂積氏に宜しく断りおくとのことな
り。
大江、上京したるも宛名誤記の爲速達二日後につきたれば会へず。本日「三田文学」に三枚送る。
十一月二十二日(火)
長尾と玉を突く。夜、川久保、松本と、故岩佐君の宅を訪ぬ。満三年の命日なり。[※岩佐精一郎:東洋史学科同窓]
十一月二十三日(水)
朝、コギトの原稿(十三枚)を肥下の許へ届けし留守中に原栄之助氏来訪、急ぎ帰り、話をる中、長尾良、池沢茂二君来る。池沢君に宇野浩二氏の
ハガキを与ふ。原氏を善隣協会に案内、次で神田銀座を歩きて別る。
十一月二十四日(木)
九時、御茶水に原氏と待合せ、文求堂、大学を案内し、石田幹之助氏に会ふ。その後、原君、神経苛立ちて手に負へず博物館にゆきて別る。今夜帰
阪の由。小高根と会ふ。野附生を教へて帰宅。
E.日本歌人 十二月五日。
7.いのち ビルマに於ける明の永暦帝。(止め)
G.コギト クレオパトラ 十五日。 (完結)
十一月二十五日(金)
肥下を訪ねしも留守。保田を訪ね、忘れし帽子をとりかへし、野附生を教ふ。
今年度著作目録 東洋史之部(印刷月日による)
一月 鄭 經(東洋歴史大辞典 六)
鄭鴻逵( 仝 )
鄭克塽( 仝 )
鄭芝龍( 仝 )
鄭成功( 仝 )
鄭 泰( 仝 )
清歴史( 仝4 )
仝社会( 仝 )
巡 撫( 仝 )
章 京( 仝 )
綏服紀略(仝5 )
以上去年の辞典
四月 満和辞典と満洲実話(歴史学研究 八ノ四)
十月 「日支交通史の研究」中世篇(東洋史研究 四ノ一)
十二月 狼牙修(東洋歴史大辞典 補遺)
陵 山( 仝 )
裸人口( 仝 )
陸迦援夛(仝 )
陸 恢( 仝 )
葉 調( 仝 )
藍無呈( 仝 )
達賚遜( 仝 )
十月 支那における塩の問題(国際評論 十月号)
十二月 南支那海に於ける海賊の系譜(新日本 十二月号)
文学の部
一月 歳晩即時(詩 四篇) ( コギト)
三月 冬の歌(詩 二篇) ( 仝 )
四月 手紙(詩) ( 仝 )
詩人が故郷へ歸つたときのうた(詩) ( 仝 )
五月 公孫樹に寄す(詩) ( 仝 )
八月 始皇帝の末裔 (小説) ( 仝 )
虹霓 (詩) ( 仝 )
編集後記 (Tの署名) ( 仝 )
九月 日記抄 ( 仝 )
編集後記 (Tの署名) ( 仝 )
十月 死者に敬禮せよ(詩) ( 仝 )
埃及の女王クレオパトラ(上)(小説)( 仝 )
十一月 仝 (中)(小説)( 仝 )
詩集西康省あとがき ( 仝 )
十二月 孤高のしらべ (エツセイ) ( 仝 )
一月 信州追分脇本陣油屋の記(エツセイ) ( 四季)
二月 萱草に寄せて( 仝 ) ( 仝 )
四月 冬の歌(詩 二篇) ( 仝 )
七月 戀歌(詩) ( 仝 )
詩集の環境について(エツセイ) ( 仝 )
十月 秋立つや(詩 二篇) ( 仝 )
十一月 火葬場にて(詩 二篇) ( 仝 )
十二月 墓地(詩) ( 仝 )
軍艦茉莉に於ける安西冬衞(エツセイ)( 仝 )
五月 夕がすみ(詩) (新日本)
九月 池田日呂志「夜への歌」跋文 (夜への歌)
單行本 「詩集西康省」コギト發行所
十一月二十六日(土)
肥下を訪ね帰り来れば、村上菊一郎氏より本日差支へあり、日夏氏訪問を明日にせんといひ来る。杉田屋に松下の絶筆をもち行き、銅板をとらしめ
校正をなす。
丸山薫氏を訪ねしに、座に稲垣足穂氏あり、吃りなれば物を急きこみて云ふくせあり。大阪生れの由。他に塚山勇三氏。
十一月二十七日(日)
9.「セルパン」より原稿依頼スミ。「一年有半を歌ふ[※未確認]」と題して「アルバイト・デ
イーンスト[※Arbeitsdienst勤労奉仕隊」と「渡洋爆撃」を送るべし。
本日校正に杉田屋にゆく。薄井、肥下、保田会す。防空訓練の爲日没にて帰る。
10.日本詩壇より原稿依頼。スミ
十一月二十八日(月)
本日も校正、肥下と二人のみ。校了して野附生を教ふ。原栄之助君より問責状来る。二十三日夜、遺精してザーメンの臭気をまとひたる我の憂鬱な
るは当然なるに、残酷なりしよ、と云ふ。神経衰弱の兆しや著し。
十一月二十九日(火)
1.「三田文学」二月号に原稿エツセイ二十枚、締切十二月二十日、依頼し来る。王昭君説話をかくべし。
「日本詩壇」に小寺中尉哀歌再録を送る。第三節「五月青葉のひるさがり」を朝まだきと訂正す。拙けれど致し方なし。
【抹消】空は晴れて寒く終日野末に煙を見る
香爐縷々として消えざるに似たりや【抹消】
×
亀井勝一郎氏を訪ふ。東京も仕事の大小できめず好悪できめるかと云ふに、笑つて肯ふ。保田は岡本かの子氏にも嫌はれゐる由。「文学界」にては
小林秀雄に皆遠慮してゐる由。
鈴木俊氏を訪ひしも留守。
十一月三十日(水)
肥下を訪ね、野附生を教ふ。本日「文芸」「こおとろ」の原稿を送る。
十二月一日(木)
善福寺池へ散歩。夜、肥下、小高根来る。小高根、野附の謝礼を持参す。ピノチオに案内す。
十二月二日(金)
肥下と新宿にて会ふ。野附生を教ふ。
【抹消】その日はひどい風の日であつた【抹消】
山々には早い雪が見えてゐた
その日は寒い空の日だつた
その上ひどい風が吹いてゐた
桑の枝に、 雀の羽に風が吹いてゐた
天幕をハタハタ風があふつて吹いてゐた
村長や知事代理や警察署長などの
演説はむなしく空に消えて行つた
その日はひどい風の日であつた ≪消火喞筒[ポンプ]購入祝賀式圖≫
十二月三日(土)
阿佐ケ谷の幸叔母を見舞ふ。肥下、赤川書店を訪問。
今年の菊の美しさ
澗に張つたる薄氷
年々同じしきたりと
思へど寒し年の暮れ
それに一入[ひとしお]飯櫃の
乏しき様が気にかヽる
鳥が棲むからか林は物音がする
猿や狐も下草に尿するか
葉落ち盡くして路あらはれたり
古い神殿の屋根に枯松葉が散りしいてゐた。
海の方に降る石段の両側に
鬱金桜が蒼く咲いてゐた
石段を登つて来る少女とすれちがうた
春は人をかなしうして歌つくらすか
十二月四日(日)
正午、松本善海訪問し来る、五時まで話す。夜、中河与一氏を訪ねしに留守なり、幹子夫人と話す。「新日本」十二月号発行さる。帰宅。
2.「むらさき」二月号、十二月十五日、二枚迄。
他に立野君より来信。
十二月五日(月)
午すぎに大江紀作と御茶の水に会し、浅草、向島、銀座を案内。
マルクスかぶれのデカダン的少年にして救ひがたし。
十二月六日(火)
保田を訪ね、野附生を教ふ。十五日まで休みとなる。文化アパートのグリルで晩食を食べさしてくれたり。長尾良来り、炬燵より火事を出せしとて
五円の借金を申込む。
十二月七日(水)
肥下より詩集代金十八円六十四銭を受取る。夜、新宿ヱルテルに西川英夫、肥下と三人会し「たる平」にて呑む。巴里の桑原武夫氏より詩集受取つ
た旨、来信。
十二月八日(木)
宿酔気味。薬師寺衛君、松下聿好さんから来信。
公園で
その片隅の一寸した動物園になつてゐるあたりには夜が迫つてゐた
さつきまで陽のあたり 子供たちの騒いでゐた築山は
もう蒼くなり誰もゐなくなつた
私は待ちくたびれて坐つてゐた
突然夕かげの檻の中から
鳥がケツケツケツケツと鳴き出した するとあちこちで呼びかはす
見上げると落ち葉した槐の梢に
夕月が眉のやうに細く白い
私は待ちくたびれて それでも坐つてゐた
わたしの上に霜がおくまで と
頑くなな決心をしながら坐つてゐた
夕月はまるでわたしの眉のやうに神経質に見えた
長尾良来り、金を返さうと云ふ。夜、松本を訪ねしも留守。
十二月九日(金) 保田、透谷賞を貰ひし旨、新聞で見、肥下を訪ね祝ひに行く。 途中赤川に会ひ、詩集の帙出来上りしを受取る。
保田の家にて「蒙疆」と「新日本」十二月号とを受取る。それより浦和にゆき、山崎清一君を訪ね一泊す。山崎、当時フラウ
を故郷に帰し大に淋しがりをる。人工流産のあと、肺浸潤を病まれゐる由。
玉を突き、うなぎを御馳走になる。
十二月十日(土)
正午、山崎に別れ、神保光太郎の家を訪ねしも不在。黄塵大に起こるを以て、止めて帰宅。長与善郎先生より来信。中島より松下追悼号の文誉め来
る。
十二月十一日(日)
肥下を訪ね、川久保を訪ねしに来客中。松本を訪ねしに不在。旗田さんのフラウついに逝去の由。夜、さばの中毒にて苦し。
村上菊一郎氏と日夏耿之介氏を訪問。紅樓夢を訳せよと勧めらる。
十二月十二日(月) 終日臥床、四季の原稿を送る。
十二月十三日(火) 臥床、コギトの原稿、クレオパトラ十五枚を書く。
十二月十四日(水)
クレオパトラ三十二枚にて完結さす。肥下来る。中河さんより
K 満洲の雑誌に詩を送れとの速達来る。
十二月十五日(木)
温室の会話
はじめに白い花辨に紫や紅のふちどりのあるシネラリアがいひました。
「わたしたちは世界を美しくいろどるために生れて来たのよ」
次に白い花辨の底がちよつと黄色いフリージアの花がいひました。
「いヽえ、わたしたちのかほりで包むためによ」
うす紅色の西洋桜草がまたも抗議を申込みました。
「いヽえ、わたしたちは春を告げに来たのよ」
色のバナナの木やフエニツクスやゴムの木が、黙つてこの会話に耳を傾けてゐました。
僕はいい気持で室の外へ出ました。
ピユーツ、ああ、何てひどい風でせう。一面の枯野原に北風が吹いてます。
外套の襟を立てながら僕は呟きました。
「世界が美しいだの、かほりが良いだの、春が来ただのは、この枯野原につヽましい蒲公英や菫が咲くまで信じないことにしよう」
いつてから温室のお嬢さんたちにちよつと悪いやうな気がしました。
Kコンドル機の教訓 [※
満洲刊行雑誌『電電』未確認]
ベルリンを発してから翼を張りつヾけてそれは飛んで来た
地中海の青い波の上を ダマスクスの廃墟の上を
その翼の影は一瞬にして飛び去つた
獅子のゐるイランの沙漠 虎の吼える印度の叢林をこえ
ハノイから支那海を渡り 美しい台湾島を左手に見て
飛石のやうに連なる琉球列島の上をとび移り
二つの晝と一つの夜の後 また一つの夜に出会して
尾燈と翼燈をつけて翔けて来た
ゲルマンの知性と意志とが アジアに日本に一つの教訓を齎した
それから親しげな明るい表情と 大きな手の握手とをもつて
日本に友情をもたらし その返報に
人形や刀剱や 美しいキモノやを贈られ
再び大きな翼を張つて出発したとき
誰が豫感したらう カヴイテ海岸の遭難を
人形や着物は波に打たれて駄目になつたらう
人々は声をのんで云はないが 心の中にさらに大きな教訓をもつた
人間の業は最高の知性と意志とを以てしても 明日を いな次の瞬間を知らない と
孝感の戦
嘉慶の帝の御代の初 丙辰の夏なりき
われ罪被りて烏魯木斎より召し還されしに
湖北に白蓮教匪多く起りて 官軍しばしば敗れしと聞召し
命ずるに代りて伐つを以てしたまふ
われ感激して湖北に赴き 当陽に湖広総督畢沅と会せしに
兵わづかに五百人に足らざりき
幸ひに陜西の總兵官徳光が 三千人を率ゐて来り会するにあひ
鼓励してゆくこと数日 楊鎭に至りしが民すべて逃れ去つて
街市空闃(げき)なりき 廣水橋を守りつヽ 鼓を鳴し角を吹いて誘へば
果して賊 蜂湧して攻め来り
われが地の険を擁して守りしに会ひ 殺傷多くして逃れ去りき
この時 賊互ひに顧みて云ふ
われら官軍と戦ふことしばしばなるに 未だ声を聞いて逃れざる者あらざりき
此の番の将はこれ誰なるぞ
嗣いで予が名を聞いて歔欷して云ふ
「此の老爺果して恙[つつが]なくありしよ。われが命はこヽに蹇まらん」と。
次日 賊 道上の北山に據る 徳光我に戦ひ請ひて休まず 我れ危みつヽ千人を与へしに
賊の火鎗 驟かに発して進むことを得ず
我れ間道板に赴きしに畦間に累々と朽ちたるはこれ 保将軍の敗卒の骸なり
たまたま黄金廟側に 二百人の兵が戦疲れて三々五々兵糧喫しゐたるを見出しかば
これを呼集めて慰めるに善言を以てし
戦はんと云ふに すべて予が名を聞くや踴躍して戦はんと乞ひ
旗を展げ笳を鳴らして以てすヽむ 賊互ひに相践(ふ)んで伏兵至るといひ
まさに潰れんとせしとき賊中の紅巾の者 大声あげて驚く勿れと云ひ 大砲を以て防がんといふ
これを聞いて我軍 披靡の気配ありしかば我れ誑りて云ふ
おそるヽことなし 砲は炸れてすでに用に立たぬものを と
我兵煙を突いて撃ちすヽみ 敵の営を奪ひ火を放ちしかば
火光燎々と陣を照らしたりき
賊 これより恐れて城門を守りて出でず これをも一日
大風 霾[つちふ]らす日に風上より火を放ち陥し入れぬ
この火三日まで止まざりしが焦骨中より賊首及骸尸を取り出でぬ
捷聞 上に至りしかば大に御感あり 軽車部尉の爵を賜りしが
これより将軍 永保に永き怨みをむすびぬ
十二月十六日(金)
長尾良来り、共に玉を突く。夕方阿佐ケ谷へ行く。
十二月十七日(土)
午後文庫にゆき川久保、松本に会ふ。鈴木俊氏より月曜に履歴書持参し来るべき由ことづけあり。松本は東亜研究所の手にて、東方文化嘱託として
月俸百二十円以上にて二年間研究のことヽ決定。他に三上、須藤、石瀬、村上の四君も同じといふ。羨しといふ気に外なる[※外ならぬ]自己嫌悪
を感ず。小高根、留守中二回来訪の由、明日「いのち」の編輯者に紹介しくれる爲なり。
夜、肥下を訪ひ、二十二円受取る。六十六冊、うれし也。石丸某君来会。
十二月十八日(日)
午前中「王昭君の悲劇」を書くこと七枚半。午後阿佐ケ谷に船越章君を誘ひ肥下を訪ね、新宿にて「いのち」の編輯者瀧氏に小高根より紹介さる。
長野も共なり。津田左右吉批判を書けとの旨なり。
七時よりヱルテルに「学芸展望」誌の同人諸氏と会ふ、皆むだなることばかり。
十二月十九日(月)
履歴書を持参して研究室に鈴木俊氏を訪ね、吉川美都雄君に紹介さる。君は帝國書院社長守屋荒美雄氏の四男、昭和十年入学の東洋史学士なり。今
度副手となるため法政中学を止すにつき後登に推されし也。同君の案内にて令兄新社長に会ひにゆく。
夜、松本、川久保を訪問。
十二月二十日(火)
午前中「王昭君」を書き了り、「ごぎやう」誌に二枚の散文詩「広東の塔」を書く。
肥下を訪ねてのち、山崎清一に新宿であひ、共に食事。日比谷劇場でキネマを見、すしを食ひ、松本、川久保と会してギンザのフエザーにゆく。
3.学芸展望 十二月二十三日 詩
4.いのち 一月七日 詩 郭沫若を書きたし。
十二月二十一日(水)
阿佐ケ谷へゆき、夜、三上氏を訪ねしに風邪にて会はず、今日の会の中止は速達にて報ぜしとのこと、冷雨中を帰る。川久保も留守中報せに来てく
れし由。
十二月二十二日(木)
雨、後、晴れしゆゑに肥下を訪ね、高円寺を散歩す。夜、肥下来りて校正を持参。
十二月二十三日(金)
午前中「学芸展望」に詩を送る。肥下を訪ひコギトの詩の原稿をわたし、阿佐ケ谷にゆき、夕方より鈴木俊氏を訪ひしに留守。夜、田中氏と囲碁。
十二月二十四日(土)
コギトの校正、肥下、小高根、保田。保田、このごろ僕を「気がつくやうになつた」と云つてゐる由。
七時すぎ四季の忘年会に至りしに予期になし、丸山、竹村、神保、津村、日下部の五氏のみ。帰宅せしに平田内藏吉氏より[※「不確定性ペー
パ」]稿料一円来り居る。
十二月二十五日(日)
夜、鈴木俊氏を訪ねしに、東洋史の連中(横田、赤木、吉川、阿部、中村他一氏)来り、会の最中、横、赤二氏入営の送別の由、近角氏の葬式明日
の由。吉川君よりの注意にて「文芸春秋」見しに百田氏[※詩集西康省を]良書とて推薦されをる。松本を訪ねれば「物語東洋史」清の部、引き受
けよとのこと、羽田、京都に留まるらし。文芸(¥4.00)、文芸文化(¥5.00) 来る。
十二月二十六日(月) 川久保と近角文常氏の葬儀にゆく。
十二月二十七日(火) 肥下を訪ぬ。
十二月二十八日(水)
コギト正月号出来、保田を訪ぬ、増田晃君も来会。保田の次弟入営の由。夜、長尾良来り球突をなす。立原道造重態の由。
十二月二十九日(木)
松本を訪ね「物語東洋史」の仕事もらひ来る。川久保にバスで会ふ。和田先生を訪ねて後、帰郷とのこと。
十二月三十日(金) 一日家にて仕事す。
十二月三十一日(土)
夕方肥下を訪ね、帰りしに、留守中松本来りて二日に帰郷の由。
昭和十四年
一月一日(日)
午後、小高根来り、ともに肥下、保田を年賀。中河氏より7.00円。
一月二日(月)
午後、小高根と中河与一氏を訪ねしに保田も来る。夜、小高根の家にて御馳走となる。
一月三日(火)
数男[※義弟]と玉をつく。夜、田中賢助氏と碁を囲む。
一月四日(水)
風邪。内閣總辞職。
一月五日(木)
風邪。川久保君来る。和田先生、「田中君は小説書きに来たのではないか」と云はれし由。平沼内閣成立。
一月六日(金)
風邪。肥下、長野来る。中河氏より十円送らる。
一月七日(土)
村上菊一郎君来訪。共に小田嶽夫氏を訪ねしに、中村地平氏も来会。
本日「いのち」に「詩人の生涯」と題して郭沫若を歌ひし詩、数十行を送る。
一月八日(日)
紀之國屋に「文芸豆年鑑」を求めにゆき、川久保を訪ぬ。細見戦車隊長[※細見惟雄]は伯父なれば、戦車行進を見にゆくとて共に出づ。
肥下を訪ねれば、山岸外史より「このごろ自分のもの載らぬわけを云へ」とのハガキ来たるを見る。
一月九日(月)
吉川美都雄氏を法政[中学]に訪ね、校長(水谷吉蔵)に紹介さる。後任に推薦されしなり。鈴木俊氏を訪ね報告し、松本、肥下を訪ねしに皆、留
守。
一月十日(火)
正午、就任の挨拶にゆき、午後、文庫に和田先生を訪ね、報告す。
駒込にも報告。本日「煕朝紀政」一帙を購ふ。
一月十一日(水)
はじめて授業。六時間ぶつ通して苦し。肥下を訪ねしに又留守。
一月十二日(木)
「文芸文化」三月号、「学芸展望」三月号の原稿依頼。
一月十三日(金)
けふ三時間目で今週授業終る。松本、肥下を訪ね閑談す。山崎、奈良に赴任のハガキ。
一月十四日(土)
四季の原稿送る。田中氏と碁を囲む。このごろ「物語東洋史」の仕事にて忙しく、しかも未だ百枚のみ(三五○枚の予定)
一月十五日(日)
夜、俣野、長野来る。肥下を訪ね、高円寺にてのむ。長野ユダヤ人問題について話す。
一月十六日(月)
肥下を訪ぬ、小高根も来る。
一月十七日(火)
家居。長尾良来り、玉を突く。
一月十八日(水)
学校。長野、夜来り、本を借りゆく。支那経済教科書を作る由。
一月十九日(木)
学校。
一月二十日(金)
三時間授業すませ、神田を歩き研究室にゆく。鈴木俊、山本達郎、青木富太郎、旗田巍氏等あり。吉川君の辞令を託す。喫茶室にて池沢茂に会ふ。
沢田直也、西川英夫二人とも留守。
一月二十一日(土)
家居。原稿書けず。
一月二十二日(日)
午前中、赤川草夫氏来訪、家庭教師の口。午後、赤川、肥下二家を訪問。夜、善見訪問。野本憲志、陸士に入りし由。赤川氏の紹介にて某氏来る。
一月二十三日(月)
散髪。夜、松本善海を訪問。サラリー百十円の由。丹羽、実業界に転向といふ。「むらさき」「いのち」の稿料来る。
一月二十四日(火)
午後、市立療養所に立原道造を見舞ふ。やせて声出ず痛々し。二十分ほどのあひだ痰を吐くこと幾度、回復覚束なきには非ずや。帰途、肥下宅に寄
る。
一月二十五日(水)
学校。放課後、神田を歩き、王士禎の「池北偶談」を購ふ。
「三田文学」来る、吾を紹介して「日本浪曼派」同人といふ。
一月二十六日(木)
コギトの詩書き、学校へゆきがけに印刷屋にもち行く。放課後校正。肥、保、小高根、長の、長尾、池沢。賑やかなり。
長尾、池沢と新宿にて玉を突き、出しに中村地平、若林つや、横田文子に会ふ、緑川貢の満洲行送別会のあとの由。
帰宅、佐藤竹介より葉書。今、北支にありと。石中象治氏より詩集[※『海の歌』]。
一月二十七日(金)
学校。睡眠不足にて弱る。博物館にゆき、小高根に会ふ。図書館にて「煕朝新語」「漂流奇談集」をよむ。
一月二十八日(土)
文庫へゆき、川久保、松本と会し、丹羽の家にて晩餐をよばる。
フラウ七ケ月の身重の由。古河に入るため中央大学を止す。僕を後任に推す由。少しも有がたからねど友の情のみうれしき。
黄色く白く薔薇はいくたび花咲いたぞ
月射す園にうしろかげ見しまヽに別れしが
流るヽ雲と逝く水とむなしきものに面影かよひ
一月二十九日(日)
「学芸展望」の詩を作る、肥下を訪ぬ。
一月三十日(月)
「学生生活」のため詩を作る。赤川氏を訪ね、肥下よりコギト受取る。
一月三十一日(火)
「文芸文化」に詩を送り、長尾と玉を突く。けふより阿佐ケ谷へゆく。
二月一日(水)
学校。五十銭を落とせり。珍しきことなり。
二月二日(木)
学校。
二月三日(金)
俸給を受取り神田を歩く。ニユースを見る。
二月四日(土)
肥下を訪ね、保田の家へゆく。
二月五日(日)
善見勉及び陸士豫科なる野本憲志来る。明治神宮に詣り、帰途、川久保を訪ぬ。夜、雪ふる。
二月六日(月)
阿佐ケ谷に来る。
【抹消】 獅子
伯林[ベルリン]の世界一の大サーカス團来る
今しリビヤの王者 真剣なる顔附にて
縄渡りをせり たてがみはふさふさ
されど 悩みの心われにみちあふれ 四周を見るに
誰一人なし【抹消】
三國干渉につき──「日本文化時報」に詩一篇
二月七日(火)
肥下を訪ね、赤川書店にゆく。例の話こはれたり。
二月八日(水)
放課後、中原[※中也]賞銓衡にゆく。立原にやらんとのこときまる。三好、丸山、津村、神保とわれ。
われを推薦せし人、井伏、中河、萩原、安西、竹中、吉田一穂。
二月九日(木)
放課後、吉川美都夫氏を訪問。
二月十日(金)
帰宅。夜、松下のこととて肥下宅へ集る筈なりしが寒気きびしく止す。
二月十一日(土)
紀元節。夜、草野心平 の「蛙」出版記念会にゆく。谷川徹三、土方定一、田村泰次郎、春山行夫、金子光晴等を見る。
会後、萩原さんを囲み、保田、山岸、高橋新吉と話す。
二月十二日(日)
風邪気味。長野来り、肥下を訪ね、川久保より「韃靼」を借り受け、松本を訪ねしに留守。
二月十三日(月)
夜、四季の中原中也賞の会にゆく。室生、竹村、堀、神保、阪本三好、外に賞金を出す人中垣氏夫妻あり。
妻氏は中原の元のフラウなる由。明日、立原を訪ねわたすこととなる。風邪甚し。
二月十四日(火)
発熱。夜には三十八度五分に上る。
二月十五日(水)
休講。
リビヤの王者 伯林[ベルリン]に来り
鬣ふるはせつヽ 綱渡る寫眞を
われ映画館に見しに
みなみな笑ひ われも笑ひつヽ
目に涙あふれしは何故ならん
おれは「人生」といふ乗合にのつてゐる
車体を黄色くぬつたゆれのひどいバスである
たえずぶつぶつ云つてゐた酔どれは引ずり降ろされ
田舎から来た青年は車に酔つて降りた
窓からの眺めはつまらない
古い街道で乾物屋のとなりに乾物屋がある
按摩按腹とそばやとが隣あつてゐる
このバスの女車掌でも美人だつたら──
おれは早くあいつらのやうに降りたくなつた
×
「東洋の平和のためぞ
汝が紅き血もて購ひたる
半島を清に還せ」と
馬車駆りて公使来りぬ
そのカフス その手袋は白かりき
畏くも龍顔(みおも)曇らせ おほみことのらせたまひぬ
「東洋の平和のためぞ 還し与へん」──
かくわれが談りしときに生徒らの眼は燃えぬ
口惜しと思ふなるべし さはあれど
美しきことばなるかな 「東洋の平和のためぞ」
※ なれどなが まなく出でゆき
※ わが父祖は出で征ちゆきぬ このことば
※ やがて汝等も大陸の戰(いくさ)の場(には)に
※ 大御名とともに称(とな)へむ ことばにあれば [※推敲途中]
昭和十四年
埃及の女王クレオパトラ(下) コギト一月
孝感の戰(詩) 仝
公園で (詩) 四季
広東の塔 (詩) ごぎやう
小さい市で(詩) セルパン
低い土地(詩) 文藝
小祝典(詩) 日本歌人
諷詩の如き(詩) 仝
旧大學生の詩(詩) こおとろ
天馬海を渡る(詩) 文藝汎論
コンドル機の教訓(詩) 電々[※『電電』満洲刊行雑誌。未確認]
文學傳統の問題 文芸文化
「天の夕顔」 不確定性ペーパ
ドイツの軍歌 あけぼの
北に向かって(詩) コギト二月
市井に虎あり一.二(詩) 四季
市井事 (詩) 學藝展望
風景 (詩) 仝
温室の会話 (詩) むらさき
詩人の生涯 (詩) いのち
王昭君の悲劇 三田文学
狭い谷間(詩) コギト三月
老 (詩) 四季
中原中也賞 仝
美しき言葉(詩) 日本文化時報
旧大學生の詩(詩) 学生ヽ活
冬夜箋記(詩) 学芸展望
日本の春(詩) 文芸文化
老兵士 (詩) あけぼの
哀歌 (詩) コギト四月
建仁元年熊野御幸 仝
編輯後記 仝
立原道造の思ひで コギト五月
戰爭の詩 四季
氷る湖 (詩) 短歌研究
冬日感懷 (詩) 新潮
一日(詩) 仝
やどりぎ(詩) 学芸展望
新しい詩大いに興る 新日本六月
城址にて(詩) コギト七月
立原君の詩 四季
花木に寄せて(詩) 学芸展望
汽車の窓から(詩) 新女苑
現代の詩人 文芸文化
夏草 (詩) コギト八月
山峡三曲(詩) 四季
目覺
遠景
鯉
リルケ詩集 新潮
「艸千里」について 四季
私の短歌修業 短歌研究
佳人(詩) 文芸世紀
行者 (詩) コギト十月
編輯後記 仝
諏訪湖の朝 (詩) 渋谷文学
公園にて (詩) 文芸文化
富士に寄せる戀歌 (詩) 新女苑
詩集「宿命」 コギト十一月
「山上療養館」について 文芸文化
遺品 新潮
海獸 (詩) 四季十二月[※「秋季号」9月20日発行]
曠野 (詩) 中央公論
大陸遠望 (詩) 仝
「後鳥羽院」 俳句研究
千年 鵲 [※大連発行]
南支那海の海賊 カントン
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大君の詩 序詩 われらが詩論 [※平田内蔵吉詩集]
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物語東洋史 清の部
詩 四十四篇
(第11巻終り)