Back(2025.11.17 up / 2025.11.26 update)
赤田臥牛(あかだ がぎゅう)(1747 廷享4年 〜 1822 文政5年)
赤田臥牛 掛軸 (2025年際遇)
一斥(指呼)す松間の月
月來りて松影長し
清光、掃へども去らず
我が山中の床を照らす
義
赤田臥牛 掛軸 (2025年際遇)

山陰觴詠賞佳辰
更是桃花照眼新
清頭今年天氣好
風光恰似永和春
戊寅上巳 臥牛山人
山陰に觴詠して佳辰を賞す
更に是れ桃花、眼を照らして新たなり
清頭、今年天氣好し
風光、恰も永和の春(蘭亭雅会の日)に似たり
戊寅上巳(文化15年3月3日) 臥牛山人
赤田臥牛 掛軸「篠魚(笹魚)」 (2025年入手)
苞翠幽崖色
折來仔細秀
葺鱗猶著節
尖尾未辞竿
含雨長相濕
帯風常自寒
何當秋水至
一躍泝溪瑞
臥牛山人題
苞(つと)翠に幽崖に色づく
折り來る、仔細の秀(ひい)づるを
鱗を葺(かさ)ねて猶ほ節に著き
尖尾、未だ竿を辞せず
雨を含みては長らく相ひ濕り
風を帯びては常に自ら寒し
何(いかで)か當に秋水に至り
一躍して溪瑞を泝(さかのぼ)るべし
臥牛赤田先生咏篠魚一律戴有臥牛集中而余今始見
此自畫賛一軸真是珎中之珎品也鍳賞之餘遂于題焉。
時于大正甲子小春満山紅葉之晩玉泉逸民
臥牛赤田先生の咏める「篠魚」の一律、「臥牛集」中に戴せ有り。
而して余、今始めて此の自畫賛の一軸を見る。
真に是れ珍中の珍品也。鑑賞の余、遂に題す。
時に大正甲子(13年)小春(旧暦10月)満山紅葉の晩。玉泉逸民(不詳)

咏篠魚
『臥牛山人集 初編』巻之三
飛騨山谷間、有篠葉密疊為魚状者。頭尾葺鱗、
宛然魚也。俗稱曰篠魚。蓋以其状肖命之者也。
或云、廣東侈曳尾者近之、余賦一律以記其異也。
苞翠本龍孫
幽崖此托根
上竿尖尾起
著節葺鱗繁
雨濕長生色
風來忽自飜
何當乘物化
一躍泝溪源
篠魚を咏ず
飛騨山谷の間、篠葉の密疊して魚状を為す者有り。
頭尾、鱗を葺きて宛然(さながら)魚也。俗に稱して篠魚と曰ふ。
蓋し其の状の肖るを以て之を命ずる者也。
或は云ふ、廣東侈(不詳)の、尾を曳く者、之に近しと。
余、一律を賦して以て其の異を記す也。
苞(つと)は翠にして本は龍孫(筍)なり
幽崖、此に根を托す
竿に上りて尖尾起り
節に著きて鱗を葺くこと繁し
雨濕りて長く色を生じ
風來りて忽ち自ら飜る
何(いかで)か當に物化に乘じ
一躍して溪源を泝るべし
(どんな風に魚に変化して一躍、渓流を遡ってゆくのだらう)
【篠魚(笹魚ささうお)】 とは何ぞや?
篠魚之圖 長サ凡そ九寸。頭ノ廻リ凡そ二寸。
赤田臥牛 掛軸 (2025年際遇)
過
長嘯生別業
朝市纔相隔 郊能草野
間曲隣多雜樹 一径掩
柴關 魚鳥馴人近 烟雲
盡日閑 雨添簷外水 翠
疊屋東山 樵婦擔薪去
村翁蒔稼還 境幽機事
少 此地遠塵寰
白雲樵 元義
長嘯生の別業を過る
朝市纔かに相ひ隔る
郊[然]、草野の間
曲隣、雜樹多く
一径、柴關を掩ふ
魚鳥、人近く馴れ
烟雲、日閑に盡る
雨は簷外の水に添ひ
翠疊、東山に屋す
樵婦は薪を担ひて去り
村翁は稼を蒔いて還る
境、幽かにして機事少なく
此の地、塵寰に遠し
白雲樵 元義
赤田臥牛 掛軸 (2025年際遇)
暑至臨流濯足
(夏に至り、流れに臨んで足を濯ぐ)
臥牛山人